monologue 2006.10〜2006.12

2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2006.12.31 sun

今年の総括・・・なんて考えているうちに午前0時すぎちゃいました;;;

さらば2006年!( ̄- ̄)
さらば〜(^o^*さばらっヾ(^∇^*

このようなhomepageにお越しいただいております皆様に心より感謝申し上げます。




2006.12.30 sat



昨日アーベントロートを紹介したのは、2006.12.25 monに引き続いてこのワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を聴いたから。1943年7月16日バイロイト音楽祭の実況録音、第二次大戦末期のこの年は「マイスタージンガー」のみ16回の公演があり、フルトヴェングラーが4回、残り12回をアーベントロートが振ったそうです。フルトヴェングラーの録音も一部欠落あるものの、すでにdiscが出ていますね。このアーベントロート盤は録音に欠落はなく、音質も良好。PREISERのCD。

一聴して指揮者の意思がオーケストラの流れを決定していると印象づけられますね。前奏曲は速めのテンポですが、オペラ上演の常套的な方法というよりも、内からわき上がる勢いを感じさせるものですね

ザックスはカール・ベームが高く評価したというパウル・シェフラー、ベックメッサーはエーリヒ・クンツ、そのliveとなればこれもまた貴重な録音だね



このおじさまたち、とーってもいいお顔してますねっヾ(^∇^*(^o^*右から2番めとか・・・




2006.12.29 fri



これはヘルマン・アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第4番の(旧)東独ETERNA盤LP。いわゆるスラヴ的な演奏ではなく、戦前のブラームスやブルックナー演奏といった後期ロマン主義のイディオムによるものですね。それでもデフォルメはほどほど、新即物主義の萌芽さえ感じさせる、手綱を引き締めた禁欲的な一面もあります。

チャイコフスキーなんてあまりお好きではないとかおっしゃるわりに、よく取りあげられますよね(^^;

推進力とオーケストラの音色が魅力なんだよね。たとえば第2楽章では第1主題が再現されるごとに変化しているのに、第2主題はまるで変化がない、指揮者のみなさん、ここではいろいろ工夫を凝らすところなんだけど、アーベントロートはなんにもやっていない(笑)それどころか、中間部なんてほとんどの指揮者が思い入れたっぷりに歌わせるところ、(指示どおり?)さっさと通り過ぎちゃう・・・それがいい悪いではなくて、禁欲的に聴こえる要素のひとつだな

チャイコフスキーにしてはメソメソしていないところがHoffmannさん好みなんでしょうか(^o^*センチメンタルでない? 音色は・・・ちょっと乾いた印象ですけど・・・

弦の木質の肌合いが、これはアメリカあたりのオーケストラにはないものだよ




2006.12.28 thurs

こー吉さんからのbbsへの書き込み―

---ここから---
N○Kとかで映ってたホームズ役のJ.ブレッドさんは
映画「マイ・フェア・レディ」で貴族のぼんぼん役して
た人だったのね。そいえば骸骨顔に面影が(^_^;)

---ここまで---

ああ〜そうだったんですか、ぜんぜん気がつきませんでした(^^;情報ありがとうございます(^o^)/


・・・で、同じひとといえばこれもヽ(^^*


トレヴァー・ハワードですね

左はキャロル・リードの「第三の男」(1949)でのキャロウェイ少佐、右はヴィスコンティの「ルートヴィヒ」(1972)でのリヒャルト・ワーグナーだね

おとこのひとって、すこしおとしをとってからのほうがいいお顔になりますねっヾ(^∇^*(^o^*んだんだ




2006.12.27 wed



・・・って声がどこからともなく聞こえてきたんですよ(・・;



Hoffmannさん、また!(^o^;

正月の餅代がぁ〜(>。<)




2006.12.26 tues

カメラといえば、初心者はカメラ(ボディ)の話で盛りあがり、ちょっとわかってくるとレンズの話で盛りあがる、で、上級者は三脚の話で盛りあがる、なんてよく言われますよね。

Hoffmannは三脚は室内でしか使わないし(それでもちょっといいのを持ってます・笑)、そもそもいかなる趣味についても上級者だの玄人だのマニアだのっていう概念
(ガイネンときましたかー(^o^;)は大嫌いなので、いつまでもボディの話で盛りあがりたいもんです(笑)

デジタルカメラはいかがですか?

あれはカメラというより家電品(^_^;




2006.12.25 mon


ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のCD、左はダニエル・バレンボイム指揮バイロイト音楽祭1999年のlive録音、右はヴォルフガンク・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場の1993年の録音です。比較的新しめの録音ですね。

バレンボイムという指揮者はあまり好きではなく、「ニーベルングの指環」のみLDで持っていて(最近DVDも出揃いましたね)、その他の作品の全曲録音はずっと手を出していなかったんですよ・・・いや、「パルジファル」のみ購入して、すぐに売り飛ばしてしまっていました(笑)それでも主要10作品の録音が完成したので、LDで持っている「ニーベルングの指環」以外のCDをまとめて入手したんですね。それで解説書はもちろんキャスト表すらろくすっぽ見もしないで次々聴いていったんですね。「さまよえるオランダ人」ふん・・・「タンホイザー」ふふん・・・「ローエングリン」これはまあまあ・・・「トリスタンとイゾルデ」う〜ん・・・そしてこの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に至り、前奏曲が鳴りだして「おや?」と思ったのは、やはりバイロイトのオーケストラ(音響)の魅力なんですね。演奏そのものはバレンボイムらしく、重厚にやっているつもりがダルになっているという印象なんですが、やはりほかのdiscとは違った美点があるのはオーケストラ(とホール)のせいでしょう。

そこで新しめの録音ということでサヴァリッシュ盤を引っ張り出してみました。聴く前の予想では、モダンな感覚ながら、バレンボイムのような「勘違い」ではない、ワーグナーへの共感が胸に迫る演奏を期待していたんですが・・・。

Hoffmannは日頃から、discでオペラを聴くならlive録音に限る―「限る」は言い過ぎとしても、live録音に如くはない、と思っているのですが、やはりここでもバレンボイム盤にその長所が存するのを認めざるを得ませんでした。もっともlive録音といってもゲネプロなど適宜編集したものでしょうけれど、その感興がドラマをそれらしく進行させているのは確かです。たとえば第一幕でコートナーがマイスタージンガーたちの点呼(出席)をとっている場面、めいめい個性ある返答をしている親方たちのなかで、ザックスのあとにベックメッサーがザックスをからかうようなことを言うんですが、ここ、サヴァリッシュ盤だとよどみなく流れていく旋律のなかに埋没してしまっています。ぼんやりしているとザックスもベックメッサーもいつの間にか通り過ぎてしまう、めりはりがないんですね。ところがバレンボイム盤だと、親方たちひとりひとりの返答(歌)が立ち上がってきて、そのなかでもザックスとベックメッサーの存在感は浮きあがってくる。たぶん、サヴァリッシュだって実演では歌手たちの演技と相俟って、こうした演劇的な音楽造りになるのだと思います。やはり、このあたりにliveでないスタジオ録音というものの落とし穴があるんじゃないでしょうか。




2006.12.24 sun

クリスマス(イブ)ですね。クリスマスといえばプレゼント。

かつて父親から貰ったものを思い返すと、ご幼少のみぎりにはレゴ、笑学生のときにはチェスのセットだとか、漫画の本(白土三平の「カムイ伝」全巻)と、いまにして思えばなんとなく父親なりの教育的配慮がうかがわれるようですなあ。もっともそんなプレゼントも注学生まで。好校性にもなると、Hoffmannが母親からむしり取った「お小遣い」でヨーロッパのどこやら製の凝りに凝ったチェスの駒セットだとか、身分不相応に高価な古書なんぞ買いあさるようになって、父親も自らが行ってきたそれまでの教育の成果にいささか不安を覚えたものか、ネクタイだのカフスボタンだのといったアクセサリー類になってしまいました。それでも、なにやらモノが好校性にはチト早すぎるようですが、なあに、自分が使わなくなったものをよこしていたんでしょう。

20歳も過ぎるともはやプレゼントなんぞいただけなくなり(ワインやウイスキーの1本ぐらい)、一方で、怒濤の勢いで増殖し続けるHoffmannの書籍類にお説教をくださるようになりました。曰く「1冊の本にXX万円も払うのはいかがなものか」、「ステレオなら毎日聴くかもしれんが、本は同じものを毎日読むわけでもなかろう」・・・。父親の所有する本(棚)も、量的には相当なもので、かつてHoffmannの家を訪れた友人のうち複数人が、Hoffmannの父親を文筆業者と思いこんでいたものなんですけどねえ・・・あのへんから、実務家の親と夢見る放蕩息子σ(^_^;の進む道が分かれてきたんでしょうか。

その父親から電話があって、実家のHoffmannの部屋にある永井荷風の全集(岩波書店版)を読ませてもらってもいいか、とのこと。荷風ねえ・・・自分でも読んどいてなんですが、親父さんも歳をとったということかなあ・・・。






2006.12.23 sat

なにやらあやしげなひとが訪ねてきて、「○○さん(Hoffmannの本名)はご在宅ですか?」と―。
「いませんよ」
「・・・いらっしゃらないんですか?」
「いませんよ。本人がそう言ってるんだから確かですよ」





2006.12.22 fri

街なかで、いわゆるストリート・スナップなどを撮っていると、トラブルになることも多いとか。BUれっそんとかドモンKENが活躍した時代のようにはいきませんな。猫なんぞ撮っているブンには問題ないんですが、子供や女性にはうっかりカメラを向けられません。もっとも、一方では喜んで撮られてくれるひともいたりして、そのあたりの見極めも撮影技術の一部と言えるかも知れませんけどね。



オホン( ̄- ̄





2006.12.21 thurs



今日は優美が我が家に来て、四周年の記念日だよ(^^*

おめでとうございますっヾ(^∇^*

ありがとうございます〜(^o^*


優美お姉ちゃんのちょっと古い写真が出てきましたよっヾ(^∇^*〜♪

あわわわわ・・・(^o^A;(^o^A;(別な意味で)あわわわわ・・・




2006.12.20 wed


勅使河原宏監督、安部公房の原作・脚本による「他人の顔」(1966)です。


こちらもやはり勅使河原宏監督、原作も同じく安部公房の、「砂の女」(1964)。

いずれも日本映画史に残る傑作ですが、映画としてはやはり「砂の女」の方が完成度が高いですね。ここでは岸田今日子が主役を演じています。

12月17日死去。合掌。




2006.12.19 tues

2台のContaxで、Dディの連合軍によるノルマンディ上陸作戦の写真を撮ったのがロバート・キャパですね。なんでも106枚も撮ったのに、現像の際、暗室の助手が過熱により乳剤を流してしまい、救われたのはたった8カットだったとか・・・。

伝説がいっそう輝きを増す結果になりましたね〜

それにくらべて、Hoffmannの愚にもつかぬ写真がフィルム2本70カットあまり、きちんと現像できているなんて・・・なんだか申し訳ないみたいですなあ・・・(-_-A;




2006.12.18 mon

ContaxIIにSonnar2.0/50の試写、現像出来。

あらたに入手したメカニカル機のテストはとっても簡単、リバーサルフィルムを入れて露出を測り、たとえばF2.0とシャッター速1/500が適正な条件なら、同じシーンをF2.8・1/250、F4.0・1/125、F5.6・1/60・・・と続けて撮る(ただしIIに1/60はなく、1/50)。フィルム濃度が揃っていればシャッター速には問題なし。このとき、なんでもいいから最短撮影距離付近のなにかにピントを合わせておけば一応ピント(距離計)のチェックと後ボケの具合も確認できます。

さすがに逆光気味だとフレアっぽいけど・・・

ピントも大丈夫ですし、「絞り値ずらし」も露出が揃って、きれいに写ってますね〜(^^*



・・・んしょ、んしょ・・・もうちょっと〜ヾ( ̄∇ ̄;←背伸び

一般に「クラシックカメラ」といえば露出計の付いていないカメラのことと考えていいんですよね

う〜ん、最近では露出計のあるなしよりもメカニカルの、つまり電池がなくても撮影できるカメラのことを指す場合が多いんじゃないかな・・・もちろん、それだけじゃないけど。あと、取扱説明書がカメラよりも軽い場合(笑)




2006.12.17 sun

いやね、COSINAから出たZeiss IkonのZMレンズはとりあえずPlanar2.0/50が手許にあって、次はBiogon2..0/35と考えていたんですよ。ところが、C-Sonnar1.5/50なんて出ちゃった・・・Hoffmannの場合、最近でこそ35mmを使うことが多くなってきたものの、まだまだ50mmの方が出動頻度が高い・・・そこでC-Sonnar1.5/50を買いに行ったんですね。

Sonnar(ゾナー)といえばHoffmannもちょいと思い入れがあるんですよ。SLRの時代になって、フランジバックがとれないことから、主役の座を(ダブル)ガウスタイプのレンズに譲ることとなってしまいましたが、戦前、レンズ性能ではLeitz社のそれを大きく引き離していた、その代表選手がルートヴィヒ・ベルテレ設計によるSonnarです。シュトゥットガルト時代のContax(狂セラじゃないよ)のレンジファインダー機―戦前のII、III、戦後のIIa、IIIaに組み合わされた標準レンズといえばTessarもありますが、なんといってもSonnar50mm、これは1931年には開放F値2.0、さらに1年後にはF1.5のレンズが出て、当時としては驚異的に明るいレンズだったのですね(F2.0、F1.5とも発売は1932年との説あり)。

じつはHoffmannはレンジファインダーContaxのIIもIIaも、かつて使っていたことがあります。形(すがた)は美しく、一般に言われるほど故障が多いということはないようで、数年間に数台使っていて故障に見舞われたことはなし。いかにもドイツの精密機械工芸品といった趣で、「あそこの真似はしないぞ」という独特の機構は、しかしいまとなっては少々使いにくい・・・結局あまり持ち出すこともなくなって、最後の2台(II、IIa各1台)を手放したのは3年くらい前かな・・・。

その後、なんとなくまた状態のいいものがあれば・・・と中古カメラ店のウィンドウをのぞたりなどしていたんですが、戦後型のIIaはあわてなくてもわりあいよく見かけるんですね。きちんと整備すれば精度もそこそことれるはず。でもHoffmannの好みは戦前型、これは状態のいいものが少ないので、おいそれとは手を出せずに、おかげで平穏を保っていたんですが・・・C-Sonnar50mmを買いに行ったら、あったんですよ、状態のいいII。レンズも玉はきれいで、コーティングあり、ただし赤の“T”刻印はなし。ホントはノンコーテッドのF2.0が欲しかったんですが、まあいいやで買っちゃいました(^^A;なにせZMのC-Sonnar50mmと変わらんお値段(笑)



とってもいいレンズぞな〜ヾ(^∇^*




2006.12.16 sat



昨日のミシェル・オークレールのレコードからのつながりで・・・こちらはもうひとつ、Hoffmannの愛聴するモーツァルトのヴァイオリン協奏曲のレコード。第3番と第5番、石川静のソロ、リボル・ペシェク指揮ドヴォルザーク室内管弦楽団の演奏、チェコSupraphon盤LP。国内盤も持っていますが、音質はたいして変わらず、どちらかというと国内盤のほうがいいかもしれません。演奏はintimateな魅力で聴かせる好演です。



こちらは指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットからの連想で。Pfitznerの交響曲第1番。イッセルシュテットの指揮でオーケストラ名は“German Opera House Orchestra”と記載されています。余白には作曲者自身の指揮による(ウィーン・フィル)“Das Katchen von Heilbronn”の序曲を収録。米盤。



さらにヴァイオリン協奏曲、ズザーネ・ラウテンバッハーのヴァイオリン、ギュンター・ヴィッヒ指揮フィルハーモニア・フンガリカの演奏。独Intercord盤なれど、米Vox録音と思われます。




2006.12.15 fri

2006.11.12 sunにエドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によるヘンデル「水上の音楽」の国内盤LPをとりあげたとき、この日本フォノグラムから出ていた“Artist Gallery”という廉価盤シリーズは、ジャケットはいかにも安手ながら、盤は厚手のものが多く、(盤の)造りの良さが音にも現れているものが結構ある、と言ったんですが、ここで手許にあるものからいくつか選んで紹介しましょう。

とは言っても、ピエール・モントゥーのラヴェル、ドビュッシーとかクララ・ハスキルのピアノあたりじゃあまりにも定番すぎておもしろくありませんね。ベイヌムもヘンデル以外に何枚かあるんですがこれも省略。あまり目立たない、雑誌記事などで取りあげられることもないものを・・・


左はモーツァルトの交響曲第41番、第39番、ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ロンドン交響楽団による1958年の演奏、右はモーツァルトの交響曲第36番とハイドンの第101番「時計」、アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団による演奏(録音年記載なし)。いずれの盤についても、その評価を読んだことも聞いたこともありません。イッセルシュテットはいかにもドイツ的な第一ヴァイオリン優勢型、この2曲では41番の方が圧倒的によく、ドラティはいわゆるウィーン風の伝統は感じられないものの、ルーチンワークでない高度に練り上げられた巧みさがあり、地味ながらなかなかの佳演です。


こちらはその上を行くモーツァルトの交響曲―左は第38番と第34番で、ラファエル・クーベリック指揮シカゴ交響楽団の演奏。クーベリックが同オーケストラの音楽監督だった時期の録音ですね。その後のウィーン・フィルとのEMI録音や、晩年のバイエルン放送交響楽団との録音と比較しても存在意義を失わない魅力ある好演です。右はチャイコフスキー交響曲第4番。いずれもmono録音。おっと、この演奏は結構有名かな?


原盤はMer
curyですね・・・って、上のイッセルシュテット盤、ドラティ盤もそうだったかもしれません。Mercuryにはポール・パレー指揮デトロイト交響楽団による優秀な演奏の録音もありましたね。この“Artist Gallery”シリーズからもいくつか出ていましたが、これは省略。



ミシェル・オークレールのソロによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番、第5番。マルセル・クーロー指揮シュトゥットガルト・フィルハーモニック管弦楽団の伴奏はやや粗いものの、同曲のレコードでHoffmannがもっとも好んでいる盤です。内に秘めた情熱と緊張感がまったくすばらしい! 1961年の録音。



もうひとつ、ヴァイオリンのレコードを―Philipsの看板的存在であったアルトゥール・グリュミオーのヴァイオリンによる古典リサイタル集。タルティーニのヴァイオリン・ソナタト短調「悪魔のトリル」、コレルリのヴァイオリン・ソナタニ短調「ラ・フォリア」、ヴィターリの「シャコンヌ」、ヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタイ長調と、古典的名曲が勢揃い。ピアノ伴奏はリカルド・カスタニョーネ、1956年のmono録音。ひょっとすると、グリュミオーが残した膨大な録音のなかでも最良の盤?

「アクマのドリル」ですか〜ヾ(@∇@;;ふは〜

私はヘンツェの「ヴィターリのシャコンヌの主題による協奏的変奏」という作品が好きですね(^-^*


ええーっ(・・;

#このシリーズではほかに、マクサンス・ラリュー、ラファエル・プヤーナ、ヴィーラント・クイケンによるJ.S.バッハのフルート・ソナタ集(バラ2枚)が記憶に残っているんですが、いま棚に見あたりません。




2006.12.14 thurs

12月なのでベートーヴェンの第9交響曲について語ろうかと思って、CD1枚聴いたんだけど・・・

Hoffmannさんって、ベートーヴェンはあまりお好きじゃありませんものね〜(^^;

聴くときの興味はもっぱら演奏本位だなあ・・・とくに第9なんてとくに傑出した作品とも思わないよ(^^A;「フィデリオ」よりはましという程度・・・

私は第4楽章での合唱団の出来で満足できる演奏がないと思うんですが・・・(^^;独唱も、なかなか4人ともにすぐれているものは・・・かな〜(笑)

ああ、なるほどね(笑)

第3楽章がすばらしいと言うひと、多いですよね

それ、不思議だよ・・・というか、すばらしいと感じられない自分が残念だね。むしろ、スケルツォ楽章を切り開いた作曲家だけに、第2楽章の方がユニークだと思うんだけど




2006.12.13 wed

( ̄σ・ ̄)ホジホジ

Hoffmannさん、な、なにをなさってるんですか?(^o^;

「自尊心の塔」の手入れだよ ( ̄σ・ ̄)ホジホジ

はあ?(^o^;;

お、優美、「羞恥の玉座」に髪の毛がついているぞ、とってあげよう(((*-_-)σ

はあ・・・頬のことですか?

おや、花ちゃんが「魅力の相談相手」をのぞき込んでいるよ(笑)

えーと、鏡のことですね(^^A;プレシオジテ?

カガミよカガミ・・・このお家でいちばんきれいなのは・・・優美お姉ちゃん以外では、だーれ?*・∇・) | (・∇・*




2006.12.12 tues

アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」といえば、このジャーナリストが新聞紙上で連載した「冷笑派用語集」をまとめたもので、その毒の効いた皮肉とブラックユーモアから、「ニガヨモギと酸をインク代わりに使っている」なんて評されたんですね。

ニガヨモギって、健胃薬、駆虫薬になるんですね。名前からして苦みがありそうですね(^^*

ところが意外とみなさん、お気づきじゃないようなんですが、じつはこれ、欧米ではあるものと匂いが似ているとされてよく引き合いに出されるんですよね・・・ビアスの辛口批評について「・・・インク代わりに・・・」とコメントしたひとは、そこまで念頭において発言したんでしょうか?(^^;

なんの匂いに似ているんですか?

えーと・・・栗の花とか・・・漂白剤とか・・・(^o^A;(・・?




2006.12.11 mon
φ(-_- )カリカリ・・・  (・|チロ

φ(-_- )カリカリ・・・  (・|チロ

Hoffmannさん、お忙しそうだから、今日は静かにしていましょうね(((*・_・)
(・∇・*はい〜

・・・・・・(*・_・)
(・∇・*・・・・・・

・・・・・・(;・_・)
(・∇・;・・・・・・

・・・・・・(;・_・)(・∇・;あの・・・優美お姉ちゃん・・・静かな歌なら歌ってもいいですよね・・・


静かな歌?(・・?えーと・・・♪しーずかーなーしーずかなーさーとのあーきーヽ( ̄0 ̄)/・・・とか?

♪しっずかっなこっはんのもっりのかげっからヾ(^∇^)/・・・とか〜




2006.12.10 sun

ただいま〜

おかえりなさい(^-^*
おかえりなさいっ(^∇^*

Hoffmannさん、例の、以前から欲しがってらしたレンズ、お買いになったんですか?

いや、けふは見送ったよ

けふって・・・(^^;買う気満々でお出かけになったのに・・・Hoffmannさんも意外と優柔不断?

