monologue 2008.03

2008.01 2008.02
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2008.03.32 Σ( ̄□ ̄;mata!

桜なんてあまり好きじゃないと公言しているHoffmannですが、毎年この時期になると一度や二度はカメラを持って撮影に行きます。3年くらい前にはレンズをとっかえひっかえしてみたりもしたんですが、今年はこれしかないと、古くて重たいいレンズを持って行きました・・・で、現像はまだできていないんですが、ちょっと昨年と一昨年の写真はどうだったかなと調べてみたら、桜の写真に限っては、やっぱり今年使ったのと同じレンズで撮ってました。しかもこれ、その後はずっとしまいっぱなしでほとんど使われていない、ここ3年間、桜写真のためだけに出動するレンズだったんですね。

フランス生まれのレンズですね


左が一昨年、右が昨年の写真。いずれも縦位置なのはタマタマ。

どうも題材としては撮っているひとも多いから、へたくそなのがバレちゃうんだよね(^_^A;

さすがに桜ですから、Hoffmannさんのお好きなモノクロ写真は撮られなかったのですね

うんにゃ、撮ってるけどそれは別のレンズ。このレンズはカラーの方がいいんだよ(笑)



いわゆる「ボケ味」のわかりやすい写真。




2008.03.31 mon


Wagnerの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」DVDとMahlerの交響曲「大地の歌」CDの新譜。Wagnerの全曲録音と「大地の歌」はよほどキョーミのないものでなければ入手することにしているので・・・いずれあちらのページに追加予定。


2008.03.07 friにupしたDVDもまだ登録(?)してませんよ〜(^^;

作業は乳として・・・もとい、遅々として進まず、平成19年度も幕(^_^A;




2008.03.30 sun



Otto Klemperer指揮The Philharmonia Orchestraのレコードです。収録されているのはJ.シュトラウスII世の「ウィーン気質」、「こうもり」序曲、「皇帝円舞曲」、クルト・ワイル「小さな三文音楽」、クレンペラーの自作“Marry Waltz”。録音は1961年仏Pathe盤。

クレンペラーというとベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスにブルックナーなど、そのあたりのレコードはたいがいだれかが賛辞を贈っているんですが、最近はバッハやヘンデルあたりになると、古楽器演奏隆盛という時流故か(あえて「時流」と言っています)、あまり取りあげられることもなく、どころか、ほとんど見向きもされないありさま。いまの時代にこそ、クレンペラーのバッハやヘンデルに耳を傾けるひとこそ「こころある聴き手」だとHoffmannは確信しています。

上記のレコードもこれまで言及されているのを読んだ記憶がありません。どの作品の演奏にも聴くべきものがあるんですが(自作“Marry Waltz”もおもしろい!)、とりわけ昨日からの流れもあって(笑)、ここで特筆大書しておきたいのがクルト・ワイルの「小さな三文音楽」です。これは言うまでもなく、「三文オペラ」から編曲した組曲版ですね。決してドライになりすぎず、乾いたユーモアを感じさせつつ淡々と(どことなくそらっトボけて)進行するこの音楽こそ、クレンペラーの音楽造りの特質を際立たせることにかけては、最右翼の存在と言えるんじゃないでしょうか。

Hoffmannさん常用スピーカー、ときどきメインの座を交代させているサイズ違いの3組ですけれど、EMI(Electrola、Pathe)のクレンペラーのレコードがもっとも相性がいいんじゃないですか?(^o^*

エヘン( ̄ー ̄
*)ゞ照れるな〜 (^o^;なにもHoffmannさんをホメてるわけじゃ・・・




2008.03.29 sat

カメラバッグは3つばかり持っておりまして、容量とか使い勝手により、それぞれ使うsituationが異なります。そのうちひとつがもうボロボロ。バッグなんて少々くたびれている方が貫禄なんですが、それにしたってさすがにみすぼらしくなってきたので、これに代わるものを物色していたところ、雑誌記事によさそうなものが・・・ところがこれ、アサイ某というプロカメラマンの意見を取り入れて作られたものとかで、そのカメラマンの名前が付けられています。“Shinpei あsai”モデルって・・・いや、もちろんメーカーがだれに意見を求めたってかまわないし、Hoffmannはこのひとのこと、ぜんぜん知らないので、なんの遺恨があるわけでもないんですが、たとえこの名前が「深井 心配」であろうと、「上田 商事」であろうと、「キム 雷兵」であろうと、「ブレッ損」であろうと、はたまた・・・(^o^;もういいですよ〜Hoffmannには「なんのなにベエ」という名前がちゃんとあるんですよ。なにが悲しくて(嬉しくて?)見も知らぬ他人様の名前が付いたバッグなんか持たなきゃならないんですか。こんなのタダでも欲しくありませんよ。てゆーか、こんなの買うひとがいるんでしょうか・・・。

バッグなんて、なかなか思いどおりものはなくて、どこかで妥協しなきゃならないんだけどね

Hoffmannさんはどんなバッグが理想ですか?(^^*

えーと・・・銃弾20発と金貨50枚が入っていて、投擲用ナイフが仕込まれているの・・・( ̄ー ̄)



はあ?(^o^;

そしてしかるべき開け方をしないと、催涙ガスが噴出するやつだな(笑)








「ぶっしゅぅ〜」 「呼んだ?」

ちなみにこの映画でもっとも魅力的な女優さんは?


Hoffmannさんのことですから、この方じゃないですよね?(^^;


右のシーンは好きだけどな(^^*


やはりこのひとでしょうヾ(^-^*

・・・と、なると・・・(^^*



このレコードが聴きたくなるね(笑)

♪鮫にゃ歯がある マックにゃドスがある〜ヽ( ̄^0 ̄^)/


♪晴れた日曜の海辺に 土左右衛門がころがってた〜ヾ( ̄∇ ̄)/


♪角をまがってった人影 その名はドスのメッキーだ〜
ヽ( ̄□ ̄)/



さらにこんなの引っぱり出してきたりして・・・(^^*




2008.03.28 fri



プーランクのオペラ“Dialogues des Carmelites”「カルメル派修道女の対話」はDVDも発売されています。Jan Latham-Koenig指揮Choeurs de l'Opera national du Rhin、Orchestre Philharmonique de Strasbourgの演奏、歌手はAnne Sophie Schmidt、Patricia Petibonほか、1999年のlive収録で演出がMarthe Keller。

マルト・ケラーって、小澤征爾のオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」でジャンヌ役でを演じていたひとですね

そう、バーゼル出身でハリウッドに渡った女優さんだけど、これがオペラ演出のデビューで、評判となった公演だそうだよ



修道院長の死。


歌手たちの演技・演出とも間然するところのない見事なもの、決して陳腐ではないんですが、すべてがあるべき姿で展開されてゆきます。音楽の緊張感が高まってゆくときに、昨今の前衛演出にありがちな、風変わりな効果を追求して散漫になってしまうようなちぐはぐさはありません。


舞台は簡素ながらたいへん美しく、ドラマの求心力に我知らず引き込まれてしまいます。やはり音楽がすばらしい。



第三幕、最後の革命広場の場面。これに続く幕切れまでのシーンもキャプチャしたんですが、upしないでおきましょう。いや、どうも今回はあまりことばも費やしたくはないんですよ。




2008.03.27 thurs

プーランクの作品を少々追加。歌曲か室内楽を、とも思っていたんですが、すべてオペラです。昨日二十世紀オペラの傑作(しかもポピュラーな人気を勝ち得いている)をとりあげましたが、本日の三作もそれに負けず劣らずの傑作です。



まずは「ティレジアスの乳房」。Andre Cluytens指揮Orchstre et Chorurs du Theatre National de l'Opera-Comique、歌手はDenise Duval、Marguerite Legouhy、Jean Giraudeauほか。1953年のmono録音。仏Pathe盤LP。

フェミニズムに目覚めた妻が、子供なんか作らないと言って、胸をはだけ、乳房の象徴である赤と青の風船を外に出し、これを割ると髯が生えはじめ・・・といった喜劇。原作・台本はギョーム・アポリネール。一般には現代オペラの傑作とされていますが、やや風刺味が強く、Hoffmannの好みでは微妙な位置付けです。音楽は楽しく、クリュイタンスの演奏もさすが、オーケストラに響きにはいい意味でのローカルな味わいが感じられます。

突飛な連想かもしれませんけれど、私はアリストパネスの喜劇を思い出しちゃいました(^o^;

関係ないけど、写真で見るとアポリネールとプーランクって、ちょっと似てるんだよね(笑)



これは「カルメル派修道女の対話」。Pierre Dervaux指揮Choeurs et Orchstre du Theatre National de l'Opera de Paris、歌手はDenise Duval、Regine Crespin、Denise Sharley、Liliane Berton、Rita Gorr、Xavier Deprazほか。1958年のmono録音。歌手は前年の初演時とほぼ同じメンバーですね。仏Pathe盤LP。

1794年、16人のカルメル派修道女がギロチンにかけられた史実に基づく小説にヒントを得て書かれたジョルジュ・ベルナノスの戯曲を、ベルナノス自身が台本化したものです。革命の嵐吹き荒れるパリで革命軍によって死刑を宣告され、悲壮な殉教に消える修道女たちを描くこのオペラ、その題材は1938年初演のオネゲルによるオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」との類似が興味深くもあります。その音楽も、「ペレアスとメリザンド」以降のフランス近代音楽では、火刑台上のジャンヌ・ダルク」とともにその最高峰にあるものでしょう。このレコードを何度聴いても、終幕、聖母マリアを讃える“Salve Regina”の祈りを合唱する修道女たちが、ひとりひとり断頭台「ドスン」という音とともに消えてゆき、やがて最後の声が消えるまで、全身に鳥肌が立つのを抑えることができません。



「声」。George Pretre指揮Orchstre du Theatre National de l'Opera-Comique、歌手はDenise Duval。録音は1959年のstereo、初演指揮者・歌手による初演直後の録音ですね。左は仏Pathe盤、右は東芝から出た国内盤。国内盤はジャン・コクトーの線画がいいですね。

恋人から別れ話を切り出されて絶望した女性が、その恋人からの電話に空元気を出してこたえ、電話が混線して幾度か切れる内に、自殺を図ったと本当のことを言い、最後はもう大丈夫と彼を安心させ、電話線を首に巻き付けて「あなたの声を首のまわりに巻いているの」、「愛しているわ」と言いながら・・・という、ソプラノ歌手一人芝居の傑作。原作・台本はジャン・コクトー。

ドニーズ・デュヴァルはプーランクの上記3つのオペラすべての初演歌手で、じつは結構美人さん(笑)なんでも若い頃には歌手になるか女優になるか迷ったとのこと。なるほど、これだけさまざまなキャラクターを歌ってすべてに説得力を有するということからも、女優の才能はたしかなものと言っていいでしょう。ただの美人じゃありませんね(^^*

上の「カルメル派修道女の対話」にしても、この「声」にしても、これを聴くのは「体験」というべきものですね〜(-_- )

言っては悪いんですが、オペラ鑑賞が「(暇人の?)優雅なご趣味」だなんて思っているひとは・・・(以下自粛)




2008.03.26 wed



さて、“Summertime”でもう一枚。

Anneliese Rothenbergerの初期録音です。この独ACANTA盤、B面はカールマンやレハール、オスカー・シュトラウスのオペレッタからのアリアが6曲収録されており、録音は1950〜53年。たしかに初期録音ですな・・・で、A面はというと、これがナント・・・ミュージカルやガーシュウィン、ショパンの編曲ものなどが並んでいるんですね。その2曲め、“Ich haett' getanzt heut' nacht”ってなんだかわかります? 英語に直すと“I Could Have Danced All Night”、すなわち“My Fair Lady”ですね。3曲めがガーシュウィンの“Summertime”。一応英語で歌っていて、録音は1969年でオーケストラはRundfunkorchester Hannover des Norddeutschen Rundfunksとありますが、楽器編成はいわゆる一般的なポップス演奏のもの、録音はいかにも映画音楽らしく人工的なエコーがウァンウァンするほどたっぷりの、良くも悪くも“ゴージャスサウンド”、口がマイクに近い“ビッグ・マウス”。録音時期から見ても、ローテンベルガーが人気を得てTV出演などしていた頃のものでしょう。到底クラシックの録音ではないんですが、音楽が音楽ですからね、これはこれでよしとしたい(笑)昔、クラシックのオペラ好きが我が家を訪れたときに、黙ってこのレコードを聴かせると、最初の音が出たときの反応がおもしろかったんですよ(^o^*

“Summertime”に関しては、私なら昨日のサラ・ヴォーンの方がずっといいと思いますけど・・・(^^A;

そりゃあね(笑)録音のことは別にしてもローテンベルガーはきっちり楽譜どおり、ていねいに歌っているのが、かえって違和感があるね

ただ、サラ・ヴォーンが正統派ふうのクラシックのオーケストラで歌っていて、クラシックの歌手であるローテンベルガーがポップス調の伴奏で歌っているのがおかしいですね(^^*



