monologue 2009.11

2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2009.11.31 Σ( ̄□ ̄;


シューマンの「薔薇の巡礼」とプフィッツナーの「愛の楽園の薔薇」、それにR.シュトラウスの「薔薇の騎士」ですね(^^*


これぞまさしく・・・ヽ( ̄ー ̄^*

「薔薇族」とかおっしゃるんじゃないでしょうねっ(((;^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2009.11.30 mon



「ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー」The Survivor(1981年・豪)です。日本未公開でしたが、TVで放送されたことがあり、その放送を観たひとの間で評判になった映画ですね。じつはHoffmannもその放送を観て、忘れかねていたんですよ。2005年にDVDが発売されたものの、そのときはまったく気が付かず、「出てる」と知ったときには哀れ廃盤(品切れ?)に。今般めでたく値下げして再発されました。

# 警告;以下にネタバレあります。



離陸直後、郊外に墜落し爆発炎上したジャンボ・ジェット。乗客乗員全員死亡する大惨事ながら、ケラー機長ただひとりが奇跡的に生還。航空会社の調査班による真相究明が続けられるなか、事故現場を撮影したカメラマンは不思議な少女の幻影に誘われて事故死。事故を目撃していたホッブスという女性が機長に近づき、協力して事件の真相を究明しようとします。監督はデヴィッド・ヘミングス。

これ、原作はジェイムズ・ハーバートなんですね


旅客機の墜落事故のシーンは迫力満点。これはキャプチャ画像じゃわかりません。



唯一生き残ったケラー機長役はロバート・パウエル。事故の前後の記憶を失っています。



事故現場を撮影したカメラマンを誘う不思議な少女の幻影・・・。



ケラー機長は事故の原因も不明なまま、ただひとり生還したため世間の非難を浴び・・・って、しかしそんな描写はほとんどなく、帰宅して妻に会うも、妻の出番はそこだけ。カメラマンやその助手を見舞う怪奇な現象も、当人たち以外の第三者にはあずかり知らぬこと・・・このあたり、ある程度は構造的な事情で、仕方のない欠点なんですけどね。

機長の内面はほとんど描かれていませんけれど、さほど不自然とは思いませんよ。むしろ静かに訴え、迫ってくる存在を感じさせるのにふさわしい展開ではないでしょうか


そして機長は事故原因が人為的なものであることを突き止め、犯人を追いつめます。




映像的なクライマックスは冒頭の事故とこのシーン、ドラマの展開はとことん渋いよね

これ見よがしにならず、淡々と描かれているのがいいですね



そして翌朝、機体の処理が進み・・・(以下略)

ネタバレしちゃうと、「恐怖の足跡」Carnival of Souls(1961年・米)なんですよ。検索してみると、その後の某映画の元ネタともなっているようですね。Hoffmannはこの映画をひさしぶりに観て、オチを知りつつも、地味ながらかなりの良作と感じました。大傑作とまでは言いませんが、大好きな映画です。

似たような設定ということでは、「恐怖の足跡」の方がうまいと思いますが・・・

そりゃあね(笑)あちらは当の本人の内面を描いているんだから、観ていて「だまされた」って思うよね。でも、この映画はむしろ叙事的で、描かれているのは別なものだよ

叙事的といえばそうですね。あえて鑑賞する側をだまそうと必死になっていないというか・・・そのあたりが地味なんですが、かえってあざとさがなくて好印象ですよ

(おまけ―映画のなかのカメラ画像)


時代設定は現代? だとスッと、1981年の映画でカメラマンがPRACTICAを使っているというのも・・・( ̄o ̄;ikaganamonoka?



べつな映画ですけど、これなんかいかがですかっヾ(^∇^* (^o^;さらに、古ぅ〜




2009.11.29 sun

「インフェルノ」といえば、ダリオ・アルジェント監督の魔女三部作、「サスペリア」に続く第2作を連想するひとがほとんどでしょう。それにしてもあれ、「サスペリア・テルザ 最後の魔女」まで30年がかりで完結・・・って言われてますが、最初っから三部作にする構想があったわけではないんでしょ? Hoffmannはこれまでのところ「サスペリア」しか観ていなくて、どちらかというとアルジェントならsupernaturalを扱ったものよりも、怪奇味の濃いミステリのほうが好き・・・かな。



それはともかく、これは「インフェルノ」といっても“L'inferno”、Danteの「地獄篇」とGustave Doreのイラストにinspireされて製作されたという、イタリアで1911年に公開されたサイレント映画です。



画質はまずまず。上は全体に雨降り状態で、全編のうちでももっともよくないかなあというシーン。



特殊撮影などは稚拙なものですが、大がかりなセットを組んだ大作ですね。 storyなんてあってないようなもの。たしかにどことなくギュスターヴ・ドレを思わせるシーンが散見されますが、別に陳腐な印象はなく、いま観てもなかなかモダンな感覚です。



ただしこのDVD、音楽はTangerine Dreamというグループによるもので、なんとも・・・サイレント映画に歌なんぞ入れちゃいけません。途中から音消して観てました。




2009.11.25 wed



しらばく休みます。

「しばらく」ですよ〜(^o^;

TR5A


2009.11.24 tues


「サスペリア Part2」Profond Rosso(1975年・伊)です。この邦題は「サスペリア」のヒットにあやかったもので、storyは続編というわけではなく、ぜんぜん関係なし。そもそも「サスペリア」よりも前の製作ですね。現在日本で発売されているDVDも「サスペリア Part2/紅い深淵」と表記されています。「サスペリア」が超自然を扱っていたのに対して、こちらは殺人を目撃したジャズ・ピアニストが犯人を追ううちに自らも命を狙われる・・・というサスペンス・ミステリ、言わばサイコ・ホラー。



