monologue 2006.04〜2006.06

2006.01〜2006.03
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2006.06.25 sun



昨日とはうって変わって、これはケン・ラッセル監督の「アルタード・ステーツ」(1979米)。

真理の探究に取り憑かれた生理学者が、タンクに浸かり、メキシコ・インディアンに伝わる秘薬を試みることによって、細胞に眠る人類進化の起源の記憶に至ろうとするが、その変化は精神ばかりでなく肉体の逆進化をも引き起こす・・・と、いかにもドラッグ世代のSF物語ですね。

「ジキル博士とハイド氏」のようにも観ることができますね


この監督らしく、なんともグロテスクなイメージの奔流が次から次へと・・・ましてやテーマがテーマですからね。

観ていて疲れますね〜(^o^A;

この映画自体をドラッグにしようとしているんじゃないか?(^^;いわゆる「激しい点滅」とか・・・




最終的には「愛の力」でねじふせちゃうのがなんとも・・・(苦笑)奇怪な幻覚をこれでもかと映像にしているのはこの監督らしいんですが・・・。

どうも、愛の(神秘の)力、そしてその力によって解決するってのはねえ・・・(^^;

ケン・ラッセルにしては、律儀に物語―ストーリーを紡いでいますよね(^^*このひとにもこんな時期があったんですね。ただ、きほど「ドラッグ世代」とおっしゃいましたけど、1979年の製作というのはそれほど古くはありませんよね

いや、意外とこのひとはストーリー・テラーな一面があるんだよ。伏線を張っておくのも綿密で穴がない(だからオペラの演出にも才能を発揮するんだろう)。でもこの映画、知らずに観たら1970年頃の製作だと思いそうだね。その意味では妙に古くさい印象なんだな





2006.06.24 sat



いま話題の・・・というわけではありませんが、これは「死刑台のエレベーター」。1957年仏、ルイ・マル監督当時25歳の処女作。音楽はマイルス・デイヴィスのトランペット。


社長を自殺に見せかけて射殺し、万事首尾よく運んだかに見えたとき、エレベーターに閉じこめられてしまうジュリアンにモーリス・ロネ。


ジュリアンと不倫関係にある社長の妻にジャンヌ・モロー。



ジャンヌ・モローは好みなので(^^*もう1枚。


このふたりはとうとう映画のなかでは出会うことがないのですね

そう。このふたりが同じカットのなかに映るのは、映画の最後に現像され焼き付けられる写真のなかでだけなんだよね

もちろんふたりの笑顔も・・・



ちなみに右は刑事役のリノ・ヴァンチュラ。手塚治虫が「鉄腕アトム」のころからたびたび登場させているキャラクターに、このひとをモデルにしたものがありましたね。

ほかにもジェームズ・メイスンとかオーソン・ウェルズとかありましたよね(^^*

ジョームズ・メイスンは優美の好みの俳優だったね(^^;シブイ好みだね〜

Hoffmannさんっ、この「りの」さんってカッコいいですねっヾ(・∇・*タイプです〜

ええっ、これはまた・・・花ちゃんの好みもシブイな〜(^o^A;シブすぎ・・・





2006.06.23 fri



「バーンスタイン 最後のメッセージ」。指揮者・作曲家のレナード・バーンスタインが、その死の三ヶ月前にパシフィック・ミュージック・フェスティヴァルに来日した際の、札幌でのリハーサルと演奏会を収録したドキュメンタリー。曲目はシューマンの交響曲第2番。


以前LDでも出ていましたが、DVD化にあたって新たに加えられた映像があり、また、リハーサル中いささか下品な冗談を口にしている場面などは逆にカットされています。

また、第3楽章のリハーサルでは「これが音楽ってものなんだよ」てなこと言ってますが、必ずしも学生相手なればこその発言というわけではなく、バーンスタインはウィーン・フィルやボストン交響楽団とのリハーサルでも同じような演説をぶったそうです。まあ、このひとらしいですね。


オーケストラは世界17ヵ国から集まり、オーディションによって厳選された123人の学生からなるもの。こうしてバーンスタインのリハーサルを観て、さらに映像付きでコンサートの演奏を聴くと、これはこれでウィーン・フィルを指揮したdiscよりも感銘深いものがありますね。

# いろいろ思うことはあるんですが、腰が痛いのでここまで。後日追記するかもしれません(しないかもしれません)。




2006.06.22 thurs

腰痛ひどく、長時間座っているのもつらいので、更新が休み休みになるかもしれません。




2006.06.21 wed

我が家にはテレビがないので、某国営放送局の受信料なんか、他人が払おうが払うまいがどうでもいいです。この放送局のオーケストラについても、いい演奏を聴いた記憶がないので、やっぱりどうでもいいですね。サヴァリッシュやスウィートナー、ホルスト・シュタインあたりが振ったときでも、「どうせならもうすこし音色や響きに魅力のあるオーケストラだったらなあ」と思ったもんです。

先頃亡くなった指揮者にしても、Hoffmannが聴いたブラームス、チャイコフスキーなどは、終演後のすさまじい拍手喝采が白々しく感じられるほど、気の抜けたような演奏でした。いまにしてみればこの指揮者についてそんな記憶しか残っていないのは残念ですね。

ひと晩に9曲もの交響曲を演奏するなどという無意味かつ曲芸めいた演奏会でなければ、もういちど聴きにいきたかった指揮者なんですけどね。


ベートーヴェンの交響曲全曲のマラソンコンサートのことですか?

あんなのはパフォーマンスであって、芸術活動とか音楽造りといったこととは無縁のものだよ。サティの「ヴェクサシオン」のほうがまだしもだな

聴いている方も疲れちゃって後半は・・・

マーラーが第2番の交響曲で第1楽章と第2楽章の間に少なくとも5分の休憩を入れるように指示しているだろう? その方がよっぽど、自分の作品を聴いてもらおうという切実な音楽活動だよ。いかなる活動においても、パフォーマンスというものは二流の見せ物でしかないと思うね。こんなことはして欲しくなかったというのが正直な気持ちだな





2006.06.20 tues

オペラなんてあまり聴かないひとでも、しばしばコンサートプログラムで取りあげられる序曲・前奏曲や間奏曲などは耳にすることがあるんじゃんでしょうか。そんなとき、間奏曲ってなぜかそこそこある程度の演奏時間で、やたらとオーケストラが大きな音を出しているとは思いませんでしたか。

まあ、例外もありますが、これはたいがい場面転換のために挿入された音楽だと思って間違いありません。つまり、いったん幕を下ろして舞台装置を入れ替える間の音楽ですから、あまり短いと時間が足りません。それに、大道具を動かすからガタガタゴトゴトと音をたててしまうわけで、できれば間奏曲は♪ジャンジャカジャンジャカと大きな音を出してくれていた方がいいわけです。

いや、それがどうしたと言われても困るんですが(^^;


♪じゃ〜〜んじゃじゃ〜〜ん・・・ヽ( ̄0 ̄)/

それは・・・「パルジファル」・・・いや、「ペレアスとメリザンド」?(・・?





2006.06.19 mon

Hoffmannさんっ、早すぎますよ〜ヾ(・∇・;



もうひとつ、Wagnerの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」といえばこれ。1995年ベルリン・ドイツ・オペラでの収録。演出は当時同劇場の総監督だったGoetz Friedrich、指揮はRafael Fruebeck de Burgos。このプロダクションは日本にも来日した際に上演されましたね。



いつも思うんですが、ヴァルターの歌は第三幕の優勝の歌よりも第一幕での即興の歌の方が魅力的ですね(笑)

第一幕ならまだ歌手も疲れていませんからね♪(^o^*

ふは〜(^0^;優美、なかなか言うね



さすがにG.Friedrichの演出は細かく、たとえば第二幕・・・


窓辺のマグダレーネはいろいろ演技をしており、これだけでも劇が無理なく展開していきます。


第三幕。指揮者の処理も手慣れたもの。



祭典の場。軽業師なども現れて雰囲気が盛り上がったところで・・・


民衆が熊を先頭に列をなして、舞台を斜めに横切ります。この場面はたいへん印象的かつ効果的だったんですが、この映像ではわかりにくい! もっとカメラを引くべきところでしょう。



ヴァルターが歌っている場面でも、次々と軽業師などの「余所者」が聴き手に加わってくるんでしたよね。この映像ではそのあたり、まるでわからないのは残念ですね

身分や階層を超えて・・・っていうのは、いかにもG.Friedrichらしい演出なのにね



前夜の大乱闘の名残―怪我している親方がいますね(笑)さすがに芸が細かい。


この演出でもベックメッサーはヴァルターの歌を聴いており、途中「続きを!」といった仕草も見せています。そして幕切れでのザックスとの和解。当然演出面での戯画化もそこそこなんですが、いまひとつ設定が徹底されていないと感じるのはベックメッサー役のEike Wilm Schulteのキャラクター故でしょうか。



この上演の要はなんといってもWolfgang Brendelですね。若さの残る、ちょっとぶっきらぼうで人間味あふれるザックスを、豊かな声で演じています。

# 祭典の場、ヴァルターの歌の場面など、ひょっとすると、来日時の上演は演出に手直しがされていた可能性もあり、この現地で収録されたものは多少異なっているのかもしれません。




2006.06.18 sun



Wagnerの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、1984年Bayreuth祝祭劇場での収録。以前LDで出ていましたが、最近DVD化されたもの。指揮はHorst Stein、さすがにオーケストラに関してはまず文句のない、見事な演奏です。Norbert Balatsch率いる合唱団についても言うまでもなし。演出はWolfgang Wagner、Video DirectorはBrian Large。



この作品の多くのdiscと同様、歌合戦で優勝する騎士ヴァルターよりも、この市役所の書記ベックメッサーの方がずっといいですね(笑)

ベックメッサー役はHermann Preyですね

声の衰えは隠せないけれど、それを補ってあまりある演技と、このひとならではの魅力があるね



ダーヴィッド役のGraham Clark。以前、ローゲ、ミーメ、舵手といった役で歌っているのを紹介しましたが、ここでもじつに愛すべき若者を演じています。脇にこういうひとが出演していると、肝心の誰かさん(笑)が少々弱くても、全体としてはかなり印象がよくなるもんです。



こういった、舞台をほとんど真横から見るようなカメラのアングルは不自然で、個人的には嫌ですね。


このころから多く見られるようになった(?)演出―ヴァルターを祝福しつつも、複雑な表情のザックス。



これもいまではめずらしくない演出ですね―歌合戦の場に戻ってきてヴァルターの歌を聴いているベックメッサー・・・


そして和解。



聴きどころはいろいろある作品ですが、Hoffmannがもっとも好きなのは第三幕の五重唱です。この五重唱を聴いていると、(この場面だけではなく)この作品に関しては、あまり妙にひねった演出はして欲しくないですね。