まあ、上のACANTA盤は話のタネ―これはR.シュトラウスの「四つの最後の歌」ほか。英EMI盤。Andre Previn指揮London Symphony Orchestraによる1970年代半ば頃の録音。1970年代半ばといえば、おそらくローテンベルガーはオペラ歌手としては盛りを過ぎて、リートやオペレッタの録音が活動の中心になっていた時期と思われます。

ローテンベルガーというと、一般的にはやたら可愛らしい声と容姿といったイメージを持たれているようですが、その声は意外と硬質(ついでに言うと、容姿は美人というより母性的)。個人的にはとりわけ近代以降の音楽作品で美質が発揮されると思っています。このR.シュトラウスもいいですね。ただ、ここでは低い音域と高い音域で声が均質を保てないという欠点が感じられのが残念です。また、プレヴィンの伴奏も冴えず、ローテンベルガーの表現の幅に追従できず、表面的に造り整えたよう。


HoffmannさんはR.シュトラウスはあまりお好きではありませんが、この「四つの最後の歌」は例外なんですよね

でも、そんなにいろいろな演奏を聴いてはいないんだけど・・・ときどき聴くのはこれ以外だとルチア・ポップ(テンシュテットの伴奏ではなくM.T.トーマス、ロンドン交響楽団の方)くらいかな。プレヴィンの指揮を「表面的」なんて言っちゃったけど、カラヤンとかジョージ・セルだって、そんなにめざましいオーケストラを聴かせてくれるわけではない。結局歌が好きなんであって、伴奏に関しては、響きは美しいと思うけれど、音楽的にはそんなに「好き」とは言えないのかも(笑)



これはリート集。ピアノはHubert Giesen。収録されているのはモーツァルト、フリース(もちろん「子守歌」)、シューマン、ヴォルフ、R.シュトラウス、そしてドビュッシー。東芝から出た国内盤。

ローテンベルガーのドビュッシーというのがめずらしいですね。ちなみに作品は「鐘」、「半獣神」、「ロマンス」、「マンドリン」。めずらしい・・・めずらしいんですが・・・正直なところ、これ、わざわざ歌わなくてもよかったのでは・・・?(^_^;



左はシューベルトの歌曲集、ピアノはGuenther Weissenborn。右はピアノにクラリネット、ホルンを加えてシューベルトの「岩の上の羊飼」、「川の上で」、マイアベーアの「羊飼の歌」、シュポアの「6つのドイツ語の歌曲」を収録。いずれも独Electrola盤。


歌はどちらかというと左のシューベルトの方がいいんですが、企画盤としては右の方がおもしろいんですね



ローテンベルガーのオペレッタ録音はレハール、カールマン、スッペ、オスカー・シュトラウス、J.シュトラウスII世ほか、独Electrolaに少なからずありますね。オペラとなると、やはりカラヤンの「薔薇の騎士」の映像におけるゾフィー役を思い起こすひとが多いんじゃないでしょうか。でもここでは、上で「個人的にはとりわけ近代以降の音楽作品で美質が発揮されると思っています」と言ったこともあり、このレコードをあげておきたいと思います。


ベルクの歌劇「ルル」です。Leopold Ludwig指揮Das Philharmonische Staatsorchester Hamburgの演奏、歌手はKerstin Meyer、Maria von Ilosvay、Erwin Wohlfahrt、Toni Blankenheim、Gerhard Ungerほか。もちろんローテンベルガーはルル役。1968年の録音独Electrola盤。たしか国内盤は出ていないはず。

このレコードを「ルル」の最良の盤と言っては贔屓の引き倒しが過ぎるでしょう。この作品のdiscとしては第一にあげられるのはツェルハの補筆完成盤であるブーレーズ盤ですよね。あのレコードもたしかにいいんですが、ルル役としてはブーレーズ盤のテレサ・ストラータスよりは、よっぽどこちらの方が・・・(^^;

これがまたオペレッタ録音では聴くことのできない、この歌手の一面なんだよね。このレコードを聴かずしてローテンベルガーを語るなかれ、と言いたいな(^^*

ルートヴィヒの指揮は、ほかのレコードだとあまり主張を感じさせず、おおむね「交通整理」といったところなんですが、これは悪くはありませんね。鋭さには欠けるんですが、適度にユルくて(笑)かえって耳あたりがいいんですね(^^*




2008.03.25 tues


2008.03.23 sunに紹介したマイケル・ティルソン・トーマスの初期録音、追加です。左はチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」、右はストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」、カンタータ「星の王」。オーケストラはいずれもボストン交響楽団。写真ではわかりにくいかもしれませんが、チャイコフスキーのジャケットは銀色に光っています。どちらもなかなかインパクトのあるデザインですね。DGGが当時この若手指揮者の売り込みに力を入れていたものでしょうか。

チャイコフスキーは1970年、ストラヴィンスキーは1972年の録音。前者は当時としてはめずらしい録音でしょう、ストラヴィンスキーも「星の王」は録音が少ないと思われます。レコード会社に言いたいんですが、若手の演奏家のdiscはこうしためずらしい作品にしてほしい。いろいろな意味で、discそのものの存在価値を高める手だてを講じるべきではないでしょうか。


「春の祭典」一曲でLP1枚でもおかしくないのに、「星の王」なんて短い作品のために合唱団まで用意して録音しているわけですから、ここではレコード会社も意識していたんじゃないですか? 演奏はどちらも悪く言えば無国籍的ですが、いい意味でスマートに洗練されていて、それぞれに主張が感じられる好演ですね。とくにチャイコフスキー第3楽章のワルツの表現は堂に入ったものですよ



こちらはずっと後、1980年代半ば頃の録音。ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」のオリジナル版、ピアノとオーケストラのためのセカンド・ラプソディーほか。ここではピアノと指揮の「弾き振り」で、オーケストラはロスアンジェルス・フィルハーモニック。アナログLP終末期に多かった蘭プレス盤。

ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」といえば、この
マイケル・ティルソン・トーマスやアンドレ・プレヴィンのレコードが人気で、バーンスタイン盤(ニューヨーク・フィルハーモニックとのCBS盤、ロスアンジェルス・フィルとのDGG盤)は、よくリズムも響きも重すぎるなんて言われますね。でもHoffmannは圧倒的にバースタインの演奏が好きです。
「ラプソディー・イン・ブルー」の「ブルー」な気分は、バースタイン以外のレコードからは聴き取ることができません。ここでのオリジナル版演奏においておや。でも、このレコードに収録された、いくつかのピアノ・ソロ作品や、ピアノとオーケストラのためのセカンド・ラプソディーはいいですね。とくに後者の都会的に洗練された音楽とその演奏は、有名なヘ調のピアノ協奏曲よりこちらのほうがおもしろいかも・・・と思わせるほどのものです。

ピアノはこのひとがいちばん安定して上手いんじゃないですか? バーンスタイン、プレヴィンは時期によって、かなり下手なときがありますよね(^^;

そういえば小澤征爾指揮ボストン交響楽団の初期録音、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」、1969年のRCA録音ではピアノがこのM.T.トーマスなんだよね。あれはふたりの若き才能による、貴重な記録だね


これはマイケル・ティルソン・トーマスとSarah Vaughanの共演、“Gershwin Live!”というタイトルのレコード。ここでもピアノと指揮、オーケストラは「ロスアンジェルス・フィルハーモニック&トリオ」で1982年2月1〜2日のlive録音。CBS Sonyから出た国内盤。

ほんの数枚のレコードを例外として、クラシックしか聴かないHoffmannですが、サラ・ヴォーンという名前くらいは知っています(^o^;なんだか親子みたいなジャケット写真ですね。ちなみにサラ・ヴォーンは1924年生まれ、M.T.トーマスが1944年生まれですからまさに親子の年齢差ですが、そのふたりがにこやかに手を取り合っているジャケット表写真(左)も、ジャケット裏写真(右)も、なかなかいい雰囲気ですね。冒頭の「ポーギーとベス」のメドレーで有名な“Summertime”が第一声の、なんとも魅惑的な歌声!




2008.03.24 mon



明け方、悪夢にうなされました。

Hoffmannさんって、夢を見るのは自分でコントロールおできになるんですよね

まあ、夢なんてだれしも毎晩見ているそうだから、目覚めたときにおぼえているかどうかということだけど(夢の内容をコントロールできるわけじゃないよ)、寝る前に「見るぞ」と思えば必ず翌朝は必ずおぼえているね。でもこんなの、たいがいだれでもできるはずだよ

昨晩は・・・?

とくに意識はしてなかったけど・・・悪夢を見るのはそんなにめずらしいことではないからね

どうせなら楽しい夢をごらんになればよろしいですのに・・・(・。・;

いや、他愛もない楽しい夢より汗びっしょりになるような悪夢の方が充実感があるね(笑)悪夢のなかはリアルでは体験できなことだらけだし、人生を2倍生きているみたいなもんだよ(^^*

そんな願望があるから悪夢を見る・・・としたら、夢なんてあまり創造的ではありませんね(^^;

ショーカフリョーのせいですよっヾ(^∇^*

# お写真は本文とまんざら関係ありません( ̄- ̄)ohon (^o^;Hoffmannさん、日本語が変ですよ〜




2008.03.23 sun



これは2008.03.16 sunにupしたMarcello Viotti指揮Suewestfunk Symphony Orchestra,Baden-Badenによるプーランク管弦楽曲集のスイスclaves盤CDですね

そう。デザインがアンリ・ルソーの「蛇使いの女」(部分)だね。この絵のジャケットはほかにもあったな〜と思って探してみたら、LPが2点出てきたよ




Pierre Monteux指揮Paris Conservatoire Orchestraのストラヴィンスキーバレエ音楽「春の祭典」です。おっ、高価そうな盤、と思われた方、ザンネンでした(^^;これは米プレス盤。ここでは「蛇使いの女」が部分ではなくてほぼ全体が使われています。モントゥーといえばそもそも「春の祭典」の初演指揮者ということで、1970年代頃までは評論屋もしばしばこのレコードを推薦していたようですが、聴いてみればまるでオーケストラが奏けていないシロモノ。なんかもう暗闇を手探りで恐る恐る先へ進むといった演奏で、フレーズもおおむね奏きやすく変えてしまっています。試みにアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団のレコードを聴いてみたら、これまた同様、てんで奏けていない。比較的近い時期の録音できちんと演奏できているのは、マルケヴィチ指揮フィルハーモニア管弦楽団の新旧両盤。モントゥーもアンセルメも、到底ストラヴィンスキーのスコアを満足に音にできているとは言えませんね。

それでも、モントゥー盤もアンセルメ盤も手許に残しておかれるんですか?

資料!(笑)



もうひとつ―DGGのロゴ(エンブレム?)が邪魔ですが、これも「蛇使いの女」(部分)ですね。Michael Tilson Thomas指揮Boston Symphony Orchestraによるドビュッシーの「映像」と「牧神の午後への前奏曲」。この指揮者の初期の録音、たぶん1970年頃でしょう。演奏は新進の若手らしく、旧来からのドビュッシー演奏にとらわれない、直截的なもの。とりわけオーケストラを歌わせることに重点を置いたようです。物足りなさもそうした特徴と同じところに感じられて、歌わせているのもテクニックで身に付いていないから、その割にややドライで即物的です。長所と短所が表裏一体。

マイケル・ティルソン・トーマスって、最近はマーラーの録音などで話題になっているようですね

そうらしいね(^^;聴いたことないけど




2008.03.22 sat


右の場面、みなさん仲良く♪ねずみ男コスチュームですね(^o^*

ハマー・フィルム・プロダクションズ1974年の作、「新ドラキュラ 悪魔の儀式」“The Satanic Rites of Dracula”です。アラン・ギブソン監督。一般に、「ドラキュラ」に「007」と「フー・マンチュー」をミックスしたような映画なんて言われますね。昨日の「ドラキュラ'72」の2年後、またまた蘇ったドラキュラは今回巨大コンツェルンのトップとなって、イギリス政財界の要人を操り、新種のペスト菌をばらまいて、人類の滅亡を図ろうとしています・・・。



・・・って、人類が死に絶えたら血を吸う相手もいなくなっちゃうよ(・・?ヴァン・ヘルシング教授は、それこそがドラキュラの目的ではないか、ドラキュラは不死であるため、永遠の安息を得るために人類の滅亡を画策しているのではないか、と推理します・・・って
ヲイ!

