monologue 2010.01

2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10 2009.11 2009.12
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2010.01.31 sun



なんとなく、チベットの一日。



こちらは、久しく生きとらん・・・じゃなくて、久生十蘭の全集から。もちろん読んだのは「新西遊記」。この小説のなかで語られている拷問を史実(事実)として紹介しているひとがおりましたな(よりによって韜晦趣味の久生十蘭をねえ・・・)。もっとも、ムカシからこれを本気にしているひと、結構いるんですよね。


さらにこんな映画も観ちゃいました。

Hammerの「恐怖の雪男」The Abominable Snowman(1957年・英)ですね(^^*右端はピーター・カッシング♪

もっともこの映画、一部がピレネー山地で、ほとんどがスタジオで撮影されたそうなんだけどね(^o^;




2010.01.30 sat

フェミニズムってのは、なんでも全面肯定するか、さもなきゃ全面否定するかの、どちらかしかないんですよね。



フロイト受難(^o^;




2010.01.29 fri

ことさらに忙しい忙しいと言うほどのことはないんですが、あまりまとまった時間のとれないときにも本は読みたい。そうした場合には、一篇一篇が短くて、思いつくまま広げた箇所を拾い読みしても愉しめるような本はうってつけですね。



ところが、うっかり数日間本を読まなかったりすると、いざ読みはじめようとしてもエンジンがかかりにくいことがあります。なにごとにも習慣による慣性が働いているもので、ゴムも伸びきっちゃうとダメなんですな。



そんなときには本に関する本を読むのがHoffmann家の家風です(笑)

なんだかんだで怪奇趣味に走りますね〜(^^;




2010.01.28 thurs



web閲覧・mail用PCのHDDが、お亡くなりに・・・昨年はデータ用second HDDが、今回は起動driveのHDDがオダブツ。このhomepage作成用のマシンとはお互いにback upしあっている仲なので、こちらでもmailなどは受信できるようになっており、そうあわてることもなかったんですが、やはり不便は不便。早急に修復しましたよ。出稼ぎ先は田舎なので、HDDを買ってくるのもたいへんですよ、秋葉ヶ原よりお高いし・・・(-。-;

「アキバガハラ」ですか〜(^o^;




2010.01.25 mon



グレタ・ガルボを絶賛したところで再びマレーネ・ディートリヒ。なぜかというと、この「間諜X27」Dishonored(1931年・米)は奇しくも「マタ・ハリ」と同じ1931年の製作(「マタ・ハリ」の公開は翌1932年)で、やはり女スパイを扱った映画なんですね。storyもよく似ている・・・ということでその連想から、昨日のグレタ・ガルボの後では分が悪いかな、と思いつつ引っ張り出したんですけどね(^^;



監督はもちろんジョセフ・フォン・スタンバーグ。映画としては「マタ・ハリ」よりもよほど上出来。あちらはもっぱら主演女優の魅力に頼った映画。こちらは共演者にも恵まれていて、storyもよりドラマティック、細部に至るまでがそのドラマを支えるさまざまな要素として働くように、よく練られています。メロドラマには違いないんですが、「分かって」いても感動的・・・というか、これぞスタンバーグ、ディートリヒの最高傑作では?



さて、グレタ・ガルボに対してマレーネ・ディートリヒですが、今回ひさしぶりに観て、途中まではこのひとらしい役作り、そこには限界も・・・とかエラソーに(^o^A;考えていたんですが・・・


娼婦からスパイとなって、ここまでにもさまざまな顔を見せてきたうえに、死刑囚となってからは・・・台詞や動作はむしろ自然体なのに、この清澄とも言いたい表情はとりわけ印象的です(いまどき、世のなかの女どもがこんなカオしたら、ただの「貧乏臭いふて腐れ顔」にしかなりませんや・笑)。



死刑執行前の辞世のピアノ―。



若い将校の刀を鏡代わりに身繕いをして・・・



目隠しをすすめられると、その目隠しの布で彼の涙を拭ってやり・・・


刑の執行に耐えられず抗議する将校、その間、動じることなく口紅を引き直す女―。


昨日「マタ・ハリ」を観たときにはは、いかなマレーネ・ディートリヒでも、グレタ・ガルボにはかなわんかなあと思ったんですが・・・いや、やっぱり胸に迫るものがあります、まいりました。

スタンバーグは、よほどマレーネ・ディートリヒを愛していたんでしょうね(^^*




2010.01.24 sun

リタ・ヘイワース、マレーネ・ディートリヒときたら、この女優も取りあげておきましょうか―。



グレタ・ガルボですね(^^*

映画は「マタ・ハリ」Mata Hari(1932年・米)。いわずと知れた、歴史上有名な伝説の女スパイを主人公とした・・・女間諜と言いたいところなんですけどね、お若い方が聞き間違うといかんので・・・(笑)

浣腸・・・?(・∇・;




storyは愛に殉じる女スパイを描いた典型的なメロドラマ。といっても、メロドラマと呼んだからといって、必ずしも悪口じゃないんですよ。ここにシニカルな英国風スパイスを加えれば、ヒッチコックまでの距離はさほど遠くない。




この映画でのグレタ・ガルボって、はじめのうちはちょっと役柄に似合わないかなあと思うんですが、逮捕されて死刑囚となったあたりからは、透き通ったような気品ある美しさがほとんど神秘的と感じられるほど。この時代の映画ならではの映像美と相俟って、静かに、輝かしいまでのオーラを放っています。さすが。


