monologue 2008.10

2008.01 2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2008.10.31 fri

さて、首尾よくゲーリー・クーパーの名前が出てきたのでこの映画―



これじゃなんだかわかりませんよ〜ヾ(^o^;


間違えた(笑)こっち

マレーネ・ディートリヒとゲーリー・クーパーが主演の「モロッコ」“Morocco”(1930米)ですね

監督はジョゼフ・フォン・スタンバーク。これは我が国における字幕スーパー第一作としても有名な映画だね



storyは単純、というか他愛もないラブロマンスなんですが、この映画が好きなHoffmannとしては、あえて「純愛もの」と言いたいですね(笑)粗筋を知りたいひとはテキトーに検索してちょんまげ。


やはりクラブで歌うシーンがいいですね。弾奏してタバコをくゆらせている姿がここまで似合うのもこのひとならでは。


Hoffmannの持っているのは国内廉価盤で画質はさすがに悪い。ちょっとカメラが引くと表情などまるで分からず。

海外盤はどうかなあ・・・って考えてませんか?*^o^) ; ̄- ̄)doki



現代の目で見れば、ゲーリー・クーパー演じる外人部隊の兵士トム・ブラウンはことさらにキザったらしく不良っぽく、いささか青臭い若者じみた幼稚さが鼻につくんですが・・・



・・・だからこそ自ら身を引く純情さも説得力があるといえましょうか。


とにかく絵になるふたりですね。



よく言われることですが、ハイヒールを脱いで砂漠を歩いていくなんてことはアリエナイ。その昔この映画をTVで観たとき、Hoffmannご幼少のみぎりにしてもそう思いましたよ。でもね、そのときこそ子供心にも映画的リアリズムというものが理解できたような気がしましたよ。

マレーネ・ディートリヒもゲーリー・クーパーも、仕草や台詞のひとつひとつが魅力的なんだな。台詞なんてたいして気の利いたことは言っていないのに・・・

なんといっても、主役ふたりのムードで魅力を保っている映画ですね。私はアドルフ・マンジュー演じるお金持ちのおじさまがマルケ王みたいで・・・というのは冗談ですが(笑)とことん善人として扱われているのがよかったと思います。このひとと結婚したら、きっと(以下略)

かくして狂乱の10月も終わり、眩暈の11月へと続く―。




2008.10.30 thurs



「イット(あれ)」“It”(1927米)。健康的なお色気を発散するデパートガール役を演じているのはClara Bowクララ・ボウですね。「あれ」とは内面的な性的魅力のこと(もちろんもっと深読みするか、あるいは想像をたくましくしてもらってかまわんよ、というタイトルですね)。百貨店店主の息子と店員ベティの恋の行方を描いたコメディです。



こうしたちょっとロリ系が入ったような女優が一世を風靡するというのも、その後のハリウッドのみならず、映画界・芸能界では繰り返されてきた「流行」なんじゃないでしょうか。たとえばブリジッド・バルドーだってこの延長線上に現れたと言っていいと思います。正直なところ、こういったタイプはHoffmannの好みとはかなり隔たったところにあるんですが、ハリウッド女優というものを考えるのに、クララ・ボウという女優の経歴を振り返ってみるのも、ちょっと興味深いものがあります。

クララ・ボウは1905年生まれ。父親はアルコール中毒で母親は精神疾患、一説によれば父親から性的虐待を受けていたとも言われており、彼女はそうした境遇から這い上がるためにハリウッドを目指したんですが、「女優なんて売春婦と同じ」と思いこんでいた母嫌からは危うく殺されそうになったとか。



駆け出しの頃には出演した場面が残らずカットされてしまったなんてこともあったらしいんですが、とにもかくにもこの映画で一躍人気を得て“It Girl’と呼ばれるまでになったんですね。


ここで演じているような、とことん明るい天真爛漫タイプはHoffmannの好みではあるんですけどね、どこか男社会が望んで作りあげた人物像と見えるのがどうも・・・。



クララ・ボウの成功は長続きせず、人気が上がるにつれ、アルコール・ドラッグ・ギャンブル・セックスなどあらゆるスキャンダルがまことしやかに語られるようになる・・・このあたり、ハリウッドの闇の一面は今も昔も同じ? また彼女の金を横領していた秘書がその私生活を暴露して、人気はあっという間に衰えてしまい、晩年は(いまのことばで言えば)統合失調症となって精神病院に入院。1965年に死去。

ちなみにこの映画、デビュー当時の若きゲーリー・クーパーが出演しています。ご覧になる機会がありましたら、探してみられては如何?


(おまけ)

DVDに収録された“Clara Bow : Discovering the “It”Girl”から―


先程言った世間の「流行」の記憶故か、どことなく既視感が・・・。




2008.10.29 wed




「カルメン」“The Loves of Carmen”(1948米)です。

カルメンを演じているのはRita Hayworthリタ・ヘイワース。1987年ブルックリン生まれ、ハリウッドのセックス・シンボルと呼ばれた大女優ですね。ちなみに本名がMargarita Carmen Cansino、ミドルネームがまさしくカルメン。まあ、カルメンて名前はスペインあたりじゃめずらしくもないそうですが。


顔立ちは意外と派手めでなく、結構日本人好みなんじゃないでしょうか。じつはこの「カルメン」も国内盤(しかも廉価盤)があるのに気が付かないで、海の向こうから取り寄せ(笑)

このひとは父親がラテン・ダンサーで母親もダンサーだったんですよね

幼い頃から父親にダンスを仕込まれて、メキシコあたりのクラブで踊っていたそうだよ



storyはご存知メリメの「カルメン」をほぼ忠実に追ったもの。ただし観るべきはリタ・ヘイワース・・・のみ? その踊りを観ているだけでも愉しめます。なにしろドン・ホセ役のグレン・フォードの木偶の坊ぶりは・・・これ、演技なのか地が出たのか、よくわかりません(^^;



