monologue 2009.10

2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2009.10.29 thurs



しばらく休みます。




2009.10.28 wed



エセル・スマイス(1858〜1944)の歌劇「難船略奪者」のCDです。スマイスはイギリスの女流作曲家で、ヴィクトリア朝イギリスで家族の反対を押し切ってライプツィヒ音楽院に入学、その後ハインリヒ・ヘルツォーゲンベルクに師事して歌曲、管弦楽曲を発表後、オペラの作曲に手を染めたひと。

この「難船略奪者」は第三作目のオペラで、ライプツィヒでの初演は成功を収めたものの、第三幕に大幅なカットが施されたことに腹を立て、翌日は開演前にオーケストラピットのスコアを回収するという事件に発展。イギリスではビーチャムが初演してこれを絶賛、ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」はこの「難船略奪者」に想を得たのではないかとも言われています。

スマイスはその後も作曲を続けてさらに三作のオペラを発表するも、1910年には婦人参政権運動に身を投じ、なかでも急進派の運動家とともに活動して、過激なデモの末、一時は拘禁されたこともあったとか。歌劇が過激になっちゃったんですね。

「難船略奪者」のstoryは、イギリスの貧しい漁村でここの村人たちは灯台からわざと誤った信号を送って船を難破させ、その略奪行為によって生計を立てていたんですが、村の長老の若い妻サーザは彼女を慕う若い漁師マークと謀って村の掟を破り、船を難破から救います。これをマークを愛していた灯台守の娘エイヴィスが密告してふたりは死刑に。潮が満ちてくる洞窟に閉じこめられて、ふたりの愛と正義はその死によって成就される、というもの―。

なんだか、「さまよえるオランダ人」とか「アイーダ」などを連想させますなあ。ロマン主義の要素をあれこれ取り入れた、いろいろな意味で遅れてきたロマン派オペラといった印象です。音楽はWagnerの影響が濃厚、もっともWagner以降の作曲家にその影響を見いだせないことはまずない。ひじょうに親しみやすいものなんですが、その点が少々陳腐とも思えるのは、歴史に残る名作の数々を聴いてきた現代の聴き手としては仕方のないところ。storyを社会派ふうにしたところは、時代の行き詰まりを感じさせます。また作曲者の、主人公の女性への感情移入は明らか。自らの意志で正義を実行するという人物像に酔って、己を投影しているような「気取り」が感じられます。女流ってたいていこういうところがあって、ドロシー・L・セイヤーズとかアガサ・クリスティとか、ベッティーナ・フォン・アルニムとかボーヴォワール(これ最悪)とか、マルグリット・ユルスナールでさえも、程度の差こそあれ、みんなそう(このあたりで語っていることをご参考に)。

どうもHoffmannさんは女性に辛辣ですね〜(^^;

辛辣かなあ・・・本当のことを言ってるだけなんだけどね

女性というのは気に入った相手となると献身的に尽くすけど、それは相手のためではなくて自分のため。一度侮辱されると(侮辱されたと思い込むと)陰湿かつ陰険に、徹底して邪険な復讐をする。献身も復讐も、自分のためにしているという意識がなくて、万人のため、世のなかのためにやっているつもりになっているから、自分の敵が自分自身であることには気が付かない(笑)主義主張というものはいっさいなくて、すべては
きわめて情緒的な感情の吐露でしかない。やたら「社会」ということばを使うのも女性の特徴で、「社会」と女性が言うときは、それは世界のなにもかもが自分に奉仕して、自分を中心に回る世の中のこと・・・(ムガムガ)

もうそれくらいにしておいてください〜(^o^;;




2009.10.27 tues

以前upしたポータブルのDVDプレーヤーなんですけどね、RegionフリーでPAL盤も自動変換して鑑賞できるのはよかったんですが、ディスプレイのヒンジにクラックが入ってしました。さすがに安もん(笑)しかもこのメーカー倒産しちゃいましたよ。まあ、再生には差し支えないものの、わずかとはいえ画面が斜めに傾いているのはチト気になるところ。自宅に置いといて帰宅時に使っています。



というわけで、結局もう一台欲しくなって注文しちゃいました。もちろん別メーカーの、当然必然断然Regionフリー機。デザインは前の方が好みでしたが、まあこれも悪くはない。画質は新しいだけにこちらの方が上。



一部再生できないDVDもあるらしいんですが、Hoffmannがテストに使用した国内盤(NTSCのRegion2)、米盤(NTSCのRegion1)、それにPAL盤はすべて問題なく再生できました。

PCを含めると、DVD再生環境は3通り、そのいずれでもRegion1やPAL盤も視聴できるんですね

ついでに言うと、椅子に座っていても、座布団に座っていても、布団に寝転がっていても観られるという(笑)なかでもポータブル機は思い立ったときに気軽に使えるのがいいね(^^*




2009.10.26 mon



AKGのK1000について覚書。

AKGといえばオーストリアはウィーンに本拠を置くメーカー。K1000は1986年に発表されて以来、16年の長きにわたってフラッグシップモデルとして造り続けられたモデルです。こめかみ部分(やや後方)をパッドで支え、ユニットが耳を覆わないのが特徴ですね。つまりハウジングを持たず、開放感と自然な音場にメリットを聴くことができます。ユニットはスイベルによって60度まで角度を変え、ウイングのように広げることもできるんですが、あまり広げるともともとタイトな低域側がさらに薄くなってしまうので、Hoffmannはほぼ閉じた(耳に対して平行な)状態で聴いています。

ケーブルのコネクタは4pinのXLR端子、これを専用アンプに接続する。専用アンプを使用しない場合、変換ケーブルをかませてアンプのスピーカー端子に接続できるんですが、能率が悪いので並のアンプでは鳴らしきれません。逆に言うと、ふつうのヘッドホンジャックでは到底鳴らせないということ。

専用アンプはクラスA動作で、上面及び側面がヒートシンクとなっており、しばらく聴いていると結構熱くなります。入力端子は2番ホットのXLRで、アンバランス出力から接続する場合は変換ケーブル(一方がRCAプラグ)をオプションで用意しているとのことでしたが、Hoffmannが購入したときはこれがオマケに(?)付いてきた。電源ユニットは本体から分離されており、電源電圧は115V。日本ではトランスが付属して売られていました(もちろん正規品)。このあたりも音質に寄与しているのかも。

専用アンプを通して聴くK1000は、品位が高く、とにかくクリア。能率が低いこともあってSN比も高いため、微細な響きも再現して、ためにホールの空間表現も並のスピーカーを凌駕。分解能にもすぐれており、曖昧さのない精緻にしてハイスピードな音質、それでいて、これを強いて意識させない自然な響きがじつに見事です。