ちょいと小金を持っていると、たいして必要でもないものを買ってしまうことがある。そうならないように、資金のあるときほど買い物が慎重になるんだよね(^o^A;



ヾ(・∇・*このご本だけ買ってこられたんですねっ

# ・・・とか言って、明日をも知れぬ資金の行方?




2006.12.09 sat


静かな夜ですね。

しみじみ〜(-_-*

しみじみっヾ(^∇^*ですよ〜♪ (^o^*(^o^*




2006.12.08 fri



これぞ通俗名曲の最たるもの、ヴィヴァルディの「四季」のレコード、イツァーク・パールマンによるヴァイオリンと指揮、イスラエル・フィルによる1983年の録音、独EMIのDMM盤です。

パールマンなんてあまり興味もなくて、この盤も買ってから一度も全曲通して聴いたことがないんですが、まあジャケット買いですね(笑)




言わずと知れたルネサンス時代の画家Paolo Uccelloです。

ウッチェロといえば遠近法ですね。私も好きですよ、この絵は。できればもう少し、良質な印刷で観たいですね

これ、すてきですね〜ヾ(・∇・*

じゃあ、画集でも探してこようか(^o^*




2006.12.07 thurs

さて、ひさしぶりのクイズ(^^)以下の一節の引用元は?

1
けだし、彼女は罪びとだったのである。神を愛していながら、神によって夜の闇のなかに見捨てられた者は罪びとにほかなるまい。なぜかといえば、罪びとは見捨てられた者の謂だからである。彼らは記憶のなかに己の罪を捜し求める。彼女も彼女の罪を捜し求めていた。


2
「・・・あたしたちが愛し合うところを見れば、・・・あの娘はおしっこを漏らしてよ・・・ほらこんなふうに・・・」
 魅惑的な液体が私の脚の上に振りそそぐのが感じられた。彼女がすむと、こんどは私が彼女をぐしょ濡れにする番だった。起き上がり、彼女の頭の上に跨って、彼女の顔面を腎水でねばつかせた。穢され、彼女は夢中で気をやるのだった。ふたりの幸福な匂いを彼女は吸い込むのだった。


3
そなたの両手は 太腿のあわいに開く聖なる娼家に
わがロバのごとくに逞しき男性をいざなわん
アヴィナンの言葉に背きて われは告白す
そなたの喜ぶかぎり われそなたとともに愛を語らんと!
スイス・チーズのごとき 白皙の乳房に当てしわが唇は
邪心を去りて つつましきキスマークを捧げん


4
 両の手で自分の顔を隠して、彼女は身体をまわした。弓状にくびれ込んだ腰のしたに露わにされた臀部のふたつの盛り上りには、十ばかりの長く赤い条痕が交錯して跡をとどめ、繊細な肌の上にありありと浮き出していた。拷問がすでにかなりの時間前にさかのぼったことなので、全体の紅潮した色は跡を退いていたが、ただ鞭の痕だけが亜麻色をした肉の上に眼もあざやかに残っていたのである。


5
「ああ、フランクなんて呼ばないで! わたしの名前はフランシスです、わたしは女で、そして、あなたを愛しています! 愛しています!」
 わたしの心臓は喜びと感動で打ちふるえた。ついに、告白してくれた! わたしの忍耐がむくわれたのだ!


全部エロティシズムですね〜(^o^;

4と5は文学的にはちょっと落ちるかも・・・(^^*




2006.12.06 wed

このところ忙しくてね、例の「消えた一等航海士」の事件以来、ヴァイオリンを演奏するのも早朝に限られている、幸いハドスンさんは早起きだから、罪もない善良な一ロンドン市民の安眠を妨げるという心配はないわけだが・・・ぼくが退屈に耐えられないからといって、けたたましい音を立てるのを好むわけではないことは君も知っているだろう、ワトスン。いや、先日のちょっとした爆発事故の件で責めるつもりではないだろうね、あれはあの奇怪な事件の真犯人をつきとめるための必要欠くべからざる実験だよ。ああ、もっと火のそばへ寄るといい、こうして外の身を切るような寒さを想像しながら、パイプをやるのも悪くはないよ。この郵便物かい? 読んでみたまえ、筆跡からは、書き手が心理的に差し迫った状態にあることが見て取れる。書体は整っているが、ところどころに乱れがあるだろう? 便箋はボンド街の文房具店の特製だな。インクはロンドンでは入手できない、おそらくドイツ製だ。ぼくはインクの製造方法と化学反応について何年間か研究したことがあるんだよ、いずれこのテーマで論文を書こうと思ってね。

優美お姉ちゃん、Hoffmannさんがヘンですっヾ(・∇・;

このところしゃべり方がシャーロック・ホームズ調になってらっしゃるのよ(^o^*後半、暴走気味;;




2006.12.05 tues

このところ忙しくて音楽を聴くのも深夜に限られがちである。そうなると、聴く音楽も注意して選ばなければならない。深夜であるからあまりにぎやかな音楽はいけない、ということではない。私はもともと大音量で聴くことを好まないので、ワーグナーあたりを聴いても近所迷惑になる心配はないのである。いま、たまたまワーグナーの名前が出たけれども、ワーグナーやマーラーならば深夜に聴くのも悪くはなかろう。ブラームスの室内楽もよさそうである。しかしJ.シュトラウスのワルツやポルカなど、あまり深夜の雰囲気にふさわしいとは申せまい。モーツァルトなども、作品もよるけれども、どちらかというと天気の良い休日の午後のほうが似つかわしいであろう。季節は冬、室内はいくらかの暖あるとはいえ、冷え込んだ外の空気を意識しながら聴くには・・・そう、シベリウスの弦楽四重奏曲・・・いや、花ちゃんも愉しめるように(笑)ピアノ小品集にしよう。

Hoffmannさん、文体がヘンですっヾ(・∇・;

〜♪

この、ちょっと変わった標題を持つ音楽は・・・だろう? そうは思わないかね、優美( ̄- ̄)

ですわね〜(^m^*クスクス

ですわね〜ヾ(^∇^*

* * * * * * * * *

#上の会話を飲foseekの「翻訳」で関西弁にしてみましたよρ(^o^*

このところ忙しくて音楽を聴くのも深夜に限られがちである。そうなると、聴く音楽も用心して選ばなければならへん。深夜であるからあまりにぎややろか音楽はいけへん、ちうことではおまへん。わいはもともと大音量で聴くことを好まないので、ワーグナーあたりを聴いても近所迷惑になる心配はないのである。いま、たまたまワーグナーの名前が出たけれども、ワーグナーやマーラーならば深夜に聴くのも悪くはなかろうわ。ブラームスの室内楽もよさそうである。せやけどJ.シュトラウスのワルツやポルカやらなんやら、あまり深夜の雰囲気にふさわしいとは申せまい。モーツァルトやらなんやらも、作品もよるけれども、どちらかちうと天気のええ休日の午後のほうが似つかわしいであろうわ。季節は冬、室内はなんぼかの暖あるとはいえ、冷え込んだ外の空気を意識しながら聴くには・・・そう、シベリウスの弦楽四重奏曲・・・いや、花ちゃんも愉しめるように(笑)ピアノ小品集にしようわ。


Hoffmannはん、文体がヘンやっヾ(・∇・;

〜♪

この、ちーとばかし変わった標題を持つ音楽は・・・やろう? そうは思いまへんかね、優美( ̄- ̄)

やわね〜(^m^*クスクス

やわね〜ヾ(^∇^*




2006.12.04 mon

映画「フランケンシュタイン」で大学の研究室から異常な脳を盗み出してしまい、モンスターを偏執的なまでにいじめ抜いたあげくついには逆に殺されてしまうフリッツ、このせむし男は、どう考えても性的不能を暗示していますよね。

たいていの物語では「義足」がそうですね

「ヘルハウス」とか・・・




2006.12.03 sun

フロイトによれば、一人二役というのは不死願望のあらわれということになりますね。




2006.12.02 sat

自殺について―

非生産的な自己表現。一般に、植物や動物には認められず、乳幼児やボケ老人も自殺とは無縁。「孤独」が自殺につながるのではなく、思考・思想の行き詰まりがしばしば自殺につながる(私小説作家に自殺者が多いこと)。

連鎖反応的な自殺は、他人の死(自殺)によって、誰の内にもある「死への憧れ」がたかまるために発生する。従って、思春期にある若者ほど影響を受けやすい(エロティシズム)。

戦時下においては自殺率が大幅に低下する。死が具体的な形をとって眼前に現れ、つまり「非日常」ではなくなっているから、恐怖としてのみ意識されるのである。




2006.12.01 fri

infoseekの芸能ニュースから引用(一部伏字)―

「彼女が世間の批判を無視して広告塔を務めたため、○○教会は霊感商法で多宝塔などを売りまくり、“被害者”を出した。そんな確信犯の桜×がどんなに良妻賢母ぶりをアピールしても、テレビ局がおいそれと彼女を使うはずがありません」

内容はどうでもいいんですが、「確信犯」てことばを正しい用法で使っているの、はじめて見ましたよ(^^;




2006.11.30 thurs



いや、filmが余ったのでシャッターを切っただけなんですけどね・・・誰です? 読み間違えたのは(笑)





2006.11.29 wed


ペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャ・・・(*^o^)
(^∇^*)

(*^o^)(^∇^*)ペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャ・・・ 
(・|チロ

(-_- )))フウ・・・

ペチャクチャペチャクチャペチャクチャ・・・(*^o^)(^∇^*)ペチャクチャペチャクチャペチャクチャ・・・

〜♪

・・・ところで優美お姉ちゃん、いまHoffmannさんが聴いている音楽はなんですかっ?ヾ(・∇・*

あれは・・・モーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」ね(^o^*




2006.11.28 tues



べつにどうということもない写真ですみませんが、今年入手したレンズのなかで、現像があがってきたポジを観たときの感動は、これが最高。




2番めに驚きだったのがこちらのレンズ。

いずれも、いまのところ・・・の話(笑)あと1ヶ月のあいだにこの2本を超えるレンズと出会えるだろうか。




2006.11.27 mon



ロルツィングの喜歌劇「ロシア皇帝と船大工」のDVD、ロルフ・リーバーマン・プロダクションによる、1969年ハンブルク国立歌劇場での収録。指揮はチャールズ・マッケラス、歌手はレイモンド・ヴォランスキー、ペーター・ハーゲ、ハンス・ゾーティン、ルチア・ポップほか。

DVDケースの写真のせいで、てっきりモノクロ映像だと思ってましたよ(^^;かなりお高い価格だったんですが、最近廉価にて再発売になりました。



出演の歌手陣はいずれもなかなかの芸達者ぶり。

・・・とかなんとかおっしゃってますけど・・・(^m^*クスクス


なんといってもHoffmannの好きなルチア・ポップが出演しているのがポイント高し(笑)

Hoffmannさんの「タイプ」なんですよねっヾ(・∇・*(^o^*ね〜

か、カワイイ・・・(^o^*


この笑顔でご飯3杯は軽くいけます!( ̄- ̄)オホン


物語の舞台は1698年のオランダ。

舞台装置(大道具)も、雰囲気があっていいですね



19世紀前半ドイツのRomantische Operらしい、すばらしい上演の記録です。

ロルツィングといえばHoffmannさんとも因縁浅からぬ作曲家ですね(^o^*




2006.11.26 sun



チェコの国民オペラといえば、交響詩「モルダウ」で有名なチェコの作曲家スメタナによる歌劇「売られた花嫁」ですね。その代表的な録音はルドルフ・ケンペ指揮バンベルク交響楽団による1962年の録音。ドイツ語歌唱ですが、ケンペのもっとも充実していた時期の、なかでもこれは出色の出来、歌手もローレンガー、ヴンダーリヒ、フリックと豪華。独Electrola盤LP。


もうひとつ、Hoffmannが好んでいるのがこちらの盤、ズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、歌手はガブリエラ・ベニャチコヴァー、ペテル・ドヴォルスキーほか。こちらは1980〜81年のデジタル録音で、左は国内プレスLP、右は独Eurodisc盤LP。原盤はチェコのSupraphonですね。

このdisc盤の箱の写真にご注目。この演奏を元にした映像はかつてLDで出ていたようですが、最近DVDが発売されました。



序曲ではホールでのオーケストラ演奏の映像が映し出されます。


オペラ本編はスタジオ収録と思われますが、妙な細工はなくて、じっさいの舞台をそのまま収録したかのようで、好ましいですね。



簡素な舞台装置も、むしろこの作品にはふさわしいのではないでしょうか。

これで充分!

いかにもボヘミアといった民族色豊かな演出ですね


村の居酒屋の場面。



歌手のカメラ目線アップは、ちょっと白けちゃいますね。



決して世界一流とは言えないチェコ・フィルハーモニー管弦楽団ですが、ここではなかなかの熱演を聴かせてくれるのも、指揮者コシュラーの功績でしょう。

ああ・・・オペラのDVDとしてはなんとも「まとも」で安心安心(^^*

カメラのアングルとか演出の細部とか、気にしないで愉しめますね〜(^^*




2006.11.25 sat

昨日に引き続いて、チューリヒ・オペラのワーグナー楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のDVDです。演出はニコラウス・レンホフ、指揮は同じくフランツ・ヴェルザー=メスト。



前奏曲の間、映像は出演者たちの会食風景・・・(フウ)


上演そのものはふつうに収録されています・・・が、
とくに意見はありません(-_- )キッパリ


ザックス役のJose Van Damが、まったくもって期待はずれであったとだけ言っておこう(-_-;いや、べつに「期待」はしていなかったんだが・・・


演出の責任じゃないですか?(^^;あと、カメラのアングルが不自然ですね。斜め上から・・・わざと傾けているように観えますね



昨日の「タンホイザー」もこの「マイスタージンガー」も、DVDはしばらく以前の発売ですね。いずれも買う気はなかったんですが、ふらりと立ち寄ったshopであまりにも激安価格だったので、「この値段なら・・・」と購入してしまったんですよ。

この値段なら・・・諦めもつきますか?(^_^;それとも「資料」?

やっぱり買わなきゃよかったかなあ・・・(-。-;




2006.11.24 fri

チューリヒ歌劇場のワーグナー歌劇「タンホイザー」のDVDです。演出はJens-Daniel Herzog、指揮はフランツ・ヴェルザー=メスト。


開演前、指揮者が待機している場面から始まり、序曲では往年のユニテルの映像作品かと思うような楽器のアップ。


上演中もなぜか舞台裏や控え室で出番を待っている歌手が映し出されます。左はヴェーヌス役のIsabelle Kabatu、右はタンホイザー役のPeter Seiffert。


第三幕の開演前、舞台にスタンバイするエリーザベト役のSolveig Kringelborn。右は幕が開いた直後の映像、指揮者の棒を見るためのモニタが見えますね。

どうも、舞台にも音楽にも集中できませんね

いったいぜんたい、なにを考えてこのようなDVDを製作したものか、理解に苦しむなあ・・・まさか、演奏がマズイから音楽に集中させまいとして、こんな・・・(笑)




全部観終わって、記憶に残っているのは、ローマ帰りの巡礼者たちが「ねずみ男」みたいな扮装をしていたことくらいのもんですね(笑)

♪ゲゲゲのゲ〜ヾ(^∇^*)/

(追記)

これじゃあんまりだから、舞台風景も第二幕から2カット・・・左のような俯瞰するアングルの多用も意味不明ですね。




2006.11.20 mon

風邪引いて熱出すと思い出すのは、Hoffmannご幼少のみぎり、発熱時に必ず悪夢を見るということではなくて、好校生のとき、母から「汗をかくといいよ」と言われてパジャマの上に半纏なんぞ着込んでスピーカーの前に仁王立ち、R.シュトラウスの歌劇「エレクトラ」を大きめのボリュウムで鳴らして、手近にあった30センチの物差しを指揮棒に見立てて大暴れしたこと・・・ものの5分で腰が「グキ」とかいってダウンしたもんです(^o^A;hahaha・・・

「好校生のとき」って・・・(^o^;

ちゃんと当時のHoffmannのしゃれこうべが押入れにしまってあるんだよσ(^o^*Hoffmann6歳のときのしゃれこうべ、12歳のときのしゃれこうべ、女の子だったころのしゃれこうべ・・・

わかりにくいことおっしゃってないで、もうお休みになってください(^_^;それとも熱のせい?

おかゆおかゆ〜ヾ(・∇・:))))) (((((;・∇・)/おくすりどこですか〜




2006.11.19 sun



こちら銀塩。

AFはアテにできない状況ですね〜ヽ(^o^*




2006.11.18 sat



あぶないですよ〜ヾ(^∇^*

上の写真はデジカメ、観音の「接吻ん」によるものですが、この機種も後継の「接吻罰」が出て旧型になっちゃいました。観音のデジタルカメラといえばフォトショいらず、たいていは撮りっぱなしで見栄えのいい画像になりますね。逆に言うとコントラスト高め、シャープネスもやや強め、個人的にはコントラストなど少し下げたいくらいなんですが、おおげさに言うと黒つぶれ、白とびが元には戻らないように、もはやこれ以上いじりようがないんですね(いじっても良くはならないという意味)。

後で補正するならややアンダーめ、軟調が基本っていいますよね

はじめから硬調だからどうしようもない(笑)

AFの合焦については、まあ、こんなもの? じつは使っているレンズモロトモ一度SSに出してチェックしてもらったんですが、かなり注意していても微妙に外れるときがあります(もちろん、Hoffmannが下手なのかもしれない)。そのレンズもISレンズなんですが、描写そのものは某レンズメーカー製の同価格帯モデルに及ばず(ただし合焦速度は純正USMの方が速い)。良く言えばヌケがいいんですが、色乗りは浅く、線が太いとか細いとかいう以前に彫りが浅くて平面的、立体感に乏しい。

Hoffmannにとって、デジタルカメラのメリットは撮影途中に感度やWBの設定が変更できる点なので、やはり光量の少ない室内撮りに威力を発揮しますね。だから、せめてAFだけは(光量足りなくても)よりヒット率を上げて欲しいところです。さらに、これは普及機であれば観音に限らないんですが、井戸の底をのぞくようなファインダーはなんとかならないものでしょうか。

Hoffmannさんにしては不満が多いんですね(^^;

オーディオ的な音の良し悪しと同じだよ。つまり、画質や描写の良し悪しも相対的なものだからね、銀塩と比較しての話だよ

デジタルカメラと銀塩カメラの比較ってどうなんでしょう? AFとMFにしてもまったく別なものでは?

写真を撮るという意味で同じツールだと思っているよ。むしろ、デジタルカメラも一人前のものとして扱っているからこそ比較するんだよ(笑)CDとLPにしたって同じさ(*^^)♭ 
う〜ん・・・((((*^^)

(*^^) 
ヾ(・∇・*)))Hoffmannさんっ、優美お姉ちゃんが感心してましたよっ

なになに? 考え方が一貫してるって?(*^o^) 
ヾ(^∇^*)いえ、「さすが屁理屈大魔王!」って・・・

(/_ _)/ドテ




2006.11.17 fri

゜゜(´ロ`。)°゜。うわーん    (・|チロ

こーかくレンズを借りてこられて写真を撮ったら、すっかり自信そーしつしちゃったそうですよ(((;・∇・)(・・?)

「超」広角レンズだったので自分の手と足が写っていたのね(((*^o^)/□
ヾ(・∇・*)ふは〜

#難しいもんですなあ(-_-;もともとありもしない自信が・・・

。・゚・(つд∩)・゚・。 ウエーンウエーン(^o^*)))広角になれていらっしゃらないんですから、しかたないですよ〜

・・・つ・д∩)チラ・・・(^o^*)(^∇^*)nikoniko

・・・(つд∩) ウエーンウエーン(^o^;)(^∇^;)




2006.11.16 thurs

パロディ映画のDVDを観たんですが、そのパロディの元になった映画を観ていないので、なにがなんだか分かりませんな。観ていない映画のパロディでは、笑うことも怒ることも疑うこともできません(・_・)アタリマエダ・・・




2006.11.15 wed



仏harmonia mundiのLPが続くのはタマタマ(笑)これはクレマン・ジャヌカンの「鳥の歌」ほかのシャンソン集。クレマン・ジャヌカン・アンサンブルによる演奏(歌唱)、曲によってリュートが入ります。クレマン・ジャヌカン・アンサンブルは女声1人、男声4人
のグループ。1983年の録音。

これは昨日の「幻想交響曲」とは違って、余程広い部屋でなければ、むしろ(良質の)小型のスピーカーで聴くのがおすすめ。アナログプレーヤーの水平調整とトーンアームのラテラルバランス(あれば)をきちんととったうえで、可能ならしっかりしたスタンドに設置した小型スピーカーを、フリースタンディングの状態にする―つまり左右と背後の壁から離して、やや内振りに。これで2本のスピーカーの間に4人の歌手が目に見えないホログラムのように浮かびあがってくれば大成功です。ただし、言っては悪いんですが、この同じ録音のCDでは(CDプレーヤーにもよるんですが)ここまでのリアリティは望めません。

ちなみにいままでこの録音のCDを聴いたCDプレーヤーでは国産50万円クラスのものが、もっとも音場感、音像の実在感とも、情けない状態でしたね。また、よそ様のお宅では英国製280万円のCDプレーヤーが、得意になっているオーナーに関わりなく、悪夢のような最低最悪の音を出していましたが、これはピンケーブルを挿し間違えていたから。いずれにせよ、値段が高ければいいってもんじゃありません。

最後に、自分の装置を信頼することも大事だと付け加えておきたいですね。いろいろ語ってきましたが、他人の評価にあまりこだわっちゃいけませんよ(^^)

「自分の装置」って、耳のことですか?

いや、それは深読みしすぎ(笑)再生装置のことだよ。逆に言うと、信頼できるような機器を使うべきだとも言えるし・・・オーディオマニアにはよくいるんだよね、自分の装置はあそこが悪い、ここが良くないって、不満ばかり持っているひと(笑)「オレは音のことがわかっているんだぞ」というつもりなのかなあ。いつも不満たらたらの装置で音楽を聴いているなんて、そんなの不幸だよね




2006.11.14 tues



これは2006.04.24 monにも紹介した仏harmonia mundiのLP、ジャン=クロード・カザドシュ指揮リール・フィルハーモニー管弦楽団によるベルリオーズの「幻想交響曲」です。そのとき、このレコードについて「悠揚迫らぬテンポで、激することなくあくまで美しい響きを聴かせます。録音はかなりオフ気味で、きわめて優秀」と言ったのですが、この感想はいまでも変わらず。

ただし、この録音は装置を選びますね。小型―というよりも、質の低い装置だと、全体に眠たげなダルな録音と聴こえ、細部がまるで見えてこない。ところが、ある程度の質を持った装置で、やや音量を大きめにすると、じつはたいへん情報量の多い、かつ自然なバランスの優秀録音であることに気がつきます。どちらかというと、Hoffmann家の、刺激成分を取り除いたゆったり型の装置よりも、水道の蛇口を全開にしてすべての音がじゃぶじゃぶ出てくるような装置の方が相性がよさそう(笑)それでも良さは分かりますけどね。

よく、ポピュラー音楽のヴォーカル録音など聴き馴染んでいるひとは、マイクを嘗めるようにして録音された結果の、2本のスピーカーをまたぐほどの「ビッグ・マウス」に慣れているので、歌手がステージに立っている定位感のあるクラシックの声楽録音を聴くと、「声が遠い」とか「もやもやしている」と言うんですね。クラシックを聴くひとでも、オンマイクによる奥行きのない録音、マルチマイクによる位相ズレを起こして定位も音場感もごっちゃながら、各楽器の音は分離だけはいい(極端に言えば別に録音して後でミキシングした)録音などに慣れたひとは、この「幻想交響曲」の録音がいいとは決して思わないことでしょう。

つまり、昨日のstereoとmonoの違いなどは好みの範疇ですが、たとえばこの「幻想交響曲」の録音などは、(あえて言えば)好みの問題を超えた優秀録音として存在しているような気がします。

なんでもかんでも当人の好みがすべてだからといって、コカコーラが世界じゅうのどの飲み物よりも(質的に)最高にすぐれているとはだれも思わないでしょう?