「カルメン」というとビゼーの歌劇ですっかりお馴染みなんですが、いかにもな悪女っぷりを前面に押し出すのはもはや時代遅れということで、いまでは演出面からカルメン役の歌手にはそれなりの役作りが求められるとはよく言われるところですね。ただ、それでは昔はもとさらにドギツイ悪女としてのカルメンを演じてばかりだったのかというと、ちょっと疑問。ビゼーの古めの録音を聴いても、またこの1948年公開の映画を観ても、そんなに単純な演技と設定ではないと思うんですけどね。


(おまけ)

DVDに収録されている“Special Features”から―。

左はちょっと清楚な印象ですね。右は、やはりダンスはお手のもの♪


こ、このひとは・・・(・・;

もとダンナだね。この映画はDVD国内盤が出ている



カラーもひとつ。




2008.10.28 tues




「ローラ殺人事件」“Laura”(1944米)です。監督はオットー・プレミンジャー。



広告代理店に勤める女性ローラが散弾銃で顔面を吹き飛ばされた死体となって発見されます。容疑者は婚約者シェルビー、その婚約者と関係のあった叔母アン、ローラの才能を見出して育てたコラムニストのウォルド。刑事マークは捜査を続けるうちに、残されたローラの肖像画に心惹かれるようになり、そこに死んだはずのローラが現れて・・・というstory。

この映画を男に観せると「オンナって、バカだなあ」と言うし、女に観せると「オトコって、バカね」と言うんですな(笑)結局両方莫迦・・・ではなくて、よくできたミステリ調entertainmentなんですけど、あまり個(人)の内面が迫ってこない一面があるんですね。だから「オトコって・・・」、「オンナって・・・」という話になっちゃう。登場人物が悩んだり葛藤したりしないで、始めから終わりまで紋切り型の性格設定で押し通すためでしょう。つまり、ローラはあまり内的に成長したようにも見えないし、マークのローラの肖像画への想いも、どこか唐突で説得力がないんですね。



従って、評判のよろしいローラ役のジーン・ティアニーなんてどうでもよくて・・・

当時にして大スターなんですけれど・・・(^^;



敏腕刑事マーク役のダナ・アンドリュースも別に・・・ウォルド役のクリフトン・ウェッブはどことなく、やたら皮肉屋になったデヴィッド・ニーヴンといった雰囲気でおもしろいんですけどね。

ダナ・アンドリュースはこのとき新人ですね。クリフトン・ウェッブはもともと舞台俳優で、これが映画初出演だったんですね


やはりここでは「プレイボーイ」というより「いーかげん男」、「小悪人」と呼ぶべきシェルビー役を演じている、ヴィンセント・プライスが要注目。'60年代の映画となると結構俗っぽいおっさんタイプで、それがまたユニークな魅力なんですが、ここではまだまだ若くて、軟派な色男ぶりを発揮しています。

それも小心なところもあって、ピンチになると肝が据わっているというより口先三寸で乗り切る、極悪人になりきれない、まさに小悪党ですね(笑)

そこが持ち味なのさ(笑)




2008.10.27 mon



さて、明日から女優に注目して選んだ映画を取りあげちゃいます。ただし話の内容はてぇと、からきし女優に注目していないかもしれません。とどのつまり、女優なんてものはせいぜい映画を観るときの選択のきっかけにはなっても、Hoffmannの関心を攫ってくれるほどのひとはめったにいないんですな。




2008.10.26 sun



この額入り写真は以前にもupしましたね。まあ、ネットから拾ってきて自分で印刷したんですけど(笑)

これは古〜い女優さんですね




2008.10.25 sat



つ、ついに出た、長らくDVD化が待たれていたHammerプロダクションの女性モンスターものの一本、「妖女ゴーゴン」“The Gorgon”(1963英)です。監督はHammerの屋台骨テレンス・フィッシャー。

ギリシア神話に登場する三人姉妹の怪物ゴルゴンといえば髪の毛が蛇で、見た者は石になってしまうというアレですな。それが20世紀初頭のドイツに現れる・・・というのがこの映画の苦しい設定。



クリストファー・リィとピーター・カッシング。ふたり仲良くひげ面ですな(笑)Hammer映画としてはめずらしく、リィの方が善人でカッシングの方が悪役なんですね(まあ、心底悪人というわけではないが)。



storyは、1910年ヴァンドルフの村で起きた画家の自殺に疑問を持った父親が調査に乗り出すも不審な死を遂げ、こんどは次男が調査に来て・・・というもの。上は村に来て知り合ったナマロフ医師の助手。なんたってこの映画、女っ気といえばこのひとだけですから・・・正体は途中で見当がついちゃいます。


せっかく登場したゴーゴンなんですけどね、ただ立っているだけというのがどうも・・・。同じHammerの女モンスターものでも、これなら蛇女とか女ゾンビの方がよかったなあ。


澁澤龍彦はそのエッセイで「テレンス・フィッシャーも老いた」なんて酷評してますが、たしかにゴーゴンの(アタマの蛇の)造形などは低予算ぶりを露呈してチャチではあるものの、全体としては雰囲気といい、色彩といい、Hammerならではの味わいがあります。さすがに腐ってもHammer、というか、この時期(1963年な)が絶頂か。


「これがホントの石頭♪」




2008.10.24 fri

やめといた方がいいと言われると、かえってやってみたくなる・・・まさにこれぞカリギュラ効果(笑)


ポータブルのDVDプレーヤー・・・と、例の白いスピーカーですね(笑)まあ、このくらいのシーンなら(^o^;左はティベリウス役のピーター・オトゥールですよね。当時48歳にして梅毒を病んだ77歳の老人を演じるためのメイクアップは毎日3時間を要したとか・・・

・・・ところができあがってみたらポルノ映画だったんで、自分の経歴に傷が付いたと、ボブ・グッチョーネとティント・ブラスを訴えると息巻いたんだとか。もっともこのひと、このころかなりのアル中状態だったとも言われている