なお、AKGは「アーカーゲー」と読みます。AKGのヘッドホンを愛用しているひとに呼びかけて「赤毛連盟」を結成したい。

(続きはまた気が向いたらそのうちに・・・)





2009.10.25 sun



左手がエッチ(笑)

リストのハンガリー狂詩曲。ボスコフスキー指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のEMI盤です。ボスコフスキーというひとは、ウィーン・フィルのコンサートマスター時代の録音でソロなんか奏いているのを聴くと、いかにもウィーン調で少々甘すぎるんじゃないかと思ったりするんですが、指揮者としての演奏はどれも優秀ですね。のびのびとオーケストラを鳴らしていて、それでいて細部の表情付けも入念、なにより気品があります。


* * * * * * * * *

iPodなど持っているわけでもなく、外出時にポータブル環境を必要とする習慣もないのに、なぜいまに至ってイヤホンなど導入したのかというと、このところヘッドホンに興味を持ちはじめたからなんですよ。他人様の意見に耳を貸さず左右されず、ヒトマネの嫌いなHoffmannのことですから、そのきっかけは自らの内より出でたる自家中毒症状の如きもの。monologue 2009.04.17 friがそもそもコトの起こり、以下に再録―。

---ここから---


これまで、ヘッドホンでなければ音楽を聴くことができないような環境に置かれたことはないんですが、それでもひとつだけ持っているのがこちら―。

AKGのK1000ですね。こめかみの部分でパッドを支持する、ユニットが耳から離れて浮いた状態になるヘッドホンですね

あまり使ってなかったんだけど、今回の出稼ぎに際して一応持ってきたんだよ

音質は最高。とにかく細部に至るまで明晰で、しかし自然。凡百のスピーカーを足もとにも寄せ付けぬ、高い次元でのバランスのよさ。問題はかけ心地の悪さを指摘するひとが多いこと。西洋人(?)サイズなので顔幅の広い日本人にはやや窮屈であるため、パッドのあたるところが痛くなってくるという声をよく聞きます・・・が、Hoffmannは鈍感なんでしょうか、その点が気になったことはありません。顔幅は平均的な日本人並みだと思うんですけどね。強いて欠点をあげるとすれば、開放感と自然な音場については、ヘッドホンとしては出色の出来なれど、やはりSPの開放感には一歩譲ること、さらにケーブルが邪魔といえばジャマ。もっともこれはヘッドホンの宿命で仕方がない。

左は専用アンプのK1000Amplifier。右のヘッドホンのみでも、変換ケーブルをかませてアンプのSP端子に接続することはできるようになっています。ヘッドホンだけならたしかつい最近までお手頃価格で販売されていたんじゃなかったかな。「お手頃価格」というのは、Hoffmannがかつてこれを購入したときのお値段の半額くらいだったから。いつの間にやら猛烈な値下げをしたんですなあ。でもね、負け惜しみで言うわけじゃないんですが、専用アンプを通した音こそがこのK1000の音なんですね。大きなお世話だろうとは思いますが、アンプも入手するのでなければ(入手できないのであれば)、わざわざこのヘッドホンを買うこともないんじゃないかと思います。
---ここまで---


ここで言っているとおり、あまり使ってはいなかったんですが、このとき以来よく聴くようになったんですよ。その後某shopで聞いたところによると、K1000は16年間ほどカタログに生きていて、「お手頃価格」となったのは最後の頃、というか、値下げしたと思ったらすぐにカタログから消え、shopからも姿を消した、本体はともかく、専用アンプがいまとなっては入手困難・・・なんですと。

ビンボーなHoffmannは、Leicaのカメラを買ったときも「これさえあればほかのカメラはいらない」、「Leicaがあればなんでも撮れる」なんて言い訳考えて清水の舞台からバンジージャンプしてるわけ(笑)このK1000を入手したときも、「これさえあればほかのヘッドホンはいらないよな」と思って財布をはたいたんですよ。以来○○年、たしかにほかのヘッドホンには見向きもしなかった・・・それなのに、なんでここにきてヘッドホンのカタログなんぞ集めだしたものなのか(^o^A;



なんか、新しい世界に目覚めちゃったというか(^^;

新しい世界って、まさか先日ドヴォルザークの「新世界から」のLPをupしたのはそこからの連想だったんですか?

そう、深慮遠謀つーか深謀遠慮つーのか、そこまで考えて・・・

ホントですか〜後からこじつけてるんじゃないんですか〜(((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2009.10.24 sat



好きな演奏家だから、という理由だけでdiscを購入しないようにはしているんですが・・・「蝶々夫人」なんて聴きゃしないのに、ケンペがコヴェントガーデンで振った、当時たいへん評判のよかった上演の記録だそうで、結局入手して・・・やっぱり聴かない(^^;

* * * * * * * * *

小銭入れが見あたらない。どこかで落としたのか、家か職場のどこかにまぎれ込んでいるのか、わかりません。なかには1,000円も入っていなかったはずなんですけどね・・・にしても、失せものというのは残念無念。とはいえ、くよくよしていても仕方がないのでスカッと忘れて、いずれによ新しいものが必要ですな。しかし、些少とはいえ現金をなくして新たな買い物をしなければならんというのは不愉快不可解。なにか代わりになるものはないかしらんと思ったら、ありました。



板バネ式で両端を押すとパコンと口が大きく開き、小銭も取り出しやすいのでうってつけです。



じつはこれ、ドイツはヘッドホンやマイクロフォンメーカーとして有名なSennheiserの、イヤホンを買ったときに付いてきたケース。ポータブル用途で入手したわけではないので、ぜんぜん使わないままほったらかしてあったんですよ。

ちなみにこのイヤホンはCX-400II、カナル型でケーブル長1.2m、長さが左右対称というのもHoffmannの好み。途中にヴォリュームコントロールがあり、これがために音質がよくない(だろう)と、マニアには敬遠されがちなモデル。しかしブラインドでわかる自信もなく、また音質を追求するのならイヤホンなど使わないし、Hoffmannは「便利」をとって、いまや数少ないヴォリュームコントロール付のモデルを入手したんですよ。音質は、比較できるほどイヤホンを持っていないので、とくに不満はないとだけコメントしておきます。たまたまポータブルのCD0プレーヤー、DVDプレーヤーの付属品であるイヤホンがあって、これは「所詮オマケ」と使ったこともなかった試みに聴いてみたところチャラチャラと安っぽい音。さすがにSennheiserは品位が高く、彫りも深い。ただし気に入らないのは、ケーブルのタッチノイズが盛大であること。なんかもう、ちょっと動いて衣服に擦れただけでガサゴソとにぎやか&鬱陶しい。