なんだかもう、眼だけですべてを語り尽くしているようですね〜(・・;




2010.01.23 sat

けふは“上海映画”を観ましたよ。



まずは「上海から来た女」The Lady from Shanghai(1947年・米)。オーソン・ウェルズの監督・製作・脚本、主演はウェルズとリタ・ヘイワース。当時は夫婦かな。謎めいた女性と殺人事件に巻き込まれた男というサスペンスものの王道を行く映画ですね。オーソン・ウェルズの映画というよりリタ・ヘイワースの映画と認知されがちなのか、「市民ケーン」や「第三の男」とか「審判」は観ていても、これは観ていないというひとが意外とおるんですなあ、もったいない。オーソン・ウェルズならではの刻印くっきり。

私はフェリーニの映画を思い出しちゃいましたけど(^o^;あのシーンで・・・



こちらは「上海特急」Shanghai Express(1032年・米)、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、マレーネ・ディートリヒの主演による、これまたサスペンスもの。同じコンビの「モロッコ」とちょいと似た風味。欧米人が東洋に対して抱いていたミステリアスなimageを異国趣味に混ぜ加えて、一丁上がり映画(笑)

この国内盤DVD、字幕のフォントが大きすぎるのと、画質もよくないのが残念ですね



その後にこちらの映画をご覧になりましたが、これは北京駅ですよね(^^;

まあExpressつながりでね(笑)この映画のいいところは女優なんかどうでもいいぞという硬派ぶりかな(^^*音楽もいい♪



クリストファー・リィとピーター・カッシングの黄金コンビですね・・・って、これ、ほとんどstoryが破綻している「ホラー・エクスプレス ゾンビ特急“地獄”行」Horror Express(1972年・西・英)ですよね

なんかね・・・この映画、ひょっとすると設定とか、「上海特急」の影響下にあるんじゃないかという気がするんだよねー(笑)




2010.01.22 fri

(昨日の続き)
そういうわけですから、「『2』や『3』も結構好き」とはいうものの、初作の突出した地位は揺るがない。やはり続篇がオリジナルの驚きを超えるのは無理なんですね。もちろん、初作はその後の「オカルト映画」ブームを巻き起こすきっかけとなった、当時としては新しい衝撃を持った映画とあって当然のこと、またHoffmannも多感な時期にこれを観てしまったもんですから、強烈な印象はもはや塗り替えることも難しいのですよ。






画像はもちろん「エクソシスト」The Exorcist(1973年・米)から―本日は素直に選んでみましたよ。いずれもたいへん印象深い名シーンですね。



この映画、こうした「引き」のカメラに妙味あり。


今回オリジナル劇場公開版とディレクターズ・カット版の両方を観たんですが、こうしてあらためて観てみると、ショックシーンといっても近頃の映画によくあるような、突然なにかが画面に現れたり、音で驚かしたりするようなものではないんですね。惻々と恐怖感をあおり立ててゆくのが持ち味。



悪魔払いの映画なんですから当然と言えば当然ながら、Hoffmannはコドモの頃この映画を観て、彼の国ではキリスト教がいかに日常に浸透しているかということを理解しましたよ。


やっぱりこんな場面がキャプチャされていますね(^^;

そりゃあね(笑)

もう語り尽くされたとは思うんですが、これはアメリカのありがちな家庭を描いた映画なんですよね。リーガンの家庭は母子家庭。母親は女優で仕事に忙しく、あまり娘にかまってやれない。離れて暮らしている父親は誕生日に会いに来てくれるのではないかという娘の期待にもこたえてくれない。父親候補となる男(母親の現在の恋人)はパーティで醜態をさらして失格とされ、悪魔(の取り憑いたリーガン)によって殺される。一方のカラス神父は年老いた母親を病院に預けて孤独死させてしまったことから罪悪感にさいなまれ、もはや信仰も失いかけている。すなわちここでは悪魔払いが、神父(father)として落ちこぼれかけた男が父親(father)不在の家庭を訪れ、ふたたびfatherたろうとする闘いなんですよね



それにしても、「オーメン」でもそうだったんですが、なぜか悪魔って、続篇、続々篇と話が進むにとれて弱くなっていく(わりあい簡単に退治されちゃう)んですよね

やっぱりドラマの焦点が、悪魔との直接の闘いではなくなっていくからなんだろうね




2010.01.21 thurs







・・・と、Hoffmannなりに選択した画像を並べてみましたよ。

上から順に、「エクソシスト」The Exorcist(1973年・米)「エクソシスト2」Exorcist II(1977年・米)、「エクソシスト3」The Exorcist III(1999年・米)ですね。

最初の作品はウィリアム・フリードキン監督、ウィリアム・ピーター・ブラッティが製作・原作・脚本。「2」はジョン・ブアマン監督、「3」はウィリアム・ピーター・ブラッティが製作・原作・脚本に加えて監督も兼ねています。