吸血鬼とペストといえば、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「ノスフェラトゥ」を思い出しますね


あれは1976年の公開だね。映画の出来は「ノスフェラトゥ」に及ぶべくもないな。いや、B級ならB級でもいいんだよ、でもね・・・


前作には出てこなかった女吸血鬼も登場するし、ドラキュラもちゃんとその弱点を衝かれて斃されるんですが、このstoyならべつに悪役が吸血鬼でなくたっていいじゃないの・・・てゆーか、なにもドラキュラともあろうものがそんなに手間をかけんでも・・・「007」あたりを意識しているのは音楽からもわかるんですが、それならこれじゃ登場人物も少ないし、もっと予算をかけて重厚にやらないと・・・そもそも反社会的陰謀に黒魔術だとか吸血鬼信仰を重ねるのは無理がありますよ。とにかく安造りであることばかりが目立つ結果となっちゃいましたね。

それでも、リィ、カッシングのおふたりはきちんと演じてらして、やっぱりそれだけに支えられた作品ですね



昨日の「ドラキュラ'72」が配給会社ワーナーからの要請で制作されたと言いましたが、この「新ドラキュラ・・・」もそう。ワーナーの要請に従って、「ドラキュラ'72」の公開前に撮影が開始されたんですが、いざ公開された「ドラキュラ'72」が大コケ。結局ワーナーはこの映画の配給を降りてしまい、あまりの出来にクリストファー・リィも憤然とドラキュラ役引退を表明。いやはや、ハマーにしてみればワーナーが作れと言うから作ったのに、「できちゃった」ときには知らん顔されてポイ、「ヒドイワアンマリヨ」とばかりにヨヨと泣き崩れた・・・かどうかは知りませんが(^o^A;おかげでハマーがその衰退ぶりに拍車をかける結果となったことは否定できないでしょう。

すると、ハマーの吸血鬼映画はこれが最後ですか?

うんにゃ(笑)リィは降りちゃったけど、ピーター・カッシング出演でもう一作ある。なんとかヒットさせようとして新機軸を打ち出そうと・・・(^o^*DVDは入手済みだから、そのうちに取りあげるよ(^^*




2008.03.21 fri


「ドラキュラ'72」“Dracula A.D.1972”(1972年英)です。ハマー・プロのドラキュラ・シリーズ第6弾、監督はアラン・ギブソン。舞台を現代に設定して、蘇ったドラキュラと、ヴァン・ヘルシングの孫で人類学者のロリマー・ヴァン・ヘルシング教授との戦いを描いたもの。ロックグループなどが登場する異色作。

1872年、ヴァンヘルシングとドラキュラの戦いは双方の死によって決着。その後100年を経て、ドラキュラの従者アルカードの孫ジョニーが、無軌道な若者たちを誘って、ドラキュラ復活の儀式を行います。

右の場面で祭壇に寝ているのは、「あの」キャロライン・マンローですね


「ふわぁ〜、よく寝た・・・えっΣ(゜□゜;)100年もたっちゃったの?」

ドラキュラ役はもちろんクリストファー・リィ。


「リィと私の誕生日が一日違いなのはご存知かな?」

対するヴァン・ヘルシングにピーター・カッシング。


「これ付けると下唇が痛いんだよな〜取り出してくれよ」「我慢しろ」

ドラキュラは宿敵ヴァン・ヘルシングを滅ぼすべく、ジョニーに命じて教授の孫娘ジェシカを誘拐します。


そして因縁の対決・・・って、この映画、配給会社のワーナーから「現代もののドラキュラ映画を作れ」という強い要請があって、制作総指揮のマイケル・カレラスが不承不承に引き受けたものなんですね。よって、ハマー映画のなかでもほとんど酷評ばかりが目に付く・・・というか、ホメているのなんか聞いたことがない作品ですが、渋々作ったにしてはそんなにひどい映画じゃありません。まあ、中途半端な凡作程度。

それじゃダメじゃないですか〜(^o^A;



冒頭のパーティの場面。ロックバンドが見えるけど、こうした撮影当時の「現代」をことさらに強調した映画って、時を経ると古々しさばかり印象的だよねこれはたとえば女優の髪型にしてもそうだし(笑)といって、1972年なんてそんなに昔々ではない・・・そのあたりも、中途半端と感じさせる要因のひとつになっているんだな

昨日の映画について、そのstory展開を「クリストファー・リイとピーター・カッシングが懸命に支える」と言った評論家がいましたけれど、この「ドラキュラ'72」こそ、このおふたりの名優によって(のみ?)支えられているという印象ですね

1972年前後のハマーによる吸血鬼映画といえば、1971年の「恐怖の吸血美女」、「ドラキュラ血のしたたり」、1972年は「吸血鬼サーカス団」、1973年には「吸血鬼ハンター」・・・と。 以上挙げたなかにリィの出ているものはなくて、カッシングは「ドラキュラ血のしたたり」に出ているだけ。もっともハマーのドラキュラシリーズこのふたりが共演するのはこれが二作めなんだけどね。だからというわけではないけれど、この時期のハマーは袋小路に入り込んで、よく言えば模索時代、悪く言えば衰退期だね。でも個人的には、どれも観る価値のまったくない徹底的な駄作にはなっていないと思うよ

いかにも現代風の無軌道な若者たちを描いている点はいかがですか?

ああ、はからずもちょっと前のドラキュラものから観られる傾向なんだけど、ドラキュラが旧弊な社会制度や道徳観に縛り付けられている新世代の若者たちを、その軛から解き放つ役割を持ちはじめているんだよ。それがここでは「おじいちゃん(ヴァン・ヘルシング教授)の言うことが正しかったのよ」って単純な図式におさまってしまっている。このへんも、ドラキュラの底を浅くしてしまった結果につながってるね




2008.03.20 thurs



ここでひさしぶりに映画をご紹介―「ホラー・エクスプレス ゾンビ特急“地獄”行」“Horror Express”(1972年西・英)です。監督はジーン・マーティン。


出演はクリストファー・リイ、ピーター・カッシングとテリー・サヴァラスとなかなか豪華・・・なんですが、見事なまでのB級映画として名高い珍作ですね。

時は1906年、中国四川省の氷壁から200万年前の類人猿の化石(ミイラ?)を発見したサクストン教授(クリストファー・リイ)が満州からシベリア横断鉄道でこれを移送中、疾走する列車のなかで次々と死者が・・・同乗していたドクター・ウェルズ(ピーター・カッシング)らの調査で、化石には太古地球に飛来した未知の生命体が寄生していたこと、それは既に宿主を変えて、いまもこの列車中に潜んでいることが判明します。

疾走する車中での怪異ということで、ひょっとして「オリエント急行殺人事件」の模倣かと思ったんですが、「オリエント急行・・・」は1974年の公開ですから、こちらの方が古いんですね


で、こいつの「殺し方」はといえば、赤く光る目でにらみつけらると、犠牲者は目や鼻から出血して、その目は白目になってしまうというもの。目や鼻から出血といのは、後のスプラッターものでも観たことがありますね。




変死体を助手とともに解剖するドクター・ウェルズ=ピーター・カッシング、さすがにハマっているのはフランケンシュタイン博士でさんざん演じたシーンだから?(笑)


一般に言われるほどひどい出来ではないなと思いながら観ていると、突如カザン隊長(テリー・サヴァラス)率いるコサックの一隊が乗り込んできて、このあたりからstoryは収拾がつかなくなってきます(^o^;


なんだかひとを食ったような飄々たる演技はこの俳優さんらしいですけど・・・いったいなにが目的で乗り込んできたのか、さっぱりわかりませんね〜(^o^A;


邦題の「ゾンビ特急」というのは、ラスト近くで死んだコサック隊が生き返るから・・・このへん、満更悪くない雰囲気で、映像的にもなかなか・・・と思わせるシーンはあるんですが、破綻した展開はもはや元には戻せず。せっかくのクリストファー・リイもピーター・カッシングも、なんかもうやることがなくなってしまって(笑)だんだん影が薄くなってきたところで、結末はゴーインに大団円でねじ伏せます(^o^;

購入したDVDケース(のカバー)には、「ミイラとゾンビと悪魔と宇宙人とが交錯する狂乱の展開を、クリストファー・リイとピーター・カッシングが懸命に支える、ゴシック・ホラーの限界点にあるような作品。だれもが見終わって『ふぅ〜』と大きく息をつくに違いない。―黒沢清(映画評論家)」なんて書かれていますが、まあ売る側からしてカルトもの扱いですね。Hoffmannとしては、観るだけ損な愚作ではない、中途半端な凡作よりはよほどましな珍作といったところ―特筆すべきはジョン・カカヴァスのテーマ音楽、これはなかなかいい! 見終わった後も忘れがたい、映画の内容以上にいい雰囲気と格調の高さがあります。じっさい、この映画の内容についてはある程度知っていたものの、テーマ音楽が流れる冒頭では、ちょっと期待しちゃいましたよ。




2008.03.19 wed



サティの作品でもっとも人口に膾炙しているはジムノペディ、グノシェンヌといった初期のピアノ曲でしょうか。上のレコードはサティのピアノ曲をオーケストラ用にアレンジしたもの作品集。JohnLanchbery指揮Orchestra of the Royal Opera house,Covent Gardenの演奏による仏Pathe盤LP。そのなかでアルバムの表題にもなっているバレエ音楽“Monotones”は、前奏曲に続いて三つのジムノペディ、三つのグノシェンヌを編曲したものです。このなかでジムノペディ1番と3番がドビュッシーの編曲、あとはロラン=マニュエルとランチベリーの編曲。ここで強調しておきたいのは、ドビュッシーが他人の作品をオーケストレーションしたのはこのサティだけだということ。はからずも反ドビュッシイズムを標榜する後の世代の作曲家たちからはその旗印の如く祭り上げられてしまったサティですが、ご当人とドビュッシーの間には、(それなりの)友情、信頼と尊敬があったようですね。

もともと短くも単純なピアノ音楽ですが、やはりドビュッシーの編曲はほかのおふたりのそれにくらべて、ひと味違いますね〜(^^*

従ってその2曲だけを聴けばことは足りるんですが、この演奏はなかなかいいのと、併録されているほかの作品がミヨーやプーランクによる編曲であるのがミソ。ドビュッシーの編曲したジムノペディ1番、3番だけで十分だよというひとには、2008.03.16 sunにupしたフレモー指揮バーミンガム市交響楽団のプーランク「牝鹿」のレコードにも併録されており、こちらの演奏もおすすめです。


さて、それではドビュッシーのピアノ作品のオーケストラ版編曲者はというと、 これは少なからずおりまして、なかでも2008.03.13 thursに取りあげた「小組曲」のHenri-Paul Busserと、「子供の領分」のAndre Capletが有名どころ。

上のCDはそのアンドレ・カプレ(キャプレ)の歌も含む室内楽曲作品集です。左はEnsemble Musique Oblisqほかによる演奏の仏harmonia mundiのCD(ただしMande in Germany)。演奏もよく、カプレ入門編としておすすめ。

ちなみにデザインに使われているのはモネの「ルーアン大聖堂」(昼)ですね。モネは嫌いではありませんが、この印象派絵画はカプレの作品にも、このdiscで聴ける演奏にも、あまり似合ってはいないような気がします(^^*

右はClaudette LeBlancのソプラノ、Boaz Sharonのピアノによる歌曲集。英Unicorn-KanchanaのCD。こういった秘曲集の存在は貴重ですね。歌はまあまあ、ピアノはペダルを多用し(すぎ)て明晰さを欠いていますが、作品を知るために鑑賞に差し支えるほどではありません。


またまたちなみに(笑)この絵はどこかで見たことがあるな〜と思ったら、オディロン・ルドンの「花に埋もれたオフェーリア」の部分ですね。この部分だけだとべつになんとも思いませんが、絵全体を使えばなかなかカプレの作品に似合ったデザインになったんじゃないでしょうか(^^*そう考えるのも、私があまりこういったトリミングを好まないせいかもしれませんが・・・



上のEnsemble Musique OblisqによるCDの一曲め、「幻想的コント」はポオの「赤死病の仮面」によるハープと弦楽四重奏のための音楽ですが、そのオーケストラ版が収録されているのがこちら―何度か取りあげた、ドビュッシー未完の歌劇「アッシャー家の崩壊」をチリの作曲家ファン・アジェンデ・ブリンが補作した、プレートル指揮によるレコードです。落ち着いた響きに不気味さが加わって、この音楽に関してはこちらのオーケストラ版の方がいいかも・・・。

オーケストラ版だと、ほどよく曖昧さが加味されるようで、それを効果的と感じるかどうかは、好みが分かれるところでしょうね




2008.03.18 tues

2008.03.14 friにソーゲのバレエ音楽「旅芸人」を取りあげたとき、「この作品は、アンリ・ソーゲが私淑したエリック・サティの『パラード』と似た雰囲気がありますね、というかサティの思い出に捧げられた曲です」と言いましたね。サティといえば6人組とも無関係ではないし、そこで本日は「パラード」をはじめ、サティのレコードをいくつか紹介しちゃいましょう。



まずはその「パラード」。「ジャン・コクトーのテーマに基づく一場の超現実的バレエ」との副題を持ち、ジャン・コクトーの台本、パブロ・ピカソによる緞帳・舞台装置・衣装、レオニード・マシーンの振付で、ディアギレフのロシア・バレエ団により1917年にパリのシャトレ座にて初演。内容は旅芸人たちが公演の宣伝のために街頭でパラード(パレード)を行うというもの。ちなみにこのときの指揮者はエルネスト・アンセルメ、さらに言えば初演は非難囂々の大騒ぎ(^^A;レコードはいくつか録音があるんですが、お写真はマニュエル・ロザンタール指揮フランス国立放送局管弦楽団による演奏の国内盤(日本コロムビア;HRS-1021-EV)。おしゃれすぎない、適度に奔放な雑味があって(演奏が雑ということではありません)、サティにふさわしい好演です。