あと、これは好みの問題でもあるんですが、イヤホンって、カナル型とインナーイヤー(オープンイヤーと言うのかな?)、耳かけタイプとあるじゃないですか。Hoffmannの場合、ポータブル用途ではなく、音漏れや遮音性を気遣う必要のないこともあり、装着感ならインナーイヤー型が好ましいかなあ。耳かけ型はユニットも大きめで音質上有利であるうえ、開放感にすぐれているものの、付けたり外したりがひと手間かかるのがちょっとストレス。カナル型はというと、なんだか耳ンなかに違和感があるというか、異物感が気になるんですよね。女に生まれなくてヨカッタ(笑)

(2009.10.26 追記)
小銭入れ出てきた。家のなかにあった。中身は313円(^^;




2009.10.23 fri


左はケンペ指揮ベルリン・フィルのチャイコフスキー交響曲第5番の英盤、右はメニューインほかによるブラームスの弦楽六重奏曲の国内盤LP。いずれかの写真が裏焼きですが、こういうのって「うっかり」ではなくて、レイアウト上、あえてやっていることなんでしょうね。

* * * * * * * * *

Hoffmann家ではときどきスピーカーを入れ替えるので、そのたびにスピーカーケーブルをスピーカーのターミナルに接続し直すのはチト面倒。幸いなことにふた組のスピーカーともバナナプラグ対応なので、ケーブルの末端には市販のバナナプラグを付けています。これなら抜いたり挿したりするだけです。そんなにお高いものでなくてもまあまあ太めのケーブルにも対応しているし、むしろスピーカーターミナルにねじで固定するより確実です・・・というのは、バナナプラグというのはバネで接触しているわけですから、緩むということがない、これ重要。

しかしそもそもこのバナナプラグにケーブルを固定するのがねじ止め式ですから、多少とはいえいつの間にか緩んでしまう。ときどきスピーカーの裏側に両手を伸ばしてぎゅっとやっているんですけどね。ところが先日某家電量販店をのぞいたら、バネでケーブルを固定できるバナナプラグが売られていました。接続が簡単なうえに、これなら緩むということがない。バネでケーブルを固定するといえば、いまでも安価な小型機や、ちょっと前までは中級機くらいまでのスピーカーのターミナルに、よくワンタッチ式のものが採用されていましたね。あれ、あまり太いケーブルはそのままだとつなげられないもんですから、なんとなく安っぽい印象を持っているひとが多いんですが、じつはあれがいちばん確実なんだなあと、そのバナナプラグを見て、いまさらながらに思い至った秋の夕暮れ―。




2009.10.22 thurs


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」のLPレコードですよ。左から若きリッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。いやあ、同じ作品でもジャケットのデザインはいろいろですなあ。

* * * * * * * * *

さて、本日はaudio関連のお話―
ひと月ほど前にスピーカーケーブルを交換しました。現在の「出稼ぎ先」に転居して以来、初めての交換です。と言っても、ビンボーでケチンボなHoffmannのこと、新しいケーブルを買ってきたわけではなくて、もともと持っていたものを引っ張り出してつなぎ換えてみただけなんですけどね。

この4月から使っていたのはいつぞやupした30m巻きの国産品、これ自宅で必要な分だけ使った後の余りを、現在の住まいで4本にチョン切ってみたところ(いわゆるバイワイヤリングなので片チャンネル2本)、ちょうどよい長さだったんですよ。で、このところスピーカーの位置(間隔と背面の距離)も内振り角度もいいところが見えてきたので、ちょいといじってみたくなったわけ。

スピーカーケーブルをいろいろとっかえひっかえしてみるという趣味はないんですが、長い間には機器そのものに変更があって1本のスピーカーに2本のケーブルが必要になったり、セッティングが変わって長さが足りなくなったり、あるいは長すぎてとぐろを巻いてしまうこともあり・・・そういうときにはいつかまたこの長さが必要になるかもしれないしと思って、手持ちのケーブルを切りつめたりしないで適当なもの(つまり安いもの・笑)を選んで必要充分な長さだけ買ってきちゃう。その結果、いつの間にやら何種類かのケーブルが手許にストックされてしまうこととなったというわけです。

まず取り出したのは、一本一本の導線が銀コートされているもの。いやあ、導線って酸化すると色が変わっちゃうじゃないですか、とりわけ銀の変色ぶりはすさまじい。むき出しになった両端のみならず、透明なシースにくるまれた内部もすっかり茶色くなっておりますなあ。じつは知り合いのshop店員が同じケーブルを使っていましてね、彼が言うことにゃ「ウチのもすっかり劣化して」いるんですと。この変色を「劣化」と呼び、端末をむき直してみたり、新しいケーブルを買ってきたりするのがおそらくは正しきオーディオマニアというもんでしょう。Hoffmannはといえば、「おお、だいぶエージングが進んだじゃないか」という脳天気。だってまさしくエージングでしょ。なんなら「ほほぉ、いい感じにこなれてきたわい」と言い直したっていいんですよ(笑)

で、とにかくケーブルを交換してみたところ、当初はちょっと響き成分が増えたかな、と思ったんですが、CD1枚聴き終える頃には、響きが増えたんじゃない、楽器の音そのものが引っ込んだんだと気が付いた。芯がないというか、実在感・立体感が後退している。ここでケーブルを元に戻さず、同じ銀コート線のさらに長芋の・・・じゃなくて長いものを引っ張り出して交換。これは以前自宅でアンプとスピーカーの距離が離れたときに長さが足りなくなって導入したもの。まっとうなオーディオマニアなら、これは聴くまでもなく同じケーブルであれば短い方がいいに決まっていると考えるでしょうな。しかし、結果はといえばなぜか長い方がいい。なんだかピントが合ってきたというか、楽器の出す音がシャープになったかのよう。どうも、どんなケーブル(あるいはケーブルとスピーカーの組合わせ)にもちょうど按配のよろしい長さというものがあるような気がするんですよね。だからHoffmannには最短距離礼賛への思いはない。ただしこれはHoffmannのきわめて感覚的な印象なので信用しちゃいけません。自分のことは自分で決めるように。

