monologue 2008.09

2008.01 2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2008.09.30 tues



好きな作品となれば、スコアなどろくすっぽ読めやしないくせに、つい手を出してしまうこともあります。これは高校生の頃に入手したもの。この写真だけで、だれのなんという作品かわかっちゃうひと、いらっしゃいますか?

煉獄の9月も終わり、明日より狂乱の10月に突入。




2008.09.29 mon



ごくありふれたセレクションのアンソロジーですが、やっぱり本棚にはそんなのも何冊かあるんですな(^^;



こちらは実話もの。日本語だったら(和書だったら)まず買いやしないんですが(笑)




2008.09.28 sun

さて、前回CDプレーヤーからのラインケーブルを交換してからおよそ一週間が経過しました。その間、別になんら特別な配慮もなく、好きなdisc―録音の古いのや新しめなのや、器楽やオペラや、あんなのやこんなの―を聴いていましたよ。



本日は前回交換したケーブルと同時に購入してきたもう一本のラインケーブルに挿し換えてみました。前回のはきれいなブルーでしたが、こちらは真っ赤っか(笑)ちなみに前回の青ケーブルは国産品。今回のはイギリスのメーカー製で、パッケージは豪華ですが、お値段はほぼ同じ。このメーカーの製品でいちばんお安いものなんですよ(笑)

・・・で、音の違いはいかがでしょうか?

やっぱり、よくわかりません(^o^;

(/_ _)/dote

青の方がやや明るく、赤はわずかに響きの成分が増えたような気もしますが、気のせいかもしれないという程度。さ、これからまたのんきに、なにごともなかったかのように、普段どおりに、いろんなdiscを聴くとしますよ。

誤解のないように付け加えておきたいのは、Hoffmannは理想の音を求めてaudioケーブルをとっかえひっかえして音の違いに耳を傾けるとか、一喜一憂するとかいったマニアじゃないということ。ケーブルを購入したのは数年ぶりのことなんですよ。それもマニアだったら相手にしないような安物(やすもん)買い(^^;

ラインケーブルにしろ、スピーカーケーブルにしろ、ケーブルによる音の違いはあるのか?

なに言ってんだい、audio雑誌を見てみろよ、市販されている1mあたり数百円から十数万円のケーブルについての評価記事が掲載されているじゃないか、ケーブルによって音が変わるなんざいまさら疑うまでもないジョーシキだろう・・・というのが大方のマニアのご意見でしょうな。

Hoffmannも、たしかにケーブルによって音は変わるような気がします・・・でも、材質やメッキ処理、はては材質(たとえば銅線)の純度によって途方もない価格で売られていたり、誇大としか思えない広告が打たれていたりするのは、これ、まるで信用できません。銅(線)の純度が0.00001%から0.000000001%に変わったからって、電気信号の流れになんの影響があるわけもない(それなら室温を下げた方が効果大)。ケーブルの方向性?(金属結晶にそんなものはない)

ただし科学で有意な差が検出できないからといって、ケーブルによる音の違いがありえない、とは思っていません。科学ったってそれは測定器のことですからね、測定器には限界もあるし、測定器が測定しない要素もある。CD登場時に、某社がCD及びCDプレーヤーのデモを行った際、「理論上ノイズは発生しません、ノイズが発生するとしても理論上5,000年に一回です。それでは聴いてみましょう」とやってものの数分後、「ポツッ」と、5,000年に一回のはずのノイズが聴こえたとか(笑)測定器やら机上の理論というものに頼りすぎると、こんな滑稽な結果に至ることもあるということです。

まあ、Hoffmannはケーブルによる違いはあるんじゃないかな・・・と考えているんですが、それでもケーブルを替えたら音が「激変した」なんて聞くと「やれやれ」と思いますね。「激変」したとしたら、それはテッテ的に「気のせい」か、もしくは装置のどこかに異常があるのではないかと疑った方が正解に近いんじゃないでしょうか。

測定器で判別できないとなると、この音の違いを証明するには厳密なブラインドテストしかないということになりますね。しかしブラインドテストで有意な差が見出されなけれれば、すべて「気のせい」というのも極端だと思います。というのは、数人から数十人、数百人のひとを集めてこれを行うならば、そのときに使用される装置は、ほとんどのひとがはじめて聴くものであり、そのロケーションもはじめて訪れる(そこで音を聴く)場所でしょうからね。たとえばケーブルを聴きくらべるのなら、自分の部屋で、普段使っている装置でなければ、違いがあったってなくたってわかりゃしません。その意味では、厳密に条件整えたブラインドテストなんて絶対に不可能なんですよ。だからって証明できないことは証明できない事実であるに過ぎず、信用しないのはまったく誤りのない態度と言わざるを得ないものの、「わからない」が転じて「違いなんかない(はずだ)」というのもいささか石頭(笑)これはこれで科学的態度としてはいかがかと・・・。

でも、「違いはあるんじゃないかな」・・・って、あまり自信がおありでない?(^^;

「(違いが)ある!」と断定するには、巷にあまりにもばかばかしい宣伝や商品があふれているからね、躊躇しちゃう(笑)さっき言った純度のこととか、はんだを使わない圧着だか溶接だかで、だから音がいいとか・・・ナンセンスとしか思えない。基本的には趣味の領域だからなんでもあり、個人の勝手ではあるけど、そんな霊感の壺みたいなものに何十万円もつぎ込むのもどうかと思うんだよね。ただ、やっぱり違いはある・・・ような気がする、としか言えないんだけどさ(^o^;それはわずかな違いじゃないか、という意味も含んでいるんだよ。ケーブルなんか交換したことを忘れてあれこれ聴いていれば、最近ヘンだ、とかここんとこ調子がいいぞ、といった具合になることはたしかにあるんだよ。それを厳密でないとか、不確定要素が多すぎるとかいうのなら、audioなんてもともとそういうものなんだからとしかこたえようがない(笑)

Hoffmannさんって、マニアであることをどこまでも避けようとしてらっしゃいますよね(^^;なにもケーブルをお買いになってまで交換しなくてもよかったのでは・・・?

もちろん、交換のために買ったんではない。近日中に新しい機器が増えるから、そのために1、2本用意し(以下略)

# 個人的には、良質なソース(つまり良質な録音のdisc)を求める方がよほど早いし効果大と思っています。どんなに機器がいい音(あるいは好みの音)を奏でたとしても、異常な録音のdisc(いつもこんなときばかり例にあげて悪いが、ショルティの「タンホイザー」とかシューリヒトのコンサートホール盤とか)がまともな音になるわけではありませんからね。




2008.09.27 sat



Daniel Francois Esprit Auberオーベールの歌劇“Fra Diavolo”「フラ=ディアボロ」です。

フランスの作曲家Auberというと、Louis-Francois-Marie Aubertという近代のひともいるんですが、こちらは19世紀前半にオペラ・コミークの作曲家として名を馳せたひと。た現在では―とくにフランス音楽に冷淡な我が国ではあまり上演されることもない、ほとんど忘れられた作曲家ですね。それでも、この「フラ=ディアボロ」はかつて浅草オペラで上演されていたはず。


♪岩にもたれたものすごいひとは、鉄砲片手にしかと抱いて・・・ヽ( ̄0 ̄*)/

上のdiscはそんなに古い盤ではなくて、Marc Soustrol指揮Orchestre Philharmonique de Monte-Carloの演奏、Nicolai Gedda、Mady Mesple、Jane Berbie、Jules Bastinほか豪華歌手陣による1983〜84年録音の仏Pathe盤。

