monologue 2008.01

2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2008.01.31 thurs


左は2008.01.25 friに取りあげたR.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」と「死と変容」、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮パリ音楽院管弦楽団との1956年録音のDECCA盤。これはLP時代にはmono盤しか出ていなかったんですが、stereo録音のtapeが残っていたようで、先年Testament社からCDが発売されました。さすがTestament社の仕事は見事なものです。ただ、1970年代に出ていた国内盤LP―キングレコードから出ていた”The London Immortal Classics”というシリーズ、MZ5000番台、シリーズ名に”New”が付くとSOL5000番台―は音質はかなりこもりがちで、それと比べればこのCDの方が圧倒的にいいとは思いますが、このLXT5239に関してはアナログ盤ならではの実在感と立体感が感じられて、Hoffmannはこちらの方が好きですね。stereoだからといって、必ずしもmonoよりも優れた音質とは限らないのですよ。

ところでHoffmannはR.シュトラウスがあまり好きではなくて、オペラもほとんどの作品のdiscを所有しているんですが、ぜんぜんめったに聴かない。管弦楽曲では若書きの交響詩「ドン・ファン」をたまに聴く程度。この盤でカップリングされている交響詩「死と浄化」なんて、何とも陳腐な音楽と感じられて、正直なところ嫌いな作品です・・・が、まあせっかく引っぱり出したのでひさしぶりに聴いてみましたよ。


この指揮者だからというわけでもないのですが、ちょっとWagnerふうというか・・・「パルジファル」の花の乙女の重唱のような旋律が聴こえてきましたね(^o^* 
ヾ(・∇・*)))優美お姉ちゃん、呼びましたかっ

えっ、どこどこ?

♪Wo sind uns're Lieben? ヽ( ̄0 ̄)/・・・って(笑)



ついでにクナッパーツブッシュがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を振った1964年のlive盤(Disques Refrain盤)も聴いてみたんですが・・・やっぱりクダラナイ音楽と聴こえます。いつでしたかアーノンクールがインタビューにこたえて、R.シュトラウスのことを「低級音楽製造家」なんて言ってましたが、思わず「そうだそうだ」なんて尻馬に乗っちゃいそうなHoffmannです(^^;

Hoffmannさん、R.シュトラウスとクナッパーツブッシュの、両方のファンから石が飛んできますよ〜(^o^;不安

ところが嫌いだなんて言いながら、探してみるとこんなに持っていたのかというくらい、いろいろなdiscが見つかりまして(^o^A;
ヽ(^o^*この際だからそのなかからいくつか聴いてみましたよ。



「死と浄化」といえば世評の高いウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルによる1950年の録音。なんかもう、予定調和の世界。間をとって粘ったり、勢い込んでみたりと、その表情の付け方が陳腐な音楽をますます陳腐にしている印象です。クナッパーツブッシュよりつまらない。

Hoffmannさんはフルトヴェングラーがお嫌いではないのに、以前リストの交響詩「前奏曲」のときもフルトヴェングラー盤はさんざんなコメントでしたね。むしろ、このあたりにHoffmannさんの嗜好があらわれているような気がするんですが・・・(^^;というか、この演奏を悪く言うのはHoffmannさんくらいでは・・・?



ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のLP、米Epic盤。引き締まった響きが禁欲的に聴こえる分だけまだしも。でも、米プレス盤の高域の荒さを割り引いても、ちょっと音色が明るすぎるような気がします。


たしかに、あっけらかんとして音楽がオーケストラのショウ・ピースのように聴こえますね(^^;辛口のようで辛口でない?

どちらかというと、このdiscは大型のスピーカーで聴いた方がよさそうだな



ルドルフ・ケンペ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団による演奏、国内盤LPの管弦楽作品全集から。オーケストラの音色が渋くていいんですが、ダシ汁薄めのあっさり味。だから上品に聴こえる?

あっさりした味というか、響きの彫りが浅い印象なのは国内盤だからかも・・・でも、この指揮者は1950年代から'60年頃の若い頃の方がより魅力的ですね



オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団による1960〜61年頃の録音。仏Patheの廉価盤。これは予定調和とは無縁の演奏。そんなにアンサンブルを整えることばかりを重視した演奏ではないのに、横の流れより縦の線で聴くひとの耳を引きつける演奏となっています。淡々とした進行なのに、どこか深い内容を感じさせるのはこの指揮者ならでは。

これは以前、ジャケットの絵がギュスターヴ・モローということでupしたことがありましたね



クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の、たぶん1981年頃の録音。独盤LP。これはクレンペラーとは正反対で、指揮者は横の流れ―旋律をどう歌わせるか、ということにしか関心がないようです。こうした演奏で聴くとR.シュトラウス、やっぱり「低級」だなあ・・・と(笑)

ちょっと過激すぎませんか〜(^o^;;



ブルーノ・ワルター指揮による録音はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との1924年録音のdiscを聴いてみたところ、さすがに古々しい音質で演奏も冴えず、ここで打ち止め、ふだん聴くならケンペかクレンペラー・・・という結論で落ち着きかけたんですが、もうひとつワルター指揮によるLPが見つかりました。これは1950年のlive録音によるR.シュトラウス作品を集めたもので、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との「ドン・ファン」、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団との「ティル・オイレンシュピーゲル」、さらにNBC交響楽団との「死と浄化」、同曲の12分ほどのリハーサル風景が収録された国内盤です。

これはびっくりするくらいオーケストラが上手いですね〜(・・;

これはすばらしい。表情の振幅大きくかなりロマン的ながら客観的なコントロールがハメを外すことなく、その展開もつねに品格高く、オーケストラの音色も存外魅力的。これなら聴けます。


弦楽器の深々とした響きの「うねり」といい、ソロの上手さといい、この音楽はじめて深い内容を感じさせる演奏でしたね〜(・・;;




2008.01.30 wed

2008.01.16 wedに「また機会をあらためて取りあげる」と言った、クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団のシベリウスの交響曲第2番のレコードです。



これは2008.01.16 wedに取りあげた2枚よりもずっと新しい盤で1970年頃のもの、この時期の米RCA盤らしく、ペラペラに薄くて軽い(笑)録音データが“Recorded November 29. 1950”と表記されています。

先日知人に聞いたんですが、このクーセヴィツキーのシベリウスは結構評判のよい、有名な録音なんだそうですね。たしかに表情付けもうまくはまっていて恣意的と感じるところもなく、よくまとまっていて、先のブラームスと同様「骨太のロマンティシズム」といった印象です。

これは好みもありますが、私はもう少しシベリウス特有の長く伸ばす持続音を活かしてもいいんじゃないかと思ったのですけれど・・・

その後shopでクーセヴィツキーのdiscなど探してみたところ、バルトークの「オーケストラのための協奏曲」など見つかりました。同作品はボストン交響楽団が亡命中のバルトークに委嘱して、クーセヴィツキーが初演しているんでしたね・・・って、なんだかおあつらえ向きに過ぎるようで、これには手を出さず(^^;そのほか見つかったCDも購入には至らなかったんですが、どうも「物品引き寄せの術」か、はたまたモノの方が呼んでいるのか、先頃LPが2点、向こうから勝手にやって来ましたよ(^o^;;


左は米RCA Victorの3枚組。ボストン交響楽団との録音を集めたもので、ブラームスの大学祝典序曲、交響曲第4番、チャイコフスキーの交響曲第5番、ラフマニノフのヴォカリーズ、ショスタコーヴィチの交響曲第9番など。録音はブラームス第4の1938年から大学祝典序曲の1947年まで。

解説書には録音・原盤の詳細なデータが記載されているんですが、交響曲が楽章によって録音年月日が異なっていたり、場合によってはひとつの楽章でも録音年が1年の幅を持っているものがありますね(・・;

もとはSP盤のための録音だからだね。じっさいには一度録音しても、その後部分的にやり直したのかもしれないね

私はショスタコーヴィチの交響曲第9番がいいと思いました。ラフマニノフのヴォカリーズはちょっとセンチメンタルに過ぎますね。ただこの作品はオーケストラ編曲版で聴くとどうしても嫋々たる音楽となりがちなんですが、これはクーセヴィツキーの別な一面を見るようでおもしろいですね

右は英EMI(HMV)盤で、同じくボストン交響楽団を振ったラヴェル、「ボレロ」と「マ・メール・ロワ」。

「ボレロ」は徐々にクレシェンドしていくというより、はっきり階段状にクレシェンドしていくところがありますね。ソロは上手いと思いますが・・・。「マ・メール・ロワ」もオーケストラの上手さが印象的ですが、いま一歩各楽曲の表情に変化を付けて欲しいところです

優美もきびしいね(^o^;参考までに同じボストン交響楽団を小澤征爾が指揮したラヴェル管弦楽曲全集のレコードを聴いてみたけど、「ボレロ」はひとりかふたり、ソロの出来のよくないひとがいるね。「マ・メール・ロワ」はやっぱり単調で、これはクーセヴィツキーの方がいいんじゃないか?




