monologue 2009.09

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2004.12




2009.09.31 Σ( ̄□ ̄;


ちょっと必要があって自宅へ帰り、ついでに片付けしてたらReclam文庫がひと山出てきました。あれこれパラパラめくりながらレコード(LP)を聴いてきたので、明日からひさしぶりの音楽ネタです。




2009.09.30 wed

本日もHoffmannさんお休みで、私はこちらのの映画など観ています(^^*これはHoffmannさんの影響?(笑)後半、ちょっとドタバタとにぎやかなんですよね


mojimoji・・・(・∇・*

・・・(^^? 花ちゃん、どうしたの?

ワタシもみたい映画があるんですけど・・・これはHoffmannさんが横でいっしょにみてくれないと、ひとりじゃ怖いんです〜(・∇・;





2009.09.29 tues

Hoffmannさん、体調を崩されて更新お休み中です。ここ数日のうちにやや回復されているのですが、お仕事がたまりまくり(^_^;近日再開の見込みです。



それまでワタシはDVDで映画を観ていることにします(^^*

これ、優美お姉ちゃんの好きな映画ですねっヾ(^∇^*




それでは、花もお気に入りの映画をみてHoffmannさんを待つことにしますよっヾ(・∇・* (^o^;あらららら・・・




2009.09.16 wed



フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウの「タルチュフ」Tartueff(1925年・独)です。ご存知モリエールの喜劇が劇中劇ならぬ映画内映画で上演されるという内容の、戦前のドイツ映画界黄金時代のサイレント映画。



老人の遺産を狙っている家政婦、しかし老人はそのたくらみに気づかず。唯一の血縁者である孫は俳優となったために勘当されているのですが、巡回映画興行者に扮して「タルチュフ」を上映、家政婦の悪事を暴くという枠物語ですね。その枠部分の家政婦役にローザ・ヴァレッティ・・・


・・・映画内映画のタルチュフ役にエミール・ヤニングス、夫オレゴン役にヴェルナー・クラウス、夫の目を覚まさせようと大胆な芝居を打つ妻エルミール役にリル・ダゴファーという、奇跡のような豪華キャストです。


こんな何気ないカットに深い意味を持たせているのは現代では観ることのできない、サイレント期ならではの、まさに映画的な要素ですね。



storyや台詞に個性の光るムルナウですが、小道具の使い方もごらんのとおり。


ダゴファーの、抑えめの表情と・・・


ヤニングスの百面相的な表情の変化のコントラストがおもしろいですね。

こうしたヤニングスのような演技は、トーキー時代になると「古い」だの「おおげさ」だのと言われるようになるんですが、それは俳優のアップ映像でその表情の細部が再現できるようになったことと無関係ではありませんから、これだけ取りあげてどうこう言うのは見当違い・・・というか、いまどきの俳優ども、これだけの演技がやれるものならやってみな。

正直なところ「タルチュフ」の、その寓意性やその劇的効果に関して、またそのあたりを論じることにも、さほど関心がありません。むしろモリエールの原作を単純化してすぐれた映画作品とすることがムルナウをはじめとする制作者の意図だったのではないかと思います。いや、宗教というものに対する皮肉くらいは意識していたかもしれませんが、そんなメッセージ性ばかりに意を払うのなら、「タルチュフ」が映画である必要もない。これはね、映画的驚異に満ちた傑作なんですよ。



紀伊國屋書店のC.E.(Critical Edition)版。特典映像にはこの復元に至る、各版の相違や当時検閲で手を入れられた箇所の解説が収録されています。これでこそ「特典」と呼べるだけの価値があるというものですね。

それにしても、ここまでの3日間に取りあげた映画とはズイブン違いますね〜(^o^;

ナーニ、自分が観たいものを観ているだけだよ(笑)




2009.09.15 tues

本日はSF映画とござい―もうかなり以前ですが、monologue 2007.10.15 monに「SF巨大生物の島」(1961年・英)という映画を取りあげましたよね。レイ・ハリーハウゼンの特撮もので、監督はサイ・エンドフィールド。原作はジュール・ヴェルヌでした。