Hoffmannさんはこのあたりのフランス・オペラのレコード、CDも結構集められてますよね

日本ではほとんど国内未発売だから、見つけたときに買っておかないとダメなんだよね



こちらはAlberto Zedda指揮Orcheatra del Festival di Martina Francaによる1981年のlive録音。歌手はDano Raffanti、Luciana Serra、Nelson Portella、Martine Dupuyほか。イタリア語訳詞による公演なんですが、じつは上のレコードよりもこちらの方が好き。録音も良好で、いかにも小歌劇場での公演らしい臨場感が聴いていて愉しく、なによりLuciana SerraのZerlinaが魅力的なんですよ。

たしかにlive録音ならでは、聴衆を前にした演技(レコードでは音だけですから歌の演技ですけどね)は役柄のキャラクターの愛らしさをより感じさせてくれますね(^^*もちろん歌唱に関しても実力派ですね

とりあえず解説書から―。






作品そのものは上のPathe盤で聴くとちょっと退屈(^;忘れられたのも仕方がないのかなと思うけど、下の伊Fonit Cetra盤で聴けば悪くないよコレ(笑)その意味では、オペラなんてやっぱりdiscで聴くよりも、実際の舞台に接するのが本道なんだろうなあ




2008.09.26 fri



ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団・合唱団による1954年5月18日のlive録音です。伊Fonit Cetraから出た2枚組LP。

「オイリアンテ」といえば、かつては正規盤はヤノフスキ指揮によるEMI盤があった程度でしたが、いまではDVDも出ていて、このLP2枚組の、すなわち大幅なカットが施された録音を珍重するひとは少ないかもしれません。しかしカットは台本の弱さを補おうと―たとえば唐突に出現する大蛇の場面などをバッサリ―したものです。これはこれで資料としては貴重でしょう。

そもそも台本が悪いというなら、ほかにもおかしな台本のオペラはいくらでもあるよ


大蛇はともかくとして、オイリアンテは自らに加えられた疑惑に関して、どうしてこうも弁明しないのか、とはよく言われることですよね

それはメロドラマだからだよ。ハシダ○ガコのドラマだってたいがいそうだ( ̄- ̄*)

これはまた、突飛なたとえですね〜(^o^A;

それよりも音楽のすばらしさは「魔弾の射手」以上だと思うぞ。演奏もなかなか充実しているし、それにジュリーニのウェーバーなんてこれまた貴重だよ

解説書のお写真から―




たしかに第二幕なんて、その後のWagnerの「ローエングリン」におけるオルトルートとテルラムントという登場人物とその場面を想起させますよね

歌手はそのオルトルート・・・じゃなくて、エグランティーネ役のインゲ・ボルクがとくに光っているね

右から2番めのひとですね




2008.09.25 thurs


Eugen d'Albertユージン・ダルベールの歌劇“Die Toten Augen”「死んだ眼」です。

ダルベールは英国生まれのフランス系ドイツ人で、イタリア・ヴェリズモ・オペラの影響下にあるドイツ・オペラを書いたという国際人。またリストに師事してすぐれたピアニストとしても活躍したひとですね。とくに知られた代表作はオペラ“Tiefland”「低地地方」でしょうか。

じつはEugen d'Albertって、これをなんと読むのかも知らなかった頃に、上のお写真にあるtext本をドイツから取り寄せていたんですよ。それというのもこのオペラ、台本をドイツの怪奇小説(幻想小説)作家Hanns Heinz Ewersが書いていたから―。もっとも原作はエーヴェルスではなくて、フランスのMarc Henryというひとだったんですけどね。おかげで音楽を聴くよりも以前から台本は読んでいたわけで、こうした順序で親しむこととなった作品というのもHoffmannにとってはめずらしい例です。

はじめてこの音楽を聴いたときには、ちょっと映画音楽ふうで親しみやすい作品だなと思って、ダニエル・シュミット監督の映画「ラ・パロマ」のなかで、ロッテ・レーマンによるこのオペラのなかのアリアの録音が使われている、なんてことを知ったのはまたまた後のことでした。

「ラ・パロマ」にはコルンゴルトのオペラ「死の都」の音楽も使われていましたよね

この音楽を作曲したひとって、Hoffmannさんのおともだちなんですかっ?ヾ(・∇・;友人?




2008.09.24 wed

ここ数日の間に海を渡って手許に届いた玉手箱から―



左は古典ですね。右は初DVD化作品。



これはまさに玉手箱ですが、下にちょっとだけ写っている「ロダン」って、なんですか?




2008.09.23 tues



まあ、当然のことに初版本じゃなくて30年ばかり後の版です。

“Preface to the First Edition”も“Preface to the Second Edition”も収録されていますね・・・あ、この本が出版されたの、シューベルトが生まれた年ですよ〜

どんなおはなしなんですかっ?ヾ(・∇・*

えーと・・・空から兜が降ってきて・・・(^o^;

蕪とか・・・? それ、おいしいんですか(・∇・? (^o^*




2008.09.22 mon



ヴァーノン・ハンドリーが亡くなったときにはあれこれレコードを引っぱり出してきたのに、去る7月27日ホルスト・シュタインが80歳で死去されたときには、monologue2008.08.02 satに新譜CD、Franz Schmidtの“Das Buch mit sieben Siegeln”をとりあげただけでした。

Hoffmannも何度か実演に接したことがあり、好きな指揮者だったんですけどね、あまりレコードを持っていないんですよ。いや、Wagner作品の全曲録音でもしてくれていれば一も二もなく入手するところなんですが、正規録音といえば「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と「パルジファル」のDVDがあるくらい。あと、手許にあるのは海賊盤の「トリスタンとイゾルデ」。(とくに)1970年代以降のバイロイトを支えた屋台骨としては、あまりにも残念です。言っては悪いんですが、よほど無能な指揮者がWagnerの主要作品を全曲録音して、作品によっては複数の録音(とか映像)がリリースされているのに、シュタインの正規録音がわずか2点というのはどうも納得ができない・・・と同時に、うまいこと時流に乗って、だれにでもわかりやすい陳腐な効果造りに徹する演奏家こそ大量生産の商業録音向きであり、シュタインのような「本物」は、そんな指揮者という名のショーバイニン(showの売人?)とは別のお山に鎮座ましましていればそれでいいんだな、とも思えますね。

この、登るお山を間違えている例って、結構あるんだよね

たとえばどんな?

たとえばaudio装置、世間であるいは雑誌で評判がいいからって購入して、じつはぜんぜん気に入っていないのに、その気に入っていないことにも当人が気が付いていない。狭い部屋で巨大なマルチウェイのスピーカーに対峙して、ステージが眼前に展開しないとか、ちょっと前のイギリスのスピーカーを使っていて音が前に出てこないとか・・・それはそもそも装置の選定を誤っているよね。でもそれは名器と言われるキカイなの。ほかのキカイだと結構好みに合うような気がするけど、そちらは雑誌にとりあげられて(褒められて)いないから、それ以上の興味はわかない・・・そんな、当人にとっても装置にとっても不幸な例って、意外とめずらしくないんだよね

まあ、名器とかレアものというだけでありがたがっちゃうひとって多いですからね(^^;

かなり以前だけど、古書市で目を付けていた本をひと足違いで入手し損ねた。で、それを手に入れたのがたまたま知り合いでさ、そいつが関心持つような本じゃなかったから「なんで?」って訊いたら。「別に興味はなかったけど、欲しがっているひとが多いレアものと聞いて、思わず手に入れたくなった」って(苦笑)

ユーザーじゃなくてコレクターですね(笑)そう思えば、コレクターにはめずらしくない心理じゃないですか(^o^;

本当にほしがっているひとの手に渡った方がいいと思うんだけどなあ・・・

Hoffmannさんだって、もう読まないかもしれない本とか、もう聴かないかもしれないレコードとか、手許に残してらっしゃいますよね?(^^;事情はだいたい想像がつきますケド・・・