2006.11.13 mon



あら、Hoffmannさんは?(^^*


今日のレコードはすっかり聴き入ってしまって、なかなかコメントを書くに至らないみたいです〜ヾ(・∇・*




2006.11.12 sun


エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によるヘンデル「水上の音楽」です。1958年の初期stereo録音、左は国内盤で“Artist Gallery”という廉価盤シリーズの1枚。右は蘭Philips盤。いまやほとんど見向きもされない大編成モダン楽器によるクリュザンダー版の演奏。

金管など輝かしいのに音色は渋いあたり、やはりオランダ・プレスの方が一枚上手と聴こえるんですが、さすがにここまで古くなると盤も傷んでいて、ふだん聴くなら国内盤でもいいかなと思います。ひとつには、この日本フォノグラムから出ていた“Artist Gallery”というシリーズは、ジャケットはいかにも安手ながら、盤は厚手のものが多く(時期にもよる)、造りの良さが音にも現れているものが結構あるんですね(ただしこの「額縁」デザインは国内盤独自のものではなく、仏盤などとも共通)。




ちなみにこちらは同じくベイヌムによる「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」というカップリングのレコード、いずれもハーティ編曲版で「水上」はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、「王宮」がコンセルトヘボウの演奏、mono録音の英DECCA盤です。Philips盤よりも以前(たぶん1950年代はじめ頃?)の録音でしょう、遅めのテンポでよりロマンティックな演奏と聴こえますが、音楽には勢いがあってこれもいいですね。monoながらかなり鮮明な録音で、ふたつのオーケストラの音色が楽しめるお得な盤(笑)



ついでに現代の大オーケストラによる「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」のレコードをもうひとつ―これはロリン・マゼール指揮ベルリン放送交響楽団による仏Philips盤。マゼールが同オーケストラの音楽監督を務めていた1964年の録音。ほかにもバッハのロ短調ミサ曲、クリスマス・オラトリオ、ブランデンブルク協奏曲などの録音があって、どれも同時代のカラヤンなどよりはるかにすぐれた演奏です。Hoffmannはマゼールならこの時期の録音がいちばん好きなんですよ(^^*

マゼールさんって、まだ若かったこの時期にして・・・

見事なものだろう?(^^*

・・・目の下のクマの迫力が・・・(^o^;ヾ(^o^;すごいです〜




2006.11.11 sat


ドイツ・グラモフォンの仏プレス盤です。本家ドイツ・プレス盤もデザインは基本的に共通なのでお写真は省略。

まず左は小澤征爾指揮ボストン交響楽団によるファリャのバレエ音楽「三角帽子」、だれも注目しませんが、Hoffmannはこのレコードが小澤征爾の隠れた名演じゃないかと思っています。ひところDGGの小澤征爾、ボストン交響楽団のレコードは、高域は歪み、フォルテシモで混濁して、テープ編集の箇所ははっきりそれと分かるような雑なものが多かったのですが、この盤は比較的まとも。とはいえ、DGGに名録音なし! 独盤と比較すると、音質は鮮やかめ、高域のヌケが良いと聴こえるのですが、それだけ。もともとの録音が平面的で音場感は2本のスピーカーにへばりつきか、さもなければせいぜい奥行きのない横一列整列型なので、あまりメリットも感じません。

真ん中はバーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲第3番、これも同様です(独プレスは交響曲全集の盤で比較)。

右はベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのピアノ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団の演奏、これはもともとTV用のlive録音だったはず、そのためか、日頃のDGGの録音とはちょっと違った傾向で、ややほこりっぽいものの自然な雰囲気が好ましい録音です。じつはこの仏盤はレーベルに“MADE IN FRANCE”の表記がないので、プレスがフランスかどうかはチトあやしい(笑)聴いた限りでは、やはり上のふたつの盤と同じ印象で、高域が伸びた分だけ残響がより豊かになっているように聴こえます(もともと残響多めの録音です)。ちなみに国内盤も手許にあるので、今回ひさしぶりに針を落としてみましたが、響きが箱庭的になり、演奏のスケールまで縮んじゃいますね。とくにピアノの音色はかなり印象が異なってしまいます。

いずれにしろ、仏盤か独盤かといっても、元の録音が良くなければどうというほどのものでもないということ。


仏盤は見開きジャケットなんですね(^^*なかなか立派♪

そう、あまりコスト計算にとらわれていないみたい・・・それが盤質にもあらわれているのかなあ

棚に入れると場所をとりますね(笑)



「DGに名録音なし!」と言いましたが、これは数少ない例外です。
R.シュトラウスの「サロメ」から最後の場面と「七つのヴェールの踊り」、オーケストラ伴奏歌曲集、モンセラート・カバリエのソプラノ、バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団の演奏。独盤です・・・が、いやどうも話が都合良すぎるようでとても困っているところ(^o^A;ドイツ・プレスながらフランスでの録音だからいい、と主張したいわけじゃありません。ところが、バーンスタインのDGG録音としてはほとんど唯一「いい録音」と呼べるものがこれなんですよね(^o^A;;

たしかにかなり鮮烈な録音なんですが、作品がHoffmannさんの好みから遠いのが残念ですね(^^*




2006.11.10 fri


フォレの組曲「ペレアスとメリザンド」、「ドリー」(アンリ・ラボー編曲)、「マスクとベルガマスク」、セルジュ・ボド指揮パリ管弦楽団の演奏、録音は1969年で、左が東芝から廉価盤シリーズで出た国内盤、後の2枚は仏Pathe盤、右の方が新しくて真ん中は(一応)オリジナル盤かもしれません。

仏盤はよりはっきりくっきり、粒立ちもよく立体感もあり、ダイナミックレンジも拡大しているようで、これと比較すると国内盤はうっすらとヴェールがかかったようで、演奏の表情までがフラットに聴こえます。ただし国内盤と比較すると仏盤は鮮やかな印象なので、ひとによってはやや派手と受けとるかもしれません。ただしその鮮やかさが飽和してギラつくようなことはなく、スカッとヌケがいいんですね。

2種類の仏Pathe盤の違いはいかがですか?

中央の方が微妙に彫りが深いか・・・気のせいかもしれないけど(笑)ほとんど分からないなあ


こちらはフォレの組曲「ペレアスとメリザンド」、歌劇「ペネロープ」前奏曲、組曲「マスクとベルガマスク」、ドビュッシーの小組曲(ビュッセル編曲)のレコード、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の演奏。左は国内盤でキングレコードから出た廉価盤シリーズの1枚、右は英DECCAの“Ace of Diamonds”という、これも廉価盤シリーズの1枚、もちろんイギリス・プレス。1961年の録音。決して技術的に優秀なオーケストラではないんですが、木管のソロなど古拙といいたいような味わいがあって、これはこれでいい演奏です。

EMIがややマイクが遠いのに対して、DECCA録音というのはマイクが近め、というのが大雑把な傾向でしょうか。だからDECCAの録音が好きというひとと、EMIの方がいいというひとと、それぞれにファンがいるんですね。Hoffmannの好みはEMIですが、この録音を聴くとさすがにDECCA、録音技術は1961年にして完成の域に達しているといっていいんじゃないでしょうか(むしろ録音に関しては1970年以降の方が悪くなっている?)。

これまた英盤の方がカッティングレベルが大きいんですが、その点を別にしても国内盤にくらべて音場の見通しが良く、一皮むけた鮮烈さが感じられて、すべての音が明るく迫ってくるようにも聴こえますね。対して国内盤はやや淡泊というか脱脂されたようなさっぱり感があって、あるいはこちらの方が好きというひともいるかもしれません。Hoffmannの場合はソースの段階で整理されてしまっているような国内盤を聴くよりは、英盤を(あえて)しっとり鳴らすような装置を使う(そのように鳴らす)のが好きですね。

英盤のジャケットデザイン、この塔の窓から髪を下ろしている牛みたいな女のひとは・・・?(・・;

・・・メリザンドなんだろうな(^o^;

フォレの「ペレアスとメリザンド」といえば、ほかにもいくつかのdiscが手許にありまして、機会があればまた取りあげたいと思います。昨日のビゼー同様、妙に意識しすぎの小澤征爾、演奏はいいのに録音がほこりっぽくて残念なミシェル・プラッソン、異色(?)のサー・ジョン・バルビローリなど・・・。


ウィリー・ボスコフスキー指揮ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団によるシュトラウス・ファミリーの作品集です。1971&1972年の録音で左は東芝から出た2枚組の国内盤。右はおそらくその編集元となった3枚組で仏Pathe盤、再発盤と思われます。

不勉強で申し訳ないんですが、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団というオーケストラは、常設のオーケストラなのか、この録音のための臨時編成なのか、よくわかりません。

ボスコフスキーのウィンナ・ワルツ、ポルカというと、ウィーン・フィルとのDECCA録音が有名なんですが、この録音のほうがオーケストラとマイクの距離が適度に離れているためHoffmann好みです。ここでのオーケストラはどことなく渋めのローカルな響きと聴こえますが、これもまたいいですね。国内盤と仏盤の傾向は上記フォレなどと同じ、仏盤はやはり鮮やかな音で、国内盤は全体に平板です。

ジャケットのデザインは甲乙付けがたいですね〜(^^*




2006.11.09 thurs


ルイ・フレモー指揮バーミンガム市立交響楽団によるビゼーの組曲「ローマ」と交響曲ハ長調のレコードです。左は東芝から出た国内盤、右は英EMI盤。

Hoffmannはルイ・フレモーという指揮者が好きで、このひとが指揮したレコードをよく聴きます。このイギリスの地方オーケストラから、どことなく古雅なフランス風と言いたい響きを引き出していますね。ここではイギリス・プレスのレコードとの比較になりますが、やはり国内盤は妙にstaticで彫りが浅い、どうもアク抜きして音を整理してしまったような印象です。英盤は上品な響きのまま、より立体感が増して表情のレンジまでが広がったように聴こえます。


国内盤はダシ汁が薄いんですね(^^*

あと、じつは米プレス盤も持っているんだけど、間接音が後退してオーケストラの響きもやや荒れ気味だね。いわゆるドンシャリのバランスだ(^^;

米盤はドライでオーケストラの音色もその魅力を後退させてしまっていますね。これなら国内盤の方がまだしも・・・って、Hoffmannさん、なんで国内盤は同じものを3枚も持っているんですか?(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪全部で5枚ですね〜♪



Hoffmannはこのビゼーの若書きの作品いずれも大好きなんですが、交響曲ハ長調に関して、もっともいい録音はというとこれ―ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の蘭Philips盤LPです。録音は1970年代前半かな。ホールトーンたっぷり、オーケストラの響きは全体の融けあいも美しく、それでいて細かい音まで充分に聴こえ、フォルテシモでもやかましくならない、刺激感皆無という録音ですね。もちろん、演奏もたいへんすぐれたものです。なお、この盤については国内盤もCDも聴いたことがありません。



ついでにこちらも―2006.11.02 thursでもちょっとだけ紹介したローベルト・ベンツィ指揮ロンドン交響楽団によるビゼーの交響曲ハ長調ほか。録音はたぶん1965年頃。レーベルはPhilipsの廉価盤レーベルであるfontana、表記はないんですが英盤のようです。演奏はハイティンクあたりと比較するとやや未熟さも感じられます。

それでもこの溌剌とした若々しさは魅力的ですね


もひとつついでに・・・これは小澤征爾指揮フランス国立管弦楽団による1983年のデジタル録音。左が交響曲ハ長調ほか。いずれも独プレスで右はDMM盤。かなり慎重すぎるくらい慎重に組み立てた演奏といった印象で、小澤征爾にしてはさほど・・・。

左のジャケット写真、なんともいえない迷惑そうな顔してますね(^o^;

ここで取りあげておきたいのはむしろ右の「アルルの女」組曲と「カルメン」組曲のレコードです。第1面の「アルルの女」から聴きはじめて・・・やはり演奏については交響曲と同様の傾向で、テンポの遅い曲など意識しすぎでは?というくらいに神経質かつ窮屈な印象なんですが、第2面「アルルの女」の「ファランドール」が終わって「カルメン」前奏曲が始まると、とたんに視界がぱあっと広がるんですね。つまり、「アルルの女」と「カルメン」で、これが同じ1枚のレコードなのかというくらいに録音が違うんですよ。カッティングレベルも「カルメン」の方が大きいようなんですが、どうもそれだけではないみたいです。おかげで前奏曲などは演奏までがより自在かつ闊達と聴こえます。こんなこともあるんですね。

でも、最後まで聴くと、やはり演奏そのものは「アルルの女」と同傾向ですね(^^;




2006.11.08 wed


これは古楽器演奏によるモーツァルトの交響曲全集ということで発売当時はたいへん話題になったレコードです。クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団による演奏。左はVol.6、右はVol5。たしかVol.1〜Vol.7までで完結だったと思いますが、Hoffmannが持っているのはこの二組のみ。まあ、有名曲の収録された巻ですね。

で、いずれのセットも箱・レーベルともフランス語で表記されているんですが、箱の仕上げが異なって、Vol.6はツヤコートで、Vol.5はツヤなしという違いがあります。それだけならどうということもないんですが、Vol.6の箱にはL'OISEAU-LYRE(オワゾリール)とのみあって、Vol.5の方はL'OISEAU-LYREとBarclayのダブルネーム(“Distribution C.P.F. Barclay”とあり)なんですよ。さらにVol.5の盤のレーベルには“MADE IN FRANCE”と表記されているのに、Vol.6の方にはこの文字がない。つまり、Vol.5はフランス・プレスなんですが、Vol.6の方は箱や解説書は仏語のフランス盤だけど盤自体は当時多かったオランダ・プレスなんですね。

この二組のレコードから聴くことのできる音質の差がまったく驚くべきものでした。古楽器の、ことに弦楽器というのものは、ピッチや奏法、弦そのものといった要因で、概して響きがやや金属的にきつく聴こえるようなところがありますよね。Hoffmannはまず国内盤で1枚聴いていてそれからVol.6を入手、これで満足していたんですが、Vol.5を聴いたら弦楽器がカン高くない、むしろやわらかいとさえ感じられるくらいなんですね。それでは高域がおとなしいのかというとそうではなく、むしろ一本一本の弦楽器の音が立っていて立体感がある。これにくらべたらVol.6でさえまだまだ平面的、しかもヴァイオリンの高音は飽和気味(つまり歪む一歩手前)と聴こえます。いや、これだけ聴いている分には悪くはないんですけどね・・・つまり、音質の良さというのは相対的なものなんですよ。

その後、当時輸入レコードshopを経営していたひとに訊いたところ、そのひともこのモーツァルト交響曲全集仏盤の音質の良さには気がついていて、「何度も仏盤の注文を出したが、箱だけ仏盤、中身は蘭プレスのセットばかり入荷してきた」とのことでした。

# 本日の内容は妙にマニアックと受け止められそうなので、ここまで。




2006.11.07 tues



これはブラームスの弦楽六重奏曲第1番Op.18のレコード、1981年録音の仏harmonia mundi盤番号はHM1073。演奏はレジ・パスキエ、ブルーノ・パスキエ、ローラン・ピドゥーらを中心とするレ・ミュジシャン、曲の編成によってメンバーが変わる、当時フランスの若手のグループですね。

これははじめ国内盤で聴いていたんですが、とにかく線の細い演奏で、しかし若手の演奏家ならではの繊細な感受性が、憧憬に満ちたこのブラームスの若書きにふさわしく、たいへん気に入っていました。その後このフランス・プレス盤を入手して聴いたところ、国内盤から聴くことのできるヴァイオリン、ヴィオラ、チェロは音が痩せていたのだと気がつきました。仏盤は線は細いながらも、実在感があり、ヴェールが一枚剥がれたよう、表情の抑揚まで大きくなったように聴こえます。




こちらは同じくレ・ミュジシャンの演奏でピアノ三重奏曲全集。ここでのメンバーはジャン=クロード・ペネティエ、レジ・パスキエ、ローラン・ピドゥーの3人、録音は1980年で仏harmonia mundiのHM1063/64。このほか、同グループによるブラームスではピアノ四重奏曲のLPもあったはずなんですが、いま見あたりません。録音はどれも良質なものの、演奏は圧倒的に弦楽六重奏曲がすぐれています。

このboxのデザイン―若き日のブラームスの肖像はいいですね(^^*2005.04.16 satでHoffmannさんもおっしゃってましたけど




2006.11.06 mon

オーディオ装置の一部を交換したとき、たとえばピンケーブルでもいいです、新しいものを買ってきたら、それまで使っていたものと挿し替えて、比較してみますよね。そのとき、何度もとっかえひっかえして音の違いをくらべてみたりしますか?

まなじりを決して聴き比べをするということは、Hoffmannの場合ありません。むしろ、そんなとをしてもなにも分からないと思っています。こうした違いというものは、長い年月にわたって何度も繰り返し聴いているうちに―あるいは聴き続けているうちにわかってくるものであり、またそうしてわかったことの方がはるかに確実だと思っています。ケーブルを交換したなら、あえて音の違いを探し出そうとしたりせずに、そのまま普段どおりに好きなdiscを聴けばいい。そうやって一週間もたった頃、「最近、なんだか調子いいな」と思うか、「このところ、どうもヘンだな」と思うか・・・これがいちばん確実です。短時間にとっかえひっかえして下した結論なんてものは、まずあてになりません。

なにもいつも緩んだ気分で聴いているということじゃないよ。聴き比べという局面での話なんだけど、ことさらに違いを聴き分けようという意思が、かえって邪魔になるんだな

違いがあるはずだ、違いを見つけなければ・・・というよけいなバイアスがかかってしまうということですね。それに、
同一条件で聴き比べるというのも難しいものだと思いますけれど・・・

たとえば、カートリッジの試聴なら、それぞれ針圧その他の調整は当然きちんとやったうえでも、まだ問題がある。ふたつのカートリッジのゲインは異なるだろうから、音量を合わせ直さなければならない。だから、エリアフ・インバルという指揮者が来日してあるオーディオ評論家の家でカートリッジの聴き比べをしたときには、カートリッジの数だけ同一機種のアンプを用意するよう所望したということだ

厳密ですね〜(・・;

まあ、それは極端な例だけどね。逆に、やはりオーディオ評論家の故長岡鉄男氏は、いくつかの機器を比較するのに同じレコードの同じ箇所を繰り返し聴くなんてことはしない、と書いていたね。それじゃつまらないからどんどんdiscを替えていく、それでも違いは分かるし、それで分からないようならプロじゃない・・・と(笑)

それも一理ありますね(笑)でも、Hoffmannさんはオーディオ評論家ではありませんし・・・

・・・そんなに厳密に聴き比べる必要はない、べつに締め切りがあるわけじゃないから、効率を重視する必要もない。好きなレコードをゆっくり聴いて、違いがあればそのうちに分かるだろう・・・ってスタンスだな(笑)

それってある意味、ブラインドテストに似ていますね。つまり、いまつないでいる機器の存在をいったん忘れてしまう・・・(^^;それはそれで「厳密」・・・?


そうそう、それで「なんか、変だな・・・あっ、そういえばケーブル替えたんだっけ」といった具合に気がついたこと、これは短時間の聴き比べなんかよりもはるかに間違いがないんだよね。よく、shopでものすごい真剣な顔してスピーカーなんか比較試聴してるひとがいるけれど、あれで分かることなんてしれたものだよ。自分の部屋に持ち込んで、半年から2年くらい好きなdiscを好きなように鳴らして聴いていれば、これは嫌でも分かる(笑)

レコードにしても同じこと。ひとつ例を挙げてみましょう。



これはジャック・ティボーのヴァイオリンとアルフレッド・コルトーのピアノによるフォレのヴァイオリン・ソナタ第1番とフランクのヴァイオリン・ソナタのレコード。録音はそれぞれ1927年と1929年と古く、SP盤からの復刻シリーズである東芝のGR盤。GRというのはどこかのコンパクトカメラとは関係がなくて、“Great Recording of the Century”の頭の2文字から採られたものですね。

現在Hoffmannの手許にあるこの盤は2度目に購入したもの。その昔このGR2025という番号を持つレコードを愛聴していたんですが、あるときフランスのPatheからReferencesというシリーズが出て、このフランクとフォレもそのシリーズの一枚として発売されたんですね。これはもう、フランス・プレスだしきっといい音だろうから買い替えちゃえと、HoffmannはGR2025の盤を売り飛ばしてすぐに仏Pathe盤を入手しましたよ。最初は嬉しくなって喜んで聴いていましたね。ところが、しばらく(1ヶ月くらい)聴いていて、どうもおかしい・・・なにか変だ、と気がつきました。そこで、またGR盤を手に入れようとしたんですが、このときGR盤は番号が70000番台のシリーズに取って代わっていたんですね。しかたがないからその300円値上げした新装盤で入手・・・でもその盤から聴くことのできる音は仏Pathe盤と変わらず、これはPathe盤で気がついちゃっているからすぐに分かりました・・・で、結局中古shopでGR2025の盤を探し出して買い戻したんですね。

フランスのPathe盤にはどういった問題があったのですか?

当時は、なぜかこの盤(Pathe盤)では以前ほどには感動しない、と思ったんだよ。いまはこのReferencesシリーズも何枚か持っているけれど、共通して言えるのは、ノイズを除去するあまり、音楽(楽器)の音の大事なところまで取り除かれてしまっているようなものが多いんだね。具体的にいえばノイズ除去というのは高域にとばっちりのくることが多くて、高音が丸く乾いた音になる・・・でもね、これは強調しておくけど、「だから」GR2025が良かったって話じゃないんだよ。「こっちの方がいい・・・なぜ私はこれほどまでにこちら(の盤)に惹かれるのだろう・・・つらつら考えてみるに・・・」と、理屈は後からついてくるの(笑)

なんだか澁澤龍彦のエッセイみたいですね〜(^o^;もしも、当時Pathe盤をお聴きになっていて、さしたる不満を感じなかったとすれば・・・?

そのときはGR2025の盤と同等か、あるいはより優秀であるということが分かったということになるね。だからなにも厳密に比較しなくても、放っておけば―というのは普通に耳を傾けていれば―いずれは両者の違いも、良し悪しも、わかってくるということだよ

そういえばHoffmannさん、2005.10.17 monでも同じようなことをおっしゃってましたね。
それで最近では手許に同じ録音のLPが2枚あっても3枚あっても、手放したりはしないんですねっ(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪

おやおや、どうものっけからフランス・プレスが駄目だったという例になっちゃいましたね(^^A;これは発売(製造)時期の問題でもあると思われるんですが、いずれにせよ、音の違いというものは聴いてみれば分かる、ただし(できれば自分のものにして)ある程度の期間、ある程度の回数聴き続けるのがもっとも確実だと思います。なにも仕事で聴いているわけではないのですから、こんなところで能率・効率を気にかける必要はありませんからね(^^)

それにしても、すばらしいですね〜このフォレとフランク・・・(-_-*胸がきやきやするようです

はあ・・・このふぉーれさんの音楽、すばらしいですね〜ヾ(・∇・*

お、花ちゃんもわかる?(^^*

このはじめのところのメロディを聴いていると、なんだか初恋の切なさを思い出しちゃいますよ・・・ヾ(-∇-*はあ〜

ええーっ?(・・;(・・;は、はつ・・・?