ここでドルシラ役を演じているテレサ・アン・サヴォイは結構魅力的なのでもひとつupしちゃいますよヽ( ̄ー ̄*

私もHoffmannさんのことを“Little Boots”って、呼んであげましょうか?(^o^*




2008.10.23 thurs



「カリギュラ」“Caligula”(1980米・伊)、これは4枚組DVD、“Imperial Edition”です。Disc1には Complete Uncutversion、Disc2にはAlternative Version、Disc3に Theatrical Version、Disc4がMakingなどのExtra。ほかにDeleted and AlternativescenesとかCommentaryも収録。

編集段階で、スポンサーであるペントハウス誌のオーナー、ボブ・グッチョーネが自ら撮影した性器アップなどのポルノシーンを、勝手に挿入しちゃったんでしたね

まあ、ポルノシーンはもともとないわけではなかったんだけど、監督に無断で挿入(笑)したシーンはだいたい見当は付いていたよ。グッチョーネは撮影中に監督のティント・ブラスと衝突したそうだけど、できあがった映画を観て出演者たちも激怒したと言われている・・・


スポンサーの横暴がよくわかりますね

ともあれ、このDVDのおかげで全貌が明らかにされたわけで、ここも書き換えなきゃいかんかなあ

追記で足りるとは思いますけど・・・でも、画像は追加なさらない方がいいですよ(^^;




2008.10.22 wed



数多くの出版社から刊行されている小説を読もうという場合、どの本(版?)を選ぶかで、こちらも試されているような気がしますね。これがあらかじめ手にとって確認できない洋物となると、その挑戦、受けてやろうじゃないか、というわけで、事前にいろいろ調べてみるわけです。




2008.10.21 tues

CDの解説書から―。

こういった写真をあしらうという洒落っ気は、(その演奏が上質である限りにおいて)ほほえましいものですね。


この2点のdiscはいずれも「上質」なんじゃないですか?




2008.10.20 mon



世が世なら・・・。




2008.10.19 sun

たまたま午前中からぶらりと出かけて中古shopに立ち寄ったらちょうど開店直前。折しもセール期間中で開店を待っている客が数名。ちょいとのぞいて行くことにしたんですが、as soon as 開店・・・いくらなんでももうちょっとマナーというものを考えてはどうかと。いや、マナーとまで言わない、せめてジョーシキを・・・。むしろ若いひとの方がよほど譲り合いということを心得ていて、対する「じじい」のエゲツなさ。他人を押しのけたり横から手を出してくるなど朝飯前。棚の上でその手はレコードを叩き付けんばかり、おまけに絶えることのない、なんだか文句を言っているような苛立たしげな独り言はいささか狂気じみてはいないか。


ま、Hoffmannの買うようなdiscなんぞだれも欲しがりゃしませんから、ガツガツしないでのんびり構えていられますよ。

もともとひとさまに自慢するようなものはお持ちじゃないと・・・?

他人様が欲しがるようなものなら、自慢話はしない(笑)

Hoffmannさんの場合、他人がいい、いい、と言うと、とたんに興味がなくなっちゃう傾向がありますよね(笑)

# 上記の出来事及び買い物は本日のものではありません。




2008.10.18 sat

平成ガメラ三部作でございます。これまた、かの友人に借りたDVD。もちろん、Hoffmannはこのあたりの映画にはてんでキョーミなかったんですが、「あるけど」と言われて甘丼のレヴューなど参照すると、なかなか評判がよろしいようなので、「それでは」と観てみたんですよ。

左は「ガメラ/大怪獣空中決戦」、右は「ガメラ2/レギオン襲来」から。

結論から言えば、まったくもってHoffmannの好みではない、愚作でした。ご都合主義と予定調和というHoffmannのいつもの罵倒語がことほどふさわしい映画もめずらしいくらい。出演者の、とくに主役級はスポンサーやプロデューサーの意向とか所属プロダクションの要請とか、いろいろ事情もあるんでしょう、ようするにこういう役をやらせなければならなかった、こうしたイメージで売りたかった、というキャラクターなんですね。必ずしも監督や脚本家を責めることはできなのでしょうが、それにしたって第二作で子供たちの祈りが通じてガメラが蘇る件(ケッ)など、一気に脱力感に襲われちゃいましたよ。


「ダツリョク襲来」ですか(^o^;


ここから下の画像は第三作「ガメラ3/邪神覚醒」から―。

そうした欠点(というより欠陥)は「ガメラ3/邪神覚醒」に至って頂点に達しましたな。出演者が決定してから脚本書いたんじゃないですか(フツーに考えたら、撮影中にもどんどん改編されたのかもしれんが)? だって、設定に無理のある登場人物、いてもいなくてもいい(なんで出てきたのか分からない)登場人物が妙に目立っているんですよ。それに、三部作を通じて言えることですが、女優(主役も脇役も)の演技が学芸会。もしもHoffmannが監督ならば、途中でぺっとつばを吐いて放り出したことでしょう。

ここでは取りあげたことがありませんけれど、ここでちょっとだけ触れている映画「ネクロノミカン 禁断の異端書」“Necronomicon”(1993年)って、ありましたよね。この「平成ガメラ三部作」の監督さんって、あのオムニバス映画の第二話「コールド」を担当した監督さんなんですよね

そう、あの映画の三話のなかではその第二話がいちばんよかったよね。だからこんなのが監督の造りたかった映画ではなかったとしたら、むしろ幸いだよ


storyは安手のTVドラマ並み。終盤のクライマックスを判で押したように奇蹟でねじ伏せるのも失笑もの。映像に関しては印象的なシーンもあるんですが、この怪獣の造形はヒドイもんですなあ。なんだか、「ミ○ーマン」か「ス○クトルマン」に出てきそうなタイプ。


どうして「ウル○ラマン」とか「ウルトラセ○ン」じゃないんですか?