ここのアンサンブルはほとんど綱渡りみたいなものですね。たとえリハーサルを綿密にやったとしても・・・

ベルリン国立歌劇場の来日公演のときがすばらしかったんだよね

たしかそのときの歌手はザックス役のAdamを除くと、あまり国際級のひとはいなかったんですよね

そう。逆に大物を並べたバイエルン国立歌劇場の公演ではさほどでもなかったんだよ。大歌手を揃えればいいってもんじゃないのさ


それにしてもHoffmannさん、主役級の歌手にまったく触れていませんよ(^o^;;




2006.06.17 sat


ようやく出ましたよ。ウィーン国立歌劇場における1985年の公演、グノーの歌劇「ファウスト」です。歌手はF.Araiza、R.Raimondi、G.Benackovaほか、演出がKen Russell。


グノーの「ファウスト」なんてめったに聴くこともない、Hoffmannにとってはさほど重要なオペラでもないんですが、やはり映像付き、それもKen Russellの演出となると、つい夢中になっちゃいますね(^-^;



やはり歌手ではRaimondiが光ります・・・っていうか、ほかにあまり関心のある歌手がいないんですけどね。



Araizaって、なにを演じても意志薄弱な「とっちゃんぼうや」に見えるんだよね(笑)ついでに言うと、カレーラス、シコフ、イェルザレムなんかも・・・

いくらなんでも、それは偏見じゃないですか(^o^;

E.Binderの指揮はことさらにグランド・オペラを志向することなく、オーケストラの響きが過度にゴージャスになっていない点は好感が持てます・・・が、単に小さくまとまっているだけとも聴こえます。

メトロポリタンあたりのlive録音で聴くと、作品の本質よりも、たとえば娯楽の場・社交の場としてのオペラハウスが意識されてしまうようなところがありますよね

演じている側よりも、木戸銭払って来ている観客の存在感の方が強く感じられるんだよね




2006.06.16 fri

職場のエライひとが環境(破壊)問題についてどうのこうのと言っていたんですけどね・・・ゴルフをやるやつが環境問題を語るなんぞ、ハラワタ痛いですな( ̄ヘ ̄)フン

ハラワタですか・・・(^o^;

ゴルフがいかんと言ってるわけじゃないんだけどね





2006.06.10 sat

鈴木清順監督の映画「ツィゴイネルワイゼン」(1980)から―





「過剰」ということ。



わかりにくいかもしれませんが、この手前にある回転式の書架、欲しいなあ。




2006.06.06 tues

〜♪

う〜ん・・・(-_-)やっぱりこの役はこの歌手でなくっちゃね(^0^)・・・Σ(・o・*そうそう、たしかこの翌年の公演の録音があったなρ(..)σgosogoso

〜♪

録音はともかく、歌はこちらの方が・・・( ̄ヘ ̄)待てよ・・・(-。-;;ちょっと部分的に不安定なところも・・・(^-^*いやいや、それにしたってうまいもんだよな・・・クライマックスに至ると・・・(@。@;ふは〜これはこれは・・・(⌒o⌒)文句なしの出来だ!

Hoffmannさんの百面相、おもしろいですねっヾ(^∇^(^o^*




2006.06.05 mon

まだ完全ではないんですが、なんとか復調。

やはり疲れではありませんか? 5月はお忙しかったですから・・・

カリカリ・・・φ(.. )

ん? 花ちゃん、なに書いているの?(^^*

Hoffmannさんの「生活改善計画」ですよっφ(^∇^)

はあ?( ̄□ ̄;

Hoffmannさんの健康のためですからね、ちゃんと花の言うこと聞かなきゃだめですよっヾ(・∇・)いいですか、まず今晩からいままでより1時間早く寝て、明日からは1時間遅く起きてくださいっヾ(^∇^)えーと、それから・・・





2006.05.31 wed

Hoffmannさん、昨夜から高熱でダウンですm(_ _)m

れーぞーこになにもありませんよ〜ヾ(・∇・;)))(((;・∇・)/おくすりどこですか〜





2006.05.28 sun

腰痛はなはだし。




2006.05.27 sat


2006.05.23にupした映画から。


以前観たことがあるんですが、そのときの驚きは忘れられません。




2006.05.23 tues



Hoffmannさん、お待ちかねのものがようやく到着しましたね(^^*

それ、なんですかっ?ヾ(・∇・*

アメリカから届いた玉手箱だよ(^^*

あめりか・・・(・∇・;あの・・・やっぱり・・・むしゅーせーなんですか?



真っ先にご覧になったのがこれですね




2006.05.22 mon



モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」、本日はカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1977年ザルツブルク音楽祭live盤です(ただしこの時期になるとlive録音と称されているものも、ほとんどが適宜ゲネプロなども加えて編集されたものです)。ドイツ・グラモフォン(DGG)プレス。

同音楽祭では好評のプロダクションで、数年間、比較的長く再演されたようですね。映像が残っていないのが残念です。

指揮者のベームは、晩年には老齢の故かすっかり音楽が推進力と緊張感を失い、当時日本(とアメリカ?)でのみ(異常に)高く評価されていたんですね。この録音では、まだ音楽が勢いを失っていないと聴こえるんですが、どことなくアンサンブルが粗く、指揮者の意思が隅々まで浸透していない、オーケストラを統率しきれていない様子です。早い話が、オーケストラが勝手に奏いているといった印象なんですね。

とくに新しい視点のある演奏ではないようですね

それだけに安心して聴けるんだけどね(^^;

歌手は、ドン・ジョヴァンニ役のシェリル・ミルンズが貴族的な気品に欠けていますね。レポレロのワルター・ベリーは演技が大げさすぎて・・・(^o^;

ライヴならでは・・・というより、声の衰えを(過剰な)演技でカバーしていると聴こえるね

女声ではアンナ・トモワ=シントウ、テレサ・ツィリス=ガラは悪くはないんですけど、あまり魅力もありませんね

ふたりとも長い名前だね(笑)エディト・マティス、ペーター・シュライアーはベテランらしくそつがない。数年後、シュライアーもさっきのベリーみたいになっちゃうんだけどね


ベームは1966年にもこのオペラを録音していますよね。あちらはいかがですか?

指揮は生気を失っていないけれど・・・歌手がね(^^;機会があればとりあげるよ





2006.05.20 sat

引き続き、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のLPです。いくつかまとめていきましょーヾ(^o^*



リボル・ペシェク指揮、プラハ室内管弦楽団によるチェコSupraphon盤、プラハ初演版による演奏で1981年の録音。

まさに室内楽的でスケールは大きくないし、劇的な緊張度も高いとは言えません。歌手も国際的な知名度を誇るようなひともなく、少なくともひとりは問題あり・・・なんですが、どことなく小都市の劇場での標準的な上演といった趣があります。intimateな雰囲気のある好演と言ってもいいんじゃないでしょうか。

だから「スケールが小さい」、「緊張度が低い」とはおっしゃらなかったんですね(^^*

このdiscが発売されたときも、まるで話題にもならなかったんだよね。国際的に活躍している指揮者や歌手を並べればいいってもんじゃない・・・というのは、先日取りあげたdiscが証明しているよね(笑)




これはバレンボイム指揮、イギリス室内管弦楽団による1973〜74年の録音、英EMI盤。

まあ、あんまり好きな演奏でもないんですが、その後のバレンボイムの演奏を思うと、このころの方がよほど指揮者として充実していたんじゃないかと思います。

バレンボイムも若いころの方がよかったんですか? デュ・プレ(チェロ)の伴奏指揮など、どれもあまりよくないですよ

たしかに上手くはなかったけど、このころの演奏には将来を期待させるようななにかが感じられるよ


歌手はロジェ・ソワイエ、ヘーザー・ハーパー、ジェレイント・エヴァンス、ヘレン・ドナートと、ほかの録音ではなかなか聴けないひとたちで、その意味では貴重ですね



ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管弦楽団の1959年の録音、仏Pathe盤。

この時期にして貫禄のジュリーニ、作品のあらゆる要素を消化しつつ、劇的な緊張感にもすぐれた演奏ですね。歌手はヴェヒター、シュワルツコップがどことなくドイツ風で、タディなどがイタリア風なのが面白いですね。

バランスのとれた名演ですね。今日聴いたなかでフルトヴェングラーを除いてもっとも古い録音なのに、音質はいちばんいいですね



フルトヴェングラー指揮、ウィーン国立歌劇場の1950年live録音。米Recital Records盤(いわゆる海賊盤みたいですね)。LP4枚組で第1面の裏が第8面、第2面の裏が第7面・・・という、ひところアメリカで流行したオートチェンジャーLPプレーヤー(知ってます?)対応のセット。

フルトヴェングラー盤といえばドン・ジョヴァンニ役をチェーザレ・シェピが歌ったもの(1953年、1954年。後者は映像収録されたものもあり)が有名ですが、これはティト・ゴッビが歌ったもの。レポレロはエーリヒ・クンツ、ドンナ・アンナがリューバ・ヴェリッチュ、ドンナ・エルヴィーラはシュワルツコップ。同じ指揮者の別演奏(録音)と比較しても充分に存在価値があります。ことに劇的な振幅の大きさは随一、よく、フルトヴェングラーによる「ドン・ジョヴァンニ」について、モーツァルトの様式とは反するとか、大時代的なロマン化などというひとがいますが、そもそも「ドン・ジョヴァンニ」という作品には、来るべきロマン主義の萌芽が存在するんじゃないでしょうか。


そういうこと言うひとは、当世流行の古楽器演奏に肩入れしているんだろうけど・・・流行の尻馬に乗るよりも、好みでもなんでもいいから、自分のアタマで判断し、語ってもらいたいね

録音が古いせいもあるのかと思いますが、とにかく重厚ですね。歌手もどちらかというと、ドラマチックな声のひとが並んでいますよね

古楽器演奏などではなく、同じように「壮大」だの「デモーニッシュ」だのと評されるクレンペラー盤が、この演奏の対極にあるね


ティト・ゴッビはシェピとはかなり違った個性の持ち主ですね

声が「重い」ね。貴族的というより野性味が感じられる。だからよけいに演奏がドラマチックに聴こえるんだね。このひと、オペラ歌手のくせに(?)舞台に出る前に葉巻を一服するというので有名だったんだよね(^o^;


なにを隠そう、このレコードこそHoffmannがはじめて購入したオペラのレコードのひとつなんですな(笑)「ひとつ」というのは、同時にベーム指揮によるバイロイト音楽祭liveの「さまよえるオランダ人」も購入したから。オペラのLPといえばたいがいは2〜5枚の組物、お値段もそれなりで、コドモの身分では清水の舞台からバンジージャンプする勢いで小遣いはたかなきゃ買えませんでした。友人とふたりで「思い切ってオペラのレコードを買おう!」と鼻息も荒く、電車に乗って大型レコード店に赴き、内心「こんな買い物しちゃっていいのか」と、ドキドキしながらレジに持っていったもんです(^o^A;hahaha・・・

「さまよえるオランダ人」は国内盤だったけど、この「ドン・ジョヴァンニ」は対訳どころか解説書もついていない、ただ配役の一覧が箱に貼り付けてあるだけで、当時はどんなストーリーなのかも分からないまま、毎日聴いていたんだよ(^^;

思い出のレコードだったんですね。ちなみにそのとき、お友だちはなにをご購入されたんですか?