2006.11.05 sun

アナログレコード(LP)とCDのどちらが音質がいいか、という問題はHoffmannのなかではとっくに決着済み、あらゆる意味での取り扱いが容易なことでは、LPは到底CDには太刀打ちできません。LPは音がいいこと以外のすべての点でCDに負けている・・・というのがHoffmannの結論です。

Die Toteninselさんのbbsへの書き込みから―


---ここから---
 1989年頃でしょうか、ある音楽雑誌で、数あるCDプレーヤーの高級機種の中から特に最高と思われるものを諸井誠氏が選んで購入する、というきわめて私的な企画を、オーディオ評論家(と称べばいいのでしょうか)の金子英男氏と組んでやっていたことがありますが、そこで諸井氏は当時95万円もしたスチューダーのA-730という機種を最終的に選択し、数々の美点を指摘した上で、「現在人々がCDの音がどうだとか、こうだとか批判して、アナログ時代を懐かしむ言辞をしきりに弄するむきがあるが、それはアナログの究極のプレーヤーでLPを聴き、CDは割と雑な機械で聴いているからかも知れない」という意味のことを言っていたのを思いだします。
---ここまで---

(以下はDie Toteninselさんに対する発言ではなく、引用された文章に対するHoffmannの感想です)

この記事はHoffmannも読んだ記憶がありますが・・・う〜ん、このお二方、おっしゃることがあまりにも幼稚だと思うんですが・・・。それなら「CDにとびついてしきりに新しい技術を賞賛する言辞を弄する向きがあるが、そうしたひとたちはまともなアナログプレーヤーを使っていないのではないか。CDばかり高級機で聴いてLPは粗末な装置で比較しているのかもしれない」とも言えますよね。この二通りの「かもしれない」はまったく等価です。それにこの発言からは、「95万円もする機械を使っているのはおれさまくらいのものだろう」「どうせ読者は安ものを使っているのさ」という思い上がりが透けて見えますね。「かもしれない」で発言することが許されるなら、95万円も出したのだから鰯のアタマもいい音がしてくれなければ元がとれない・・・という心理的な要素もあるかもしれませんよ(笑)これは冗談ではなく、製品ジャンルによってはメーカーでの値付けの際に、20万円じゃマニア相手にされないだろうから38万円にしておけ、というようなことがじっさいにあるんですよ。また、「究極のプレーヤー」って、なんでしょうか。当時のアナログプレーヤーの最高級機は300万円以上するものでしたが、まさかそんなものを想定しているとは思えません。Hoffmannに言わせれば、50万円を超えた時点で音の傾向的な違いはあっても、品質としての差はほとんどなくなります。いずれにしても、そもそも考慮に入れるほど価値のある内容の発言ではありません(ただしHoffmannはその「正直な」発言故に諸井氏に好感を持っています)。

そしてその金子某を含む評論家が数年後に、当初のCDプレーヤーは明らかにアナログに劣っていたが、最近になってようやくCDプレーヤーも満足のいく音質になった、CDプレーヤーは進歩が早いので、現在の入門機でも数年前のハイエンド機に勝る、なんて言っている・・・。今後もまた同じ趣旨の発言が繰り返されることでしょう。

ついでに言うと、オーディオ評論家というのはじつにうまみのある商売で、これは音楽(レコード)評論家の比ではないといわれています。だから音楽評論家の某氏がオーディオ評論家になろうとさまざま画策したというのは有名な話。自宅で使う機械も現行品ならメーカーが持ってきてくれますから、メーカーの(製品の)悪口なんか書けません。現行品は肯定する(絶賛する、とてもほめる、すこしほめる、のいずれか)よりほかになく、その欠点をあげつらうことができるようになるのは、同じメーカーから新機種が発表されたときです。前モデルがディスコンになればめでたく解禁で、「前作には不満があったが、今度の機種はすばらしい」と判で押したように「評論」する・・・この繰り返しです(最近では観音や日光のデジタル一眼レフがこれ)。だから国産某社の超高級CDプレーヤーのように、ほとんどすべての評論家に絶賛されながら、評論家はだれも使っていない、なんてことあるわけですね。

「まともなアナログプレーヤーを使っていないのではないか」というのは(上記のお二方の発言とは違って)満更根拠がないわけでもありません。CD発表前夜とも言えるアナログ最盛期当時のオーディオ雑誌の「読者訪問」記事などを見ると、ほとんどのひとがアナログプレーヤーの、とくにトーンアームの調整ができていないのですね。プレーヤーが傾いていたり、アームがターンテーブルに対して水平でなかったり(前下がりが最悪)、アームの取り付けを間違えてオーバーハングが狂っていたり、ラテラルバランスってなんだそれ?といった具合です。雑誌に登場するくらいですから、そこそこ高級機を使ったマニアのはずなのにこのありさま、一般のひとに至っては言うまでもありません。そのころHoffmannは年長の知人(別にオーディオマニアではない、普通の音楽好き)から数枚のLPを譲り受けたことがありますが、これがすごいシロモノ・・・盤面は紙ヤスリでこすったんじゃないかというくらいガサガサ、ためしに針を下ろしたらまるで土砂降りの雨のなかから音楽が聴こえてくるようでした。まあ、それは極端な例としても、一般にはほとんどのひとがそんなもんだったんですよ(だからLPを知らない最近の世代のなかには、アナログってパチパチプチプチとノイズが絶え間なく出てくるものだと思っているひとが少なくありません。そのように教えられたんですね)。従って、CDの方がいい音と思えるのも仕方がありません・・・いや、これは言い直しましょう・・・そうしたハードウェア及びソフトウェアの条件ならば、CDの方がいい音で鳴るというひとが多いのも当然です、じっさい、そのひとの家でそのひとの所有するLPとCDを聴けば、CDの方がいい音なんでしょう(鑑賞する側の問題も避けては通れませんが、ここでは省略)。

まあ、LPの音質のどこがCDよりいいのか、ということを説明するのは勘弁してください。これは聴いてみなければ分からない(いろいろな条件と理由で聴いても分からない場合もあります)。ネットを漂流していたところ、会ったこともないひとの、見たこともない部屋での、聴いたこともない装置の音を批評し、かつどのような対策を施したら有効であるかをアドバイスしているひとがいました。Hoffmannはそんな超人ではないので、自分で聴いた限りの判断しか下すことができません。

ただし、「音がいい」というのもたいへん抽象的な表現で(ただし相対的である、という点にご注意!)、もちろん、場合によっては(Hoffmann家でも)CDの方がいいこともあるかもしれません。またLPの場合、プレスの時期や場所(国)によって異なるのも事実です。ある程度の傾向はあるものの、それぞれの録音によってどれがいいかとなると一概には言えません。今後そのあたり、具体的な盤を挙げて例示してみることにします(不定期)。




2006.11.04 sat



2006.09.23 satで取りあげたブーレーズ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場によるドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」、1970年の録音、前回のお写真はCBS Sonyの国内盤、こちらは英プレス盤です。入手して分かったのは、国内盤の解説書の体裁がほとんど都々逸・・・じゃなくて同一であること。結構いい紙使ってますね。

箱のデザインは、この録音の元となったコヴェントガーデンでの公演の舞台写真ですね。解説書はモノクロなので、カラーで見ることができるのはこのカットのみ。




井戸に指輪を落とす場面でしょう。この色彩(いい赤色です)はこのオペラにはちょっと意外かも・・・。映像が残っていないのは残念です。

イギリスでの録音だから英プレス盤がいいのでは・・・というわけで購入したんじゃありません。CBS盤って、米プレスは言うに及ばず、独プレス、英プレスでも高域上がりで、高低のバランスに関しては国内盤の方がいくらかでもまともな場合が多いのはこれまでにもさんざん経験済み。単に安かったのでジャケ買いしたんです(笑)

音質は国内盤と比較していかがですか?

あまり変わらないね。あえて言えば独特の生々しさがあるのはいいとしても、ちょっと硬い。米盤によくあるような、ざわつく感じじゃないけどね

「独特の生々しさ」とおっしゃると?

逆に言えば、国内盤は―このCBS SonyのLPに限らず―薄くヴェールがかかったような見通しの悪さがあるんだな




2006.11.03 fri


オッフェンバックのオペレッタ「ジェロルシュタイン女大公夫人」のプラッソン盤です。左はCBS Sonyから出た国内盤LP、右は独盤LP。クレスパン、ヴァンゾー、メスプレ、マサールと役者の揃った名盤です。録音はさほどすぐれたものではありませんが、国内盤はやや音が痩せていて、独盤のほうが一皮むけた生々しさと実在感がありますね。

プラッソンのオッフェンバック録音については、以前Die Toteninselさんからbbsに以下の書き込みを頂いていました。


---ここから---
 プラッソンのオッフェンバックは、「パリの生活」のような圧倒的名演奏ばかりというわけではなく、ノーマンを起用した「美しきエレーヌ」のように不出来な演奏もいくつかあります。どうも、彼のオッフェンバックは、後の録音ほど生気が失われていったようです。
 初期の演奏のなかで私が特に高く評価しているのは、「ジェロルシュタイン女大公夫人」です(いうまでもなく、浅草オペラ「ブン大将」の原曲)。ヴァンゾ、メスプレ、クレスパン、マッサールら名役者たちが見事な歌唱を繰り広げ、それを支えるプラッソンの軽妙洒脱な指揮がまた素晴らしい出来映えです。

---ここまで---

Die Toteninselさん、ありがとうございました!



クレスパン、ヴァンゾ−のオッフェンバックといえばこれも―「ラ・ペリコール」、アラン・ロンバール指揮ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、仏Erato盤LPです。

この作品のdiscについては、monologueの2005.05.10 tuesでマルケヴィチ盤を取りあげていて、プラッソン盤についてはあまりよく言っていません(ただし歌手のこと)。その際に、やはりDie Toteninselさんがロンバール盤についてbbsでふれていらっしゃいました。

---ここから---

こちらは小粋な小歌劇場の雰囲気が感じられる佳演で、時々聴いています。

---ここまで---

そこで仏盤を見つけたら入手しようと思っていたんですよ(^^)

音質はEratoにしてはさほど・・・ちょっと刺激感が強すぎますね

なぜかロンバールのErato盤LPって、どれもそうなんだな

でも演奏はいい意味でのローカルな雰囲気があって、intimateな味わいを醸しつつも、オーケストラ、歌手とも高水準の出来ばえですね


じつはロンバールのレコードは結構聴いていて、ところがほとんど手放してしまっていたんですね。再度入手しようかともくろんでいるものがいくつかあります(笑)




2006.11.02 thurs



通俗名曲ついでにビゼーの歌劇「カルメン」です。これまでにホルスト・シュタイン盤、カール・ベーム盤といったドイツ語版のdiscを紹介していますが、原語(フランス語)版でHoffmannのおすすめはこれ。じつは抜粋盤、ローベルト・ベンツィ指揮パリ・オペラ座管弦楽団の演奏、歌手はジャンヌ・ロード、アルベール・ランス、ロベール・マサール、アンドレア・ギオーとフランス国内の一流どころを揃えた1959年(?)の録音。仏Philips盤LP。ベンツィは最近とんと名前を聞きませんが、当時は新進気鋭の若手でしょう、それが音楽にもあらわれていて、若々しい躍動感とさわやかなほど見通しのよいオーケストラの響きがたいへん魅力的です。


ジャンヌ・ロードといえばこちら―左はこれもベンツィとの共演、オッフェンバックのオペレッタからアリア集です。ロードは容姿に似合わぬ(?)アネゴっぽい声の持ち主です(笑)右はデュパルクの歌曲集。伴奏のピアノはクリスティアン・イヴァルディ。

役柄によっては気品にあふれた表現で、その歌い分けの自在さは見事なものですね




2006.10.31 tues



アンドレ・クリュイタンス指揮による「前奏曲」と題された東芝発売の国内盤LPレコードです。収録されているのはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、同歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、ベートーヴェンの「コリオラン」序曲、同「レオノーレ」序曲第3番、リストの交響詩「前奏曲」・・・

・・・って、ベートーヴェンの2曲は前奏曲ではなくて序曲ですし、リストの作品も「前奏曲」という標題の交響詩ですよね〜(^o^;

オーケストラもベルリン・フィルによるものとパリ国立歌劇場管弦楽団によるものが混在している、いわゆる編集ものだ。だれが考えたか知らんが、屁理屈にすらなっていない珍妙な企画盤だね(笑)

どうしてこのレコードを引っ張り出したのかというと、先日のザルツブルク音楽祭のDVD「こうもり」で、リストの「前奏曲」がバックに流れる場面があったから―ちょっと聴いてみたくなったんですよ。

リストの交響詩「前奏曲」は、その標題をラマルティーヌの「詩的瞑想録」から採ったんですよね

「我々の一生は死によって第一音が奏される未知の歌への一連の前奏曲にすぎない」という一節だね。でもリストはここからインスピレーションを得てこの音楽を作曲したわけではない、作曲してからなにかふさわしい標題はないかなーと探して、この詩を見つけたんだね。どちらかというと「変奏曲」という題にした方がふさわしい音楽で、あまり深い内容を感じさせるものではない。ところが戦後の一時期、日本のオーケストラはさかんにこの曲を演奏したらしいんだな。この作品ばかりでなくリストの交響詩を全曲演奏して、来日したドイツの某指揮者は「おれはこんな曲聴いたことも演奏したこともない、日本人は妙なことをやる」と驚いていたとか・・・

きっと、死への前奏曲だのラマルティーヌだのといった背景から、さぞかし高尚な音楽であろうと勘違いしちゃったんでしょうね(^^;比較的短くて親しみやすいことも手伝って・・・その意味では、近頃流行らなくなった通俗名曲といったところでしょうか

深い内容がないわりに、演奏で聴かせるのは難しい音楽じゃないかな。なんだかところどころでぶつぶつ切れちゃう・・・経過部なんかいかにもとってつけたみたいな、あまり出来の良くないところが目立つよね

クリュイタンス、ベルリン・フィルの演奏は、そのあたりの処理は巧みですね。なんとか最後まで破綻なくまとめていますよ。録音はやや高域上がりなんですが、とにかく響きが美しいのは特筆ものですね。ベルリン・フィルから、どこかラテン的な明快さを引き出しているのがこの指揮者ならではですね



リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団のLP、仏Pathe盤。1982〜83年の録音。

Hoffmannはフィラデルフィア時代のムーティはあまり好きじゃありません、前にも言ったんですが、オーケストラの音色に魅力がないんですね。

その点を別にすれば、ここでのムーティの演奏は悪くはないと思いますよ。作品の弱さを演奏でカバーしようとテンポやリズムに細工を加えたりせずに、ストレートな表現で、結果上品な音楽に仕立てています。それでいてどの部分も過不足のないダイナミクスとしなやかな歌わせ方で、耳に心地よいのですね。クリュイタンスの演奏では「処理が巧み」と言いましたけど、ムーティの場合は巧みさを意識させない、もっと感覚的な次元での才能を感じさせますね

たしかに、細部への配慮と全体像の把握のバランスがとれた好演だね



レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによる演奏、米盤LP。

これまた直情型なんですが、ムーティの後で聴くと・・・。

ムーティの演奏に続けて聴くと、ずいぶんいろいろ工夫して演奏しているのが分かりますね。この時期のバーンスタインにありがちなんですが、テンポを動かして、とくに速くなるところでちょっとせかせかするのが残念です

もっと古い世代の指揮者だと、経過部なんかは速いテンポでさっさと片付けちゃう・・・そういった演奏を思い出してしまうね(^^*

音楽に勢いがあるのはいいんですが、荒削りな印象ですね。当時のColumbia録音が高域上がりなのと、米プレス盤であることもハンデかもしれませんが・・・



ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、1954年、フルトヴェングラー死の年の録音。国内盤LP。

ところどころウィーン・フィルが美しい音を響かせているのですが・・・これは指揮者があれこれ表情を付けるたびに音楽が停滞してしまうようですね。そこをうまく切り抜けようとしてますます音楽が途切れてしまうという・・・たぶん作品の弱点を補おうとしてやっているのだと思いますけれど、そのどれもが恣意的に聴こえます

最晩年の演奏ということで、多少元気がないのはやむを得ないとしても・・・これはフルトヴェングラー向きの音楽ではないみたいだね。フルトヴェングラーだとハイドンやモーツァルトもロマン派の音楽みたいになるよね。時代を考えれば当然なんだけど、それだけの理由ではなくて、このひとって、急に表情を(切り)変えることができない(しない)じゃない。ワーグナーみたいにひとつのモチーフから次のモチーフが生成していくような、漸進・漸増といった、そんな音楽造りをするひとだよね。だから、こういった表情がころころ変わるような音楽は向いていない思うんだよ

たしかに、どうしていいのかわからない、といったように聴こえますね。フルトヴェングラーさんにはもっと緊密な構成の音楽の方が向いていますね



ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1929年の録音。東芝GR盤LP。

なにしろ楽譜に手を入れることくらいなんとも思わなかった(時代の)指揮者なので、さぞかし恣意的な演奏だったかと思って聴いたんですが・・・。

恣意的ですよ(笑)でも、ここまで確信を持って演奏されると、これはこれで説得力がありますね。もっと晩年の演奏になると、ほとんど滑稽なくらい誇張と歪曲に充ち満ちているんですが、この録音ではまだしもひとつのスタイルとして認めることも可能ですね。ポルタメントを効かせるのも要所要所で使いどころをわきまえていて、ベートーヴェンの交響曲でやっていたような大見得を切るところもなく、ちょっと粘るかなといった程度で、全体のフォルムを崩してしまうような誇張ではありません。あんまりこんな言い方はしたくないのですが、なんともハートを感じる演奏なんですね(^o^*

(笑)フルトヴェングラーとは逆に、この作品にはむしろふさわしい演奏と聴こえるね。ちょっと意外な結果だったなあ(^^*




2006.10.30 mon

Die Toteninselさんからbbsに2006.10.10 tuesのクイズの回答をいただきました。

---ここから---
(一応メジャー篇)
1 「黒眼鏡」、「日本人」、「箱に入った性玩具」といえば、この映画は?
 わかりません。「性玩具」とはいったい何のことでしょうか(いやこれは失礼(^^;))

2 エイズで亡くなった俳優が、自称「蝿も殺せない女」を演じた映画は?
『サイコ』

3 パロディの巨匠が監督・主演、喋らないはずのひと「だけ」台詞がある、この映画は?
『メル・ブルックスのサイレントムービー』

4 木に登って「女がほしーい」と叫ぶおじさんを迎えに来たのは小柄な看護婦・・・この映画は?
『フェリーニのアマルコルド』

5 実在した異端審問官が悪役で登場、「おいおい、おれはこんな死に方してないよ」、この映画は?
『薔薇の名前』

(結構マイナー篇)
……ずいぶんひどい映画にまでちゃんと目を通していらっしゃるのには、頭が下がります(笑)

---ここまで---


Die Toteninselさん、どうもありがとうございました!(^o^)


1の連想は難しかったでしょうか? 正解は『昼顔』です。

「結構マイナー篇」は回答をいただけませんでしたね〜(^o^A;;無理もないです〜

全部分かっていらしたのなら、Die Toteninselさんも相当・・・(^o^A;;;正解は以下のとおりです。

(結構マイナー篇)

6 古書店勤務の彼女が読んでいた恐怖小説の奥付には「ノンフィクション」とあった・・・この映画は?

『ハードカバー/黒衣の使者』

古書店勤務の女性が読んでいた恐怖小説の奥付には「ノンフィクション」とあった。これは殺人鬼である著者の実体験なのか。やがてその死んだはずの作者が彼女の前に姿を現す。前半の恐怖を盛り上げる手法には見るべきものあり。結末は御都合主義でねじ伏せる。古書店内の描写がイイ! 主役の男女は大根、女の方はまだしも「いい女」と見えないでもない(最初に観たときはちょっと期待した)が、恋人役の刑事は刑事よりもちんぴらの方が似合いそうな若造。べつに嫉妬心で言ってるわけじゃないよ。なお、彼女が勤務する古書店にはもうひとり女性の店員がいて、この店員目当てにやって来る客がいかにもな、でっぷり体型のアキバ系マニア風ヲタクの風貌・・・いやいや、怪奇小説の洋(古)書なんぞあさっているHoffmannなど、まったく身につまされますなあ(笑)

7 畑で人間を栽培して、熟すのを待っている豚仮面オヤジが登場する映画は?

『地獄のモーテル』

そのモーテルのソーセージはうまいと評判・・・もちろん人肉が混じっているんですよ、ええ。これは調達した人間を畑に植えて熟すのを待つという栽培法によったもの。ちなみにモーテルのオヤジはクリスチャンで、「すべての肉は平等なり」という信念に基づいて人肉ソーセージを製造しているんですな。このオヤジ、ラストのチェンソー合戦では豚の仮面をかぶって登場し、これはなかなかのインパクト。なんで豚仮面なんだ?とは訊かないように。むろんなんの説明もないが、ひょっとするとさんざんソーセージにされた豚たちの恨みを体現しているんでしょうか(マサカ・・・)。なお、この映画を観た後はソーセージが食えなくなるひとと、無性にソーセージが食いたくなるひとと、二通りの反応があるようです。

8 「ゾンビとして生き、死してなおゾンビとして生きる」というヘンな設定の女が登場して裸踊りをする映画は?

『死霊の盆踊り』

交通事故にあった男女(大根役者にもほどがある!)が杭に縛り付けられて、なぜか無理矢理死霊の踊りを見せられる。といっても半裸の女が次々と登場して踊るだけ。しかも場末のストリップ小屋でももう少しましなんじゃないかというくらいへたくそ。踊る女たち(死霊)の設定は「初夜に夫を殺した女」、「闘牛士の愛人」など。ところが途中からはネタが尽きたものか、上記「ゾンビとして・・・」のほか「ネコ女」なんてのまで登場し、この「ネコ女」はご丁寧にも踊りの最中に毛皮を脱ぎ捨てる。ちなみに出演者のなかで、この「ネコ女」がもっともグラマラスである。安づくりの狼男とミイラ男もギャラリーとして登場、ミイラ男はガラガラヘビを見て「あいつがクレオパトラを殺したんだあー!」と嘆く(なんなんだ?)。監督も闇の王として出演。このひと、この映画が日本で評判になったと聞いて、なにを勘違いしたのか、「スポンサーが見つかれば第二作(続編)をつくる」とえらい鼻息だったとか・・・。まあ、邦題の秀逸さは認めざるを得まい(もっともそれは監督のあずかり知らぬところだ)。たしかVHSヴィデオのパッケージには「同じアホなら踊らにゃそんそん!」と書いてありましたな(笑)

9 彼女はあるロック歌手のファン、終盤はその女の子の無言の食事シーン・・・この映画は?

『トランス/愛の晩餐』

ロック歌手Rに夢中の少女。ついに彼女はRの別荘へ招かれるが、彼女の独占欲はそれだけではおさまらず・・・。意外にも間接的な表現に終始、雰囲気で観せる映画なので、さほど・・・とはいっても気の弱いひとは観ないように(たしかDVDで出ている)。殺害までの前半はだれるが、女の子がなかなかかわいいだけに、殺害以降の異様な雰囲気づくりは効果的。とくに剃髪から散骨に至る結末はなかなかのもの。「グロ映画」のひと言で片付けるには惜しい。

10 女子大生失踪事件。70分中本筋は30分、史上最低の呼び声高いこの映画は?(その筋ではメジャーかも?)