この映画では冒頭からカメラワークの凝りようは特筆ものですね



第一の殺人の際にヒント・・・というか、真相が映し出されていて、観客の視覚(と記憶)に訴えるという手法は、それ自体がユニークです。

これは思いつきじゃなくて、じつはstoryで扱われているテーマとパラレルになっている仕掛けなんですよね



イタリアのホラー・クイーンのひとり、ダリア・ニコロディが主人公に協力する女性記者として登場。時折ユーモアもにじませます。



このちょいと不気味な女の子もご当地のホラー映画には常連の子役なんですと。

この女の子も独特の雰囲気を持ってますね。さらに、キャプチャしてませんけれど、オカマも登場しますし、とにかく登場人物のだれもがひと癖あるのも効果的です



ジョルダーニ教授殺害シーンから―「サスペリア」の“天井からウジ虫”もそうなんですが、なんでこんな人形がケタケタ笑いながら現れる必要があるのか・・・だからご都合主義だの、理屈よりも感情優先だのと言われてしまうんですね。しかしこれこそアルジェントの細部へのこだわり。ただし、それでも「サスペリア」ではこうした枝葉が大詰めの一点に「集中」してゆくのに対して、ここではとってつけたようにやや「拡散」気味。


封印された記憶が解き明かされる(甦る)・・・といえば、この映画では二通り、三通りの意味を持ちますが、アルジェント監督、ずっと後にも、たとえば「トラウマ/鮮血の叫び」Trauma(1992年・米)あたりで同じようなことやってますよね。

「トラウマ」だなんて表題からして、この監督の嗜好が透けて見えますよね

個人的にはその「トラウマ/鮮血の叫び」よりもはるかに上出来なんじゃないか? 「サスペリア」とくらべると一長一短ながら好みではこちらだな。サイコ・ホラーなんて言うと、なにしろ犯人はアレだし、少々安っぽく聞こえてしまうだけど、これ、お手本はヒッチコックだよね

「サスペリア」もそうですよね(^^*この 「サスペリア Part2」に関しては、たとえばジョン・ディクスン・カーの怪奇味のあるミステリみたいなもので、なおかつすべてを合理的に説明できないのは悪夢だから・・・と思えば、これはこれで独自の世界を確立していますよ

# ネタバレを避けようとすると、どうしても重要なシーンが抜け落ちちゃいますね(^^;




2009.11.23 mon



いまさらながら、「サスペリア」Suspiria(1977年・伊)ですよ。我が国での劇場公開に際しては「決してひとりでは見ないでください」というキャッチ・コピーで話題になった映画。脚本はダリオ・アルジェントとダリア・ニコロディの共同執筆、音楽はゴブリン・・・って、そのあたりのことは有名なので省略。

残酷趣味、ご都合主義、雰囲気先行と、一部からは批判の多いダリオ・アルジェント監督ですが・・・。


主人公が空港のロビーから外へ出る、ここで別世界への通過とする手法はありきたりといえばそうなんですが、冒頭のつかみとしてはじつに効果的です。



少女漫画のヒロインのようなスージー・バニオン役にジェシカ・ハーパー、ミス・ターナー役にアリダ・ヴァリがご出演。



チョイ役なのにやたら台詞の多い怪優ウド・キア(笑)ここではきわめて正常人なんですけどね。

私はこのひとが出てきただけで「なにかあるのかな」と思っちゃいました(^o^;


監督自身がディズニー・アニメの三原色を目指したと語っているとおり、極彩色で構成された画面はそれだけで効果満点。セット・デザインも含めて、リアリズムを放棄しており、まさに異世界、あるいは超自然がまかりとおる悪夢の世界にふさわしい。ちなみに左は意味もなく天井裏からウジ虫が振ってきた後の、みんな仲良く大部屋でおやすみのシーン。だから行き当たりばったりと見えて、こうした華麗な映像美だけがアルジェント映画の持ち味だなんて言われちゃうんですよね。


クライマックスは至極あっさりしたもの。でも、これでいいんです。ここでヒロインと魔女の死闘が繰り広げられたら、ここまでの映像が台無しです。これをご都合主義と呼ぶのは間違い、これしか考えられない幕切れなんですよ。このへん、よく計算されている・・・というか、監督自身が撮りたいと思っている映画、造りたいと考えている映像というものにブレがないんですね。細部にこだわるから一見行き当たりばったりに、気分で撮ったかのように見えるんですが、アルジェントご当人としては自分の考えを忠実に映像化しているだけなんじゃないでしょうか。その意味で、この映画のまとまりの良さ、クライマックスへ収束してゆく様は見事なものだと思います。

好意的に見れば、コッポラやフェリーニといった大監督にも通じるような、どことなくアマチュアライクな細部への偏執が見て取れるんだよね


ある種のdilettantismがprofessionalの限界を乗り越えてしまうというのはHoffmannさんの持論でしたね(^^*


・・・とはいうものの、それではHoffmannはこの映画が好きかと言われると、ちょっと困っちゃいます。理詰めである必要はないけれど、visual面だけではなく、story展開にももう少し仕掛けのある映画がHoffmannの好み(笑)