初作の衝撃は言うに及ばず、20世紀映画史に残る、後世に与えた影響も大なる傑作だと思います。それにくらべると第2作、第3作はあまり評判がよろしくない。「2」はショッキングなシーンもなく、善と悪の戦いを寓意的に描いたもので、その意味では宗教色が濃いんですね。だから「観たけどよくわからん」と言うひともいるし、初作よりいいと言うひともいますね。「3」は犯罪サスペンス風味で、storyは「2」よりもむしろオリジナルの続篇と言うべきもの。これも賛否両論、否の方が多い。

でもね、Hoffmannは「2」も「3」も結構好きなんですよ。「2」で悪魔をイナゴの大群(のimage、と言うべきか?)に擬するのはなかなかのアイデア。「3」は特殊メイクとか特殊撮影にのみ頼ることなく、惻々とした恐怖感を高めてゆくあたりに好感が持てますね。

1990年ともなると、特殊撮影で怖がらせるというのは難しくなっていますね。たとえば、病院の天井のおばあさんなんてむしろ滑稽に見えますし、ラスト近くの病室の床に現れる地獄なんて、目をみはらせるとしても、恐れおののかせる映像というわけではありません

だからと言うべきか、「2」について、「SF映画」としてよくできている、なんて意見のひともいるんだよね。リアリズムを放棄・・・しちゃっているわけではないけれど、背後を振り返るのが怖くなったり、深夜ににうなされたりするような恐怖映画ではないんだよ




2010.01.20 wed

福音館という出版社が「たくさんのふしぎ」という月刊の科学絵本シリーズを出しているんですが、2010年2月号として発売された、太田大輔というひとが書いた「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」という本について、登場するおじいちゃんの喫煙シーンがけしからんと抗議をしたひとがあったそうです。青森県の小児科医らしいんですが、このひとが不買運動をはじめ、福音館に抗議に対応しなければ不買運動を続けるぞと、圧力をかけたんですね。その結果、なんともあきれたことに福音館はとっとと謝罪し、販売を中止したようです。

福音館もどうかとは思うが、このキチ○イ小児科医の、自分が正義の刃でも振るっているつもりでいるような思いあがりこそ、まさしく常軌を逸していますね。こんな低脳小児科医に子供を診せなくてはならない青森県のひとたちには同情を覚えますね。もしも私が子供であったなら、こんな莫迦に診察されるくらいなら、死んだ方がましだと思いますよ。

狂気の小児科医のブログはこちら―。

ttp://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic

出版社失格の福音館の対応がこれ―

ttp://www.fukuinkan.co.jp/oshirase/goodsid20909.html

この、生きていてもなんの価値もない害虫小児科医は、この本の巻末にたばこと塩の博物館の岩崎というひとの名前が協力者としてクレジットされていることから、JTが金を出して描かせているのではないかと、妄想力たくましく疑っていますね。

そんな根拠で他人を非難してよいのなら、私も言いますよ―この狂信小児科医のちぃちぃぱぁぱぁ毛虱野郎はオウ○真理教の信者に違いない、すくなくともその同類の白痴と見て絶対に間違いありませんね・・・いや、「すくなくとも同類」というのは妄想でもなんでもなく、正真正銘の事実だと思いますよ。

私もたばこの煙は苦手ですけど、不買運動をちらつかせて抗議する・圧力をかけるというのは、立派な犯罪行為だと思いますね




2010.01.19 tues



めっぽうおもしろい自伝文学なんですが、これをもとにオペラにしちゃおうなんて考えたひともたいしたもんですね。

動作の鈍い人・・・っていうオペラも作曲したひとですねっヾ(・∇・* (^o^;花ちゃん、それ違・・・

ところで、むかーしクイズ番組を見ていたら「『ローマの謝肉祭』を作曲したのは?」という問題が出て、回答者はベルリオーズとこたえて正解とされたんですが、じつはもうひとり、正解となるべき作曲家がいるんですよね(^^*

そういえば、やはりクイズ番組で「ゴジラは空を飛べるか?」という問題の正解が、「飛べない」とされていたことがありましたね(^o^;




2010.01.18 mon



シェーンベルクが十二音技法を確立した作品が1920年代に書かれていますね。さらにベルクが「ヴォツェック」を作曲したのが1917年から1921年、「ルル」の作曲が1929〜1935年で未完のまま没。このあたりまで(19)世紀末の木霊(エコー)が及んでいる。

未完といえば「失われた時を求めて」のプルースト1922年没、生前に刊行されたのは「ソドムとゴモラ」第II巻まで。世紀末芸術に浸りきっていたプルーストの到達点がやはり同時期。

ついでに言えば、1930年代に至ると世紀末から見え隠れしていた影が明瞭に見て取れるようになって、それが全ヨーロッパを覆いつくしてゆくわけですね。

「世紀末芸術」を語るなら、1930年代くらいまでは視野に入れなきゃいかんのじゃないかという主張がありますね。マーラーの音楽やクリムトの絵程度で安易に「世紀末」を語っちゃいかんということよ。





2010.01.17 sun



先日ユルスナールの本を取りあげたピラネージの牢獄は幻想の牢獄。こちらは現実の監獄。

ミシェル・フーコーですね

「身体」を権力に対して従順せしめるために、閉鎖的な空間で監視されていることを意識させる・・・という建築物が監獄であって、これが近代資本主義社会のモデルとなっているという論旨だね

Hoffmannさん、わざとわかりにくい言い回しをなさってませんか?(^^;



