monologue 2009.05

2009.01 2009.02 2009.03 2009.04
2008.01 2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2009.05.31 sun

audio雑誌には評論屋・ライターの支離滅裂あるいは玉虫色の文章などめずらしくもないんですが、数年ぶりに雑誌「STERE○」(6月号)をのぞいて、これまたばかばかしい記事を見つけちゃいましたよ。

ひとつは、「ミニ特集―いじる楽しさ、無限大/アナログレコードへの誘い」という記事。以下に引用―


---ここから---
ただ、ひと言だけ前置きさせてもらえば、アナログレコード再生は、今や大変なことになっている。その文化の、ひとつの最盛期だった1980年代中盤までと状況がずいぶん変わっていると証言せざるを得ない。その時代にはまだケーブルを変更すると音が変わるらしいと一部で言われ始めた。そんな時代だったのだ。しかしそこからはスピーカーの性能が向上し、アンプが良くなり、ケーブル類が飛躍的な進歩を遂げ、とんでもない量と質のオーディオ・アクセサリーが世の中に溢れている。本音を言うと、アナログプレーヤーのテストをしながら「ターンテーブルシートやカートリッジを換え、どこかを制振すればガラッと音は変わっちまうんだよなぁ。やれやれ、オレ、何聴いてんだろ」なんて思わざるを得ないのが今の状況だ。
---ここまで---


まあ、へたくそで下品な文章には目をつぶって(ひとのことは言えんからな)、またスピーカーやアンプの性能が良くなったのかどうかもおいといて・・・1980年頃、アナログレコード末期といえばケーブルで音が変わるなんて「常識」、むしろ現在の方が「ケーブルで音なんか変わらネーヨ」というひとがいる(これはだれか言い出しっぺがいると、必ずわれもわれもと同調するひとがいるという現象)。当時はケーブルで音が変わらないなんて主張するひとはいなかった。じっさいshopには多種多様なケーブル(フォノケーブルもいまと違っていろいろあった。例外は電源ケーブル、これはもう少し後)はもちろん、インシュレーターから、スタビライザーだってターンテーブルシートだって、さまざまな形状のゴム、ガラス、セラミック、金属製のものが、それはもう売るほど並べられていましたよ(そりゃそうだ、shopだもんな)。アナログに関する限り、その当時の方がはるかにアクセサリーの種類は多かった。アナログプレーヤーはどこかをいじればすぐ音に出る、とは当時のaudio雑誌を見れば、評論屋から読者まで口を揃えて言っていたことです。
従って、年齢は知りませんが、この記事を書いている鈴木某という男が「証言せざるを得ない」(ぷぷっ)と言っている、その証言は嘘八百のデタラメ。どうせ読者は若造だからなに書いたってわかりゃしないさ、とでも思っていたのか・・・だとすればこれは捏造記事ということになりますね。そうでなければ無知の知ったかぶりか思い違い、さもなけりゃ老人性か若年性か、とにかくボケがはじまって健忘症に至っているんでしょう。
もしも痴呆だとしたら、ふつうはボケても意外と昔のことは覚えているものですから、このひと、相当重症ですね(笑)

あらららら・・・(^o^;

もうひとつ、「特選盤」というレヴュー記事から、シモーネ・ヤング指揮の「ラインの黄金」について書かれているところ―

---ここから---
《ラインの黄金》はオールスターキャストではないが、専属歌手による諸役の捉え方、シモーネ・ヤングによるライト・モティーフの歌わせ方が見事で、途中から聴いても今どのシーンかすぐ分かる。
---ここまで---


いやはや(笑)このdiscの演奏がどうなのかはともかく、作品を知っていれば、途中から聴いたっていまどのシーンかなんて分かるでしょ。「ライトモティーフの歌わせ方が見事」かどうかはともかく、だから途中から聴いても分かるって・・・それじゃ途中から聴いたらどの箇所だか分からない演奏もある、ということですか。「歌わせ方」がどう見事だと、演奏箇所が分かりやすくなるのか、そもそも「歌わせ方が見事」って、どういう演奏なのか、いくら想像をたくましくしても、とんと見当もつきません。
おそらく「ライトモティーフの歌わせ方が見事」って、それだけじゃことばが足りないと思ったんでしょうけれど、いくらなんでもその効果を肯定的に結論付ける、その根拠がひとりよがりに過ぎますよ。それともこのひと、「ラインの黄金」の音楽を、あまり聴いたことがないんでしょうか。あるいは、「おれはライトモティーフでどの箇所かが分かるという通なんだぞ」と暗に言いたかったんでしょうか。いずれにしろここまで書かれると、この村井某というひと、ホントに「ライトモティーフ」ってなんのことかわかってるのか、と疑いたくさえなりますね。批評言語とか、そんなレベルの問題じゃありません。かなーり以前にも言ったことがありますが、ただことばを並べればいいってもんじゃありませんぞ。これじゃ、カネ取って売る雑誌に載せる文章じゃないでしょうが。

・・・というわけで、月刊「STERE○」誌は「バカボン(馬鹿本)」と認定されたのであった(笑)

これでいいのだヾ( ̄∇ ̄*

まあ、この「屁テレオ」に限らず、雑誌というものに、カネ出してまで読む価値のある記事なんか期待する方が間違い(笑)




2009.05.30 sat

「槍を振り回す男」(笑)を持ち出すまでもなく、文学は活字となって目(視線)で追われる以前に、耳で聞くものであったというルーツを持っているわけで、いまでも(語りことばで書かれているという意味ではなく)やたら饒舌な文体を駆使するひとがいるのは、ある意味先祖返りに近いものを感じるんですよ。



これは正真正銘、口承文芸の末裔?