あれは
資料だから!(^0^; (^o^;やっぱり〜

上のレコードはウェーバーのミサ・ソレムニス第1番、「魔弾の射手・ミサ」と呼ばれる作品。演奏はバンベルク交響楽団・合唱団、歌手はKrisztina Laki、Marga Schiml、Josef Protschka、Jan-Hendrik Rootering、1985年の録音。



ワタシはホルスト・シュタインさんといえば、このビゼーの歌劇「カルメン」のレコードがもっとも印象的でしたね(^^*ドイツ語訳詞による歌唱ですけど・・・

これはかなり以前に取りあげたことがあるね。1961年の録音でオーケストラはBerliner Symphonikerと表記されている。演奏はメリハリ調だけど、重くならず軽妙でいてドラマティックで生彩に富む。ベルリン・ドイツ・オペラの合唱団だけはちょっと堅苦しいけど、これはドイツ語のせいで仕方がない。録音はやや子音強調気味ながら、独Electrolaらしい生々しさがあっていい

ドン・ホセの歌手が弱いんですが、カルメン役のクリスタ・ルートヴィヒはいい意味で知的な役作り、エスカミーリォのヘルマン・プライも独特のおもしろさがありますよね

エスカミーリォ役って、数ある「カルメン」の全曲盤でもなかなかこれはというひとがいないんだよね(^^;力みすぎて自滅というパターンが多い(笑)ここでのプライはこの役にしてはめずらしく、ほどよく力の抜けたリラックスぶりで、陽気な闘牛士というイメージなんだよね




2008.09.21 sun

(昨日の続き)
・・・というわけで、本日はラインケーブル交換の顛末ですね(^o^*

いや、「顛末」まではいかないんだが・・・(^^;

昨日、ラックを手前に引っぱり出して裏側から昇圧トランスを介する接続替えを行ったときに、CDプレーヤーとアンプをつなぐケーブルを、先日購入してきたラインケーブルと交換してみました。

まあ、これはスピーカーケーブルでも同様なんですが、多彩なケーブルを並べて「明るくダイナミック」とか「音をタイトに引き締め」とか「ハイスピードで中高域がわずかに華やぐ」・・・などと宣うのは、これ、評論屋の寝言としか思っていないHoffmannですから、audio雑誌の記事なんぞまるで参考にすることもなく、てきとーなお値段のものをてきとーに選んで買ってくるだけです。ただしケーブル1本でも交換すれば、これまで使っていたものとの1対1比較は可能ですね。今回入手したものはどうかというと・・・
わかりません(^o^A;もっともこうした比較はパッパッとつなぎ替えて、同じdiscの同じところを聴き比べれば分かるというものではありません。Hoffmannの場合は、交換したらそのまま一週間くらいふだんどおりに使っていれば、やがて違いに気が付く(気が付かないかもしれない)・・・といった按配です。

ここでケーブル交換時の手順を説明すると、プラグの抜き挿しはそれ自体が接点のサビ落としになるので、いきなりケーブルを交換すると、わずかでも接点の条件が変わってしまいます。従って、まず現用のケーブルと機器のプラグを接点復活材で処理します。接点の清掃を頻繁に行うひとでなければ、たいがい高域が伸びて聴こえるはずです。それで1〜2日くらいはそのまま聴いて、その後に新規導入のケーブルに交換します。新品といえどプラグは清掃した方がよろしい。これで交換前後の条件の相違はケーブルそのものだけということになりますね。

2日前にゴソゴソなさってらしたのは、そのために接点をクリーニングされていたんですね(^o^;

・・・とか言っておるが、ホントはちっとも一致していない。室温、聴取位置、ケーブルの引き回し経路へのノイズの混入など、いろいろ変わっている条件はあるんですが、だからこそこれからケーブルを交換したことを忘れてしまうまで「普段どおりに」聴き続けなければならんのですよ(笑)



・・・で、本日交換。もう交換しちゃったから箱の写真を・・・(^^*そんなにお高いものではないよ

上にちょっと写っているのは、これまで使っていたケーブルですね

さて(またか;)購入してきたのはラインケーブル1本だけではありませんでした。従ってまだ続きをやる予定なんですが、しかしこの状態でしばらく聴かなきゃいけませんので、装置に手を入れるのは少なくとも数日〜異臭看護・・・(・・;あれ? もとい、一週間後となります。それまで刮目して待・・・っておるひとなどおらんだろうが(^o^A;




2008.09.20 sat

先日来我が家のメインシステムにはS社のスピーカーをつないでおりました。これはメインスピーカーであるH社のものと同じくBBCモニター系列に連なるモデルながら、H社が暖色系で春先の陽光を思わせるのに対して、やや温度を下げて、陰りを含んだ秋の夕陽(ユーヨー、なんて読まないように)を思わせる魅力的な響き。

さてこれをまたH社に戻したのは、2008.09.15 mon、ヴァーノン・ハンドリー追悼にエルガーのレコードを聴くとき。とにかく音楽を聴くのが楽しくなる、という点ではいずれが頭を抜くということもなく、どちらも千両役者。

ところで、アナログプレーヤー(のトーンアーム)に装着されたカートリッジはもう長らくそのモデルに変更はなく、デンマークはortofon社謹製の重針圧タイプです。これはMC型ですから出力が小さく、昇圧トランスまたはヘッドアンプが必要になるわけですが、現在Hoffmannが使用している真空管式フォノイコライザー(以下Phono-EQ)には昇圧トランスが内蔵されているので、アームからのケーブルをそのまま挿せばよろしい。ふつうなら、いまわざわざ単体の昇圧トランスを導入する必要はないんですね。

フォノイコライザーってなんじゃいな、というかたはこちらをごらんくださいヽ(^o^*



手許にあるこのふたつの昇圧トランスは、かつて現在のPhono-EQを導入する前に使用していたものです。もちろん現行製品ではなく、いずれもアメリカの製品、左の小さい方はAudio Interface社製でモデル名はE03(だったかな?)、右はPeerlessのModel15019。

もしも現用のPhono-EQの内蔵トランスを使わないとすると、トーンアームからのケーブルをここに入力して、そこからの出力をPhono-EQに入れることになり、ケーブルの全長はその分長くなる上に接点が増えてしまいますね。当然、信号(音質)の鮮度という点は不利になる可能性があります。ところが、出てくる音はPhono-EQ内蔵のトランスを使う場合とはまた違った結果になって、これがなかなか「そそる」んですなあ(^^*


こちらを通すと明らかに響きが豊かになります。わずかに距離感を伴って、ホールの残響が増した印象ですね。


こちらのPhono-EQは、技術者が大のジャズファンで、Hoffmannと同じカートリッジでジャズを聴くために開発した、と言われているのもです。音はなるほど、プレゼンス感と言うんでしょうか、距離感が縮まって、楽器や声の実在感が高まる印象です。

どちらもフォノイコライーザー内蔵のトランスを使った場合とは性格が異なっていて愉しめますね〜

このフォノイコライザーに内蔵されているトランスは単体製品としても出ていて、それはまた評判がいいんだけど、音場感でAIが、音像の立体感でPeerlessが、それぞれ個性を発揮しているよね

Hoffmannさんのお好みではやはり上の方が・・・?