こちらは高橋悠治のLP3枚出たサティ作品集のうちの1枚で、四手のためのピアノ作品集(日本コロムビア;OX-7179-ND)。ここでは「パラード」が四手のためのピアノ版で演奏されています。曲順など、オーケストラ版と一部違います。共演はアラン・プラーネス。この作品の演奏に限らず、Hoffmannはピアノ連弾というのは妙ににぎやかに感じられてあまり好きではないんですが、高橋悠治とプラーネスはまるで演出とか表情付けといった作為を感じさせない、かなり淡々としたピアノでありながら、即物的にならないのが好ましいところ。これこそサティですなあ( ̄ー ̄*)〜♪

じつはこのレコードにはバレエ「本日休演」の幕間「映画」のための音楽がやはりピアノ連弾で収録されています。バレエ「本日休演」というのは画家ピカビアの台本と装置でスウェーデン・バレエ団により上演されたんですが、サティはその二幕のバレエと、幕間に上映された映画のための音楽を担当し、その映画上映中に演奏されたのがこの作品です。

余談ですけれど、当時その上演を観に来たひとたちのなかには、看板に「本日休演」とあったのでそのまま帰っちゃったひともいたそうですね(^o^;

この映画はかつてLDで出たんですが、未だ(海外でも)DVD化されていないようですね(DVD化切に希望・・・というか、こういうものがいつでも観られるようでなければいけませんなあ)。映画にはサティもぴょんぴょん飛び跳ねながら(!)登場して、さらにマン・レイとマルセル・デュシャンがビルの屋上でチェスをしているといったシーンもあります。監督はルネ・クレール。かつて高橋悠治はこのfilmを上映しながらアラン・プラーネスとこの音楽を演奏したことがありました。「楽譜どおり奏くと(映画より)先に終わっちゃう」とのことで、スクリーンを見ながらところどころ繰り返したりしていましたね。


貴重な映像ですね〜(^^*



こちらマリウス・コンスタン指揮アルス・ノヴァ合奏団による演奏の仏Erato盤。「本日休演」の幕間「映画」のための音楽がオーケストラ版で聴けます。これは、当時映画を上映しながら聴く気分を味わうならピアノ連弾の方がふさわしいかな。

なお、このレコードには「(いつも片目を開けて眠るみごとに肥った)猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ〜二本のトランペットのための」、「家具の音楽」、「ヴェクサシオン」が併録されています。


“Vexation”とは、「いやがらせ」とか「癪の種」といった意味ですね。
わずか1ページの楽譜を840回繰り返し演奏せよ、という奇人サティ氏ならではの音楽ですよね

いや、サティは楽譜に「このモティーフを続けて840回繰り返し演奏するには、大いなる静寂のなかで、真剣に身動きしないことを、あらかじめ心にとめおくべきであろう」と書いている。つまり繰り返す場合の心構えであって、べつに「繰り返せ」と指示しているわけじゃないんだよ。ここでのピアノはミシェル・ダルベルト。もちろん数回の演奏だ



で、これがラインベルト・デ・レーウのピアノによる「ヴェクサシオン」のレコード。蘭Philips盤で、このLP1枚両面で35回演奏されているから、このレコードを24回聴けば840回になる。じっさいにステージでやるとなると、18時間はかかるわけで、複数の奏者が交代でリレー式に奏き継いでいくのがふつう―だからたいがいイベント扱いだ(笑)

イベント扱いというのは、あまりサティにふさわしくありませんね

20時間近くかかって、終演後はみんな感動して大喝采とか・・・(笑)

ますますサティには似合わないんじゃないですか〜?(^^;

いや、鑑賞するためではなく、奏いて愉しむための音楽というバッハ以前のスタイルを思えば、これはこれでいい話だと思うよ(^^*その意味では、このレコードを本気で24回も聴くなんていうのはなにか間違っているような気がするね(^o^;それこそサティにふさわしくない




2008.03.17 mon

さて、フランス6人組(のメンバーの内5人)の合作である「エッフェル塔の花嫁花婿」に続いて、さらにそのひとり、プーランクの「牝鹿」を取りあげましたね。さらに続けてミヨー・・・というのもアリでしょうけれど、じつはデュレやタイユフェールを除けば、このサイトにはその他の面々、その名前がときどき登場していましたね。プーランクの「牝鹿」にしてからが、以前monologueに登場したほかに、ここで会話のマクラになっています。ミヨーもその作品名をもじったものがこんなところに(笑)オネゲルの代表作「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も何度かmonologueで取りあげたほか、「パシフィック231」についてここで語っていましたね。

オーリックさんも、今年になってmonologueにその名前が出てきたことがありましたね(^^*

・・・というわけで、ひとりひとり取りあげるのはまたの機会に(笑)ここでは、6人の作品をまとめて聴くことのできるdiscを紹介しておきます。



仏ArionのCD、演奏はChristian Ivaldi(piano)、Gerard Poulet(violon)、Philippe Bernold(flute traversiere)、Michel Lethiec(clarinette)、Alain Meunier(violoncelle)、タイユフェールがヴァイオリンとピアノのためのソナタ、オネゲルがクラリネットとピアノのためのソナタ・・・といった按配で楽曲によって組み合わせが変わります。これを聴くと、6人組というのが適当に付けられたレッテルで、個性はさまざま、というよりてんでバラバラであることがよくわかるはず(笑)

これは「ジャケ買い」っぽいですね〜(^o^;

まあ、当たらずとも遠からず(^^*ちなみにこの紙ジャケを広げると、右にdisc、左に解説リーフレットが差し込んであるんですが、その表紙も同じ写真で・・・・


解説書を抜き取り、discを外しても、その下にはやっぱり同じ写真が・・・(笑)お写真の説明は・・・フランス語だ(^o^A;ワカラン;;優美さん、解説お願いします

ええと、LidoのBlue Bellsの楽屋、1952年・・・とありますね

ああ、シャンゼリゼ通り沿いにあるディナーショーで有名な店だね、いわゆるBlue Bells Girlsだな




2008.03.16 sun

昨日の「エッフェル塔の花嫁花婿」はフランス6人組のメンバー(の内5人)の合作ですが、聴いているとやはりもっとも鮮やかな印象を残すのは、なかでもとくに知名度の高いフランシス・プーランクの音楽でしょうか(異論はあるかもしれんが;;)。それだけにプーランクの作品はアナログの時代からdiscもいろいろ出ていたんですが、いちばん有名なのはなんといっても「牝鹿」でしょう。牝鹿とは若い娘たちのことで、とくにプロットはない一幕もののバレエ音楽です。初演は1924年にディアギレフのロシア・バレエ団によって行われ、このときの舞台装置と緞帳はマリー・ローランサンが担当したことで有名ですね(余談ながら、「マリー・サンローラン」とやっている雑誌記事を見たことがあります)。


Georges Pretreの指揮によるレコード、左は5曲からなる組曲版、オーケストラはOrcheatre de la Societe des Concerts du Conservatoire。右はThe Philmarmonia Orchestraとの再録音でThe Ambrosian Singersによる合唱を含む全曲盤です。

プレートルといえば昔はマリア・カラスと共演したレコード、ビゼーの歌劇「カルメン」ばかりが有名で、某評論屋がプレートルのレコードは「『カルメン』だけがいい」なんて書いていたもんですが、プーランク演奏には古くから定評があった模様。もっともこんどはそればかり言われるようになって、本人が「自分はプーランクのスペシャリストではない」なんて言い出す始末。そんなにダメな指揮者じゃないと思うんですが、Hoffmannがこれまでdiscで聴いた限りでは、たしかに出来不出来の差が大きいみたいですね。かなり以前ですが、フランスのオーケストラと来日して、なんとも気の抜けた、散漫としか言いようのない「幻想交響曲」を振って、たしかそれがまたTVで放送されちゃったんですよね。あれを観たひとなら、プレートルに悪い印象を持っていても仕方がありません。もっとも今年はニューイヤーコンサートを振っており、これがきっかけで多少は見直されるかもしれませんね。

それはさておき、プレートルによるプーランクのレコードのなかでも出色の出来といっていいのがこの「牝鹿」新旧両盤ですね。旧録音は音質もきわめて良好、新録音は貴重な全曲盤です。新録音は旧録音に比べてリズムが重くなったなんて言うひとがいますが・・・この点は後でふれます。


こちらはLouis Fremaux指揮The City of Birmingham Symphony Orchestraによる組曲版のレコード、左は・・・アレレ、さっきのプレートル盤と似てますね、これは国内盤。右は英EMI盤。ちなみに国内盤は同じものが2枚、さらに米プレス盤も手許にあります。フレモーはHoffmannの大好きな指揮者で、このひとのバーミンガム市交響楽団時代のレコードはどれもすばらしいと思っています。ここまで気品ある響きと音色は、フランスのオーケストラからだって、なかなか聴くことができないんじゃないでしょうか。このオーケストラは、サイモン・ラトルが音楽監督に就任してからよくなった、と言われているようですが、たしかに国際的な知名度ではそのとおり、しかし知名度はあくまで知名度というにすぎない、すぐれた演奏というのならフレモー時代の方が特色のあるレコードを作っていたと思っています。いや、ラトルの実力を疑うわけではないんですが、たとえばかつてバレンボイムがパリ管弦楽団にやってきて数年を経た後、たしかにパリ管は多様な楽曲を高度に演奏できるまでになったものの、それまでのローカル色を払拭してしまったように、ラトルにだって功罪相半ばするところがあるんじゃないかと思うんですよ。フレモーの「音色」を聴くと、これが失われてしまったならばまったくもって残念としか言いようがない、それだけの個性的な魅力があるのです。

国内盤のジャケットですけれど、これはマリー・ローランサンがまさにこの「牝鹿」の公演のためにスケッチしたものですから、どこで使われていてもおかしくはないんじゃないですか?

でも、あまりの「同じ」ぶりだよね(^o^;東芝にはこういった使い回しが結構多いみたい。演奏家の写真ならともかく、風景写真なんてイギリスでチャイコフスキー、同じ写真が日本ではブラームス・・・とか(笑)

写真を比べると、まったく同じ条件で撮っているのに、フレモー盤の方が少しくすんで見えるのは、ラミネートされていない、織り目の残ったよう紙質だからですね

ちょっと汚れやすいね(笑)右半分空白になっているけど、いいデザインだよね。色あいはプレートル盤の方が鮮やかで、国内盤は薄めで淡泊・・・どことなく仏盤と国内盤の音造りの違いをあらわしているようだな(^^;

で、いまは国内盤のジャケットを観ながらイギリス・プレス盤を聴いたわけですが(^o^*)フレモーの演奏は、テンポは速めで、元気に飛び回るこの牝鹿たちはまだ思春期前でしょうか?


Roger Desormiere指揮L'Orcheatre de la Societe des Concerts du Conservatoire de Parisの演奏による、組曲版にChanson dansee(合唱なし)を加えた6曲の抜粋盤です。いずれも英DECCA盤、左はジャケットが米仕様(?)、右は廉価盤シリーズのAce of Clubsの一枚。いま見たらAce of Clubs盤もう1枚ありました(^o^A;デゾルミエールは「白鳥の湖」でも「ペレアスとメリザンド」でも、意外なくらい辛口の演奏をするひとなんですが・・・。

これは思春期を超えて、すぐそこまで来た春の訪れを待つ、物憂げな乙女ですか?(笑)大気がわずかに重くなったというか、香りが濃厚になったみたいですね

そうそう、それで思い出して欲しいのがプレートルの新盤なんだよ。あの演奏はこのデゾルミエール盤で聴けるような、物憂げな気怠さにさしかかっていると思わない?