2009.05.29 fri

さても本日もまたサイレント映画のおはなしでござい。



なにをいまさらな「オペラ座の怪人」The Phantom of the Opera(1925米)のDVDです。



原作はガストン・ルルーの同名の小説、主演は「千の顔と千の声を持つ男」ロン・チャニィ(チェイニィ)。
このDVDの画質は格別よくもありませんが、悪くもなし。しかし・・・



これまで観たなかでは最悪のDVDでした。音楽がSwitchblades Symphonyなるバンドによるものなんですが、これがこのサイレント期の名作とはあまりにも異質。あたかも「スター・ウォーズ」に鞍馬天狗が・・・いやいや、オバQが闖入してきたかのような、異化効果(笑)いや、この音楽そのものがいいか悪いか、という話じゃないんです。なにもこのfilm観ながら聴く音楽じゃないだろうということです。とにかく最低最悪、こんなDVDドブに捨ててしまいたい。

エコロジー上、好ましくない言い回しですよ〜(^o^;

こんなDVD造る方が資源のムダ使いだよ


ご丁寧にMusic Videoの特典映像付き(観てやんの・笑)。うんざりするほど、ありふれた映像です。

以前にも書いたことがあるんですが、VHS video
で「メトロポリス」Metropolis(1926独)の音楽がロックバンドによる「歌」だったことがあります。サイレント映画の音楽に歌詞なんか入っていたら、もう最悪ですよ。


ご意見がショーペンハウアー流ですね(^o^;




2009.05.28 thurs



H.P.ラヴクラフトの小説「クトゥルーの呼び声」を原作とする、Andrew Leman監督による映画“The Call of Cthulhu”(2005)です。

これがいかにも低予算ながら傑作。モノクロのサイレント映画となっていて、原作には比較的忠実、H.P.Lの小説のatmosphereをよく伝える逸品ですね。


時間は短く47分程度。さまざまなエピソードの積み重ね、秀逸なモノクロ映像により徐々に緊迫感を高めてゆく様は見事。


セットはミニチュアを多用、低予算ですが、それを逆手にとったかの如く、リアリズムよりも夢幻のような非日常と見せる効果がありますね。



船が行き着いた謎の島・・・このあたりのセットは段ボールで造ったからこうなっただけなのかもしれませんが(笑)「カリガリ博士」の表現主義ふうとも見えます。



禁断の・・・このあと稲妻が光るんですが、ここではこれ以上見せないのがマナーってもんでしょう(笑)

コマ撮りがクラシックでいい雰囲気を演出していますね



ラヴクラフト映画としては、凡百のメジャー級作品を凌ぐ傑作だと思います。


こちら特典映像のメイキングシーン。制作者へのインタヴューも。低予算ぶりがよくわかりますが、それよりなにより、スタッフも役者もじつに楽しそう(^o^*観ていてうらやましくなるくらい、映画作りを楽しんでいます。



役者さんたちも聞いたことのないひとばかり、 スタッフの方々もところどころに出演されているんですが、とにかく「役者が揃ってる」、といった印象ですね(^^*

どちらさまもひと癖もふた癖もあるような面構え(笑)
ホント、わかってるよねぇ〜♪




2009.05.27 wed

遠い呼び声の彼方へ・・・はどこにしまったかな?ρ(・_・;)σgosogoso


これですかっヾ(^∇^*)))

いやいやいや、これじゃない!(^o^;;



小説から誘発されるimaginationと、より直裁的な映像では、やはり小説の側に分があるとは思いますが・・・

そりゃあね。映像はあくまで作り手のimageだし・・・それに恐怖ってものはある種の自家中毒症状だから・・・ロバート・ブロックがヒッチコックの「鳥」の脚本を断ったときにも、「恐怖ていうものは、目に見えねえものんんだげどもら、鳥ば見せてはダメなのだべ」と言ったそうだ。まあ、一理あるよね

どどど、どうして山形弁なんですか〜(^o^;

んだんだヾ(^∇^*


# こちらのサイトで変換しました。
http://mumin.s1.xrea.com/yamagata/ndanda.html




2009.05.26 tues



続々とCDやDVDが届くのであった・・・(笑)



本もとどいてますよっ・・・であった、ですよっヾ(^∇^* (^o^*その本は「吉さん」による解説が収録されているのよ〜

なにせビンボーだから、お買いものは厳選にゲンセンを重ね・・・( ̄o ̄;

だって前世がなかったらわたしたちはまるで・・・( ̄∇ ̄*

まるで? まるでなんだというのです?( ̄_ ̄;


ゆ・・・
幽霊ではありませんか( ̄∇ ̄*

ちょ、ちょっと、ふたりしてまたなにをやってるんですか〜(^o^;




2009.05.25 mon



昨日のレオ・ペルッツの場合とは違って、こちらは翻訳書よりもあとに原書を入手したものです。購入したのはかなり以前、古書店で。カヴァー(dust wrapper)が破れかけていたせいか、かなりお安かったんですね(笑)

オルダス・ハクスリーの「ルーダンの悪魔」ですね。17世紀のフランスの小都市ルーダンで、ウルバン・グランディエという美貌の司祭が、尼僧たちに悪魔を取り憑かせた廉で火刑に処せられた実際の事件を小説に仕立てたものですね。たしか、ケン・ラッセル監督の映画“The Devils”「肉体の悪魔」(1971)も、この事件を描いたものだそうですね

社会学の面からも、(集団)心理学の面からも、ひじょうに意味深い事件として歴史家の間で研究の対象とされているよね



めっぽうおもしろい小説ではあるが、研究書にあたってみると、小説の方はちょっと手際よく整理されちゃっているきらいがないでもない。ま、小説なんだから仕方ないが・・・(^^;ちなみにこの翻訳書も古本屋で買ったもの(笑)



中世の悪魔礼拝や悪魔憑きに関する文献を取りあげていたらきりがないので、いまは1冊だけ―。

またギンズブルグですね(^^*

いわゆる悪魔学なんてまるで興味がないんだけど、文化人類学(広い意味で)上の研究対象として扱われていると、読みたくなっちゃうんだよね


# どういう関心かというと、たとえばこのへんをご参照♪




2009.05.24 sun

Hoffmannの年若い友人(仮にP君としておこう)が、どうも恋をしているんですな。相手は、Hoffmannも面識のある女性です。こちらはX嬢としておきましょう。以下はP君との会話です。

P ぼくは彼女と結婚したいとさえ、思っているんです

H はは、それはそれは・・・で、彼女のどこがそんなに気に入ったの?

P そうですねえ・・・とにかく、自由な考えの持ち主というか、発想が人並みでなく、とても個性的なんですよ

H ・・・(ああ、そういえば常識のない女の子だよね〜)

P それから・・・意志が強いんです。一度こうと決めたら、周りの人間がどんなに反対しても絶対に信念を曲げないんですね

H ・・・(あの娘、かなりわがままで自分勝手だからねー)

P それに、いろいろなことに関心を持っていて・・・つい先日はカラオケに夢中だったのに、その次に会ったときは歌舞伎を見たいとか、英会話を習うと言い出したり・・・

H ・・・(とにかく飽きっぽいんだよな〜彼女)

P Hさん、聞いてます? どう思いますか?

H ・・・えっ、聞いてるよ(汗)そうねえ・・・まああばたも・・・じゃなくて、つまりその・・・いいんじゃないの?(汗汗)

P 彼女、Hさんの好みのタイプじゃありませんよね(苦笑)

H (笑)あぁ〜そうだね・・・背中に翼でも生えていたらまた話は別だけれどね

P はあ?