2008.01.29 tues

昨日の武満徹から連想したのが作曲家・ピアニストの高橋悠治。高橋悠治のdiscは何回かupした記憶があるので、本日は実妹の高橋アキのdiscを取りあげてみましょう。



これはつい最近入手したシューベルトのピアノ・ソナタD.960、D.664。2007年の録音。じつはまだ聴いてません(^o^;



こちらは古い。東芝から出た「高橋アキの世界」と題されたLP3枚組。録音は1972〜73年。第1面から4面までは武満徹、湯浅譲二、ら現代日本の作曲家の作品、第5面以降はウェーベルン、ブーレーズ、ベリオ、クセナキス、メシアン、シュトックハウゼン、ブソッティ、ケージが1曲ずつ。そうたびたび聴くdiscではないんですが、この天才ピアニストの記念碑的なアルバムですね。

発売は1970年代半ば頃でしょうか。手許にあるのは国内盤ですが、これは割合あっさり廃盤になってしまったそうで(その後かなりたってからバラ2枚で再発売されたが)、ところがアメリカではずいぶん長い間カタログに残って売られていた模様―というのは、日本でも廃盤になった後に、米盤を取り寄せていたひとが少なからずいたみたいなんですね。




これも東芝から出たLP。1976年の録音で、クセナキス、武満徹、ケージのほかにサティのグノシェンヌ全6曲、ドビュッシーの前奏曲集第2集から3曲を収録。ケージの作品「季節はずれのヴァレンタイン」がアルバムの表題となっています。サティなど、兄悠治のとことん自然体の演奏とは異なって、知的なアプローチと聴こえます。




2008.01.28 mon



Hoffmannは生前のこのひとと、ほんの二言三言ですが話をしたことがあります。声の小さいひとでしたね。

作曲家の武満徹さんですね。なんのお話だったんですか? やっぱり音楽の・・・(・・?

ううん(笑)なぜか海外のミステリの話(^o^*




2008.01.27 sun

ひさしぶりにPoeなど読んでいましたよ。

波越警部「ピーオーイー・・・? ぼくはフランス語はダメなんだなあ」
明智探偵「いや、英語ですよ」




2008.01.26 sat

(一応、昨日の続き)

左はエーリヒ・クライバー指揮パリ音楽院管弦楽団によるチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」(英DECCA、LXT2888)。
右はカール・シューリヒト指揮パリ音楽院管弦楽団によるメンデルスゾーンの序曲集(英DECCA、LXT2961)です。

いずれもオリジナル盤だとすると、番号から見て昨日とりあげたクナッパーツブッシュのR.シュトラウスよりは古い録音ですね

そのようだね(調べておらんが)。クライバーのチャイコフスキーはあらかじめリハーサルで徹底しておいた設計図どおりの演奏といった印象で、聴いていてスリリングなところは感じられない。でも、どことなく響きが暖かくて、「大人の演奏」といいたいような味わいがあるね

クライバーといえば、いまではほとんどのひとが息子さんの「カルロス」の方を思い浮かべるでしょうけど、Hoffmannさんは息子さんはあまりお好きではありませんでしたね(^^;一方シューリヒトはHoffmannさんもお好きな指揮者でしたね


シューリヒトのレコードって、どれもテンポが速めでちょっとせかせか感じるくらい・・・国内盤(他レーベルのものも)は低域薄めでよけいに俊足といったイメージがあるんだけど、この盤は結構低域がズンズン響くんだよね

でもかなり痩身というか、響きは引き締まっていますよね。クナッパーツブッシュ、クライバー、シューリヒトと、どれも同じオーケストラといえばそうなんですが、やはり指揮者によって響きの全体像は違ってくるものですね

# レコーディング・エンジニアについては調べていないし、録音会場も確認していませんが、だからといって・・・そんな瑣末なことにこだわって、「だからなんとも言えない」なんて調子じゃなにもはじまらないし、エンジニアや会場によって「これこれこのような相違が生じたのであろう」なんぞと言ってみたところで、そんなの「仮説」や「見当」にすぎませんからね。不徹底と言われれば返すことばもありませんが、Hoffmannはあくまでおおらかに愉しみたいのですよ(^^*

## そうそう、もうひとつことわっておこう。昨日と本日と、もしかしたら結構高価なオリジナル盤が並んだのかもしれませんが(あるいはそれほどでもないかもしれんが)、どれも盤質良好といえるようなものではなくて、やすーく買ってきたものばかりなんですよ。

### 注釈だらけだがこの際だ(^o^A;日頃チャイコフスキーは好きじゃないなんて言いながら、「悲愴」はやっぱり名曲ですね。それに比べると、メンデルスゾーンの序曲集なんて、作品がじつにつまらない。なんだかんだと言っても、曲がよくなければ自分が退屈するだけ。写真(カメラ)だって、レンズがどうの、写りがどうのなんてことは本末転倒で、問題は被写体―なにが写っているか、なんですよ。それと同じことです。




2008.01.25 fri


ハンス・クナッパーツブッシュといえば、日本ではたいへん人気のある指揮者ですね。Wagnerのdiscを買いあさっていれば、このひとの指揮したdiscも増える一方なんですが、Hoffmannはそれほど大ファンというわけではありません。ほとんど無条件にいいと思うのはWagner作品のdiscであって、その他の作曲家の作品ではさほど・・・。とくに戦前なんて、なんとも奇妙奇天烈な演奏ばかりなんですよね。それでも、Wagnerだけは戦前から「まとも」だった、と思っています。

左はベルリン・フィルを振った1928年録音のWagner管弦楽曲集ですね

ジャケットの写真は明らかに戦後のものだね(^^;このLPはジャケ買いするひとが多いと言われている(笑)・・・ここに収録されている「ワルキューレの騎行」なんて、途中でガクンとテンポを落とすんだけど、それが1953年のDECCA録音もまったく同じなんだよね。このころからスタイルは確立していたんだなあ

右はR.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」と「死と変容」、パリ音楽院管弦楽団との1956年DECCA録音ですね

LXT5239・・・って、いま調べたらオリジナル盤だった(^^;この1956年5月、クナッパーツブッシュはパリで「ニーベルングの指環」を指揮していて、そこにDECCAのプロデューサーであるジョン・カルショウがショルティとパリ音楽院管弦楽団のレコーディングでパリにやってきた・・・それでクナッパーツブッシュとこのオーケストラのレコーディングが実現したらしい

オーケストラは違えど、指揮者の個性は微動だにしませんね。といって、オーケストラの響きをコントロールしようというような強引さもなくて・・・

このひとのスタイルのなかで、あくまで自然体だね。この時期のDECCAでパリ音楽院管弦楽団といえばカール・シューリヒトの録音を思い出すけど・・・いかにも即興性を感じさせるあたりは、エーリヒ・クライバーと対称的だな

突然、シューリヒトとかエーリヒ・クライバーの名前が出ましたね。まだいちども取りあげていなかったんじゃないですか




2008.01.24 thurs



世界的にCDが売れないためかどうか、毎月リリースされるCDを見ていると、古い録音の復刻、あるいは放送用録音やチトあやしげな音源のlive録音のCD化されたものがかなり目立ちますね。