プレートルの全曲盤ですか? つまり、美しくて典雅なだけではないと・・・

合唱入りの全曲盤であることも手伝っていると思うけど、プレートルの新盤がいちばんプーランクのユーモアを感じさせるんじゃないかな


あとCDが2点手許にあったので簡単にふれておきます。いずれも組曲版の録音。左はYan Pascal Tortelier指揮Ulster Orchestraによる1991年録音のChandos盤。イベールの「ディヴェルティメント」、ミヨーの「屋根の上の牛」、「世界の創造」を併録。指揮者ヤン=パスカル・トルトゥリエはヴァイオリニスト・指揮者で、名チェリストであるポール・トルトゥリエの息子さんですね。このひとの指揮はドビュッシーでもラヴェルでも、とにかく上品で美しい。それがドビュッシーあたりだと物足りなさにも通じるんですが、ここに収録された4曲では、諧謔味が隠し味のように効いてきて、これはこれで不満はありません。

右はMarcello Viotti指揮Suewestfunk Symphony Orchestra,Baden-Badenによる1989〜90年録音のスイスclaves盤、プーランク管弦楽曲集。ヴィオッティはスイス出身の指揮者(名前でわかるとおり、両親はイタリア人)、オーケストラはドイツと、演奏者はまるでフランスとは縁がありませんが、やや速めのテンポで彫りの深い響きながら重くならず、なかなか軽妙な味わいが板に付いていて見事です。この指揮者は惜しくも2005年に急逝されたとか、残念。

(おまけ)



プレートルの全曲盤は、以前独Electrola盤のお写真をupしていたので、今回は仏Pathe盤にしました・・・が、独盤の見開きジャケット最終面には1964年Covent Gardenにおける公演の際のSvetlana Beriosovaの写真が印刷されています。なかなか雰囲気のある写真なのでupしておきます。黄色く見えますが、これはジャケットの地の色。




2008.03.15 sat

ロシアの5人組になぞらえて命名されたフランスの6人組といえばオネゲル、ミヨー、タイユフェール、プーランク、オーリックと・・・あとひとりがなかなか出てこない・・・(-_-;エートエート・・・

ルイ・デュレですよっヽ(^o^*

そうそう(*^o^)/(^-^*)エヘン♪この名前を思い出しにくい理由のひとつは、6人組の合作であるバレエ音楽「エッフェル塔の花嫁花婿」にデュレが参加していないから(従って正しくは5人の合作)。さて、その「エッフェル塔の花嫁花婿」の台本はジャン・コクトー。ホントはオーリックが注文を受けたんですが、ひとりじゃ間に合わないので合作になったんですね。この6人にはいろいろエピソードなどあって、たとえばオーリックはその後映画界に転身して「ローマの休日」の音楽などを作曲したとか、紅一点のタイユフェールはヴァイオリニストのジャック・ティボーと恋に落ちたとか、プーランクは同性愛者・・・ではなくて両性愛者で恋人のひとりはラディゲだとか、そのあたりの話もおもしろいんですが、とにかく「エッフェル塔の花嫁花婿」のレコードです。



Darius Milhaud指揮Orchestre National de L'O.R.T.F.の演奏による仏Ades盤。台詞も収録した全曲盤です。



こちらは音楽のみのレコード、Geoffrey Simon指揮The Philmarmonia Orchestraによる“French Ballet Music of the 1920s”と題された英Chandos盤。フランスの10人の作曲家に依頼された合作「ジャンヌの扇」を併録。ミヨー、プーランク、オーリックのほか、ラヴェル、イベール、ルーセル、フローラン・シュミットなどが参加。ちなみに冒頭のファンファーレはラヴェルによるマーラー交響曲第5番のパロディ。

このChandos盤を聴いて印象的なのは、とにかく響きも音色も美しく、気品にあふれてフランス音楽として上出来であることですね。よく言われる、イギリスのオーケストラの幅広い適応性の故でしょうか。ジェフリー・サイモンの指揮も表情付けなどていねいながら自然体と聴こえるあたり、ただ者ではありませんね。ところが、ダリウス・ミヨー指揮のレコードを聴くと、昨日のプラッソン同様、サイモンは健康的明るさが勝っていたのかなと思います。作曲に参加したひとりであるミヨーの指揮だからでしょうか、生々しい同時代感覚がそこはかとなく感じられ、つまりこれも昨日のソーゲ自作自演盤と同じなんです、どことなく気怠く、メランコリックなatmosphereが漂ってくるんですよ。

現代のオーケストラにくらべて、技術的には未熟な面もありますから・・・(^^;

・・・それで曖昧さがあって、絶妙な味わいに通じると(笑)
それも一理あるんだけど、むしろソロなどは古い録音のオーケストラの方が名人芸を披露している場合があるよね。つまり、ここでいう名人芸とは高度な演奏技術のことではなくて、まだ奏者自身も教育のmethodも画一的でない、個性というものが豊かだった時代にしかなかったものなんじゃないかと思うんだよ

(おまけ)
エッフェル塔はこちらヾ(^^*




2008.03.14 fri

2008.03.11tuesにMichel Plassonのフォレのレコードを取りあげ、こんなことを言いましたね。

---ここから---
プラッソンという指揮者はどうも上品な、それこそ現代的に洗練された演奏に傾きがちで、いろいろな作品の録音を聴いているとどれも上質の出来ながら、それぞれの音楽の最高の演奏とはなりにくく、たいてい次点におさまってしまうのが惜しいですね。
---ここまで---

これを読んでHoffmannがあまりプラッソンという指揮者を好んでいないないなんて思っちゃいけませんよ。でもね、作品によってはやっぱりもう少しハメをはずして、その上品さをぎりぎりのきわどい、危ういところで保っている・・・なんて具合になったら無敵なんだけどなと思うところがあるんですよ。これもそんなレコードです。



Henri Sauguetのバレエ音楽「旅芸人」です。Orcheatre du Capitole de Toulouseの演奏。1977年録音の仏Pathe盤。SQエンコードされていますが、音場感には問題なし。

この作品は、アンリ・ソーゲが私淑したエリック・サティの「パラード」と似た雰囲気がありますね、というかサティの思い出に捧げられた曲です。Hoffmannはこの一幕もののバレエ音楽が好きなんですよ。初演は大成功であったと伝えられていますが、あまり録音もされていないようなのでこのプラッソン盤は貴重であり、また演奏もとてもいい。ところがその後こちらのレコードを入手してしまいまして・・・



ソーゲ自身の指揮オーケストラはOrchestre des Concerts Lamoureux。仏Philipsの10inch盤、録音年はわかりません。

オーケストラはプラッソン盤の方が上手いし、冒頭などテンポも速めで軽やかなんですが、ソーゲ盤はどこか気怠いような、絶妙といいたい味わいがありますね

作曲者自身の演奏だからだからいいとは限らないし、ここでもべつに自作自演をありがたがっているわけではないけれど、でもこれを聴くと、やっぱりプラッソンは上品というか、育ちが良すぎるのかなあと思っちゃうんだよね

本日は2008.03.11tuesのプラッソンの話題からの連想と、昨日2008.03.13 thursのビュッセル編曲の自作自演盤からの連想と、ふたつの流れが合流した話題なんですね(^^*



ジャケットがなかなかいいので、ちょっと大きくしておきましょう(^^*




2008.03.13 thurs

フォレの「ペレアスとメリザンド」ときたらお次はシベリウスの「ペレアスとメリザンド」・・・とくるのが順当なところなんですが、おフランスは居心地がいいざんす(笑)というわけでちょっと寄り道(^^*


Debussy作曲、Henri-Paul Busser編曲の「小組曲」の第4曲「バレエ」は花ちゃんのテーマ音楽(^^*昨日もlinkを張ったこちらに置いてあるのはGeoffrey Simon指揮The PhilmarmoniaによるGALA盤CDから採録したもの。2008.02.21 thursにとりあげたラヴェル作品集同様2枚出ていて、ここでもちょっと変わった編曲版が収録されています。「小組曲」は写真左のVolume Oneから―。

♪ちゃん、ちゃちゃん、ちゃかちゃかちゃ〜んヾ(^∇^*)/


ビュッセル編曲の「小組曲」は、もちろん数多あるドビュッシーの管弦楽曲全集には必ず収録されているし、比較的ポピュラーな名曲だから単発のdiscでもしばしば演奏されているよね


もともと四手のためのピアノ曲で、ビュッセルが管弦楽用に編曲したんですね

そう。ビュッセルも作曲家グノー、フランクに師事したひと・・・で、これρ(^^*がドビュッシーの作品をビュッセルが編曲したPetite Suiteと、ビュッセル自身の作曲によるPetite Suiteという組み合わせのレコードだよ



Busser自身による指揮Orchestre National de la Radiodiffusion Francaiseの演奏、仏Patheの10inch盤。素朴な音色、決して悪い意味でなくおおらかなアンサンブル、その造り出す音楽は滅法愉しい。これはaudio装置にたとえれば、測定器によるスペックはほどほどでも、音楽を聴いて愉しめる、聴感によって造られたような名品ですね。

ほんと、コンクールで高得点を撮るような演奏ばかりが聴きたいわけじゃありませんからね。これぞローカルな香りを残した古の仏蘭西オーケストラの記録ですね



もうひとつ、管弦楽版「小組曲」のdsicを紹介しておきましょう。Max Pommer指揮Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzigによる演奏、独Capriccioの2枚組の廉価盤。

ドイツの指揮者ににオーケストラなんて意外そうですが、このポンマーのCDは以前(2006.10.12 thurs)、ドビュッシーの交響詩「海」のdiscをあれこれ取りあげたときにも聴きましたよね

あのときは優美がこんなコメントを付けていたよね―

---ここから---
ポンマーはバッハやヘンデルの、たいへんすぐれた演奏を録音していますが、近代〜現代作品も得意にしているみたいですね。指揮者やオーケストラから、折り目正しいドイツ的な演奏を想像しましたが、ドビュッシーとして決して場違いな印象はなく、これもいい演奏だと思いました。やっぱり実力のあるひとはなにをやっても・・・じつは、ほかの収録曲のなかには、ちょっと硬いかな、と思うものもあったのですが、この「海」に関しては、フランスのオーケストラよりも、かえって各部での響きの重層的なおもしろさが伝わってきたような気がします。外国語が、その言語のネイティヴが喋るよりも聞き取りやすいみたいなものですね(笑)
---ここまで---

やや硬いのは・・・「子供の領分」?(^^;

いえ、「子供の領分」は思い切りがいいほどの明快さがむしろ諧謔味に通じるところがあって悪くないのですが、「牧神の午後への前奏曲」とか・・・(笑)でも、この「小組曲」はいいですよ、響きは重くならず軽やか、気品さえ感じさせるものながら、4曲のテンポ設定はやや遅めのものと速めのものでコントラストを明確にしていますよね。その結果、ただ上品さを志向しただけのフランス音楽演奏にありがちなフラットな表情に陥らず、充分に動的な音楽が、彫りの深い響きで展開されていますね

それでいてモノモノしくなったり、演出臭さが鼻についたりしないところがさすがだよね

やっぱり「できるひと」はなんでも・・・の見本みたいな演奏ですね(^^*その意味ではひじょうに現代的?




2008.03.12 wed

職場の送別会にて深更に至りしたたか酔っぱらって帰宅にて御座候。




2008.03.11tues

「ペレアスとメリザンド」、お次はフォレ(フォーレ)です。もともと劇付随音楽で、組曲版はそのなかから4曲乃至5曲を抜粋したものです。じっさいには4曲版で演奏されることが多く、なかでもその第3曲、ハープの伴奏に乗ったフルートのソロが印象的な「シシリエンヌ」は有名ですね。じつはこのときの劇付随音楽はドビュッシーにも依頼されていたんですが、こちらは断られていたんですね。ドビュッシーのオペラが初演されたのはフォレの初演の4年後。

さて、フォレの組曲「ペレアスとメリザンド」のレコードは2006.11.10 friに2種類(5枚)紹介しましたね。ひとつがセルジュ・ボド指揮パリ管弦楽団の1969年録音で、「ドリー」(アンリ・ラボー編曲)、「マスクとベルガマスク」が併録。もうひとつは、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の1961年の録音、歌劇「ペネロープ」前奏曲、組曲「マスクとベルガマスク」、ドビュッシーの小組曲(ビュッセル編曲)を併録したもの。いずれもそれぞれに魅力的な演奏です。


「小組曲」の第4曲は花のテーマ音楽ですよっヾ(^∇^*)ノシ (^o^*(^o^*

フォレの「ペレアスとメリザンド」はHoffmannの好きな音楽なので、ほかにもいくつかdiscを持っています。本日ご紹介するのはこちら―。



Desire-Emile Inghelbrecht指揮Orchestre du Theatre des Champs-ElyseesによるDucretet-Thomson10inch盤です。1955年の録音。Testamentから復刻CDも出ていますね(ただしそちらではオーケストラが“Ochestre National de la Radiodiffusion Francaise”との表記)。ちなみにこれはHoffmannが所有している唯一のDucretet-Thomson盤。超の字を付けたいくらいの破格値にて入手(^^*

このフォレの作品ではないんですが、昔あるaudio評論家がアンゲルブレシュトのレコードを聴いて、杖をつきながらよたよた歩くよう、なんて書いていたのをおぼえています。フランス音楽やその演奏を、スマートでおしゃれ、あまり深い内容はないけれど、ひたすらきれいなサロン音楽のようなものと思っているひとは、アンゲルブレシュトの演奏を聴いたらがっかりするんじゃないでしょうか。オーケストラが下手だ、というひとがいても驚きません。たしかに技術的には現代の超一流オーケストラの洗練された響きとは別もの、とにかく渋い。アンサンブルはどことなく有機的なつながりが不足しているようで、おまけにフレーズごとによっこらしょ、と仕切り直しをしているみたい聴こえます。でもね、そんなこと言ったらいわゆる巨匠時代の、たとえば戦前・戦中の録音なんて半分くらいはダメってことになっちゃいませんか。そもそも「洗練」なんてことばが曖昧模糊としたことばなんでしてね、Hoffmannは仕立てのいいスーツを隙なく着こなしているひとよりも、浴衣なんかを絶妙の隙をみせつつ着こなしているひとのほうが、よっぽどおしゃれで洗練されていると感じるんですよ。
ちょっと話がそれてきましたよ〜(^o^;つまりですね、こんな音色がいまどこのオーケストラから聴けると思います? こんなに奏者が自発的な表現意欲をもっているオーケストラがいまの時代にどれだけありますか?