じつは「巨大生物の島」という邦題の映画はもう一本ありまして、原題は“The Food of the Gods”(1976年・米)監督はMr.Bigの仇名で呼ばれる巨大生物大好きなバート・I・ゴードン、原作はH.G.ウェルズです。Region1の米盤。



storyは、プロフットボール選手のモーガンが仲間たちと休暇を取ってとある島にやってきたところ、ひとりが巨大スズメバチに襲われて死亡。助けを呼びに行った農場では巨大な鶏と格闘することになって、おら、もうわけがわからんよと呆然。農場のおかみさんによれば、この農場の裏にわき出した白いどろどろを餌に混ぜてヒヨコに食わせたところみるみるうちに大きくなった、夫はこれを町に売りに行ったんだとか。このどろどろが神様の食べ物というわけね。つまりあのハチもこれを食ったんですな。さらにネズミも食ったらしい・・・と、あとは想像がつきますよね。もちろん旦那は帰りにネズミに襲われて食われてしまったんですよ。ここに飼料会社の社長とその会社で働く細菌学者、キャンピングカーがスタックして立ち往生していた、妻が身重の夫婦が加わって、襲い来る巨大ハチや巨大ネズミと戦うことに・・・。



いやしかし、こんなゲ○みたいなどろどろした得体の知れないもの、ヒヨコに食わせてみようという気になるのが常人の理解を超えていますなあ(笑)



うぇー、キモチ悪い、これは巨大芋虫ですね。



巨大ハチが襲ってくるシーンの合成などはぶるぶる震わせた絵を重ねただけで、Hoffmannなどはかなり興醒めしちゃいます。キャビアの親はチョウザメですよ。ところが、ネズミは本物を使っており、このあたりの合成はチト安っぽくもありますが、そんなに悪くないんじゃないでしょうか。


電気で撃退しようというのはゴジラ怪獣ゴルゴ(monologue 2008.11.22 sat)の昔からのセオリーですなあ・・・って、あ、あれ? フェンスを乗り越えているやつがいるんスけど・・・(笑)


しかしね、これ、本物のネズミをブチ殺しているんですよ。血しぶきを見る限りはペイント弾のようでもあるんですが、ホントに撃ってる。動物愛護のやかましいいまじゃとても制作できませんね。



妊婦が出てきた時点で、このまま籠城→産気づいて→いちばん忙しいときに出産、というお約束の展開は予想がつきますよね。



これは細菌学者役のパメラ・フランクリン。このとき、ちょっと太っているみたいですね。「ヘルハウス」が1973年で、この映画が1976年ということはわずか3年しかたっていない、25〜26歳の頃のはず。なんだか微妙に(以下自粛)



彼女、モーガンにははじめから好意的なんですが―



これは終盤、ネズミ軍団と戦闘の真っ最中、モーガンに「抱いてくれない?」とか言っているところ。やっぱり「吊り橋効果」ってやつですかね(笑)


ラストは堤防を爆破してネズミを溺死させるという荒技。ああああ、ホントに溺れてら・・・(・・;これ撮影スタッフ、さすがに後味が悪かったんじゃないでしょうか。ちなみにネズミを火葬した後にエピローグが付くんですが、これは観てのお楽しみ。

なんだかとってつけたように感じられちゃうんですけど・・・(^^;

全体としてはかなりB級風味なんですが、テンポがよくてサービス精神あふれるentertainment。米映画のくせにお色気皆無なのもよろしい。主人公のモーガンもことさらにハードボイルドしているわけではなくて、ごく自然体でふつうに好感が持てます。巨大ネズミとの攻防も緊迫感があって、単にアクションで見せる映画ではありません。色彩も含めて陰鬱な雰囲気がなかなかいいですね。とにかく終始曇天(ふうのカラー)。エピローグでようやく日光が照りつけるんですが、まさかこの効果を狙ったわけでもないと思うんですけどね。

モーガンが父親のことばを思い出していますよね。「人類がこれ以上自然環境を破壊し続けると、いずれ自然から復讐されるだろう」―と。その予言がエピローグにつながっていくわけですけれど、この映画では自然環境の破壊はまったく描かれておらず、舞台となっている島は風光明媚な美しい自然が残っているばかりですから、メッセージ性という点ではいまひとつつながりにくいんですよ




2009.09.14 mon

「白い肌に狂う鞭」なんてのもそうですが、この映画も・・・いったいなんだってこんな邦題を付けたものか。



「若妻・恐怖の体験学習」、知らんひとが聞いたらポルノとしか思いませんな。原題は“Fear in the Night”(1972年・英)、レッキとしたHammer映画であります。最近国内盤DVDもお手頃価格で出ましたが、Hoffmannが持っているのは英PAL盤。昨日のスプラッターの口直しです(笑)