ちなみに断っておきますけどね、その娘さん、べつにとびきりタチの悪い女ってわけじゃありません。ごくごくフツーの、どこにでもいるタイプの女の子です。


そのお嬢さんをはじめに「X嬢」としておいた意味はあるんですか?(^o^;

* * * * * * * * *

ま、友人とはいえ、ホレたハレたなんて「恋バナ」ともなればそんな感覚は共有できるわけもなく、いずれ他人様の「熱い思い」なんぞどうでもよろしい。

あららら・・・それはまあそうですけど(^o^;

本日の「無花果亭」は海外ミステリに浸るうちに、時も過ぎゆくのであった・・・。


だからなにが「・・・であった」なんですか〜(;^o^)σ)~0~)/プニッ♪



2冊だけお写真upしときましょ♪

アントニイ・バークリーはいいとして、レオ・ペルッツというのがHoffmannさんらしいですね〜



翻訳のある「第三の魔弾」以外で手許にあるのはこちら―。

・・・って、上の「最後の審判の巨匠」は、左の“Der Meister des Juengsten Tages”の翻訳ですよね(・・?

いかにも(笑)じつはこの翻訳を読みはじめて、最初のうち気がつかなかった(^_^A;途中で「なんかおぼえがあるな〜」って・・・

「第三の魔弾」とは印象が異なって、どことなく永井荷風のような、過ぎ去りし時代への懐旧の情が見てとれますね

* * * * * * * * *

こちらは本日観た映像―。


今日は盛りだくさんですね〜(笑)いずれもレナード・バーンスタインの指揮、右は1979年、ニューヨーク・フィルハーモニックとの来日時の演奏ですね。たしかこのときのショスタコーヴィチ(交響曲第5番)はlive録音されてLP、CDが出ていましたね

あのlive盤、じつは終楽章だけはお客さんが帰った後に録り直したものらしいんだよね

左は・・・もっとお若いころのようですが?

これはモーツァルトの交響曲第40番、ボストン交響楽団の演奏だよ




2009.05.23 sat

だぁーれも来ないのをいいことに、本日も「無花果亭」は手許にある本なんぞ取りあげて、内容のない駄文を書き連ねるのであった(笑)

なにが「・・・であった」ですか〜(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪



しかし取りあげられている本に責任はない・・・この2冊を並べたのは、まあ自然な成り行きです。



バルトルシャイティスの「幻想の中世」は翻訳が出る以前からドイツ語版を所有してらっしゃいましたよねヽ(^^*コレ♪

たいがいの本に言えることなんですが、図版の印刷に関しては、翻訳書よりも洋書の方が鮮明です。このドイツ語版だって原書というわけではなくて翻訳書なんですけどね。ちょっと逆接的なものの言い方をすると、これ、日本の出版社(印刷所)の方が技術は上だからだと思います。つまり、現代の技術というのはコストダウンの技術ですから・・・彼の国はやることが大雑把なので、適当に手を抜いて売り物になればいいんだというレベルぎりぎりの出来にするべきところ、ついうっかりちゃんとしたものを造っちゃった・・・という結果じゃないでしょうか(笑)

手抜きするべき手間に関して、手を抜いちゃった、というわけですか(^o^;


並べてお写真撮ってみましたよ。左が邦訳書、右がドイツ語版。

右の写真に写っている図版、いずれかが裏焼きですね(^o^;

優美お姉ちゃん、きょうのおやつはどら焼きですよっヾ(^∇^*

・・・で、連想が働いてこんな本を引っ張り出して拾い読み・・・



C.J.S.Thompsonの“The Mystery and Lore of Monsters”(1930)ですね

そんなにめずらしい本というわけではないと思うけど、ちょっとお写真upしちゃおう




同じようなテーマで、日本語で読むならρ(^^*このへん


「フリークス」といえば映画を思い出しますが、なんとその監督であるトッド・ブラウニングについても、翻訳が出ているんですね



装幀は安っぽいし、帯(腰巻)には「ハリウッドの闇を生き抜いた映画作家の謎」とあって―まあ、ハリウッドなんて才能ある映画人にとっては、金を出すのは惜しんで口出しばかりする天敵だろうとは思うが―野次馬的暴露本のような内容かと思ったけど、いろいろ教えらることも多くておもしろかったよ




2009.05.22 fri



この本は以前にもお写真upしましたっけ? よくぞここまで偏執的に調べあげたと思わせるユイスマンス伝です。



ユイスマンスといえばまさしく変態作家の称号がふさわしいひとですね。

それは誤解を招く発言ですよ〜(^o^;



「さかしま」でデカダンスに沈み、「彼方」で悪魔主義に身を投じ・・・って、あ、写真の順番間違えた( ̄o ̄;



・・・「出発」、「大伽藍」でカトリックへと歩みを進めた、まさに芋虫が蛹へ、蛹から蝶へと変態するが如き変質ぶりです。



いま挙げた小説群、いずれも我が国ではいい翻訳が出ていますね。これは澁澤龍彦の「さかしま」桃源社版。

手前に別な本が写ってますよ〜(^o^;

Hoffmannさん、6728のメールが変ですっヾ(・∇・;

# 我ながら・・・く、くだらん(-_-;;




2009.05.21 thurs

そういえば、今年2009年はハイドンの没後200年にあたるんですね。



Hoffmannはさほどハイドンの作品を熱心に聴く方ではありませんが、以前、その好きなdiscをまとめて取りあげた記憶が・・・いつだっけ、と思って探してみたら2008年9月の終わり、やっぱり声楽曲と協奏曲ばかりですね。



そのとき、取りあげなかったdiscではこのへん・・・演奏はどちらも好きですが、上のCapriccio盤のジャケットデザイン、Gruenewaldがいいですね(ほんの一部だけど)。

さて、そういうことですから、ヒンデミットでも聴きましょうか、それともユイスマンスを読もうかな。




2009.05.20 wed


レナード・バーンスタインがCBSに録音したハイドンのセットが出ましたね。ロンドン交響曲集、パリ交響曲集にオラトリオ、ミサ曲の集大成でCD12枚組です。オラトリオとミサ曲の全部はLPで聴いていましたが、交響曲は4曲くらいしか聴いたことがなかったので購入。フルオーケストラによるハイドン演奏というのも、いまや貴重? Hoffmannは大編成のハイドンだからといって「古い」と決めつけるほど石頭じゃありませんが、ところどころ、ヴィブラートを効かせた弦などには、さすがに違和感も。

