monologue 2010.05

2010.01 2010.02 2010.03 2010.04
2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10 2009.11 2009.12
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2010.05.31 mon


左はジャン・ジロドゥ、モーリヤック、アンリ・ド・レニエですね・・・ああ、翻訳を愉しむ読書というわけですね(^^*

翻訳者は順に中村眞一郎、堀口大學、青柳瑞穂だよ

右はネルヴァルが中村眞一郎で、ヴァレリー・ラルボーが堀口大學と青柳瑞穂の共訳ですね



それでは私は吉田健一と田邊貞之助の翻訳で・・・(^^*

ポオとケッセルだね(^^*




2010.05.30 sun



マリー・コレリの本なんか読んじゃったりして・・・アナクロニズムもまた愉し(^^*

お写真は翻訳の・・・

・・・ときたらお次は当然・・・



空にはあたかも大きな溶鉱炉の扉をあけたときのような・・・

すさまじい赤光があった・・・




2010.05.29 sat



リチャード・バートンの本を読んでいて、なんとなくこの本に手が伸びる。



これはWagnerの研究書を読んだ後に。




2010.05.28 fri



この画像(写真の写真)が傾いて見えるとしたら、それは錯覚ですよ(^^*




2010.05.27 thurs



ロバート・ワイズ監督の「アンドロメダ・・・」The Andromeda Strain(1971年・米)です。ロバート・ワイズ監督といえば「ウェストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」が有名ですが、そんなものはどうでもよろしい。いわんや「地球の静止する日」などという幼稚かつ陳腐で愚劣きわまりない“紙芝居”においておや。このひとはHoffmannにとって「たたり」The Haunting(1963年・米)の監督さんなんですよ。

上の画像は冒頭のタイトルバック。コンピューター大活躍の映画ですからね。「マトリックス」に先んずること28年。



原作はマイケル・クライトンの小説「アンドロメダ病原体」。ニューメキシコ州の小さな町に落下した人工衛星に付着していた病原菌のために
、町の住民は赤ん坊とアル中の男を除いて全滅。米政府は科学者や医師4名を招集し、地下の秘密研究所でこの非常事態の対策にあたらせます。


ちょっとドキュメンタリーふう。さすが、見せ方がうまい。


じつはstoryのほとんどが、地下施設でのドラマなんですよ。その施設の最高レベルまで至るための消毒(滅菌)処理を長々と見せられるんですが、これがダンドリの描写にすぎないのに、ちっとも退屈しない。時折ユーモアをにじませるなどしつつ、登場人物のキャラクターを明確にしてゆく手腕は見事というほかなし。「細部まで作り込む」とは、こうしたもの。


主要な登場人物で女性はといえば、女性の細菌学者(微生物学者だったかな?)と医師の助手のふたりのみ。いずれも、いわゆる「キャラが立っている」というやつで、ハリウッド映画にありがちな“オンナオンナ”したタイプではなし(これ重要)。それでも(オバサンの不機嫌顔でさえ)魅力的です。



回収した人工衛星を乳房に・・・じゃねえや、つぶさに調べているシーンも長い・・・長いんですが、未知の病原体の存在が徐々に明らかにされてゆくさまが、ドラマを重厚に盛りあげていきます。
ここまで作り込んでこそ、realityを獲得できるのですよ。



施設が汚染されて核の自爆装置が作動してしまい、しかし核爆発が起これば病原体は全世界に広がってしまう、自爆装置を止めることはできるのか・・・というクライマックスでアクション映画ふうになってしまっているんですが、ここまでのドラマで登場人物がそれぞれ魅力的に描かれているため、唐突な印象はなくて自然です。

昨日の反動でしょうか、今日はめずらしく大絶賛ですね〜(^o^*




2010.05.26 wed



「悪魔の性 キャサリン」To the Devil...a Daughter(1976年・英)です。Hammer衰退期の作。当時16歳だったナスターシャ・キンスキーの出世作ですね。その他の出演はリチャード・ウィドマーク、クリストファー・リィほか。