2009.11.22 sun


秘蔵の本とかボロボロの本とか読んで過ごす・・・現実逃避?(笑)

本も映画も、日頃海外ものに偏しているHoffmannですが、それは気に入るようなものが多いか少ないかという問題。




この映画はいいですねヽ(^o^*




2009.11.21 sat

一昨日のいちばん下の画像は1966〜67年にTV放映されたモノクロ実写版「悪魔くん」ですね。ちょっと以前にもupしていますが、あのときのメフィストは吉田義夫、このひとは病気のため途中で降板しており、今回の画像は潮健児、初代メフィストの弟という設定です。どちらのメフィストもじつに魅力的なキャラクターですね。


TV版はこれはこれで愉しいものですが、水木しげるの原作(貸本漫画時代の)はまた格別。ひさしぶりに引っ張り出して読み耽っちゃいましたよ。


その流れでこのへんの本を拾い読み―。



さらにこのあたり―。



そういえば、セリグマンなんてムカシは基本図書として有名でしたが、いまはどうなんでしょ・・・。

お写真がガタガタですね〜(^o^;




2009.11.20 fri

風邪が治った思ったらHDDがお亡くなりに。dataは吹っ飛んだが、back upはあり・・・とゆーか、吹っ飛んだのがそもそもback up用のHDD。重要なfileもあったが、概ねいつ削除してもよかったようなもの。これもいい機会? ともあれ、予備のHDDと交換してあれこれcopyしているうちに深更に至る・・・( ̄o ̄A;yareyare





2009.11.19 thurs

体調のよくないときには、いよいよもって気の滅入るような音楽を聴いたり映画を観たりするのがHoffmann家の家風でございます(笑)

キーワードは「悪魔」ってことで・・・いいかな?(*^^)♭
 (^o^;は〜い (・∇・*はいっ



Hoffmannが観たのはダリオ・アルジェントの「サスペリア」ヽ(^^*



私はミステリー・タッチの「エンゼル・ハート」にしますヽ(^o^*



花はだんぜんこちらのメフィストさんですよっヾ(^∇^*ステキ〜♪




2009.11.17 tues

Hoffmannさん風邪のためにお休みです。



甘丼から荷物がとどいてますよっヾ(・∇・*)重いような、軽いような・・・

これは・・・いったいなにを始められるつもりなのかしらね(^o^?



こんなの引っ張り出してるけど、これはまた別の話(笑)




2009.11.16 mon


audio雑誌なんか読んでいて気が付くのは、つまり使いこなしのテクニックなんていうのは、あらかた原因と結果を取り違えた理屈なんですね。じつに哲学的です。さぞやプラトンも大喜びだろうと思うHoffmannです( ̄- ̄*)ohon


当然お写真は本文とは関k・・・って、とりあえず画像をupしていはいるけれど、当サイトを訪問される数少ない方々におかれましては、「これは手抜きじゃ!」とか「いよいよネタ切れか・・・」ってなケフこのごろでせうか。ある種の本の写真が無作為に並べられているように見えますが、じつはその選択や並び順には、深淵にして周到な意図が・・・
絶対にありませんよねっ(((;^o^)σ)~0~)/プニッ♪

いやたしかにこれですませちゃえば楽なもんですが、決してネタ切れではなくて、ネタはありあまっている状態なんです(^_^A;もうどこから手を付けていいやら・・・



・・・というわけでお写真を一枚(笑)

よく見るといろいろなものが写ってますね〜(^o^*




2009.11.15 sun

近頃、世のなかの問題の多くは、「それ以前の問題」だなあと思うHoffmannであります( ̄- ̄*)ohon



(昨日の続き)
「すべて偉大なものは・・・模倣である」と言いましたが
、これはもちろん「先人によるすぐれた成果の模倣」ということです。模倣でありながら、新たな高みを目指すのは簡単なことではないでしょう。でもね、じっさいには模倣の技術において失敗するよりも、そもそも模倣するものを誤っている例がほとんど。お手本(比喩だぞ)の選択が安易にすぎるのです。現代の文学も、詩も、はたまた内容のない駄文も、さらには音楽も、新しそうに見えるものは、あれ、所詮一発芸なんですよ。そんなものをなぞってみせるから、いよいよ見るに耐えないものとなってしまうのです。

たとえば、WagnerでもMozartでもいいから、キョービのオペラの演出なんか観てごらんなさい。とにかくまだだれもやっていなかったことをやって、そこんとこを強調する、その他の部分は過去の演出と似たり寄ったりで一丁あがり・・・もう「一発芸」というよりほかにないじゃありませんか(笑)

(やっぱりお写真は本文とは関係ありません)




2009.11.14 sat

座右の銘なんてものは他人に語るものではない・・・というのがHoffmannの座右の銘であります( ̄- ̄*)ohon



(昨日の続き)
ただし、originalityなんていうのはこれ、むしろ悪口であって、褒めようがないときに使う便利な表現で、じつは愚弄ですね。すべて偉大なものは単純にして模倣である・・・と。模倣は元のものの発展だったり深化だったり、変形だったりするわけですが、そのいずれかがほかよりすぐれているということではありません。他人のことばを使ったっていいんです。ただ、当人が自分では考えていないことに気づいていないらしい文章というのがある。文章にはそのひとの能力があからさまにあらわれてしまうものですが、そも発言しているひとの姿が見えない文章というのは、能力以前の問題だと思うのです。

「自分で考えてはいないらしい文章」って、どういったものでしょうか?