それはともかく、このセット、函のなかに紙ケースが入っているんですが、この紙ケースが1枚用、2枚用、3枚用とあり。1枚のものはともかく、2、3枚を収納するケースの使いにくいこと。CD取り出すのにひと苦労です。

コストをかけた割には使い勝手が悪いんですね

これじゃあ、聴きたいときに面倒くさて、結局聴かなくなっちゃいそうだよ



結局、不織布に1枚ずつ入れて保管することに・・・。



先に発売になっていたマーラー交響曲全集も同様の紙ケース入りでしたが、こちらは2枚用がケースがふたつ使われていて、あとは1枚用。2枚用x2の4枚だけ、やはり不織布に入れ替えてますけどね。

マーラーの方はリマスタリングの成果でしょうか、国内盤LPで聴かれるような高域上がりのバランスは多少改善されていましたね。それに対して、今回のハイドンはあまり変化がなくて、ちょっと残念です




2009.05.19 tues

自分には正義がある、良識がある・・・ということは、世間は自分の味方であり、自分はその代表である、という立場から、集団的な倫理観や美意識を騙り、押しつけてくるファシズム体質の社会がある。他人の快楽への嫉妬を「道徳」だとか「良識」とすり替えて、自尊心の満足のために「忠告」めいた、あるいは「説教」じみた言説を弄し、押しつけてくる、程度の低い、しかしプライドばかりがお高い手合いがいる。私はそんな相手から視線を向けられただけでも嫌悪感をもよおす。逆に、共感されるのも不快である。私のルサンチマンは、そんな擬似的にでも群れなければなにもできない、なにも言えない、精神的に自立できていない低劣な集団的ファシズムに対する抵抗と否認であり、両者はまったく異なるものなのである。もちろんそれは私一個人のもの、誰の真似でもない。




2009.05.18 mon



アレクサンダー・レルネット=ホレーニアとミルチャ・エリアーデの小説。いい本なんですけどね、装幀がひどい(笑)ボルヘスのあの叢書を模したような縦長の判型も読みづらい。



先日我が家の本棚に見つけた(ヲイ;;)Paul Ernst(ご存知?)の本2冊・・・はともかく、この右の本のように、表紙に文字(文章)がづらづら印刷してある装幀はあまり好きじゃありません。なんだかアメリカの“pap”みたいで安っぽくて下品です。近頃は日本でもこういった装幀をするデザイナーがよくいますよね。



じつはHoffmannは
ア○ルが大好きです・・・って、いや、あのその、ちょ・・・(((;-_-)σσσ)~0~)/プニプニプニッ♪

まったくもー(^o^A;アラン・コルバンにカルロ・ギンズブルグですね

Hoffmannさん、チーズに虫がわいちゃいましたよっヾ(・∇・;




2009.05.17 sun



Harry ClarkeによるPoeの小説へのイラストは好きで、4点ほど画集から切り取って額に入れて飾っています。
これは“The Facts in the Case of M. Valdemar”のイラストですね。ガラスへの写り込みはご寛容願うこととして、Hoffmannはこの絵を見ると、歌川国芳の「木曾街道六十九次」の「鵜沼」を思い出しちゃうんですよ。

ああ、この遠くからの・・・

このひと、むにょす博士みたいに冷やしておけばよかったんですよっヾ(・∇・;



ライセスター嬢の弟フランシスも、その末路はすごいよ(・・;

「人間モドキ」みたいですよね(・・;;

それ、がんもどきの一種ですかっ?ヾ(・∇・*




2009.05.16 sat

マーラーの「大地の歌」のdiscです。



ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団クラウス=フロリアン・ヴォイトのテナーとクリスチャン・ゲルハヘールのバリトンによる新録音のdiscです。録音は2009年2月、13(live)、14(live)、15(studio)と表記されていますね。

たしかこの指揮者は初来日時にこの作品を指揮したんじゃありませんでしたっけ?

まあ、このdiscについてはいずれあちらのページで語ることになるので、いまはぜんぜん違う話をしちゃいましょう。

* * * * * * * * *

先日イギリスの指揮者、サー・エイドリアン・ボールトのdiscを聴いていたんですよ。ちょっと前に優美も言ってましたが、このひと、テンポの変動など、やや恣意的と感じられるところがある。とくにブラームスの交響曲、管弦楽曲やシューベルトの交響曲なんですけどね。ここでテンポを速めたくなるんだよなー、という箇所でたたみかけるのはいいとして、それがそこだけの処置。同じフレーズが還ってきても、こんどはなにもせずに素通り。これがクラウディオ・アバドだったら、極端な変動は避けてひかえめにしつつも、全体(全曲)にわたって、加減は調整するでしょうが、ちゃんと同じ処置を施すはずです。アバドという指揮者は、その意味でも、また変化を極端にはしないという意味でも、バランス感覚を重視した指揮者ですね。

小澤征爾もアバドに似たところがあります。マーラーの交響曲第4番の録音に関してでしたか、インタビューにこたえて、「楽譜に書いてあることを全部やってみた」と言っているのを読んだ記憶があります。ところが、なに、それほどやってない。いや、やっている方なんでけどね、すべてがひかえめ。想像ですが、楽譜どおりにテンポを落としたらここが浮いちゃうぞ、とか、楽譜どおりに奏いたらかなりおかしな響きになるぞ、なんて考えて、その楽譜の指示も、ひかえめに「それとなく」やっている程度にしちゃったんじゃないでしょうか。その結果、バランス感覚には優れていても、いささか表情がフラットになって、なんだかどうということもない、いささか退屈な演奏になってしまったというわけ。

恣意的といえば、すぐに思いつくのはメンゲルベルク。このひたぁ、ところどころで歌舞伎みたいに大見得を切って(音羽屋ッ!)、それは音楽のテーマ(主題)に応じた表現というわけではないから、作品全体の構成とは無関係。演奏上の表現に関しては、表情の羅列であって、積み重ねた末にクライマックスが形成されるという演奏ではないんですね。一貫していない。その点でフルトヴェングラーは正反対、即興性の勝ったlive録音でも恣意的ではない。

そうそう、即興性と恣意的っていうのはぜんぜん別なことですからね。これ、混同されやすいのか、意味を取り違えているんじゃないかという例が多いんですよね。

たとえばエーリヒ・クライバー、この指揮者はリハーサルで完成させちゃうひとだったそうで、本番はリハーサルでできあがった演奏をなぞる、いわば清書するみたいなものだった、と聞いたことがあります。これは恣意的とかそうでないかという問題とは無関係。こういうのは即興性と無縁ということ(本当にそうだったのかどうかは知らんよ)。