そう(笑)オペラなんか聴くときには「接点が増えるなー」なんて思いながらも、これを使いたくなる(^^*

Hoffmannさんがひさしぶりに機器に変更を加えるのは、H社のスピーカーをつないでいるときに限られていますよね

やっぱりいちばん長く使っているスピーカーだからね。しばらくこの状態で聴き続けたら、またS社のスピーカーにつなぎ替えてみよう

ところで、昇圧トランスからフォノイコライザーへ接続するためのケーブルですが、これは両端がRCAピンのケーブルだからといって、CDプレーヤーなどをアンプに接続するための、いわゆるラインケーブルなどを使うのは誤り。まず、アース線がないのでハムを引く可能性が高い。それでは適当なケーブルを持ってきてアース端子をつなげばいいのか、というと、たしかに音は出るんですが、やっぱり問題あり。ちゃんとフォノケーブルを使わなければいけません。詳細は省きますが、シールドと直流抵抗、静電容量といった条件があるんですよ。

それじゃあてんでshopへ赴いて、両端RCAピンのフォノケーブルはどんなのがあるのと見渡せば、これがほとんどないんですね。いや、製品としてはいくつかあるんですが、どれも高級品。ユキチ2人乃至4〜5人くらいのお値段。やっぱりアナログ自体が趣味性の高いものとなって、ましてや単体の昇圧トランスを使うなど、いまや特殊な使用環境ということなんでしょうか。でも単体の昇圧トランスを製造・販売しているメーカーくらいは、そのために必要なケーブルを製品として用意しておいて欲しいですね。まあ、フォノケーブルは手許にあるものを使うつもりだったんですが、交換するとなったらこれは結構な出費となることがわかりました。

さて、なぜフォノケーブルを見てきたのかというと、じつは今回ラインケーブルを購入したんですよ。その際ついでに視察してきたというわけ。





2008.09.19 fri



晴読雨読(^o^;どちらにしろ、ひたすら読んでいます。




2008.09.18 thurs



本を読んでいます。




2008.09.17 wed

今日はこのレコードを聴いていました。



Hamilton Hartyの作品集、英ChandosのLP3枚組。演奏はスコットランドの指揮者ブライデン・トムソン指揮アルスター管弦楽団、ソプラノ歌手ヘザー・ハーパー、ヴァイオリンのラルフ・ホームズ、ピアノのマルコム・ビンズが共演。この指揮者も既に故人、60歳を少し過ぎたあたりで惜しくも亡くなったんですね。先日ハンドリーと共演したシベリウスのレコードを取りあげたラルフ・ホームズに至っては47歳で夭折(ああ!)。Hoffmannはこのヴァイオリニストが好きなので、このハーティの3枚組からはヴァイオリン協奏曲やヴァイオリンと管弦楽のための作品をよく聴きます。ハーティというとヘンデルの「水上の音楽」の編曲者としてばかり有名ですが、その作品はひじょうに親しみやすいものですね。

悪く言えばちょっと通俗的なところもあるんだけどね(^^;


ピアノ協奏曲はラフマニノフ風ですよね(^o^*



これはエルガーのレコードですね。ブライデン・トムソンについては取りあげないんですか?

いま検索したら、個人サイトで結構ヒットする。ファンも多いみたいだし、その点ではハンドリーよりも恵まれているね。Hoffamnnが取りあげるまでもないだろう(^^;まあ、気が向いたら・・・




2008.09.16 tues

今日は一日喪に服してお休み。




2008.09.15 mon



Vernon Handleyヴァーノン・ハンドリー、1930年生まれのイギリスの指揮者、2008年9月10日逝去されたとの由。

この指揮者、お写真で分かるとおりその風貌は、人生やら作品の創造やらで苦悩するとか、ましてや女房を質に入れて悪所通いでビョーキもらって芸の肥やしにするとかいった、青っちろい芸術家タイプとは無縁の、穏健・明朗タイプ(容貌の話だよ)。おかげで芸術家といえば人格破綻者か肺病やみのようなimageを持っているひとの多い我が国では、とんと人気がなかった―どころか、ほとんど知られていなかったんですなあ。

どちらかというと気のいい大工の棟梁といった印象ですね(^^*もちろん、あくまで面貌の話ですけど・・・(^^;あくまで容貌の話な、くどいケド・・・

その音楽造りは、外見の印象に似て、穏健・明朗・実直といったもの。これ見よがしな効果造りに堕すことなど決してあり得ない、音楽にすべてを語らせる、誠実そのものといった演奏なんですね。

本日はこのHoffmannの好きな指揮者が残してくれたdiscを取りあげることにします(ただしアナログLPのみ)。


左はmonologue2007.10.04 thursにもupした、エルガーの“The Starlight Express”です。ブラックウッドの原作「妖精郷の囚れ人」をViolet Pearnが翻案した劇の付随音楽。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による全曲盤です。英EMI盤。

中央は、これもジャケット写真何度かupしているはず―夭折したヴァイオリニスト、ラルフ・ホームズと共演したシベリウスのヴァイオリンと管弦楽のための作品集。オーケストラはベルリン放送交響楽団。独schwann盤。

右は英Chandosから出たヴォーン=ウィリアムズとディーリアスの作品集。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を振って、ヴォーン=ウィリアムズは「すずめばち」序曲とセレナーデ(16人の歌手のための作品の管弦楽版)、ディーリアスは「河の上の夏の夜」、「春はじめてのかっこうを聴いて」、「夏の夕」、「歌と踊り」。1983年録音。

Hoffmannの好みで、この3点は筆頭に挙げたいですね。

エルガー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、ディーリアスと、さりげなく、かつまんべんなく並べましたね(^^*ワタシはこのなかではシベリウスの静謐感がとくに印象的ですね。ラルフ・ホームズのヴァイオリンも、このひとの夭折が惜しまれる絶品といえるものですね。ヴォーン・ウィリアムズは、こういっては失礼なんですが、このオーケストラにここまでの表現力があるとは驚きです。テンシュテットやヨッフムも顔色なからしむる・・・(笑)じゃないですか?

今日は優美の方が過激だね(笑)


ディーリアスはほかにも録音があって、左の英EMI盤の収録曲は「春はじめてのかっこうを聴いて」、「フェニモアとゲルダ」間奏曲、「河の上の夏の夜」、「楽園への道」。オーケストラは上と同じロンドン・フィル、1977年録音。右の英Chandos盤はアルスター管弦楽団との1985年録音。「フロリダ」組曲と「北国のスケッチ」を収録。

このレコードに限らないのですが、作品、演奏のimageにぴったりの、センスのいいジャケットデザインですね



英EMIのヴォーン・ウィリアムズ1985年録音。ロンドン・フィルを指揮して「揚げひばり」、「富める人とラザロ」5つの異版、「すずめばち」組曲。

「すずめばち」の序曲に関しては、録音のよさもあって、上のChandos盤の方が聴きばえがしますね



ディーリアスで忘れてはいけないのがこれ―劇付随音楽「ハッサン」。ボーンマス・シンフォニエッタ、同合唱団ほか独唱マーティン・ヒル、ブライアン・レイナー=クック。1979年頃の録音で英EMI盤。

これはハンドリーのディーリアス録音のなかでも最高傑作。

ほかの演奏が妙に作為的に感じられてしまう、それでいて無味乾燥でない滋味あふれる演奏ですね



ヴォーン・ウィリアムズ、エルガー、バターワースの管弦楽(室内楽)伴奏歌曲集。ロバート・ティアーのテノールでバーミンガム市交響楽団の演奏。1979年録音、英EMI盤。

ロバート・ティアーはややテクニックが鼻につく印象なきにしもあらずですが、作品のめずらしさで貴重な録音ですね


左は“Russian Spectacular”と題された、グリンカ、ムソルグスキー、R=コルサコフ、ボロディンといったあたりのポピュラー名曲集、ハレ管弦楽団との1988年録音(英EMI)。中央はドヴォルザーク、右はグリークの名曲集、いずれもアルスター管弦楽団との英Chandos盤で、ドヴォルザークが1985年、グリークが1986年の録音。