ことばどおりの意味だよ。妙に気取った文章はたいがいそうなんだよね。あと、説明不足の文章だな。余韻過多とも見えるのは、たぶん作家のだれかの真似なんだろう。説明不足があらかじめことわってある場合もあって、やたら「ひと言で言えば」とか「おおざっぱな説明ですが」なんて書くひとがいる、いっつもそうなの(笑)「長くなってもいいから、たまにはこちらが納得できるようにちゃんと説明してくださいよ」って言いたくなるね(笑)たぶん、むりやりひねり出してもひと言しか言うことが思いつかない、きちんと説明することができないひとが、「他人に認められたい」っていう欲求が強いあまりに、「なにか立派なことを言わなくちゃ」と背伸びするもんだから、能力のなさを誤魔化さなきゃならないんだろうな(^^;

Hoffmannさんは大丈夫なんですか?(^o^;

(もちろんお写真は本文とは関係ありません)

 座右の銘といえば、かなーり以前、「『安い』、『もらう』、『ただ』が座右の銘」と言ったことを、いま思い出したHoffmannです( ̄_ ̄




2009.11.13 fri

新幹線まで乗って喜多方ラーメンを食べに行ったのに、なぜか札幌ラーメンを食ってきたHoffmannです( ̄_ ̄




証券会社や高利貸しばかりではない、突き詰めればほとんどの企業は他人から集めた金を自分のもののように見せかけて、その結果利潤生み出しているわけですよ。

自分の頭で考えないで綴った文章を他人に読ませようとするのも、その意味では企業活動タイプ、作文における省エネ・コストダウンですね。まあ、その文章が他人に読んでもらえれば、の話ですが(笑)

(お写真は本文とは関係ありません)




2009.11.12 thurs

インターネット(とくにホームページとかブログとか)の普及によるものか、最近の小学生や中学生は文章が上手くなっていると聞いたことがありますが・・・たしかに、ネットを漂流していると、むしろ文章のへたくそなオトナの方が目に付くなあと思うHoffmannです( ̄- ̄*)ohon



右の小説と似たような設定の映画がありましたね。もっともここでは、どこぞのノーテンキ国民の尊大な楽天主義に対する反動としての風土病、すなわち陰謀説のvariationにすぎないといえばそれまで・・・って、われながらへたくそな文章だなあ(^_^A;

これは・・・Hoffmannさんがお読みになるとは意外ですが・・・?


ま、決してHoffmannの好きな作家ではないんだけどね、どうも登場人物に魅力がなさすぎて。でも、左の小説は一応三部作とされているんだから、品切れや絶版とはせずに、揃えて目録に残しておくのが出版社の良心ってもんじゃないか?


〜♪

あら、花ちゃんがめずらしい音楽を聴いていますよ(・・*ピアノ協奏曲?

あれは・・・ハンス・ヴェルナー・ヘンツェだな(^^*

ヘンタイです、ワーグナー獣が進化しちゃいましたよっヾ(・∇・;

花ちゃん、そこは「たいへんです」・・・って、ここは「変態」でも意味が通るかしらね(^o^;




2009.11.11 wed

舞茸といえば、人工栽培ができるようになってお安くなりましたな。



こんな映画を観ながら食べるキノコの味はまた格別、と思うHoffmannです
( ̄- ̄*)ohon



本をたくさん読むことを自慢するひとがいますね。その自慢の仕方も手が込んでいて、たとえば「なんでもかんでも乱読してます」なんて言うひとがいる。「乱読」という、本来恥ずべきこと、自嘲的に口にするべき表現で、かえって自慢しようとしているわけです。読んだ本から得た情報を売りものにする立場のひとならばそれも結構、自慢話もそこでは大道芸人の客寄せとして機能しているわけですからね。しかし、読んだ本から得たものが「情報」ではなく、かりそめにも「知識」と呼べるようなものであったなら、それは自分のなかにだけしまっておくべきもの、他人に語るようなものではないとHoffmannは思っています。もちろん、雑誌や漫画は本ではなく、書店に並んでいるたいがいの小説も、活字の印刷された紙が束ねてあるだけで、Hoffmannの尺度では本ではありません。

詩集や歌集はいかがですか?


詩集は詩集、歌集は歌集、写真集も然り、いずれも本ではない

それではかなり絞られちゃいますね(^^;

そ。だから世のなかには、乱読できるほど本はないんだよ。なにを読んだかということよりも、なにを読んでいないかということの方が大切かもしれんぞ(笑)

そういえば、情報を得るための読書は本来の読書ではない、とする国語辞典がありましたね

よくも悪くも辞書編纂者の意地みたいなものを感じるね(笑)





2009.11.10 tues

舞茸って、見れば見るほど未知の天体に生息する生命体のような気がするHoffmannです( ̄- ̄*)ohon

Hoffmannさん、今日のおかずはぶりり星人の煮付けですよっヾ(^∇^* 
ブリの煮付けでしょう?(^o^;



斬首ということについて、歴史研究はまだしも、民俗学的に考察した文献って意外と少ない?