そのへんのメジャーどころなら、もっとシンプルだけど洗練されているよ。これはB級以下のマイナー怪獣としか見えないぞ(笑)



しいてよかったところを探せば、ガメラの造形がいいのと、その動きに、ゴジラみたいないかにもぬいぐるみ(着ぐるみ)に人間が入って動いていますよ、といった人間的な所作が目立たないこと。さらに、これだけ大勢の出演者がおれば、脇役にひとりくらいはユニークな人材が紛れ込んでくるものですね。

まあ、ひつまぶしだとしても、あまり有意義な時間であったとは言えないなあ(笑)

はあ?(・・?

Hoffmannさん、きょうのばんごはんはひまつぶしですよっヾ(^∇^*

ちょ、ちょっと、またまたふたりしてなにをやってるんですか〜(^o^;




2008.10.17 fri



フランス語は読めないので・・・。




2008.10.16 thurs



かつて抄訳版が国書刊行会から出版されていたが、翻訳者工藤幸雄氏が全訳を終えたと発言していたのはもう何年前だろうか・・・しかし一向に出る気配がない(国書か東京創元社から出るとの情報はあったが)。その工藤氏も去る7月に亡くなった。いったい全訳はどうなっているのか? できあがっているのに埋もれさせるつもりじゃないだろうな>出版社。




2008.10.15 wed



これまた邸内でピアノ弾いてますね。昨日に続いて伊太利亜から―「白い肌に狂う鞭」“La Frusta e il Corpo”(1963伊・仏)・・・って、なんだか買いにくい邦題ですなあ(^o^A;もしも職場で「『白い肌に狂う鞭』って映画観たんだけど、なかなかよかったぜ」なんて言ったら、その後女性たちからヒソヒソ噂されるに違いありません(笑)

監督はジョン・M・オールドなどというフザケた名前がクレジットされていますが、じつはこれ、マリオ・バーヴァの変名。主演はダリア・ラヴィ、クリストファー・リィ。


storyは海辺の城館で暮らしている貴族の一家のもとへ、長男で放蕩息子のクルトが帰還。かつて彼は、いまは弟の妻となっているネヴェンカと愛し合っていた仲。またネヴェンカには被虐趣味があって・・・



そのクルトが死体で発見されるのですが、犯人は不明。以来、ネヴェンカはクルトの幽霊に悩まされることになります。


いかにもイタリア映画、別にスプラッタームーヴィではないんですが、とにかく陰惨といいたいくらい陰鬱で暗い。それでいて静的ではなく、妙にギラギラした猥雑な雰囲気がこれまた伊太利亜風味。ミステリの要素もあり、正統的にghostも登場させ、独特の色調の画面はなかなか美しくもあります。



さすがにマリオ・バーヴァ、昨日の「生血を吸う女」以上に、舞台に醸し出されるatmosphereの充実ぶりは讃えられていいと思うんですが・・・



ただし、Hoffmannはこの映画が気に入ったかと言われるとちょっと困ります。一見大風呂敷を広げたように見せていて、とどのつまりは「サイコ」さん、つまり登場人物の狂気とか幻影・妄想(それだけでは説明が付けられない要素も残しているが)とかで片付けるのは安易な印象なきにしもあらず。さらに、ここでは倒錯の愛の末路を耽美的に描きましたよ、という主張がこれ見よがしで、いささか度し難いほどのsentimentalism横溢する音楽がそれに輪をかけており、どうも監督が自ら溺れちゃっているように感じられるあたりがHoffmannの好みではないんですね。




2008.10.14 tues



伊太利亜産恐怖映画「生血を吸う女」“IIl Mulino delle Donne di Pietra”(1960伊・仏)。監督はジョルジョ・フェッローニ。字幕付国内盤も出ているようですが、今回Hoffmannが観たのはAll Regionの米盤。タイトルは“Mill of the Stone Women”となっています。

それにしてもこの邦題、H.P.Lだったら怒り心頭、「もしも吾輩が『生血を吸う女』などという題を付けるのなら、その作品には生血を吸う女など決して登場しないであろう」と宣ったに違いありません(笑)



storyは20世紀初頭のオランダ、芸術家・学者ヴァール教授が歴史上の人物をモデルにしたグラン・ギニョル風の人形館を展示しており、その娘エルフィは病気で住み込みの医師もいる。訪ねてきたハンスには幼なじみの恋人がいるが、これにカクレンボならぬヨコレンボしたエルフィは興奮のあまり死んでしまう。ところが、翌日になるとこれがピンピンしてる・・・って、このあたりまで観れば、病気の娘は犠牲者となる若い娘の血を輸血することで蘇り(チューチュー吸うわけじゃないが)、死体の始末は当然・・・おおかた察しはつきますな。


悲劇のヒロイン役はシッラ・ガベル。ちょいとeccentricな美人さんですね。犬を連れて登場し、邸内でピアノを弾いているシーンがあるなど、同じくイタリアの「血ぬられた墓標」“Black Sunday”(1960伊)のバーバラ・スティールを思い出させますね。


もっともHoffmannはこちらの幼なじみの娘さんリゼロッテのほうがよほど好みです。ちなみに右は酒場のシーン。こういう場面が結構好きなんですよ。ここで歌を歌っているハンネローレも明るくて魅力的な娘さんですが、彼女はこの後ヴァール教授の娘エルフィを蘇生させるために犠牲に供されてしまいます。



これは麻薬を一服盛られた主人公の幻想シーン。ちょっとくどい。


血を抜き取られた犠牲者はこうして・・・って、教授と呼ばれる芸術家にしては、できあがった人形はチャチ。そのためというわけでもありませんが、こんなにfetishな道具立てが揃っていながら、それを活かし切れていないような物足りなさが残りますね。


魔の手はリゼロッテにまで及ぶのですが、間一髪で救い出され、火の手が回った邸内では人形たちが行進しつつ燃え上がってゆく・・・このcatastropheのシーンはなかなか印象的ですね。もはや娘エルフィを蘇生させることのできなくなったヴァール教授の狂気が、ややとってつけたようですが、全体としては独特のatmosphereを醸し出している名作と言っていいと思います。