『悪魔のかつら屋』

かつら屋に下宿した女子大生が次々と頭皮を剥がされて・・・それだけ。冒頭に剥がされたかつら同士の会話が入り、これはまだしも本筋を無関係ではない(それにしたってかつらの会話はどうかと思う)が、あとは探偵気取りの女の子がなんの関係もない人間を尾行して「やっぱり違ったわん♪」・・・で10分(撮る方も撮る方だが、演じる方も演じる方だ)、ドライブインシアターのスクリーンに写るなんか食ってばかりいる男を延々と挿入して・・・10分(・・・なにも言うまい)、そのいずれも本筋と一切関係ないというトンデモな、ある意味史上最強の恐怖映画。いったいどうしたらこんなにやる気のない映画ができあがるのか、監督に尋ねたい。




2006.10.29 sun

ヽ(^0^*)/うおーぃ!

先日購入されたレンズがすばらしい写りだったんですって(((*^o^)ヾ(^∇^*うおーい♪




2006.10.28 sat

ネットの監視とか検閲とか・・・だいたい検閲なんかする連中は、想像力というより妄想力で判断するうえに、家畜並みに愚鈍かつ無知無教養ですから、こんな画像をupしておいたら、「ここのサイトに大股開きの画像がある!」なんて言い出すんじゃないかとジケーン(笑)



ジャン・コクトーの“Le Grand Ecart”―「大胯びらき」ですね(^o^;




2006.10.27 fri



カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演の映像がDVD化、発売されました。1975、1977、1980年の公演と3本出たうち、1975年と1977年はdisc(LP、CD)があるのでパス、1980年10月6日のものだけ入手しましたよ。演目はベートーヴェンの交響曲第2番と第7番。じつはこのコンサート、この場にHoffmannも聴きに行っていたんですよ(だから買った)。当時はオコチャマでしたけどねヾ(^ω^*バブバブ(^o^;いや、そこまで幼くはなかったが・・・



さすがに衰えは隠せず、椅子に座っての指揮。

1980年の公演はベーム最後の日本来日となった際のもの、この年はウィーン国立歌劇場の引っ越し公演で、その初日にベームが振ったモーツァルト「フィガロの結婚」は、すばらしい歌手陣も含めてHoffmannにとってかけがえのない体験・思い出になっているんですが(これもdiscあり)、このオーケストラ・コンサートには、ただただベームの老いと疲れを感じるばかりでした。当時まだコドモだったHoffmannでさえ、終演後に口から出てきた感想は「なんか物足りない」だったんですよ(-_-;イヤホント



とはいえ、当時日本におけるベームの人気はすさまじいばかりのもので、終演後はこのありさま・・・舞台のそでに押し寄せて狂気狂喜のごとく歓声を上げる聴衆。もちろん、このなかにHoffmannの姿はありませんよ。

今回このDVDで当時の記憶と照らし合わせながら聴いたわけですが、やはりベームが指揮しているというより、ウィーン・フィルが勝手に(この老大家に対してひじょうに協力的に)演奏しているといった印象をあらたにしました。ちょっと複雑な気分ですね。いろいろな意味で・・・。




2006.10.26 thurs



こちらは1997年ザルツブルク音楽祭のモーツァルト歌劇「後宮からの誘拐」、昨日の「こうもり」と同じく、マルク・ミンコフスキ指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の演奏。演出はフランソワ・アブ・サレム。

もちろんミンコフスキ目当てで入手したんですが、やはり期待を裏切らず。もはやこのひとの才能は疑う余地がありません。


オーケストラのなかにはこんなひとも・・・。




演出は斬新なようで、意外とまとも。


ツボをはずすことなく・・・




なかなか効果的です。

歌手(役者)、演出、指揮(オーケストラ)と、いずれにも新鮮さあふれる好演ですね。




2006.10.25 wed



J.シュトラウスII世のオペレッタ「こうもり」、奇才マルク・ミンコフスキ指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の演奏、演出はハンス・ノイエンフェルス、2001年ザルツブルク音楽祭における公演の記録です。

「こうもり」といえばオペレッタの名作、ウィーンでは大晦日に国立歌劇場などで上演されるのが毎年の恒例ですね。たしかに名作には違いなく、音楽もオペレッタとしては上出来、日本でも人気が高い作品でしょう。

でも、Hoffmannはこれまで実演ではいい印象がありません。

二期会オペラの日本語上演はドリフのコントみたいな舞台で、しかも芝居は学芸会、ドリフの方がまだしも。指揮者はウィーン生まれということでしたが、名前は思い出さぬが花。
呼びましたかっ?ヾ(^∇^*)とってつけたようなレガートやアッチェランドのたびにオーケストラが混乱して、聴いているうちに、次に乱れる箇所の予想がつく始末。アイゼンシュタインはまるで歌詞をおぼえていなくてやたら「ホニャララ・・」とごまかしてばかりいるし、ファルケは音を伸ばすと音程が保てずブラ下がり。アルフレートは、あれはロザリンデに甘えているという演技なのか、台詞がオカマのようなオネエ言葉で、第一幕の後半は幼児プレイみたい。フロッシュはというと、世のなかにはこれほど無能な役者がいるものか、ウィーン・フォルクスオパーの猿真似演出の、その演技の意味をまったく理解していないから、酔っぱらいだからこそ笑えるはずの演技に下手なアドリブを入れて、なにもかもが台無し。「こうもり」上演史上も以後も、これより駄目なフロッシュはまたとあるまいと思われるほどのものでした。

また、ウィーン・フォルクスオパーの来日公演ではあまりにも水準の低いオーケストラと歌手にがっかりでしたね。演技は結構さまになっていて、上流階級の俗物性を演じて下品になりきらぬあたりはさすがだったんですが、歌はすべてが自己流。その崩し方も堂に入ったものと言えるひともいる一方、一曲全部地声と叫び声で片付けてしまう歌手がいるのには閉口しました。あれではミュージカル以下。この団体の公演では、音楽的には「こうもり」にくらべるべくもない愚にもつかぬ作品である「メリー・ウィドウ」の方が、舞台そのものはおもしろかったのが象徴的でしたね。つまりその程度ってことです。

LD、DVDでもカルロス・クライバーの指揮による公演は、歌手は一部を除いて比較的高水準を保っているものの、クライバーの指揮が例によってオーケストラを煽り立て勢いのみで押し切るという演奏、だからオーケストラにへたくそな奏者がいると目立ってしまってすぐわかっちゃううえに、やたら威勢がいいばかりでニュアンス不足。絵にたとえればアニメのように単純化したわかりやすい表現、紋切り型の演奏です。オットー・シェンクによる演出も、大衆受けするための予定調和の世界、カビのはえたルーチンワーク。

そもそもこの作品、芝居(ストーリー)そのものはばかばかしくて、人生に退屈しているオルロフスキー公は、こんなくだらない茶番で笑えるのか?と首を傾げたくなるようなものですね。大真面目にリアルな劇として演出することに無理があるのでは?

突飛なことを言うようですが、オペレッタなんて芸能のジャンルと考えていいんじゃないでしょうか。別に芸術じゃないと言って一段低く見ているわけじゃありません。たとえば江戸戯作のように、世相を嘆いたり、ぎりぎりの抵抗(なにに対する?とは訊かないように)のあらわれとして上流階級の社交界を描いてみてもいいと思うんですよ。上品とか下品とか、そんな評価を超えたコンセプトの演出、予定調和でない、その時その場限りの旅回り一座みたいな舞台を見せて欲しかったんですね。

じつはHoffmannは、この公演についてはなんの予備知識もなく観ました(どうも日本でもTVで放送されたそうですが、Hoffmann家にはTVがないので知りませんでした。それがかえってよかった?)。相当賛否両論あったみたいですね。じっさいにブーもとんでいます。おそらくこの演出には嫌悪感をもよおすひとが多いでしょう。しかしHoffmannはこれを高く評価したいと思います。決して好きな演出、よくできた演出、ということではなく、作品に対する姿勢に見るべきものがある、すぐれた志向を持った演出ということです・・・ええ、これは許します!(笑)

この演出ばかりは観ないとわからないので、説明は最小限にしますよ。




序曲演奏中のパントマイム。


かなりあやしげですね。




アイゼンシュタインとロザリンデの間には二人の子供―兄と妹がいます。このふたりがまた・・・。

ブリントは本当に盲人の設定、このあと追い出されて外に出たところ、数人の男たちに絡まれ、「ユダヤ人か?」「共産主義者か?」と問い詰められます。そもそもアイゼンシュタインの告発された罪というのが・・・。


ファルケ博士が夜会に誘いに・・・。兄と妹は近親相姦。




刑務所の看守フロッシュは第一幕から登場、女性です。この演出では狂言廻しとしてクローズアップされています。




アイゼンシュタインはこの衣装で夜会へ。


刑務所長のファルケも色違いの同じ衣装。アルフレートはアイゼンシュタインの代わりに監獄へ。ここはバレエが入ります。




第一幕の幕切れにご注目。



第二幕。夜会の、これが賓客たち。



このポーズは・・・!



オルロフスキー公の錯乱ぶりにご注目。


ヤク中毒ですね。もちろん賓客へのもてなしも・・・。




フロッシュは第二幕にも登場。やたらとヘンな(?)歌を歌います。この場面では客席からの野次が・・・仕掛け人かも?



シェーンベルク編曲による「皇帝円舞曲」のバレエが入ります(さすが!)が、オルロフスキー公が拒絶反応を起こして、途中で全員を退場させてしまい、ここでフロッシュが「休憩」を宣言します。第二幕の途中で休憩が入るわけです。



賓客たちは「白い粉」を求めて・・・ほとんどゾンビみたいに見えますね。



ポルカ「雷鳴と電光」によるバレエは客席に対するあからさまな挑発としか見えません。さすがにここは激しいブーがとんでますね。


バレエは男女の暴力沙汰、みんな耳をふさいでいます。


第三幕でアイゼンシュタインが夫人とアルフレートの前で正体を明かし、三者の激しい非難の応酬に発展すると、兄妹はピストル心中してしまいます。


ここまでの事態に至った末に、ファルケ博士から「これがこうもりの復讐だ」と言われると・・・。


政治的なイデオロギーはともかくとしても(ともかくとしてはいかんのだろうが)、聴衆が期待するオペレッタへの迎合と予定調和を裏切り、手垢のついたルーチンワークから脱皮して、現代に生きる古典芸能のような舞台と主張を展開したことには、(あえて)称賛を贈りたいと思います。


私は観ていてあまり楽しい演出ではないと思うのですが・・・

lこの作品に観て楽しいことを求めるなら、ほかの演出を選んだ方がいいね

Hoffmannさんは別なものを求めていると・・・?

もともとそんなに楽しい内容だとは思っていなかったよ。むしろ観れば観るほどばかばかしいハナシじゃないか。そう思っているのは、ほかの「正統派」の演出のせいでもあるんだけどね。だから、このばかばかしさを解消してくれるなら、観て楽しい演出でもかまわないんだよ



さらに特筆すべきはマルク・ミンコフスキ指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の演奏です。舞台(演出)と調和しているとか、あるいは舞台とは無関係にすぐれた演奏だということでもなく、なぜかこの演出でより生き生きとして聴こえるのが不思議です。オーケストラに関しては、この作品の、もっとも納得できる演奏じゃないでしょうか。




2006.10.24 tues

ヽ( ̄□ ̄;)/うおー!    (・|チロ



こんどはなんだったんですか?ヾ(・∇・;

輸入DVDだったので一所懸命台詞を聴きとろうとしてらしたのに、じつは日本語字幕があったんですって(^o^*




2006.10.23 mon

ヽ( ̄0 ̄;)/うおー!    (・|チロ



HoffmannさんがDVDをごらんになって、ひさびさのデ・ゼッサントだってコーフンしてますよっヾ(・∇・*)))

花ちゃん、それは「大絶賛もの」(^o^;なんでそんなの知ってるの?




2006.10.22 sun

唐草か桜か(^^*

田植え歌(^o^*

こねこ!ヾ(^∇^*

軽い機敏な仔猫何匹いるか(^^*

鯛焼き焼いた(^o^*

とまと!ヾ(^∇^*



これはまた古い写真を持ち出しましたね〜(^o^A;

うわぁ〜優美お姉ちゃん、若いですねっヾ(^∇^*ステキ〜

えっ?( ̄0 ̄;えっ?( ̄□ ̄;




2006.10.21 sat



これも最近入手したレコード、ワーグナーの「パルジファル」、ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団、歌手はテオ・アダム、ルネ・コロ、ギゼラ・シュレーターほか、1975年の演奏会形式によるlive録音。

旧東独Eterna盤LPのセットですね

うん、1975年といえばLPの時代だけど、国内発売はなかったみたいで、1993年頃Koch-SchwannからCDが出て、一般に知られるようになったんだな。その後Berlin-Classicsから再発売され、いまではこれが輸入shopの店頭に並んでいる。でも、録音が1975年だからLPでも出ていたんだろうと思って探していたんだよ(^^*

音質は、CDとはくらべものにならないくらいすばらしいですね(・・;びっくりです〜

音場感も音像の実在感も、オーケストラのちょっとした表情の再現もこのLPが傑出している。CDはKoch-Schwann盤もBerlin-Classics盤も到底かなわないね

CDが駄目ということではなくて、LPが良すぎるんですね

演奏は、響きは明るく速めのテンポで、とにかく透明度が高い、重厚壮大といったロマン的な情緒とは無縁なものだ。といって、最近多い低カロリーの演奏とも違う・・・深い内容を感じさせるんだよね。ワーグナー作品の演奏様式としては、戦後Bayreuthのクリュイタンス、ブーレーズといった流れの延長線上にあるんじゃないかな(^^*さらにケント・ナガノ・・・と

テオ・アダムの声がケーゲルの音楽造りとよく調和してますね

あのひとも意外と声は明るめだからね。あと、ルネ・コロもいいよね。だいたいこの役はあまり知的に歌い演じるよりも、いっそ白○美的なほうが・・・(笑)




2006.10.20 fri

フランスのヴァイオリニスト、ピエール・ドゥカン(Pierre Doukan)は、1927年生まれの幻の名手。なぜ幻かというと、30歳代そこそこで初期のEratoに4枚のLPを録音した後は、ぱったり録音をやめてしまったのですね。Hoffmannはかなり以前、このひとの名も知らぬまま、たまたまそのフランクを聴いて、以来この4枚のLPを探して見つけるたびに入手していたんですが、今般ようやく手許に揃ったので、記念に(笑)upしちゃいます。


左がフォレのヴァイオリン・ソナタ集、1957年録音でmono、右はフランクのヴァイオリン・ソナタとグリークのヴァイオリン・ソナタ第3番、1958年録音でstereo、いずれもピアノはテレーズ・コシェ。



左はルーセルのヴァイオリン・ソナタ第2番、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタほか、録音年は正確な記録が残っていないようで、1960年頃とされているstereo録音。ピアノはコシェ。右が今回入手したシューマンのヴァイオリン・ソナタ集、録音は1957年以前とされるmono録音。これのみピアノがフランソワ−ズ・プティ。




じつはかなり以前にCDで復刻されていたんですが、出たと思ったらすぐになくなってしまったようで、こちらも幻になっちゃいました。

オリジナルジャケットのデザインを採用していたんですね

ちなみにCD化の際に使用したマスターテープは、少々劣化しているようですね。

さりげなく自慢してますね〜(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2006.10.19 thurs

昨日のmonologueから―

>ただしいま聴くと、やはりまだツェドニクも若かったのかなあと思うところもありますね。

ほかのページで、別なある歌手について「いま聴くと・・・」と書いたところ、それを読んだ方からmailが来ました。ちょっと整理してみると―

評価が変化するというのは、「聞き手がかつては未熟でアラに気がつかなかった」ということなのか。「受け手は成長したり、変化したりする」わけだから、評価の変化は「当然ある」と思う、「ただ後になって加わった情報に影響されたとしか思えない書き方をする職業的評者はいただけない」、「確定した録音や映像の評価が変わるのは、再生装置あるいは受け手の変化が原因でしかあり得ない」のだから、「それがわかるような書き方が期待され」る。

―という内容でした(ちゃんとまとめたつもりですが、一応文責はHoffmannね)。

評価の変化というのはなかなかおもしろい問題を含んでいるので、ちょっとここで考えてみたいと思います。ただしHoffmannが関心があるのはあくまで自分個人の事情なので、その点についてのみ語ります(読んでいただければお分かりいただけると思いますが、Hoffmannは他人が下した評価には興味がありません)。

これまでHoffmannが語ってきたものを読まれた方なら、このあとの内容はおおよそ想像がついて、いまごろにやにや笑っているかもしれませんね(笑)もしかしたら、このサイトのあちこちからcopy(コラージュ)して、ほとんど同じ文章を作成できるかもしれない(^o^A;

いや、このmailをくださった方は、別にHoffmannに対して批判的な発言をしているわけではないのであって、Hoffmannとしても決して悪意はないことをここに強調したうえで・・・ちょっと気になったのは以下の件―「確定した録音や映像の評価が変わるのは、再生装置あるいは受け手の変化が原因でしかあり得ない」―というところ。これ、間違ったことをおっしゃっているわけではないのですが、「受け手の変化が原因でしかあり得ない」という言い方は、受け手の変化をおおげさにとらえすぎているような気がします。Hoffmannは猫の目のようにころころ変化しますよ。次の日には「やっぱりあれはおかしいよなあ」・・・で聴き直して、「いやあ、これでいいんだな」とか(^_^;ある時期はフルトヴェングラーの演奏を受けつけなくなったり、またある時期にはメンゲルベルク以外のレコードを聴く気がしなくなったり(^o^;;あれほど気に入っていたレコードなのに、ひさしぶりに聴いたら「なんだこれ?」なんて、ちっともめずらしくないことですよ(^0^A;;;

ついでに言っておくと、Hoffmannの場合再生装置によって録音の評価が変わることはあっても、演奏の評価が「変化」することはまずありませんね。なぜなら、CDの時代になってからは、ほんとうの意味での良質な録音というものがなくなってしまいましたからね。従って、むしろLPレコードで聴くのとCDで聴くのとの違いの方が大きい。でも、これとて演奏に対する印象にはあまり影響しません。録音(音質)がいいと演奏も多少よく聴こえる、といった程度です。

「かつては未熟で」「受け手は成長したり、変化したりする」というところには微妙に共感できません。Hoffmannは、人間の内面・精神が時間とともに成長するという前提は、ロマン主義時代の夢、誤解、幻想としか思っていませんから、むしろここに「退化したり」「未熟になったり」という例も付け加えて欲しいですね。Hoffmannは私見ながら、これまで音楽家の「退化」―むしろ若い頃の演奏の方がすぐれていたと思われる例を数多く挙げていますよね。とくに芸術に対する感受性なんてものは、若いひとの方が数段すぐれていると思っています。受け手がさまざまな作品や演奏に接した経験? 経験主義もおおいに結構、たしかにいろいろな演奏を聴いて受け手が「変化」することもあるでしょう。でもそれが盲目的に「成長」と肯定的なことばで定義できるものなのかどうか。繰り返しになりますが、Hoffmannは大家・巨匠などと呼ばれる老人の演奏を聴いて「解釈が深まっている」なんて感じたことは、めったにありませんね。むしろ、若い時分の演奏はよかったのになあ、と思うことがほとんどです。評論家にだって、耄碌してしまったとしか思えないひと(あるいは時代にとりのこされたひと、前世紀の遺物みたいなひと)、いますよ。Hoffmannを含めた「受け手」だって、そうかもしれません。

職業的評者(つまり評論家)は、もしも自分の評価が時間とともに変化したら、それは成長であり進化でなければ読者の手前、自分が困りますよね。だからかの「教祖様」はクナッパーツブッシュをご本尊にしたとたんに、それまでさんざん書いてしまったカラヤンのブルックナーのレコードに対する絶賛の批評について、言い訳をしなければならなくなったのですね。ひところ、あれは自分の間違いだった、ブルックナーを知るほどに気がついた・・・と、それは「いま」の自分の評価を正当化するためには絶対必要だったのでしょう。従って、評論家というものはおもしろいことに、もっとも(現時点の自己に対する)批判精神に欠けている人種なのですよ。逆に言うと、「確定した録音や映像の評価が変わるのは、再生装置あるいは受け手の変化が原因でしかあり得ない」のだから「それがわかるような書き方」を「職業的評者」に「期待」するというのは、現時点での自己正当化をしなさいと言っているようなもの。Hoffmann(が読む)なら「考えが変わりました」のひと言で充分です。(以前の評価に対して)言い訳がましいことを書いてあればあるほど、それは批判精神の欠如を意味します。もっとも、Hoffmannは、評論家というものが「聴かずに書いている」、「ただことばを並べているだけの」連中であると(決めつけていることは)、これまでにも何度も語っていますよね。

いずれにせよ、ころころ「変化」するHoffmannは、その変化を成長だの進化だの以前の判断は間違っていただのと、現在の評価を正当化する必要はまったくないので、言い訳しなければならないことはなにもありません。だからといって、別に開き直っているのでもなく、これからもいくらでも判断・評価は変わると思いますよ。むしろ一度下した判断・評価が、その後一貫して変わらないなんてひとがいたら、それはそれでたいそう立派なものですが、Hoffmannにはちょっと不思議と思えますね。これ、決して冷笑的に批判しているわけではありませんよ。でも、自分がそうなりたいとは思いませんね。

程度の低い評論家・・・というか、ごく一部のまともな評論家も含めて、Hoffmannは他人の批評を一切読みません。たとえ眼に入っても、信用しません(否定もしません)。個人的なことを言えば、Hoffmannは他人の意見にまるで耳を貸さない人間なのですよ(^^;;;;;これでもう少し、ひとの意見に耳を傾けるようであれば、多少は違った人生を歩んでいたものと思われるのですが(笑)もういちどことわっておきますが、アタマから否定もしないし、信用もしないということですよ。余談ながら、Hoffmannが「友人」と思っているひとの批評・評価は、信用に限りなく近く、参考にしておりますv(^o^*ぶぃっ!