ほかにもCDでモーツァルトやシューベルトの交響曲など、通俗名曲の録音がいくつかあって、どれも質実な演奏ながら、やはりいまひとつ、プラスアルファというかsomething elseを求めたくなることも否定できません。良くも悪くも純粋器楽、ロシア的とかスラヴ的といったimageとは無縁の演奏。

たしかに、ロシア音楽とドヴォルザークはちょっと上品に傾いた印象ですね。このなかではグリークが清潔な叙情が魅力的です

・・・が、Hoffmannはあまりグリークって好きじゃないんだよね(^^;


文句なしの最高の演奏はこちら―すべて英EMI盤でロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したエルガーの作品。左が交響曲第1番(1979年録音)、中央は交響曲第2番(1980年録音)、右は交響的習作「ファルスタッフ」、序曲「コケイン」、序奏とアレグロ(録音は1979、1983年?)。

演奏もさることながら、録音も最上質。とくに交響曲はこのレコードがあればほかの演奏は必要ありませんね。

Hoffmannさんはエルガーといえばチェロ協奏曲がお好きなんでしたよね

そう。でも、このレコードを聴くと交響曲もいいなと思えるね


ご冥福をお祈りします( ̄人 ̄)
(-人-)すてきな演奏を、ありがとうございました




2008.09.14 sun

昨日はロッシーニの歌劇「セヴィリアの理髪師」が「退屈」なんておっしゃいましたけど、以前、ドイツ語版のdiscを2、3取りあげたこともありましたよね。その「退屈」がはたして演奏や録音のせいなのかどうか、ということで「セヴィリアの理髪師」のほか、お手持ちのdiscのなかからロッシーニのオペラを探し出してみましたよ

・・・これ、全部聴くの?(^^A;あまり気が進まないけど(笑)

でも、あまりお好きでないというだけに、数は少ないですよ

いや、以前はたいがいの歌劇作品のdiscは持っていたんだよ。もう聴かないなあ、と思ってほとんど処分しちゃったんだよね


まずは「セヴィリアの理髪師」のdiscを2点―左はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮スカラ座の1956年live録音で、歌手がマリア・カラス、ティト・ゴッビ、ルイジ・アルヴァと豪華です。右は同じくスカラ座1952年のlive録音でヴィクトール・デ・サバータ指揮、チェザーレ・ヴァレッティ、ジノ・ベッキ、ドーラ・ガッタほかです。

さすがに大歌手の時代というか、飽きさせないで聴かせるね、といっても飽きないのはHoffmannの場合程度問題ではあるが・・・。とくにジュリーニ盤のカラスとゴッビはかなり個性的でおもしろいね。サバータ盤の方はジュリーニと比べてわずか4年しか違わないのに、一部の歌手のスタイルが古いなあと感じてしまう。でも、どちらもlive録音の美点でそれなりに愉しめるね

サバータ盤の方がイタリアオペラ、それもオペラ・ブッファのlive録音らしく、歌手は野放図といいたいくらいにやりたい放題ですね。それだけに聴衆は沸いているようですが。それと比べるとジュリーニ盤はもうすこし丁寧というか、真面目ですね



ちなみにこちらはフランスのバリトン歌手、Ernest Blancエルネスト・ブランク(ブラン?)のオペラ・アリア集、伴奏はジョルジュ・プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団で、1961年の録音。仏Pathe盤。これの第一曲が「セヴィリアの理髪師」から第一幕のフィガロのアリアで、これがすばらしい歌唱。ハメを外す寸前のノリのよさ。プレートルの指揮も火事場の馬鹿力(失礼)。録音も最上質で、フィガロのアリア一曲聴くだけならこのレコード1枚あれば充分。



こちらはデジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮による「オリィ伯爵」です。演奏はChoeurs de la RTF、Orchestre Radio-Lyriqueと表記されています。以前(monologue2008.05.06 tuesとその前後)ちょっとふれたINA、すなわち“institut national de l'audiovisual”フランス国立視聴覚資料館に所蔵されている音源をCD化したものですね。録音は1959年とあります。歌手はミシェル・セネシャル、アンドレ・ヴェシエール、ロベール・マサール・・・すみません、Nicheline GrangerとかFrancoise Ogeasとか、これはどう発音するのですか?;・・)(^-^;おれにもわからん・・・

これはロッシーニとしては意外なくらい洗練された、フランス的にしゃれた音楽だよね。ひさしぶりに聴いたけど、これは結構愉しめるなあ(^^*

音質も良好で、イタリアのオーケストラとは明らかに異なった音色も魅力的ですね



最後にアナログLPが見つかりましたよ。「アルジェのイタリア娘」です。ジュリーニ指揮ミラノ・スカラ座、歌手はジュリエッタ・シミオナート、グラツィエルラ・シュッティ、チェザーレ・ヴァレッティ、マリオ・ペトリほか、1954年の録音ですね。このLP、函は米Angelですけれど、中身は英プレス盤です。

解説書のお写真から―



なんといってもシミオナートがすばらしいね。ロッシーニの音楽の躍動感がそのまま歌になっているみたいだね



ジュリーニさんもお若いですね〜(^^*

このひとらしい、真面目な音楽造りだけど、別にロッシーニのオペラ・ブッファのいかなる要素もスポイルしてしまうわけではない。なにも無理にふざけたりハメを外したりする必要はないんだよ、これで充分だと思うね



・・・とはいうものの、今日聴いたロッシーニのオペラのdisc、もう当分聴くことはないだろうなあ(^o^A;

* * * * * * * * *



ロッシーニばかり聴いてさすがにうんざり(-。-;フウ

で、口直しですね(笑)




2008.09.13 sat

比較的めずらしい―おそらくあまり上演される機会のないオペラを聴いていましたよ(「不当に無視されているオペラ」だなんて言いませんよ)。



いや、じつは最初にこれを聴いたの。そしたらもう退屈で退屈で・・・(-_-;


ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」ですね。これは知名度からして名曲中の名曲ですね。シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮ナポリ・ロッシーニ管弦楽団による1964年DECCA録音、歌手はベルガンサほか、たいへん評判のいいレコードのようですが・・・

オーケストラはたいして上手くもないし、再発盤で判断しちゃいかんと言われるかもしれんが、録音も平面的でやかましい。なによりかにより、音楽がつまらない・・・



そこで引っぱり出してきたのがこのdisc、ジャコモ・マイヤベーアの「悪魔のロベール」です。先日のコルンゴルトの「死の都」からの連想であるとともに、マイヤーベーアって、ロッシーニと誕生日が半年違いなんですよね。

ロッシーニが1792年2月29日、マイヤーベーアが1791年9月5日ですね

ロッシーニは1810年に楽壇にデビューして1829年にはオペラ作曲はやめちゃっている・・・一方のマイヤベーアは1812年からオペラの作曲をはじめて、この「悪魔のロベール」が1831年に発表された出世作だね。それぞれの作曲家の音楽史における位置付けというか、役割を端的にあらわしているよね。ついでに言うと、ベルリオーズの「幻想交響曲」が完成したのは1830年だ。「悪魔のロベール」に限らないけれど、そのへんの状況を意識して聴くとおもしろいね

このdiscは1968年フィレンツェ五月祭のlive録音で、歌手はジョルジュ・メリーギ、ボリス・クリストフ、レナータ・スコットほか。イタリア語版。




左はフランソウワ・アドリアン・ボイエルデューの「白衣の夫人」。むかーし、Hoffmannがコドモの頃「白衣の夫人」というオペラの存在を知ったときには、てっきりウィルキー・コリンズの小説をオペラ化したものだと思いこんで胸躍らせたもんです(^o^A;

でも、このオペラは原作はウォルター・スコットの小説から採られたもので、かなりサスペンシヴなstoryのロマン主義の萌芽とも言える作品ですよね(^^*Hoffmannさん好み?