* * * * * * * * *


上のdiscを入手したとき、もう1点購入したマーラーのdiscのデザインが、またクリムト。やれやれまたか・・・って、以前、世紀末音楽だからって、ジャケットを判で押したようにクリムトやシーレで飾るのは、音楽に対しても、クリムトに対しても、功罪相半ばするところがあるんじゃないでしょうか、とは語ったことがありましたね。そしたら、同時代性がどうとかこうとか(中略)その程度のことは症学生でもわかりますよね。まあ、常日頃からHoffmannの発言があまりに無知無教養ぶりを露呈しているもんですから、これも仕方がありません(苦笑)しかし、いくらHoffmannが無知無教養だからといって、そこからもっと先の話をしていることをちゃんとご理解くださっている方がおられますことを・・・。


* * * * * * * * *

どうでもいいけど、シーレの妹って(いかん、略だ略;;;)

名前がいいですよね(^^;

* * * * * * * * *



気楽に聴こうとして、ついつい真剣に耳を傾けてしまうdiscです。




同じ奏者によるdisc・・・
(^o^;これ、おな・・・ああ、またやっちまった・・・(-_-;

Hoffmannさん、八街にお住まいのお友だちからメールがきてますよっヾ(・∇・*




2009.05.15 fri



なにせビンボーなもんですから、こんな重要な本なのに、未だにちゃんとした版で入手しておらず、従ってきちんと読んでいない(「ちゃんとした版」てのがなにを指すのかは、わかるひとがわかればいい)。

とか言いながら、なにごとももらさず完全に、という志向はないんですけどね。全集だからって全部揃えなければ気がすまないということもなくて、自分にとって必要なものだけあればいい。ちょっとした古書となると全集は揃いでしか手に入りませんが、なに、必要な巻だけでもいいので、それが別に単独で刊行されていればそちらを買っちゃいます。

そういえば、FNもASもCBもAvSも、どれも揃っていませんね

まあ、読みたい巻はちゃんとあるよ

肝心のETAHも・・・

「肝心」ねえ・・・(笑)それは未だに刊行されていないんだよ。それに、そのへんはいざとなれば(以下略)

そうすると、日本の作家の場合は・・・?

全集持ってるのは作家はふたりだけだからね

いやね、つい先日、そのうちのひとりの全集なんですが、実家の老父がHoffmannの本棚から全29巻中数巻をときどき引っ張り出して読んでいたら、そのうちの一巻が見あたらなくなってしまったんですと。全集が一巻欠けになるなんて、ひとによっては気が狂ってしまう(笑)かもしれませんが、Hoffmannは「しょうがねぇなあ」とは思うものの、たいして腹も立たなかったんですよ。これは自分でも意外でしたね(笑・・・・・・はぁ〜)

全集といえば、たしかに「必要な巻」を優先的にお買いになっているのかもしれませんが、私の見たところ、Hoffmannさん独特の購入の仕方―巻の選択法―がありますよね

ふっふっふっふっ・・・その奥義は秘密だ( ̄ー ̄*たぶん、他にも実践してるひとはいると思うけどな




2009.05.14 thurs



文学作品ではなくていわゆる研究書の話ですけけどね、「古典的名著」と呼ばれる本がありますが、はたしてそれが現代においても真に「名著」なのか、疑わしく思えてくるものもあります。評価の定まったものは、それなりに信頼が置ける場合がほとんどですが、じつは裸の王様もあるのではないかと思います。むしろ「貴重な記録」と言った方がふさわしいような本はともかく、著者の見解が、いまとなっては皮相で陳腐、あまりにもご都合主義で楽天的と感じられるものがある。そういった印象を与える本(の著者)について、総じて言えることは、感情が勝ちすぎていることですね。湿った、狭苦しい感情の殻のなかになかぬくぬくと引きこもっている。「なにか」を語るときには自分を語り、自分を語るときにはその視線は自分には向いていない。「知」というものに背を向けている。なにか意見を言っているようで、じつはなにも言っていない、ただただ感情の世界に引きこもっているから、通説(とは限らんが)に対する異論・反論も理論になっていなくて、単に感情の起伏の結果でしかない。早い話が「気にくわない」ってだけのこと。なにも感情が無用だと言っているんじゃないんですよ、しかし「知」というものは、感情を優先させてこれを拒むひとには、もう用はないのです。

ところで、Hoffmannは「個性的」って言われるの、大っ嫌い。自ら認める「特性のない男」ですから、どこにでもいる、ごくごくありふれたニンゲンです。とりたてて独自性はありません。個性的などとは、Hoffmannにはまったく似合わないレッテルです。

なにが「ところで」なんですか〜(^o^;

6行上で、ごっそり削除したからね〜(笑)




2009.05.13 wed


図版入りの本は数あれど、これはなかなかおもしろい。無知無教養なHoffmannが愉しむのにふさわしい本です。逆説でもなんでもなく、その、ちょっと退屈なところが魅力。


これはサドのドイツ語訳ですね

草木もなびくんですねっヾ(^∇^*〜♪




2009.05.12 tues

(昨日の続き鴨〜)



ついでに適当に並べて写真撮ってみました(^^*これはすべて同じ著者によるものなんですけどね、どうせ日本語の本を読むのなら「いい日本語」を読みたいもんです。


このへんも・・・。



ぐっと時代を下って・・・このひとの小説も初期の方が好きです。左と右はさすがにやや生硬かなとも思いますが、馥郁たる、香り立つような日本語ですね。




2009.05.11 mon


Hoffmannにとっては音楽を聴くのも本を読むのもただ愉しむためであって、これがキョーヨーとか、お勉強だなんて考えて聴いたり読んだりしているわけじゃありません。とはいえ、、まるでアタマを使わないシュミというのも退屈なもので、そこにはやっぱり多少なんらかの意思の働きが、ある。するてえと、途端に自分という人間を、どちらかといえば・・・とひかえめに言っても、
無知無教養なうつけ者であると認識せざるを得なくなるので、こんな本を読んでいると、その著者の知性にはあこがれちゃいますね。


Hoffmannさん、おつけものがいいぐあいに漬かりましたよっヾ(^∇^*


えー、左の本はすぐにわかりますけど、右の本は小さくて・・・(・・*

それじゃこちらは著者のお写真を・・・



わかりました! 「マリリン たろう」さんですねっヾ(^∇^*



この本、ところどころに以前の所有者が傍線・傍点を書き込んでいるんですが、それも一興♪




2009.05.10 sun

本日のお写真は軒並み木材かけてます(^^;