とかいいながら(^^;それ、Hoffmannさん口癖になってませんか?ヽ(^o^*Hoffmannは特別に好きな音楽となると、個々の演奏を格付けすることもなくなって、結局よほど好みでない場合を除いて、どのレコードでも愉しんで聴いちゃうんですけどね(笑)まあ、ひとつだけこのアンゲルブレシュト盤で残念なのは、4曲の組曲版である点ですね。5曲版なら「メリザンドの歌」が聴けます。



そこでこちら―Michel Plasson指揮Orcheatre du Capitole de Toulouseによる管弦楽曲集です。Frederica von Stadeのソロによる「メリザンドの歌」を含む5曲構成。この仏Pathe3枚組の録音は1979〜81年で、アナログ末期とあってややヴェールがかかったようなほこりっぽさが感じられるのが残念。プラッソンという指揮者はどうも上品な、それこそ現代的に洗練された演奏に傾きがちで、いろいろな作品の録音を聴いているとどれも上質の出来ながら、それぞれの音楽の最高の演奏とはなりにくく、たいてい次点におさまってしまうのが惜しいですね。

「格付け」なさってますよ〜(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪

なお、この3枚組に収録されているヴァイオリンと管弦楽のための「子守歌」は、録音(?)が・・・聴いてびっくり(・・;

〜♪

・・・?・・・!(・・;あらまあ〜





2008.03.10 mon

以前、指揮者の若杉弘がオペラ史上重要として5つの作品をあげていました。モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」、R.シュトラウス「薔薇の騎士」、ベルク「ヴォツェック」の5作品です。これはHoffmannももちろん、おおかたの賛同が得られるリストでしょう。どれもHoffmannの好きな作品ばかり・・・と言いたいところですが、「薔薇の騎士」だけは、「特別に好き」ではないんですね(^^A;どーもすみません。それで、以前「ひとつヤナーチェクの『利口な牝狐の物語』に差し替えたい」なんて言ったこともありますが、これはあくまで好みの問題、この差し替えにはやはり無理がありそう。

それはともかく、このところ「トリスタンとイゾルデ」のdsicが続きましたが、本日は「ペレアスとメリザンド」・・・といってもドビュッシーの「ペレアス」はこれまでににリリースされた全曲盤discはコンプリートしているのであちらのページでヨロピコお願いします
・・・って、まだコメントがコンプリートじゃないですよっ(((;^o^)σ)~0~)/プニッ♪



シェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」です。シェーンベルクの最初のオーケストラ作品で、R.シュトラウスからメーテルリンクの戯曲のオペラ化を勧められて作曲に取りかかったものの、結局交響詩として完成されたんですね。ちなみにドビュッシーが同じ戯曲を歌劇として作曲していたことはぜんぜん知らなかったそうです。

なんだか、ドビュッシーとかR.シュトラウスとか、冒頭のキーワードが続々と出てきて、文章がきわどいところでなんとか破綻せずにきましたね(*^o^)(^_^A;キビシイな〜

上のレコードはカラヤン、ベルリン・フィルによる「新ウィーン楽派管弦楽曲集」、1973〜74年、同オーケストラの本拠フィルハーモニーホールにおける第一回録音。独DGG盤。最近はどうか知りませんが、かつて雑誌などでカラヤンの特集記事が組まれると、少なからぬ評論屋がこぞって絶賛したレコードですね。ちなみにカラヤン自身はどこかで「商業ベースに乗らないから」それまで演奏(録音)しなかった、なんて言ってましたけど、これはいささか見え透いているというか、言い訳がましいですね。カラヤンは戦時中ナチスのシンパだったんですから、ナチスが排撃した音楽をレパートリーにしていなかった(レパートリーにするのが遅れた)のは当然の話(ただしそんなことは演奏の出来不出来とは無関係)。

昨日のWagnerではさんざんな言われようでしたが、これで名誉回復となりますか?

オーケストラは上手いんですが、やっぱりHoffmannはこうした耳あたりの良さ(だけ)を志向したレガートばかりのボケボケの音響はダメです。そのために細部のフォルムまで犠牲になっています。これは、このレコードをほめるひとが、録音がいいとか、コンサートホールでは聴こえない音も明瞭である、というのとは別問題。この響きを美しいというひとがたくさんいるのはわかっていますが、Hoffmannの耳にはキタナイ、濁った響きとしか聴こえません。まあ、原型をとどめぬまでの厚化粧を見て美人だと思うひともいますからね(苦笑)正直なところ、全曲聴き通すのが苦痛でした。収録されているほかの作品についても同様で、とくに「浄夜」なんて、混濁気味の響きがしまりなくどろどろ流れ出るばかり。カラヤンのDGG盤ではいまさらなんですが、録音にも問題があって、ベルク、ウェーベルンも含めて、オーケストラは2本のスピーカーを結ぶ線上に横一列の整列型・・・ときどきピアニシモで音像が引っ込むのは、これは録音技師の卓上操作でしょう。このような異様・珍妙な録音(のdisc)をカラヤンの代表作として挙げているひとのなかにはaudio評論屋もいて、まさに驚きです。ホントに聴いたんか?

名誉回復どころか、ますますひどいことになってきましたね〜(^^;ちなみに私はシェーンベルクよりベルクの音楽の方が好きですね〜

山ちゃんのおんがくですかっヾ(・∇・*


もともと作品を取りあげるつもりだったので、気を取り直して別演奏のdiscを二種―。

左はカール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1969年のlive録音。さすが若き日に新即物主義の洗礼を受けたベームならでは、「録音の良さですべての音が聴こえる」とされるカラヤン盤ですが、響いてくる音そのものを聴けば、このベーム盤こそ細部に至るまで明晰であると言えるのではないでしょうか。

右はジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による演奏、録音年はおそらく1968年頃。独Electrola盤。ご存知クリムトのジャケットがいいですなあ。これは思い切りロマンティックな演奏で、この作品がマーラーあたりの延長線上にあることを強く意識させます。聴いていて退屈しないことにかけては最右翼・・・ながら、カラヤンのようなあざとい演出臭のしない、言わば直情的な純情さがこの指揮者らしいですね。


私は後期ロマン主義のその先にあるシェーンベルク作品ならあの大作のほうが・・・

それじゃ、そのうちに取りあげるよ(*^^)
(^o^*♪




2008.03.09 sun

Wagnerに関しては全曲盤だけでなく、管弦楽曲集のdiscについてもまとめてみたいと思っていたこともあり、(なんかもう勢いで)Wagnerの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死のdisc、もういくつか取りあげちゃいます。


カラヤンは
2008.03.06 thursに取りあげた1957年録音以外では1970年代のレコードを聴いた記憶があるんですが、それはいま手許になく、この2枚が棚から出てきました。左は1984年頃のベルリン・フィルとの録音、右はベルリン・フィルとの関係が悪くなってウィーン・フィルを振った1987年の録音、愛の死でJessye Normanが共演。

1970年代のレコードを手放したのは、カラヤンらしい流線型の、輪郭をボカしたレガート、レガートの演奏が気に入らなかったから。以前にも書いたことですが、リズムの刻みが意味をもつ箇所や、「トリスタン」前奏曲のような不協和音のような箇所ではカラヤンの指揮は致命的だと思います。ここでも不協和音が不協和音に聴こえず(Einsatzが不揃いとも聴こえますね)、耳あたりをよくすることにのみ専心して、これがひとによっては「カラヤンはきれいなだけだ」となって、「きれいでなにが悪い」なんて反論も生ぜしめることになるんですが、Hoffmannの耳にはせっかくのベルリン・フィルの芳醇な響きが濁っているとしか聴こえません。たとえれば、ペダル踏みっぱなしのピアノを奏いているようなもんです。

以前、Hoffmannさんが致命的とおっしゃって例を挙げたのは「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の冒頭、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章でしたね

そうだったかな・・・まあ、こんなばかばかしいことを臆面もなくすましてやってのけてしまう演奏も、もともと退屈な駄作とか、内容空疎でどうでもいいような四流・五流の音楽だとあまり気にならないんだけどね。たとえばR.シュト・・・(ムガムガ)ヾ(^o^;そこまでにしておきましょう

右のウィーン・フィル盤は、録音の違いかオーケストラの違いか、はたまたわずかながら時期的に数年を経過した後のカラヤンが衰えをみせはじめたものか、響きが厚みを失ってやや室内楽的な印象。その響きはよく言えば枯れて、悪く言えば痩せています。演奏自体は基本的に左のベルリン・フィル盤と同じ傾向なんですが、上記の相違で、むしろ「トリスタン」はそれらしく聴こえるんですね。ただ(はっきり言ってしまうと)、ウィーン・フィルが技術的にはベルリン・フィルに及ばないということもはっきりわかってしまうレコードです。
(^^;大胆な発言!ジェシー・ノーマンというひとは、ありあまるほどの声を持っていながら(ただし高音で均質を保てない)、表現に関しては二流ですね。そういえばカラヤンがよく使っていたキャスリーン・バトルというへたくそな歌手も、当時どうしてあんなにもてはやされるのか理解できなかったものです。ジョン・ヴィッカースのムカシから、カラヤンの歌手選定には首を傾げるばかりです(-_-?ヽ(^o^;自粛してください〜



ジェシー・ノーマンが愛の死を歌っているレコードをもう一枚、クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による、これも1987年の録音です。テンシュテットの指揮は横の流れ(旋律)を重視したもので、どうも重層的な縦の線の構造に関してはなおざりにされているような気がします。それでも、ここで「大地の歌」のdiscについて言ったのと同様、モノモノしくなったりしない、作為を感じさせ(すぎ)ない感情表現はこのひとらしいですね。問題はジェシー・ノーマンで、テンシュテットの音楽作りとはあまりにも異質。この歌手はカラヤンの言うことには従っても、テンシュテットに協力するつもりはてんでなかったんじゃないでしょうか。それでも結果いい歌になっていればそれはそれで立派なものなんですが・・・乱暴な言い方をすれば、ノーマンというひとはなんでもかんでもどこもかしこも、おそーく、ゆっくり歌えばいいと思っているじゃないですか? 前奏曲から愛の死へと続けて聴くとすべてが台無しになる、こんなに退屈な愛の死もめったにあるもんじゃないでしょう(-_-;
(^^;Hoffmannさん、それ以上は自粛自粛;;;


カラヤン、ケンペ、フルトヴェングラーと続いたベルリン・フィルによる演奏、さらに2枚、ヴィクトール・デ・サバータと、ラファエル・クーベリックの指揮によるレコードがありました。

サバータの全曲盤はあちらにも書いたとおり、音質が劣悪すぎてどんな演奏だかほとんどわからない始末ですが、こちらは1939年録音と時期は古く、おそらくSP盤からの復刻であるにもかかわらず、鑑賞に差し支えない程度に良好。スタイルは旧世代のものなれど、1939年のまさにこの年、バイロイトに招かれて「トリスタン」を振っただけのことはありますね、なかなかWagnerらしいいい響きです。

クーベリックの方はたぶん1960年代半ば頃の録音だと思います。この指揮者のDGGから出たレコードは、録音のせいだと思いますが、響きが引き締まっているというよりやせ気味で、流れもやや硬いんですね。とくにマーラーの交響曲のレコードにそうした傾向が顕著で(まさかミュンヘンのオーケストラのせいではあるまい)、しかしここでは響きも演奏もかなり柔軟です。演奏は効果造りを廃した、というより効果なんてものはハナから念頭にないような、真面目さが際立っています。余談ながらDGG以前の、ウィーン・フィルとのレコードなど、EMI録音は響きが豊かで「柔」、DECCA録音はややマイクが近めで「剛」と聴こえ、長らくHoffmannは、どうもクーベリックという指揮者がオーケストラから引き出す響き判断しかねていたんですよ。




サバータによる愛の死にはEileen Farrellがイゾルデを歌った1951年のlive録音もあるんですが、これは前奏曲が演奏されていないので簡単にふれておきます。1970年代の米盤で、まあ海賊盤ですね。ほかに「マイスタージンガー」前奏曲、「神々の黄昏」からブリュンヒルデの自己犠牲(これもファーレル独唱)、「パルジファル」前奏曲と聖金曜日の音楽を収録。“REC.1951”とのみあって、オーケストラ名は表記されていませんが、たぶんニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会のlive録音でしょう。