2008.10.13 mon



「ダークシティ」“Dark City”(1998米)です。アレックス・プロヤス監督によるスリラー風味のSF映画。



storyは、太陽の昇らない都市ダークシティで、ある日突然記憶を喪失し、身に覚えのない連続殺人事件の犯人にされたジョン・マードックが主人公。彼には不気味な黒いコートの一団がつきまとい、午前0時、すべての住民が一斉に眠りにつくとその姿が一変してゆく都市。謎の人物シュレーバー博士と妻のエマ、そして彼を容疑者として追ううちに都市の謎に気づいたバムステッド警部の協力を得て、このダークシティの創造者が実験と称して住民たちに日々新たな記憶を刷り込んでいた・・・というもの。


現実と思っていたものがじつは・・・というのが、これは「マトリックス」(1999米)の亜流かなと思ったら、こちらの方が先なんですね。なかなかおもしろい映画でした。

「マトリックス」ほど造り込まれてはいませんよね

でも、この設定でこれ以上展開させちゃったら、荒唐無稽が度を超してしまいそうだよ。たとえば黒服の集団にしたってその正体を明示してはいない、その説明不足というか、謎を残しているあたりがかえってよかったんじゃないかな



街の造りなどはあっという間に変化させてしまうのに対して、住民の記憶操作はいちいち注射器で行うなど、随分とアナログな手続きを踏んでいてほほえましい(笑)このあたりはリアリティと映画としての観せ方のバランスで仕方ないところ。



カメラワークはいいですね。TVドラマじゃないんですから、このくらいの美意識があって当然と思います。ついでに言うと、こういった美意識によって支えられた画面構成ある映画というのは、キャプチャしていて愉しいし、場面選択もたいへん楽ですね。


夫人公もカッコいいばかりのご都合主義的ヒーローではないのが好ましく、また終盤、スーパーマン的な超能力による対戦場面もあっさりめで、そしてなにより幕切れ、なにせ全編にわたって画面が暗いので、この最後のシーンが効果的です。

この映画、プロジェクターで鑑賞しているひとならば暗部の描写テストに使えそうですね

ところで、「マトリックス」の名前が出たけど、あれはキャプチャ画面は何度かupしたことはあっても、未だ話題にしたことがないんだよね

「アニマトリックス」は別としても三部作で、その意味ではHoffmannさん好みの大作ですよね。それに、細部まで入念に造り込まれた世界観は見事なものでした。以前、こんなお話をしたこともありますし・・・

そう、たしかに傑作と呼んでもいい。でも、自分でも説明できるほどよく考えてはいないんだけど、その「マトリックス」を取りあげないで、この「ダークシティ」を取りあげる・・・というあたりに微妙な好みが現れているような気がするんだけどね(^^;

ホントですか〜(笑)単に面倒くさいだけなんじゃないんですか?(^o^*それに、そんなに気に入られましたか、この映画?

いや、それほどでも・・・また観るだろうとは思わないな(^^;でも、おもしろかったんだから、そのとおり掃除機に語っておかないとね

Hoffmannさん、正直かけますから、ちょっと場所をあけてくださいっヾ(^∇^*

ちょ、ちょっと、またふたりしてなにをやってるんですか〜(^o^;




2008.10.12 sun



「エルム街の悪夢」“A Nightmare on Elm Street”(1884米)です。監督はウェス・クレイヴン。

意外に思われるかもしれませんが、Hoffmannはこの「エルム街の悪夢」や「13日の金曜日」、「ハロウィン」、「オーメン」といったあたりはたいがいシリーズ全作観ています。いや、さすがに映画館へ足を運んだり、メディアを購入してまで観ようとは思わないんですが、手許にあるなら観てみたい・・・。そこでありがたいことに友人にホラー映画のマニアがおりましてね、どれも気前よく貸してくれるんですよ。もちろん、「エクソシスト」なんて名作ともなれば自分で入手してますけどね。

この映画をはじめて観たのは、その友人からVHSのtapeで借りたとき。今回、ひさしぶりに観たくなって、そしたらDVDになってました。いや、この友情もそれなりの時を経てきたことがわかって、感慨深いものがありますなあ( ̄- ̄
どうでもいいことですがその友人の「買おうとまでは思わないが・・・」というのがドヴォルザークのチェロ協奏曲とかチャイコフスキーの「悲愴」交響曲なんで、こちらからはそのあたりのCDが交換貸与されるわけです。

さてstoryは、焼けただれた顔、赤と緑の縞模様のセーターに帽子をかぶった殺人鬼フレディ・クルーガーが夢のなかに現れて、右手にはめた鉄の爪で相手を引き裂き、被害者は現実に死に至るというもの。襲われるのはハイティーンの若者。とくに前半の、suspensiveな恐怖の盛り上げ方はなかなかのものです。



主人公の女の子やボーイフレンドは、これが日本の映画だったら美少女、イケメン勢揃いでしょうな。ところが、ほかのアメリカ産ホラー映画にも言えることなんですが、ここでは主人公の女の子も格別美人とかかわいいとかではなくて、いたってふつう(容姿の話、失礼)。このあたり、恐怖を身近に感じさせるひとつの要因となっているようで、好感が持てるんですね。


こんなシーンはひょっとすると「エクソシスト」の影響かも。




「血ドバ」は主人公のボーイフレンドが殺害されるこのシーンくらい。量が多すぎていささか辟易しますが、内臓噴出シーンなどもなく、スプラッタームーヴィというほどのものではないため、スプラッターの苦手なひとでも大丈夫です。まあ、低予算だと思うんですけどね。むしろ安易な特撮に頼っていない分、正攻法で造られた佳作と讃えられていいんじゃないでしょうか・・・とはいえ、それはこの第一作だけの話。二作目以降は退屈な愚作です(てゆーか、なんかフレディがお茶目になってくるんですよね)。小中千昭というひとが雑誌(「幻想文学」49号)に書いていた文章を引用すると―

・・・この初作のフレディは、続編程にスーパーな存在でも悪の確信犯でもなく、ひたすら悪夢を具現する狂ったピエロであった。

うまいこと言いますね。これ以上の表現がHoffmannには思いつきません。



登場シーンからしてこのシルエットですからね。ちょっと笑いが漏れちゃいそうな姿じゃないですか。害意ある殺人鬼には違いないんですが、そのキャラクター造形へのご都合主義を超えちゃってる、つまり理屈じゃなくてひたすらに「狂ったピエロ」なんですよ。

お話に出てきました「エクソシスト」については、これまで一度だけふれられたことがありましたよね。やはり、あれもいいのは第一作だけでしょうか?