やはり1976年ともなるとHammer全盛期の栄光は過去のもの。低予算ぶりはともかくとしても、かろうじて主役級の3人で保っている映画です。原作はデニス・ホィートリー。このひとの小説って、決して深い内容を持つものではないし、芸術的な価値も皆無と言っていいんですが、entertainmentとしてはなかなかおもしろい。そのおもしろさがこの映画からはまったく感じられません。Hammer1968年の「悪魔の花嫁」The Devil Rides Outでもそうだったんですが、細かいところはバッサバッサ切り捨て省して、かけ足でダンドリだけなぞっただけと見えます。もっと細部まで作り込まなきゃいけません。


たとえばこんなシーンひとつとっても、そんなに途方もない費用をかけなくても、もっとそれらしいセットを組むことができそうなもんじゃないでしょうか。


印象に残ったのは、やたら顔面アップ映像が多くて、クリストファー・リィにしろ、ナスターシャ・キンスキーにしろ、鼻毛がよく見えたこと(笑)

もっともナスターシャ・キンスキーの方はハナ毛だけじゃないけどな(笑)

(((メ-_-)σ)~0~)/プニッ♪




2010.05.25 tues



現実逃避はすばらしい(笑)




2010.05.24 mon



「アル・アジフ」じゃないよ(笑)

Hoffmannさん、晩ごはんのしたくができましたよっヾ(^∇^*
アジフライアルヨ♪

「アル・アジフ」もまんざらこの本の著者と無縁ではありませんね(^o^;



修道士の方ですかっヾ(・∇・*





2010.05.23 sun



本棚の整理をしたらいくつかのテーマに関する本がごっそりはみ出してしまった(-_-;

一定のジャンルの本はきちんと並べておきたいところですね〜

でも、逆に分類しにくい本ほど棚に入れておかないと見つけにくくなっちゃうんだよね




2010.05.22 sat


このあたりの文献、いまでも書店に行けば山ほどありますが、玉石混淆・・・というより石がほとんど。うっかり手にとってパラパラながめることすら時間と手間のムダという内容のなさ。このお写真に写っているのはまともな本。とくに左の2冊。さすがに人文書院は良書を出してますね。



これは同時代の証言として貴重、もはや古典。どれだけ重要な本であるか知りたい向きは適当に検索してちょんまげ。




2010.05.21 fri



ラフマニノフの協奏曲が聴きたくなって入手したCD2点―第1番と第2番がKrystian Zimerman、第3番がEvgeny Kissin、伴奏はいずれも小澤征爾指揮ボストン交響楽団。じつはピアニストに関しては、どちらもてんで興味のないひと。Zimermanはブラームスとショパンの協奏曲のLPを持っているけれど、どれも独盤。名前は“ツィマーマン”って読みでいいのかな? 演奏はといえば、作品は違えどピアニストの格が違いすぎて、ちょっと笑ってしまうくらい。ツィマーマンが自在に振る舞って感傷に溺れることも辞さず、それでいてテクニックとしての表現を超えた知性を感じさせるのに対して、キーシンは素っ気なく、よそよそしい。それでは客観的かというと、これがまた中途半端で、どちらかというと感覚的。いったい、なにをしたいのよ? 小澤征爾の指揮も3番では控えめに過ぎて、てんで冴えない。小澤征爾も3番の伴奏なら若いころの、ニューヨーク・フィルハーモニックを振ったレコード(ピアノはアンドレ・ワッツ)の方が、まだしもじゃないのか。




2010.05.20 thurs


このふたつのdiscは以前お写真upしたことがありましたね。そのときなにを言ったかおぼえていないので、かまわず取りあげちゃいます。フランスの指揮者が作曲したピアノ作品集で、左がアンゲルブレシュト、右がロザンタールの作品集。演奏はダニエル・ブルメンタール。

1880年生まれのアンゲルブレシュトといえばフランス近代もの、とりわけドビュッシーの演奏(disc)が有名ですね。ここに収録されている作品は「子供の部屋」と「パストラル」というふたつの曲集、前者は四手のための作品でロベルト・グロスロットが加わっています。童謡や民謡などを素材にしているようで、わりあい保守的な作風、ドビュッシー(とフォレ)あたりの影響が濃厚であるのがほほえましい。