脚や腕にしろ同じことなんですが、ことに頭部(首)がチョン切られるというのは、去勢の象徴と考えればいろいろ納得ですよ。



すると、首が360度回転するというのもその関連で・・・? それにしても、なぜこの顔がこんなにも怖いのでしょうか?(・・;

そんなのだれだって無意識のうちに感じていることさ、未知のものだったら怖いわけがない。この容貌はね・・・




2009.11.09 mon


人生、お気楽に過ごすためなら、どんな苦労も厭わないHoffmannであります( ̄- ̄
*)ohon




さて、「ウルトラQ」なんぞ観ております。

ガラモンですね。顔つきといい、体型といい、なんとも愛嬌のある怪獣ですね〜(^o^*

学生時代、これにクリソツな後輩がいたなあ(笑)


「インデペンデンス・デイ」とかいう、中身のない見栄っ張りの仕切りたがりノーテンキ野郎の白痴映画がありましたが、修飾語が多すぎませんか〜(^o^;そのクライマックスのルーツはこのへん?


もとゼロ戦の名パイロットという設定が・・・時代でしょうか(^^;


こんな姿になってしまって、それでもそのまま外に出て行ってしまう・・・時代を先取りしているというか・・・(笑)

ある意味、幻想文学の世界に通じるものがありますね



ばかばかしいまでの哀愁漂う名場面!ヽ(^o^*
(^o^*




2009.11.08 sun


ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、第3番が聴きたくなって、引っ張り出したレコード・・・ってこの2曲、LPではこれとモーラ・リンパニー盤(第2番はEMI、第3番はDecca、London)しか持ってません(笑)

追記;いや、さらに第2番が2枚、3番が1枚見つかったが、たいした演奏ではないので省略。どうでもいいけど、個人的にはラフマニノフは男の演奏で聴きたいな。



第2番はヴィレム・メンゲルベルク、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の1939年から1043年のlive録音を集めた5枚組セットから、ヴァルター・ギーゼキングのピアノによる1940年10月31日の演奏で。



第3番同じくギーゼキング、メンゲルベルク、コンセルトヘボウ管による1940年3月28日live録音。

ギーゼキングは1895年リヨン生まれのピアニスト。巨漢の菜食主義者だったんですが、1956年没ですから61歳と意外と長生きしなかったんですね。やっぱりニクを食わなきゃいかんということか。

ドビュッシーやラヴェルの演奏が有名なひとですけれど、私はギーゼキングのドビュッシーって、あまり好きじゃありません。このピアニスト、バッハやモーツァルト演奏もそうなんですが、デリカシー重視系とでもいいたいようなコロコロしたタッチの演奏にはまるで毒が感じられず、あまりにも一面的で、いってみればビーダーマイヤー的。ところがこのふたつのラフマニノフでは少々違って、メンゲルベルクに引っ張られたものか、なかなかの熱気。どちらかというと2番の方がいいかな。


ちなみに上記第3番のレコード、原盤は米The Bruno Walter Societyで、日本コロムビアから出た国内盤、「不滅の演奏家」とかいうシリーズの1枚です。こうしてお写真並べてみても画像映えしないシリーズですなあ(笑)帯(たすき)がなけりゃなんのレコードかわかりません(笑)




2009.11.07 sat

J.S.バッハの駄伝・・・じゃなくて(^^;「マタイ受難曲」なども聴いてきましたよ。

えっ、十何曲?(・∇・;



ペーター・シュライヤーが福音史家と指揮を務めた1984年の蘭Philips盤。これまでほかの演奏による「マタイ」やシュライヤーの歌唱について語る際に引き合いに出されたことも何度かありましたが、この盤自体を取りあげるのははじめてのはず。演奏はシュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ放送合唱団、イエスはテオ・アダム、その他の歌手はポップ、リポヴシェク、ビュヒナー、ホル、脇にオラフ・ベーアの名前も。

歌に関しては、とにかく福音史家のシュライヤーが諸悪の根源。やたらおおげさに、マンガチックというのか、劇画調というのか、とにかくドラマティックな演出が鼻につきまくり、あたかも福音史家の百面相。その昔Hoffmannは、シュライヤーって知性派の歌手だと思っていたんですが、これを聴いて「あまり頭のいいひとじゃないな」と思うようになりました。指揮もやや単調。ほかの歌手には問題なし

そういえば一昨日クルト・マズアのレコードが出てきましたが、シュライヤーとマズアって、ベルリンの壁崩壊・ドイツ統一の際に置かれた状況は対照的でしたね。マズアは政府上層部に働きかけて、武力衝突や流血を避けたというので英雄扱い。かたやシュライヤーはといえば、ラジオで市民にデモを中止して自宅へ帰るよう呼びかけて、自家用車を焼かれちゃった。言い換えればマズアはうまいこと立ち回ったということなんですけどね。ちなみにマズアの奥さんは日本人、それにしては我が国でファンが多いとは言えないのは・・・。



アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス盤です。このレコードが出ていたころは「ハルノンクール」と呼ばれていた・・・のはまだいいとして、これ、ウィーン少年合唱団の合唱指揮者の方が目立っていたのか、「ギレスベルガー盤」と言われていたんですよね。1970年頃の録音で、ボーイ・ソプラノやカウンター・テナーも起用した、古楽器演奏の草分けとも言うべき記念碑的な録音なんですが、Hoffmannの記憶では、当時は際物扱いされていましたな。いま聴けばいかにも過渡期の演奏・・・といえば予定調和になっちゃいますけどね、そんなことはない、いま聴いてもそれなりの完成度。アーノンクールはむしろ後の録音ほどにはアクの強さを感じさせず、ややeccentricなれど知的といった印象が勝る。