監獄といえばこんな小説もありましたね。

Hoffmannさんごひいきの山田風太郎ですね。この「地の果ての獄」は、若く正義感あふれる典獄(看守)を主人公にして、時の政府高官から幸田露伴、原胤昭などが登場する連作小説ですね

Hoffmannさん、監獄のお話なら「C・3・3」とおっしゃる方の本もあるらしいですよっヾ(・∇・*


一切は、ある異界のものが我々について見ている夢にすぎないんだよ・・・( ̄- ̄*

うどんこそが唯一の罪なのだ・・・って言ってますよっヾ(^∇^* (^o^;花ちゃん、それは「うどん」じゃなくて「愚鈍」よ〜




2010.01.16 sat



「変格」ブラームスのdiscをもう1点。シャンドール・ヴェーグの指揮、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカによるブラームスの弦楽五重奏曲とシェーンベルクの「浄夜」です。後者は当然シェーンベルク自身による弦楽合奏版のスコアで演奏。ブラームスはヴェーグによる編曲(これを編曲というのは必ずしも正しくはないが)。

室内楽版に対して弦楽合奏となると、緊密なアンサンブルによる緊張感は豊かな音響とトレードオフになりますね。それでもシェーンベルクの場合は、その後期ロマン主義の延長線上にある作品の濃厚な情念が明らかにされておもしろい。ただしちょっと中途半端な印象も。ブラームスはシェーンベルクと組み合わせることを意識したものかどうか、ソロとアンサンブルの使い分けが「浄夜」の弦楽合奏版と共通するものとなっているみたいです。演奏はより柔軟でダイナミクスの幅も大きいと聴こえ、響き自体も充実していますね。逆に言うと、シェーンベルクの方は作品と指揮者の性向にやや距離があるのでは・・・?




2010.01.15 fri



シューマンときたら、次はブラームス。これまで何度かお写真upしたはずの、ギュンター・ノイホルト指揮シュターツカペレ・バーディッシェによるブラームスの交響曲第1番のCDです。このdisc、余白に第2楽章の初稿版を収録しているのがマルコメ(^^*

ブラームスの交響曲第1番は1876年に完成されたわけですが、カールスルーエでオットー・デッソフの指揮により初演された際の第2楽章は今日のものとは異なっていました。この稿はその後ブラームスの指揮で5回、さらにイギリスで3回演奏された後、翌年の出版の際に手を入れられて、結果現在の第2楽章となったんですね。初稿は破棄されて、現在残っているのは1876年12月17日ウィーンで演奏された際のヴァイオリンとヴィオラのパート譜の写しが少々。また翌年のロンドン公演の際のプログラムに現在の印刷譜にはない譜例が引用されており、これらのわずかな断片から再構成されたのが、このdiscに収録されている「初稿版」です。

テンポは最終稿のアンダンテ・ソステヌートに対して、初稿はポコ・アダージョでやや遅め、ソナタ形式ではなく5つの部分からなるロンド形式。響きは軽め、とくに内声部がやや薄いかな。その分流れは軽快になっています。第3楽章とともに、重厚な第1楽章と終楽章に挟まれた軽めのふたつの楽章といった印象になりますね。もちろん最終稿の方が完成度は高いと思うんですが、これはこれで魅力的な音楽。ときどきこのCDを引っ張り出して聴いているんですよ。当然のことに新作や新発見の作品は期待できないブラームスですから、こうした試みは歓迎しちゃうHoffmannです。




2010.01.14 thurs


シューマンの「薔薇の巡礼」のCDですよ。1851年、シューマン晩年の作品で、主人公の薔薇の精をソプラノに、その他の独唱と混声合唱によって語られる物語(Maerchen)というオラトリオふうの構成。伴奏はピアノ版とオーケストラ版があり、デュッセルドルフのシューマンの自宅で60人ほどの人々を招いて行われた初演はピアノ版。

storyは・・・薔薇の精は愛に憧れ、人間の乙女としての命をもらい、旅に出る。はじめの家では拒否されて、たどり着いた墓地で墓堀人に会う。ちょうど失恋がもとで死んだ娘が葬られて、薔薇の精は墓堀人の好意でその日は家に泊めてもらう。翌朝、墓堀人は薔薇の精を娘を亡くした夫婦のもとへつれてゆく。夫婦は薔薇の精が死んだ娘によく似ているため、自身の子として育てることにする。薔薇の精は人々に愛され、やがてひとりの若者と結婚し、子供を産む。そして人間の宿命として死を迎える・・・。

左のルーベルト・フーバー指揮シュトゥットガルト南放送合唱団、ロジーナ・バッヒャーのソプラノ、スコット・ウェアのテノール、ロベルト・シドンのピアノによる1990年録音のこのdiscは、たしかこの作品の世界初録音。これほどの音楽がそれまで録音されたことがなかったなんて信じられませんな。右はクリストフ・シュペリング指揮によるオーケストラ版のdisc。オリジナル楽器を使用したこの演奏も決して悪くはないんですが、ちょっと大仰になってしまって、ピアノ版のほうが作品にふさわしいですね。




2010.01.13 wed



これはユルスナールの「ピラネージの黒い脳髄」。ピラネージは先日の会話で名前が出ましたね。

これは1961年、ピラネージの版画集「幻想の牢獄」が復刻される際に、序文として書かれたものですね

ウォルポールの「オトラントの城」、ベックフォードの「ヴァテック」はこのピラネージの作品から霊感を得たし、テオフィル・ゴーチエはこの版画をもとにした舞台装置で「ハムレット」を上演することを夢見たそうだ