本(棚)の整理もかなり進んで・・・

問題はその整理中にお買い求めになった本が、部屋の隅に山積みになっていることですね((( ^o^)σ)~0~)/プニッ♪

できるだけ床に直置きは避けようとしたものの、なかなか思うにまかせず。しかしいちばん問題なのは文庫本ですね。文庫本は小型なだけに、美術書などを除けば体積比ではもっとも重いんですね。しかもたくさん積み上げるとすぐに崩れる、さらに目的の本を探すのがたいへん、いずれ持っているのはわかっていても探すのが面倒になっちゃいます。

この「小屋」に入居以来、押し入れに放り込んであったんですが、「このままじゃ死蔵もいいところ」だと思って、とりあえず岩波文庫だけ、本棚に入れてみました。

↓この下にまだ山積み・・・

・・・ぜんぜん入りきれませんね(^o^;

どーすんだ・・・(-_-A;

ちなみに、この棚が置いてあるのは脱衣場、洗濯機の横ちょ。トイレはともかく、まさか風呂場に本棚を置くわけにもいきませんが、ここならまあ大丈夫。「脱衣」するにはチト狭くなりましたが、な〜に、べつにここで脱がなきゃいかんという法律はない。なにも深夜の公園で全裸になろうというんじゃない、家ンなかですっぽんぽんになってうろうろしたからって、だれも文句を言うひとはいませんからね(笑)

・・・で、さっきまでこの本棚におさまっていた本はいつまで玄関先に積みあげておくんですかっヾ(・∇・* :-_-)=3




2009.05.09 sat



「物品引き寄せの術」・・・じゃなくて、「問題先送りの術」を使ったんですよ(笑)




2009.05.08 fri



・・・と思いきや、あまりの忙しさに予定がキャンセルに。




2009.05.07 thurs



またまたしばらくお休みします。




2009.05.06 wed



時間が取れなくてこのところ使っていないが、こうしたメカニカルカメラというものは、週に一回はスローシャッターを切っておかないとね。

ちなみにお写真には木材かけていますが、このレンズは非純正ながらドイツ製(ただしフードはLeitz社謹製)、単体ファインダーを載せていることからわかるとおり35mmで開放F2.8、これだけでなんだかわかっちゃうひとは病気が重いので反省するように(笑)

このレンズ、怪獣みたいな名前ですねっヾ(^∇^*




2009.05.05 tues

このところモーツァルトのレクイエムのdiscをいろいろ聴いています。


近頃とくに気に入っているのはこちら―左からサヴァール、グッテンベルク、ヘレヴェッヘ盤。いずれもオリジナル楽器(ピリオド楽器)による演奏。ほかにコープマン、ガーディナー盤もあるんですが、ガーディナー盤は古楽器演奏であることをことさらに主張しすぎているようで、あらま、いつの間にか時代に取り残されつつあるのでは? いや、録音は1986年なのでちょっと以前なんですけどね。一方のコープマン盤は、ガーディナー盤と比較するとよほど自然体なんですが、やや日常的すぎて、もう少し厳しさも欲しい。

モダン楽器による演奏のdiscも引っ張り出して聴きました。何種類かあるワルターの録音、シューリヒト1962年のlive録音、ジュリーニ1989年のSony盤など。しかし古楽器演奏を聴いた後ではどうも重くてもたれます。これはこちらのそれぞれの盤を聴く、そのときどきの気分とか体調の問題。

―といっても現在はCDしか手許にないのでそのなかでの話。そこで、先日自宅に戻ったときに、手持ちのLPをいくつか聴いてきましたよ。



まずは古楽器演奏。S.クイケンによる1986年ブリュッセルにおけるlive録音。バイヤー版による演奏。クイケンらしいアンサンブル重視の演奏。アクセント強めの、旋律を歌うよりも構築していく、いい意味での刺激的なレクイエムになっています。ただ、白AccentのLPでいかにも録音が良さそうに見えるんですが、これがあまりよくない。音場感は妙にほこりっぽく混濁気味。惜しい。



こちらはホグウッド盤。アーメン・フーガのモーンダー版なのでほかのdiscと同列には比較しにくいんですが、録音はやや堀が浅いものの、まずまず良好。ホグウッドのdiscはどちらかというとヘンデルをよく聴くHoffmannですが、ヘンデルだとひなびた響きとなるのに、モーツァルトだと意外と刺激的。




これよりモダン楽器演奏。まずはコルボ盤。1970年代録音の仏Erato盤。録音はまあまあ、Eratoにしてはさほど・・・とも思うんですが、1970年代も半ばとなるとこんなものかな。演奏はきれいといえばきれいなんですが、カラヤンあたりとは別な意味で演出臭ぷんぷん。そんなに下品じゃないんですが、千変万化の表情も、歌うのも、とにかく「たっぷり」、やっている。それがなんかもうここまでやらなくてもいいんじゃないかというくらい、まるで聴き手に媚びているようなサービス過剰の効果造りになっているんですね。ぱっと見、「おっ、清楚な美女だ」と思ってよくよく見たら、こってり厚化粧の水商売風・・・といった印象です(笑)

水道局におつとめの方ですかっヾ(^∇^*



「たっぷり」といえばこれも―ジュリーニ1978年の録音。とにかくジュリーニらしい、よくも悪くも自己流の音楽造りで、響きはふくらんで音場はみっしりと隙間なく埋め尽くされたかのような厚みを感じさせるもの。EMIらしいオフマイク録音なんですが、細部がマスクされてしまって、よく言えばハーモニーで聴かせ、悪く言えばおだんご状の音響。ただし不思議と混濁しているという印象はない。演奏そのものはまじめでたいへん好感の持てるものなんですけどね(歌手はひとりだけいまひとつの出来)。これは小型の装置で聴くと、装置の柄を超えた厚みのある響きがふわぁーと広がって効果的鴨。



1987年録音のムーティ盤。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団もさることながら、エリック・エリクソン率いるスウェーデン放送合唱団、ストックホルム室内合唱団が聴きもの。これも指揮者の作為はかなりあからさまなんですが、ムーティらしくひたすら歌う(歌わせる)ことに徹していて、あまり姑息な小細工とは感じられないんですね。これはHoffmannの好きな演奏です。


カラヤン、ベルリン・フィルの1960年代と1970年代の録音。DGGらしい低音のない、平面的で薄っぺらな録音。演奏も推して知るべし。カラヤンも若いころ、フィルハーモニア管弦楽団との録音を行っていた時期だとそれなりの良さもあるんですけどね。この2種の演奏は10年(以上)の時を隔てているにもかかわらず、大筋は同じ。AV男優がAV女優を撫でているような(そんなに見ていないけどな・笑)レガートは、響きをハーモニーとするよりも単に混濁させただけ。合唱下手。ムード音楽だと思えばBGMに使える? カラヤン盤はたしかさらにこの後に録音されたdiscも持っていたはずなんですが見あたりませんでした。実家かな・・・。