次に、これはかなり以前使っていた別メーカーのケーブルに交換してみました。これも当時長さが足りなくなって引退・・・もとい、休眠を余儀なくされていたものなんですが、現在の家ではこのケーブルでも余裕あり、ということで引っ張り出されることに。これは極細線が多数束ねられ5〜6mmのセパレーター付きの並行ケーブル、このタイプは経験的におっとりゆったり刺激感のない音を出すはずと予測。末端はチト黒ずんでいますがむき直しなどせず、接点復活材も使わず(というか、いま見あたらない・笑)、出てきた音は予想どおり。高域には繊細感があって刺激成分皆無、やや軟調ながら全体としては響きとその芯の調和がよろしく、高低のバランスも良好。全体に厚みも増しました。ついでに透明のシースに透けて見える導線は銅線で、フローリングの床の色とも同系色故見た目も結構。当面、これでいってみましょう。





2009.10.21 wed



ルイス・ブニュエル監督、ジャンヌ・モロー主演の「小間使の日記」Le Journal D'une Femme De Chambre(1964年仏)です。Hoffmannの手許にあるのはRegion1の米盤なんですが、これまた最近国内盤が出たみたいですね。



Hoffmannはジャンヌ・モローは好きなんですが、この映画自体は女優や俳優の演技が強く印象に残るものではありませんね。


靴fetishismの老人や、襲われて殺害された少女の死体の脚に這うカタツムリ・・・こうしたfetishな道具立てを卓越したカメラワークが強調しすぎるくらい強調して、その他の要素を脇へ遠ざけてしまってもいます。



一般的にはブルジョワ批判と言われる映画ですが、その視点であるセレスティーヌがパリという都会育ちであるというのがなんとも・・・その彼女も最後はブルジョワの世界に取り込まれてしまうんですけどね。



犯人はジョゼフなのか・・・といったミステリ的な関心で観ているひとをあえて突き放し、左翼運動家ジョゼフが最後にはファシズムに歓声をあげるというシーンで締めくくります。

あらゆる要素を放り込んで、やや未消化な印象もありますね

この映画について語るならもっと焦点を絞った方がいいみたいだね





2009.10.20 tues



うってかわってこちらはケン・ラッセルの「ヴァレンティノ」Valentino(1977年英・米)です。Hoffmannが観たのはRegion1の米盤、最近字幕付の国内盤も出たようですね。



サイレント時代のハリウッドで絶大な人気を誇り、31歳で早世した映画スター、ルドルフ・ヴァレンティノの葬儀ではじまるこの映画は、彼に関わった女性たちの回想によって、その数奇な生涯を描いたものです。ヴァレンティノ役はルドルフ・ヌレエフ。


上のシーン、跳躍しているのは若きニジンスキーという設定です。



まあ、この監督のことですから虚々実々、相当脚色しているんですけどね。しかし、「マーラー」(マーラー)にしても「恋人たちの曲・悲愴」(チャイコフスキー)にしても、ケン・ラッセルが「料理」すると、むしろ脚色した部分こそが「詩的真実」のように思えてしまうから、この人の映画は見逃せません。

右のシーンは世紀末趣味てんこ盛りですね(笑)



キャプチャ画像は少なめですが、ケン・ラッセルの才気、その悪趣味すれすれの映像はこの映画でも変わりなく、さすがですね




2009.10.19 mon



4人の監督によるオムニバス・ホラー映画、「デス・ルーム」Death Room(2006年日・米)でございますよ。ハリウッドのホラー映画のセットに閉じこめられてしまった男女が、それぞれ奇怪な体験を語るという枠組み。

劇場未公開、というか、そもそもvideo(DVD)用に制作されたんでしょうな。イマドキのおバカホラー。本来ならHoffmannの関心を引くには遠い位置にある映画なんですが・・・。



第一話がケン・ラッセル監督作品でしたのでね、これは観なけりゃならない。storyは豊胸手術でスターの座に上り詰めようとする女優を襲う恐怖・・・なんて言うと格調高そうに聞こえるかも知れませんが、平たく言うと、吸血おっぱいのオハナシ。右のシーン、中央は監督自身が演じている変態医師。まったく、このひたぁ、タダものじゃありませんな。しかし、なんか鼻歌まじりに仕上げたといった印象ですね。


第二話はショーン・S・カニンガム監督による、日本を舞台にしたもの。日本旅行中の夫婦、その妻に近づく男の正体は・・・って、それが自殺してゾンビと化し、奥さんにそのゾンビが夜這いをかけるという支離滅裂なオハナシ。



杉本彩が婦人警官役で出演しているんですが、イロっぽいシーンはなし。ま、もともと演技のできるひとじゃありませんからねえ。ちなみにこの坊さん、「奥さんを救いたければこのお札を飲ませなさい」と言うんですが、「おまえがやれよ、このクソ坊主」とか思ったのは私だけではありすますい、もとい、ありますまい。


しかしなんで肝心なところでいきなりアニメになるかね〜おまけに触手の先っちょがペ○スだし。B級映画というよりも、安手のエロマンガだよね、こりゃ。


第三話はモンテ・ヘルマン監督の、友達の彼女とやっちゃったら、その正体は吸血鬼・・・って、それだけです。退屈。



トリを務めるのはジョン・ゲイタ監督。母親がポンポンが痛くなったんで医者に行ったら、腸にサナダムシがいるが妊娠しているので虫下しは使えない、赤ん坊とともに寄生虫も成長させるしかないと言われて、よって母親の胎内でサナダムシとともに十月十日を過ごした、すなわちサナダムシと双子の姉妹であるという女の話。


子役の女の子はなかなかかわいいですね。



虫大好きなダリオ・アルジェントとはまた違った、そのグロテスクが生理的にイタイ映像を期待したんですが、期待したアタシが莫迦だった・・・つーか裏切られた
。とにかくstory展開はテンポが悪く意外性もなく、つまらなすぎます。



枠もダメ。まるでとってつけたよう。

「ネクロノミカン 禁断の異端書」(1993年)Necronomiconもそうだったんですが、近頃の「ホラー映画」、とくにオムニバスものって、劇場公開よりもDVDなどのメディア販売が前提なのか、どことなく大画面で鑑賞されることを期待していない(意識していない)みたいですね。いきおい、映画ならではの驚きがない。とにかくチープで陳腐。どれほど予算をかけたか知りませんが、安造りのTVドラマ並みです

オムニバス形式の恐怖映画といえばHammerに対抗したAmicusを思い出すね。あれだってB級なんだけど、せめてAmicusを、と言いたいね



さて、4人の監督のインタビュー映像です。ここでケン・ラッセルは制作費に惹かれたなんて言っておるんですが、才能の浪費じゃないのか。このインタビューにおけるケン・ラッセルのご機嫌ぶりのほうがよほど見応えがある?(笑)