いや、あれは一般には評判のよくない「2」も好きだよ。「3」はかなり以前に観たきりでよくおぼえていない。ちなみに初作もいまではディレクターズ・カット版というのかな、追加シーンを含んだversionが出ていて、前回観たのはそちら。でも、どちらかというと劇場公開版のほうがいいかなあ・・・もういちど比較してみたいな




2008.10.11 sat



さて本日の映画は1954年東宝の「ゴジラ」です。本多猪四郎監督、特殊技術は円谷英二、音楽は伊福部昭。日本のみならず海外でも評価の高い、日本が世界に誇る怪獣映画ですね。

上の画像はゴジラじゃありませんよ、これは女性代議士役の菅井きん。さすがにお若いですね(^^*


なにもこの画像で説明をはじめなくても・・・(^^;

おそらくHoffmannなんぞよりも「ゴジラ」映画に詳しいひとは大勢いらっしゃると思われますので、以下、たいして新味のある話じゃありませんよ。

原作の香山滋はそのエッセイのなかでゴジラのことを「核の脅威を形にしたもの」と言ってますね。ここで歴史をおさらいしておくと、遠洋マグロ漁船第五福竜丸が、アメリカのビキニ環礁における水爆実験の結果、多量の放射性降下物(死の灰)を浴びて被爆(及び被曝)した事件は1954年3月1日。映画「ゴジラ」はこの事件をきっかけに制作され、同年11月3日に公開されたものです。ちなみに新藤兼人監督がこの事件を描いた映画「第五福竜丸」を発表したのが1959年。



映画の冒頭は貨物船「栄光丸」が原因不明の沈没事故に見舞われるシーン。これはたしかに第五福竜丸事件を意識したものですね。

またこの映画を反戦映画と見る向きもあるようです。これは日本人が核兵器(原爆)投下を、さらにもちろん敗戦を経験した国民であるからこその見方でしょう。


登場人物の口からも、ゴジラを避けて「疎開」するか、という発言が聞かれ、あるいは子供を抱え、あるいは大八車に家財を積み上げて逃げ惑う人々の姿は戦時中の一般市民・民間人の姿と重ねられ、ゴジラの襲撃によって火の海となった東京は空襲を受けたかつての東京の光景そのままと言っていいものでしょう。

そこからさらにゴジラにアメリカという大国に重ねるひともいますよね

たしかに。それも以上の理由から無理もないところだとは思うけど、そうなると政治問題がテーマみたいになっちゃう。まあ、潜在意識のなせるわざとしておこうよ。ここはもっと敷衍して「核(あるいは放射能)の脅威」そのものとしたほうがしっくりする

こだわるわけじゃないんですが、芹沢博士も神風特攻隊的な行動をとりますよね。このへんは日本人の好みかもしれませんが・・・

ところで、この時代までの欧米の怪獣映画というと、これは既存の生物が巨大化したものなんだよね

蠍とかカマキリとか蟻とか・・・

だから既存の武器・兵器で退治できる

火炎放射器とか電気モリといった、ふつうの兵器ですね

従ってアチラの怪獣映画は軍隊が出動すればなんとかなっちゃう。あとはくどくならない程度のstory展開で大団円となるんだよね

ところがゴジラは既存の生物ではなく未知の生物で(なにしろ口からは放射能を吐く)、無敵の存在です。既存の武器など通用しません。やはりここには日本の敗戦体験が影を落としているんじゃないでしょうか。逆に言えば、全力で戦っても絶対に倒せない強大な敵というものが存在することを知ってしまいましたから、既知の生物の巨大化ではなく、未知の生物である必要があり、既存の武器など通用しない相手なのです。よって、自衛隊のドンパチが長い、延々と続く、しかしゴジラは倒せない。これを退治するには新たに開発された武器(架空の武器)、ここではオキシジェン・デストロイヤーなんてものが必要になるわけです。



映画ですから人間ドラマは必要なので、ちゃんとメロドラマをからめています。ここで「メロドラマ」と呼んでいるのは別に低級なドラマという意味ではありません。ハリウッド以来の伝統に則ったメロドラマそのものであるという意味です、念のため。


平田昭彦による芹沢博士と河内桃子の山根恵美子ですね



一般にはこの下の、山から顔を出するシーンがゴジラのscreen初登場とされていますが、じつは上の嵐の夜の民家崩壊シーンで、足だけ写っているんですね。

左上ですね


ちなみにここで山根博士(志村喬)が手にしているカメラはバルナック型Leica(またはNicca、Leotaxといったそのコピー)のようですね。


これはテレビ塔でゴジラに襲われる直前まで実況中継しているアナウンサー。「いよいよ最後、さようならみなさん、さようなら」・・・ってこれはユーモアなんでしょうか。



当時、造船疑獄などで国民の間では吉田内閣による政治への不信感が高まっており、この国会議事堂破壊シーンでは観客が立ち上がって拍手をしたということです。



これは終盤ちかく、芹沢博士がゴジラに挑むシーン。ここで流れているのは、どことなく「君が代」を変形したみたいな音楽です。

やがてゴジラはその理不尽な凶暴さを失い、(とくに)子供にとってのアイドルとなって、ついにはあろうことか地球外からやって来た生物(キングギドラとか)と戦って、地球を守る善意の怪獣となり果ててしまうのはどちらさまもご存知のとおり―そのころには怪獣はもはやドラマを形成する力もなく、ただひたすら対戦相手とプロレスを繰り広げるだけの、無能なファイターにすぎない存在と堕してしまうのですね。

そのあたりの事情には、日米安保条約とか、日本が経済成長を遂げて「戦後は終わった」と言われる時代に至ったことも関わってくるのではないですか?