こちらアーノンクールの再録音、コンセルトヘボウを振っての、バッハ生誕300年の1985年live録音。大オーケストラによる新録音で、当時ひじょうに期待されたのか、あるいは(1979年のリヒター新盤の二の舞ではないかと)ひじょうに心配されたものか・・・知りませんけどね(^^;・・・というのは、どうも編成が大きい分足取りが重くなっていて、それでもアーノンクールにはリヒターみたいなロマン主義への回帰(退化)の傾向は見られないものの、一部歌手がまるでロマン派のドイツ・リートを歌っているかのようで、まさかこれがアーノンクールのコンセプトとは思えないんですよね。


ロ短調ミサ曲のヨッフム盤です。左はバイエルン放送交響楽団との1957年live録音でPhlipsから出たstereo盤、中央は同じ録音のmono盤、右は同じオーケストラを振ってのElectrolaへの再録音、たぶん1980年頃の録音。

旧録音は大伽藍のようなバッハですね。大人数の合唱団で壮大このうえなし。でもstaticで、ドラマティックではない。宗教音楽の演奏として、ひと昔前の典型かな。これはこれで貴重な記録。再録音はいい意味で洗練されており、決して壮大一辺倒ではなくモダンな感覚ながら、先に述べたようなドラマティックな表現の欠如という点では同じ。ソリストは古い時代の方がよくて、新しい方は小粒。stereo時代初期のレコードって、mono盤にもそれなりの魅力があったり、むしろstereo盤よりいいこともあるんですが、このヨッフムの旧録音、Hoffmannの持っている2種類に関しては、stereo盤の方が圧倒的にいいですね。



アンドルー・パロット盤ですよ。バッハの声楽曲は各パートをひとりで歌ったというリフキン説の修正版とでもいうか、合唱には各パートのソロに、さらにひとりの補助がつきます(歌いはじめのところはひとりだったりする)。アリアや二重唱とのコントラストが付いておもしろい効果を生んでますね。これに近い構成で演奏されたdiscはその後もいくつか出ていますね。Hoffmannはなかでもこのパロット盤が好きで、お写真のLPのほか、CDも所有しています。

先日ちょっと検索してみたら、この演奏について、「『通』の方によると・・・らしいのだが、私には・・・で、嫌い」といった内容の発言をしているひとがおりましたが、Hoffmannの知る限り、雑誌記事などでこのdiscが高く評価されたことはほとんどないはず。むしろwebなど漂流していて見かける、プロでもなんでもない(「通」なのかどうか知らんが)、一般の音楽好き、バッハ好きの聴き手に人気がある盤のようです。この演奏の好きなHoffmannとしては、これはちょっとうれしいかも(笑)




2009.11.06 fri

先日取りあげたフォレのヴァイオリン・ソナタ(第1番)ですが、じつはliveで聴いたのは1回だけ。それがコドモの頃親にねだってチケット買ってもらった石川静のリサイタルでした。もう○○年も前のことなのに、いまでもよくおぼえているのは、小学生になったばかりかという女の子とそのお父さんが隣の席に並んでいて、フォレのソナタがはじまる前に、お父さんが「次はお父さんの大好きな曲なんだよ」と言って「ウン」と頷いた女の子の笑顔(^^*

フォレのヴァイオリン・ソナタもいろいろ取りあげてきましたが、なかなか核心に触れないというか・・・なぜかトップクラスの愛聴盤が登場しませんね

そういうのはむやみに取りあげたくないの(笑)



残念ながら石川静はフォレのソナタを録音していないので、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番、第3番のお写真を―Supraphon盤も持っているんですが、以前upしたような気がするので本日は国内盤を。典型的な暖色系Mozart。基本的には歌わせることを重視して、しかし粘らずすっきり。リボル・ペシェク指揮ドヴォルザーク室内管弦楽団のバックはこれといって特徴がないものの、欠点のない好演。



石川静のレコードをもう1点―チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ほか。ズデニェック・コシュラー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のバックが好演。これもSupraphon盤、国内盤とも持っていて、音質は国内盤の方がいいですね。Supraphon盤は高域キツめでやや歪みっぽく、響きが痩せていて硬質、よって窮屈な印象。お写真はSupraphon盤。

このヴァイオリニストでは、ほかにパガニーニ、プロコフィエフ、バルトーク、シベリウス、ブルッフなどの協奏曲のLPがあって、なかにはこれまでに取りあげたものもあるはず。



一方、フランクのヴァイオリン・ソナタで取りあげたGerard Jarryジェラール・ジャリといえば、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集のレコードが好きでときどき聴いています。パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団ほかによる演奏。たしか1976〜77年頃の録音。ここにはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲や2本のヴァイオリンのための協奏曲なども収録されていて、後者で共演しているのがカントロフだったりするんですな。



もうひとつ、ジャリのレコードで気に入っているのが1976年に日本で録音されたクライスラー愛奏曲集。とりわけこういった小品では魅力全開。ピアノは岩崎淑。

モーツァルトの協奏曲なら、私は石川静盤の方が好きです。ジャリのモーツァルトはやや感覚的に傾きがちですね。それとくらべると、クライスラーの作品集は圧倒的に生彩に富んでいると思います


さて、岩崎淑の伴奏ピアノといえばStephen Katesスティーヴン・ケイツによるチェロ小品集、1976年日本での録音・・・というか、先のジャリによるクライスラーと棚で並んでたの(笑)