・・って、のっけからラストシーンをupしちゃっていいんですか〜(^o^;

storyは、神経症を患っていた若妻ペギーの夫が郊外の寄宿舎制男子校に赴任。校長夫妻はどことなく謎めいており、若妻は義手の男に襲われ、校長を射殺してしまう・・・というサスペンスもの。監督はジミー・サングスター。


ペギー役のジュディ・ギーソンが可愛いとはよく言われるところですね。脂っ気が少なくてやや線が細く、わりあい日本人好みなのかも。



校長役は御大ピーター・カッシング。このひとが登場すると映画が引き締まりますなあ・・・と言いたいところなんですが(笑)


だいたいありがちなstoryと予想は付くし、夫役がラルフ・ベイツとくれば、この時点でダンナがなにかたくらんでいると分かっちゃいますよね(笑)右は校長の妻モリー役のジョーン・コリンズ。これまただれが観たって(以下略)

さて、「以下略」とされた発言の内容を次のなかから選びなさい―

1 ピーター・カッシングの妻役には若すぎますよね
2 旦那はこの女とデキてますよね
3 このひと、研ナ○コに似てますよね

たしかに・・・ちょっと似てますね(^o^;



革手袋に義手なんてfetishな道具立てを使いながら、まるでその効果が活かされていません。旦那の魂胆も、回りくどいというか不自然で説得力に欠けており、ドラマ自体が支離滅裂・・・?

支離滅裂とまでは思いませんが、ちょっと破綻しかかっているんじゃないでしょうか。やはり1972年となるとHammerも低迷期ですね


愛らしいジュディ・ギーソンの魅力とピーター・カッシングの怪演でなんとか保っている映画ですね。

カッシングの校長先生は謎めいているというよりホントに謎ですね(笑)ギーソンの若妻役は、さりげなく衣装の選定がうまいですね。やや地味めで、彼女の生活への不安や純情さを際立たせるのに効果的ですよ



死んだと思ったら足首を掴まれた・・・というのもお約束。それにしても、きれいな脚ですね(^o^
*

(((メ-_-)σ)~0~)/プニッ♪


右はメガネにヒビが入ってるんですよ。決して熱いおみそ汁を召し上がっていたところではありません。

なにせ邦題が邦題ですからうっかりひと様には薦められないところですが、薦めたくなるほどの映画でもないのは幸いか(笑)腐ってもHammerと言いたくもありながら、やはり衰退期とあってあまり映画としての出来はよろしくないとは認めざるを得ません。

色彩にもHammerならではのカラーが感じられないのが残念ですね




2009.09.13 sun

ひさしぶりの映画ネタ―。


これだけ見たら青春映画かと思っちゃいますね(^^;



「血のバレンタイン」My Bloody Valentine(1981年・加)です。

舞台は小さな炭坑町。20年前のバレンタインデーに坑内夫が生き埋めになる事故があり、助け出されたものの発狂したその男は、翌年のバレンタインデーに同僚たちを惨殺。以来自粛されていたバレンタインデーのパーティが20年ぶりに開催されようとしているところ。そこにキャンディーの箱に入った人間の心臓が送りつけられ、「バレンタインデーを祝うな」との警告が・・・。


まあ、「13日の金曜日」の亜流作品ですね(ついでにこの映画では2月14日が土曜日という設定、ということは13日はちゃんと金曜日となるんですな・笑)。とはいえ、ガスマスク姿にツルハシを武器に持った殺人鬼の姿はなかなか不気味で効果的です。


炭坑の坑内という「密室」もいいアイデアですね。ほとんど迷路だし、天井も低くて閉塞感が強く、適度に暗い。なかなかいい雰囲気を醸し出しています。


そのあたりの設定がもう少し活かし切れていれば・・・なーんか、盛りあがらない。真犯人にしても伏線もないままラストで説明されるだけ、従って謎解きの要素はないに等しい。しかも、こいつが犯人だとすると、その犯行の一部は時間的にやや無理がありそうな気がするんですよね。



被害者となる若者たちはやはり「13金」の亜流らしく、頭カラッポなバカです。ブチ殺されても同情できません。このへんがgame感覚のアメリカ産(これはカナダ映画ですけどね)ホラー映画の約束事? そのなかでもとりわけ悪ふざけばかりする大バカがいるのも(おまけにたいがいチェック柄のシャツを着ているのも)、これまたセオリーですね。



まったくですなあ(笑)