左からショーン・S・カニンガム、モンテ・ヘルマン、ジョン・ゲイタ。面倒くさそうにしゃべるひと、なぜか終始エヘラエヘラしてるひと・・・それぞれに個性的ですね。




2009.10.18 sun



ちょいとひと休み。




2009.10.17 sat



なんだか、このところパゾリーニ監督作品のDVDが続々と出てきましたね。未だ廃盤になったままのものもあり、そのあたりも再発して欲しいところです。



パゾリーニって、もともとは詩人・小説家だったんですよね




2009.10.16 fri



これはmonologue 2008.02.27 wedにupした写真―Eduardo Toldra指揮フランス国立放送局管弦楽団、Consuelo Rubioのソロによるmono録音の仏Columbia盤。ジャケットはピカソによるコスチューム・デザインをあしらった、Cassandre工房謹製のデザインですね。



とうわけで、「ピカソとダンス」というDVD、パリ・オペラ座バレエの「青列車」と「三角帽子」です。1993年の公演のlive収録。ジャン・コクトーの台本、ダリウス・ミヨーの音楽による「青列車」に関しては、ドロップ・カーテンの原画がピカソによるというもの。一方のファリャの音楽による「三角帽子」は衣装と装置もピカソが担当したものですね。ただしこの公演でピカソのデザインが100%再現されているわけではなさそう。しかしこのDVDの「ピカソとダンス」というタイトルはどうかと・・・ダンスとバレエってのはまったくの別ものでは?


Hoffmannはこのファリャの音楽が大好きで、ときどき聴きたくなります。monologue 2008.02.27 wedでも言ったことですが、ゴミなんて不潔な名前の低俗な物書きが、この音楽についていかにもバカにしたようなことを書いていましたけどね。あの、音楽もaudioも度し難いほどのsentimentalismでしか語ることのできない前世紀の遺物みたいな「センセイ」には、いまも相変わらず「信者」がたくさんいるようですね。Hoffmannはそういったひとたちに音楽のわからないやつだと思われてもかまいませんよ。しかし、すくなくともスノブではない。


Hoffmannは「三角帽子」のバレエを観るのははじめてなんですが、この映像はたしかLDでも出ていましたね。



粉屋の妻を演じているフランソワーズ・ルグレがちょっと小柄で可愛らしい(^^*



残念ながらデイヴィッド・コールマン指揮のコンセール・ラムルー管弦楽団はまるで覇気のない演奏です。discになっているどんな演奏もこれよりは数段ましですね。ちなみにこうしてキャプチャ画像を並べてみてもメリハリに欠けるのは、終始カメラがやや引き気味だから。いや、鑑賞する分にはむしろ好ましいんですけどね。

大画面で観た方がよさそうですね



「青列車」、「三角帽子」のいずれもドキュメンタリ−(イントロダクション)付きです。




2009.10.15 thurs

本日は仏INAから出たLP、フランスのオペラとござい―。


めずらしい、イベールのオペラ。「イヴトの王様」と「ペルセウスとアンドロメダ」。



イベールとオネゲルの合作・・・これは「鷲の子」。


大御所オッフェンバックの「ため息の橋」と「青ひげ」前者はドニゼッティの「ランメルモールのルチア」の狂乱の場のパロディが楽しく、後者に至っては少なくとも台本は「地獄のオルフェ」などよりもよほど出来がいいのでは?

さらに続けて仏Patheから出たルイ・ヴァルネー、ロベール・プランケット、ルイ・ガンヌ、エルヴェ(フロリモン・ロンジェ)といったあたりのオペラ・オペレッタのLP(メスプレ大活躍!)を並べたいところなんですが、今回あまりじっくり聴く時間もなかったので股の機械・・・じゃなくてまたの機会に。




2009.10.14 wed



やっぱりオペラを聴いているのがいちばん好きなHoffmannです。これはシベリウスの「塔の乙女」、率直に言えば音楽的にはさほどのものでもないんですが、それでも愉しい。



これはディーリアスの「イルメリン」。
前奏曲ばかりが有名ですね。



ブゾーニの「ファウスト」、F=Dが主演でライトナーが指揮したDGG盤。再発盤はめずらしくもないんですが、これはオリジナル盤かなあ・・・きっとぜんぜん売れなかったんでしょうね、「こんなお値段でいいの?」というようなバーゲン品扱いされていたものを保護(笑)




2009.10.13 tues



ひさしぶりにシャルル・ミュンシュのレコードなど・・・ジャン=ルイ・バローが参加したオネゲルです。ミュンシュの録音ではこれがいちばん好き。


ボストン交響楽団との録音は、数日前にトスカニーニ、NBC交響楽団の録音に対して述べた印象と同じく、「どこか省エネというか徹底してドライな合理主義が窮屈に思えて」あまり好きではありません・・・というか一部例外を除いて、もうまったく聴きません。比較的評判のいい、晩年のパリ管弦楽団とのEMI録音はアンサンブルがやや荒いのがかえって、ハートを感じさせるようなところがありますね。もっとも、幻想交響曲などは終楽章に至ってオーケストラが息切れ(録り直さないところが大雑把というか、のどかでいいですなあ)ブラームスはなんとか持ちこたえています(笑)



このあたりになると、古い盤には音質の良さというメリットがたしかにありますね。もっともこれだけ有名なレコードとなると、その気になれば入手は容易なはず。

私はこの指揮者はちょっと・・・(^^;しっとり聴かせるような音楽がおざなりなんですよね

てんでダメなんだよね(笑)たとえばブラームスの第2、第3楽章とか幻想交響曲の第3楽章なんてしょうがないから演奏しているみたいに聴こえる。だからアンサンブルは少々悪くても、名人級の奏者が在籍していたパリ管弦楽団だと、ソロなどそれなりに愉しめると思うんだけどね




2009.10.12 mon

思いつくままにあれこれ聴いてみましたよ。


カナダのバリトン歌手、ブルーノ・ラプラントによるフランス歌曲集、左はエリック・サティ、右はオッフェンバック。


サティのピアノ作品全集、オッフェンバックのオペレッタと・・・このイラスト、このふたりの内面をいっそうよくあらわれているようですね。



こちらストラヴィンスキー自作自演の「オイディプス王」。ストラヴィンスキーて、自作を指揮するとき、終始スコアに視線を落としたままだったそうですね。



ショスタコーヴィチの交響曲第5番は優秀録音のベルグルンド盤で。


続いてマーラーの交響曲第9番、クーベリック盤。さらにコープランド、その作品を指揮しているバーンスタインの自作自演・・・。


えーと・・・どういった流れというか、連想なんでしょうか?