スティーヴン・ケイツは1943年ニューヨーク生まれ、1966年のチャイコフスキー・コンクールで2位となったチェリストなんですが、その後の活動は知りません。このレコードの解説書によると、妻とともに160エーカーの農園に住んでいて、もっぱら野菜の栽培と馬の調教という生活を楽しんでいるとか。あまり野心家ではなさそうですから、演奏活動も地味なのか、ひょっとするとほとんどやっていないのかもしれません。そんな人柄がよくあらわれた演奏で、通俗名曲の最たるもの、サン=サーンスの「白鳥」など、巨匠と呼ばれるひとから才能豊かな若手まで、高名なチェリストによる演奏は星の数ほどあれど、これほどintimateなやさしさにあふれた演奏をHoffmannはほかに知りません・・・って、これ、以前にも取りあげましたっけね(笑)




2009.11.05 thurs

アモイヤル、ケフェレックによるフォレのヴァイオリン・ソナタのErato盤が出てきたのと・・・



・・・これ、アンドレ・プレヴィン、チョン・キョンファ、ポール・トルトゥリエのメンデルスゾーン、シューマンのピアノ三重奏曲(いずれも第1番)を聴いたことから、その流れで引っ張り出したレコードがこちら―。



メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番、第2番。ケフェレック、アモイヤル、フィレデリック・ロデオンによる演奏です。まとまりという点では当時の若手によるこちらが上。

上のレコードでHoffmannさんがお好きな演奏家はトルトゥリエだけですからね(笑)



同じ3人のソリストと、これも私の好きな指揮者、アルミン・ジョルダン指揮モンテ=カルロ国立歌劇場管弦楽団によるベートーヴェンの三重協奏曲。これは以前取りあげたことがあったかな。



今回比較に聴いたのがこちら―クリスティアン・ツァハリアス、ウルフ・ヘルシャー、ハインリヒ・シフのソロにクルト・マズア率いるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のレコード。いや、棚で隣り合っていたんだよ。

どちらもいい演奏なんですけどね、個人的には作品がそれほど魅力的ではなく、逆に言えばそんなHoffmannの(やや)無関心ぶりを覆させるまでには至らず。よって比較の結果は省略。前者に関しては、あえて協調しようとしなくても調和がとれてしまうケースもあるという例、後者に関しては、マズアが意外と物わかりのいい指揮者だと言っておこうかな。

ツァハリアスがかなりの個性派ですけど、全体をリードするのは指揮者にまかせているみたいですね

リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチの演奏? あんなの論外(笑)。なんにしろ、若いということはいいことだ。個性的な若者の自己主張はほほ笑ましいけれど、脂ぎったオヤジがあたりにおかまいなしでガツガツと自己主張する様は醜悪・滑稽でしかない。だからソロならともかく、トリオともなると、少々未熟でも若手の方がいい結果を生む(ことがある)。

リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチの3人ともがそれぞれ自己主張のカタマリ・・・というわけではないと思いますけど・・・(^^;


ここでアモイヤルの協奏曲録音を3点ほど―左はサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番ほか、ヴァーノン・ハンドリー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。中央はブルッフとグラズノフのヴァイオリン協奏曲、クラウディオ・シモーネ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。右はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番、第5番でジョルダン指揮ローザンヌ室内管弦楽団の演奏。

サン=サーンスでは若々しくも上品、冒頭からして大見得を切ることもなくすっきり。ハンドリーは強烈な個性とか派手さはないんですが、その上手さは特筆したい。ブルッフやグラズノフは意外や渋めの音色で粘るところは粘り(シモーネの伴奏指揮に引っ張られたのかも)、なかなかの芸達者ぶり。モーツァルトはヴァイオリン・ソロに対してマイクがオンであるためか、かなり奔放なモーツァルトと聴こえ、ジョルダンが節度を感じさせるだけに、古楽全盛のいまの時代に聴くと、これはちょっとやりすぎの印象も。

かなり印象が異なりますね〜(・・*




2009.11.04 wed

今回帰宅時に聴いてきたLPは室内楽中心でした。

自宅に置いてあるスピーカーはS社とH社のものなんですが、じつはS社の方は大編成ものがいまひとつなんですね。どうも、現用のアンプでは鳴らしきれない? 同じアンプでも、H社のSPや同じS社でも出稼ぎ先に持ってきたブックシェルフタイプならいい音で鳴らしていたんですけどね。もちろんアームやカートリッジなどの調整箇所はあらためてチェックしたうえで、SPケーブルも手持ちの範囲でいろいろ試して、足回りも何通りか対策してみたんですが、どうもまだまだの感。アンプの力不足だとすれば、ここでパワーアンプの交換ということになるんですが、自宅の装置がたまにしか使えない現在の環境で、アンプの交換もどうかと思っちゃう。そこでここ数回の帰宅時にはもっぱらH社のSPでオペラなど聴いていたんですよ。ところが自宅のS社のSPは昨年入手したばかり(中古じゃない、新品。デッドストック品だけどな・笑)。よって鳴らさないことにはエージングが進まない、これじゃアンプのせいばかりにもできんよな・・・というわけで、積極的に聴こうと思って、しかし大編成ものは苦しいので室内楽中心に聴いたんですよ。



まずはジャン=ジャック・カントロフ、アラン・プラーネスのシューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番。1977年の録音。



同じくカントロフ、プラーネスによるフォレのヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、こちらは1975年録音。カントロフもこのあたりのレコードが発売された頃は繊細で感性豊かなんて評されたようですが、ちょっと線が細すぎるかも。また、このヴァイオリニスト、このあたりのレパートリーからして歌わせるタイプかと思いきや・・・