ベームによる1979年の録音。古老の語りを聴いているような、ある意味平板、聴きようによってはこれこそ「祈り」かとも思えるような滋味ある演奏ですね。ただ、緊張感が持続できないのはベームの衰えでしょうか。録音もよくない。



リヒター盤。なぜかオーディオマニアに受けのよい演奏で、どうしてかなーと思っていたら、ゴミとかいう作家が交通事故で他人様の子供を死なせたときに、来る日も来る日もリヒターによるモーツァルトのレクイエムを聴いた、とかエッセイに書いていたんですね。こういった自己の内面を「演出」してお涙頂戴式に嫋々たる嘆き節で公表する精神って、Hoffmannは大っ嫌いです。かつて、とくに私小説作家に多かったんですが、自慰行為そのものが目的ではなく、その行為を他人に見せることで他人に及ぼす効果を見て楽しんでいる(効果を狙っている)という、公然猥褻的売文。もっとも、ムカシからこういうのはマニアには人気が高い。露悪趣味的なsentimentalismに犯されたマニアって、小林秀雄のムカシから結構多いんですよね。ただ単に身勝手で無責任、意志薄弱なだけの主人公が、ほかでもない手前のだらしなさ故に破滅していく私小説を読んで、カッコいい、真似したい、という青白い文学青年的な幼稚性でしょうな。

感傷的かどうかどうかわかりませんけど・・・自分がやっていることにお手本とか目標のような、教祖を求める心情じゃないですか?

ヒトラー政権下のドイツ国民みたいなものか?(笑)「マニア」って、たいがいしかめっ面して求道精神だの修行だのと事大主義な主張をして、それでいて鼻持ちならないほど自信満々なくせに、どうしてその一方で謙虚ぶって前世紀の遺物みたいな(だれです、「全性器の汚物」なんて連想したのは・笑)アイドル(偶像)を祭り上げたうえ、それをよりどころにせにゃならんのかなあ・・・

それはともかく、このリヒターの演奏については?(^^;

だからというわけでもないんだけど、このリヒター盤は過大評価されすぎでは? いや、じつはこのdiscの演奏はあんまり印象に残っていなくて・・・(笑)

# ただし、上記の作家ご当人と面識があった方のお考えや愛着は尊重します。友人・知人が寄せる思いはまた別問題です。

さて、そんなこんなで自宅でモダン楽器の演奏もいろいろ聴いてきたので、出稼ぎ先に戻って仕切り直し、手許にあるCDをもう一度聴いてみましたよ。



ジュリーニ1989年の録音。オーケストラは新旧ともにフィルハーモニア管弦楽団。旧盤のような過剰な「ふくらみ」は一歩後退しているものの、やはり「ゆったり」系。合唱など、やや歌いにくそう? どことなくモノトーンで、響きが痩せて聴こえるのはおそらくジュリーニ晩年の衰えか(DGG録音後期でも聴かれる傾向)。



シューリヒト1962年5月19日のlive録音、Disques Refrainからも出ていたんですが、音質は別もののように良質なarchiphon盤。交響曲などでは性急ともとれるテンポのシューリヒトですが、ここではやや速め程度でしみじみ開始、冒頭は合唱もソフトに、やや流し気味・・・と思いきや、ソロ歌手のハイテンションぶりにびっくりします(とくに女声。マイクが近い?)。その後、速くなりそうなところはむしろ抑えめにじっくり進めて、要所要所のアクセントは強めなのが終始軟調の合唱とかみ合わず、不思議なコントラストを形成していますね。


ワルターによるdisc。左は1956年6月26日live録音のOrfeo盤。これ聴くと、前のシューリヒトは結構モダンな感覚だったんだなあと思いますね。最近の古楽器演奏とは別な次元で、緩急強弱のコントラストは最大限とばかりの古風なモーツァルト。それが板に付いているのはワルターなればこそであり、また時代でもあるんですね。いまの時代に、こんな表情付けしたら滑稽にしかならんでしょう。従って貴重な記録(record)です。ソロ歌手もいかにも役者がそろったという印象。

右は1937年のパリ録音。ワルターこのとき60歳。テンポの変動はあるものの、上の1956年録音よりもむしろ禁欲的というか、フォルムが整っているように聴こえます。こちらの方が好きかな。ソロはこれまた大歌手の時代。



こちらはブルーノ・キッテルが自らの合唱団を率いて、モーツァルト没後150年となる1941年に録音したdisc。このdisc、じつは2008.11.15 satに「マタイ受難曲」の古い録音のひとつとして取りあげていて、そのときモーツァルトのレクイエムについては「かなりゆったりめのテンポで、ていねいと言えばていねいなんですが、スケールを拡大するには至らず、ものものしい進行」なんて言ってました。

ところが今回聴き直してみたところ、ずいぶんと印象が変わりましたね。上のワルター盤を聴いた直後だからかもしれませんが、いや、ワルターとはえらい違い。
歴史的録音なれど、感傷を廃した、驚くほどモダンな感覚の演奏です。さらにこの録音を特異なものにしているは、ナチス政権下の録音であるため、歌詞の一部(ユダヤ由来の語)が変更されていることですね。はじめて聴いたときには、聴き慣れない発音の箇所に、あれ、これラテン語・・・だよね? なんて首かしげちゃいましたよ(それでなくてもドイツ風の発音でやや違和感あり)。合唱指揮者とあって、オーケストラに対する意思はいまひとつコントロールが不徹底、とはいえ、1941年にしてこの現代感覚は見事。

# 上の文章で、「上のワルター盤を聴いた直後だからかもしれませんが」と言っていることについてひと言。念のため断っておきますが、これ、別に言い訳してる訳じゃありません。印象や感想が変化することを恥じる気持ちなどHoffmannにはありません。むしろ変わるのがあたりまえ、一貫して変わらない方がどうかしている、と思っていることはかなり以前に書いたとおりです。




2009.05.04 mon

果実じゃなくて過日、帝都に赴く用件あり、用件は早々に済ませてdiscの買い出し(笑)LPも何点か入手したものの、アチラに置いてきたので、ここでは持ってきたCDからいくつかup―。



いま滞在している街は決して文化程度が低いとは思わないんですが、さすがに全国展開しているshop(の支店)でも、在庫しているdiscは売れ筋のみ。イザイの海外盤CDなんて置いてませんからね。

通販でお買い求めになればよろしいのでは?