そして映画「薔薇の名前」へ・・・と



そのほか、赤い本や青い本など(笑)引っ張り出して過ごす冬の日の幻想・・・。



私も、赤い本や青い本を・・・ヽ(^o^*



Hoffmannさん、花も赤い本をみつけましたよっヾ(^∇^*



読んでもいいですかっ?(*^∇^) Σ( ̄□ ̄;;;




2010.01.12 tues



「薔薇の名前」を観たので、なんとなくこんな本を引っ張り出して拾い読み。図版(写真)の印刷が寝ぼけたような昼行灯なのが残念。

ヨーロッパ15カ国に現存する49の図書館が図版入りで紹介されている本ですね。図版はどうも複写みたいです

こんな歴史のある図書館はともかく、我が家にも自分なりのミクロコスモスたる図書室が欲しいねえ・・・

既に部屋全体がそうなってるんじゃないですか?(^^;

ただ適当に並べてあるだけだよ。せめて本棚の一角には「世界」を構築してみたいもんだ( ̄_ ̄;ヾ(・∇・*もうすこし、せーりなさればいいんですよっ



こちらは言わずと知れた・・・

マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」ですね

もともと本を読むということすなわち音読であったものが、活版印刷の発明(普及)によって黙読に主流の座を譲った・・・というのはともかく、黙読によってフロイトがそう呼ぶところの「無意識」が生じた・・・この仮説は大胆でおもしろいね

そもそも無意識って、もとからあったものが発見されたのか、ある時期から発生してきたものなのか、わからないんですよね

マクルーはん?(・∇・*

お花はん・・・(*^o^)ノシ
 ヾ(^∇^*)Hoffmannはん・・・

ほな、おーきに♪ヽ(*^o^*)
(*^∇^*)ノ (^o^;ちょ、ちょっと、ふたりしてなにやってるんですか〜




2010.01.11 mon

過日、自宅に帰宅した際、20世紀前半に活躍した大歌手フョードル・シャリアピンのレコードを聴いたのは、先日マスネの歌劇「ドン・キショット」のDVDを観たから。初演の際にシャリアンピンがこの役を歌った・・・というか、そもそもシャリアピンを想定して書かれた作品ですからね。


まあ、この連想はわかりますね(^^*

そしたらボルヘスが読みたくなった。たまたま手許に「伝奇集」があったので、気の向くまま拾い読み・・・。


ちょっと連想が込み入ってきましたね〜(^o^;

ボルヘスを読んでいたら、今度はにこの映画が観たくなりましたよ。



すばらしい図書館ですなあ。


どう見てもピラネージだと思いますけど・・・「薔薇の名前」Le Nom de la Rose(1986仏・伊・西独)ですね。この映画を間に入れるとHoffmannさんの連想も納得ですよ



なんのことだかさっぱりわからん、というひとのために解説しておくと、この右から二番めの盲目の修道士を演じているのが歌手のシャリアピンの息子。このホルヘ修道士はモデルがボルヘス。




火のついた梁が頭部を直撃するシーン。予想外に落ちてきたのでびっくりした監督が安否を尋ねると、シャリアピン・ジュニア氏頭から血を流しながら、「いい画は撮れたか?」「そんなことより大丈夫ですか?」「81歳だ、死んでもおかしくない。それより撮影が大事だ」

グスン・・・(;∇;*

あれ、花ちゃんが泣いてるみたいだけど・・・(・・;


タマネギを刻んでるんですよ(^o^*

Hoffmannさん、晩ご飯はステーキですよっヾ(;∇;*)シクシク・・・・・・さんじゅうろく



(おまけ)


別な映画にご出演のシャリアピン・Jr氏。なんという映画か、わかるかな?(笑)




2010.01.10 sun



ヘッドホン以外にいろいろヒントを授けてくれたのが、昨年入手したこちらのスピーカー。いわゆるアクティヴ型、パワード(アンプ内蔵)スピーカーで、本来スタジオモニターとして使われる業務用機器です。値段のことを言うのは少々品がないが、なにしろ信じられないくらいお安い(^o^;それがまた限定特価販売となっていたのを見つけて購入。以前から欲しかったスピーカーなんですよ。

ウーファーは130mmコーン、ツィーターは25mmソフトドームの2wayリアバスレフとなんの変哲もなさそうな構成・・・はいいとして、アンプ内蔵だからサイズのわりに重い、その内蔵アンプは左右独立、ユニットはバッフルに10点止め。サランネットなし。業務用なので入力はバランス(XLR)またはフォンプラグ。従ってCDプレーヤーなどを直接つなぐこともできるんですが、音量調整が左右別になるのでこれは面倒。ヘッドホン端子から出力した方が便利。