古い録音はtapeが劣化していたり、もともとあまり貧しい音質であったりするため、リマスタリングに際しては、多くの場合ノイズの除去とか周波数レンジ、ダイナミックレンジの「補正」が行われ、場合によっては奏者のミスまで「修正」されることがあります。多くの、ことにクラシック好きには、ノイズを除去するあまり音楽に必要な高域信号が失われてしまったりするのは、これはlive録音などでは、臨場感にも関わる会場のざわめきや残響が後退するため、歓迎しないひとが多いんですね。これはHoffmannも同様です。

ただ、いわゆる「ドンシャリ」なバランスを「重低音と高域の伸びが・・・」というひとが結構いるんですよね。これはかなり以前にも言ったことがあるんですが、小型のスピーカーで小音量で聴くなら、「ドンシャリ」の方が聴き映えがするということもあるのですね。ところが、その場合「バランスはいいがおとなしすぎる」と言われてしまうようなdiscが、大型の装置で音量上げ気味にすると、眠たい音から一変して、じつはたいへん情報量の多い良質な録音(リマスタリング)であることに気付くこともあります(もちろん、気付かないひともいます)。

装置次第、ということもありますね

現象としては・・・だけどね


ただ、Hoffmannの場合ノイズは少々なら(いや、「少々」以上にあっても)さほど問題とは思わないし、高低のバランスも多少は大目に見るんですがんですが、歪みとなると・・・。

というのは、歪んだ音を「うわぁ、すごい迫力!」って勘違いしているひとも、結構いるんですよ。つまり、派手でにぎやかなものというのは、豪華・鮮やかと受け取られることもあるのです。数年前のaudio雑誌にも、(アナログLP再生で)針圧を極端に軽くしてトレーシング歪みを起こした状態で聴いていて「(自分は)こうでなければだめなんです」と言っているひとが登場していました。アクもとりすぎると旨味まで失われるし、雑味も味付けのうちだとは思いますが、歪みそのものがうれしいような感覚というのは、いささか滑稽と感じます。audio機器のメーカーにも言えることなんですが、どうもマニアックな方向に徹底していくと、バランス感覚が失われたひとりよがりに陥る傾向があるみたいですね。

それはそうと、右のカイルベルト指揮によるブルックナー交響曲第8番の演奏はすばらしいですね

# 何事にせよ、価値判断の基準を他人様に押しつける気はないんですが、なんでもかんでも「好み」の問題で片付けるのにも疑問(以上のもの)を感じるのですよ。




2008.01.23 wed

多くのひとに興味があるものかどうかは疑問ながら、ネタはありあまるほどある・・・が、時間がない(-。-;;;


「んだんだ」




2008.01.22 tues

「どんな本を読むの?」と訊かれるのは苦手―ひじょうに困る質問です。このhomepageを見てくださっている方ならばおわかりと思いますが、ひとことでこたえられるものではありません。あれこれ―たとえば図書館あたりの分類式で―ジャンルを並べたところで、こんな質問をしてきたひとは最後まで聞いちゃいません。Hoffmannも相当無知無教養ですが、Hoffmannの職場にいる目上の人間はHoffmannに輪をかけた無学ですから、作家や学者の名前をあげたところで、どうせも知っている名前なんかひとつもありゃしません(ことわっておきますけどね、これ、べつにHoffmannがエラソーに他人様を莫迦にしているのではありませんよ。ただ事実を述べているだけなのです)。

最近も「なんだ、アカガワジローもイツキヒロユキも、ワタナベジュンイチも読んだことがないなんて、君、本当に読書の習慣があるのか?」と言われちゃいましたよ。

目上の人間から訊かれると、返事しないわけにはいかないし、なんかもうパワハラですよ。



「あわわわわ・・・・・・」




2008.01.21 mon



このところ交響曲ほかオーケストラ作品ばかり取りあげていますが、深更に至るとこのへんのCDを小型スピーカーでひっそり鳴らして聴いております。ちなみに現在(メインの装置とは別に)常用している小型スピーカーは2007.10.29 monで紹介したもの。

村田健司のバリトン・レジェ、上原ひろ子のピアノによる、左はプーランク、右はフォレの歌曲集ですね。私はフォレの歌曲が好きです(^^*音楽もさることながら、詩が・・・

プーランクは1998年、フォレは1993年の録音だな。村田健司はカミーユ・モーラーヌに師事したひと。1980年にもフォレを録音している。ピアノは平尾はるなで、このρ(^^*コジマ録音のAL-7001(LP)がそれだ



こちらの方が口がマイクに近くて、さらに残響も豊かなので、より感情移入されているように聴こえますね

上のCDの方が客観的に聴こえるけど、それぞれにいいよね。このLP、たしかに録音のせいかもしれないけど・・・いっそう若々しさが迫ってくるようで好きだな

・・・って、Hoffmannさん、メインでお使いの装置、スピーカーをH社のものからS社のものに接続替えしましたね

歌曲ならこちらだよ(^^*

すぺんさーさん、どろしーさん、おひさしぶりですっヾ(^∇^*




2008.01.20 sun


先日クーセヴィツキーのブラームスやチャイコフスキーのLPを引っぱり出したのをきっかけに、古いレコードを聴いています。ここで言う古いレコードというのは古い録音という意味ではなく、あくまで古い製造の盤のことで、それも現代に至るまで繰り返し再発売・CD化などされているものではなく、ほとんど忘れ去られている録音ばかり。ただそうした聴き方だと、どうしても通俗名曲の比率が高くなっちゃうんですけどね。

ジャケットが目に楽しいのもいいですね〜でも、右のフローラン・シュミットは通俗じゃないんじゃないですか?(^^*

ある特定の時代の演奏傾向など知るには、いわゆる「歴史的名盤」などと呼ばれているものよりも、埋もれた記録を掘り起こした方が有効ですね。たとえばフルトヴェングラーの演奏だけ聴いて、戦前ドイツの楽壇の傾向を語ることはできないし、またそれが当時の主流だと思ったりするのは大きな誤解です。

たとえは悪いかもしれませんが、ある時代の、ある地域(国とか)の思潮を知るには、当時の純文学よりも流行小説・風俗小説といった通俗文学を読まなければならないのと同じですね

そうそう。プルーストを読んだだけで当時のフランスやヨーロッパの社交界だとか市民生活などが理解できるわけではないからね





2008.01.19 sat



この画像、憶えておられますか? 2007.09.06 thursにupしたAIPのロジャー・コーマンによるポオ映画の一作、“The Raven”、邦題「忍者と悪女」から、ふたりの魔術師に扮したピーター・ローレとヴィンセント・プライスですね。

このときからいずれ取りあげようと思っていたのが、ひとつは昨日のヴィンセント・プライス主演の「地球最後の男」、もうひとつがこれ―



フリッツ・ラング監督のドイツ時代の名作「M」(1931年)です。


ベルリンで少女ばかりをねらった連続殺人が発生します。警察の必死の捜査にも犯人の手がかりはなく、日々犯罪者組織の取り締まりに活路を見出そうとして、一方その犯罪者たちは自らの生活を守るために独自に殺人犯の捜査に乗り出します。


やがて捕らえられた殺人犯は犯罪者たちによって裁かれることになります。

すると、昨日はヴィンセント・プライスがアウトサイダーを演じた映画で、今日はピーター・ローレがこれを演じているというわけですね

この映画のHoffmannの見方は優美の言うとおり―なにせ連続少女殺人事件ですから、近頃はこの映画についての記事など見ると、誰しも現代の類似事件を引き合いに出したり、そこまではいかなくても、やはり無視はできないで言及することとなるようですね。しかしHoffmannはactualな社会性(問題)というものにはまるで関心がありませんので、ここではこの映画そのものについてしか、語りませんよ(実在の殺人鬼ペーター・キュルテンについては―これは社会ではなく個人ですから―語りたいのですが、いまは省略します)。


場面場面の映像としての出来栄えを御覧あれ。現代の映画がほとんど無視してしまっている、言わば絵画的な美的完成度ではないでしょうか。

現代の映画が無視・・・とはどういうことでしょうか?