このdiscは1964年のlive録音で、歌手はニコライ・ゲッダ、ミニー・アーデン、エルナ・スポーレンベルクほか。指揮はジャン・フルネ。



パスクワーレ・アンフォッシの「魔女チルチェ」。チルチェというのはキルケーのイタリア語読み。1788年の作で、ギリシア神話のキルケーの話のパロディ。

音楽はモーツァルトふうですね

このdiscは比較的新しくて、1987年のdigital録音。フラーヴィオ・コルッソ指揮イル・グルッポ・ディ・ローマの演奏。歌手はマーガレット・ベーカー=ジェノヴェージ、ジョルジョ・ガッティ、ジュゼッペ・サバティーニほか。



フランチェスコ・チレーアの「アルルの女」。言うまでもなく、アルフォンス・ドーデーの小説が原作。ビゼーによる作品は劇付随音楽ですが、こちらはオペラですね。比較的ポピュラーな作品でしょうか。とくにテノールで歌われる「フェデリーコの嘆き」は有名ですね。

初演は1897年ですね。Wagnerのように有機的に展開していくものではありませんが、いくつかのモティーフが耳に残りますね。とくに「フェデリーコの嘆き」のテーマの使われ方が印象的です

フィナーレで劇的に演奏されるところだね。あれ、プッチーニが「トスカ」でそっくり真似をしているんだよね

discはアルトゥーロ・バジーレ指揮トリノ・イタリア放送交響楽団、同合唱団による1954年録音。歌手はフェルッチョ・タリアヴィーニ、、ピア・タッシナーリほか。




2008.09.12 fri



これはコルンゴルトが16〜18歳のときに作曲した歌劇「ヴィオランタ」、プッチーニに絶賛された作品です。

コルンゴルトは渡米してハリウッドで映画音楽作曲に従事したため、(偏見を持たれて)再評価が遅れている、なんて声もありますが、どうなんでしょうか。あんまり関係ないと思いますけどね。

よく、アンドレ・プレヴィンやフリードリヒ・グルダがクラシック以外のジャンルに手を出したせいで「不当な評価を受けている」って言うひとがいますけど、この手のレトリックはあまり理論的でない、ファンの単なる「印象」もしくは「思いこみ」じゃないでしょうか。クラシックだけ演奏している音楽家は星の数ほどいるし、そのなかには不当な扱いを受けているひとだって山ほどいるでしょう。それにその演奏家が本当にすぐれた演奏家なのか、また、本当に不当な評価を受けているのか、ちゃんと評価しているひとがたくさんいるのではないか・・・そのあたりを検証しないで、ファン(というものはたいがい盲目同然)が勝手な、思いこみだけで発言していると感じられるんですね。

すると、被害妄想的な思いこみということですか?

いや、むしろ「おれ(わたし)に(だけ)はこのひとのよさがちゃーんとわかっているのよっ」という、スノブ根性だろう。どちらかというと女性に多いんだけど、「ワタシ、よく周囲から変わってるねって言われるんですぅ〜」なんて、だれもそんなこと訊いてないのに、得意気にしゃべっているのがいるじゃない、あれだよ(^^;

もうひとつ、言っておきたいのは、「おれは(わたしは)ジャンルにこだわらない」なんて発言しているひとがいちばんジャンルというものを意識しているんですよ。かつて某誌で長年読者相談コーナーを担当していたDとかいう評論屋(と呼ぶのさえ、ためらわれる)は、あるところで「自分はジャンルにこだわらないから、クラシックしか聴かないひとの神経が理解できない」などと書いていましたが、クラシックしか聴かないひとがいたとしても、それは結果なのであって、別に信念を持って自らに課した規則じゃない。本当にジャンルにこだわらないひとならば、いったいどの口からこのような発言が出てくるのでしょうか、かえって矛盾しているじゃないですか。この男の無知無教養ぶりからすると、なにを言ってもとうてい理解できんではあろうが、価値相対主義という主義は価値相対主義に反する、ということです。

DADA運動が自ら崩壊していったのと同じですね〜(^^;

ジャンルにこだわる(強く意識している)ひとって、なにかよほど重大なコンプレックスに、自家中毒的にとらわれているんじゃないかと思うね。どんな音楽を好んでいようと、ほとんどのクラシック好きは、他人様の好みなんか、てんで気にかけていないだろうと思うんだけどね

少なくともHoffmannさんはそうですね(笑)

それはともかく、コルンゴルトの音楽を聴いて「映画音楽みたい」と言うのは、話が逆だと、これは強調しておきたいですね。




2008.09.11 thurs

小澤征爾でしたっけね、たとえばシベリウスを指揮するならフィンランドだかヘルシンキだかへ一度行っておいた方がいい・・・てな意味のことを、若い頃カラヤンに言われたそうです。まあ、正論といえば正論なんですが、エラーイひとの発言としてはべつにおもしろくもなんともない。いやべつにおもしろいことを言わなきゃならんという理屈はないんですけどね。

吉行淳之介がヴェニスへ行ったら、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」でイメージしていた街とはずいぶんへだたりがあった、というのも驚くようなことじゃありません。ヴェニスに限らず、市中いたるところに運河をめぐらしたフランドルの古都も、いまではもちろん、当時だって現実は小説やオペラで描かれているimageとはすこぶる異なった相貌を見せていたかもしれません。


やっぱりそうしたimageを偲ぶよすがとして、固陋な町並みを残して、そこでは頽廃的な衰弱をうかがわせる大気に、すえた匂いをそこはかとなく漂わせていてほしい気がしますね

たぶん、いまでは見る影もなく発展しちゃっているんじゃないの?

見る影もなく発展・・・ですか? おかしな日本語ですね〜(^o^;



それはともかく、カラヤンの発言が、それ自体は毒でも薬でもないのにやたら陳腐と感じられてしまうのは、Hoffmannがカラヤンを嫌いだからではありません。エジプトの景観を描いて、「(エジプトには)まだ一度も行ったことはありませんが、この眼でしかと見ました」と、あっけらかんと底が抜けた秋空のごとく超然としている、そんなひとのほうが好きなのです(笑)




2008.09.10 wed



ひさしぶりに引っぱり出して拾い読み(^^*

Jack Sullivanの編集による“The Penguin Encyclopedia of Horror and the Supernatural”ですね


左のビアズレーによる「サロメ」の挿画とマレーネ・ディートリヒの写真がならんでいるのは、もちろん“FAMME FATALE”の項目だね

中央は“GOLDEN AGE OF THE GHOST STORY”のページですね

この項目の立て方が泣かせるよね(^^*おまけに右は“SCHOENBERG, ARNOLD”、これの次が“SCHUBERT, FRANZ”だ

前のページに戻ると・・・“SALO-THE 120 DAYS OF SODOM”がありますよ!