このスピーカーが到着してから、CDプレーヤーを直接つないでみたり、途中に音量調整のためパッシブ・アッテネーターを入れてみたりもしたんですが、やはりアンプを介在させた方が音質的には有利で、我が家ではプリメインアンプのPre-outからRCAケーブルで出力、フォンプラグへの変換アダプタをかませて入力するのがベスト。スピーカー側のアッテネーターは12時あたりで固定して、音量調整はアンプ側で行うから、これなら不便もなし。その後BDプレーヤーの音声出力をヘッドホンアンプに接続、ヘッドホン出力からスピーカーにつないでオペラや映画の鑑賞にも。刺激感なく、しかし決して丸く鈍ったような音ではなくて、むしろやや硬質かなというくらい。ことさらにエッジを強調して鮮やかになりすぎたりすることもないのに、精緻で実在感に富む。鮮度の高さと芸術性がバランスよく両立。適当にポン置きしてもそれなりだし、standに載せてセッティングを詰めれば、抜群の音場感、明瞭な定位・・・なんでこんないい音すんの?(^o^;

従って、この長所を引き出すには高さは綿密に調整したい。耳をふたつのユニットの中間あたりにするのがベストかな。重いのは欠点ではないんですが奥行き方向があるので、椅子に座って聴く場合、市販されているちょうどよい高さのstandだと、その天板はこのスピーカーに対して小さすぎることになりそう。その場合はそれなりの処置が必要、あるいは自作するか。standを選ぶ際には注意。

一般的にはツィーターを耳の高さに・・・って言われませんか?

ムカシはそうだった。でも、2wayの場合、むしろウーファーとの中間あたりを耳の高さにした方がいい場合が多いみたいだね。ただしそれぞれのユニットの再生帯域にもよるから、ツィーターといいながらものすごく帯域幅の広いユニットなら話はまた別。スピーカーとの距離によってはさほど神経質になる必要がない場合もあるし・・・上で言ってるのはあくまで我が家でこのスピーカーを聴く場合のことだよ

Hoffmannさんはやや低めの位置から・・・

仰角をつけてセットするのが好きなんだな。ホールの2階席正面からやや見下ろす感じが好みなんだよね(^^^*

・・・それで、このスピーカーがどのようなヒントを授けてくれたんですか?

Hoffmannさんっ、2行上で三つ目になってますヾ(・∇・;ワトソン博士もびっくりですっ




2010.01.09 sat



こういったヘッドホンで聴いていて気が付いたことがいくつか―audio的に言うと、S/N比と分解能という、これまでHoffmannが格別重視してもこなかった要素ですね2010.01.05 tuesから話が続いているんですよ。ヘッドホンリスニングではこのあたりに意を払った方が幸せになれそうだということ。それでいくつか対処してみたんですよ。そのひとつめは振動対策。出稼ぎ先に持ってきているアンプはCDプレーヤーはさほどのグレードでもなく、決して重量級のモデルでもないんですが、手持ちのインシュレーターをあれこれ使ってみたら、たしかに静けさが感じられるようになった。すると細部の聴こえもよくなって、その状態でスピーカーでも聴くと、ホールの空気感の再現も良好。そこでさらに振動対策以外、これまであえて手を付けてこなかったあたりにも対策を施したところ、一段階ごとに、一皮むけてゆく。分解能よりも音の重なり、ブレンド感重視のHoffmannも、すっかり考え込んじゃいましたね。これはとりあえず素材の持つ味(旨味?)をできるだけ全部出しきっちゃって、好みの方向への味付けは最後のひと振り、とするのが筋ちゅうもんかな、と。

それで自宅帰宅時にほぼ同じことをやってみたところ、なかなか鳴らなかったS社のスピーカーが鳴りだした、というわけです。なお、Hoffmannはaudioマニアじゃないので(マニアからはいまさらと笑われるようなことをやっているんですからね)、その詳細は省略。ちょっとだけ書いておくと、やはり基本は大事ということ。大元の土台で鈍らせちゃいけない。ケーブル交換なんて小細工ですよ。ただし「最後の味付け」はスピーカーケーブルに頼ることになりそうな予感。それと、とりわけ真空管式のアンプ(phono-EQ)って、振動対策が重要なんですね。



ちょっと話は変わるんですが、振動対策→インシュレーターで思い出した。上はBDプレーヤーの底面のお写真。右が前面パネル側。一応インシュレーターがふたつ、取り付けてありますな。ところが後方は、どう見ても取り付けることができるように造られているのに、ない。代わりに妙な出っ張りがあって、そこに四角い硬質ゴムが貼り付けてあるだけ。なるほど、安価なモデルではこうしてわずかでもコストダウンを図っているわけですね。意外とこういうの、よく見かけますね。いっそ4ヶ所とも簡単なゴム脚にしちゃえばいいような気もするんですが、設置して正面から見たときの見栄えに配慮しているんでしょう。



・・・で、自分で別に取り付けましたよ。やっぱり自らも回転系により振動する機械ですからね。トレイが中央なので前面側は中央にひとつの3点支持としました。あまりカチカチな音になっては困るので木材系を使用。間に薄いゴム系素材を入れてスペーサーとしています。ゴムは薄い方がキモチいいですなあ、わははは・・・(((;-_-)σ)~0~)/プニッ♪ 後方が内側に寄っているのは高さを合わせるためであると同時に、こういった機械って、スピーカーと違ってあまり縁で支えるよりも内側で支えた方がいい結果となる場合が多いから(前側の1個も、この後半個分中心寄りに移動)。あと、お写真撮ってないけどモニタも振動には結構敏感。要対策。