たしかベーム指揮のJ.シュトラウスII世「こうもり」だったよ





2006.05.17 wed



モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」、こちらはリチャード・ボニング指揮、イギリス室内管弦楽団による録音。国内プレスLP。

ボニングというひとは、なにかというと「原典版を採用した」だの「初演版の復元に成功した」だのと言う指揮者なんですが、ここでも1788年ウィーン初演版を取りあげ、さらには当時の演奏を「復元」したつもりでいるようですね。オーケストラ演奏中にもチェンバロが即興的に加わり、歌もかなり装飾がにぎやか。

いま聴くと、後の古楽器演奏の先取りのようにも聴こえますね・・・かなり恣意的な印象が強いんですけど

古楽器演奏って、いまみたいに一般的になるより以前は評判悪かったんだよ。ひとつには評論家の石頭のせいもあっただろうけれど、きちんとした研究の成果を音にしているというより、かなり感覚的なものだったんだ。たとえば、奏法がどうというよりも18世紀風の衣装を着てカツラまでかぶって演奏する(それだけの)団体とか・・・

まあ、なんでもはじめのうちは主張も多少大げさでないと誰も振り向いてくれませんからね(^^;

ここでも似たような傾向が感じとれるね。はっきり言って、特異なリズムもテンポの設定も、指揮者の思いこみだろう

レコードの解説書は1976年の発行とありますけれど、録音は何年頃ですか?

1969年だね。日本では売れそうもないだろうとオクラになりかけていたらしい。じっさい、この国内盤が発売されたとき、レコード雑誌ではさんざんな酷評を蒙って、解説書を書いている評論家が次号に反論を寄せて、さらにまた反論が・・・なんていうことがあったようだ

歌手はいかがでしょうか? ドンナ・アンナを歌っているサザーランドって、ボニングの奥さんですよね

ジョーン・サザーランドがまた日本では人気ないんだよね(^^;このひとは発声が独特、マリリン・ホーンのツェルリーナはミスキャストだろう。ピラール・ローレンガーのドンナ・エルヴィーラ、ガブリエル・バキエのドン・ジョヴァンニはそれなりにいい、あとドナルド・グラムのレポレロ、ヴェルナー・クレンのドン・オッターヴィオはあまり冴えないなあ

クレンは装飾音のおかげで歌がほとんど滑稽になっていませんか? ちょっと気の毒ですね

まあ、珍盤の類だね(^^;

それでもお持ちでいるのは、「資料」・・・なんですねっ(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2006.05.16 tues

モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」といえば、モーツァルトの作品のみならず古今のあらゆるオペラのなかでもとくに好きなものです。そこで、先日のクレンペラー盤に続いていくつか紹介してみようかと思って、両親の家(つまり実家ね)から2組持ってきましたよ。

あえてあまり世評の高いdiscではないのですね(^^;



まずはロリン・マゼール指揮、パリ・オペラ座管弦楽団による1978年の録音。CBSソニーの国内盤LPです。

透明といえば透明、オーケストラの響きが軽めに聴こえますね

さすがに指揮者のコントロールは行き届いているけれど、どの場面を聴いても表情は大筋が変わらないから、細部の演出がかえってチマチマとして、スケールが小さく感じられる。作品のドラマ性を放棄したような演奏だね

やっぱりライヴでなく、レコード用のスタジオ録音(録音場所は教会)だからでしょうか

解説書によれば、このレコーディングは1978年6月22日から7月6日の間に行われたんだけど、じっさいに録音に費やされたのは9日間だったそうだ。日程がとびとびだったのは、マゼールが忙しいせいで、この期間ロンドンでヴェルディを計7日、パリでベルリオーズを1日振っていて、パリーロンドン間を往復して一日も休みがなかったんだって。それと、これはオペラの録音なら当たり前なんだろうけれど、録音の順番も曲順とはまったく無関係で、歌手も無駄のないように必要なひとだけが当日集まって出番のところを録音する、といった具合だったとか・・・わかっちゃいるけど、はっきりそう言われると湯冷めしちゃうね〜(^^;

それを言うなら興醒めですね(^o^;キャビアの親はチョウザメ・・・

第二幕の終わりまで聴いて、そのまま序曲に戻っても、まるで違和感がない演奏なんだよね

歌手は女声3人―エッダ・モーザー、キリ・テ・カナワ、テレサ・ベルガンサがまったく違った声質で面白いですね

これ、ジョゼフ・ロージー監督による映画も製作されていて(見てないけど)、その関係から容姿も含めて歌手が選ばれているんだね(選んだのはこの録音の企画者であるパリ・オペラ座の芸術監督ロルフ・リーバーマンらしい)。それにしても、女声については、コントラストが効いていてユニークだね

男声はライモンディ、ファン・ダムをはじめ可も不可もなしといったところですね

ファン・ダムはちょっとネクラなレポレロだね

このレコード、手元に置いてなかったということは、Hoffmannさんはあまり好きな演奏ではないのですね(笑)やっぱりさきほどおっしゃっていたようにマゼールの指揮が・・・?

それもあるけど、女声3人にしても、モーザー、テ・カナワはあんまりいいとは思わない。前者は明らかに表現が単調、後者は歌い方も発音も癖が強すぎる。ベルガンサももう少し声が若い頃だったらね(^^;





2006.05.15 mon



さて、これがモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」のクレンペラー盤だよ

仏Patheのプレスですね。すばらしい音質ですね。演奏は・・・ちょっとこの作品としては異色ですね

はじめて聴いたときは、まるで悲劇だなあとびっくりしたんだけど、最近ますますこの演奏こそ作品の本質をついているんじゃないかと思えてきたよ


Hoffmannさんは一般的に評価の高いベーム盤とか、あまりお聴きになっていませんよね

ベーム盤(3種あり)はあれはあれでいいんだけど、なんだか予定調和の世界だよね(笑)モーツァルトはかくあるべし、と誰もが納得するような・・・

歌手は男声のほうが目立ちますけど、ポップのデスピーナがHoffmannさんのお好みじゃありませんか?(^^*、イヴォンヌ・ミントンのドラベルラも・・・

ドラベルラ役って得な役でね・・・どの録音でもいい歌手はそれぞれに評価される。ところがフィオルディリージ役ときたら、一部の大歌手のおかげで、ほかの多くの歌手はそれなりに好演していてもなかなか評価されない・・・

一部の大歌手って、シュワルツコップのことですね。Hoffmannさんはあまりお好みではないようですが・・・たしかに、この録音でもマーガレット・プライスのフィオルディリージはちょっと弱いと聴こえますね



これがクレンペラーが残した録音のなかでもとくに人気の高い「魔笛」、独盤だ

台詞が省略されているのが残念ですね

若き日のルチア・ポップによる夜の女王がすばらしい。当時ポップ24歳、この録音のときは歯医者に行った後で、口のなかに麻酔がかかったままだったそうだ(^^;

この役としては若々しすぎるかもしれませんけれど、とても魅力的ですね

ワルター・ベリーのパパゲーノもいいね。このひと、その後歳とともに演技が大げさになって、歌のフォルムまで崩れんばかりになるんだよね




これは「フィガロの結婚」、これも独プレス

この作品はイタリア語歌唱が原語なわけですけれど、この演奏を聴くと、音楽はドイツのものだと思えますね

その意味では、かえって「魔笛」よりもこの「フィガロの結婚」のほうがクレンペラーらしいとも言えるね

グリスト、ゼーダーシュトレーム、ベルガンサ、バキエ・・・って、いかにもモーツァルトの録音がありそうでいて、ほかにはあまり目立ったものがないんですね


グリスト、ベルガンサがいいね。ゼーダーシュトレームというひとは、なにを歌っても上手いのかヘタなのかわからない・・・(^o^;

端役ですが、二人の少女のうちのひとりが無名時代のキリ・テ・カナワですね



「ドン・ジョヴァンニ」、これも独盤だけど、「魔笛」、「フィガロの結婚」より古いプレスで、音質はとてもいい

響きの重量感が作品にふさわしいですね

でもね、この録音については、この作品のデモーニッシュな側面(のみ)を強調したものと評されることが多いのが不満なんだよね

私もそう思っていましたけど・・・(^^;ara

デモーニッシュな・・・って言うと、たいがいフルトヴェングラーあたりの演奏を思い浮かべるひとが多いし、それはそれで正しいかもしれないけれど、クレンペラーの演奏はもっとドライで即物的だよ。フルトヴェングラーの情念が渦巻くようなものではない、ずっと叙事詩的だ


淡泊で即物的だからこそ、感じとれるものがあるんじゃないですか?

戦前以来のロマン主義的な演奏とは違うと思うよ

クレンペラーの演奏って、どこかロマン的な要素が底に流れているような気がするんですけど・・・

テンポが遅いからじゃない? 遅めのテンポといっても、クナッパーツブッシュよりはギュンター・ヴァントがクレンペラーに近いと思うよ


あと、ギャウロフの声はちょっとサディスティックに聴こえませんか?

バスだからかなあ。でも、誰と違って・・・というわけではないけれど、貴族的な品格があって悪くない

それにしても、こうしてクレンペラーの一連の録音のキャスト表を見ていると、以前はそうそうたる歌手陣だと思っていたんだけど、じつは当時としては積極的に若手を起用した録音だったみたいだね。「魔笛」が高い評価を得ているのは、(脇役に至るまで)ほとんどの歌手がベテラン勢で占められていたためなのかもしれない・・・

とくに日本では、いちど評価の定まったひとは出来不出来に関係なくいつまでもホメられ続けますからね〜(^^;

日本の社会構造からしてそうだよね




2006.05.14 sun

昨日upしたdiscについて、Die Toteninselさんからbbsにコメントを頂きましたので、ここに再録します。



---ここから---
上段左から、
アルプレヒトのツェムリンスキー「夢見るゲルゲ」(Capriccio)
ナガノのツェムリンスキー「カンダウレス王」(ANDANTE)
カイルベルトのヒンデミート「カルディヤック」(Opera D'Oro)
アルプレヒトのヒンデミート「聖ズザンナ」(Wergo)
ヤノフスキのヒンデミート「長いクリスマス・ディナー」(Wergo)
ラハティのシベリウス「カレリア」全曲(BIS)
ザヴァーリッシュのヴァークナー「タンホイザー」(MYTO)
クライバーのヴァークナー「ローエングリン」抜粋(Classico)

ですね。BBSで私が紹介したCDを中心に並べて下さっているみたいで恐縮です。
「夢見るゲルゲ」はツェムリンスキーの歌劇の中で私がいちばん好んで聴く曲です。
「カンダウレス王」は大部分がボーモント補作で、ほぼ別人の作品に近いものですが、優れた指揮のおかげでたいへん聴き応えのあるものとなっています。
「カルディヤック」はアルプレヒト盤と同じく第1稿による演奏。カイルベルトの指揮はやや直球勝負の気味がありますが、ヒンデミート即物主義的な音楽との相性はなかなか良いようです。
「聖ズザンナ」は、アルプレヒトの禁欲的な解釈が逆に修道女の欲求不満を醸し出すかのようで、曲想に相応しいと言えます。ドナートのズザンナは嬉しい配役。もっと若い頃に録音してくれていたら更によかった(笑)。
「長いクリスマス・ディナー」は、ソートン・ワイルダーの原作。バヤード家の90年にわたる歴史がクリスマスの1日に集約され、一家を巡る変化と不変、現在と過去、生と死が気怠い饗宴のなかで反復される。ヤノフスキの精緻きわまりない指揮が見事。
「カレリア」はアホの補作による初の全曲盤でした。シベリウスがこの作品を破棄したのは、フィンランド国歌の引用をはじめとする恥ずかしい内容への自己批判によるものだそうですが、自筆譜の断片から全曲を復元しCDとして後世に遺すだけの価値は十分ありましたね。カップリングの「クレオマ」全曲も優れた演奏です。
ザヴァーリッシュの「タンホイザー」…この手の「海賊盤」は、いろんなレーベルから出る度に「従来より質の良い音源が使われているのでは」などと期待して同じ演奏なのに何度も買い換えてしまうという莫迦なことをしてしまいがちですが…それでもMYTO盤はOpera D'Oroより好ましいリマスタリングのように思います。演奏は、まあ(笑)。
エーリヒ・クライバーの「ローエングリン」抜粋は資料的には価値がありますね。
---ここまで---

Die Toteninselさん、どうもありがとうございます!