現代の映画はstory―物語を紡ぐだけで、映像作品であることによる審美の手段を忘れてしまっていると思うんだよ。音楽にたとえれば、横の線―つまりメロディが完結に向かって流れ、前進していくだけなんだな。重層的な響きがつくり出すもの(これは瞬間の意外性)を忘れてしまっている・・・


ああ、絵画的に完成されたシーンというのは、たしかに瞬間のものですね(^^*ゲーテを思い出しますね


これが1931年の作!


何気ないカットにも唸らされるばかりです。

影の使い方も巧みですし、小道具を映したカットによって、カメラの外側で起こっている出来事が目に見えるような気がしますよね(・・;

あと、しばらく無音の状態が続いて、唐突に・・・なんて、音の使い方も見事だよ


・・・とはいえ、なんといってもここではピーター・ローレの異貌、その多彩にして鬼気迫る怪優ぶりにご注目。




昨日は「地球最後の男」を「なかなかの傑作」と言いましたが、この「M」については少なくとも戦前ドイツの映画の「一大傑作」と断言したいと思います。

現在販売されているDVDは110分の「修復・最長版」、画質はきわめて良好です。




2008.01.18 fri

2008.01.11 friにちょっとだけふれたジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」、“Night of the Living Dead”(1968年米)ですが、その元ネタとして名前をあげられるのが「地球最後の男」ですね・・・って、これがリチャード・マシスンの小説のことなのか、その映画化である「地球最後の男」(1964年伊・米)のことなのか、よくわかりません(たぶん映画の方?)。

さてその映画はというとヴィンセント・プライス主演の、これはなかなかの傑作です。



地球上に蔓延した病原菌のために人類は死に絶えて、夜になるとその死者がゾンビのように甦る世界(原作では吸血鬼になる)。ただひとり病原菌に感染せず生き残った科学者は、昼間はその亡者たちを退治して、夜は家に籠もる生活を送っています。



ある日、昼日中にひとりの女性を発見して、家に連れて帰りますが、じつは彼女も感染者で、科学者の知らないところで症状の軽い者たちが新しい社会を造りはじめていた・・・彼がこれまで殺していたのはその症状の軽い連中で、彼らにとって主人公は抹殺すべき殺人鬼にすぎなかった・・・女性はスパイとして彼に接触したことがわかります。

つまり、主人公はいずれの社会からもアウトサイダーとなってしまっているわけですね


彼女は主人公を逃がそうとしますが時すでに遅く・・・


追いつめられたのが教会の祭壇で、槍に刺されて死ぬというのも意味深ですね。

ヴィンセント・プライスがすばらしいですね

さっき優美が言ったように、主人公はいずれの社会においてもアウトサイダーであるというのが重要だよね。症状の軽い者たちが造った社会というのはこの映画ではほとんど描かれていないけれど、その点に注目すれば、先日はロメロのゾンビ映画がやがてある種の社会性を帯びてきたことを「ツマラナイ」なんて言っちゃったけれど、そうしたなりゆきも理由のないことではないのかもしれないね

話がそれちゃいますけれど、吸血鬼にしても、心ならずも宿命を負わされた、正統な共同体からはアウトサイダーとされる苦悩の存在として扱った映画や小説がありますし、初期の「墓場鬼太郎」といった一種の貴種流離譚にも、これと共通するテーマがあるように感じられましたね

ちなみにその後、チャールトン・ヘストン主演でリメイク(「地球最後の男 オメガマン」)されているんですが、アチラは幼稚なアクション映画(に、とってつけたような宗教性を加味)。この映画の足元にも及ぶものではありません。




2008.01.17 thurs

2008.01.13 sunでリッカルド・ムーティを取りあげた、その補足―。



若き日、(ニュー・)フィルハーモニア管弦楽団との(オペラではなく)交響曲録音の白眉はシューマンの全集でしょうか。LP・CDともセットが手許にありますが、LPバラだと4番はメンデルスゾーンの4番、1番はメンデルスゾーンの5番とカップリングされているので手放せません(^^*

メンデルスゾーンの第3番がムーティの交響曲録音では最初に発売されたということでしたから、有名曲の3、4、5番の録音がそろっているわけですね。「イタリア」と呼ばれる4番なんてこの指揮者に向いていると思うんですが、SQエンコードのせいか、ちょっと混濁気味なのが惜しいですね

シューマンは第3番だけがやや単調に感じられるけど、ほかはどれもいいよね

おおむねテンポが速くて「スポーツカー」なんて仇名されたころの演奏ですね。どれも音楽に勢いがあって、聴いていてワクワクしますね。それにしても、オーケストラ名を「(ニュー・)」と表記したのは?(・・?


ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が1977年にフィルハーモニア管弦楽団に改称されたんだよ。4番が1976年の録音で「ニュー」の時代、2番は1977年、3番は1977年から1978年にかけての録音、1番が1978年の録音で「フィルハーモニア」だな。もっとも、もともと1945年の設立当初は「フィルハーモニア・・・」で、1964年から1977年までが「ニュー・フィルハーモニア・・・」だったんだよ。だから改称といっても、元に戻したわけだね。正式には“The Philharmonia Orchestra”と“The”を付けるんだよ

なんだかややこしいですね〜(^^;でも、オットー・クレンペラーのレコードで「ニュー」の付いたものと付いていないものがあるのは、その1964年を境にしているわけですね(^o^*)やっとわかりました♪



こちらはモーツァルトの交響曲第25番と29番、1976年の録音。手許にあるのは国内プレスLP。

「小ト短調」と呼ばれる25番は映画「アマデウス」を観ると聴きたくなりますね。颯爽と吹き抜けていくような演奏ですが、わざとらしい演出ではない歌心が感じられる好演ですね



フィラデルフィア管弦楽団との録音はあまり好きではないと言いながら、先日紹介したフランクの交響曲ニ短調とともに気に入っているdiscがこれ―。

スクリャービンの交響曲全集ですね。知的な演奏と言うよりも、ここでもいい意味で感覚的に高レベルでスクリャービンの音楽が消化されていると思います

たしかDie Toteninselさんもこのdiscをご推奨されていたよね


ベルリン・フィルを振った録音がすばらしい・・・ということでブルックナーの交響曲、左のLPは4番、CDは6番。右のCDはモーツァルトの第41番とディヴェルティメントK.136。

このなかではブルックナーの6番がすばらしいですね。張りつめた緊張感とリズム感のよさが印象的です

同感だ。とりわけブルックナー演奏では「巨匠」(老人)崇拝傾向の強いどこかの国では(笑)リズム感の悪い演奏ばかりがなぜかもてはやされているんだよね(^o^;)よたよた歩くようなブルックナーばかり・・・
Hoffmannさん、発言が過激すぎますよ〜(^_^;)モーツァルトも1985年の録音とあって、後のウィーン・フィルとのPhilips録音よりも若い頃のムーティの個性が発揮されていて好きだな




2008.01.16 wed

(いまやすっかり忘れ去られた感のあるクーセヴィツキーという指揮者がどんな演奏をしていたのかなんてほとんどのひとは関心がないんだろうなあと思いつつ(^o^;昨日の続き)



さて、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮のレコード、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との1934年のベートーヴェン交響曲第5番です。聴いていてはじめは「意外と客観的?」なんて思ったんですけが、へんにもったいぶったところもあり、そのあたりは恣意的にも聴こえるんですね。どうもこれは客観的というより「ぶっきらぼう」と言った方がふさわしいんですね。全体としては速めのテンポで過剰な思い入れを廃したものと聴こえるのに、ときどきテンポを落としてみたりして、それが恣意的に感じられるので、モダンなんだか古くさいんだかわからない。ちょっととらえどころのない演奏ですね。



これはボストン交響楽団とのブラームスの交響曲第3番。録音年はわかりませんが、1924年から1949年までの常任指揮者在任中の、おそらく戦後の録音と思われます。RCA Victor米プレス盤。