それでもコドモの頃にはレコード雑誌なんぞ読んでいたんですが、たしかに評論家の書いたものの影響を受けているひとっていましたね。でもその影響は、カラヤンとくれば「人工美」、といった具合の、じつに表面的なものでしたね。無理もありません、だって、引用もとの文章を書いている評論家が、そもそも聴かずに書いている・・・その中身はといえば、「のびやか」とか「幽玄」なんてお決まりの単語の羅列で、文章にすれば「前者は細部のフレージングひとつひとつが完結した小さなストーリーになっており、それらの集積が大きなストーリーを構築している。後者はおなじみのモーツァルトのメロディが、ウィーン特有の三拍子のリズムに乗って踊り出す」―といった按配だもんね(笑)

そんなHoffmannの感想(批評とは言いません)ですから、わざわざことわらなくたって、だれかの批評を引用して受け売りしているのではないのです。もしも、だれかの批評を読んで影響を受けて、それで自分のなかで評価が変わったりするのかと問われれば、他人の批評なんか読まないし、信用もしなけりゃ否定もしないとしかこたえようがありません。むしろ、こういった質問の背後にある、Hoffmannを含む不特定多数のひとが、たとえば雑誌なんぞで他人の批評を読んでいるんだろうという前提が、そもそも理解できません。みなさん、雑誌に載っているような評論家のdisc批評なんてあんなクダラナイもの、読んでるんですか? いや、訊き方を変えましょう、評論家の文章って、読んで理解できますか? Hoffmannはたとえ読んだとしても、そのほとんどは見知らぬ他人の寝言と見えて、到底理解不可能なんですが・・・。

念のために付け加えておくと、評価ではなくて事実についての情報は、ふつうに信用しますよ。たとえば、ある音楽家が自ら招いた不摂生の結果駄目になったという情報があったとして、その音楽家の出来の悪い演奏を聴けば、「ああ、そうだったのか」と思います。これはふつうに信じますよ。そのあと、いやあれは病気だったんだという情報があれば、「なんだ、そうだったのか」と、これもふつうに信じます。でも不摂生も病気も、この眼で確認できるわけじゃない。ひとによっては信じたい情報、信じたくない情報というものがあるかもしれませんね(たとえば女の子が恋人の悪い噂を聞いて信じたくないというように)。Hoffmannはできるだけそうした自己の内部での(ほとんど無意識の)「情報操作」は避けたいと思っています。だからどちらもふつうに信じます。ここで「ふつうに」というのは、盲目的に信じるわけでもなく、あえて疑うわけでもなく、ことばどおりに受けとるということ。だから、ふたつめの別な情報を得て、「ダマされたーッ」なんて騒ぎもしないし、あるいは不摂生と病気の両方なのかもしれんなとは思うかもしれません。極端なことを言えば、もしもこの後さらに、いや病気というのは本人がそう言っているだけでホントは不摂生だったんだよという情報があったら、「へえ、そうなんだ」と思うかもしれません。繰り返しますが、他人の不摂生や病気なんて、証明書があるわけじゃありませんからね。ことばどおりに受けとるほかありません。なお、以上はあくまでたとえばの話です。そのうえで、これまた念のため付け加えておくと、ある歌手がロックを歌ったからといって、それが「不摂生」というネガティヴなイメージで呼ばれるべき行為であるとは思っていません。ただしあるピアニストが自殺未遂(リストカット)の結果、一時期ピアノが奏けなくなったという情報がほんとうなら、これは否定的にとらえるかもしれません。

感想そのものにしたって、いちいち思ったことをなにもかもすべて語っているわけじゃありません。オペラ全曲聴いて、ある歌手の声が何か所かひっくり返っているからといって、必ずしもその歌手がだめだと言うつもりはない(いわんやlive録音においておや)。でも、高音部にさしかかるたびにヘンな声を出していれば、「弱い」とか「不安定」なんて言いますね。それでもこの歌手には多彩な表情という別な魅力があったならば、「高音が苦しいが表情は多彩」と言うか、「表情は多彩だが高音が苦しい」と言うか、それはそのときにもっとも言いたいことはなんなのかによって変わります。なかなか美しい声を響かせ、しかし知的表現という点で不満がある場合、どちらに重点を置くか。声が美しい歌手の話をしているときには、後半の感想は省略しちゃうことだってあります。

そして批評言語について―

(作成中)


# まだ途中ですが、読み返してみたら、じつに個人的などうでもいい話であり、しかもほぼ全体が以前に語ったことの繰り返しにすぎないうえに、予期に反してちっとも「おもしろい問題を含んで」いないので(^_^A;期間限定とします。もしかしたら、いずれもう少しまとめて再upするかもしれません(しないかもしれません)。




2006.10.18 wed



以前にもちょっとだけ取り上げたことがありますが、シェロー、ブーレーズのコンビによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の序夜「ラインの黄金」で、火の神ローゲを演じているハインツ・ツェドニクです。

Hoffmannはこの歌手が大好きで、以前はこのひとの舞台写真を複写して部屋に飾っていたくらい(笑)、はじめてこのLPを聴いたときには、史上最高のローゲと思ったものです。この上演についてはその後LD、DVDでも出ており、そのメイキング映像では、ツェドニクは当初からシェローの演出に協力的だったとのこと。ツェドニクは「ジークフリート」ではミーメを演じていますが、「ラインの黄金」ではミーメに別な歌手を配し、あえてローゲを演じさせるというのは、わりあいよくあるパターンで、やはりローゲには万全を期したいという演出家と指揮者の配慮なのでしょう。抜群の演技力と性格的なテノールはこの上演に欠かせないものであったと思われます。

「ラインの黄金」でのローゲ、「ジークフリート」でのミーメといえばそれぞれがひじょうに重要な役どころですが、数々のdiscで聴く限り、これまで意外と歌手には恵まれてきたんじゃないでしょうか。

ローゲなら、ルートヴィヒ・ズートハウス、セット・スヴァンホルムやヴォルフガンク・ヴィントガッセンといったヘルデン・テナーを起用した例もあり、これはこれで興味深いのですが、なんといってもゲルハルト・シュトルツェという怪人(笑)がいます。新しいところではグレアム・クラークも忘れちゃいけません。それにペーター・シュラーアーなども(Hoffamnnの好みを別にして)おもしろい。この3人はミーメも歌っていますね。ミーメでは、古いところではパウル・クーエンがすばらしい。

それでも、このブーレーズ盤が発売になったとき、ツェドニクの歌には感服しました。当時「史上最高のローゲ」と思ったのは、(クラーク、シュライアーの録音はまだなく)ヴィントガッセンやシュトルツェさえも超えていると感じたということです。

ただしいま聴くと、やはりまだツェドニクも若かったのかなあと思うところもありますね。とくにアバドによるベルクの歌劇「ヴォツェック」(LD)での大尉役では、ほとんど鬼気迫る(?)俗物ぶりを演じて間然するところがなく・・・いや、これはこのひとのその後の進境を讃えるべきなのでしょうね。むしろHoffmannのなかで、その後シュトルツェ、クーエンらの再評価著しく、さすがにツェドニクもこれらの偉大な先輩歌手を超えたと言っては、贔屓の引き倒しになりそうだなと思うようになりました。もちろん、いまでも大好きな歌手ですよ。




2006.10.17 tues




画像はバイロイト音楽祭におけるパトリス・シェロー演出の「ニーベルングの指環」から。

1976年に100周年を迎えたバイロイト音楽祭は、パトリス・シェローに「ニーベルングの指環」の演出を依頼、当初こそ不評だったものの、数年間の再演のうちに演出は手直しが加えられ、ピエール・ブーレーズの指揮も充実の度を加えて、シェローとブーレーズとのコンビによる上演は、まさにWagner演奏(演出含む)の新時代の幕開けとして評価されるに至りました。

このころから歌手のパーツ化現象ということが言われるようになってきたようです。つまり、大物歌手やオーケストラが突出することなく、作品に対して全体の一部として奉仕する・・・あれ? そういえばカラヤンのめざしていたのもそんなやり方だったようですね(笑)

かつてはアストリッド・ヴァルナイとかビルギット・ニルソンといった大歌手が存在しており、オペラの観劇といえば、そうした大歌手の名人芸を愉しむものであるという傾向がありました。ところが、Wagner上演に限って言えば、ヴィントガッセン、ニルソン以後、とくにヴィントガッセンのようなヘルデン・テノールの人材は冬の時代を迎え、その冬の時代が明けたのはまさにバイロイト100年祭のころ―これはちょうど演出が新しくなりはじめた頃と時期が一致しています。

突出するような歌手がいなくなったから、無理矢理にでも演出の革新を必要としたのでしょうか? おそらく、このふたつの要素はパラレルの関係にあるのだと思います(ついでに言うと、AV時代の幕開けもこのころ)。その結果、劇も歌も音楽も、互いに浸食することがない、まさにWagnerのめざした総合芸術(Gesamtkunstwerk)が実現したと見ることもできるでしょうね。

Hoffmannはこうしたオペラ上演の流れを見ていると、いつも文学史の流れを連想するんですよ。

たとえばギリシア悲劇において、アイスキュロスからソフォクレスを経て、エウリピデスに至った流れ。あるいは探偵小説、江戸川乱歩がその亜流を数多く生み出し、やがて松本清張へ、つまり社会派(と呼ばれるもの)へと至った流れ。恐怖小説のポオからラヴクラフトへの流れというのもありますね。

あえて説明付けるとすれば、抽象から具象への変遷です。抽象的に還元されることで本質構造が見えてくる、ということがあるわけで、これをなぜ「還元」というのか―つまり時代はその逆方向に進んでいるのですね。すると、ギリシア悲劇や探偵小説は俗世を描いた社会派へと(いささかの皮肉を込めて言えば)進化してゆき、ここにおいてはテクニックばかりが重視されて、人間精神の根元的なところに関わるような美学はなおざりにされます。恐怖小説は審美から形を持った恐怖へと進化する、つまりモンスターが登場して、自ら墓穴を掘ってどんづまりの行き詰まり(笑)

Wagner作品の上演に話を戻せば、過去の劇が象徴的・抽象的な演出(たとえばヴィーラント・ワーグナー、ヴォルフガンク・ワーグナー、それ以前の神話・伝説そのものとしての演出)であったとすれば、現代の演出はこれを具象化しているとも言えますよね。卑近な例を挙げれば、日本国憲法を漫画にして読みやすくしたようなもの。理解しやすい? いえいえ、あれはひとつの「解釈」なんですよ(笑)つまり現代の演出は、いわゆる「読み替え」の手法も含めて「読み解き」そのものですから、観る側、聴く側はこれを押しつけられて受け入れるのみ、つまり受け手は追認するよりほかになすべきことがない。

もはや素材は入念に調理されて皿に盛りつけられてしまった、というわけですね

だから人形かなんか出して、演出家自ら「あれはドッペルゲンガーでござい」なんて解説をしなければならなくなるんだよ

2006.10.04 wedで取りあげた「ペレアスとメリザンド」ですね(^^;

・・・で、現代の演出の暴走はとどまることを知らず、レミングのように闇雲に突き進む・・・最近じゃ音楽も劇も信じていないような演出家が、その演出でそもそもオペラを否定している・・・これは21世紀のDADAなのかと(苦笑)

Wagnerにしろ、Mozartにしろ、音楽はおいてけぼりですね〜


これじゃショーペンハウアーも嘆くぞ(^o^;




で、出る!

ttp://dvd.eigaseikatu.com/dvd/192833/




ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4054024998.html

こういう軽薄な表題の本は長く売るつもりがないか、もしくは長く売れるだけの内容がないんでしょうね・・・と判断しますね〜

軽薄というより下品だな(-_-メ

ttp://www.maruzen.co.jp/shop/item_detail.html?item_cd=MJ04099589&category_cd=30150140270

こっちを見ると・・・「日本の『カメラ戦国志』を乳房に描写!」ってあるよ!(笑)
(((*-_-)σ)~0~)/プニッ♪




2006.10.16 mon



本日はアルフレッド・ヒッチコック監督による渡米後の第一作、ダフネ・デュ・モーリア原作の「レベッカ」“Rebecca”(1940年米)です。

これはまた昨日とはぜんぜんタイプの違う映画ですね〜(^o^A;



ヒロイン(ジョーン・フォンテイン)が、リヴィエラ旅行で英国紳士マキシム(ローレンス・オリヴィエ)と出会い、彼の後妻としてイギリスの屋敷にやってくるが、その屋敷には前妻レベッカの見えない影が・・・という、有名な映画ですね。

ローレンス・オリヴィエも、過去を背負ったいわくありげな貴族を演じてみごとなのですが・・・



・・・フォンテインが美しいばかりでなく、夫の幸せを願う新妻ぶりがなんともけなげで、感情移入しやすいからドラマを盛り上げているですね

ちょいと男性の側から創造したキャラだなとは思うけど・・・

あら、でも原作者は女性ですよ(・・*

そっか(笑)それはともかく、たしかにきれいだよね〜(^^*


あの肖像画の衣装を着て登場するシーンは、びっくりするくらい可愛いですよね(^^*

いや、個人的には普段着のカーディガンを着ているほうが好きだけどね(^o^A;ヾ(^∇^*「ふだん着ふぇち」ですねっ♪



ヒッチコックらしい心理サスペンスと意外性は、いま観ても決して古びていませんね。もちろん、女中頭を演じるジュディス・アンダーソンがドラマを引き締めているのは言うまでもありません。



ちょっとしたユーモアも・・・。

私は随所に現れる「R」の文字(前妻レベッカの頭文字)の、フェティッシュな効果がさすがヒッチコックだと思います

Hoffmannさん、お届けものですよっヾ(・∇・*(^m^*)クスクス

えっ、またなにか来たの?((((*^o^)

はやくはやくはやくヾヾヾ(・∇・;;;ホラホラ・・・




(>。<;;)))))きゃー  ヽ(^o^*ほらほら・・・ヾ(^∇^*ホラホラ〜♪




2006.10.15 sun


「サロン・キティ」“Salon Kitty”(1976年伊・仏・独)です。

2006.07.19 wedに紹介した「カリギュラ」と同じティント・ブラス監督、出演はヘルムート・バーガーのほか「カリギュラ」で姉ドルシラ役を演じたテレサ・アン・サヴォイ・・・ということで興味を持って観たんですが・・・。

ナチス将校ヴァンベルクは高級娼婦を集めた「サロン・キティ」を掌握し、娼婦に客の行動を逐一報告させ政府要人の性癖を掴み、これをネタに権力の座へのし上がろうとするが、自らも娼婦のひとりマルガリータに溺れ、(いろいろあって・笑)やがて復讐を受ける ・・・というスト−リー。なんでも本邦公開時は「ナチ女秘密警察/SEX親衛隊」というタイトルで、ポルノ扱いだったんだそうですが、いずれにしろたいした映画ではありませんでした。

video発売時は「鉄十時の愛人」というタイトルだったそうですよ〜(^o^;


退廃的(デカダン)なムードはヴィスコンティに遠く及ばず、性に関しても特別な倒錯は描かれていません。テレサ・アン・サヴォイも重要な役どころをこなしきれず、とはいえこれは脚本が中途半端なので女優ばかりを責められない、ヘルムート・バーガーも、権力欲に憑かれた狂気が演じきれず、ただのイヤミな男にしか見えません。従って、結末へ向けての効果がまるでなし。

ラストシーンの空襲下での「哄笑」がまったく活きていませんね〜

テレサ・アン・サヴォイも演技があまり・・・(^^;

最小限の台詞で内面を表現するだけの演技力があるとも思えませんね。でも、この脚本ではマルゲリータって、ただの「組織内の良心」でしかありませんからね

たしかに、個人としての内面が見えてこないね


唯一いい雰囲気を醸していたのが、この歌(ショー)の場面・・・まあ、この映画、観なくてもよかったですね(^^;

シーンごとに観ていると、絵になるなあというカットが結構あると思いましたが・・・(^o^;キャプチャしてませんね

退廃ムードはヘルムート・バーガーがこのひとの独特のオーラを終始発することなく空振り、あとは音楽に頼るだけだもんね(^^;脇役は存外よかったね




2006.10.14 sat

古本屋で100円均一の台から―


“Phantom of The Soap Opera”Judi Miller(A Dell Book;1988)

表題は、サイレント時代から何度か映画化され、最近ではミュージカルでよく知られている、ガストン・ルルーの「オペラ(座)の怪人」をもじったもの(パロディ)だね。冒頭に引用もあるし・・・

ストーリーはどういったものなんですか?

何ページか読んだけど・・・ばかばかしくなってめんどくさくなって中断(笑)


裏表紙の紹介文ヾ(^o^;

“Soap Opera”を英和辞典で引くと、アメリカ口語で、「[主婦を対象とする昼間の]連続ラジオ[テレビ]メロドラマ(はじめ石鹸会社がスポンサーだったことから)」と解説されていますね

ためしにカタカナで検索したら、とんでもない「お店」にヒットしちゃいました(^o^A;;;あわわわわ・・・




2006.1013 fri

先日、DG(ドイツ・グラモフォン)のdiscに優秀録音はほとんどない、と言いました。これまでこのmonologueをお読みになってきた方ならおわかりと思いますが、Hoffmannは「いい録音=新しい録音」、「悪い録音=古い録音」とは思っていません。また単純に周波数レンジが広い(高音から低音までの幅が広い)、あるいはダイナミックレンジが広い(弱音から大音量までの幅が大きい)と、それだけで優秀録音であるとも思っていません。

悪い録音というのは、楽器の距離感に異常のあるもの。ソロになるとその楽器が手前にせり出してくるなど、論外です。そこまで極端でなくても、奥行き感がなくて各楽器が横一列に整列しているように聴こえるものは多いんですね、というか、たいていの録音はそうです(ただしスピーカーの間に音像が浮かばず、音が2本のスピーカーにへばりついて離れないのであれば、これは録音の問題以外にスピーカーそのもの、またはセッティングに問題があります)。また歌謡曲やシャンソンの録音によくある、歌手の口が2本のスピーカーをまたぐような大口(ビッグマウス)になるものも(とくにクラシックの場合は)駄目。

高域が伸びているようでいて、じつは中高域が電気的に持ち上げられているだけの録音、低域がスッパリ切れていて、単に中低域がブヨブヨしているだけの録音というのもよくありますね。これは写真で言えばコントラストが高いのと同じです。小さいプリントで見るのなら、その方が見栄えがいいですよね。装置も小型(たとえばラジカセ)で、もともと重低音なんか再生できないのであれば、その部分は切り捨てて、中高域や中低域を持ち上げた方が、たいていのひとには「うわあ、すごい高音の伸びと重低音!」と聴こえます。

オーケストラなら、ある程度の距離感があって、全体がブレンドされたハーモニーを聴かせる録音がHoffmannは好きです。歌手だって、ちゃんとステージに立っていて、そこで歌っていれば、大口に聴こえるはずはありません。でもそういった録音というのは、あまり派手さがないんですね。ある程度大きめの装置(スピーカー)で、音量もそこそこ出さないと聴き栄えがしない。一方、マイクを林立させて後で調整して各楽器の分離をよくしようとすれば、先ほどの悪い例のように距離感がおかしくなるんですが、小型の装置で小音量で再生するなら、このほうが「うわあ、細かいところまで鮮明な録音!」と聴こえるんですね。これまたデジタルカメラでシャープネスを強くかけるのとよく似た効果です。

その意味では「悪い録音」と言うよりも、装置に合わせた音造りと言うべきなのかもしれませんが、小型でも良質な装置なら、あるいは、すぐれた録音をある程度聴き込んだら、もう小型の装置でも、加工を施して不自然になった録音というものはわかっちゃいますからね(小型の装置(たとえばスピーカー)がだめだということではありません。当然大型ならいいというものではなく、また小型には別なメリットがありますが、これについては股の機械またの機会に)。

むしろ少々古い録音―1960年代前半あたりまでの録音の方が自然(まとも)な場合が多いんですね(1960年代からさんざん音をいじっていた会社もあれば、1970年頃に頂点を迎えた会社もあり、マイナー・レーベルになるとまた話は変わります)。録音の良し悪しについて論じるときに「高音が・・・」「低音が・・・」と、そればかり注目するのは、上で言ったような勘違いも多く、はっきり言って幼稚です。

自称、若い頃にオーディオに興味があった、入れ込んだ、という高齢者にそういったひとが多く、オーディオショップで声高に自分の装置を自慢しているのはたいてい「高音が」「低音が」ですね(笑)。そんなひとにつかまるとたいへん、「チミはスピーカー、なにを使っとるのかね?」、相手はなにしろ超能力者ですから、うっかり返答すると、聴いたことも見たこともないアナタの装置と部屋について、「中低域の吸収に問題がある、音がこもりがちだろうからこうしなさい」、「アンプはああしなさい、さすれば高域の音が改善されるであろう」だのと、エライことになりますよ〜(^o^A;

HoffmannさんはH社のスピーカーをメインでお使いになっていた頃に・・・

中古レコード屋さんでね、ほかの客(50〜60歳位?)から「キミはなにを使ってんの?」「H社の○○ですけど・・・」「あぁ〜、そんなモンじゃ思ったような音、出ないでしょ(フン)」「聴いたことあります?」「ないけど(オホン)」

(^o^;;ふは〜

信じられないかもしれんが、実話だ(苦笑)



小細工無用( ̄ω ̄*

# 最近では途中から話がそれてもなんとも思わなくなってきましたな〜(^o^A;




2006.10.12 thurs

2006.10.08 sunで、ドビュッシーの交響詩「海」のレコードをいくつか紹介しましたね。その後も、棚に見つかったLP、CDを次々と聴いていまして、なんだかあれだけだと中途半端で気になるので、引き続きご紹介―

今回は優美が喋ってよヾ(^o^*

えぇ〜、私が、ですか?σ(^o^;


まずはLP、左からジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の米Epic盤で1963年の録音、真ん中がグイド・カンテルリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の英World Records(EMI)盤、1954年録音、右がエドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の仏Philips盤で1957年録音、カップリングされた「夜想曲」とともに、ベイヌム初のstereo録音だそうだよ・・・・・・はいっ、優美さん、どうぞ(^o^)ノ

(笑)えーと・・・セル盤は即物的というか、あまりにもストレートな表現で・・・録音が高域上がりなのも不利なんですが、音色の変化にも乏しくて陰影に欠けるところが物足りないですね。カンテルリもあまり情緒的ではないんですけど、線が太くて、意外と濃厚な表情を醸しているのが印象的です。ベイヌムはいいですね。オーケストラの音色はやや渋めでコクがあって、それがとても魅力的です。派手さはないのですが、録音年代を考えればかなりモダンな感覚ですね。いまでも充分通用する好演だと思いますよ


LPさらに2点、左はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1964年録音のDGG盤。これ、ジャケットデザインは「牧神の午後への前奏曲」に合わせたものだろうけど、なかなか味があっていいよね(^^*右はシャルル・ミュンシュ指揮フランス国立放送局管弦楽団録音はたしか1968年だったかな・・・この盤はFestival Classiqueというレーベルの仏盤だけど、もとは当時スイスに本部があった、レコードの通信販売会社コンサートホール・ソサエティによって製作された盤(録音)だね

カラヤン盤はいかにもカラヤンらしい流線型の演奏ですね。後のカラヤンのイメージからすると、意外なくらい嫌味な感じはしませんでした。録音はむしろ1970年代以降のものよりも抵抗なく聴けますね

この録音はベルリンのイエス・キリスト教会で行われたものだね。カラヤン、ベルリン・フィルは1972年頃から録音会場をフィルハーモニーホールに移しているね

ミュンシュ盤は・・・コンサートホール・ソサエティ録音って、どこでも絶賛されているカール・シューリヒト指揮によるモーツァルトやブラームスの交響曲のレコードと同じ会社ですよね


・・・そうだね

補助マイクを立てて適宜これを利用するのは1960年代以降なら常識なのでしょうけれど、あのシューリヒトの一連の録音はひどすぎますよね。ソロになるとその楽器が眼前に定位するんですよ。全合奏になるとオーケストラ全体が奥に引っ込んで・・・あれでは、各楽器―とくにソロのバランスなど、いくら想像をたくましくしても指揮者の意図や本当のところはわかりっこないですね。正直言って、演奏云々する以前に、聴くに耐えませんでした(-_-;

例のDeccaのショルティによる「タンホイザー」と同じだね(笑)

このミュンシュ盤も、やはり似たような録音上の操作はところどころ行われているようですね。それでもシューリヒトの録音にくらべれば、まだしもまともな方でしょうか・・・奥行き感がなくて、オーケストラ全体が2本のスピーカーを結ぶ線上に一列に並ぶの録音というのはよくあることなので、大目に見るとして・・・ミュンシュらしくフォルテシモでは大荒れ、そういった箇所ではノリノリなんですけど、細やかなニュアンスというのはあまり興味がないみたいでほとんど奏者まかせの素通りですね。この音楽の勢いには、それなりの良さもあるとは思うのですが・・・

続いてCD―



ヴィクトール・デ・サバタ指揮ローマ聖(サンタ)チェチリア音楽院管弦楽団、1948年の録音。Testamentの復刻CDだよ

なんとも個性的で・・・主旋律以外の副旋律(?)とか、リズムの刻みがやたらと耳につきますね、不思議なバランスです。弦楽器のはなはだしいポルタメントはさすがに古さを感じさせる・・・というか、ほとんど異様ですね〜(^o^A;ここまでされると・・・



これはカール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団、1952年の録音・・・

この指揮者は、とくに引き締まった響きが特徴的ですね。フランス音楽は比較的めずらしいレパートリーではありませんか?