HoffmannさんはWagnerのdiscとなると、とにかく「手当たり次第」ですよね(^^*

新録音なんかは結構後回しで、絶対に手を出さない演奏家もいるんだけどね。とくに古いものには思わず手が出ちゃう(笑)

ツェムリンスキーはようやく聴きはじめたところ・・・?

もっぱらオペラばっかりだけどね。アルブレヒトもいいけど、ケント・ナガノが非凡な才能だ

たしか、「パルジファル」のDVDのときにもそうおっしゃってましたね

戦後のバイロイトのクリュイタンスあたりに、ラテン的な透明で明晰なWagner演奏の起源があるんじゃないかな。その流れがバイロイトではブーレーズへと至って、discではケーゲルとかこのナガノの「パルジファル」で頂点に達しているんじゃないかと思えるね

聴きはじめたと言えばヒンデミットも、ですね(^^*

Die Toteninselさんに教えていただかなかったら、一生聴かなかったかもしれんな(^o^A;ふは〜


これはラフマニノフじゃなくてブラームスヾ(^^*

Die Toteninselさん、どうもありがとうございます〜(^o^*

さてもうひとつ、昨日写真撮るときに並べ忘れていたもの―



アイネムの「審判」ですね(^^*ここにもDie Toteninselさんの影響が・・・(笑)
これはベームが指揮していますけれど、カイルベルトのヒンデミットにしても、こういった一般的にはドイツ的と言われているような指揮者がこうした音楽に適性を示しているのは面白いですね


劇場育ちのひとたちだからその点は堂に入ったもの(それ以上)。やや早めのテンポで、粘ったりしないから、むしろその音楽造りのドライな側面が強調されるね。一般に「ドイツ的」ということばは、音楽の精神的・内面的な要素(という曖昧なもの)を指して使うひとが多いんだけど、それは先入観というものだよ


それではHoffmannさんが「ドイツ的」と感じる指揮者はどなたですか?

カイルベルト、ルドルフ・ケンペ、ホルスト・シュタイン・・・それにベームといったあたりかな


ところでこのお写真、下に敷いてあるのは・・・

クレンペラーのモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」の仏プレス、Pathe Marconi盤だよ(^^*


Hoffmannさん、それでスピーカーをS社のものにつなぎ替えたんですね(^^*

♪ちゃちゃーんちゃちゃちゃちゃ、ちゃちゃーんヾ(^∇^)/




2006.05.13 sat

連休前からずっと体調悪く、連休中は天候に恵まれたてたにもかかわらず、ほとんど家で寝ていました。その後は仕事が詰まっていて、連日・・・

花がダメって言うのに無理するから長びくんですよっヾ(-∇-)(^o^*ねー

それでもようやく回復してきましたよ(^^*

ヾ(^∇^)/バンザーイ

あいにく今週末は天気が悪くて・・・残念ですね


まあ、今月に入ってから医療費以外のお金がかかっていないのが唯一・・・

・・・でもないですよね(^o^*

doki(-_-;

天気が悪いのに、またレンズを買っちゃったんですよねっ (((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪

あわわわ・・・(^o^A;ま、これは以前から見つけたら買おうと思っていたやつなんでね




写りもさることながら・・・つ、造りが・・・

さすがにこの時代のレンズは鏡胴(鏡筒)からして手抜きがありませんね〜

* * * * * * * * *

さてさて、こちらは連休中に聴こうと思って用意していたdiscです。

直前にお買いになってきたものと、ちょっと前に入手していたものですね



上段左の、shopで付けてるindexカードには「夢見るジョージ」って書いてありました(^o^;

「夢見る情事」?(・_・?

* * * * * * * * *

お、「発送済み」のmailがきたよ

そういえばHoffmannさん、もうすぐこれρ(^^*も出るそうですよ〜

http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=964730&GOODS_SORT_CD=103

一塁手ですかっヾ(・∇・)




2006.05.06 sat



これだけじゃ、なんのオペラかわかりませんな(^^;

スーパーマンがいますね〜(^^;


これは2002年、リセウ劇場における「ドン・ジョヴァンニ」、演出はCalixto Bieitoによるもの。

ドンナ・アンナはコトの後に、ドン・ジョヴァンニに執着して彼を離すまいとしています。




これはドンナ・エルヴィーラ。



ツェルリーナとマゼットの結婚式。



第二幕のカンツォネッタは電話越しに・・・。

このまま酔いつぶれたところに、ツェルリーナではない別な女性を連れたマゼットが現れ、ドン・ジョヴァンニは「半分はあちらへ」のアリアを歌いながらマゼットを痛めつけた末、その女性を連れてその場を去ります。したがって通常のレチタティーヴォはなし。

ちょっと無理がないですか?(^^;


ドン・ジョヴァンニに痛めつけられたマゼットはスプラッター状態。「薬屋の歌」はもともと胸を触らせる歌なんですが、ここでのツェルリーナの仕草はあからさまに性的です。

「・・・的」っていうより、そのものですよ〜(^o^*

歌の終わりでマゼットはこれを拒否して立ち去り、ツェルリーナはヒステリーを起こします。




騎士長―じゃなくてドンナ・アンナの父親の亡霊も血まみれ。




幕切れの六重唱。この結末は途中で読めちゃいましたね。好きな演出とは言えませんが―というより全体としては嫌いな部類なんですが(^o^;この六重唱での各人の行動は、これはこれでありでしょう。

つじつまがあわないところもあると思うんですが、それはかまわないんですか?(^o^;とくに歌詞とはまるで・・・

モーツァルトに限らないけれど、オリジナルの台本にだって結構不整合な箇所はあるよ。もちろん、(演出は)思いつきの羅列じゃ困るけど、あまり細部に目くじらたてても仕方がないかな・・・と最近は思っている(笑)


Hoffmannさんにしては甘い評価のようですが・・・(笑)


う〜ん・・・この演出では、各登場人物に対して、歌詞を無視していると言っていいような演技が割り当てられている。だからシーンによっては、通常あまり重視されないツェルリーナまでがクローズアップされるんだけど、その結果ドン・ジョヴァンニの存在感が薄れてしまったような気がするね。衣装だって、もっとも没個性だろう? まあ、どんな演出でもなにかが犠牲になるということはあるんだけどね・・・

Hoffmannさんはこの作品をどうお考えですか? たとえば、ご自分で演出なさるとしたら・・・

この演出に限らないんだけど、ドンナ・エルヴィーラが「おばさん」扱いされているのって、なにか間違っているんじゃないかと思うね。ここは思いっきり若くて美人の(もちろん演技も上手い)歌手が起用されるべきではないかな(劇中でメイクを変えていって、成長させるんだよ)。物語の軸はドン・ジョヴァンニとドンナ・エルヴィーラにあるんだからね。それと、ドン・ジョヴァンニはもっと毅然として地獄に堕ちてもらいたいな。この作品中でただひとり、精神的に独立して主体性を持った人物としては・・・

ドンナ・アンナは? たとえば冒頭で・・・

「未遂」だったほうがつじつまはあうんだけど、それじゃドラマとしてつまらないし、ドン・オッターヴィオの扱いに困っちゃうよね(笑)でも、ドンナ・アンナ自体はそれほど存在感を際立たせる価値があるとも思えないから、あまり微妙な内面を設定してもしょうがないとも思うんだな


レポレロは狂言廻しで・・・?

充分だろう。普通に演じたって目立っちゃう、得な役柄だよね(^o^*


書き忘れていましたが(^o^A;ベルトラン・ド・ビリー指揮によるオーケストラは自発性と推進力を感じさせるもの。歌手は・・・やはりこうした演出となると、声以上に、役柄に応じた容姿が重視されるのかもしれませんね。

#中途半端ですが、どうにも体調が悪いので、とりあえずここまで

Hoffmannさん、早く寝なきゃだめですよっヾ(・∇・;おくすり飲みました?




2006.05.05 fri

まだ浣腸完調じゃないんですが、起きあがれるようになったので、DVDなど観てました。



モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」、これはフルトヴェングラー指揮による1954年ザルツブルク音楽祭のlive収録です。


映像は年代のわりにまずまずなんですが、音質は貧しく、音だけならLPやCDで聴いた方がまし。とはいえ、歌手も充実しており、これはたいへん貴重な記録です。



幕切れの六重唱。



こちらはリッカルド・ムーティ指揮による1987年ミラノ・スカラ座live。



これはツェルリーナによる「薬屋の歌」。ストレーレル演出による舞台は美しいだけに、いまとなっては画質の古さが気になりますね。


ドン・ジョヴァンニの地獄墜ちのシーン。



幕切れの六重唱。



これはプラハ国立歌劇場、1991年の収録。指揮はチャールズ・マッケラス。オーケストラからは古楽器演奏を意識したような響きが聴けます。さすが!


某shopの紹介には「無駄な演出を省いた簡素で説得力ある舞台」なんて書いてありますが、そんなに工夫のない演出というわけでもありません。歌手も小粒ながら、演技はまずまずきちんとこなし、どこかの大歌手のような手抜きは感じられません。


幕切れの六重唱の最中に、地獄に堕ちたはずのドン・ジョヴァンニが現れます。

それくらいの演出は、いまどきめずらくもないのでは・・・?