1982年live録音のパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(Forlane)などを聴くと、造形重視で必ずしも歌わせることに腐心している様子でもない。参考までに。


そこで歌心のフォレを聴きたいなと思ってピエール・アモイヤルのヴァイオリン、アンヌ・ケフェレックのピアノによる1978年録音の仏Erato盤を引っ張り出しましたよ。ジャケット裏の写真、ふたりともお若いですなあ。アモイヤルの録音はいくつか愛聴しているものがあるんですが、最近とんと名前を聞きませんね。ここではケフェレックともども旋律線重視の演奏。ピアノのやや硬質な響きが支えとなってバランスを保つ。



フォレのソナタ第1番ではいまさらのアルテュール・グリュミオーのPhilips盤です。ピアノはイストヴァン・ハイデュ、1962年の録音。言わずと知れたベルギー生まれの巨匠ですが、粘る、入念に表情を付ける(フレーズの締めくくりに現れるディミヌエンドに妙味あり?)、しかしリズム感が見事で構えも大きいといった演奏。ダシ汁が濃くて、一晩寝かせてよく味が染みている(笑)う〜ん、時代だなあ。



さらにジャン・フルニエ、ジネット・ドワイヤン夫妻によるWestminster盤。夫はチェリストであるピエールの弟、妻はピアニストであるジャンの妹さん。ふたりとも派手さはないんですが、だからこそフォレのソナタにはふさわしい(「派手さがない」ということは、脳天気なだけの美音系ではないということなので、そのあたりよろしく)。ただしピアノは表情がややフラットに傾きがちで、もう少し雄弁であってもいいかなと思います。

ここらへんでフランス近代のヴァイオリン・ソナタのもうひとつの雄、フランクのヴァイオリン・ソナタへ―。



ジェラール・ジャリのヴァイオリン。ピアノはGeorges Pludermacher、このひとの名前、これまでまんま表記していたんのは、やっぱりジョルジュ・プリュデルマシェールと呼ぶのが、少なくともどこかで見かけたプルーデルマッハーなんてドイツ語読みの発音よりは正解に近いと思うんですが、当の本人がドイツ語読みで名乗ったという話もあって、どうしたものか困った末のことなんですよ。録音年わかんない。

ジャリはパリ・オペラ座管弦楽団やパイヤール室内管弦楽団のコンサートマスターも務めたひと。さほどの名手とも思わないんですが、その演奏は名前に似合わず上品でエレガント、ただし作品を深く掘り下げるタイプではありません。よって知性派Pludermacherの表現が目立ってしまう結果に。それにしてもこのピアニストはいいですなあ。いずれ手許にあるCDを取りあげちゃいましょうかね。



こちらオイストラフとリヒテルの共演盤、1968年のlive録音。昔、フランクのソナタとしてはスケールが大きすぎるとかいう批評を読んだ記憶があるんですが・・・だって、そもそもスケールの大きな曲だもんな(笑)



ウルフ・ヘルシャー、ミシェル・ベロフのコンビによる、たぶん1977年頃の録音。カップリングはR.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ。Hoffmannの好きなヘルシャーですが、同じガラミアン門下生でもチョン・キョンファのくどいばかりのフレージング、パールマンの脳天気、線の細いズーカーマンとはずいぶん違いますね。ドイツ人だからというわけでもないんですが、かなり表情の振幅が大きい、意欲的な演奏です。この独Electrola盤、SQエンコードされているためか、フォルテでやや荒れるのが残念。

ヘルシャーとの共演盤はほかにもいくつかあるミシェル・ベロフ、右手故障でいまは左手のピアニストでしたっけ? 女流ピアニストAに捨てられた末の自殺未遂だったという話もあるようですが、そんなことはどうでもよろしい。



こちらそのベロフによるドビュッシーのベルガマスク組曲、子供の領分ほか、1979、1980年の録音。このひと、メシアンなどを得意にしている割には知性派というより感覚的なピアニストといったimageが強いんですけどね。リズム感にすぐれているのが特徴ながら、ピアノの響きが独特で、やや濁ったように聴こえる・・・といってもこれは悪口じゃない。どことなく、クリュイタンスが指揮したパリ音楽院管弦楽団の「不揃い」のような味のある濁り方(笑)



さて、そのほかフォレの室内楽作品は、このふた組のセットからあれこれ引っ張り出して聴いていましたよ。なにせコドモの頃から聴いていたレコードなので、なんだか函も薄汚れておりますが(笑)愛着もあって、いまさら仏盤など買おうという気にもなりません。

そういえば、ちょっと前に、フォレは好きだけどレクイエムはさほどでも・・・なんて言っちゃいましたが・・・


左はクリュイタンスによるフォレのレクイエム、2度目の録音。同録音のLPは何枚か持っているんですが、これは独プレスの廉価盤。この盤に愛着があるのはひとえにGustave Moreauギュスターヴ・モローの絵がジャケットを飾っているから。

右は同じ廉価盤のシリーズで、これもギュスターヴ・モローのジャケット―ケンペ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるベルリオーズの幻想交響曲。ギュスターヴ・モローも意外とクラシックdiscのジャケットではおなじみですね。さすがにバッハやモーツァルトではお目にかからんが、フォレはともかくベルリオーズには結構似合います。同時代じゃないけどな(笑)あるいはこれもベルリオーズの先進性故か。

たしかジャン=クロード・カザドシュによる幻想交響曲の仏harmonia mundi盤もギュスターヴ・モローでしたね