えっ・・・いやあ(笑)ジャケットがメガネ画像のレコードを引っ張り出して聴いていただけだよ(^o^*

ドテ(/_ _)/




2009.10.11 sun


新春早々新進シャンソン歌手による新春新進シャンソンショー・・・ヽ(^o^*

しんしゅんショウショウしゅんしゅんシャンションカスによるシンシュウしゅんしゅんシャンションショーヾ(・∇・;;




2009.10.10 sat


Wagnerの序曲・前奏曲集、晩年のカール・ベームがウィーン・フィルを指揮したDGG盤LPです。もはや衰えは隠せず、生気のない、オーケストラが勝手に奏いているような、指揮者の意思のほとんど感じられない演奏です・・・が、これに続けてボールトやテンシュテットのレコードを聴いてみると、いずれも演奏は充実していながら、コンサートホールでの演奏としか聴こえない。ベームの場合は、このままオペラハウスで演奏しても違和感のないあたりがひと味違うところ(録音のせいもあるかも)。

この2枚のLPジャケット、いずれも比較的有名なWagnerの肖像画ですね。左はカール・トゥルッペ、右はフランツ・フォン・レンバッハによるもの。Wagner自身はあまり画家を好んでいなかったようで、このレンバッハの筆になる肖像など、気に入っていなかったみたいですね。


左はフィッシャー=ディースカウのWagnerアリア(?)集。F=Dを好まないHoffmannですが、これは例外的にときどき聴きたくなるレコードです。伴奏のクーベリック、バイエルン放送交響楽団が好みだからばかりでなく、このdiscでは、F=Dの小賢しいばかりのあざとさがやや影を潜めて、とくに「ヴォータンの告別」などは内容のあるいい歌になっています。

中央はハンス・ホッターとビルギット・ニルソンのWagner作品から二重唱。指揮のレオポルド・ルートヴィヒは交通整理以上の主張はないものの、大歌手の共演はさすが。二重唱たっぷりですから、「ヴォータンの告別」だけ聴くよりも、気分が「乗れる」んですね。

右はテオ・アダム、スウィートナー、ベルリン国立歌劇場管弦楽団によるWagnerからの名場面集(アリア集よりこう呼べばいいのか)。「アムフォルタスの嘆き」が感動的なんですが、終わりのところでオーケストラが適当にまとめて終止形としてしまうのが興を削ぐのは残念。


これはビルギット・ニルソン、ヘルゲ・ブリリオートによる「パルジファル」第二幕と「ワルキューレ」第一幕から。前者ではクリングゾル役のノーマン・ベイリーもひと声だけ参加。指揮がレイフ・セーゲルスタム、コヴェントガーデンのオーケストラ。さすがにセーゲルスタムも若い(笑)ブリリオートはヘルデン・テナーの人材不足時代を代表するような歌手ですが、録音で聴く限りはそんなに弱いというほどでもなし。ただしニルソンの前ではスケールが小さく感じられてしまうのもやむを得ず。

なお、右は数年前に出た2枚組CD。上記セーゲルスタムとの録音と、コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団とのヴェーゼンドンク・リーダー、ベームとのバイロイト録音、「ワルキュ−レ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」、「トリスタンとイゾルデ」からの一部を収録。なんかもう、ごたまぜです(^^;


まあ、Wagner歌手となると、少々音程などが雑でも、往年の大歌手の魅力には格別のものがありますなあ。




2009.10.09 fri

ブラームスの次にはシューベルトが聴きたくなって―。



クラシックのdiscではおなじみのカスパル・ダーフィト・フリードリヒによる絵です。左は典型的な「見下ろし」タイプの風景画、ゲーテの詩に基づく「虹のある山岳風景」。描かれている人間はひとり、それもたいては後ろ姿。その静謐な画面が、いわば内省的な心象風景であることを印象付けられますね。

右は「窓辺の女性」、これは画家の妻カロリーネがモデルですね。窓の外には川が流れていて、船のマストがやや右に、妻はやや左に傾いて、静的な雰囲気のなかに強烈な内的緊張を与えています。

とにかく古楽からロマン派の音楽まで、幅広くそのdiscを飾っているフリードリヒですが、いろいろな意味で、シューベルトの音楽にはとりわけふさわしいような気がしますね



これなんかそうですよねヽ(^^*

ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるシューベルト交響曲全集のBrilliant盤だね

(おまけ)

ブラームスに戻っちゃうけど、そのムーティのシューベルトの1枚めと同じ絵、「リューゲン島の白亜岩」だよ。左にいるのがたしか新婚当時のカロリーネじゃなかったかな

この「部分」だとわかりにくいんですが、樹木の緑がアーチとなっていて、Hoffmannさん好みの「額縁」画面になっていますね。カロリーネが右方向に、中央の男性―これは旅行に同行した画家の弟さんでしたね―が下方に視線を注いでいる、このふたりがいずれも驚きの表情であるのに対して、右側の画家自身は遠方に視線を向けていて、静かに思索している情景ですね

視線の拡散と、アーチによる画面中央への集中というふたつの力が、ダイナミズムと緊張感を醸しているね

それにしてもこのレコード、さりげなーく、Hoffmannさんがいちばんご贔屓のピアニストが登場ですね(^^*




2009.10.08 thurs

ちょっとブラームスの交響曲が聴きたくなって、あえて普段あまり聴かないレコードを引っ張り出してみましたよ。



ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団によるlive録音を集めた交響曲全集。1番と2番が1967年、3番が1969年、4番が1973年の録音。ほかに大学祝典序曲(1970年)、ハイドン変奏曲(1962年)、運命の歌(1973年)を収録。

北ドイツ放送交響楽団というと、いかにもブラームスにふさわしそうなimageがありますが、ギュンター・ヴァント、フルトヴェングラー(1番)以外にはあまりdiscが見あたらないんですね。少々地味ながら、このシュミット=イッセルシュテット盤など「ブラームスらしさ」では最右翼?