ここで残念なのは、画質が悪くて、振り返った6人のリアクションがよく分からないことだね


それはともかく幕切れの六重唱、いまの時代に、登場人物たちが横並びに整列して、みなさんご覧のとおりとばかりに「これが悪人の最後だ」てのはどうかと思うんですが・・・。




2006.05.02 tues

Hoffmannさん、風邪でダウンです<(_ _)>

おかゆおかゆ〜ヾ(・∇・;)))(((;・∇・)/おくすり〜





2006.05.01 mon



古〜いレコード雑誌をパラパラめくっていたら、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」のレコードについての文章が目にとまりました。その論者(N村弘治氏)はショルティ、ディヴィス、カラヤン、ベーム盤などにふれた後、クレンペラー盤についてこんなふうに書いています

そこでは、精神の仰ぎ見るような偉大さと、神の前にひざまづいて(ママ)救いを祈るほかない卑小さとが、確かに矛盾拮抗している。それでベートーヴェンの思い描いた大伽藍がどれだけ再現されたのだろうか。神のみぞ知る。ただしクレンペラーはベートーヴェンのスコアを徹底的に読んで感じるままに演奏したらしい。その激変してやまぬフレーズの表情は言語に絶する。ベートーヴェンが神の前で、人間のうちに、どれだけ多くの偉大と、どれだけ多くの卑小とを発見したか、私は目を見張るばかりだ。

かなり調子が高くて、読みづらい文章ですね。しかも、取りあげているのがいわゆる宗教音楽であることを意識しすぎているようです。それにしても・・・「ただしクレンペラーはベートーヴェンのスコアを徹底的に読んで感じるままに演奏したらしい」という文章は、はからずも筆が滑ってしまったんでしょうか。このひと、クレンペラーに倣って、(文章から)よけいな装飾を排して、この箇所をもっと具体的に(?)書けばよかったのに・・・(^^;



同じ雑誌のなかに、これは別な論者(N矢一義氏)がバッハのミサ曲ロ短調のレコードについて書いていました。ここではマリナー、カラヤン、コルボ、リヒター盤などにふれてから、クレンペラー盤について、こんなことを書いてます。

そうした虚飾や演出をまったく排した演奏として、クレンペラー盤がある。「キリエ・エレイソン」は、剛直といっていいほど毅然たる調子で歌われる。「神よあわれみたまえ」と唱えながら、その実、少しもあわれみを乞うていないかのようにさえ聴こえる。

テンポは例によって、これが限界かと思えるほどにゆったりとしているが、リズムがしっかりしているのと、オーケストラの響きに芯の強さがあるため、弛緩した印象はみじんも感じさせない。それどころかたえずきびしい緊張感がみなぎっている。聴き手の感傷を許すスキは一分もない。テンポも不動ならデュナミークも不変といった調子で、聴かせようという意識はまるっきり感じられない。


ちなみに「そうした・・・」というのはカラヤン盤のこと。うんうん、この文章で言わんとしていることはわかりますね。「キリエ・エレイソン」の訳語として以外に「神」のカの字も出てこないのも好ましい(笑)後半部分はHoffmannも同感です。ついでに耳あたりの良さや、心地よさを提供しようなどという意図はまったくない、と付け加えてもいいでしょう。そんなサービス精神とは無縁の演奏です。もっとも、「デュナミークが不変」とは思いませんけどね。



ついでに、有名なバッハ研究者(I山雅氏)による「マタイ受難曲」のクレンペラー盤についての文章です。これは単行本から引用―

大管弦楽と大合唱を率いつつ、しかしそれなりに楽譜に忠実に演奏しようとしている点で、この「マタイ」は、新即物主義的バッハ演奏の一典型とみられる。その最大の魅力は、演奏のスケールが大きく、悠然とした風格が漂っていることであろう。底力のある、骨太な「マタイ」という点では、これは、他の追随を許さない。だが、何事にも動ぜぬ大らかさの一方で、繊細さや生きのよい流れが、あまりにも犠牲にされている。

さすがに文章はかなりまとも。その評価も、19世紀的な壮大型のバッハ演奏のひと言で片付けてはいませんね。クレンペラーの演奏は、それこそテンポが伸縮せず、テヌートやレガートやリタルダンドといったいかにも19世紀的な味付けがされていないので、当然と言えば当然です。逆に、それだけの理由で「新即物主義」の名を頂いちゃったのかな、という気もします。もうすこしクレンペラーの方法(?)に踏み込んで欲しいところ。



旋律―メロディって不思議ですね。こうして普通に喋っていても、メロディが聴こえてくること、ありませんか? ことばにはそれぞれアクセントがあり、それが自然な抑揚を生み出しますよね(京都弁やフランス語を想像してみてください)。お経を唱えるように抑揚を排除する方がよほど努力が必要です。音楽だって同じ。クレシェンドやアクセントの記号がなくたって、いくつかの音程を並べれば、自然に音はふくらんだり、沈んだりします。

あえて歌わせる必要はないということですか?

必要ないとまでは言わないけど、ことさらに歌わせようという作為を排除していって、最後になにが残ると思う?


それでも楽譜にあるとおりのメロディは残りますよね

そりゃあそうさ。それに、棒読みじゃないんだから演奏者の息遣いのようなもの(抑揚)は聴き取れるはずだね

ほかにはなにが?

縦の線―というか、音楽の重層的な構成が浮かびあがってくるんだよ


いま、ふと思い出したんですが、指揮者の小澤征爾があるオーディオマニア(評論家?)に言ったとか―「指揮者が一所懸命音を混ぜてるのに、どうしてあなたたちはそれをまたバラバラにしようとするの?」

とりわけクレンペラーの演奏は、バラバラにしちゃいけません。

あっΣ(・o・;そういえば、Hoffmannさんが「クレンペラーのレコードがとくに相性がいい」っておっしゃるS社のスピーカーって、分解能そこそこ―分解しすぎないで、むしろハーモニーの感触がいい音造りでしたね!

ああ・・・言われてみれば・・・( ̄o ̄ゞ





2006.04.29 sat

2006.04.26 wedにup分のdata―

Lady Madeline:イレーヌ・ジャルスキー(S)
Le Medecin:ワルター・ケーニンガー(Bar)
L'Ami:マイケル・リートン・ジョーンズ(Bar)
Roderick Usher:ブルーノ・ラプラント(Bar)
フランクフルト放送交響楽団 指揮:エリアフ・インバル
1977年12月2日 ヘッセン放送協会大スタジオ


ドビュッシーの歌劇「アッシャー家の崩壊」といえば、discはジョルジュ・プレートル指揮による演奏が出ていますが、このインバルの方がずっといいですね

インバルはマーラーやブルックナーなどのdiscで日本でも有名になる前からひいきの指揮者だったんだよ(^^*歌手ではとくにブルーノ・ラプラントがいい。このひと、声を張り上げるととたんに表情のニュアンスがふっとんじゃう傾向があるけれど、とにかく美声なんだよね

フランスの作曲家の歌曲のレコードが何枚かありましたね

日本にも来日したことがあって、やはり歌手である夫人(たしか名前はフランス・デュヴァルとかいったかな)と二重唱を披露していたね。数日後の写真週刊誌に、「美しい夫人の容姿と声に聴衆の心も奪われた」みたいなことが書いてあって、仰天したのをいまでもおぼえている(^^;;

仰天したんですか?(・・;

このひとの奥さん、歌手としてはいささか見過ごし難い欠点があってね・・・

・・・と、おっしゃると?

歌がヘタなんだ・・・猛烈に(笑)


# 具体的には、まるで表情というものがない、習いたての学生みたいな歌唱だったんです(^o^A;




2006.04.26 wed

ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドンといえばやはりドビュッシーあたりを連想しちゃいます(モネの睡蓮からじゃありませんよ)。

ちょっと長いためfile-sizeも大きいので期間限定―Debussyの“La chute de la Maison Usher”、Juan Allende-Blinによる補筆完成版。上演権はMetropolitan Operaが予約していたので(Debussyが着手した時点で契約していた)、演奏会形式ながら、これが正真正銘世界初演。ややハイ上がりのバランスはご容赦ください(公開終了)。

♪Dans la plus verte de nos vallees...Par de bons anges habiteeヽ( ̄0 ̄)/〜♪

♪Madeline...Madeline...Tout a l'heure je dormais.Mais j'ai entendu...sa voix m'a reveille...ヾ( ̄o ̄)/♪


Debussyによる台本には、Poeの意図を大きく損なう変更点の多いことが指摘されており、それはまったくそのとおりなんですが、設定の多くは演出によってかなり補正できると思われます。自ら頭のなかで演出してみるのも愉しいものですよ(^-^*




2006.04.25 tues

昨日ギュスターヴ・モローの絵でデザインされたレコードジャケットを探して棚を見ていたところ、意外と多いなと思ったのがオディロン・ルドン(Odilon Redon)の絵が使われているものでした。

昨日のギュスターヴ・モローよりも年少ですが、モローと同様に印象主義の時代に活動しながら、独自の道を歩んだひとですね

もっぱら幻想の世界を描いたけど、象徴主義とも違うんだね。ちょっといくつか並べてみよう




これは有名なレコード、ベルリオーズの「幻想交響曲」。小澤征爾の師匠格であるCharles Munchの晩年の名演といわれているもの。オーケストラはOrchestre de Paris。仏Pathe盤。

師弟ともにフォルテシモで棒が冴えるんですね(^^*

細やかなニュアンスよりは、勢いで聴かせるひとだね。Munchって、じっさいに演奏会で聴いたひとの話によれば、ステージに近い座席に座っていると、指揮棒がびゅんびゅん風を切る音が聞こえてきたということだ



これも仏Pathe盤、ルーセルの小オーケストラのための協奏曲と交響曲第2番。Pierre Dervaux指揮、Orchestre Colonneの演奏。どうでもいいことですが、Hoffmannはデルヴォーのファーストネームを言うとき、ピエールとポールをよく言い間違えます(^o^;

作曲家のF.シュミットみたいですね〜(^o^*



こちらは仏Eratoの声楽アンサンブルによるフランス宗教音楽作品集。フォレ、ジャン・アラン、プーランク、キャプレ(カプレ)らの作品が収録されています。Ensemble Vocal“AuditeNova”de Paris、指揮はJean Sourisse、オルガンにMarie-Claire Alainが参加。

女声のみの合唱なんですね。どれも短い作品で、しかもテンポが早めなんですが、かえって清潔感のある美しい音楽になっていますね



フォレのレクイエム。Bernard Thomas指揮、オーケストラ名はフランス語でOrchestre de Chambre、英語でChamber Orchestra Bernard Thomasと表記されています。合唱はChoir“Vittoria”d'ArgenteuilとPetits Chanteurs de Parisの二団体。歌手はRose-Marie Mezac、Michel Piquemalとあって、バリトンである後者はChoir“Vittoria”d'Argenteuilの合唱指揮者でもあるらしい。仏Forlane盤。

超一流の演奏というものとは違いますが、それがかえってこの作品にふさわしいかもしれませんね



ドビュッシーのピアノ作品集。演奏はAldo Ciccolini。Hoffmannが10代のころから、もっとも愛聴してきたベルガマスク組曲のレコードです。派手さはありませんが、すばらしい! 仏Pathe盤。

Hoffmannさん、国内プレスなどの別盤も含めると、○枚お持ちですものねヾ(^o^;このレコード




2006.04.24 mon

(昨日の続きか?)