残酷描写はたいしたことはありません・・・って、封切り公開当時はノーカットだったんですが、かつてのvideoも現在のDVDも残酷シーンはカットされちゃってるんですね(このDVDの元となった米国盤も同様のカット版らしい)。このカット版で観ることのできるキャンディー箱の心臓なんてまるっきり作り物にしか見えないし、上のシーンのボイルされた心臓も、これ、遠目には生焼けのピロシキ、アップになると鶏肉と見えます。


ホラー映画でこういううらやましい行為をすると、死亡フラグが立つんですよね(^^;いずれの女の子もちゃんと殺されます。



彼氏がビールを取りに行って戻ってくると・・・というシーンですが、ここでも死体の様子を見せることなく間接的表現のみ・・・たぶんここもカットされているんでしょう。きっと手間をかけて死体メイクしたであろうに、これしか写らないんでは殺された方も文字どおり浮かばれないってもんです。



その女の子が襲われているこのシーン、画面右端に血だらけの死体が見えるんですが、これはだれの死体でしょうか。ここまでに登場していない被害者みたいです。これもカット故の不整合?



ラストは片腕を切断した殺人鬼が廃坑奥へと消えてゆく・・・評判がよかったら続編を作ろうと思っていたんでしょうが、この後の狂気の哄笑、切な気なエンディングテーマの効果と相俟って、印象深いラストシーンとなっています。しかしついに続編は制作されず、今年になって3D映画がリメイクが公開されましたね。そちらは観ていないんですが、リメイクされたおかげでこのオリジナルがDVD化されたんでしょう。別に残酷描写が観たかったわけではありませんが、なんにせよカットなんてないほうがよかった・・・とはいうものの、これでノーカット版だったら残酷描写を観せるためだけの映画という印象になってしまったのかも。全体としては雰囲気はまあまあ、適度に後味が悪い(笑)佳作の上、かな。

しかしバレンタインデーにパーティをやる習慣があるというのは知りませんでしたな。知り合いの女性から聞いたんですが、高名な某英文学者(日本人の、だよ)にバレンタインデーにチョコレートを贈ったら、丁寧な礼状が届いて、「バレンタインデーのお祝い、ありがとう」と書いてあったとか。この「お祝い」つーのもまんざらピントはずれの発言じゃないのかもしれません。





2009.09.12 sat


Insel Verlagの名前が出たので、Hugo von Hofmannsthalとこの出版社との間で交わされた書簡集、”Briefwechsel mit dem Insel-Verlag 1901-1929”ですよ。Hofmannsthalの書簡といえば作曲家Richard Straussとの往復書簡集が翻訳ででていますね。当のR.StraussはGustav Mahlerとの往復書簡も翻訳あり、昔のひとは筆マメだったんですなあ。

この本、なにしろ大判で重いもんですから、なかなか気軽にひろげてみるということもありません。ときどき気が向いたときに拾い読みしています。



せっかくだからHofmannsthalの台本によるオペラのdiscと一緒に記念写真(笑)R.Straussの“Die Aegyptische Helena”の1956年Muenchenにおけるlive録音のdiscです。



じつはHoffmannと似たような名前のこの世紀末詩人・劇作家、その作品はあまり好きではありません。なにを書いてもちょっと筆致が重すぎて、もう少し軽やかさがあってもよかったんじゃないかなと思います。もっとも、たとえば「薔薇の騎士」なんて、R.Straussの注文(助言)によって本来の構想にあったはずのニュアンスは薄められてしまっているようなんですけどね(どちらがいいか、よかったかという単純な問題ではないよ)。



これは往復書簡といっても私信ではなくて、往復書簡の形式をとった雑誌連載記事をまとめたもの。篠田一士、諸井誠の両巨頭の発言には教えられることも多いんですが、ヒントのみ投げ出されたままのテーマも多く、この本を読むとなんだかたくさんの「宿題」を与えられてしまったような気もします(笑)ちなみに表題は「世紀末芸術と音楽」ですからHofmannsthalの名前が随所に出てくるのは当然ながら、篠田一士は世紀末芸術とはロマン主義芸術の頽廃現象であるという立場ですから、むしろ話の矛先は20世紀芸術の成立(前)史。人物名索引がないのは残念。