ちなみに同じ指揮者とオーケストラによる第4番のレコードがVoxからも出ていて、おそらくこちらはずっと古い録音かと思うんですが、演奏はほとんど同じ。



うってかわってinternational(?)なブラームスのレコード。これはトスカニーニが1952年、フィルハーモニア管弦楽団に客演しての、ロイヤル・アルバート・ホールにおけるlive録音。ハイドン変奏曲と悲劇的序曲も収録。

LPの時代から、さまざまなレーベルでたびたび出ていた録音ですが、なかには冒頭の音が切れているような盤もあり。これは比較的後期の伊FONIT CETRA盤で音質良好。トスカニーニのNBC交響楽団との録音は、どこか省エネというか徹底してドライな合理主義が窮屈に思えてあまり好きではないんですが、これはその意味ではトスカニーニとしては特異な録音で、むせかえるようなロマンティスムが濃厚。



ついでにこれも―同じく伊FONIT CETRA盤でトスカニーニ、NBC交響楽団によるWagner管弦楽曲集、1952年から1954年のlive録音。

NBC交響楽団との録音はあまり好きではないとはいうものの(これはWagnerだから入手)、live録音だとまた異なった相貌を見せるんですよね。



もっとも、以前かなり年配の方から、「(トスカニーニというとNBC交響楽団との演奏が有名だが)ニューヨーク・フィルハーモニックを振ったときのトスカニーニはこんなものではなかった」という意味の発言を聞いたことがあります。そんな話を思い出しながら、1937年Bayreuthにおける「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のLPを聴いて、壮年期のトスカニーニの音楽を想像してみるのも一興。

この「マイスタージンガー」についてはこちらのページにもコメントがありますね




2009.10.07 wed


いわゆる米ワルター協会盤。左はBayreuthにおける「パルジファル」の断片、カール・ムック(1931年)、R.シュトラウス(1933年)、フルトヴェングラー(1937年)の指揮によるもの。中央はフリッツ・ライナー指揮の「ワルキューレ」第二幕、ただし残念ながらジークムント殺害後まで。アナウンスが入って終了するのでおそらくラジオ放送が音源。メルヒオールのジークムント、フラグスタートのブリュンヒルデ、ショルのヴォータンと歌手が豪華。1936年の録音でオーケストラ(歌劇場)の表記はないんですが、おそらくコヴェントガーデンでしょう。右は1937年6月1日コヴェントガーデンにおける「神々の黄昏」の一部で2枚組。フルトヴェングラーの指揮、フラグスタート、メルヒオール、トルボルイほか。

1936年頃だと、ナチスに反発したメルヒオールやフラグスタートはBayreuthには出演していませんから、貴重な録音ですね

逆に言うと、おかげでコヴェントガーデンやメトロポリタン歌劇場が黄金時代を迎えたとも言えるんだよね


で、上記の2枚めに誘発されて、変則的「ワルキューレ」鑑賞(笑)第一幕がブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルでロッテ・レーマン、メルヒオール、リストによる1935年の録音。第二幕は上記ライナー盤。第三幕を1951年8月12日のBayreuth録音で。指揮はカラヤン、ブリュンヒルデはヴァルナイ、ジークリンデがリザネク、ヴォータンがジーグルト・ビョルリング。ただし一部録音ミスがあって、Deccaの好意により8月1日のクナッパーツブッシュ指揮による録音の一部を借用しているとのこと。



これは独Orfeoの“Prinzregenten-Theater Muenchen”という2枚組。このセットの1枚めが1947年のバイエルン国立歌劇場の「ワルキューレ」第一幕。指揮はショルティ、歌手はマリアンネ・シェヒ、フランツ・フェルカーほか。じつは第一幕もlive録音で・・・と思い、はじめこちらに針を降ろしたんですが、演奏も歌手も冴えず、古いワルター盤を引っ張り出した次第。




2009.10.06 tues



“musical merry-go-round”と題されたレコードです。中古shopでときどき見かけるんですが、だぁーれもこんなの欲しがらないせいか、お値段格安(笑)

冒頭には本物の遊園地の実音が収録されており、その後に続く音楽は、The Sinfonia of LondonをRobert IrvingとDouglas Gamleyが振り分けています。Gamleyの方はポピュラー系の通俗曲を、これは音像を左右に動かすなどの細工をして、録音もポピュラー系のそれ。ところがIrvingの方はイベール、ソーゲ、ストラヴィンスキー、ハチャトゥリアン、オスカー・シュトラウスと、個性的かつ充実の選曲。

そのロバート・アーヴィングRobert Irvingは1913年ウィンチェスター生まれ。同地の大学を卒業後オックスフォード、王立音楽院で学び、1945年にグラスゴーのBBCの指揮者となって、その後はコヴェントガーデン、ニューヨーク・シティ・バレエなどのポスト歴任した名指揮者です。キャリアの初期からバレエ畑を歩んできたひとで、LP初期に録音されたチャイコフスキーの「白鳥の湖」などはとりわけ名演の誉れ高く、当時デゾルミエール盤とともに同曲の代表盤の両雄としてたいへん高い評価を得ていたものですね。



これはそのアーヴィングによるアダンの「ジゼル」。オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団。決してHoffmannの好む音楽ではないんですが、さすがに演奏がいいと聴かされちゃいますね。




2009.10.05 mon

昨日、ロベルト・ベンツィに関して「ほかにサン=サーンス、ボロディン、ロッシーニなどのLPも持っているんですが・・・」と言ってますが、サン=サーンスの交響曲第3番とかロッシーニの序曲なんてろくすっぽ聴きやしません(^o^;でも、ボロディンの交響曲第2番は音楽としてなかなかいいですね。



ラファエル・クーベリック指揮ウィーン・フィルの英HMV盤。もちろん、ベンツィの演奏も好きなんですが、こんな強力な盤(笑)とくらべてしまうとさすがに分が悪い。クーベリックのdiscとしても、この時期の録音がいちばん音質もいいんですね。



これはボロディンの交響曲全集、若き日のアンドルー・ディヴィス指揮トロント交響楽団による演奏。米プレス盤ながら盤質も音質もそんなに悪くはありません。



同時期のアンドルー・ディヴィスのレコードではこれも印象的。デュリュフレのレクイエム。ご存知フォレのレクイエムのそっくりさん。作品自体はやはりフォレのそれと似てやや退屈(Hoffmannはフォレの作品は好きですが、レクイエムはさほどでもありません)。演奏はキリ・テ・カナワの独唱を除けば若手ならではの純情さが魅力的。




2009.10.04 sun

ロベルト・ベンツィ(Roberto Benzi)は、いずれも音楽家である両親がイタリア人なんですが、1937年にマルセイユで生まれたフランスの指揮者。幼少期から専門的な音楽教育を受け、1947年からはアンドレ・クリュイタンスに指揮を師事。1948年に指揮者としてデビューして、翌1949年には自身の天才少年ぶりを描いた映画「栄光への序曲」に出演(主演)。1954年にオペラでのデビューを飾り、1959年にはパリ・オペラ座で『カルメン』を指揮。これはオペラ座での同作品の初めての上演であり、同劇場の1961年の初の日本公演(オーケストラ等は日本側で用意)にも選ばれたプロダクションですね。

1972年から1987年までボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団、1989年から1998年までアーネム・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を歴任。世界各国の主要なオーケストラに客演したほか、メトロポリタン歌劇場、モネ劇場などでオペラも指揮しているひと。



若いころの録音は蘭Philipsにあって、左は躍動感溢れるファリャの「恋は魔術師」、「三角帽子」組曲。中央はすがすがしいばかりのビゼーの交響曲ほか。これは以前蘭fontana盤をupしたことがあるので、今回はPhilips盤のお写真をどうぞ。右はリストの交響詩「前奏曲」、ハンガリー狂詩曲とベートーヴェンの序曲をまとめた1枚。ほかにサン=サーンス、ボロディン、ロッシーニなどのLPも持っているんですがお写真撮ってない(^^;

映画「栄光への序曲」のクライマックスでベンツィが指揮するのがリストの「前奏曲」なんだそうですよ


これはずっと後のボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団を振ったforlane盤。左がルーセルの「バッカスとアリアーヌ」、交響曲第3番、右がブラームスの交響曲第4番。



なんと、ブラームスのLPはポスター(?)付き。やはりいまでもご当地では人気者?