・・・てなこと言ってますが、指揮者オット−・クレンペラーはかなり好きなんですね。そこで、いろいろレコードを引っ張り出していたら、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)の絵がデザインされたジャケットが目に付きました。

19世紀に活動したフランス象徴主義の画家ですね

我が家にふさわしい「寄り道」ってことで(^o^A;

これはこれでレコード漫遊記ですね〜(^^*



これはharmonia mundi Franceのベルリオーズ「幻想交響曲」。Jean-Claude Casadesus指揮Orchester Philmarmonique de Lilleの演奏。悠揚迫らぬテンポで、激することなくあくまで美しい響きを聴かせます。録音はかなりオフ気味で、きわめて優秀。

クレンペラーのチャイコフスキー「悲愴」と同じ絵ですね



Otto Klenperer指揮、The Philmarmonia Orchestraの、これは仏Patheの2枚組再発盤、R.シュトラウスの管弦楽曲集。

R.シュトラウスといえば、「サロメ」はモローの絵が使われたジャケットが多いんじゃないですか?

ところがオペラの全曲盤を除くと、R.シュトラウスのレコードをあまり持っていないんだよね(笑)これもクレンペラーの演奏じゃなかったら買わなかっただろうな(笑)R.シュトラウスの管弦楽作品なんて、普段は交響詩「ドン・ファン」くらいしか聴かないんだけど・・・




こちらは同じサロメでも、フローラン・シュミットの「詩篇47」と「サロメの悲劇」。指揮はJean Martinon、O.R.T.F.の演奏。これも仏Pathe盤。



これはフォレのレクイエムですね。指揮はHoffmannさんのお好きな・・・(笑)

Louis Fremauxだね。このひとはバーミンガム時代も、オーケストラからエレガントと言いたいような、じつに美しい音を引き出していたけど、この録音は1962年、若い頃の仏Erato録音で、演奏はOrchestre National de L'Opera de Monte-Carlo、Chorale Philippe Caillard、独唱はBernard KruysenとDenis Thilliez、後者はボーイ・ソプラノだ

このオーケストラは'70年代、仏Patheにウィリー・ボスコフスキーの指揮でワルトトイフェルのワルツやポルカ、カンブルランの指揮でオーベールの序曲集などを録音していますよね

そうそう(^^*とても上品な響きで、なかなかうまいんだよね

このレコードでもいい演奏なんですが、録音も優秀ですね(・・;

低域の厚いのはこの時期のErato録音の特徴だよ。それはこの再発盤でもよく分かるね(^^*ちなみにFremauxはこの作品を1977年にCity of Birmingham Symphony Orchestraと再録音している。演奏はどちらも上質、録音はこの古いErato盤の方がむしろいいんだけど、やはりボーイ・ソプラノが弱いのが残念だね

フォレのレクイエムではクリュイタンスの英EMIの再発盤に、“Christ the Redeemer”(贖罪者キリスト)の絵が使われていたと記憶しているんですが、いま棚に見あたりませんでした(仏盤はあったので、英盤は実家に置いてあるのかもしれません)。

それにしても・・・こうして見てみると、チャイコフスキーの交響曲にギュスターヴ・モローの絵って、似合っているんでしょうか?(・・?

う〜ん(^_^A;





2006.04.23 sun

「チャイコフスキーには食傷気味」なんて書いたくせに(笑)、クレンペラー指揮による後期交響曲のLPを聴きましたよ(^^;

オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団。


第4番 第5番 第6番

お写真をupしたのは、英Columbia盤のジャケットがギュスターヴ・モローだから(・∀・)イイ!

クレンペラーといえばテンポの遅いことがよく指摘されるところですね(若い頃は速かったんですけどね)。遅いだけなら晩年のベーム、バーンスタインやチェリビダッケも同様なんですが、このなかではクレンペラーがもっとも大きな問題提起をしているように思います。

たとえば―澁澤龍彦が「面白い本はゆっくり読む」なんて言っていますが、これはHoffmannも同様、面白い本ならいつまでも読んでいたいものです。音楽だって、好きな作品はいつまでも聴いていたい・・・それを実践しているのがチェリビダッケかなと思っています。もちろんチェリビダッケにしてみれば、本人なりの意図(あるいは哲学?)があってのテンポ設定なのかもしれませんが、Hoffmannには「こんなにすばらしい音楽なんだからゆっくり聴こうよ」「ゆっくりやらなきゃ作品のよさがわからないよ」と、そう聴こえるんですよ。だからチェリビダッケの演奏は耳に心地よいのですね。ちなみにベームの場合は単に加齢によるスローダウンと聴こえ、バーンスタインの場合は勢い余って速くなる、の反対で、勢い余って遅くなった、と聴こえます。つまり感情移入の結果であって、かなり「溺れちゃって」いるんですね(決してネガティヴな評価ではありません)。

ところがクレンペラー(のスローテンポ)の場合は、音楽を解体しているように聴こえます。表面は素っ気ない・・・ようでいて、底に流れるロマンティスムが聴きとれる・・・ようでいて、なにか無情なまでの深淵が垣間見える・・・。だから「幻想交響曲」なんていっそう不気味な音楽となっており、「皇帝円舞曲」なんてシュトラウスに恨みでもあったのかと疑いたくなるような演奏です(ついでに言うと同じLPに収録されているクルト・ヴァイルの交響組曲「三文オペラ」がすばらしい!)。

そのバッハ演奏なんて、往々にして(なんとかのひとつ覚え的に)19世紀的な肥大・壮大型のバッハ解釈というひと言で片付けられてしまうんですが、どうしてどうして、こんなに19世紀的でない指揮者もめずらしいんじゃないでしょうか。


うっかり「解体」なんてことばを使ってしまいましたが、クレンペラーは横に流れていく旋律(メロディ)なんてあまり興味がないというか、信じていないんじゃないでしょうか。どちらかというと縦の線重視・・・だから、ドイツ系の指揮者にしては、ヴァイオリンなどの高域弦優勢のバランスではなく、木管楽器の響きが大切にされ、テンポもあまり伸縮しないのではないかと思います。

もちろん、どう演奏したってチャイコフスキーならチャイコフスキーの楽譜にあるとおりの旋律は聴きとれます。ところが、クレンペラーは聴き手がそのメロディに身を任せることを許さないんですね。誤解を恐れず言えば、あまり心地よくない。このあたり、「わかりやすい」=「耳あたりのいい」演奏を心がける凡百の指揮者とは本質的に異なるところです。


クレンペラーは、どんな音楽を指揮するときでも、楽曲に対してやれ「歓びの賛歌」だの、やれ「勝利の歓喜の爆発」だの、やれ「絶望と諦念」だのという、(手垢のついた)解釈を押しつけることは一切なかったのだと思います。むしろ、「解釈」なんて身勝手な思い入れに過ぎない、こうして音を積み重ねていけば音楽になるんだよ、言われているような気がします。その意味でまったく19世紀的ではないんですね。

メンゲルベルクのような指揮者が第二次大戦後、活動を再開しないうちに亡くなり、クレンペラーは(それにベームも)ずっと長生きしましたよね。それぞれの音楽造りを考えると、なんだか、長生きするにもちゃんと理由があってのことだったんじゃないかと思えてしまうんですよ。

その意味では、クレンペラーの手にかかると、チャイコフスキーもセンチメンタルだなんて言ってられませんね

およそ情緒なんていうものとは無縁の演奏だからね

やっぱりHoffmannさんも、チャイコフスキーならクレンペラーの演奏が・・・?

好きだけど、いちばんじゃないなあ。今回いろいろ聴き直してみたけど、たとえば6番ならバーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニックの新しい方(DGG)も好きかな

えっ? ずいぶん叙情的というか、主情的(主観的)な演奏ですよね。テンポの伸縮や、ダイナミクスの幅も最大限に拡大されていて・・・どちらかというと「わかりやすい」演奏ですよ(^o^;「サビ」のところを強調したり・・・

まあ、ダイナミクスはdiscで聴いている限りにおいての話だけどね。でも、「わかりやすさ」への配慮よりもさらに主観的な思いが勝っているように聴こえるね。主観もここまでくると、もはや普遍の域に達していると思わない?

Hoffmannさんは普遍性というものをあまり信用していないんですよね(^^;

そう(笑)全世界の平和を祈るやつよりも、亡くなった身内や友人を悼むひとの思いにこそ、よっぽど切実な祈りがあると思うんだよ

たしかに大きな説得力を持つのは、より具体的な―言い換えれば主観的な思いかもしれませんね

ただ、主観的な思いがなければだめだと言うことではないよ。そういうことを言うと、キリスト教徒でなければレクイエムは演奏できないなんて話になりかねない・・・

マーラーが「亡き子をしのぶ歌」を作曲したときは、べつにお子さんを亡くしていたわけではありませんでしたね

それでも創作されるものは説得力がなければならない。逆に、主観的かつ切実な思いがあっても、それだけでは作品は説得力を持たない。創作するひとは、おのおのの立場を(語呂合わせじゃないけど)「敷衍」させなければならないんじゃないかな

演奏者も、ですね。ここでバーンスタインはそれに成功していると?

先日、小澤征爾の演奏について、「叙情的なのに、決してその叙情に流されることなく、フォルムを崩さないのはオーケストラの統率力の故」か、と書いたけど、バーンスタインの場合はほとんどフォルムが崩れてしまっていると言っていいかもしれないね。ところがそれが様になっているというか・・・楽譜の小節を超越してしまっている、と言ったらひいきの引き倒しかな(笑)

たしかに、大物演歌歌手が昔の持ち歌を歌い崩しているような下品さとは別次元の「芸」ですね・・・それでは、5番はどのdiscがお好みですか?

5番はやっぱり作品自体が好みじゃないから・・・

それでは4番は?