往復書簡といえばさらにこちら―Hermann BahrとJosef Redlichによる書簡をまとめたもの。“Dichter und Gelehrter/Hermann BahrJosef Redlich in ihren Briefen 1896-1934”、ところどころ補足的にJ.RedlichのTagebuch(日記)の一部が挿入されています。本文だけで576ページ、Hoffmannなんぞ知らない名前が頻出するんですが、さすがに生の声、世紀末の風に関して、その臨場感は随一。つまりメジャーな研究所なら脇役程度の芸術家及びその周辺の人々が息づいているんです。

どうでもいいんですが表紙の写真、印刷が悪くて昼行灯みたいなのはいいとしても、H.Bahrがなんとも野性味のある面構えで、J.Redlichの写真と並べるとDr.ジキルとMr.ハイドみたいですなあ(笑)




2009.09.11 fri


Ewersときたらお次はGustav Meyrink・・・

このお二方を並べる理由はわかりませんけど・・・(^^;いずれもドイツ人というだけ?

似たような雰囲気の短編小説があるもんでね(笑)

Ewersの小説は所詮二流ジャーナリストまがいの物書きによるものなんですが(ただしその作品がHoffmannの好み出ないという意味ではないよ)、Gustav Meyrinkはさすがに作家である以前に神秘家としての顔を持つ、その作品にはたしかにそんな相貌がうかがえますね(くどいけど、この評価がそのままHoffmannの趣味というわけではないんだよ)。

たしかに、グロテスクな題材を扱ってもちょっとドライで精緻な描写が知的な印象をもたらしますね。Ewersだと狂気も情念的というか・・・

やはりMeyrinkも傑作はというと、ここにはお写真upしていない(笑)長編小説。その作品はオカルティズム、仏教や道教といった東洋思想との関わりも重要です。


たしかこのひとは晩年、大乗仏教に改宗しているんですよね



EwesとかMeyrinkって、ドイツではいまでも読まれているんでしょうか?

Ewersはあまり読まれてなさそうだけど、Meyrinkの短編はこのInsel Verlagが1986年に出した“Indien : Wunder und Wirklichkeit in deutschen Erzaehlungen de 20. Jahrhunderts”という短篇集に一作収録されているんだよ。収録されているほかの作家にはHermann Hesse、Arthur Schnitzler、Stefan Zweig、Klaus Mann、Heinrich Mannnなど、錚々たる名前が並んでいるところを見ると、少なくともMeyrinkは現代でも作家として高い評価を得ているんじゃないかな




2009.09.10 thurs


通俗、扇情的、低俗、下品、といったnegativeな形容がいかにも似合う作家なんですが、その小説にはどうにも捨てがたい魅力があるんですね。いや、通俗的で扇情的、低俗にして下品であるのに、耳に突き刺さるような絶叫、肌がひりひりするような不快な刺激が生々しく、その死の匂いと血のimage横溢する頽廃・倒錯趣味が悪魔的な魅惑を持ち得ているような気がするんですよ。

Hanns Heinz Ewersですね・・・って、なんだかもう形容詞というか修飾語だらけの文章ですね〜(^o^;

慣れないことはするもんじゃない、こういう気取った文章は嫌いダ(笑)




2009.09.09 wed



こんなスケッチでもわかります、夭折するひとはたしかにそんな顔をしているものです。

享年45歳を「夭折」というのは微妙ではありませんか? 私ならアロイジェス・ベルトラン(34歳)、トリスタン・コルビエール(30歳)、ジュール・ラフォルグ(27歳)といったところを思い浮かべますけど・・・

いい名前を並べたね〜(^o^*

日本人なら村山槐多(24歳)とか・・・

村山槐多の24歳というのは数え年だね、正確には22歳だ


あら、これはHoffmannさんのお好みとは違うと思いましたけど、よくご存知ですね(笑)

好みじゃないからといって無視して知らぬ存ぜぬというわけにもいかんよ(^^A;




2009.09.08 tues



この本、1987年に単行本で出たとき一読しているんですが、こんな稀代の奇書が文庫化されて、それがまたこともあろうに講談社学術文庫から刊行されたとは驚きです。あたしゃこの本、浮世離れした経済学者の戯れ言だと思っていましたよ。それがHoffmannの無知無教養のためかと思ってあらためて読んでみたんですが、いやはや、なんとも皮相で陳腐な論旨ですなあ。あえて言えば、着想と結論が最初にあって、その間の論述は強引にして底の浅い同工異曲の繰り返しにすぎないというもの。いっそ約めてエッセイにしちゃえばおもしろい読み物になったかもしれません。

まあ、経済学者に「浮世離れした」という形容を付けるのは屋上屋を架するみたいなもんだけどな( ̄- ̄)