ファーレルが愛の死を歌ったレコードはもう一枚、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のRCA盤がありました。これも「神々の黄昏」からブリュンヒルデの自己犠牲がカップリングされていて、ファーレルはここでブリュンヒルデも歌っています。ミュンシュというと、ドンガラドンガラとにぎやかな音楽では棒が冴えて、しっとり落ち着いた音楽ではパッションが行き場を失ってしまうようなイメージがありますね。
俳優さんでいうと勝新太郎みたいな感じですね(^o^*ベルリオーズの幻想交響曲のレコードをお持ちの方は第5楽章と第3楽章を聴いてみてください(笑)そんな先入観を極力廃してひさしぶりに聴いてみたんですが、そんなに悪くはないものの、やはりアメリカの機能性と効率重視の演奏と聴こえます。ボストン交響楽団は上手いので、前奏曲のクライマックスへと至る高揚には、たとえば先のテンシュテットのような情緒表現がわずかでも備わっていればと思うんですけどね。愛の死はファーレルがそこそこの出来ながら、歌が加わっている分熱が入って聴こえますがなんとなくとってつけたようでもあり、Hoffmann的には「いい仕事(ビジネス)してますね〜」と、これは少々皮肉も込めて言いたいところです。


こちらはパリ音楽院管弦楽団による演奏、指揮はカール・シューリヒトのDECCA盤。なぜか同じ内容の盤が二種手許にありました。右は廉価盤シリーズのAce of Clubsの一枚ですね。ああ、今日取りあげているレコード、ここに至って、なんかもう格が違いますね。シューリヒトの演奏でよく聴かれる性急なテンポ設定はここではやや速め程度、響きは引き締まって、重厚ではないんですが、必要十分な厚みがあり、クライマックスへと導くスロープの徐々に高揚していく様がまったく見事というほかありません。



クレメンス・クラウス指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団によるDECCA録音。録音年は不明ですが、かなり古い? 典雅といいたいくらいに上品でありながら重厚な響きを引き出すのがこの指揮者の個性だと思います。こうした比較をしていると、前後に聴いた別演奏の影響というのは無視できませんね。このdiscの場合、いまシューリヒトの後に聴くと、より厚みのある響きと聴こえるんですが、ここではオーケストラがやや線が細いかな(とくに弦)。やや遅めのテンポで、一見(一聴)淡々と進めていくものの、徐々に高まっていく波はシューリヒトの方法とは異なるものの、むしろこちらのほうが正攻法? カラヤンのようないかにもな演出臭もなく、オーソドックスな好演と讃えておきたいですね。

さて、未だあの大指揮者が登場しませんな。いや、フルトヴェングラーみたいにファンが多いせいか、発掘される録音もいろいろあって、「トリスタン」前奏曲にしても何種類あるかもわからないんですよ(^^;一度整理してから取りあげることにします。


「ワシのはどうなっとるんだ?」




2008.03.08 sat



テレホンカードのお写真なんかupしてみたりして・・・(^o^;

下に写っているのはベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集。さて・・・
は? なにがですか?(・・?西にベートーヴェンあれば東にバルトークあり( ̄ー ̄;ヾ(・・??ですからなにがですか?


LPも2、3組あるんですが、ここではCDをご紹介―左はQuatuor Parreninによる全集CD。比較的有名な1956年のmono録音。LP未入手、いちど機会があったんですが取り逃がした(-_-;右は新しくて1991年、富山の入善コスモホールで録音されたThe Bartok Quartetによる全集。同年にPony Canyonからリリースされたんですが、まあ、あきれるほどにまるで評判にならなかったdiscです。音楽雑誌あたりからはほとんど無視された格好の、じつはたいへんすぐれた演奏です。未聴のかたはぜひ一度!




2008.03.07 fri



Wagnerの楽劇「トリスタンとイゾルデ」といえば、最近出たこのヽ(^^*)DVD0も入手済み、こちらのページに追加しておかなきゃいけませんな。

そちらを見ていただければおわかりのとおり、Hoffmannがもっとも好きな「トリスタンとイゾルデ」の全曲盤は1966年バイロイト音楽祭liveの、カール・ベーム指揮によるdiscです。ストイックなまでに引き締まった演奏と響きによる白熱的な演奏で、歌手もニルソン、ヴィントガッセンともにすばらしい。でも、作品の内包するエロティシズムが耽美的なうねりをもって展開される、という演奏ではありません。やはり演奏というものはさまざまな解釈・アプローチが可能である以上、唯一絶対なんてものは存在しないのですよ。従ってベーム盤がもっとも好きでも、ほかの演奏を聴きたくなるときだってあります。

エロティシズムが耽美的なうねりをもって展開・・・といえば、フルトヴェングラー盤はいかがですか?(^^*)お約束の質問♪

左様(磯野波平の口調で)、それではフルトヴェングラー盤は? 1952年のフィルハーモニア管弦楽団との録音は、これまた読んでいただければこれこのとおり、Hoffmannはあまり好きじゃないんです。フルトヴェングラーの指揮は衰えのためか、はたまたスタジオ録音のためか、この指揮者ならではの燃焼ぶりに至らず、歌手もズートハウス、グラインドルが冴えないし、一般にはたいへん評価の高いフラグスタートのイゾルデも、これはHoffmannの好みではありません。安定した声ではあるものの、このイゾルデはてんで悩んでいませんね。比較対象としては適切ではないかもしれませんが、たとえばマリア・カラスのような、役への没入ぶりがフラグスタートにはその半分も見受けられません。気高さも感じられないし、第一幕前半なんて、そこらのおばさんがヒステリー起こしているみたいです。


こちらはフルトヴェングラー指揮ベルリン国立歌劇場における1947年10月3日のlive録音。第二幕、第三幕のみの録音で(カットあり)、残念ながら第一幕は音源が失われています。歌手はエレナ・シュリューター、ルートヴィヒ・ズートハウスゴットロープ・フリックほか。イゾルデのシュリューターについては「最高のイゾルデ」とは言えないまでも、そんなに悪くはなく、live録音とあって、オペラ的な臨場感も豊か、なによりフルトヴェングラーの指揮が、1952年盤とは比較にならないほど劇的です。

フルトヴェングラーは1952年のEMIへの全曲録音後、「レコード録音では、舞台上の問題を考える必要がないため、この作品が本来持っている音楽的な構造や霊感がいかに優れているか感じることができる」と語っており、未亡人も晩年のフルトヴェングラーが、Wagnerは演奏会形式で聴くのが最適と思うに至った、と証言しているんですが、このlive録音を聴くと、その発言もなんだかEMI録音のための言い訳じみたものと感じてしまいます。

Hoffmannは、フルトヴェングラーの「トリスタン」を聴くなら第一幕がなくてもこちらですね。なお、ここにお写真upした仏フルトヴェングラー協会盤は1931年バイロイト音楽祭でのフルトヴェングラー指揮による第一幕への前奏曲を併録。ちなみにLPは伊FONIT CETRAからも出ていて、そちらは函入り3枚組、トリノ・イタリア放送交響楽団を振った第一幕への前奏曲と愛の死、1952年3月11日live録音が最終面に収録されています。

仏フルトヴェングラー協会盤は3枚バラで、2枚めだけジャケットのデザインが違いますね。レコード番号もSWF8205、SWF8206R、SWF8207・・・と2枚めだけ“R”が付いてますよ(・・?この2枚めは再発盤ですか?

二枚目二枚目って・・・照れるなあ( ̄ー ̄
*)ゞ  Hoffmannさんのことじゃないですよっ(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪

最初に出たSWF8206には欠落があって、後からこれを修正したSWF8206Rが出たんだよ。だからこの組み合わせのセットで完全なの(^^*

フルトヴェングラーによる前奏曲と愛の死(管弦楽版)の録音は、いま調べてみたら6種類残されているようです(やや古い資料なのでその後新発掘で増えているかも)。手許には1930年ベルリン・フィル、1938年ベルリン・フィル、1942年ベルリン・フィル、1952年トリノ・イタリア放送響、1954年ベルリン・フィル・・・と、ほとんどありました(^o^;(ないのは1942年ストックホルム・フィル・・・さがせばある鴨)。

1930年は録音のせいか、ドライで響きが発散せず窮屈な印象、1952年はイタリアのオーケストラらしく響きがやや微温的。そのほかはそれぞれにいいですね。1938年はいい意味でリラックスしているよう。1942年はひたすら情熱の赴くままに振る舞った、これはひとつの頂点を築くもの。1954年は最晩年の録音とあって燃えさかるような熱気は一歩後退するものの、旋律の抑揚は微細に変化してむしろ細部に至るまで表情豊かと感じられ、響きの美しさを保ったこれはこれでもう一つの到達点か。
剛速球と変化球のような違いですね(^o^*なんとなればベルリン・フィルとの1942年と1954年の、いずれも手許に残したいところです。ただ、いまは昨日のケンペ、ベルリン・フィル盤やベーム、バイロイトの全曲盤の演奏と好対照となる意味で、1942年ベルリン・フィル盤のお写真をupしておきましょうか。



これはソ連のメロディア盤ですね

もっと音質のいい復刻盤があるのかもしれないけど・・・(^^;




2008.03.06 thurs


1950年代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、まだフルトヴェングラー時代の楽団員が残っていて、三河時代の生き残りの如くにらみをきかせていたんじゃないかなと勝手な想像(^o^;ができるレコードといえば、このあたり―いずれもWagenrの管弦楽曲集で、以前にもupしてちょっとだけコメント付けた記憶がありますが、あえて再度とりあげます。

左は「タンホイザー」序曲とヴェーヌスベルクの音楽、「さまよえるオランダ人」序曲、「神々の黄昏」から夜明けとシークフリートラインの旅、指揮はルドルフ・ケンペで1956年の録音。英EMI盤。この時期(1955〜1960年)にはケンペとベルリン・フィルの録音が少なからずあって、すぐれた演奏も多く、まだ紹介したことのないほかの盤を選んでもよかったんですが(なにもかも、すべてがいいというわけではありませんよ)、もう一枚のレコードに合わせてWagnerとしました。

さて、右はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮による「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、「タンホイザー」序曲、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲。録音は'50年代後半、たぶん1957年あたりか。英Columbia盤。やはりカラヤンの音楽造りは未だ徹底されていないの感あり、ただしここではいい意味で手綱がゆるめられていると聴こえます。響きの線はやや太めで重量感もあり、後年のカラヤンの常套的な手法、レガートで線をボカして響きは濁り、リズムまでも曖昧にしてしまうようなところはありません。ここに収録されたなかでは「マイスタージンガー」前奏曲が間然するところのない好演で、もっとも手の内に入っている印象です。

一方ケンペの指揮を聴くと、アレ、やっぱりさっきのカラヤンの演奏にはアクが強いといいたいくらい強烈な個性があったんだね、と気付かされるんですね。ケンペの演奏にはこれ見よがしな効果造りがないためか、しかしオーケストラの自発性という点ではケンペが上です。響きは充実して、テンポも表情付けも楽曲を際立たせるために適正以上、でも自然体、とは「タンホイザー」を聴いてつくづく感じることです。逆に、「さまよえるオランダ人」は作品の未熟なところもあえてカバーされることもなく、そのまま音になってしまっているんですね。

ベルリン・フィルの話だったのに、いつの間にかケンペの話になっちゃったので、この際だからケンペのWagner管弦楽曲集をもう一枚―。



こちらはウィーン・フィルを振った「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、「ローエングリン」第一幕への前奏曲、第三幕への前奏曲、「パルジファル」前奏曲と聖金曜日の音楽。1958年の録音、英EMI盤。

いやはや、ケンペは上の「タンホイザー」ほかの盤もいいんですが、こちらを聴くとさらに卓越した演奏であることに驚かされますね。これはベルリンとウィーンのオーケストラの違いもさることながら、作品の質の違いが大きいんじゃないでしょうか。より緊密に、高度に練り上げられた楽曲となると、演奏の充実ぶりもまた格別のものとなるあたりに、ケンペという指揮者の特性があらわれているような気がします。昨日のベートーヴェンについても同じことを言ったんですが、フレージングは粘らずすっきりだから音楽に気品があって、息の長い旋律を歌わせるもの巧み、ウィーン・フィルが持つ最良の音色を引き出している点も特筆もの。ここに収録されている「トリスタン」、「ローエングリン」、「パルジファル」からの音楽の(それぞれの作品の全曲盤を除く)レコードでは、Hoffmannはこれがいちばん好きです。

いいんですか?(笑)このレコードがお好きなのは間違いないと思いますけど、「いちばん好き」なんておっしゃって・・・あわてて「ちょっと待てよ;;;」なんてことになりませんか?(^^*

あの・・・ちょっと待って(^o^;;;

ここにとりあげたケンペによる2枚のWagner管弦楽曲集は、現在Testamentから何点かのCDに復刻されているんですが、上記2枚には収録されていない、ケンペとしてはちょっと・・・な演奏による作品も組み合わされていて、discとしての印象をやや希薄にしてしまっているのが残念です。個人的にはウィーン・フィルとの演奏に、ベルリン・フィルとの「タンホイザー」を併録すれば最強の一枚になったと思うんですけどね。

なお、上記ケンペ、ウィーンフィルの英EMI;ALP1638に興味のある方は、これ、ジャケットの状態のいいものはほぼ皆無なので、盤質が許せる程度ならジャケットの状態にこだわらずに(そのおかげでお値段多少でもお安くなっていたらなおのこと)入手されることをおすすめします。