ちなみにその次は映画の“THE SARAGOSSA MANUSCRIPT”だよ。こうして拾い読みしているときりがなくなっちゃうなあ(笑)




2008.09.09 tues



このへんヽ(^o^*更新してみたり・・・

今回は過去のmonologueからの編集ではなくてオリジナルですね(^^*

これがいわゆるレビューなら、まったく参考にならないという例ですな〜(^o^;




2008.09.08 mon

腰イテー(-_-;

コルセットでもなさってはいかがですか?(^_^;






2008.09.07 sun



引き続きケン・ラッセル監督の「マーラー」“Mahler”(1974英)です。ウィーンへ向かう列車のコンパートメントに作曲家グスタフ・マーラーと妻アルマ。過去の記憶が甦り、あるいは悪夢にうなされるグスタフ。やがて迫る死期。

この監督のことですから、決して伝記映画ではありません。マーラーを素材に、その生涯のエピソードを引用、あるいは応用しつつ、とはいえまるで無視するわけでもなく、言ってみれば「詩的真実」に至るかのような作品です。

グスタフ・マーラーはロバート・パウエルですね



冒頭の夢は、繭から蛹となってマーラー(岩)に這い寄るアルマ。



少年時代の記憶。粗野で横暴な父、見え始めた音楽への道―。妻アルマに言い寄る男マックスがコンパートメントに現れ、そのマックスとアルマに生きたまま埋葬される悪夢にうなされるグスタフ。発狂した友フーゴー・ヴォルフと自殺した弟オットーの記憶。



カトリックに改宗してウィーン国立歌劇場の音楽監督となるシーンはかなりグロテスクですね(^^;

コジマー・ワーグナーがやがて来るナチの象徴となっています。


ふたりの娘。

このふたりは本当に姉妹なんですよね(^^*カワイー



その娘の死。


マックスや居合わせた貴婦人がマーラーの音楽について語り、しかしグスタフはそれらをいちいち否定します。

それではマーラーの音楽はいったいなんなのか、というのがこの映画のテーマでしょうか?

いや、違うだろう(微笑〜)



停車駅では歓呼を持って迎えられ・・・。

Hoffmannははじめてこの映画を観たとき、やはりケン・ラッセルがその生涯を素材に作曲家チャイコフスキーを描いた、この監督の最高傑作である「恋人たちの曲・悲愴」(1970英)を思い出しましたよ。テーマは同じですね。

同じテーマとおっしゃいますと・・・?

う〜ん、ちょっとことばにはしたくないなあ(笑)そのテーマが、「恋人たちの曲・悲愴」の場合にはまさにpatheticな結末を導いていて、この「マーラー」では一応のハッピーエンドに至っている、とは言っておこうか・・・

それじゃわかりませんよ〜(^^;


えーと、バッハの「マタイ受難曲」が、じつはアンハルト=ケーテン侯レーオポルトの追悼のために作曲されたとする説があった。ところがその後の研究によって、いまでは「マタイ受難曲」の初演の方がはやくて、ケーテン侯の追悼音楽に転用されたとということになっているらしいけどね

はあ・・・(・・?

以前は「マタイ受難曲」ほどの作品が世俗の支配者のために作曲されたとは考えたくないっていうひとが多かったみたいだね。もっともこんどは「マタイ受難曲」がそんな一個人のために転用されたということに違和感をおぼえているひともいるかもしれない・・・でもね、どちらの立場も(以下略)

(おまけ)


冒頭、車内からホームを見るとこのようなシーンが・・・(^^*もちろん、1971年のヴィスコンティ映画のパロディ・・・というより、オマージュですね。ロバート・パウエル扮するマーラーの微笑むのが印象的です。

これはmonologue2005.04.21 thursにupした画像ですね

(おまけ その2)

アルマ・マーラー「グスタフ・マーラー 回想と手紙」 酒田健一訳 白水社刊

コドモ時分、Hoffmannなどはこれを読んでたいそう感動したものですが、その後いろいろと研究が進んで(しまって)、いまではアルマ・マーラーがこの回想録を書くにあたって、自分に都合の悪いところは隠蔽したり事実に反する記述をしたりしたことも明らかにされていますね。どちらかといえばグスタフ・マーラーに肩入れしたいHoffmannとしては、アルマは許せない存在であるとあえて言いたいんですね。ええ、そりゃあ妻としてみれば・・・なんてものわかりのいいことを言うなんてまっぴらですよ。いまではアルマは大嫌いなオンナです。

・・・あらま(^o^*




2008.09.06 sat

「サロメ」、オスカー・ワイルドときたら、思い出すのはやはり「鉛筆の、また絵筆の持ち方を心得ていた、後にも先にもただひとりのイギリス人」、すなわちオーブリー・ビアズレーですね。



これは19世紀末に出版された本。ビアズレーが装幀デザインを担当したシリーズのうちの一冊です。



扉のページ。Hoffmannにとって、いろいろな意味で「きっかけ」となった本です。

すべてはここからはじまった・・・( ̄- ̄
*)思へえば当時、月も恥ぢらふ紅顔のHoffmannを、「罰せられざる惡徳」の道に引き込んだ、手管に長けた悪女のやうな、罪な本であつたものよのう・・・(ゲホゲホ)

おじーちゃん、パンが焼けましたよっヾ(^∇^*




2008.09.05 fri

Whenever people agree with me,
I always feel I must be Wrong.

 “Lady Windermere's Fan”




先日R.シュトラウスの歌劇「サロメ」を取りあげたので本日はこちら、「ケン・ラッセルのサロメ」“Salome's Last Dance”(1987米)でございますよ。その邦題のとおり、奇才ケン・ラッセル監督による、1892年11月5日、オスカー・ワイルドが娼館で上演禁止となった自作の戯曲「サロメ」の上演を観るという設定の映画。

劇中劇というわけですね(^o^*



ヨハネ(ヨカナーン)を演じるのはオスカーの同性愛の相手であるアルフレッド・ダグラス卿(愛称ボウジー)。写真に見ることのできるふたりに、なかなか似ていますね。

Hofmannさんはアルフレッド・ダグラス卿の詩集を一冊お持ちでしたよね

以前、さりげなくupしたけどだれも気付いておらんだろうなあ(^^;



ヘロデ役は右にいる娼館の主人テイラー。オスカーに葉巻を持って来たメイドが・・・。



舞台装置・美術はチープというか、キッチュというか・・・このあたり、ケン・ラッセルらしいところ。音楽はドビュッシーからR=コルサコフ、グリークと、場面の切り替わりに伴ってクラシックの(通俗)名曲次から次へと移り変わっていくのがまた、陳腐すれすれの巧みな効果。



カメラマンの役で監督自身もご出演。

このひとは俳優さんでもあるんですよね


サロメ役を演じているのは先に主人から怒鳴りつけられていたメイド。ヘロデには主人テイラーが扮し、ヘロディアスには女優レディ・アリスが出演しています。これを演じているのがグレンダ・ジャクソン。さすがの存在感。



これが先ほどのメイドさんですか、ずいぶん印象が変わりますね〜(^^;ロリータ風なのがサロメ役にはふさわしくもありますね


サロメの踊りは左のアップ映像などを除くと、(男性の)ダンサーが踊っていますね。オスカーはこの踊りをまるで観ておらず、ボウジーの稚児である少年と部屋の隅で・・・。



なにしろケン・ラッセルですから悪趣味でハチャメチャ、なんて言われることが多いんですが、いや、じっさいそのとおりなんですけどね、映画として計算し尽くされた演出です。劇中劇たる「サロメ」の上演も、これがじっさいに娼館で披露されたのだったら絶賛ものですよ。



ヨハネの首を所望して、その首に口づけするサロメ。



台本どおり、劇はサロメの死で幕―。


そこに警察がやってきて、オスカーとテイラーを逮捕します。



最後まで傲岸不遜な態度揺るがぬオスカー。



ユーモアをにじませて、世紀末ロンドンの霧のなかに去ってゆく馬車でエンド・・・


・・・と思いきや、手前の柵(?)を映し出すscreen。いや、別にただこれが映し出されているだけなんですけどね。だからそれがどうしたんだ、と思われるかもしれませんが(以下略)

ケン・ラッセルも律儀というか、最後まで手を抜かないというか・・・(^o^;




2008.09.04 thurs

R.シュトラウスの歌劇作品はひととおりdiscを所有しているくせに、ほとんど聴かないんですな。それでも比較的めずらしい作品となると、ときどきは聴いてみようかなと思います。