2008.10.10 fri

ネットを放浪していて、audio・disc(レコード)関係でおもしろいなと思ったのは、高価な機器を使用しているひとは、稀少盤なんてものにはあまり興味がないようで、というより稀少盤なんぞに大金を使っているひとを冷笑・軽蔑している。一方、高価な稀少盤自慢をしているひとは、audioなんぞで高価な機器を使っているひとをバカにしている。いずれも、だれにも訊かれていないのに、主張しまくり。それもたいがい「あーいうのは感心しませんな」などという上から目線(笑)あーゆーのはHoffmannとしても感心しませんな・・・ってヲイ!

さて、優美さん、この事実から導き出される結論は?


はあ・・・そもそも主義主張なんて、自分を律するものであって、他人さまに押しつけるものじゃないと思うんですけど・・・みなさん独善的というか、ただ、これは自分と違うものを容認できないという日本人特有の閉鎖性とはちょっと違うようですね。むしろ、だれしも自分のやっていることは正当化したいということでしょうか。軽蔑とか冷笑とか、攻撃は最大の防御、って言いますからね。他人を貶めて自分を偉く見せようとするひとはわりあいよくいますし、なにより他人(の行動や考え方)を批判することで自尊心が満足するんでしょうね。逆に言うと、あまり自分に自信がないことのあらわれかもしれません。つまり、当人も知ってか知らずか相当なコンプレックスを抱えているのかも・・・こんなところでしょうか?

ぜぇんぜんっ、ちがーう!

えっ違いましたか?(汗)

上記の事実から導き出される結論は、「だれしも、趣味といえどなんにでもかんにでも、お金をかけられない」ということだよ(笑)

それでは、Hoffmannさんは?

食べていくのがやっとのビンボー人だから・・・「安い」、「もらう」、「ただ」が座右の銘(笑)唯一少々の出費ができるのは本だけ。それ以外に贅沢なんかできません




2008.10.09 thurs



「跳梁跋扈」・・・ってPCでなかったら辞書引かなきゃ書けないなあ(^o^A;




2008.10.08 wed

あの・・・もう300MB超えちゃってますよ(・・;




2008.10.07 tues



緒形拳死去。

上の画像はこちらの映画から―。

ご冥福をお祈りします(-人-)




2008.10.06 mon



巷ではバナナダイエットが流行ですよ〜

みんな、懲りないなあ(笑)




2008.10.05 sun

けふはぶらあむすによるおーけすとらを含むさくひんのdiscをupするつもりだつたんですが、氣が變はつてこんなdiscを聽いてゐたんですよ。



(^o^*あらまー♪

・・・というわけで「Hoffmannの好きなBrahmsのdsic CD篇」は昨日で一段落。気が向いたら「CD篇」の続き、「LP篇」もやるかもしれません(なにせ行き当たりばったりなので(^o^A;やらないかもしれません)。

でも、まだ取りあげていないお気に入りのCDがありますよね

なんかさ、本屋に山ほどある「名盤100選」みたいに、有名演奏家の有名な盤を取りあげて、ホントに聴いたのか聴いていないのかわからんようなこと(つまり少なくとも結果的に―聴いてなくても書けるようなこと)を語ってもしょうがないよ

これまでにも結構自分で「ボツ」にすることもおありになったじゃないですか

まだまだ自分に甘いなと思う・・・というか、自分の文章ってなかなか客観的には見られないから、ちょっと前のを読んでみると、とんでもねー内容だったり、文章だったりするんだよね。この程度のこと、聴かなくたって書ける予定調和の結論じゃないかって・・・かなりことばは選んでいるつもりなんだけどね

たしかに、絶対に使わない言い回しとか表現とか、厳密な規則がありますよね(笑)




2008.10.04 sat

本日は最近shopでも見かけなくなった英BiddulphのSP期の復刻CD、そのなかからブラームスの作品を収録したものをいくつか選んで取りあげますよん。

Biddulphのdiscって、ワタシσ(^^*大好きなんですよ


左はヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲、ヴァイオリンはJascha Heifetz、チェロはEmanuel Feuermann。ヴァイオリン協奏曲はKoussevitzky指揮Boston Symphony Orchestra、1939年4月11日の録音、二重協奏曲はOrmandy指揮Philadelphia Orchestraの演奏で、1939年12月21日の録音。

右はHeifetzによるヴァイオリン・ソナタ第2番(1939年)、William Primroseによるヴィオラ・ソナタ第2番(1937年)、Feuermannによるチェロ・ソナタ第1番(1934年)という、豪華アラカルト盤。

ハイフェッツというと超絶技巧の故か、かつては「冷たい」なんて言われていたこともあったようですが、時代を考慮に入れてもなかなかこれだけ情熱的な演奏もめずらしいんじゃないですか。ことに戦前のハイフェッツはまったくことばもないすばらしさです。もちろん、プリムローズもフォイアマンも現代に聴き手に迫る演奏ですね


左はTosha Seidelヴァイオリン・ソナタ第1番(1931年)と第2番(1926年)。グリークのヴァイオリン・ソナタ第3番も併録。

中央はYehudiとHephzibahのMenuhin兄妹による演奏を集めた2枚組、ブラームスはヴァイオリン・ソナタ第1番(1940年)と第3番(1936年)。ほかにバッハ、ベートーヴェンを併録。

右はIsolde Mengesによるヴァイオリン・ソナタ第2番と第3番を収録していて、いずれも1929年の録音。ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを併録。

戦前のヴァイオリニストも、その様式やテクニックはいろいろですね。かならずしもだれもが現代においても・・・とばかりは言えないような気がするんですが・・・

おおっ、なに気に厳しいことを言うなあ(笑)