う〜ん・・・discじゃないけど、これなんか、どう?(笑)tapeの状態は悪くないんだが、もともとの録音レベルが高すぎて強奏で音が割れている・・・(-_-;ザンネン(公開終了)

#「普遍」とか「無情なまでの深淵」なんてことばを使わずに表現できなけりゃいけませんな〜;;


##クレンペラーの音楽造りについての注釈:「(手垢のついた)解釈」だとか、あるいは「イデオロギー」を介入させないということは、いわゆる純粋な器楽作品(これも変なことばだが)として演奏する、ということとは違います。音楽を和音とか旋律でとらえているとしても、交響曲に対するオペラのように、呼吸(息遣い)のある演奏―音楽造りだと思います(-_-;どうもうまく表現できませんなー




2006.04.22 sat

昨日は体調悪く、帰宅後すぐに寝てしまいました。

お詫びのしるしに(?)小澤征爾、ベルリン・フィルによるライヴ録音シリーズ第2弾です(こちら)(公開終了)


これもtapeの状態が悪くて申し訳ない;;

収録は1979年11月10日、フィルハーモニーホール・・・というと、先日の「悲愴」と同じ日の演奏会なんですね

この日のプログラムのもう一曲はイツァーク・パールマン独奏によるブルッフのヴァイオリン協奏曲だよ

パールマンって、Hoffmannさんほとんどお聴きになりませんね

どの作品を演奏しても陽性に傾くのがちょっとね・・・とくに小澤征爾との共演はふたりの性向が似すぎていて、表情が単調に感じられるんだな。かえってジュリーニあたりと共演したdisc―ベートーヴェンやブラームスの協奏曲―のほうが、ゆったりふくらむオーケストラをバックに軽やかなソロが展開されて、おもしろいんだよね


ジュリーニという指揮者の表現も、基本的に陽性だと思いますけど・・・(・・?

mmm・・・・・・た、たしかに(^o^A;ヤラレタ

・・・で、このひとは1号ですか、それとも2号ですかっ?ヾ(・∇・*ウキー♪

それはパーマン・・・って・・・花ちゃん、なんでそんなの知ってるの?(^o^A;;;


# いや、ジュリーニの音楽造りが基本的に陽性って、その一言で済ませられるようなものではないんですが・・・。

## かつてパールマンのことを「ヴァイオリニストのパヴァロッティ」なんて言ったことがあります(笑)

### ところで、パールマンが歌手として録音に参加したオペラのレコードがあるんですよね。





2006.04.19 wed

(一昨日の続き)

・・・で、聴いてみましたよ、小澤征爾のチャイコフスキー交響曲第5番。

シカゴ交響楽団とのLP(日本RVC;RCL1514)は1968年、小澤征爾33歳の録音。ボストン交響楽団とのLP(独DGG;2530 888)は1977年の録音。

いずれにせよ、この作品の位置づけはHoffmannのなかでは変わらず・・・とはいえ、適切なテンポ設定でオーケストラを豊かに歌わせる腕の冴えは33歳のときの録音で既に聴くことができますね。叙情的なのに、決してその叙情に流されることなく、フォルムを崩さないのはオーケストラの統率力の故でしょうか。ボストン交響楽団との録音は、より彫りの深い表情付けと熱気のある高揚が印象的なんですが、終楽章の録音が悪すぎます。強奏で響きが荒れて、しかもtape編集箇所があからさま。

そこでパリ管弦楽団との第4番のLP(仏Pathe;2C069-02159)。録音は1970年。

じつは小澤征爾のレコードは、1970年前後のEMI録音がもっともすぐれていると思っています。シカゴ交響楽団とのリムスキー=コルサコフ、バルト−ク、パリ管弦楽団とのストラヴィンスキー、このチャイコフスキー・・・いずれも録音がとてもよく、具体的に言えばややオフマイクで、豊かな残響とともに広大なステージが見通せるような名録音なんですね。こんなことを言うと、「音でなく音楽を、演奏を聴け!」とか突っ込まれそうなんですが、もちろん一連のEMI録音は演奏もすばらしい。

Hoffmannが「悪い」録音と言うときは、「古い」という意味ではありませんよ。ステージの奥行きを感じさせず、楽器の位置が移動したり、高音が金属的になったりする不自然な録音のことです。

このあたりもご参考に・・・(;^^)つmonologue 2005.03.19 sat

いい演奏は録音がよくないと活きないのか、あるいは録音がいいと演奏までよく聴こえるのか・・・

すくなとも不自然な録音では困るよ

DGGの録音はダメですか?

いい録音だなと思うものはほとんどないなあ

PHILIPSなどはいかがでしょう?

PHILIPS録音は時期によってはいいものが結構あるんだけど、なぜか小澤征爾の録音はどれもさほどではない

まあ、なんにせよ、チャイコフスキーはこのところ食傷気味(笑)




2006.04.18 tues



・・・・・・(ポーズ)

・・・(^^*
(^^*

・・・どうですかっ?(・∇・

どうって・・・?(^o^*
かわいいよ〜(^o^*

・・・じゃなくて(アセアセ)・・・(ポーズっ)・・・・・・Hoffmannさんも、優美お姉ちゃんも、わかりませんか?(・∇・;

(・_・?
(・_・?

Hoffmannさんの大好きな映画ですよっヾ(・∇・*ホラホラ・・・


・・・えーと
・・・えーと・・・・・・あっΣ(・o・;Σ(・o・;ああっ!


「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922独)

これだねヽ(^^;



「ノスフェラトゥ」(1978独・仏)

これですねヽ(^^;




2006.04.17 mon

コドモのころは結構通俗名曲に血道を上げるわけです。で、そこそこ成長してコドモから小僧くらいになると生意気盛り、通俗名曲なんか莫迦にして、ちょっと変わった作品を聴いたり、話題にのせたりするんですな(ついでに言うと、たいがいだれもがこの時期に「いい!」と言うのがバッハですね、無難なんでしょうか)。

たとえば、Hoffmannが注学生のころに交響曲の人気投票で並べたのは、ニールセンの4番、スクリャービンの4番、ルーセルの4番といったところ。わはは・・・かなり構えてますな(^o^A;;当時の自分にツッコンでやりたいところです。

まあ通俗名曲と呼ばれる作品には、愚にもつかぬ音楽もあることはあるんですが、単にコドモ時分にさんざん聴いたので聴き飽きちゃっただけ、名曲には違いないという作品もあるんですね。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」など、すぐれた演奏で聴いていると、やはりこの作曲家の傑作なのだなあと思えますね。


同じチャイコフスキーでも、人気の高い5番はいかがですか?

度し難いほどのセンチメンタリズムが鼻につくなあ・・・よほど辛口の(あるいはあっさり淡泊な)演奏でないと全曲聴き通せない(笑)それにくらべれば、6番はずっと―こんなことばはむやみに使うべきではないんだが―止揚されているんだよ


5番の、小澤征爾さんのレコードは?

主情的になりすぎない、客観的なコントロールを忘れないところが長所だね(そこが物足りないというひともいる)。
若いころのシカゴ交響楽団とのRCA盤はたまに聴きたくなるかな。それにしてもこのレコード、いくら余白があるからといって、どうしてチャイコフスキーの5番の後にムソルグスキーの「禿山の一夜」なんか収録されているんだか・・・その後のボストン交響楽団とのDGG盤はtape編集箇所がはっきり分かるうえに、フォルテシモで響きがかなり混濁して(おおげさでなく)雑音みたいな汚い音になっている。とくに終楽章なんて、演奏以前にちょっと聴くに耐えない。レコードやCDで聴ける小澤征爾のチャイコフスキーなら、演奏・録音ともにパリ管弦楽団との第4番のEMI盤が最上の出来だよ。これは特筆しておきたいな





2006.04.16 sun

(昨日の続き)

bbsにも書きましたが、優美が「ええーっ!」と驚いたのは小澤征爾指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1979年11月10日の実況録音でした。

bbsへのDie Toteninselさんの書き込みを再録します。

第3楽章、第4楽章up時―

---ここから---
実はこの演奏、あまりに素晴らしいので10回くらい聴いてしまいました(笑)。オケはすぐにベルリン・フィルかな? と思ったので、ベルリン・フィルと一時期関係の深かったテンシュテットの名前がすぐに浮かんだのですが、小澤がこのように見事な演奏をしていたとは、嬉しい驚きです。これはHoffmannさん自身によるエア・チェックですか?
 前半2楽章はどのような演奏内容でしょうか?
---ここまで---

第1楽章、第2楽章up後―

---ここから---
前半は、予想していたよりも遙かに軽快な――あるいは爽やかでさえある演奏で、さらに第2楽章を聴いて演奏の全体から受ける印象も大きく変わりました。演奏の一部分だけを聴いて全体像を掴むことの難しさを痛感させられます。響きは極めて重厚でありながら透明感があり、楽曲への深い共感に溢れた名演奏であり、特に速い部分に魅力を感じます。遅い部分でも旋律を豊かに歌わせはしますが、テンポは基本をしっかり守ってあまり揺さぶりをかけず、表現はあくまで清潔そのものです。。
---ここまで---

Die Toteninselさん、ありがとうございました!(いつもながら的確かつ明快なコメント、お見事です)

細部に注目すると、演奏のコンセプトはHoffmannさんがお持ちのLP、パリ管弦楽団とのPHILIPS盤、ボストン交響楽団とのErato盤とさほど変わらないように思えるのですが・・・

才能豊かな天才肌のひとだから(もちろん、たいへんな努力家でもある)、若いころとくらべて、まるで違った演奏にはなっていないんだね。ところが、この演奏は・・・なんというか、すべてがプラスに作用しているみたいだね。リズムが重いのもここではむしろ重厚と感じられるし、金管の咆哮もあくまで美しい響きを保っていて、テンポが揺れない点についても、単調と感じられるよりもDie Toteninselさんがおっしゃるとおり清潔感につながっているようだ・・・

やはりこの―とくに第3楽章以降の―壮絶といいたいほどの高揚感はライヴ録音だからなんでしょうか?

そうだね、レコーディングではかならずしも楽章順に収録されないから・・・あと音色・響きの厚みといったオーケストラの持ち味との相乗効果かな。それと、指揮者って、音楽監督を務めているオーケストラとの録音よりも、他流試合のほうがいい演奏になっている例は意外と多いんだよね。サントウ・キネン・オーケストラとの演奏も、初期の方が響きが充実していたと思うよ

奥さんより恋人のほうが・・・ってことでしょうか(笑)

それにしても、「悲愴」を聴いていると、どうしてもケン・ラッセルの映画を思い浮かべてしまうんだよね〜(^o^A;

Hoffmannさんおすすめの映画ですけど、DVD出ませんね〜(^^*




2006.04.15 sat

チャイコフスキー、とりあえずこれ(3〜4)で締めましょう(公開終了)。

だれの演奏か、分かる?(^^*

オーケストラの音色はロシア系じゃありませんね・・・このアクセントは・・・指揮者はドイツの方でしょうか?

じつはね・・・(*^^)♭
(・o・;;ええーっ!

追加・・・こちらが先(12)(公開終了)

* * * * * * * * *

gallery#75に追加。

ハイフェッツ、バルビローリといえば・・・こちらも(公開終了)

(((@∇@;;ふは〜ヽ(^o^;Hoffmannさん、花ちゃんが目を回してます!




2006.04.14 fri

昨日のmonologue―

dialogue#06の最後に置いておこうかと思って録音したんですが、いかがでしょうか?(これ)(公開終了)

曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、第3楽章ですね。演奏はbbsでDie Toteninselさんご明察のとおり―

---ここから---
ホロヴィッツ/ヴァルター/ニューヨーク・フィルハーモニックの1948年4月11日ライヴ…でしょうか? 間違っていたらごめんなさい。以前聴いた記憶はあるのですが、残念ながら持っていないのでこれも確認できません。オケは破綻寸前ですが、ピアノはすさまじい迫力ですね。確かにすごいですが、私はもうちょっと落ち着いた演奏が良いです(^^;)。
---ここまで---

Hoffmannの持っているレコードには「1944年ライヴ」、オーケストラは「フィルハーモニー管弦楽団」と表記されていますが、おそらくDie Toteninselさんのデータが正しいものと思われます。

どうも、なんでも分かっちゃうんですね〜(^o^A;

「爆演?」とおっしゃってますね(^^*

それでは、もう少ししなやかさも兼ね備えながら「凄演」とでも呼びたいものを(笑)・・・(こちら)(公開終了)

しなやかですかね〜(^o^;

* * * * * * * * *

(銀塩カメラ関係情報)
FUJIFILMの新製品、ISO400のリバーサルフィルムPROVIA400X(PROVIA400Fの後継?)。これ、なかなかいいですよ!