これは「火の欠乏」ですね。ケンペ指揮バイエルン国立歌劇場の1958年のlive録音でしたね。OrfeoからCDでも出ていましたね

お写真はLPにしておこう・・・で、この2枚組LPの第4面に収録されているのが歌劇「グントラム」からの二つの場面で、1958年にヴィントガッセンが歌っている録音だね



その「グントラム」も、その後レコーディングされましたね

「火の欠乏」も「グントラム」もWagnerの影響がかなりあからさまだね

それでも、「薔薇の騎士」のような響きや、「死と浄化」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」といった作品の一節が聴こえてきたりしますよ(^^*

まあ、discも少なくてあまり人気がある音楽でもない、めずらしい分だけ他人様はあまり聴いていないだろうから、耳を傾けてみようかなという意欲もわいてくるんだけどね(^^;




2008.09.03 wed

ついでに「エレクトラ」のdiscも取りあげておきます。このオペラはHoffmannがビルギット・ニルソンの舞台に接した思い出ある作品なので、やはりそのニルソンが聴けるショルティ盤は(指揮が好きでなくても)捨てがたいものです。


ニルソン以外ではOrfeoから出たこの二組―左はミトロプーロス指揮ウィーン国立歌劇場の1957年live録音で、歌手はインゲ・ボルク。ボルクによるエレクトラの録音はほかにもあって、ベームのDGG盤などはここでの歌唱をさらに上回るかと思われるものです。右はカラヤン指揮ウィーン国立歌劇場の1964年live録音で、ヴァルナイがエレクトラを熱唱、

ミトロプーロス盤でクリテムネストラを歌っているマデイラがまた見事ですね〜カラヤン盤のメードルもかなりの迫力なんですが、マデイラを聴くと・・・

ただしこのひともベーム盤ではさらにその上を行っているんだよね

それでは、どうしてベーム盤を取りあげないのですか?

やはりオペラとなるとlive録音ならではの熱気は独特の魅力だからね。それと、ベーム盤ではエギスト役が個人的に嫌いな歌手なの(笑)

ああ、F=Dさんですね(^^;

ちょっとベーム盤について補足しておくと、「エレクトラ」の録音が1960年、「サロメ」の録音が1970年、ベームの指揮は1970年でもまだ衰えは感じられないけれど、録音時点で起用できる歌手にはかなりの差があるよね。やっぱり1950年代は歌手の黄金時代だったんじゃないかな。その意味で、ベームの「エレクトラ」盤は幸運というか、恵まれていたと言っていいね

♪うまれた〜ときが〜わるい〜のか〜ヽ( ̄0 ̄*)/ 
ヾ(^_^;ヲイヲイ;;




2008.09.02 tues

R.シュトラウスの音楽はまったくもってHoffmannの好みではありません。よく、ウェーバーあたりの歌劇作品について、「台本がよくない(ので忘れられた、上演されなくなった)」なんて言われますが、それでも聴いてみれば音楽はなかなかおもしろい。対して、ホフマンスタールによる台本の悪口を言うひとなどまずいないであろう、R.シュトラウスの多くの舞台作品がおもしろいかというと、Hoffmannにはつまらないんですね。「エレクトラ」にしろ「サロメ」にしろ、その題材はじつに興味深く思えるのに、音楽が気に入らないのは残念至極です。



それでも「エレクトラ」はそんなに嫌いというわけでもありません。「サロメ」はというと、終盤のサロメのモノローグはなかなか聴かせる音楽ですね・・・というか、ここだけ聴いていればいい。

これはモンセラート・カバリエの独唱、レナード・バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団によるDGG盤ですね。バーンスタインのDGG盤としてはほとんど例外的に録音が優秀ということで、以前取りあげたことがありましたね

カバリエの歌もいいよ。すくなくとも世評の高いカラヤン盤のヒルデガルト・ベーレンスよりも、ドイツ語の発音は明瞭だ

ベーレンスは歌詞(の発音)を流しちゃってますね。ボケボケのドイツ語はカラヤン指揮するオーケストラと同傾向ということで、これはカラヤンの要求でしょうか(笑)

・・・というわけで、この場面が独立して演奏されているレコードがあれば充分と言ってもいいんですが、数ある全曲録音には、たいへん魅力的な歌を聴かせてくれるサロメ歌手が少なくないんですよ。カバリエにはより若い時期のラインスドルフ指揮による全曲盤があり、ショルティ盤のビルギット・ニルソンも圧倒的。ベーム盤のグィネス・ジョーンズだって一般に言われるほど悪くはない、なかなかの熱唱です。



これはクリステル・ゴルツがサロメ歌っているクレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のDecca録音。その他の主役級の歌手が冴えないのが惜しい。演奏は気品と官能性が両立。



こちらはインゲ・ボルク。カイルベルト指揮バイエルン国立歌劇場1951年のlive録音。歌は官能的というより狂気をはらんだ鬼気迫るもの。


これはHoffmannのとくに好きなサロメ、リューバ・ヴェリッチュ。メトロポリタン歌劇場1949年のlive録音で指揮はフリッツ・ライナーです。エロティックな少女サロメ。




ありそうでめったにない、ビアズレーの筆になるオスカー・ワイルドの「サロメ」の挿画で飾られたジャケット―よってお写真大きめ(^^*米walter協会盤で、アストリッド・ヴァルナイがサロメを歌った1953年バイエンルン国立歌劇場のlive録音。指揮はヴァルナイの夫君ヘルマン・ヴァイゲルト。ヴァルナイがこの作品でサロメを歌ったのはキャリアの初期にわずかな回数、その後はヘロディアスを持役としていたため、これは貴重な録音です。強靱な声で貫禄のサロメ、たしかにヘロディアスに向いていますね。

ボルク、カイルベルトの録音と、ヴァルナイ、ヴァイゲルトの録音はOrfeoから出たCDもお持ちですよね

でも、2枚組のLPが便利なんだよね。第4面だけ聴けばちょうどいいから(^o^*




2008.09.01 mon

灼熱の8月も終わり、引き続き煉獄の9月は
バーンスタインのニューヨーク・フィルハーモニック時代の比較的めずらしい(とてもめずらしい、というほどではない)レコードではじめますよ。


左はダリウス・ミヨーの「コエフォール」、中央はルーセルの交響曲第3番とメシアンの「神の降臨のための3つの小典礼」、右はヒンデミートの交響曲変ホ長調と「ウェーバーの主題による交響的変容」。

ポール・クローデル訳によるアイスキュロスの劇への付随音楽である「コエフォール」は、ミヨーの70歳の記念に録音されたとありますね

その「コエフォール」を除けば、作品自体はどれもそんなに秘曲というほどめずらしいものではないね



・・・で、このへんに落ち着く(笑)

“Latin American Fiesta”と題されたレコードですね。ヴィラ=ロボスのバッキナーアス・ブラジレイラス第5番が収録されていて、そこでの独唱がネタニア・ダヴラツということで、以前にもupしたことがありましたね。そのほかの音楽はあまりHoffmannさんのご趣味ではないような気もしますが・・・

そんなこともないぞ・・・ああ、ラテンの血が騒ぐ・・・( ̄- ̄*

○○生まれの○○育ちのくせに、なにを言ってるんですか〜
(((;^o^)σ)~0~)/プニッ♪



私はバーンスタインのレコードではこちらがとても印象的でしたね

ラヴェルの「シェエラザード」とムソルグスキーの「死の歌と踊り」だね。独唱はジェニー・トゥーレルだね。このひと、バーンスタインとはよく共演していたみたいなんだけど、マーラーの録音ではかなり衰えが目立って、一般的な評価も低いみたいで気の毒・・・せめてこのあたりの古めの録音で、絶頂期とは言わないまでも、好調な頃の録音で聴いてあげないとね