最近あまり名前を聞くこともなかったんですが、ひさしぶりにshopで見つけて入手したdisc。これは2004年録音のセヴラック作品集、未出版作品を含む、一部声楽付の管弦楽曲集です。オーケストラはスイス・ロマンド管弦楽団。

セヴラックといえばピアノ作品が有名な南仏作曲家ですね。スコラ・カントルムで作曲をダンディやマニャールに、ピアノをアルベニスらに師事したんですが、作曲家として名をなした後、田舎に引っ込んで抒情的なピアノ作品を作曲したもんですから、いかにも地味な農村作曲家みたいに思っているひとが多いんですが、このdiscを聴くとなかなかどうしてその音楽は、まさしく師であるダンディやマニャールを連想させる、明るめの色彩感と豊麗な響きが印象的です。

10代くらいまでに天才としてもてはやされたひとにありがちな、つまり長じて小さくまとまってしまったような印象もあるんですが・・・

まあ、否定しきれないけど、むしろ我が道を行く、ローカルな持ち味を失っていないというめずらしいひとかもしれないよ。逆に、internationalに活躍する「大物」こそ堕落しちゃったんじゃないかという見方もあるんじゃないか?(笑)




2009.10.03 sat


カルメンといえばこれも好き―魅惑のアネゴ声、ジャンヌ・ロード。残念ながら全曲盤はなくてハイライト盤。中央はオッフェンバックのオペレッタからアリア集、右はショーソンの歌曲集。


さらにアレヴィやオッフェンバック・・・


加えてプロコフィエフの歌劇「火の天使」全曲盤(左は豪華アルバム入り仏プレスLP、右はCD)を並べると、この歌手の芸域の幅の広さがわかろうというもの―。

いずれのdiscも以前にupした記憶があるのでコメントは省略。そうそう、ここらで「カルメン」とオッフェンバックで指揮をしているロベルト・ベンツィを取りあげときましょうか。




2009.10.02 fri



コンチータ・スペルヴィアが歌うビゼーの歌劇「カルメン」の名場面集です。Parlophone−odeon盤。花だけ深紅に着色したジャケットデザインが秀逸。ことさらに悪女っぽくもなく、妙に色っぽいラテン気質のカルメン。このひとの名前、どうしてもピエール・ルイスの小説を連想しちゃいますね(^^*

それはmonologue 2008.02.26 tuesでもおっしゃってましたよ〜(^o^;

それじゃ真面目にprofileなど(^^A;
Conchita Superviaコンチータ・スペルヴィアは、1895年スペインはバルセロナ生まれのメゾ・ソプラノ歌手ですね。14歳でコロン劇場にデビュー、翌年(ということは15歳で)イタリアの歌劇場に客演してカルメンを歌い、スカラ座ではラヴェルの歌劇「スペインの時」のイタリア初演にもご出演。オペラから民謡、近代歌曲までこなし、とくにコンサートでもスペイン民謡は民族衣装で歌って人気だったとか。オペラのレパートリーは意外と狭く、やはり当たり役はカルメンで、その情熱的かつ野性味ある歌と演技は「生まれながらのカルメン」と絶賛されたそうです。1936年惜しくも没。

一聴してヴィブラートが目立つんですが、テクニックとしての振る舞いではなく、あくまで直情的な表現というか、役への没入と聴こえ、その醸し出す妖艶さが印象的ですね



こちらは1927〜31年の録音を集めた2枚組のオペラ・アリア集。ロッシーニ、モーツァルトからグノー、トーマ、サン=サーンスなどのフランスもの、フンパーディンクやR.シュトラウスとドイツもの、最後にプッチーニ(可愛らしいムゼッタだ)で締めくくるというニクイ構成(笑)





2009.10.01 thurs


さて、ひさしぶりの音楽ネタはHoffmannの好きな歌手、ルチア・ポップのレコードから―。左はサヴァリッシュのピアノでR.シュトラウス、中央はモーツァルトのオペラ・アリア集、右はアーヴィン・ゲイジのピアノでシューベルト。

ルチア・ポップって、その容姿は早すぎる死まで変わらず可愛らしいひとでしたが、声は晩年に至って急に変わった・・・いや、衰えじゃなくて、妙に声が老けちゃいましたね。モーツァルトのアリア集では「フィガロの結婚」から3曲を歌っているんですが、これがケルビーノ、スザンナ、伯爵夫人とそれぞれ一曲ずつ。声は伯爵夫人だ・・・ということではなくて、どうも歌い分けに関して表現はともかく、声そのものに変化がないのはあえてそうしたのかどうか・・・。



シューベルトといえばこれも―英hyperionのシューベルト・エディション、全歌曲集のうちの1枚。ピアノはジェフリー・パーソンズ。この1992年の録音など、よく言えば母性的、悪く言うとおばさん声。


左は独Acantaのテレマン、ヘンデル、バッハ集。右はGalaから出た1975年コヴェントガーデンにおけるリサイタル盤。この2点、お写真がちょっとポップとしてはめずらしい写りですよね。右なんか、どことなくオールド・ファッション(笑)


最近のお気に入りはBBC Legendsシリーズで出たこの2枚。左は1982、1991年、右は1983、1980年のlive録音。それにしても、Pが3つ、Oがひとつだけで構成されている名前というのもめずらしいかも。人気商売としては、覚えられやすい、いい名前ですね。


こちらは独Acanta盤LP。いずれもジェフリー・パーソンズのピアノでドヴォルザーク、プロコフィエフ、コダーイ、ヤナーチェク、右はマーラーとブラームス。コロラトゥーラからはじまって、リリックあるいはドラマティックな役柄までこなした、というか変遷していったポップですが、本来の持ち味はこのあたりのdiscにもっともよくあらわれているような気がします。