昨日のベートーヴェン「英雄」もそうでしたけれど、中古国内盤(東芝セラフィムのシリーズ)なら、せいぜい1,000円程度なんじゃないですか?ρ(^o^*コレ♪ しかも上の英EMI盤はmonoですけど、こちらはstereoですよね

それでも音質は英盤が上だよ(^^*



「一応」お持ちなんですよねっ(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2008.03.05 wed

さて、クーレンカンプはいろいろ聴き直してから取りあげるとして、フルトヴェングラーも・・・bbsでB.T.T.Mさんもおっしゃるのと同様、Hoffmannもフルトヴェングラーは好きな指揮者のひとりなのですよ。ただ、同曲異演盤を計画的に集めたり聴き比べてみたりすることはないので、その演奏(解釈の変遷とか)について系統立てて論じるのは荷が重いんですね・・・(^_^A;

とは言いながら、じつはつい先日、これまたbbsでB.T.T.Mさんが「好き」とおっしゃっておられる”ウラニアのエロイカ”を聴いたばかり(もちろん、ウラニア盤そのものではありません)。そのついでにフルトヴェングラーの別録音も聴きまして、さらにこれがきっかけとなって、ベートーヴェンの交響曲第3番のほかの指揮者によるレコードを次々と引っぱり出して針を下ろしていたところです。ちょっと主なところを挙げると、クーベリック、クレンペラー(stereoとmonoの両方)、クナッパーツブッシュ(どれだったっけ?)、クリュイタンス・・・

どうして「ク」ではじまる名前ばかりなんですか〜;^o^)(^^*それはタマタマ

さらにモントゥー(二種)、若杉弘(三種)、シューリヒト、バルビローリなど・・・。かなり以前、いろいろ聴いたときには、モントゥー、コンセルトヘボウのPhilips盤が気に入った記憶があるんですが、今回とくに強く印象に残ったのはクリュイタンス盤と、こちらρ(^o^*




ルドルフ・ケンペ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1959年の録音です。お写真は独Electrola盤STE 80 535。英プレスのオリジナル盤は高価でHoffmannには手を出せません(ユキチが10人束になっても足りないでしょう)。ちなみにLPの上に置いてあるのはTestamentによる復刻CDです。

フルトヴェングラーと同じベルリン・フィルですが、あちらがディオニュソス的なら、こちらはアポロン的といったところでしょうか(^^*どちらも、それぞれにすばらしい演奏ですね1959年ですから、フルトヴェングラー時代の楽団員もかなり残っていたでしょうけれど・・・

オーケストラの響きと音色に多少名残があるかも・・・ケンペの指揮はフレーズが粘ったりしないので、造形は端正で清潔感があるよね。それでいて響きは厚く、推進力にも不足はない。ケンペは晩年にミュンヘンのオーケストラとベートーヴェンの交響曲全集を録音しているけど、そちらは聴いていない。まあ、これよりいいなんてことは・・・(^^;ないだろうな、と(笑)

(追記) 聴かずに言ってはいかんですな(自分の発言ながら遺憾である)。そのうちに入手して聴いてみようと・・・あまり思わないなあ(^o^A;




2008.03.04 tues



以前にも紹介したエピソードですが、めったに他人をホメないビーチャムが、「ハイフェッツはすばらしい音楽家ですな」と言い、さらに「ただしヴァイオリニストとしては致命的な欠点がありますな」、「ヴァイオリンが弾けないんですよ!」と続けたのがありましたね。そこで、ちょっと似たヴァリエーションで―。

フィッシャー=ディースカウが指揮者としての活動に色気を出していたころ、たまたまクレンペラー(だったかな?)に会ったので、「来週ブラームスの交響曲を指揮するので聴きに来ていただけませんか」と言ったら、クレンペラー「来週はダメだ、ショルティの『冬の旅』を聴きに行くのでね」とこたえたとか。

そのショルティはチェリビダッケに言わせると「ピアニストとしては秀逸だ」そうで、これはチェリビダッケのことですから、指揮者としては問題外であるという意を含んでいるんでしょうね。

お写真はふたりのゲオルクさん(^^*ゲオルク・クーレンカンプのヴァイオリン、ゲオルク・ショルティのピアノによるブラームスのヴァイオリン・ソナタ集のレコードですね

クーレンカンプって、ヒトラーのおぼえがめでたくて、メニューインが初演しようとしたシューマンのヴァイオリン協奏曲も政治的な理由でナチスがこのひとに初演させたりしたので、一部ではナチス御用達のヴァイオリニストみたいなイメージを持たれている・・・でも、ナチスべったりの音楽家ではなかったみたいだし、1944年にはスイスへ亡命しているんだよね

協奏曲録音もいくつかありますね

フルトヴェングラーと共演したシベリウスのヴァイオリン協奏曲ばかりが有名だけど、独Telefunkenにいくつか録音があるね。以前、雑誌の記事で「機械的で冷たい」といった評価を読んだことがあるけど、当時としては造形感覚にすぐれて、響きはストイックながら、いま聴くと意外とロマン的なんだよね

# 機会があればほかのレコードも聴き直してまた取りあげたいと思います。





2008.03.03 mon



昨日の「ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラ」は、ドキュメンタリーとしては期待はずれと言いましたが、このdiscには特典映像として、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによる1942年のAEG工場勤労コンサートの「映画」が収録されています。断片的にはこれまでにもわりあい目にすることが多かったんですが、Hoffmannは全編通して観るのはこれがはじめてです。


鉤十字の下でベルリン・フィルを指揮するフルトヴェングラー。演奏しているのはWagnerの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲です。


途中からカメラは舞台から聴衆に切り替わって、聴衆の側を映し出しています。




微動だにせず、真剣なまなざしで演奏に耳を傾ける工場の労働者たち。過酷な生活を余儀なくされる戦時にあって、明日のドイツを信じ、音楽に希望と未来を見出そうとする無垢な人々の姿・・・じつに感動的な映像ですね。


・・・って、ダマされちゃいけません。この工場でベルリン・フィルが慰問コンサートを行ったのは事実でしょうけれど、後半映されているのは、これ、俳優です。
はじめに1942年のAEG工場勤労コンサートの「映画」って言ったでショ、これはナチスのプロパガンダ映画なんですよ。落ち着いて観れば、随所で演出臭がプンプンすることに気付くはず。じつは効果造りのため、Hoffmannも5、6行ばかり上でテキトーなこと言ってます。「明日のドイツを信じ、音楽に希望と未来を見出そうとする無垢な人々」って、なにを根拠にそんなことがわかるというんですか。信じているのは「ナチス」や「ヒトラー」でしょう・・・ふつうに考えたら。こういった幼稚なレトリックは、音楽(演奏)を精神的な深さだのなんだのと言って論じたがる、前世紀の遺物ともいうべき耄碌評論屋の寝言みたいな文章でよく使われていますね。

この「映画」にハナシを戻すと、「感動させようとして」うまくできてますな。いや、「映画」といっても「ニュース映画」なのかな・・・はやいハナシが1942年作の「やらせ」」ドキュメンタリーということです。




2008.03.02 sun



昨日の話題の呼び水となったのは、最近出たDVD―「ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラ」です。創立以来125年となるベルリン・フィルの第三帝国時代にスポットをあてた、エンリケ・サンチェス・ランチ監督による100分のドキュメンタリーです。

昨日のいちばん下のカットもこのDVDからとったものですね



当時の楽団員やその家族の証言と映像によって、第三帝国時代のベルリン・フィルの真相に迫ろうという意欲作ですが、当時の団員といっても2名のみ、それが「我々はナチスのオーケストラではなかった」という意味の発言を繰り返すだけ。いくら当事者の証言といったって、その内容は「この程度か・・・」としか感じられませんでした。楽団員の息子や娘の証言にもたいした内容はありません。正直なところ、かなり期待はずれです。ついでに日本語字幕も粗雑にすぎるうえ、(画面の)上にいったり下にいったりとめまぐるしいと指摘しておきます(-_-;観ていて疲れた・・・



当時の映像には観るべきものがあるんじゃないですか?


逆に言えば、それがなかったらほとんどなにも残らないということだよ




ヒトラーなどめずらしくもありませんが・・・


こちら宣伝相ゲッベルス。べつにこの男を見て「うれしい」わけじゃありませんが、Hoffmannはゲッベルスには少々関心があるのですよ(現代のTV、新聞、週刊誌の組織的な情報操作ときたら、その悪質さはこのプロパガンディスト・ゲッベルスに比肩するといっていいものですね)。

さりげなく過激な発言をなさいますね〜(・_・;


ベートーヴェンの交響曲第9番終演後、満場の喝采のなか、フルトヴェングラーに握手を求めるゲッベルスにご注目。肘を曲げたまま手を低い位置に保っています。おかげでフルトヴェングラーはかなり深くかがみ込まなければなりません。この映像は、観るひとにフルトヴェングラーがゲッベルス(に代表・象徴されるナチス)に従属する指揮者であるとの印象を与えるのにおおいに役立ったことでしょう。

これは鉤十字の旗を下げておく以上に効果抜群の、なんとも恐れ入った演出ですね(・・;


フルトヴェングラーはもちろん、エーリヒ・クライバー、ハンス・クナッパーツブッシュ、ほかにブルーノ・キッテルや若きセルジュ・チェリビダッケの指揮姿も短いながら収録されています。




2008.03.01 sat



これは2007.12.23 sunにもupしたフルトヴェングラー指揮によるベートーヴェン交響曲第9番のCDです。左は1951年、バイロイト音楽祭再開時のlive録音、右は1942年4月19日、ヒトラー生誕記念前夜祭の公演のlive録音です。

フルトヴェングラーによる同曲の録音はほかにも残されていて、Hoffmannもいくつかdiscを持っていますが、おそらく1951年バイロイト盤が古くから「名盤」としてもっとも有名であり、人気投票をすればこれがいちばん票を集めるんでしょうね。それが演奏本意(多少は録音状態も加味されていたとしてもかまいません)で評価されているのならなにも言うことはないんですが、「戦後バイロイト再開に際しての演奏だから」ということで特別扱いされているのなら、いささか異論あり、です。たとえばこの演奏の一部を批判する声があるとして、上記のような前提抜きにして聴いても意味がありませんよ、そうした聴き方で演奏の細部を批判するのはおかしいですよ、というのは本末転倒じゃないでしょうか。



フルトヴェングラーといえば戦時下、ドイツの敗色濃厚となりつつある時期のlive録音、あるいはいよいよスイスに亡命しようという決意が固まった時期のlive録音もありますよね。そのただならぬ異様な雰囲気の演奏は、これはこれで貴重な記録であり、演奏時にフルトヴェングラーがおかれていた状況を無視することはできないでしょう。でも、それがために、たとえばその演奏がブラームスの交響曲をほとんどデフォルメしてしまっている、といった批判に対して必ずしも反論できるとは思いません。

ショスタコーヴィチに関して、ソロモン・ヴォルコフによるその「証言」が出版されて話題になったことがありましたよね。そのなかには交響曲第5番の終楽章は強制された歓喜だ、といったショスタコーヴィチの「証言」があって、お調子者のロストロ某ビッチなんか「あの楽章が歓喜の音楽だと思って演奏しているやつは莫迦だ」なんてほざいて吼えて、言ってましたよね(当人だってそれまでそんなこと一度も言わなかったのに)。その後ヴォルコフの著書は捏造であるとの批判が出てきて、いまでは偽書としてほぼ確定、またまたみなさんなにも言わなくなっちゃいましたね。つまり、音楽家の周辺の状況をその作品(演奏)解釈に取り入れようすると、こんな滑稽なことも起こり得るということです。

むかーし、レコード雑誌を読んでいたら、読者の相談コーナーに、モーツァルトの交響曲第39番は「モーツァルトの白鳥の歌と言われるくらいだから、激しく悲劇的に演奏したレコードを教えてちょんまげ!」といった質問があったのをおぼえています。「白鳥の歌」という言葉の意味するところを微妙に勘違いしているのはともかくとしても・・・だからさ、「作品」ってえものは作曲者の個人的・世俗的な事情なんか超越してるのよ、してなきゃいかんのよ、浮き世のことどもを昇華させちゃってるところが芸術家というもんなのよ。つまり演奏家の演奏(作品)だって同じことなんだよ、と言いたいんですよ。

なぜかフルトヴェングラーの演奏や(たとえば)マーラーの音楽となると、程度の低い「私小説」並に扱いたがるひとがよく見受けられるんですよね。まあ、とくに日本人にはダサイ治あたりの、自慰行為(の個人的な罪悪感)をだらだら書き連ねたような排泄物小説を好むひとが多いから、そうした傾向もこれと似た現象なのかもしれませんな。

もしもHoffmannが音楽家で、これが波瀾万丈の人生を歩んだ演奏家であったとしても、演奏家なればこそあくまで演奏そのもので評価して欲しいと思うことでしょう。



たとえば―これはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の海外公演のlive録音です。ここで演奏されているのはモーツァルト、R.シュトラウス、ブラームスなんですが、その演奏について、この演奏会を取り巻いていた「状況」に基づいて論じることができますか?