新譜で出たとき見落としちゃうと、もうそれまでじゃない? それに録音の少ない(あるいはこれまでに録音されていない)楽曲となると、検索もしないから気が付かないこともある。shopの棚で出会わないと・・・



これはヴォーン=ウィリアムスの交響曲全集。LPでは所有しているもの。先日読み返していた小説の冒頭が「先日、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムスの水際だった第四交響曲のレコードを聴きながら・・・」というものだったので、なんとなく聴きたくなって購入(笑)

私はこのサー・エイドリアン・ボールトの指揮よりも別な指揮者の演奏の方が好きなんですよ。ボールトって、テンポの変動など、ちょっと恣意的に感じられるんですよね


2、3年前にはシューマン編曲によるバッハの「ヨハネ受難曲」が録音されたかと思ったら、今度は無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータのシューマン編曲版が(左)。バッハ演奏といえば世の趨勢はオリジナル楽器による演奏へ偏向(とあえて言う)気味と見えますが、これはその反動でせうか。ピアノの伴奏付きとなつてゐます・・・が、しかしこれはねえ・・・(^_^;

まさに蛇足と聴こえますね(^^;突然旧仮名遣いに・・・?

右は“curved bow”
による、同じく無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ。いわゆるルント・ボーゲンによる同曲のdiscはLPで2点ほど所有して愛聴していたんですが、同じ演奏のCDは出ていないようなので(追記:ひとつは出ていた)、このRudolf Gaehlerのdiscを入手。ARTE NOVAの激安盤。演奏は、まあ・・・。

じつは同曲のCD、さらに何点か購入したんですが、今回は省略。



左が今回入手したもの。舘野泉のピアノ、渡邉暁雄指揮、日本フィルハーモニー管弦楽団による1980年5月24日、東京文化会館でのlive録音。曲目はモーツァルトの「魔笛」序曲、ブラームスのピアノ協奏曲第1番、アンコールに演奏されたシベリウスの即興曲。たしか、もう一曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が演奏されたんじゃなかったかな(そちらもCD化されているのか?)。

じつはこの日の演奏会場には、ご幼少のみぎりのHoffmannが座っていたんですよ。舘野泉といえばシベリウスのピアノ作品のレコードを何度か取りあげた記憶がありますが、このときのブラームスも結構忘れられない印象を残していたんですね。巨匠風の重厚で渋い演奏ではなく、どことなく、可憐なブラームスといった演奏で、ロマン主義の憧憬に満ちた、これこそHoffmannの好きなブラームス演奏。

右は以前から聴いていたdiscで、舘野泉のピアノに井上喜惟指揮、チェコ・ナショナル交響楽団による1996年の録音。いままではこれを聴いて「あの」当夜のことをときどき思い出していたんですけどね、まさにそのlive録音のdiscが発売されたのは嬉しい限りです。ピアノに関しては後年の方が構えが大きくなっているものの、1980年録音もそれぞれによし。オーケストラは井上、チェコ・ナショナル響はややもたついて、さすがに指揮者の力量か、渡邉、日本フィルの方が上。

当夜の「前座」である「魔笛」序曲からして、いい演奏ですね〜



ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」のdiscが出ていたので購入。Glyndebourneにおける1963年のlive録音で、歌手はDenize DuvalとHans Wilbrinkのタイトルロール、Michel Roux、Anna Reynolds、Guus Hoekmann、Rosine Bredy、John Shirley-Quirkといった陣容、指揮は(なんと)Vittorio Gui。

いや、V.Guiの「ペレアスとメリザンド」とは意外、どうもあまり聴いてみたいとも思わないというのが正直なところなんですが、同オペラのdiscはcompleteのHoffmannとしては、入手しないわけにもいきません・・・と、こんなだれもキョーミのない、どうでもいハナシに字数を費やしてスペースを埋めていると、まるで吉ダ秀和の文章みたいですな(笑)


しかしこれ、作りの悪いケースですなあ。近頃流行りのブックレットタイプであること自体はいいとしても、3枚組の1枚めと3枚めの紙ケースが厚表紙に貼り付けられているので、discが取り出しにくい。おまけに、この箇所の糊付けの際、糊がはみ出したんでしょう、discの信号面にべったりへばりついてひどく汚れていたんですよ。すぐにshopへ持っていって交換してもらいましたけどね。



結局、不織布の袋に入れ替えて挟んで保管することにしましたよ。聴きたいときに取り出しにくいというのはストレスになりますからね・・・って、まだ聴いてないんですケド(^o^A;

これで数ヶ月後に冒頭の文章を繰り返して、「・・・その後しばらくしてようやく聴いてみることにしたのだが、そのときは第一幕を聴いたところで中断してそのままになっていた。それを今回、こんどは中断することもなく、全曲を聴きとおしてみたところである・・・」なんてやったら、ますます吉ダ秀和だなあ(笑)




2009.05.03 sun


これはHoffmannにとって、たいへん思い出深い本です。あまりにできすぎた話で信じてもらえんでも仕方ないとは思うが、この本を入手して読んだその日、夢のなかでヴィエイュ=ランテルヌ街に立っていたんですよ。ああ、ここだな、なんて考えながら・・・。



こちらは、ひさしぶりに見つけてぱらぱら拾い読みした本。

右は「徒弟時代」に対して、あまり言及されることの少ない「遍歴時代」について論じた本ですね



まさしく、読書とは無用の用、と思わせてくれる本(笑)

罰せられざる悪徳ですね(^o^*




2009.05.02 sat

ある連想―



こんな絵をながめているうちに・・・



この本を引っ張り出してきて・・・

この本のデザインもビアズレーなんですよね



次にはこちらのCDを・・・

Hoffmannさん、パンが焼けましたよっヾ(・∇・*


当然の如くこの本も。すらすら読めるわけでもないのに、原文にもあたってみたりして(笑)

関係ありませんけど、ニーチェって名前のスペルが覚えにくいんですよね(^^;



映画のDVDまで出てきましたよ。

この映画は何度か取りあげたことがありますね



さらに、PanといえばSyrinxですね。



同じ作曲家の別な作品のためのバレエ、こちらはFauneです。もとをたどれば、PanとFauneてのは別ものなんですけどね。

この写真はニジンスキーですね




2009.05.01 fri



これまた本棚で並んでいた本・・・というか、これはペアで並べておきたいね

Hoffmannさん、裁縫箱に「おどらでく」がありましたよっヾ(・∇・*