これは先のベートーヴェンとはまったく別人のような演奏です。テンポの揺れも強弱の付け方も極端ではなく、ブラームスらしい古典的な造形感覚にふさわしいもので、堂に入っているというか、すべてが有機的に生き生きとした音楽を生成することに成功しているという印象です。さらに弱音部が魅力的に響くというのは、これはオーケストラの上手さ故でしょう。

クーセヴィツキーさんってはじめて聴きましたけれど、このブラームスはいいですね〜



これもボストン交響楽団を振った演奏、チャイコフスキーの交響曲第4番です。上のブラームスと同じくRCA Victor米プレス盤、これも録音年はわかりませんが、たぶん戦後でしょう。


ロシア人指揮者だからというわけでもないと思いますが、ブラームスに比べるとかなり身振りが大きい(作品のとらえ方の違いでしょうね)。ただしこれも全体に速めのテンポで、フレーズの末尾で粘ったりはしないので、嫋々たる嘆き節にはならなくて、オーケストラの響きもあって「骨太のロマンティシズム」といった印象です。第1楽章などはなかなか聴き応えのある好演で、第2楽章など表情付けは丁寧なのに歌い口はすっきり。第4楽章のみ、勢いだけで押してしまって、ソロや打楽器などが全体から浮きあがって、めいめい勝手に鳴っているように聴こえるのが残念ですね。

この交響曲の第4楽章って、深い内容をこめるには難儀しそうな音楽ですからね〜(^o^;

クーセヴィツキーについては手許に資料もなく(探してみてもいないが)、当時の海外での評価の内容はわかりません。ベートーヴェン交響曲全集の解説にはかつての日本での評論家の文章など引用されていますが、これはアテにならず、その解説者もまともに読めるような文章を書いてはいないので、当然参考になりません。だからといって別に困ることはありません。なんでもそうなんですが、音楽そのものも、演奏も、自分で聴いてみて判断しなければならないのですよ。

以上の3枚のLPを聴いてHoffmannが得た印象を述べれば(あえて「印象」という言葉を選んでいます)、ベートーヴェンは古くてあまり参考にならず、どうもその様式や方法が未だかたまっていなかったんじゃないかと思われます。ブラームスはなかなかの造形感覚、チャイコフスキーになるとブラームスと共通する熱気あふれる演奏ながら、後期ロマン派らしくダイナミクスの抑揚やテンポの伸縮が目立ちます。次世代の、アメリカのオーケストラを振った指揮者であるミュンシュやライナーのようにオーケストラの機能性が特別に前面に強調されることはなく、それでも前時代的な肥大化したロマン主義ではなくて、どこか客観的なコントロールを感じさせます。忘れ去るには惜しい演奏ですね。

次にボストン交響楽団とのシベリウスの交響曲第2番のレコードを聴こうと思っていたんですが、これはまた機会をあらためて取りあげることにします。




2008.01.15 tues



東芝が1970年代に発売したベートーヴェン交響曲全集です。「世紀の9大名指揮者による・・・」とされた企画盤で、各曲ごとにEMIやColumbiaなどの歴史的遺産からさまざま演奏家の録音を寄せ集めたものです。従って全部mono録音。6枚組LPの内容は収録順に以下のとおり―

第7番 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 録音;1929年11月

第1番 アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 BBC交響楽団 録音;1937年10月25日

第2番 カール・シューリヒト指揮 パリ音楽院管弦楽団 録音;1958年9月

第5番 セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 録音;1934年

第3番 オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 録音;1955年

第4番 ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音;1950年

第8番 フランツ・シャルク指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音;1928年

第6番 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音;1936年6月22日

第9番 フェリックス・ワインガルトナー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほか 録音;1935年2月2〜4日


録音年はこの盤に添付された解説書には記載がなく、一部解説者が明記しているものもありますが、その後に出た盤による情報とは異なるものもあり(7番)、上記は今回Hoffmannが調べたもの。間違っていたら指摘してちょんまげ(^^)

1番、2番、4番、6番、9番あたりはほかの盤も出ていて(Hoffmannも別盤―LPを持ってます)、つまりは結構有名な録音。おそらく現在でもCDでの入手は容易じゃないでしょうか。さらに7番もこの指揮者のファンは多いので、この7番などはたいした演奏ではないものの(解説者は狂人の寝言のような賛辞を寄せていますけどね)これも簡単に手に入るでしょう。3番は同じオーケストラとのstereo録音の方が有名、また8番もあまり人気がなさそうですが、このあたりもCD化はされているようですね。

問題はクーセヴィツキーの「運命」。これ、CD出てます? いや、LP化されたのもこの東芝の盤がはじめてだったようで、ほかの盤を見たことがないんですよね。

セルゲイ・クーセヴィツキーといえばロシア出身で後にアメリカに移住、1924年から1949年までボストン交響楽団の常任指揮者を務め、同オーケストラを世界的な水準にまで高めたと言われている名指揮者ですね。ボストン交響楽団は次代常任指揮者はシャルル・ミュンシュ、その棒のもとで黄金時代を迎え、その後は一時期常任指揮者が長続きせず、小澤征爾が就任して長期政権を誇ることとなる、とは一般的に言われるところ。また、ミュンシュの時代にはさかんにラテン系(つまりフランス)音楽が取りあげられたというものの、じっさいにはクーセヴィツキーがそれまでドイツ音楽偏重だったボストンの聴衆に、フランス系あるいはスラヴ系の音楽を積極的に紹介したのだ、ともよく言われますよね。

でもね、こうした「常識」ってたいがい一般的なハナシとしてそう言われているものの、クーセヴィツキーがフランス系あるいはスラヴ系の音楽を積極的に紹介したというのなら、先代のピエール・モントゥーはあまりやらなかったのか、とは疑問に思いますね。それに、ボストン交響楽団の水準を高めたというハナシも、そんなこと言いながらじっさいにはクーセヴィツキーの録音なんてほとんど聴いたことのないひとが多いんですね。


・・・というわけで、上記ベートーヴェンのほかにも、レコード棚からクーセヴィツキーの録音を探し出してきましたので、ちょっと聴いてみましょう。

(たぶん続く)




2008.01.14 mon


「回転」、“The Innocents”(1961年・英)です。ご存知ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」が原作。監督はジャック・クレイトン、脚本はウィリアム・アーチボルドとトルーマン・カポーティ、音楽にジョルジュ・オーリック。出演は家庭教師役にデボラ・カー、子役がマイルスにマーティン・スティーヴンス、フローラにパメラ・フランクリン。



19世紀半ば、家庭教師として雇われたギデンズは田舎の屋敷に住み込んで、兄妹の世話をすることになります。ところが彼女の前に見知らぬ人影が現れ、それは前任の家庭教師とその愛人だった男の幽霊で、しかもふたりの子供に取り憑いているらしい。ギデンズは子供たちを救おうとするのですが・・・。

「ねじの回転」といえば近代以降の怪奇小説を語るときには、必ずその名が出てくる名作ですね。いや、じつはここらで格調高い正調怪談映画でも・・・と思ったんですが、どうもHoffmannはこの原作があまり好みじゃないんですよ。で、映画の方はというと、細部に関しては、若干の変更はあるものの原作にはほぼ忠実、DVDのケース裏にも「原作の精神に忠実」なんて書いてあります。でもね、映像で観ちゃうと、肝心のところが・・・やはり・・・見えすぎちゃうというか・・・

今日は歯切れが悪いですね〜(^^;



まあその・・・幽霊のことなんだけどね(^^;それと、亀だとか壊れた石像だとかが、オブジェとしてよりも、かなりあからさまな「象徴」「暗示」となっているのがどうも・・・そのうえ、そこにはっきりと幽霊を出されてしまうと、もう見方がひとつしかないんだな。その点つらつら考えるに、これがはたして「原作の精神に忠実」と言い切れるのかどうか・・・と。これならやっぱり原作で読んだ方がいい鴨・・・(-_-;

「あまり好きじゃない」とか言いながら・・・(^o^*

あえて言えば、心理劇がありふれたghost storyになっちゃったような寂しさ(?)を感じちゃうんだよね



デボラ・カーは、この家庭教師が精神的に追いつめられてゆく、その微妙な揺れ動きを見事に演じていますね。二人の子役も無邪気とも邪悪ともとれるような曖昧さが感じ取れるあたり、さすがの演技です。