2010.01.08 fri



beyerdynamicのDT990 Edition2005です。開放型でケーブルは片出し。3.5mmミニプラグで、6.3mm標準プラグへの変換プラグが付属。ミニプラグがdefaultだからといってiPodなどに直接つないで「能率が悪くて音量が出ない(小さい)」と言っているひとがいますが、これはインピーダンスが250Ωだから。しかるべき使い方をすればSN比に有利。ヘッドバンドはやや短いか。Hofffmannは特別頭が大きい方じゃありませんが、最大に伸ばしてようやく耳を覆う程度。ひとによっては耳たぶがパッド内におさまらない(耳たぶがはみ出る?)かも。そのパッドの感触はしっとり感が心地よい。

結論から言うと、かなり気に入っているモデルです。これを購入するとき、shopでSENNHEISERのHD650と比較したんですよ。店員氏はHoffmannがDT990 Edition2005を選んだことにちょっと意外そうな顔してましたね。細部に至るまでバランスが良く、ニュートラルという意味では、たしかにHD650の方が上かもしれません。しかし、それだけにつまらない(^^;はじめてヘッドホンを購入しようというひとがいたら、HoffmannもSENNHEISERを勧めるかもしれません。しかしAKGのK1000があるなら不要不急だなあ。

DT990 Edition2005には強烈な個性があります。一般的には刺激感のある高域、といった評価が多いようですが、Hoffmannにはあまり刺激的という印象はなく、とにかく音色が渋いと感じています。分解能が悪いわけではないのに、音の重なり―ハーモニーに聴き入ってしまうような
厚い響きが特徴的です。よってどちらかといえば暖色系。低域が厚く低重心。音色はやや暗めなんですが、中高域のエッジがほどよく立っていて、決してつや消しのつまらない音にもなっていない。

逆に言うと、ヌケの悪い音なのではないですか?

そうかも。カメラのレンズで言うと、Canonレンズみたいなすっきり感ではなくて、古いLeicaレンズのような、色を塗り重ねたようなこってり感だね(^^*「ヌケがいい」ということは、なにかが抜けちゃってるのよ(笑)

結局は好みということですね(^o^*これは積極的にブルックナーなど聴きたくなりますね。昨年独Membranレーベルから発売になったパーテルノストロ指揮ヴュルテンベルク・フィルによるブルックナー交響曲全集はこれで全部お聴きになりましたよね

そう。一昨日も言ったことだけど、ドイツのメーカーによるかつてのスピーカーの強烈な個性を思い出しちゃった。ヴィソニックとかブラウン、ヘコーといったメーカーの古いモデルだな。知ってる?(*^^)♭(^o^;さあ・・・?現代のスピーカーからは聴くことのできなくなってしまった個性が、このヘッドホンに生きているような気がするんだよ

ところで、SENNHEISERにはHD800という上位モデルがあって、beyerdynamicからはT1という機種が発売になったようですね

ま、お高いからね(^^A;というか、そのときはHD800はまだ出ていなかったし、T1に至っては発表もされていなかったんだよ

ヘッドホンについてはお写真3枚並べたところで一段落とします。ちなみにヘッドホンスタンド代わりのDVD Box Setは順番に「中川信夫傑作選」(PRO2500)、「Hammer Film Noir Double Feature」の1と2(HFI-2200ULE)、「サスペリア アルティメット・コレクション」(DT990 Edition2005)。




2010.01.07 thurs



ULTRASONEもう一台、これはHFI-2200ULE。これも開放型で、ケーブルは片出し。インピーダンスは75Ω。3.5mmミニプラグで、6.3mm標準プラグへの変換プラグが付属、これはPRO2500とは逆ですね。75Ωの方がミニプラグをdefaultとしているのも不思議? そのカラーリングから「クマホン」なんて呼ばれていたヘッドホンです・・・というのはこれ、もう生産終了。後継機種(HFI-2400)はふつうの黒になってしまいました。

PRO2500あたりとくらべると万能タイプで、やや音が遠くなるという評判だったことから、オペラを聴くのに向いているのではないかと思って入手。これも聴きはじめの怒濤の低音は時がたつにつれて落ち着いてきましたね(中高音が出てきた?)。たしかに音がややオフ気味で、その分空気感を感じさせるようです。しかし、ディテールに至るまで精緻、とは言いがたく、ために空間再現の克明さという点ではいま一歩。音そのもののクォリティにおいてはPRO2500には及ばないのが残念。耳を覆うパッドはソフトで気持ちいい。頭頂部はPRO2500と同じ(まあ、慣れだな)。

PRO2500が手許にあれば、これは必要なかった・・・と?

うんにゃ(笑)現在、木目(調)の装置につないで使っているんだよね。このカラーがじつに似合うんだな(^-^*


寒い冬には、見た目にも暖かみがありますし、楽しみ方もいろいろですね(^o^*


# いや、実際ヘッドホンって冬はあったかくってよろしいですなあ(^^*K1000は夏向き♪




2010.01.06 wed

出稼ぎ先でひさしぶりにAKGのK1000を使って思ったのは、これ、並のスピーカーでは到底及ばないクォリティだということ。音場が前方に広がらないのは、これはヘッドホンの宿命で仕方がない。しかし音源が耳に近接しているということによるメリットも大きい。低音域の再現は小型スピーカーを軽く凌駕し、大型とくらべても部屋の定在波などの影響を受けることがないため、有利と言えます。細部が克明に聴こえるので演奏のニュアンスもよく伝わってくる。それにいくつか持っていたって、スピーカーのように場所を取ることはないよなあ、というわけで・・・