そうだね。でも、フランスのオーケストラとのレコーディングは多いんだよ

響きをふくらませないので透明度が高く、速めテンポと相俟ってリズムが鋭く感じられますね。どちらかといえば客観的な指揮者なのかもしれませんが・・・かなりテンポを動かして、ときにじっくり歌ってみせたりもするのに、それが恣意的な印象を与えず、キマってるんですね(^^*経過部ではたいていテンポを速めてさっさと通り過ぎてしまうあたり、やはり旧世代の指揮者らしいですね。終わり近くで間違いか金管の音型がおかしいのと、ソロが一部ヘンな音を出しているなどの問題もありますが、これは好きな演奏です



お次はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。これは1994年、ジュリーニ3度めの録音だね

Hoffmannさんは先日、「晩年のジュリーニに特徴的な遅いテンポとゆったりふくらませた響き」とおっしゃっていたんですが、この時期に至ると、どことなく響きのふくらみが後退して、でもそれは室内楽的というよりも、音が痩せてきたような気がするんですよ。その点に関しては、なんだか晩年のカラヤンと同じ歩みと思えるんですが・・・(・・;ほんとうに意図してこうなったのか・・・?

最晩年のカラヤンねえ・・・(-_-*う〜ん

演奏はやっぱりHoffmannさんと同意見で、細部のニュアンスがマスクされてしまっていると感じます。ジュリーニさんは最初の録音がいちばんいいですね(^^*当時にして相当の貫禄ですけど・・・




レナード・バーンスタイン指揮ローマ聖(サンタ)チェチリア音楽院管弦楽団、1989年の録音・・・

バーンスタインは1990年に亡くなっていますから、最晩年の録音ということになりますね。マーラーやチャイコフスキーほどには、感情移入の激しい、響きの重い演奏ではありませんが、それでも遅めのテンポで、細部における濃厚な表情付けが個性的ですね。鮮烈な響きではないので、金管も刺激的音を出していないように聴こえます。むしろ、どことなく塗り重ねた油絵風のこってり感がありますね・・・響きが極端に重くならないのは、オーケストラの選択による狙いどおりというわけでしょうか。録音のせいか、ヴァイオリン、ヴィオラが浮き上がって聴こえて、深々とした響きが聴き取れないんですが、私はこの演奏、好きですよ(^^*

高域の弦楽器が腰高に聴こえるというのは、オーケストラのせいじゃないかな



ジャン・フルネ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、Supraphon原盤の国内CD。1963年の録音だ

オーケストラは一流ではないですね。ソロのちょっとひなびた音色はおもしろいのですが、あまり上手くはないみたいですね(^^;弦楽器の響きに厚みがないために、全体に高域寄りのバランスで、どこか表面だけ整えたように聴こえてしまいます



ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団、1955年録音、Mercury原盤のCD化されたもの・・・

これもオーケストラの技術は一流ではないんですが、なかなかにフランス音楽らしい響きと歌い廻しで、違和感がありませんね。指揮者の実力でしょうか・・・録音は独特で、やや粗いのですが、生々しさもありますね



こちらはミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトル管弦楽団、1988年の録音とある。このジャケットデザインはいいね(^^*

これは、いい演奏だと思いますよ。万人に受け入れられやすい、フランス音楽らしい上品な演奏じゃないですか? 欲を言えば、この作品は、もう少しスケールの大きい音楽だと思うのですが・・・この演奏に限りませんけれど、指揮者のみなさん、きれいごとですませちゃってる方が多いみたいですね〜(^^A;

こぎれいにまとめちゃってる?(笑)



ジェフリー・サイモン指揮フィルハーモニア管弦楽団、1990年の録音で、CALAから出たCDだね。ジャケットのデザインはドビュッシーにふさわしくない!(笑)

ジャケットはともかく(笑)・・・これといって強烈な個性があるわけではないんですが、モダンな感覚がいいですね。フランス音楽であることをことさらに意識していない、肩の力の抜けた演奏は好ましいですね。オーケストラの音色も魅力的です(^^*



マックス・ポンマー指揮ライプツィヒ放送交響楽団、Capriccioから出たCDだね。録音は表記がないけどたしか1988年頃じゃなかったかな・・・

まだあるんですか・・・(^o^A;;フウ

ポンマーはバッハやヘンデルの、たいへんすぐれた演奏を録音していますが、近代〜現代作品も得意にしているみたいですね。指揮者やオーケストラから、折り目正しいドイツ的な演奏を想像しましたが、ドビュッシーとして決して場違いな印象はなく、これもいい演奏だと思いました。やっぱり実力のあるひとはなにをやっても・・・じつは、ほかの収録曲のなかには、ちょっと硬いかな、と思うものもあったのですが、この「海」に関しては、フランスのオーケストラよりも、かえって各部での響きの重層的なおもしろさが伝わってきたような気がします。外国語が、その言語のネイティヴが喋るよりも聞き取りやすいみたいなものですね(笑)


この3点は、デジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送局管弦楽団による演奏だね。左は1954年録音のDucretet-Thomson原盤をTestamentが復刻CD化したもの。真ん中も同じもので、こちらは仏PatheがLPで出していたもの。右はDisques MontaigneのCDで、1962年の録音だよ。ちなみに先日聴いたErato盤は1958年の録音だったね

Hoffmannさんは、Ducretet-Thomson盤そのものはお持ちじゃないんですか?

高くて買えないよ(^o^A;

演奏は―先日聴きました1958年録音のErato盤も含めて―どれもすばらしいものですね。ほかの指揮者がこんな表情を付けたら恣意的に聴こえてしまいそうなところですが、「心の欲する所に従えども 矩を踰えず」の境地でしょうか。やはり、作品に対する共感でしょうね。演奏はほぼ同等ですが、オーケストラは1962年の方がノリがいいみたいで、その代わり、ややせかせかして聴こえる部分もあります。1954年の方が落ち着いた印象ですね

1962年のDisques Montaigne盤はlive録音だからかもしれないね。たしか、Ducretet-Thomsonはliveじゃなかったと思うよ。それに、新しい方はさすがに録音がいい

たしかに、ソロの表情などは新しい1962年の方がわか
りやすいですね。当時名手揃いだったこのオーケストラの、とくに木管楽器の音色を愉しむなら、この盤が最適かもしれません。

先日の1958年のlive録音であるErato盤LPは、録音が良好で、しかも演奏も―とくにオーケストラの響きが充実しているのですね。ソロが浮き上がらないで全体のハーモニーで聴かせる傾向も、これはこれでとても魅力的ですね。それぞれに良さがあって、甲乙つけ難いところです。

Ducretet-Thomson原盤のCDとLPをくらべると、CDの方が細かい音が明瞭なようですが、LPの方が微妙に奥行き感が感じられて、どちらをとるか、これはお好み次第だと思います。一般的にはCDの方が好まれるだろうと思いますが・・・。あと、この録音は最後の音の残響が一瞬のうちにfade-outするんですよ。気を付けていないと気がつかないんですが、これはLPもCDも同様で、残念ですね

Disques MontaigneのCDとEratoのLPは最後に拍手も入っているね




2006.10.11 wed

「ペレアスとメリザンド」の次はどのオペラを取りあげる予定ですか?(^^*

まだ全部は取りあげていないんだけど・・・モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」かな・・・その次がワーグナーの「ニーベルングの指環」、続いてオペレッタでオスカー・シュトラウスの「ワルツの夢」、ケルビーニの「メデア」・・・

えっ、「メデア」のdiscなんてお持ちでしたっけ・・・?

・・・それから「アルレッキーノ」(ブゾーニ)・・・はやめといて、「悪魔のロベール」(マイアベーア)にしよう。そのあとは「ルル」(ベルク)、「ルサルカ」(ドヴォルザーク)、「刀鍛冶」(ロルツィング)・・・

あ、あの〜(・・A;;どういった選択基準なんですか?

どうって(笑)・・・「ジュリオ・チェーザレ」(ヘンデル)、「レニャーノの戦い」(ヴェルディ)、「イスの王様」(ラロ)、「マルタ」(フロトー)、「タイース」(マスネ)、「スペインの時」(ラヴェル)、「吸血鬼」(マルシュナー)・・・「期待」(シェーンベルク)、「イドメネオ」(モーツァルト)、「オテロ」(ヴェルディ)、「ロメオとジュリエット」(グノー)、「トロイ人」(ベルリオーズ)・・・・・あっ、「ん」で終わっちゃった!( ̄□ ̄;;;

(/_ _)/ドテ




2006.10.10 tues



ひさしぶりの登場ですね〜(^o^;;



ですね〜ヾ(^∇^*

さて・・・(-_-*

さてさて〜(^o^*

さてさてさて〜ヾ(^∇^*

ひさしぶりにクイズでもやりますかね〜(^^*次の映画のタイトル(邦題)は?

(一応メジャー篇)

1 「黒眼鏡」、「日本人」、「箱に入った性玩具」といえば、この映画は?

2 エイズで亡くなった俳優が、自称「蝿も殺せない女」を演じた映画は?

3 パロディの巨匠が監督・主演、喋らないはずのひと「だけ」台詞がある、この映画は?

4 木に登って「女がほしーい」と叫ぶおじさんを迎えに来たのは小柄な看護婦・・・この映画は?

5 実在した異端審問官が悪役で登場、「おいおい、おれはこんな死に方してないよ」、この映画は?

(結構マイナー篇)

6 古書店勤務の彼女が読んでいた恐怖小説の奥付には「ノンフィクション」とあった・・・この映画は?

7 畑で人間を栽培して、熟すのを待っている豚仮面オヤジが登場する映画は?

8 「ゾンビとして生き、死してなおゾンビとして生きる」というヘンな設定の女が登場して裸踊りをする映画は?

9 彼女はあるロック歌手のファン、終盤はその女の子の無言の食事シーン・・・この映画は?

10 女子大生失踪事件。70分中本筋は30分、史上最低の呼び声高いこの映画は?(その筋ではメジャーかも?)




2006.10.09 mon



デジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送局管弦楽団による仏Barclay盤です。歌手はミシェリーヌ・グランシェル、カミーユ・モーラーヌ、ジャック・マーシュほか。1963年のlive録音。



ちなみにこちらはDisques Montaigneから出ていたCDで、1962年のlive録音です。歌手は一部異なり、主役3人はグランシェルが共通で、あとはジャック・ジャンセンとミシェル・ルーです。

Barcay盤の録音はCD化されたことがないんですね

仏Barcley盤はその後一度も再発されていないみたいだね。おそらく原tapeも失われてしまっているんじゃないかなあ・・・となると、今後CD化するとしたら、いわゆる「板おこし」(レコードからCD化)で行うほかないということになる



アンゲルブレシュトの「ペレアスとメリザンド」は、最近抜粋ながらあらたな録音が発売になりました。これは“Suzanne Danco 2/Debussy, Ravel, Satie”と題されたCDで、シュザンヌ・ダンコの録音を集めたもの。このなかに、第2幕第1場(演奏時間7分)、第3幕第1場(11分)と第4幕第4場(14分)の抜粋が収録されています。歌手はカミーユ・モーラーヌ(ペレアス)とモーリス・ド・グロー(ゴロー)、フランス国立放送局管弦楽団の演奏で、1952年4月29日の録音です。

じつはHoffmannはこのCDを某大型店で見かけていたものの、どうせ編集ものだろうと、収録された録音をろくすっぽ確認もしていなかったのですね。その後、Die Toteninselさんがbbsに「アンゲルブレシュトの『ペレアスとメリザンド』の新音源が、抜粋ながら優秀な録音でリリースされている」と書き込んでくださって、あわててshopで購入してきたものです。

Die Toteninselさん、どうもありがとうございました(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪Hoffmannさん不注意(笑)

アンゲルブレシュトといえば、1958年の「ペレアスとメリザンド」日本初演のために招聘しようとしたところ、高齢を理由に辞退、代わりにジャン・フルネを推薦したんですね。このときペレアスを歌うために来日したのがジャック・ジャンセンでした。



さて、演奏は基本的に1962年と1963年は大きな差はありません。オーケストラが同じにもかかわらず、Disques Montaigne盤(以下DM盤)の方が木管のソロなどひなびた味わいがあると感じられ、1963年のBarclay盤の方が音色が洗練されていると聴こえるのは録音のせい? どちらかというとDM盤の方がホールの残響も聴き取れて鮮明なんですが、Barclay盤はオーケストラ全体の響きのバランスがよく、ソロもはみ出さないといった印象です。このあたりは好みで、DM盤の方がステージ感があっていいというひとが多いかもしれません。その意味ではDM盤の方が表情の振幅が大きく聴こえます。

私はソロが点描画のように浮き上がってくるDM盤が好きですね〜

リズムは前進するための推進力ではなく、ときどきその場で立ち止まるかのよう・・・なのは作品がそうだからなんですが、それでも流動性のロマンで一貫して聴かせる指揮者もいますからね。

昨日の「海」にくらべると、緊張感がいま一歩と感じるのですが・・・

まあ、長丁場のオペラだし(笑)・・・高齢による衰えでないとも言い切れないけど(^^;ただ、凝集力というものではないね。ここでのアンゲルブレシュトの音楽造りは・・・というよりドビュッシーの音楽自体が、「展開」して中心に向かっていくと言うよりも、「解体」してうつろいゆくものじゃない?(^^*

なんだかワーグナーのライトモチーフへの抵抗みたいですね〜(^o^;

個人的には、たとえばベートーヴェンの「田園」交響曲みたいな書き割りの情景描写に対して、「海」のような時間軸での変化・うつろいを表現したのがドビュッシーならではだと思うんだけどね。その意味では印象派絵画のように、瞬間の描写はドビュッシーとはあまり縁がないんじゃないかな

時間軸ですか・・・そういえば小説の登場人物も、その性格・人格が時間とともに変化していくのはプルーストあたりからですね(話がそれまくりですよ〜(^o^;)

ちょっと聴くとかなり主情的な演奏のようですが、おそらくアンゲルブレシュトは、当時としては客観的な音楽造りの指揮者だったんじゃないでしょうか。

いま聴くとやはりロマン的な身振りも感じられますね。といっても没入型ではなく節度を保ったもので、どことなく硬質な響きはクリュイタンスや後のマルティノンにも通じるものだと思います。どうも、とくにクリュイタンスやアンゲルブレシュトといった指揮者は、響きをあたかもオブジェのように(旋律から)自立させてしまうようなところがありますね。

横に流れるよりも、響きの集積が音楽になっているといった印象だね

そうした印象であるというのは、「硬質な響き」という感じ方とパラレルですね

ボドやジョルダンが中間色で微妙な色彩変化を表現していたのに対して、アンゲルブレシュトは原色を用いる、と感じさせるのは、やはり―とりわけ管楽器の―ソロだね

そんなところもクリュイタンスに似ているんですが(クリュイタンスが似ているのか)、それが華麗な極彩色となるのがラヴェルを得意としたクリュイタンス。華麗になりすぎず、点描画のように原色が浮かびあがるアンゲルブレシュトは、やはりドビュッシーがすばらしいんですね。

歌手はどちらの録音も、いずれ劣らぬ優秀なものですね。歌手のアンサンブルという点ではこの2種はほかの盤にくらべてもとくにすぐれたものです。DM盤のジャンセンも、クリュイタンス盤ではあまり良くは言いませんでしたが、こちらの方がいい出来です。

クリュイタンス盤の方が1956年の録音なのに、この1963年の方が声が若く聴こえますね

ただHoffmannはモーラーヌが好きですね。グランシェルはこれといって強烈なインパクトのある歌を聴かせるわけではないのですが、メリザンド役にはぴったりですね。ほかの歌手ともども、アンゲルブレシュトのスタイルによく合っていて、アンサンブルからはみ出るひとがいないのは、このふたつの録音の大きな長所です。

Barclay盤で残念なのは第3幕や第4幕の終結部、拍手をカットするためでしょう、最後の音が完全に消えないうちに(カッティングされている録音が)フッと切れてしまいます。

第1幕と第2幕の後は続けて演奏されたためでしょうか、会場のざわめきが入っていて、第5幕の最後には拍手も入っていますね。なにも無理に拍手をカットしなくてもよかったと思うのですが・・・

まあ、このレコードに限ったことじゃないので仕方がないね(いや、いまどきならその部分だけゲネプロの録音でも使って編集しちゃうかな)。ただ、原tapeが残っていなかったとしたら、この部分はもう元には戻せないわけだね




2006.10.08 sun



クリュイタンス、フルネ、デゾルミエール、アンゲルブレシュトと、フランス系の指揮者でも主要なひとが「ペレアスとメリザンド」の全曲録音を残してくれているのは嬉しいですね。録音していないのは、シャルル・ミュンシュ(そもそもオペラの録音がありましたっけ?)とかピーエール・モントゥーあたり・・・ただしモントゥーには、各幕の前奏曲と間奏曲を振った録音がありました。上のお写真は米ブルーノ・ワルター協会盤が原盤の国内プレスLP。オーケストラはボストン交響楽団です。1957年1月19日録音と表記されており、最後に拍手が入っているlive盤ですね。

音質はあまりよくないのですが、さすがモントゥー、アメリカのメジャーオーケストラからいい音色を引き出していますね。早めのテンポで、前半はややあっさりと進められていきますが、だんだん興が乗ってくるのがわかります。

でもこうして前奏や間奏を取り出して聴いてもね・・・(^^;

そういった音楽ではありませんね。だからこの演奏でも、後半熱がこもってくると聴こえるのは、やや無理をして起承転結を付けたようなところがあるためじゃないですか?



さて、昨日アンセルメのdiscを聴いていて、無闇にドビュッシーの交響詩「海」が聴きたくなって、手許のLP盤をあれこれ聴いてみましたよ。寄り道が多くてすみません〜(^o^;;

上はアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団によるドビュッシー管弦楽曲集の国内盤LPのセット。この「海」を聴くと、オーケストラの技術はあやしいものの、やはり昨日の「ペレアスとメリザンド」1964年盤がこの指揮者としては平凡な出来だったのだと思えます。新古典主義的ロマンティスムとでも言いましょうか
(勝手にことばをつくっちゃっていいんですか〜(^o^;)、理知的でありながら熱演ですね。感情移入を極力排しているようで、また温度感も低いものの、即物的にならないのは・・・オーケストラが弱いせい?(^^;

意外と激しいですね〜(・・;


こちらはカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のLP。左は英Columbiaの、たぶんこれがオリジナル盤で、フィルハーモニア管弦楽団の演奏。右はロスアンゼルス・フィルを振ったDGG盤。Hoffmannの好みは古いフィルハーモニア管弦楽団との演奏です。ロスアンゼルス・フィルの方は、ジュリーニはこのオーケストラの音楽監督時代に、たいへん素晴らしい録音をいくつも行っているんですが、ここでは晩年のジュリーニに特徴的な遅いテンポとゆったりふくらませた響きが特徴的で、このため細部がマスクされてしまっています。録音も古い方が断然いいですね。余談ながら、DGGの優秀録音というのはめったにほとんどありません。

ジュリーニさんはその後さらにもう一度ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音していますよね

それはCDだから今回聴いていない(笑)


これはジョン・バルビローリ指揮による録音。左はハレ管弦楽団、右はバルビローリにはめずらしいパリ管弦楽団との録音。ハレ管弦楽団の方は、表情ひとつにもそれらしさを出そうとして、冒頭など妙にものものしく、リズムを刻んでいる各楽器の「合いの手」も少々無機的な方向へ傾きます。良く言えば個性的ですが、悪く言えばクセが強い。どことなく演歌調(?)で、最後はクライマックスの後にオチをつけるあたり、バルビローリらしいですね。パリ管弦楽団はさすがにフランスのオーケストラで堂に入った演奏、やっぱり浪花節(笑)なんですが、極端な不自然さはありません。ハレ管弦楽団との録音の方がバルビローリの意図が徹底しているようです。

細部にこだわらずに処理したかと思うと、次には思い切りこだわって味付けしてみたりと、やや恣意的と感じられるますね。あと、微妙なニュアンスが不足しているように思えるんですが・・・(^^;



ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送局管弦楽団による管弦楽曲全集、国内盤LPのセットから。1973年録音。ひじょうに明晰な演奏でありながら無機的にならない、知情意のバランスにすぐれた演奏ですね。音色の多彩な変化も表現されており、それはうつろいゆく、というよりもときどき仕切直しをしているように聴こえるのがおもしろい(それだけ変化が感じられるということです)。自発性あふれるオーケストラはアンサンブルも高い水準にあり、まだどことなくフランス的な響きが残っているようで、ほのかにロマンが香る・・・あまりこんな曖昧かつ情緒的な言い方はしたくないんですけどね。

楽器とか、奏法のせいでしょうか?