パメラ・フランクリンって、後に「ヘルハウス」で霊媒の女の子を演じた女優さんですね(^^*これは子役時代

なんだか、幼いころから幽霊に縁があったみたいだね(笑)



カメラワークもまったく上手いものです。オーリックの音楽もいいんですが、場面場面での使い分けはやや陳腐かな・・・まあそのあたりは時代を考えれば多少古さを感じさせるのも仕方がありません。

filmの保存状態もいいのだと思いますけど、たしかにモノクロ映画のお手本といいたいような映像ですね。それだけでもこの映画には価値があると思いますよ

たしかに、光や影の扱い、その陰影感は卓越したものだね。観ていて、こんなモノクロ写真が撮りたいな〜とか思っちゃったよ(^^*Tri-Xかな、それともPRESTOかな・・・なんて(笑)


そういえば「ねじの回転」って、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンがオペラにしていましたよね

うん。以前、作曲者指揮による全曲録音のオリジナル盤LPを持っていたけど、どうしても欲しいというひとがいて、めったに聴かないHoffmannが持っているよりレコードのためにはいいだろうと思って譲っちゃった。惜しいことしたかなー(^^;




2008.01.13 sun



リッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。英EMI盤。これまでにも何度かここに取りあげたと思うんですが、寒い冬の夜に聴きたくなるレコードです。これがムーティ初の交響曲録音(メンデルスゾーンの交響曲第3番の方が発売は先ですが、録音はこちらの方が早かったはず)。新進若手ならではの魅力にあふれた好演です。SQエンコードされた盤ながら、さほど音場の混濁はありません。その後ムーティは同オーケストラと交響曲全集を録音していますが、Hoffmannにはこのいちばんはじめの録音がもっとも好ましい。後の録音では演奏の充実とともに失われていったものもあるんですよ。



1980年、42年の長きにわたって音楽監督を務めたオーマンディから推薦を受け、その後任にフィラデルフィア管弦楽団のシェフとなったムーティは、EMI(Electrola)にさかんに録音を行いましたが、Hoffmannはこの時期のムーティのレコードを好みません。毎度同じことを言って恐縮なんですが、オーケストラの音色・響きに魅力がないんですね。そのなかで、ほとんど例外的に愛聴しているのが、このフランクの交響曲ニ短調です。

フィラデルフィア管弦楽団といえば、オーマンディ時代には「(黄金の)フィラデルフィア・サウンド」なんて言われていましたね。そのオーケストラの音色に魅力がないなんて言うと、よくあるヨーロッパ偏重、アメリカ軽視とか、オーマンディのようなあっけらかんと輝かしい響きなどそもそも嫌いなのか、と思われるかもしれませんね( ̄ー ̄*)フフフ・・・

・・・で、いかがなんですか?(・・*

じつは、オーマンディ、フィラデルフィア管弦楽団の演奏をナマで複数回聴いたことがあるんだよね(笑)

(この話題、続・・・かない・笑)




2008.01.12 sat



こちらはお馴染みハマー・プロの「吸血ゾンビ」、“The Plague of the Zombies”(1966年英)です。ジョージ・A・ロメロ作品にも大きな影響を与えたと言われている映画ですね。



ストーリーはイギリスのコーンウォール地方で原因不明の死者が続出、じつは土地の地主がこれと目をつけた人間をゾンビに仕立てていた―というもの。そもそもゾンビというのはハイチのヴードゥー教(”Voodoo”という表記を見ると、ひと昔前のビデオカードなんぞ思い出しちゃいますね・笑)に起源があるわけで、ここでは地主がもとハイチに滞在していたことになっています。で、その目的はなにかというと、自分の鉱山でタダ働きさせるため―というのが、なんだかショボいぞ(笑)とはよく言われるところですが、ヴードゥー教のゾンビというものは、これを労働力すなわち使役を目的とする存在であるとの説もありますから、まんざら的はずれというわけではないのですね。もっとも、ここでのゾンビ製造方はかなりご都合主義的な魔術によるもので、ヴードゥー教についてはまるで調べてませんね。従って脚本に関してはかなりお粗末、映画としてあまり出来がいいとは申せませんな。墓場の土の下から続々とはゾンビが現れるシーンと、死んだ女性が棺のなかで目を開けて・・・というシーンなどは印象的で、さすがハマーとうならせるものがあるんですけどね。



そういえば、ロメロの映画も第一作ではあくまで“Living Dead”であって、「ゾンビ」という名前が使われるのは第二作からでしたね

そう。じっさいロメロ作品に登場するのは、ヴードゥー教のゾンビとはまったく別な存在なんだよね(だからいいとか悪いとかいうことではないよ)



ウェイド・デイヴィスの「蛇と虹」(草思社)。ウードゥー教におけるゾンビ現象を解明しようとした研究に関しては、この本がおすすめ。ちなみにこの出版社、結構良書を出しているのに、先だって民事再生の適用を申請したとか。「いいものをつくる・売る」ということと「儲かる」ということは別、だから巷にはくだらない本ばかりあふれてくるんですなあ。




2008.01.11 fri



Hoffmannはもともとゾンビ映画にはあまり興味がなかったんですが、いつぞやも紹介したこのヽ(^o^*本など読んでから、何本か観ています。

Gregory A. Wallerの“The Living and the Undead”(University of Illinois Press, 1986)ですね。論じている内容は表題どおりですが、その対象は吸血鬼からゾンビにまで至っていますね


さて、これは「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」、原題はそのまま“Night of the Living Dead”、すなわち「生ける死者の夜」、ジョージ・A・ロメロ監督による1968年米のゾンビ映画ですね。周知のとおり、その後の「ゾンビ」(1979年)、「死霊のえじき」(1985年)と合わせて「ロメロのゾンビ映画三部作」なんて言われている、その第一作です。Hoffmannが観たのはその三部作と、2005年の4作め、「ランド・オブ・ザ・デッド」など。

結論から言うと、Hoffmann的にはこの第一作だけがいいかなと・・・。ここでは「生ける死者」が、「正常な」登場人物たちにとって、ひたすら理不尽な恐怖の対象であることに徹しているのが好ましいんですね。その後の映画では「生ける死者」が「ゾンビ」という名のsupernaturalな存在となって、特定の個人よりも、社会にとっての脅威―恐怖となってしまう。そのため、「ランド・オブ・ザ・デッド」なんて安っぽい社会派映画と成り下がっているんですね。もっとも、おそらくそのあたりがかえって評価されているのだろうと思いますが、制作順に観ていくと、なんだかギリシア悲劇でアイスキュロスやソフォクレスが本質的・根源的な人間像を描いたのに、エウリピデスに至って社会における人間像となってしまったのと同様なツマラナサを感じるんですよ。ロメロなら、断然この第一作ですね。

残酷なシーンも間接的な表現で、上のシーンも、常套手段ではありますが、影を効果的に使っていますね。その意味では、モノクロというのもよかったんですね

<次回予告>

「おれたちゃ愉快な3人組〜♪」




2008.01.10 thurs

2008.01.03 thurs (その2)で取りあげたドラマ、「四季・ユートピアノ」では全編にわたる主要なテーマとしてマーラーの交響曲第4番の旋律が採用されていますが、ほかにもJ.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」、J.シュトラウスII世の「美しく青きドナウ」、スコット・ジョプリンの「エンターテイナー」あたりが耳に残ります。そのなかでもとりわけ印象的なのはバッハですね。

J.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」といえば、これはカンタータ第147番「心と口と行いと生活をもって」BWV147のコラールを編曲したもの。有名な録音はなんといっても夭折のピアニスト、ディヌ・リパッティによるものですが、ここではHoffmannの好きな二種の録音を紹介しておきます。