いろいろカタログを集めたり、webで調べたりして入手したのがこれヽ(^^*ドイツはULTRASONE(ウルトラゾーン)のPRO2500です。オープンエアダイナミック型でインピーダンスは40Ω、ケーブルは片出しで着脱可。6.3mm標準プラグで3.5mmミニプラグへの変換プラグが付属。同社のヘッドホンの多くは電磁波対策が施されています。

ヘッドホンに関しては、詳しい方が少なからずいらっしゃるようで、ここでHoffmannなどがレビューめいたことを語る必要もなさそうなんですけどね。ULTRASONEって、人気があるわりには、ドンシャリ傾向でやや癖が強いという評価が一般的なようですね。しかし、Hoffmannは個人的には「癖」というより「個性」と感じましたね。とにかく一聴してびっくりの量感たっぷり低域ズンズンブンブン。これが響きの豊かさをもたらしている。さすがにちょっと過剰気味ではないかと感じていたんですが、これはやがて落ち着いてきた。高域ははじめのうちやや硬質、これも芯を残しつつやわらいできましたよ。S-LOGICというシステムで、ユニットを中心からオフセットしており、音を外耳に当てることによって、前方から音が聴こえてくるかのような効果を生んでいるということなんですが、この効果はさほど感じない(クラシック以外の録音だと、この印象が変わるかもしれません)。装着感はまずまず。長時間装着していると頭頂部が少々気になってきます。どちらかというと、オペラよりはオーケストラ向き。映画を観るときに使ってもおもしろいヘッドホンです。

ウルトラゾーンって、ドイツの会社ですから「ウルトラゾーネ」と発音するのが正しいんじゃないですか?

いまの輸入元が「ウルトラゾーン」と表記しちゃってるんだよね。webでは「ゾネホン」なんて呼んでいるひともいる

ドンシャリといえばたしかにそうなんですが、決して派手でドライなタッチではなくて、どことなく潤いを感じさせてくれますね

なんかね、むかーしのドイツ産スピーカーの強烈な個性を思い出すんだな。スピーカー分野ではがとっくに失われてしまった、お国柄とか風土による個性を、ヘッドホンというジャンルは未だ保ち続けていた・・・と感じているんだよ、それがなんだかうれしいんだな(^^*




2010.01.05 tues

monologue 2009.11.04 wedでこんなこと言いましたな。

---ここから---

自宅に置いてあるスピーカーはS社とH社のものなんですが、じつはS社の方は大編成ものがいまひとつなんですね。どうも、現用のアンプでは鳴らしきれない? 同じアンプでも、H社のSPや同じS社でも出稼ぎ先に持ってきたブックシェルフタイプならいい音で鳴らしていたんですけどね。もちろんアームやカートリッジなどの調整箇所はあらためてチェックしたうえで、SPケーブルも手持ちの範囲でいろいろ試して、足回りも何通りか対策してみたんですが、どうもまだまだの感。アンプの力不足だとすれば、ここでパワーアンプの交換ということになるんですが、自宅の装置がたまにしか使えない現在の環境で、アンプの交換もどうかと思っちゃう。そこでここ数回の帰宅時にはもっぱらH社のSPでオペラなど聴いていたんですよ。ところが自宅のS社のSPは昨年入手したばかり(中古じゃない、新品。デッドストック品だけどな・笑)。よって鳴らさないことにはエージングが進まない、これじゃアンプのせいばかりにもできんよな・・・というわけで、積極的に聴こうと思って、しかし大編成ものは苦しいので室内楽中心に聴いたんですよ。
---ここまで---


ふっふっふ・・・アンプ交換などせずとも、その後数回、延べ数日の帰宅時に施した調整で、鳴りだしたんですよ、オペラも大編成ものも( ̄ー ̄*niyari

まあ、いろいろと「対策」なさいましたよね(^^*

しかしほとんど費用がかかっていない(^o^A;
ちょっとこれまでやったことのないことをしたんだよね。つまり、キホン的にはおっとりゆったり、やや軟調傾向の音が好きなんだけど、今回はとにかく出てくるべき音は全部出す方向で、audio的な表現で言えば、ダイナミックでワイドレンジ、S/N比にすぐれた音を目指してみた。使っているカートリッジからスピーカーまでの機材はもともとソフトな音を出す傾向の装置なんだから、その持ち味の範囲内でのことだけど・・・最後にもう少し音を穏やかにソフトにしたくなったとしても、ホンの一部で味付けすればわりあい簡単なはずだから、と思ってね


その最後の味付けは・・・?

まだやってない(笑)それはもうすこし後になりそうだなあ

ひとつずつ、段階を踏んで変えてこられましたからね

そりゃ一度に2ヶ所に手を加えたらなんのせいでどう変化したのかわからなくなっちゃうからね。そうなったら泥沼だよ。じぶんチなんだから、あわてることはないさ

その「調整」の際に参考になったのは・・・

じつは現在の出稼ぎ先でしばらくぶりに引っ張り出して、ときどき使っている・・・



これですねヽ(^o^*


# この話題、続く鴨〜




2010.01.04 mon

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。


おめでとうございます〜(^^*

本年もヨロピコおねがいしますっヾ(^∇^*