ロザンタールは1904年生まれ。オッフェンバックの作品を素材としたバレエ「パリの喜び」の編曲者としても有名ですね。ここに聴くことのできるピアノ作品はどれも小品で、「八つのバガテル」、「釣師のワルツ」、「六つのカプリース」、「しがない生業」など、どれも素直で明快。ところどころに機知とアイロニーが添えられるあたり、作曲の師ラヴェルの影響かな。




2010.05.19 wed



Jen-Francois HeisserとGeorges Pludermacherのピアノによるドビュッシーです。管弦楽曲3曲の、2台のピアノのための編曲版。編曲は「海」と「映像」がキャプレ、「夜想曲」がラヴェル。

管弦楽曲をピアノで奏いたらどうなのかという問いに対して、かえって作品の本質が明らかになって、ピアノで演奏してみれば管弦楽曲なんていかによけいな要素だらけの不確定なものであるか・・・というのはよくあるスノブの発言。だからかえってここはピアノ版なんてつまんないよ、と発言したいところなんですが、このふたりのピアニストに、音色や響きの多彩かつ微細な変化を表現する才は明らか。さらに、鑑賞するための演奏ではなくて、奏くことを愉しんでいるかのような―なんだかprivateな場でその演奏を披露しているみたいな、intimateな雰囲気がありますね。




2010.05.18 tues

最近ピアノをよく聴いているので、ピアノ作品のdiscをいくつか―。



ジャン・ユボーのピアノによるフランクの前奏曲、コラールとフーガのdiscです。ユボーはアンサンブル(室内楽)の録音が多く、ソロの録音は比較的めずらしい。ユボーはデュカスの弟子で、作曲家でもあるためか譜読みは深くて内省的かつ知的、それでありながらこの地味な作品を情感豊かに演奏して、じつにおもしろく聴かせてくれます。あらゆる要素が過不足なく、バランスを保っていますね。

近頃の外面的効果にのみ腐心するコムスメや青二才のピアノ弾きはユボーの爪の垢でも煎じて飲みなさい( ̄- ̄)

また、よけいなひと言を・・・(^o^;




2010.05.17 mon

入手した本であれ、CDやDVDであれ、発見したものが抜きん出てすばらしいものであればあるほど、だれにも教えたくなかったりするのですよ(笑)



そもそも内容についてまったく触れることなく、ただ単に「すばらしい」だの「○○より100倍いい」だの、「おすすめです」なんて言っているだけの(このページみたいな)homepageやblogに、読む価値なんかあると思いますか?




2010.05.14 fri

(街を歩いていて耳に入ってきた、初老の男性と若い女性の会話)

「タバコはコロンブスが日本に上陸したときに持ってきたんだよ」
「ああ、それ、聞いたことあります!」



(お写真は本文とは関係ありません)




2010.05.13 thurs



ちょっと腰が痛いのでコルセットを巻いてみた。




2010.05.12 wed



この映画のDVD、フランス語の台詞は英語字幕が出て、英語の台詞は字幕が出ない。まあ、それでもなんとかなるもんです。




2010.05.11 tues

こちらのDVDはオペラとオペレッタ。



右はプーランクの「カルメル派修道女の対話」。ある本に「恐ろしいほど冴えきった名曲」と書いてあるんですが、先日検索していたら、まんま同じことを言っているひとがおりましたな。ま、そのとおりだと思いますけどね。演奏・演出は、以前ケース写真をupしたDVD別盤と甲乙付け難し。

左はレハールの「メリー・ウィドウ」。この邦題(?)もおかしなもんだと言えばまったくおかしいんですが、それはともかく、恐ろしいほど俗っぽい「低級音楽」です。なんでこのDVDを入手したかというと、たまたまあるところで部分的に視聴する機会がありまして、なんだかもう内容空疎な音楽そのままに、空虚感漂う舞台と見えたから。入手して全部観てみたところ、おそらく上演する側も出演者たちも、まさかそんなつもりはなかったんでしょうけれど、虚ろな風が吹き抜けていくばかりのしらけた舞台でした。決して逆説ではなく、この上演こそ作品の本質を突いているのでは?