ザイデルはさすがにスタイルが古いと言わざるを得ないのではないでしょうか。あまりにも嫋々たる耽美志向が時代を感じさせますね。メニューインはこれだけ熱を込めてなおフォルムが崩れないのはさすがです。メンゲスは几帳面なんですが、ちょっと硬いかも・・・



これはHoffmannの、とくに大好きなdiscです。
Primroseによるヴィオラ・ソナタ第1番(1946年)と第2番(1937年)、Marian Andersonのアルトが加わってピアノのほかにPrimroseのオブリガート付きの歌曲2曲(1941年)、さらにOrmandy指揮Philadelphia Orchestraのバックで「アルト・ラプソディ」ほか3曲(1939年)をAndersonの歌で堪能できるという愉しいdisc。ちなみにヴィオラ・ソナタ1番のピアノはWilliam Kappellだったりするんですな。

演奏はもちろんのこと、選曲・構成の妙でdiscとしての魅力満点ですね

「愉しい」なんて言っちゃったけど、とくにアンダーソンの歌は感動的だよね。この歌手は黒人ということで差別を受け、またその壁を乗り越えたひとですが、そのことは別としても、こんなブラームスはほかにはないぞ

マリアン・アンダーソンといえば黒人霊歌が有名ですけど、私もこのブラームスは唯一無二と言っていいものだと思います・・・ああ、もうダメです、涙が出てきました・・・




2008.10.03 fri

Hoffmannの好きなブラームスのdisc(CD)、本日はちょっと古めの録音



“The Art of the Piano Vol.1”と題されたdiscで、Elly Neyのピアノを中心に編集されたもの。このdiscの一曲目がブラームスのピアノ三重奏曲第1番で、ヴァイオリンがWilhelm Sross、チェロがLudwig Hoelscher。ほかにHoelscherとのシューベルトのアルペジオーネ・ソナタ、Max Strubのヴァイオリンと共演したレーガー、ピアノ独奏によるシューマン「子供の情景」を収録。録音年代は表記されていないのでわかりません。

discの編集方針はともかくとしても、演奏は終始かなり個性的なピアノがリードしていますね



ピアノ三重奏曲第1番と第2番。演奏はEdwin Fischerのピアノ、Wolfgang Schneiderhanのヴァイオリン、Enrico Mainardiのチェロと、豪華なトリオです。録音は第1番が1953年、第2番が1951年。当初はこのトリオはヴァイオリンがクーレンカンプだったんですが、クーレンカンプ没後にシュナイダーハンに代わったんですね。

やはりピアノを中心としたトリオなんですが、スタイルが現代的なのはむしろヴァイオリンとチェロによるところが大きいような気がしますね。上のエリー・ナイのトリオの方がまとまりがよくて表情の振幅も大きいのに、こちらの方が深い内容を感じさせるのがおもしろいですね




2008.10.02 thurs

引き続きHoffmannの好きなブラームスのdisc(CD)です。



これまたharmonia mundi FRANCEの、ヴィオラ・ソナタ2曲。Bruno Pasquierのヴィオラ、Jean-Claude Pennetierによるピアノ。なんとも洗練されたブラームス。Hoffmannがサガンみたいな小説を書くとすれば、そのなかにはこんな演奏のdiscを登場させるでしょうね(笑)ただし、Brunoはついヴァイオリニストの兄Regisと比べちゃって、楽器は異なれど、やはり兄の方が霊感に富んだ名手かと思えてしまうのが不運。



これは同じ曲のクラリネット版―クラリネット・ソナタ2曲。Michel Portalのクラリネット、ピアノはGeorges Pludermacher。上のヴィオラ版の演奏と同様、明快にして明晰な演奏。ピアノはPennetierの方が上かな。




Michel Portalのクラリネットといえばこちらも―クラリネット五重奏曲、Melos Quartettと共演。カップリングはMelos QuartettにヴィオラのGerard Causseが加わっての弦楽五重奏曲第2番。Melos QuartettはPortalに協力的なんですが、やや単調な面も。



こちらは長年ボストン交響楽団の首席奏者を務め、1995年に亡くなったHarold Wrightによる演奏、ピアノはPeter Serkinです。以前、モーツァルトのクラリネット協奏曲のレコードを取りあげたことがありますが、あれは小澤征爾の指揮のせいでつまらない演奏になっていたのであって、このひとは名手なんですよ。ボストン交響楽団の首席なんて言うと、どうもアメリカのオケだてんで、聴きもしないで軽くあしらっちゃう向きもあるようでちょっと残念。このひととは若い頃からお馴染みだったはずの
Peter Serkinのピアノがことのほか雄弁であることも特筆もの。



目下Hoffmannがたいへん気に入っている・・・ジャケットデザイン(笑)のdiscです。

Gustave Moreauですね。以前にもupしましたね

弦楽四重奏曲第1番とクラリネット五重奏曲を収録。演奏はPrazak Quartet、クラリネットはPascal Moragues。




2008.10.01 wed

「狂乱」とか言ってしまいましたが、秋なのでBrahmsでちょっとおちつきを取り戻しましょう。Hoffmannの好きなBrahmsのdisc、とりあえず「CD篇」です。


いずれもharmonia mundi FRANCEから出たRIAS-KammerchorをMarcus Creedが指揮したdisc。左は“Lider und Gesaenge”、1995〜96の録音。右は“Geistliche Chormusik”、Zwei Motettennほかを収録した、こちらの方が録音は先で1994〜95年です。




“Motets”のタイトルどおりモテット集。La Chapelle Royale, Paris、Collegium Vocale, GentをPhilippe Herrewegheが指揮、1983年の録音で、Herrewegheの名前もまだ我が国ではあまり馴染みのなかった有名ではなかった頃に出たものですね。

じつはこれ、LPも持っている

Hoffmannさんはわりあい早い時期からヘレヴェッヘに注目してらした・・・?

うん、それで胸を張りたいところだけど、このひとはその後のdiscを聴くと、Hoffmannが期待していたようなタイプとはちょっと違う演奏をするようになっちゃった(^^;