HoffmannはKodak中心なので、リバーサルフィルムはフィルム感度ISO100なら好みも含めてほかにも選択肢があるんですが、ISO200、ISO400のなかでは、これが最高画質かもしれません。もう少し使ってみないと断言はできませんが、カラーバランスにも気になるようなクセはなさそうです。個人的には400Fよりかなりよくなったと思います。





2006.04.13 thurs

一日が24時間というのは短すぎるのではないか。

* * * * * * * * *

dialogue#06の最後に置いておこうかと思って録音したんですが、いかがでしょうか?(これ)(公開終了)

ほかにも候補があるんですよね(^^*♪




2006.04.12 wed

galley#01gallery#44に追加あり。ただしgallery#01の追加の内、ひとつはgallery#b24と同じです。

こんなに古いの、だれも見ないんじゃないですか?(^o^;

それじゃ、kinotheaterの「砂の女」「他人の顔」「燃えつきた地図」にも追加ですよ〜(こちらはちょっと盤が傷んでるけどカンベンね)

♪Wo bist du〜wo bist du〜ヽ( ̄0 ̄)/〜♪




2006.04.11 tues

gallery#b24に期間限定で追加あり(^^;

♪ちゃん、ちゃちゃん、ちゃかちゃかちゃん、ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃかちゃかちゃんヾ(^∇^)/〜♪




2006.04.10 mon

ひさしぶりに正面玄関から入ろうとしたら、カウンターが壊れたか、単にアチラの鯖が落ちてるのか・・・まさかあんまり動きが鈍いのでスネちゃったんじゃないだろうな(-_-;とりあえず飲foseekのを貼っといたんですが、数字はこんなもんでしたっけ?

それはそれとして・・・gallery#10gallery#27あたりに追加あり(笑)





2006.04.08 sat

外に写真を撮りに出たときなど、たいがいはマニュアルフォーカスのカメラなので、絞りはF5.6あたりにしておくことが多いんですね。もちろん状況によってもっと絞り込んだり、開いたりすることもありますが、このあたりが「お気楽」でHoffmann向きです。

このところ、以前はとんと関心のなかった桜なんぞレンズをとっかえひっかえして撮っていました。これが妙に気合いが入っちゃって、「撮るぞォ」との意気込みもすさまじく(ちょっとおおげさ)、それはそれでいいんですが、そろそろ脱力しないと疲れてしまいますね。

趣味もあんまり気合いが入っていると義務に近付いて、本来の愉しみということから離れていってしまいます。

Hoffmannさんは、本を読んでいて疲れたら、なにをなさいますか?

気分転換に別な本を読むよ

音楽を聴いていて疲れたらどうします?

別な曲を聴くさ。でも、本を読むのも音楽を聴くのもそんなに肩に力が入ることじゃないから、あんまり疲れないよ

それでは、写真を撮っていて疲れたら・・・?

露出計のないカメラで、単体露出計も使わずに勘で撮る・・・かな(笑)


・・・・・・(・∇・;(もじもじ)

ん? どうしたの、花ちゃん(^^*

あの・・・露出狂のないかめらとか、団体露出狂って、なんですか?ヾ(・∇・;;




2006.04.07 fri

昨日のback-up用PCのトラブルで、帰りにパーツshopへ。M/Bを買って載せ替えようかと思ったんですが、欲が出てきてどうせなら新規に・・・いやいや、ここはやはり節約ですね(笑)back-up用マシンなんですから、パフォーマンスは必要ないのです。

そこで入れ替えたPentiumIII800MHzマシンを利用することにして、2ndHDDに250GBのHDDを購入しましょう。OSはWin98SEですが、いま入っている2ndHDDは30GBですから、8.4GBの壁はクリアしてるはず・・・おっと、137GBの壁がありましたね。これはOSをWin2kにしてSP3をあてたのち、レジストリをちょいと書き換えれば137GB以上の容量も認識するはず(WinXPの場合はSP1でOK、もしもダメならレジストリ・・・だったかな?)。おおっと、M/BのBIOSが対応してない鴨・・・。それに上記の方法で認識させても、OSの再install時には、いったん接続をはずしておかないとデータ破壊のおそれがありますね。ここは安全策をとって120GBのHDDにしておくか・・・などとしばし考えて、結局250GBのHDDとともに、PROMISE(サラ金じゃないよ)のUltra133も購入。

帰宅後増設・・・って、なんのこたない、写真管理用のPentium4(Win2k)のマシンに増設しちゃいました。ちなみにこのマシン、内蔵HDDが全部で5台(内2台はRAIDミラーリングでデジカメ写真保存用)、電源容量は余裕くしゃくしゃ・・・のはず(笑)、ケース自体は数年前に現品限りで格安にて購入したものです(たしか雨の日でさらに値引きしてくれた)。

・・・で、起動はだいじょぶ・・・って、認識しねー(^o^;気を取り直してPCIスロット変更・・・出たー(^-^*


M/Bをお買いにならなかった本当の理由は、しばらく自作から遠ざかっていたので、チップセットの型番を見ても、なにがなんだか分からなかったんですよねっ(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2006.04.06 thurs

このhomepage作成・更新用PCのback-upマシンが不調。先日M/Bのon-boardのLANチップが逝ってしまい、ネットワークカードを増設したばかり。今度は2ndHDDを認識せず、そのHDDも別なマシンにつなぐと認識するのでHDDの故障ではない模様。

じつはhomepage作成・更新用PCのHDDが手狭なのでfileをごっそりcopyしようと思っていた矢先でもあり、しかたがないから長らく使っていなかったマシンを引っ張り出して入れ替え。Pentium4の1.6GHzがPentiumIIIの800MHzになっちまいました・・・が、処理速度は体感でほとんど変わらず(笑)一応OSをWin98SEからWin2kに入れ替えるつもり。

Hoffmannさん、こちらのPCは電源を入れると「CPUエラー・・・CPUエラー・・・」って喋りますよ!(・・;

おお〜、懐かしいな〜それ(^o^;




2006.04.05 wed

いつかじっくり考えてみようと思っていて、しかしながら私は物事を掘り下げて考察するという律儀さに欠けた人間であるので、そのままになっていること―。

音楽、とりわけクラシック音楽の鑑賞となると、ほとんど疑問を挟まれることなく、実演・ライヴ演奏こそが本物、という信仰がありますね。ここで言う実演・ライヴ演奏というのは、それが収録されたLP、CDのことではなくて、じっさいに演奏会場で聴くナマ演奏のことです。

たしかに私だって、子供のころ、レコードでしか聴いたことのない音楽を演奏会場で聴いてみたいとは思っていましたし、演奏会場に足を運ぶようになったはじめのころは、それだけで感激していたもんです。

でもね、ナマでしか音楽を聴かないひとは、故人であるフルトヴェングラーやクララ・ハスキルの演奏は一生聴くことができないし、住んでる国や地域によってはついに耳にすることができない音楽作品や音楽家は多数にのぼるんですよ(それでもいいんですか?)。

私はウィーン・フィルの演奏もベルリン・フィルの演奏も何度かナマで聴いていますけどね、その何度かの体験だけでいえば「なんだ、あの程度か」ってのが正直な感想です。もしもレコードを聴いいていなかったら、それだけで音楽というものに対する興味が半減してしまったかもしれません。あるいはバッハのマタイ受難曲をナマで聴いたことがありますが、この作品をそのときの演奏だけで判断するのと、我が家にあるいくつかのレコードを聴いて判断するのでは、たいへんな違いがありますよ。

誤解を恐れずにいえば、ナマで聴くのはあらゆる意味で「体験」であり、レコード(CD含む)を聴くのは純粋に音楽鑑賞である・・・と。音楽(作品及び演奏)を聴くという点で、後者が前者よりも低い地位におかれる理由はまったくありません。はっきり言ってしまえば、現代の演奏家で、レコード(記録)に聴くことのできる演奏家と対等に比較できるようなひとはきわめて少数であるのが現実です(演奏様式の問題もあるので、いないとは言わない)。

目の前にすぐれたレコードがあるのに、ナマだというだけでへたくそな演奏を聴きに行きますか? へたくそと言ったってなにもアマチュア・オーケストラの話じゃないんですよ。ウィーン・フィルだってベルリン・フィルだって、ダメなときはぜんぜんダメです。


現代の演奏家になにを望みますか?

通俗名曲の演奏なんか、それこそLPやCDにまかせておいて、だれも録音していないような作品こそ、音にして聴かせてもらいたいね。たとえば、毎度毎度ブルックナーばかりやる指揮者なんて、興味がないと言うより大嫌いだよ。演奏家だって時代と聴衆を引っ張っていくくらいの自負心は持っていて欲しいな





2006.04.04 tues

audio雑誌などではなく、一般誌などにときどきアナログレコード(LP)礼賛の記事が掲載されていることがありますよね。そこには、「人間的なぬくもりが感じられる」だの、「手間のかかるのがいい」だの、ひどいのになると「針を下ろしたときのパチパチノイズがいい」なんてことが書かれています。

「パチパチノイズ」って、こうした文章を書くひとはよほどレコードの扱いが雑で、盤の状態の悪いんでしょうか。ウチのレコードは相当大音量にしない限りパチパチ音なんて聴こえませんよ・・・いや、まったく聴こえないわけでもないが、人間の耳というのは都合のいいもので、音楽を聴こうというときに、そんなノイズは聴いちゃいません。耳障りになるほど大きなノイズが発生したら、レコード盤やカートリッジの針先をクリーニングしますよね。

「手間のかかるのがいい」という点も、これは個人差があるのかもしれませんが、「だから結構」なものなんでしょうか。「人間的なぬくもり」と同様、思い入れの問題だと思います。CDならば、およそ70分くらいまでの音楽なら途中で中断されることもなく聴き通せる、複数の楽曲が収録されている場合のサーチも容易・・・と、到底LPはCDにかなわないでしょう。

はっきり言って、LPがCDよりすぐれている点は、音がいいことだけなんですよ。


そういった記事は、ブームに便乗した出版者の要請による依頼仕事の結果なんでしょうね

そうそう(笑)PCならばLinuxとか、カメラならクラシックカメラとか、ブームの時期にはメディアのジャンルを超えてそうした記事が満載だったよね。結局ブームが過ぎると見向きもされないし、使っているひとも激減する・・・

でも、Linuxにしてもクラシックカメラにしても、いまでも使い続けているひとはいますよね

そういうひとたちには、そもそもブームとか流行なんて関係ないのさ(笑)