2010.05.10 mon



同時発売のDVD。原題はいずれも“The Ghoul”、方やボリス・カーロフ、方やピーター・カッシングご出演とあれば観ないわけにはいきません・・・が、これまたいずれも仲良くB級風味。映像(film)はかなり劣化しており、とくに左のモノクロは暗くて細部はよくわからん、右のカラーはかなり褪色気味。

カーロフの「月光石」は1933年、ところどころ、ちょっと退屈しちゃいました(^o^;時間がゆっくり流れていた時代の映画ですね

逆に「フランケンシュタイン」などがいかに名作であるか思い知らされるよね

カッシングの「ブラッディ」の原題は正しくは“Night of the Ghoul”のようですね。1974年の映画で、監督はHammerで有名なフレディ・フランシスですが、Hammer映画には及ぶべくもない、安造りな印象です


これはTyburn Film Productionの作品だね。タイバーンって、このフレディ・フランシスの息子さんがハマーから独立して設立した会社なんだよね。だからスタッフはほぼハマーのメンバーなの。でも、所詮亜流の域を出るものではない・・・というか、この作品を観た限りでは亜流と呼ぶのさえためらわれる(^o^;異国趣味を加味したsuspensiveな設定は悪くないんだけど、それがまるで活かされていない(まさしく「宙ぶらりん」・笑)。ほかの映画もそうなのかどうか、4作か5作作っただけでつぶれちゃったんだよね




2010.05.09 sun

さて、以前から取りあげてみようと思っていたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のdiscですよ。ただし連休に自宅で聴いてきたものばかりなので今回CDはなし、アナログLPばかりです。一度予告していましたけどね、待っていたひとなどおらんと思うが、もしもまんいちいたとしても、待たせたわりにはたいした内容ではないと、怒らないよーに。

チャイコフスキーの「悲愴」といえば通俗名曲の最たるもの。これまで、チャイコフスキーはromanticというよりもsentimentalであまり好きじゃない、なんて言ってきて、そのわりにはたびたびdiscをとりあげていたわけですが、交響曲なら好きと言えるのは第1番。第2番もいいですね。ところがdiscを取りあげようとすると、これはという演奏の多い第4番あたりがしばしば登場しちゃう。第5番はというと、これはむしろ嫌いで、演奏がいい(と思える)discもあまり見あたらない。

そして第6番。決して大好きな音楽とは申せないものの、いろいろな演奏を聴けば聴くほどに、こりゃ疑いもなくチャイコフスキーの最高傑作に違いないと思えてくる名曲なんですね。



そう思わせるきっかけとなったのはなんといってもバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによる1986年のDGG盤。徹底して主情的で、そのテンポときたら「勢いあまって」遅くなったというバーンスタイン晩年の特徴がひときわ極端にあらわれたもの。終楽章など、ほかの指揮者が9分からせいぜい11分台(結構遅いと感じる)で演奏しているところ、バーンスタインは17分かけている。でもこれ、誤ったデフォルメとは感じられないんですよ。

スコアを見ればわかることなんですけどね、この曲、とくに第1楽章と終楽章では、たびたびテンポに関する指示が書き込まれており、つまり作曲者の指示(スコア)に忠実に演奏しようとすれば、楽章中でテンポをかなり変化させなければならない。ところが、テンポをゆさぶっているなあと思える演奏なんて、Hoffmannの知る限り、ほとんどない。


小澤征爾を例にとれば、パリ管弦楽団とのPhilips盤にしろ、ボストン交響楽団とのErato盤にしろ、基本テンポはほとんど変化させていません。だから清潔というか、清涼感のある演奏になっていて、上品でさわやか。ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏もほぼ同様。ただしテンポを動かさない分、表情に変化をつけるなど、それなりの処置は施しておりますな。要所にアクセントをつけるなど、ダイナミクスの変化で乗り切っているひとが多いようです。これが主流といいたいスタイルですね。

その点、バーンスタインにしてもスコアの指示に忠実とはとうてい言えないんですが、結果はというと、作曲者の指示を拡大解釈しているかのように聴こえるんですよ。なにしろpが5つも6つも重ねられている(pppppからppppppになる)箇所もあるくらいですからね、これを音にして表現するためには、ダイナミクスもテンポも思い切り極端な幅を持たせなければならないんじゃないでしょうか。つまり、遅いところからダッシュをかけるからこそ効果があるのであり、クレシェンドするにしてもそこそこのピアニシモからでは登り切るまでのスロープが短くなって、クレシェンドの効果が中途半端になってしまう、だから極端から極端へと変化させてこそ、効果的になるわけです。その意味で、バーンスタインの指揮は記譜されている以上のことをやっていると言っていいんじゃないでしょうか。ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏も、弱音部から荒れ狂う強奏まで、常ならぬ緊張感が漲っていて、たいへんすばらしいものですね。