「浮世離れ大王」がよく言いますよ〜(((;^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2009.09.07 mon



“The Water Babies”、周知のとおり、史上初とも言うべき長編児童(幻想)文学ですね。若いころ、当時つきあっていた女の子からプレゼントされた本なんですが、illustrationなどはさほど・・・(^^;それはともかくとしても、名作の誉れ高いこの作品、著者のいかにも「私は世の人々を啓蒙するためにこの物語を綴っているのです」と言わんばかりの抹香臭さが鼻につくんですな。文学作品としては着想も素材も捨てがたい魅力があるんですけどね。宗教心(信仰心)の強いひとはこれだからなー。




2009.09.06 sun



左の本は以前upしたことがありましたっけね

原書はドイツ語学習に最適な本ですね

右はというと、1910〜1928年に刊行された諸作品から選ばれた掌編集。いかにもその時代に書かれ、現代に伝えられている類の掌編集にありがちなタイプの作品が並んでいます。正直なところ、Peter Altenberg、Robert Walserなどと続けて読んでいると、ちょっと飽きてきちゃいます(笑)

Hoffmannさんはもともと大作好きですからね〜(^^*

なにか長編3作くらい読んだら、合間にこういった本から2、3編を読む・・・というペースだと愉しめる(笑)




2009.09.05 sat



このところ、「こんな本が出ていたの、ぜんぜん知りませんでした」とたびたび言っておりますが、これは出稼ぎにより古書店(街)においそれと赴くことができなくなったので、仕方がないから新刊書店に通っているため。棚をよくよく見れば、我が国の出版業界もそう捨てたもんでもない。いや、web通販も結構なんですが、やはり書店の棚から「獲物」を見つけ出すというのは愉しいものですなあ。


ひところは、もう日本語の本で読むに値するものなんかないよ、なんて言っていたんですが、だからといって買わず、読まず、というわけでもなかったんですけどね。お写真は出稼ぎに伴う引っ越しとその混乱(笑)によって、(おそらく)押し入れの奥から引っ張り出されてひさしぶりに日の目を見た本たち。

「怪談」が日の目を見るっておかしなハナシですね〜(^^;




2009.09.04 fri

女 「やっぱり、あなたは私のカラダだけが目的だったのね、ひどい人!」

男 「君は自分の女性性を欲望(まなざし)の客体としてしかとらえられないのかい? どうして男の側を欲望の主体という役割に固定化しようとするのか理解できないな。そんな性の役割分業は古典時代の残滓であると同時に、近代社会が陥った主体と客体、正統(正常)と倒錯、身体(肉体)と心(精神)といった二元論にすぎないよ。このフェミニズムの時代、いいかげん陳腐な二元論を超克して、男性原理への同一化は解体するべきではないのかな。そうでなければ男も女も互いに大いなる他者として、(たとえば肉体を)商品価値に還元することなく、本来の意味でそれ自体を抽象化して相対することなど、永久にできないよ」

女 「よくわかったわ、あなたの言うとおりね!」

男 「えっ? ( ̄□ ̄;」




2009.09.03 thurs

女 「あなたは私のカラダだけが目的だったのね、ひどい人!」

男 「いいかい、よく聞いてくれたまえ。近代以降の市場社会では、交換可能な身体的肉体的魅力が本来の情欲とは切り離されて、貨幣に従属させられ記号化されてしまっているじゃないか。だからといって『愛』というものに交換不可能な価値を求めるのは、向かうべき方向を誤った末の不毛な言説だよ。むしろいまこそそうした社会の制度の横暴に立ち向かうために、本来の情欲に従うことによって身体はそれ自体が流通することを―すなわち普遍的コミュニケーションを可能とすることを目指さなければならないんだよ」

女 「あなたの言うこと、わけがわからないわ!」




2009.09.02wed


図版豊富、テーマもおもしろそうなので買ってしまったが・・・シマッタ、Hoffmannはフランス語は読めないのであった・・・(笑)
なにが「であった」なんですか〜(;^o^)σ)~0~)/プニッ♪


扉ページだけup。内容については、機会があれば(理解可能な範囲で)取りあげるかもしれません。




2009.09.01 tues


右はコントラストを調整したもの。こちらの方が見栄えはいいのかもしれんが、個人的には左の低コントラストでやや眠い、軟調の画の方が好き。

さあ、今月もあれこれ読むぞぉ(笑)