アンゲルブレシュト指揮で、“Orchestre National”とありますが、これはいわゆるORTF、フランス国立放送局管弦楽団のことですね。ここにupしたお写真はEratoから出たドビュッシー管弦楽作品集LP3枚組のセット。1958年3月20日のlive録音で、Disques MontaigneからCDが出ていた録音は1962年録音、TestamentのCDは1954年録音で、いずれもこれとは別録音。

ドビュッシーの音楽が、フランスの音楽であるというイメージから、優雅で上品な、ただひたすらおしゃれな音楽だと思っているひとは市場にあふれている凡百のdiscを聴けばおおむね満足できるでしょう。ここで聴ける演奏は、張りつめた緊張感のなかで、シーン毎に揺れ動くテンポと、ときにまばゆいばかりの金管、ひなびた音色の木管楽器が多彩な色(カラー)を展開して、そこに微細なニュアンスがこめられている、というものです(なんだかよくわかりませんな〜;;)。
かなりロマン的な演奏で、しかし主情的と言うには抵抗があります。ドビュッシーに認められた指揮者だから、というわけではないのですが、やはり作品に対する共感じゃないでしょうか。これだけ表現意欲にあふれていながら上品というより高貴とさえ感じさせる指揮者は、アンゲルブレシュトをおいてほかにありません。

Disques MontaigneとTestamentのCDもちょっとだけ聴いてみましたが、このErato盤がもっとも緊張感がありますね




2006.10.07 sat


スイス出身の指揮者エルネスト・アンセルメは、「ペレアスとメリザンド」全曲録音を生涯に2度行っています。左のCDが1952年録音で1回目。歌手はシュザンヌ・ダンコ、ピエール・モレ、ハインツ・レーフスほか。右のLPは2回目の1964年のstereo録音で、エルナ・スポーレン・ベルク、カミーユ・モーラーヌ、ジョージ・ロンドンほか。オーケストラはいずれもアンセルメ自身が創設したスイス・ロマンド管弦楽団です。

アンセルメはもともと数学者で、そのためかひじょうに明晰な演奏を行い、20世紀音楽もさかんに取りあげていました。そのアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団といえば、イギリスのレコード会社Deccaに多くの録音を行っており、かつては同社のドル箱的存在だったようです。もちろん日本でも人気が高かったみたいですね。

ところが、いま聴くとオーケストラの技術はかなりお寒いものなんですね。ストラヴィンスキーなんてまるっきり奏けていない、「春の祭典」など、奏きやすように(フレージングを変えて)奏いているといった演奏で、まるで暗闇を手探りで進んでいるみたいです。それはストラヴィンスキーに限らず・・・と言いたいところなんですが、とくにドビュッシーとラヴェルの管弦楽曲に関しては、Hoffmannがコドモのころそれぞれの作品に親しんだレコードでもあるためか、古拙と言いたい味わいがあると思っています(^^A;そのほかの作曲家では、個人的にはファリャのバレエ音楽「三角帽子」、やや異色ですがシベリウスの交響曲第2番のレコードが気に入っていて、ときどき聴いています。

アンセルメさんは1969年に亡くなっているんですね。その後このオーケストラは・・・?

パウル・クレツキ、ヴォルフガンク・サヴァリッシュ、ホルスト・シタイン、アルミン・ジョルダン・・・と、そうそうたる主席指揮者を迎えているけれど、ぱっとしないみたいだね。サヴァリッシュ、シュタインが振ったレコードを聴いたことがあるけど、やっぱり下手だった(^^;一説によると、本拠地であるジュネーヴのヴィクトリア・ホールがとても響きがいいので、ここで聴くとアラが目立たないんだとか・・・(ホントか?)

さて、「ペレアスとメリザンド」の演奏ですが、まずオーケストラについては1952年のmono録音の方がいいですね。音質はまったく問題なし、オーケストラが技術的に弱いのもさほど気になりません。ほかのいくつかの盤のように、いかにもフランス音楽でございますといった、作品の一面だけにとらわれた演奏ではなく、表情は多彩です。シュザンヌ・ダンコはややオーバーアクション気味ですが、歌そのものはたいへんすぐれたものです。モレも歌でかなり演技をしていて(表情豊か、ということとは別に)、これはこれで悪くありません。

うかがっていて気が付いたのですけれど、Hoffmannさんは、このオペラに限っては、あまり現代的でインターナショナルな響きや音色で演奏されるのは、お好きではないのではありませんか?(笑)

一方、1964年のstereo録音―こちらもメリザンドはすすり泣きとともに登場(笑)さすがに1960年代も半ばのstereo録音とあって、音がいい分響きも美しく聴こえるんですが、細かい表情を付けた部分で技術が追いついていないところもよく分かってしまいます。どちらかというと1952年盤にくらべると、こちらは全体にやや弛緩気味。といっても、それはあくまで比較してのこと。極端に悪いというわけではなく、ただアンセルメにしては集中力に欠けるかなと思います。もったりした金管など、どことなく曲想に合っているような気もしますけどね(笑)

歌手はゴローのジョージ・ロンドンが例によってクセのある歌で、ちょっとサディスティック? スポーレンベルクは硬質な声で、可憐なメリザンドを演じていますが、いま一歩純粋さとか無邪気さに通じるような表情が欲しいところ。あまりほめているのを聞いた(読んだ)こともなく、おそらく一般的な人気は得られていなのかもしれませんが、この声質はクリュイタンスの指揮で歌っていたら、結構いい組み合わせになったんじゃないでしょうか。ペレアスを歌うカミーユ・モーラーヌはすばらしいですね。速いパッセージでも均質を保つ美声はまったく見事なものです。

なんともなめらかな歌い口ですね(^^*ペレアスで1962年盤、メリザンドでは圧倒的に1952年盤がいいと思うのですが・・・スポーレンベルクよりは・・・

個人的に、ああいったやや芯のある声が結構好きなんだよね(^^;

全体としてはいずれの録音が上、というよりも一長一短ですね




2006.10.06 fri

ベルギー出身といえばこの指揮者もそうでしたね。


ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」、演奏はアンドレ・クリュイタンス指揮フランス国立放送局管弦楽団、歌手はジャック・ジャンセン、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘルス、ジェラール・スゼーほか、1956年の録音。左は英HMV(EMI)盤LP、右はTestament社から出た復刻CD。

前にも書きましたが、ジェラール・スゼー38歳のときの録音です。ジャック・ジャンセンはデゾルミエール盤やアンゲルブレシュト盤(1962年録音)でもペレアスを歌っていて、これは当たり役だったのでしょう。ロス・アンヘルスはスペイン出身ですが、ヴェルディ、プッチーニなどのイタリア・オペラから、バイロイトではエリザベートも歌った、たいへん幅広いレパートリーの持ち主でしたね。

バイロイトといえばクリュイタンスも招かれており、「タンホイザー」(1955、1965)、「ローエングリン」(1958)、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1956、1957、1958)、「パルジファル」(1965)を振っていましたね。フランス系の指揮者ですがドイツ音楽も得意にしており、ベルリン・フィルのはじめてのベートーヴェン交響曲全集のレコード録音は、カラヤンでもフルトヴェングラーでもなく、クリュイタンスの指揮によるものでした。

ロス・アンヘレスは伝え聞く暖かい人柄が先入観としてあるためでしょうか、やさしさあふれる声と聴こえますね。バイロイトにおける「タンホイザー」のエリザベートもそうでしたが、どことなく母性的で、そのあたりが好みを分けそうです。ゴローのスゼーは若々しくて、これで髪に白いものが混じっているのかと思います(笑)。かなり折り目正しい几帳面な歌いぶりですね。ジャンセンはスタイルの古さ故か、やや癖のある歌唱と聴こえ、もう少し声に若々しさがあってもいいと思います。なんとなく、このひとだけ口がマイクに近いような気がするんですが・・・。

クリュイタンスはドビュッシーよりもどちらかというとラヴェルの方が得意だったと言われますね、これはHoffmannもそうかなと思います。ラヴェルだと、その上品な演奏から諧謔味やグロテスクな側面も感じとれ、作品のあらゆる要素がうまく消化されていると思えるんですが、ドビュッシーだと、とくにそのグロテスクな味わいが失われてしまっているようです。もちろんすぐれた演奏には違いないんですが、とりわけドビュッシーではスポイルして欲しくない部分が聴こえてこないんですね。オーケストラにはまだフランスのローカルな音色が継承されている時期ですが、夢幻的な美しさだけで押し通してしまったかのようです・・・と、ここまで言っては言い過ぎ(^^A;クリュイタンスはHoffmannも好きな指揮者で、なかなか優秀なオーケストラもいい響きを聴かせてくれているのは言うまでもありません・・・が、やっぱり惜しいですね。

Hoffmannさんはお好きな演奏家に対しては、かえって点が辛くなりますね〜(^^;

前にも言ったけど、好きだからってなんでもいいというわけにはいかないし、やっぱり期待するものも大きいんだよね

それにしても、このLP盤で聴くと、歌手の表情がいっそう豊かになりますね〜(・・;

音質は、奥行き、響きの厚み、各楽器から歌手の表情の抑揚まで、あらゆる点でCDを上回っているね

おかげで演奏まで、よりすぐれたものと聴こえますね

Hoffmannさん、このれこーどの五郎さんって、ステキな声ですねっヾ(・∇・)

お、花ちゃん、わかる?(^o^*




2006.10.05 thurs

「ペレアスとメリザンド」といえば原作は「青い鳥」で有名なベルギー出身の詩人モーリス・メーテルリンクですね。「ペレアスとメリザンド」は初期の戯曲作品で、「トリスタンとイズー」の物語を原型とする、人知の抗いがたい宿命が主人公たちを死に追いやる、いわゆる運命劇と呼ばれるものです。


たしか、Hoffmannさんは高校生のときにはじめてお読みになって・・・

自由課題の読書感想文で取りあげたんだな(もちろん翻訳)。もっとも、ドビュッシーの方を先に知っていたけどね

どんな感想文をお書きになったのですか?

もう忘れちゃったよ(^o^A;

訳者は解説でメリザンドを水の精(の化身)とほぼ断定的に書いていますね

世紀末の申し子である「宿命の女」ととらえるひともいるみたいだけど・・・水の精としたほうが素直だね(こだわりはしないが・・・)

「宿命の女」って、“femme fatale”(ファムファタル)ですね。一般には、その魅力で男性を破滅させる魔性の女、と理解されていますね

どうもね、いまの時代「魔性の女」つーのも安っぽくていけないねえ(^_^;・・・どこの学校・職場にもひとりくらいいそうな感じで(笑)それにどうしてもサロメとかカルメンとかを連想しちゃうけど、受け身のファムファタルというのもあるからね

受け身というのは、自分で男性を誘惑しているという意識がない場合ですね。Hoffmannさんいかがですか、「宿命の女」というのもおもしろいテーマじゃないですか?

う〜ん、一時期世紀末関係のあれこれが流行して、「宿命の女」もかなり手垢がついちゃったんじゃないかなあ・・・だからメリザンドは水の精ということでそっとしておきたいという気持ちもあるんだよ(笑)

こちらρ(^-^*「ペレアスとメリザンド」の翻訳書

モーリス・メーテルランク 杉本秀太郎訳 湯川書房 1978年5月10日発行 カバー銅版画 山本六三

# その後、岩波文庫から仏語と杉本秀太郎の訳文の対訳の形式で出ていました。




2006.10.04 wed



歌劇「ペレアスとメリザンド」、最新のDVDです。指揮はフランツ・ヴェルザー=メスト、演出ズヴェン=エリック・ベヒトルフ。歌手はロドニー・ギルフリー(ペレアス)、イザベル・レイ(メリザンド)、ミヒャエル・ヴォレ(ゴロー)ほか。チューリヒ歌劇場における2004年11月の公演。

じつはこのDVDは発売後すぐに購入して、そのときははじめの方だけ見て中断してしまい、そのままになっていた。それで今回あらためて取り出して、はじめの方は忘れていたから、最初から見はじめて・・・今回は途中で中断することもなく見終わって・・・


Hoffmannさん、文章が吉田○和調になってますよ〜(^o^;
(^o^;;ひでぇ〜



登場人物はすべて自身の人形を伴い、時には人形だけが舞台に現れます。冒頭でゴローが語りかけるのもメリザンドの人形。


続くアルケルとジュヌヴィエーヴの場面では、当の二人の人形のほか、ゴローとペレアスの人形も車椅子に乗って登場します。

移動させるのには便利ですね(^^;

右は第2幕第3場の、洞窟に指輪を探しに来た場面(-_-)フウ・・・

人形が鈴なりになってますね〜(^o^;


これは台本ではメリザンドが塔の窓から髪を落とす場面・・・ああ、もういやンなってきた(-_-;やれやれ


Hoffmannさん、解説書によると、演出家はこの人形はドッペルゲンガーであると明言しているそうですよ

あっそ(笑)

お読みになってなかったんですか?(^o^;

観終わるまでは一切読まない(^-^*観終わってもめったに読まないが・・・(笑)

はあ(^o^A;・・・ドッペルゲンガーというアイデアはいかがですか?

それは「解」にはならないな。ドッペルゲンガーだとして、だからなにがどうなのだ、とは言えないよ




第4幕第4場ではペレアスとメリザンドの間に人形は介在せず、ゴローはというと、髪をつかんで乱暴するのはメリザンドの人形、第5幕に至っても、人形にしか向き合うことはないのですね

そんな展開は第1幕の途中で予想がついていたよ(^o^;・・・というか、たいがいのひとは早い時期に「ははーん」と思うだろう。最後までこれやられちゃ、いささかうんざり・・・


この、ゴローがペレアスを刺すシーンは個性的と思いました。左の歌詞にご注目。

刺すタイミングが早いんですね

だから「ああ、星が全部落ちてくる!」というのが死に際の叫びになってるんだな。そしてゴローの手から短刀をとったメリザンドがゴローの背後で刃をふりかざして、「ああ、私には勇気がない!」・・・

メリザンドの叫びの意味が変わってしまっているんですね・・・それはそれとして、星は「みんなふりそそいでくる!」ほうがいいですね(^^;字幕・・・


メリザンド臨終の床にあるのは人形の方。召使いの女たちが現れるとメリザンドはなぜか驚いて姿を隠し、幕切れでふたたび姿を現して、屈託のないにこやかな表情で去っていきます。

歌手はゴローのミヒャエル・ボレが印象的。全体に美声が揃っていて不満のない出来ですが、メリザンドのイザベル・レイは容姿がやや肉感的(^^;

ポール・デルヴォーよりクラナッハの方が・・・?(^o^*

F.W=メストの指揮は、これはオーケストラの個性かもしれませんが、鋭すぎるというかやや硬いような気もします。あまりドビュッシーらしさを出そうと意識しすぎていないようで、これはこれで悪くはありません。もう少し弱音に雰囲気があってもいいと思いますが、演出がこれこのとおりだからいいのか? 妙な言い方ですが、観ている間、これが「ペレアスとメリザンド」であることを忘れていましたよ(笑)

それはやっぱり演出が音楽の邪魔をしていたということでは・・・(^o^;




2006.09.03 tues

引き続き「ペレアスとメリザンド」のdiscです。



ジャン=クロード・カサドシュ指揮リール国立管弦楽団による録音。収録は1996年3月、評判になった上演の記録とのこと。

この指揮者のdiscはいくつか聴いたことがあって、どれも悠揚迫らぬテンポで、激することなくオーケストラをゆったり鳴らしたものでした。このdiscでも同じ調子かなと思ったら、その後の変化か、あるいはやはりオペラとなると違ったものか、そんなに淡々とした演奏ではなく、テンポの伸縮もあって、ていねいに表情を付けています(先頃発売になったベルリオーズの「ファウストの劫罰」でも同様の印象を持ちました)。とはいえ、全体としてはおっとり。キャストが全員フランス人ということもあって、歌詞の発音などは安心して聴いていられます。これ見よがしにひとの目(耳)を惹きつけるような特徴には乏しいかもしれませんが、なかなか魅力的な演奏ですね。

このdiscを聴くと、なんだかんだ言っても、ハイティンク盤あたりはメジャーな指揮者の演奏だったんだなあ・・・と思うね。失礼な言い方かもしれないけれど、これはいい意味でのマイナーだね

ローカルと言った方がいいかも・・・たしかに、クーベリック盤に続けて聴くと、やはりこちらの方が「それらしく」聴こえちゃいますね〜




このdiscはめずらしいかもしれません。いつ購入したのかもおぼえていないんですが、その後shopで見たことがないんですね。John Carewe指揮ニース・フィルハーモニー管弦楽団(ニース歌劇場)による1988年6月の録音。CDケースにはニース歌劇場との共同製作とあります。指揮者も歌手もあまり馴染みのない名前が並んでいますが、じつはこれがHoffmannのお気に入り(^^*

アンサンブルは超一流とはいきませんが、オーケストラは表情豊かで深い内容を感じさせ、響きもなかなか美しい。

歌手はメリザンド役のEliane Manchet、おそらく聴くひとによって好みの分かれるところだと思いますが、影が薄くて儚いばかりのメリザンドではなく、無邪気な子供のようでいて、気品さえ漂わせる透明な声がすばらしいですね。


いま風に言うと、ちょっと「ツンデレ」ですかね〜(^o^*

個人的に、妙にイロケのあるメリザンドは嫌なんだな

Hoffmannさんは女性の側から誘惑されるのはお嫌いですか?(^^;

なにごとによらず、「媚び」が嫌いなの(笑)それはそうと、メリザンドがゴローやペレアスを意識的に魅惑しちゃあそもそも物語にならないよ




2006.10.02 mon

さて、ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」のdisc―



ベルナルド・ハイティンク指揮フランス国立放送管弦楽団による演奏。録音は、外箱には2000年とあり、解説書には2001年とある。いずれが正しきや不明。live録音。同じ組み合わせの演奏による録音は、NAIVEからはやはりラジオ・フランスの録音になるマーラーの交響曲第6番、第5番が出ていて、とくに6番がたいへんみごとな演奏だったのでおおいに期待して聴いたんですが・・・。

録音はまずまず、主役のふたり―フォン・オッターとホルツマイアーをはじめとして歌手も好演なんですが、どうもオーケストラが物足りないんですね。どこが悪いと積極的に指摘しづらいんですが、とにかくやわらかくなめらかな響き。ハイティンクというひとは過剰な自己主張をすることなく、自然体でいい音楽をつくるひとですね。ところが、オペラになるとそうした姿勢がドラマティックな演出をあえて避けているようで、ドラマに出しゃばらないと言えば言えるし、でも言い換えればあくまでシンフォニックな音楽造りに徹底していて、そのあたりが物足りない。表情の微妙なうつろいをこちらから聴きにいって・・・も(^o^;どうも全体にフラットな印象で、なかなか緊張感に至らないのが残念です。




ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団による1971年11月のlive録音。歌手はゲッダ、ドナート、フィッシャー=ディースカウ。クーベリックというと、いかにも中庸を行く指揮者のようにイメージされていることがあるようなんですが、意外と濃厚な表情付けをする指揮者でもあり、作品によっては野性味さえ感じさせることがある指揮者ですね。

liveといってもおそらく演奏会形式による公演だと思いますが、音だけ聴いていても舞台をイメージさせるのは、歌手の演技のせいばかりではないでしょう。テンポもリズムも揺れて、聴いていると結構忙しい(笑)それも、ややあざといかな、と感じさせるマゼールあたりとはまた違って聴こえるのは、なんとなくこちらの先入観もありそう(^o^;ですが、オーケストラの音色(必ずしも上手くはないが、やや渋)のためかも? ドラマ性を志向しているようでありながら、外面的にならないのもその辺の影響かもしれません。

「ペレアスとメリザンド」の音楽を、緊張は常に抑制されていて全曲にわたって鎮静剤みたいだと言った歌手がいるんだけど・・・個人的には、こんなに緊張感に満ちた音楽はめずらしいと思うよ


この演奏、緊張感が途切れないのがすばらしいですね

歌手は1970年代の有名どころ(ゲッダは’60年代が最盛期か)。男声はあまりHoffmannの好みじゃありませんが、メリザンドのドナートはいいですね。ありがちなメリザンドを意識しすぎることのない、このひとなりのメリザンドになっているところ、好感が持てます。




2006.10.01 sun

ページが改まったところで、本日「ペレアスとメリザンド」を休んでご紹介するのはこちら―



ニコライ・ゴーゴリの「ヴィイ」が原作。1967年モスクワフィルム製作。この映画の存在は知ってはいたのですが、DVDで出ているとは気が付きませんでした。だってDVDのパッケージに印刷された邦題は「妖婆 死棺の呪い」ですもんね。おまけに「珍品SFXオカルト」なんて表記してある(^^;もしも“Вий”の文字が目に入らなかったら手にも取らず、知らぬまんまだったでしょう。

以前紹介したマリオ・バーヴァ監督の「血塗られた墓標」(1960伊)も、一応「ヴィイ」が原作というふれこみだったんですが、あれは死んだ魔女が生き返るという設定以外はまったくの別物(もっとも、あれはあれでよくできた映画なんですけどね)。今回の「妖婆・・・」は、ちょっとした台詞に至るまで、ゴーゴリの原作をきわめて忠実に映像化しています。

水木しげるさんも、貸本漫画時代に翻案ものを書かれてますよね


神学校の学生が帰省の途上、宿を求めた家。そのひとりホマ・ブルートの小屋に怪しげな老婆がしのんできて、彼にまたがると・・・


魔女の騎行ですね。ちゃんと箒を持っているところが律儀(笑)魔除けの呪文で難を逃れ、老婆をさんざん痛めつけると・・・


・・・仰天して逃げ出しますが、その後地方の富裕な地主から、何者かによって暴行を受けて死んだ娘の遺言で、臨終の祈祷と三日間の回向をしてもらいたいとホマに名指しで依頼があり、嫌々出かけていくことになります。



ユーモアもたっぷり・・・

これは酔っぱらっているんですね(^o^*


なんというか、他人事みたいに嘆いているのがいいですね(笑)


ひと晩で髪が白くなるほどの恐怖に襲われているのにね(^^;



コサックの踊りも・・・

この学生さん役の方はなかなかの名優ですね(^^*



稚気あふれる特撮もほほえましく・・・



見せ方も心得てますね。


こちら魔界の眷属。どことなくユーモラスです。


ちなみにヴィイというのは右のこいつね(^^)/

「土精」という意味でしたよね


魔女役の女の子もカワイイ(*^o^*)怒りに燃えて主人公を呪っているんですが・・・

なんだか安手な呪文ですね〜(^o^;



この娘さんとならひと晩じゅう追いかけっこてのも悪くはないですな(笑)
(((*-_-)σ)~0~)/プニッ♪



ちゃーんとエピローグまで・・・とんとことん原作に忠実です。

トントコですか(^o^;・・・それにしても、比較的有名な映画なんでしょうか? 一部のマニアにのみ知られているだけだとしたら惜しいですね





特典に、貴重な撮影風景のスチールが収録されていました。

(追記)
この「妖婆 死棺の呪い」のDVDについて、Die Toteninselさんからbbsに以下の情報を頂きました。

---ここから---
 補足ですが、このDVDには特典がふんだんに盛り込まれていて、ソヴェト最初期の無声映画も3篇収められています。
 ケースの裏にタイトルが記載されていないため、このDVDを購入した方でも結構見逃していることがあるようなので、以下に行き先を紹介しておきます。

メニュー --> タイトルメニュー --> English --> Bonus Materials --> Ruscico --> Museum Ruscico --> Russian Horror Movies

ここで
The Portrait
The Queen of Spades
Satan Exultaut
の3篇が見られます。最初の2篇はそれぞれゴーゴリ、プーシュキンの短編が原作ですよね。
 また、ケースの裏に記載されていない予告編が2篇収録されています。場所は、

メニュー --> タイトルメニュー --> English --> Bonus Materials --> Ruscico --> Archive Ruscico --> Filmography Ruscico --> Script writer Ruscico --> 矢印で次の画面へ

ここに
Ilya Muromets
The Tale of Tsar Saltan
の予告編が収められています。両作品とも、旧ソ連の子供向き娯楽映画としてよく知られているものですね。
 以上は全て英語吹き替えですが、「メニュー --> タイトルメニュー --> Русский」から辿って行けば原典版を見ることもできます。
---ここまで---


サイレントの3篇はHoffmannも観ていましたが、予告編2篇は気が付いておりませんでした。貴重な映像ですね。

Die Toteninselさん、どうもありがとうございました!