スコアに記された指示といえば、意外とこれに忠実なのがフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1938年録音です。フルトヴェングラーというと主情派の代表みたいに思っているひとが多いかも知れませんが、じつはかなりの知性派。スコアの指示に従いつつ、ところどころで独自の表情付けを施して、ここで感情に訴える効果をあげているんですね。この独自の部分が決して場当たりでなく、全曲を貫く姿勢そのものから発しているように感じられるあたりがフルトヴェングラーらしいところですね。



アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団のDecca盤は、テンポについては第2楽章が速めながら第1楽章と終楽章が遅め。このあたりに、全曲を見通した設計が垣間見えるようですね。各楽章中では、その基本テンポに大きな変化をつけてはいないんですが、細部への感情移入が素直で好感の持てるもの。ムーティに似て旋律を歌わせることを重視していながら、さわやかさよりは情念に傾いています。感覚的に納得できる好演ですね。ちなみにアシュケナージって、Hoffmannはこのひとがピアノを奏いているdiscは一枚も持っていません(笑)指揮者としては、このチャイコフスキーやシベリウスの交響曲を録音したあたりから急速に腕を上げて、ピアニスト兼指揮者ということで引き合いに出せば、バレンボイムなどよりよほどましな指揮者だと思っているんですけどね(ただしごく最近のアシュケナージの指揮は聴いておりません)。


クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は一貫してテンポが速め。演奏スタイルはドイツ・ロマン主義風なんですけどね、これがなんとも禁欲的と言いたいくらい、かなりクールで主知的。おもしろいのは古典派音楽のようにその様式や造形ばかりに腐心した、という演奏ではないこと。このひともなかなかの知性派ですね。これはこれで「あり」かな。

これがさらに朴訥として、「悲愴」だなんて表題にふさわしい予定調和を無視しているのがクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏。毎回言うけど、この英Columbia盤はジャケットがいいですなあ(笑)

ドイツ風といえばベーム指揮ロンドン交響楽団のDGG録音もそうなんですが、これはダイナミクスのコントロールなどがやや雑。晩年のベームの録音にありがちな、オーケストラが勝手に演奏している例ですね。


バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏は、この指揮者らしいヒューマンな暖かみを感じさせる演奏です。終楽章のテンポ変動はそれなりに行っていますね。どことなく、ナニワ節と聴こえるような旋律の歌わせ方が個性的でおもしろいんですが、オーケストラが一流とは言い難いのが残念。

ジュリーニにはフィルハーモニア管弦楽団とロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団との新旧録音があります。後者もこのオーケストラの最良の記録のひとつと言っていい演奏なんですが、録音の良さではフィルハーモニア管弦楽団との古い方がいいかな。いずれも極端なテンポ変動を避けて品位を保った演奏です。ジュリーニもバルビローリ同様に、暖かい血が通った印象ながら、耽美に傾くバルビローリと比べて、ジュリーニはとにかく真面目。終楽章冒頭の、バルビローリがあえて隠そうともしない「ギクシャク感」も、ジュリーニはあえてなめらかに聴こえるよう演奏しています(ただしこれはどちらが正しいのかは即断できません。あえて隠蔽することにも意味があると思います)。


クーベリック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の録音も基本テンポをあまり動かさない主流派の演奏ながら、もう一歩内面へと踏み込んでおり、その表現にはテクニックとしての振る舞いを超えた説得力がありますね。情緒的にこの音楽を聴こうとしても納得できてしまいそう。オーケストラの充実した厚みのある響きも魅力的ですね。ただしlive録音に比べるとややstaticな印象も。

モントゥー指揮ボストン交響楽団は感情におぼれず、節度を保った品位の高い演奏。悪く言うと「本気」に聴こえないということでもあるんですけどね。人生の酸いも甘い知り尽くした賢者による昔語りといった印象です(なんだかわからんな・笑)。内声部のバランスに妙味あり。