左は奇才高橋悠治の比較的初期の録音、J.S.バッハの有名曲のピアノ編曲版を集めたLPです。「主よ、人の望みの喜びよ」はマイラ・ヘスの編曲版。ここではアンコール・ピースとしての(聴かせる)演奏ではなく、あくまで自分が演奏して楽しむための音楽となっています。一見作為のない淡々とした表情のなかにその愉悦が聴きとれる、Hoffmannの大好きなレコードです。

右は比較的録音の少ないフランスの女流イヴォンヌ・ルフェビュールのdisc。じつはリパッティもこのひとの門下。ちょっと以前は最晩年のフルトヴェングラーと共演したモーツァルトのニ短調ピアノ協奏曲ばかりが有名でしたが、最近ではこの仏EMIから出た2枚組CD以外にもDVDまで発売されていますね。


そのDVDの映像も取りあげておきましょうか―。


右は晩年TV出演の際のラヴェルの演奏。




若き日、師アルフレッド・コルトーと。ちなみにこのDVDにはコルトーやサンソン・フランソワの演奏風景も収録されています。



これは子供のころの写真ですね(^o^*



すてきな笑顔ですね〜ヾ(^∇^*




2008.01.09 wed

先頃発生せしhomepage作成用PCの故障はHDDのクラッシュにて候。これがナント、起動ドライブのみならず、data保管用2ndドライブも同時にお亡くなり。忌中。

幸いにもdataの大半、写真のすべては別マシン2台のHDDにcopyあり、うち1台はRAIDで鏡ing、一部のdataを除いてはこれみな無事。homepage使用file、つまりhomepage作成ソフトのdataは、かなーり以前のbackupしかなく、しかしこれはsiteが落とせばいいので無問題。

さて該当のマシンには、あらかじめOS及び最低限のdriver(母板、映像板、音板などの)をinstallして「素」の状態になっている予備HDDの用意あり、即刻起動ドライブをこれに換装し、必要な各種ソフトを追加install。これにてhomepageの更新は可能となる。

それにしても昨年はfile鯖マシンも母板ポックリ、おかげでCPUクロック数1/3の予備機に入れ替わるし、過日はHoffmann自身のそのリアル身体が壊れるし、これは身に覚えのないながら、自らはそれと気付かぬ過失の如き不徳故の祟りなのか、はたまた生身も機械も無情な時の経過故、早いハナシが老化現象なのか・・・。

さしあたり、よりいっそうのbackup体制を強化中。




2008.01.06 sun


昨夜突然homepage作成用PCがダウン、その後起動できなくなり、今日一日つぶしてなんとか復旧できました・・・が、データはすべて吹っ飛んでしまいました。

お写真は別マシンにバックアップがあるのが不幸中の幸い。homepageに使用しているファイルはサイトから落とすことでなんとかなります。ところが残念なことにbbsのログなどがもう取り戻せません。これはHoffmannにとってひじょうに悲しいことです。

きわめて個人的で申し訳ないんですがここで一言。

当家bbsのログをお持ちの方、どうか送信いただくか、あるいはどこかにupしていただけないでしょうか。2005年1月以降分だけでも結構です。お願いいたします。




2008.01.04 fri

最近観た映画でも取りあげようかと思ったんですが、いくらなんでも昨日とりあげたドラマに続けてハマー映画ってわけにもいきませんな(^o^;




2008.01.03 thurs (その2)

さて、本日は出し惜しみせずにもうひとつ。昨日マーラーの交響曲第4番を聴くと思い出すと言ったのはこちら―。



マーラーの交響曲第4番終楽章の旋律にのせて歌われる詞―

夢は 風のなかにきこえる あの音
虹色の 七つの音よ
雪の日に消えた あの音
風よ うたえよ Aの音から


「四季・ユートピアノ」、1978年4月〜1979年12月、NHKの制作で監督は佐々木昭一郎、初放送国内版は90分で海外コンクール版100分、手許にあるVHS tapeも100分です。ちなみに海外版のタイトルは“A DREAM IN A DIFFERENT KEY”。

ピアノ調律師栄子(さん、と付けたいな)が、その生い立ちから現在まで、出会ったひとびとやものの記憶をたどる過程が描かれた傑作。「栄子さん」というのは音叉のAの音から「A子さん」とも連想され、彼女の記憶も音や色に寄せて描かれています。



幼年時代の記憶―兄、蓄音機、そしてピアノ。その兄を亡くし両親も失い、祖父母の元で成長した栄子さんは上京して、ピアノ工房で働いた後、ピアノ調律師となります。その生活でもさまざまひととの出会いと別れがあり、たぐり寄せた記憶からやがて自分の望みを発見した彼女は、亡き兄のため故郷にピアノを送ります。



家族やかけがえのないひとを失ったときには第1楽章のコーダが鳴り響いてピリオドを打ち、新たな旅立ちには第1楽章の第2主題が流れます。



なんといっても主演の中尾幸世さんが、自らの記憶をたどり求めるものを探してゆく、その感動的な姿を演じて、すばらしく魅力的です。そのためでしょうか、この作品が放送された後、日本国じゅうに若きピアノ調律師志望者が続出した、なんてエピソードもあるとか(笑)


たしかこのひとは当時多摩美の学生さんじゃなかったかな。つまりドラマのなかで使われている絵はじっさいに「栄子さん」本人によるものなんですね。

じつはこのVHS videotape、昔HoffmannがVHS機器をはじめて導入する際、その前日に購入した2本のうちの1本(もう1本はヴィスコンティの・・・わかるよね)。当時はvideoレンタル店全盛期で、VHSソフトはとんでもなく高価でした。いまケースを見ると定価14,800円とあります。DVD化希望。これまでの過去の資産を観る限り、NHKのfilm保管状態はまったくもってアテにならんので、状態が悪くならないうちにDVDで出してもらいたいものです。




2008.01.03 thurs



昨日upした下から二番めの画像は「美しい日々」と題されたバルテュスの絵ですね。奥さん、すなわち節子夫人は日本人。本名はバルタザール・クロソフスキー・ド・ロラ。

サド研究家のピエール・クロソフスキーはお兄さんですね

上は白水社から出た「バルテュス」阿部良雄・與謝野文子編。



この本のなかに、ちゃあんとクールベの絵とバルテュスの絵が並んでいるページがありましたな(^o^;;澁澤龍彦のエッセイです

編者のひとりである阿部良雄による「バルテュスとクールベ」というエッセイも収録されていますし、そのほかにもアントナン・アルトーが「キャシーの化粧」という絵について、クールベの「画家のアトリエ」を引きあいに出して語っていますね

なんか、こんなことがきっかけでバルテュスの画集が欲しくなるんだよね(笑)




2008.01.02 wed

えー、じつは昨年末もおしせまった折も折、ちょいと怪我をしてしまい、日常生活に不自由はないんですが、あまり外を出歩けません。直後、休みに入って、タイミングがいいんだか悪いんだか・・・。

えっ(驚)お怪我なさっていらしたんですか・・・ちっとも気がつきませんでした(・・;)どこをお怪我されたんですか?