とりあえず以上。優美さん、なにか質問はありますか?(^^*

えーと、お写真が妙に鮮やかで、フローリングの色合いが思いっきり違うものがあるのはなぜでしょうか?(^^;

ホワイトバランスを間違えたので、自動修正をかけたらこんなんなっちゃったのよ(^o^A;




2010.05.08 sat



昨日は馬琴の「三七全伝 南柯の夢」の扉ページがupしましたので、おまけにこちらの本を―平岡正明による現代語訳。




その流れでこんな本を引っ張り出して・・・

ひさしぶりにこの映画を観ましょうか(^^;



もうひとつの流れ、一昨日の山田風太郎からこの2巻本全集とか・・・そうだ、DVDなら・・・

浜尾四郎ですね。山田風太郎のエッセイによれば、山田家の先祖は但馬の出石藩の家老筋の家柄で、父の太郎は出石藩士加藤弘之と従兄の縁、この加藤弘之の孫が浜尾四郎、とありましたね。さらに、この浜尾四郎の弟が古川ロッパであると・・・Hoffmannさん、聞いておられます?



フムフム・・・(^^* (^o^;たしかにつながってますね〜




2010.05.07 fri

本日は趣向を変えて、visual面を重視して日本名著全集、第一期出版江戸文藝之部の「讀本集」からお写真をupしちゃいます。ご関心おありの向きはどんぞ。刊行は昭和2年。

















2010.05.06 thurs

連休中、自宅にて読んでいた本ですよ。



気の向いたときに、たまたま広げたページから拾い読み・・・てのがお気楽でいいですな(笑)


短篇というより掌編集ですね。これも手にとって適当にあっちを開いて、こっちを開いて・・・。



散歩するみたいな、いわば「散読」? もちろん、Hoffmannのことですから怪談ばなしにも立ち寄りますよ(^^*


ここまでくれば、山田風太郎まであと一歩・・・かな?(笑)



実家に寄って、老父の本棚から引っこ抜いてきたもの。なかには別な版で持っていて既読のものもあったんですが、山田風太郎は何度読んでもおもしろい。

この老父の読書傾向、その趣味はといえば、Hoffmannとはまるで異なって、たがいにあさっての方向を向いておりますな。かろうじて永井荷風と山田風太郎が重なる程度。ちなみに老父の本棚ではこれら山田風太郎の本が池波正太郎と並んでおり、そのまた隣にはイマドキの企業小説、その下の段にはアレクサンドル・デュマ、上の段には「大菩薩峠」が並んでおりましたよ(^^;あ、長編好きは遺伝鴨・・・。

なんだか、今回自宅で撮ってこられたお写真が妙に黄色いような気がするんですけど・・・(・・*

ああ、ホワイトバランスを設定しなおすのを忘れてたの(^o^A;ま、こういう本だから、電球色っぽくてむしろ似合うかなと思って、修正しなかったんだよね




2010.05.05 wed

ただいま帰参いたした。

さてもこのたび自宅へと帰還いたしたるは、ひとえにアナログレコードを聴かんがため。過日よりいよいよもって冴えわたりしaudio装置、のどかな春の宵、楽の音に耳傾けふとまなざしを感じとり・・・おお、そこにおわすは優美の方さま。これはこれは、まことに以ていぶせきすまいで汗顔の至りでござるが、ただいまの楽、奏でし者どもの技、如何でござりましょうか。いずれmonologueにてとりあげたてまつる所存ゆえ、恐れ入った儀にはござりまするが、感想のひと言なれどお漏らしいただければ幸甚と存ずる次第


さきほどのお皿(盤)の指揮者におかれては、かような楽に相対しては、世にならぶ者もないほどと信じておりましたが、次なるものもこれまた容易ならぬ使い手とみました。かような技くらべを、Hoffmannさまにおかれましてはいかにしたためられるものか、いまよりたのしみでございます

monologueと申せば、極楽とんぼの浅薄な乱れ文が常なるはまことに汗顔慚愧の至りでござるが、されどいましも心血そそいで策を練り、さてもさまざまうち案じておるところなれば、なりゆき次第で一両日中にはお目にかけることも可能かと・・・

Hoffmannさん、お休み中、「なんとか忍法帖」というご本をたくさん読んだんですよねっヾ(^∇^*