神が人間に与えたもうた、もっとも美しいところだよ( ̄_ ̄;)オホン

すると・・・ま、まさか
「魂」・・・?(・・;;;

「足のウラ」ですねっヾ(^∇^*

さて、ンなわけで、これをいい機会に、本だのレコードだのDVDだの読みまくりの聴きまくり(笑)ケガっつーのもまんざらマイナス面ばかりじゃありませんな(^0^*カンラカラカラ


ポジティブ志向ですね〜(^o^A;ひと安心・・・

昨日は「新春早々新進シャンソン歌手による新年新進シャンソンショー」・・・じゃなくって、なぜかブラームスの「ドイツ語によるレクイエム」のdiscなんぞあれこれ引っ張り出して聴いていたんですが、年頭にレクイエムってえのも気がきかねえってなもんでHoffmannさん、言葉遣いが落語調になってます(^o^;これも迎春効果?とりあえず本日はこのへんから話をはじめましょうかね・・・


ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの放送は元旦でしたっけ? 今年はだれが指揮したんでしょう? Hoffmannの家にはTVがないので観ることができませんが、まあ観られなくてもさほど残念でもない(笑)Hoffmannの職場にはヨーロッパ旅行に行ってウィーン・フィルを聴いたことが自慢だという女性がいますが、指揮者がだれだったのか、演奏された作品がなんだったのかもわからないそうで、でもアタシはアナタと違って本場で聞いてきたのよっ、てえのはつまるところ、オイラのコートはロンドンで買ったバーバリーだぜえ、というのと同じ次元ですな(笑)ついでに言っちゃうと、ろくすっぽ音楽なんか聴かないひとほどウィーン・フィルが世界最高のオーケストラで、さらに「ウィーン」と名の付く団体はすべて一流だと思い込んでいる傾向があって、たとえその演奏を聴いても、「聴いて判断する」のではなくて、単に「思い込んでいる」だけのことなんですな。

ま、それはそれとして上はワルトトイフェルの作品集。ウィリー・ボスコフスキー指揮モンテ=カルロ国立歌劇場管弦楽団による演奏のLP。「エスパナ」、「スケートをする人々」、「女学生」なんて有名曲が収録されています。音楽的にはたいして意義のある作品とも思わないんですが、じつはHoffmannはワルトトイフェルが好きで、ときどき聴いています。モンテ=カルロのオーケストラはフレモー、カンブルランなどの棒で録音したレコードを何枚か持っていますが、なかなか優秀ですね。なにより音色が上品で美しい。ちなみにボスコフスキーによるワルトトイフェル第二集はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。いずれもSQエンコードされた盤ですが、そんなに位相がおかしいという印象はなく、混濁感もありません。

もしもHoffmannがニューイヤーコンサートに招かれるような大指揮者だったら、プログラムにはワルトトイフェル、スッペ、オッフェンバックあたりの作品をずらりと並べちゃうんですけどね・・・(^^;接続法第二式

ブーが飛んできそうですよ〜(^o^;



これはサー・トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるモーツァルトのファゴット協奏曲、クラリネット協奏曲のレコード。ソロはファゴットがギディオン・ブルック、クラリネットがジャック・ブライマー。stereo初期の1950年代終わり頃の録音でしょう。たぶんこれが初出盤。

Hoffmannはそれほどビーチャムという指揮者が好きなわけではないんですが、いくつか愛聴しているdiscはありまして、なかでもこのレコードは特別です。モーツァルトのこのふたつの協奏曲作品のdiscとしても、ほかの有名な盤以上に、この演奏をいちばん好んでいます。



ついでにフルート協奏曲が聴きたくなって引っ張り出したのがこの盤。ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ソロはHubert Barwahser、録音年不詳ですが、たぶん1940年前後でしょう。

このメンゲルベルク、コンセルトヘボウ管の1939〜1943年のlive録音を集めた5枚組のLPは、レーベル名が“Curtain Call”となっていますが米Music & Arts社ですね。ほかにベートーヴェン、バッハ、ブラームス、ドヴォルザークにラフマニノフなどの作品が収録されています。メンゲルベルクといえば楽譜の改変などなんとも思わなかった時代の指揮者で、バッハでも濃厚なロマン主義的情緒たっぷりの演奏になるんですが、、意外にもこのなかではモーツァルトのフルート協奏曲、ピアノ協奏曲第19番、「エクスルターテ・ユビラーテ」がとくにいいんですよ。録音も時代を考慮すればまずまず。これも好きな演奏です。


モーツァルトの次は(というよりメンゲルベルクの次か?)近衛秀麿指揮によるマーラーの交響曲第4番です(左)。近衛秀麿は1898年生まれの指揮者、内閣総理大臣を務めた近衛文麿の異母弟ですね。戦前にはヨーロッパへ渡りベルリン・フィルも指揮(ただし自腹だったそうです)、これは帰国後1930年に新交響楽団(後のNHK交響楽団)を指揮して録音したもので、マーラーの交響曲第4番の世界初録音です。もちろん当時は78回転のSP盤で長らく入手困難、フランスの高名なマーラー研究家が来日した折にも、「コノエのレコードが欲しい」と言っていたとか―。CD復刻は1988年(でもあっという間に廃盤に)。

右は読売日本交響楽団との1968年の録音をまとめたdisc。収録曲は(これは表題だけでわかるでしょう)「運命」、「未完成」、「田園」、「第9」、「新世界より」、「モルダウ」など。なにしろ家柄が家柄なので、オーケストラとのリハーサルでも、「そこのところはこのようにしてくださいましね」なんて調子だったそうです。

でも、オーケストラの団員には「親方」なんて呼ばれていたとか・・・

近衛家の文麿が「殿様」と呼ばれ、秀麿は「御館様」と呼ばれていたことからそうなった、という説がある。それに従えば「御館」に「親方」をかけていたのかもしれないね(^^*

没年は1973年ですが、その音楽造りはやはり旧世代のもの。楽譜の改変・カットもあって、かなり強引といっていいような表現意欲を感じさせます(もっともいまどきはそもそも意欲っちゅうもんのカケラほども感じさせない演奏家が多いんだよね)。ちなみにここに収録されたベートーヴェン第9交響曲には思い出がありまして、Hoffmannが○○生のとき、運動会の日でしたか、校内放送で第9交響曲の第4楽章が流れてきたんですね。その演奏がなんとも奇怪なものと聴こえたので、だれの演奏なのか放送室に確認に行ったところ、近衛指揮の読響盤だったんですよ(古いレコードを使っていたんだねえ)。

さて、マーラーの復刻版ですが、聴いてみてびっくりするのは、結構オーケストラが上手いこと。それに1930年のこと、マーラーなんて楽員のほとんどが知らなかったんじゃないでしょうか、それなのにマーラー演奏としてさサマになっているんですね。


左はメンゲルベルク、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による1939年の、これも歴史的録音。現代の感覚からすればかなりデフォルメ・・・ながら作品(作曲家)との同時代感覚か、迷いのない共感ぶりはなんとなくうらやましいような気がしますね。

右はオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏。ジャケットはカスパル・ダヴィッド・フリードリヒの「海辺の僧侶」(いいですなあ)。演奏はもちろんたいへんすぐれたものなんですが(ただしシュヴァルツコップのソロはHoffmannの好みではありません)、じつは録音もすばらしく良質。でも、有名な盤ですから、なにもHoffmannがあれこれ語る必要もなさそう。ほかにもいい演奏のdiscは少なからずあるんですが、むしろここではあまり取りあげられることのないものを紹介しておきましょう―。



ロリン・マゼール指揮ベルリン放送交響楽団によるレコード。マゼールが同オーケーストラの音楽監督だった時期の、おそらく1960年代の録音ですね。第2楽章のヴァイオリン・ソロは当時のコンサートマスター豊田耕児じゃないでしょうか。Hoffmannが所有している盤は英Pearl盤ですが、たしか元はConcert Hall盤だったと思います(違ったらスマソ)。Concert Hall盤といえば、以前シューリヒトのブラームスなどが異様な録音で聴くに耐えないと言ったことがありますが(詳細はこれまでにもさんざん語ったのでここでは省略)、幸いこの盤はあんなに奇天烈な録音ではありません。

なんだか今日は(括弧)が多いですね〜(^^;

きょうはカッコいいんですかっヾ(^∇^*


さて、ここでクイズ。このレコードのジャケットはクールベの「プルードンとその子供たちの肖像」の部分ですね。この絵が出てきたら連想するのは当然、あの日本とも縁のある画家・・・だれでしょうか?(^^*



大ヒント(笑)

サドとも間接的に縁がありますね(^^*

さてさて、連想をもうひとつ―マーラーの交響曲第4番を聴くと思い出すのはこちら―。






2008.01.01 tues



あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいいたします<(_ _)>



花のことしの目標はHoffmannさんの健康維持ですよっヾ(^∇^*


うれしいこと言ってくれるね〜(^o^*それじゃ、まず栄養のある食事から・・・(笑)

ごはんはいままでのはんぶんにへらしてくださいっヾ( ̄∇ ̄^*おさけは控えめに、それから夜は1時間早く寝て・・・

あら、Hoffmannさんは? どこへ行かれたのかしら・・・((((*^o^)     (・|