monologue 2010.10

2010.01 2010.02 2010.03 2010.04 2010.05 2010.06 2010.07 2010.08 2010.09
2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10 2009.11 2009.12
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2010.10.31 sun



ハンス・プフィッツナーの歌劇「パレストリーナ」、決して親しみやすいとは言いかねる作品ですが、CDだけでもカイルベルト盤、ロベルト・ヘーガー盤、ケンペ盤と手許に3組ありまして、いやはや長生きはするもんですな(笑)てなもんで幸せだったんですが・・・



ついに映像化されましたね。このDVDはシモーネ・ヤング指揮バイエルン国立歌劇場による2009年6月の公演の記録です。こうした比較的上演されることの少ない作品こそ、映像が付くとより結構なものですね(^^*やっぱりわかりやすくなる♪



で、その演奏と、これまでに出たブルックナーの交響曲のdiscが存外よかったので入手したシモーネ・ヤング、ハンブルク・フィルハーモニーによるブラームスの交響曲第1番のdiscです。これが聴いてびっくり、悠揚迫らぬ遅めのテンポで、第1楽章の呈示部も繰り返しを行い、重厚な響きで徐々に盛りあげる、いわば巨匠風スタイル。いや、巨匠風スタイルって、ことばどおりに受けとってください。なんかね、木管のソロとか、音を伸ばしたときの金管なんか、意外とあっさりめの表現で、悪く言うと無神経にパーパカ吹いちゃっているような箇所もある。それでいて遅めのテンポが妙にモノモノしいんですよ。大きく構えて見せたけど、これがこの指揮者の本来の持ち味なんでしょうか。どうも本物らしさに欠けるというか、なんだかこのスタイルで演奏してみました、という印象なんですけどね。でもこのdisc、きっと(いい評価で)評判になるんだろうなあ。




2010.10.30 sat

最近入手したCDから―。



リッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団ほかによるヴェルディのレクイエム。ムーティとしてはフィルハーモニア管弦楽団、ミラノ・スカラ座管弦楽団との録音があり、これが3度め。Hoffmannの好みでは、録音のせいかやや彫りが浅いものの、また歌手も含めて2度めのスカラ座盤よりも最初のフィルハーモニア録音の方が好きでしたが、今回のシカゴ交響楽団を振っての演奏はさすがにより充実していますね。



ラファエル・クーベリック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1959年8月30日ザルツブルク音楽祭のlive盤です。シューベルトの交響曲第4番とマーラーの交響曲「大地の歌」。マーラーのソロはヒルデ・レッセル=マイダン、ヴァルデマール・クメント。クーベリックによる「大地の歌」はバイエルン放送交響楽団を降った1970年live盤がauditeから出ていましたね。あちらのソロはジャネット・ベイカーとクメント。

クメントはさすがにこちらの方が若々しくていいですね。レッセル=マイダンは悪くはないんですが、終楽章ではやや平版、いま一歩表現の幅が欲しいところ。それはともかくこの演奏、ウィーン・フィルの木管のソロなどの表情付けがかなり積極的。第2楽章や終楽章ではほとんどオーケストラによるレチタティーヴォみたいで、ちょっとあざといんじゃないかというくらい。いかにも東洋的でございますといったひなびた響きと息遣い。クーベリック1970年のバイエルン放送交響楽団とのdiscを聴くと、ここまで濃い表情付けはしていない。それじゃあウィーン・フィルのことだから、ルーツはブルーノ・ワルターかなと思ってワルターのDecca録音を聴けば、意外とあっさりめでやっぱり違う。この表情付けはオーケストラの奏者が勝手にやっているのか、それともクーベリックの指示によるものなのか・・・。ここまでやるとかえって陰影感も乏しくなり、底が浅く聴こえてしまうという例。




2010.10.29 fri



ちょっと前ですが、若杉弘指揮ケルン放送交響楽団のlive盤が出ましたね。左写真の、ベートーヴェンの交響曲第1番、第3番とブラームスの交響曲第4番、ハイドン変奏曲、それにチャイコフスキーの交響曲第6番と弦楽セレナーデの3枚。こうした録音が発掘されてCD化去れるんですから、こちらも大好きな演奏家が亡くなってから後、1年や2年は生き延びた方がいいってことですなあ。世のなかにはまだ幾人かHoffmannの好きな演奏家が存命中です。まだまだ死ねません(^^;



このなかで1977年に収録されたベートーヴェンの「英雄」交響曲は、かつてWDRから出たLPと同じ録音のようです。同時比較したわけではないんですが、このLPにも“AUFNAMEORT WDR KOELN 1977”との表記があるので間違いはなさそう。隅々まで神経の行き届いた、しかし決して窮屈ではない、明朗な演奏。

このレコードを聴いていて思ったんですけどね、ベートーヴェンの交響曲第3番って、冒頭の二打の間の一小節、この間のとり方で第一楽章のテンポが決まっちゃいますよね。とすると、残響の豊かなホールか、ほとんど尾を引かないホールであるかによって、ある程度テンポも決められてしまう。つまり残響が多ければそれだけ間をとらなきゃならないから、テンポも遅くなるし、響きが少ないドライな会場であれば、間を詰めて、その分テンポも速くなる、というわけ。余談ながら会場によってテンポが変わると言う演奏家がいますが、そんなこと当然なんですよ。

そこで今回帰宅時には、ほかにもいくつか「英雄」のレコードを聴いてみましたよ。

バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのDGG盤は冒頭の二打の後、主題呈示部までやたらテンポを動かして、少々思い入れ過剰じゃないかというくらい。これ、あまりテンポを揺らすとちょっと落ち着きませんね。それにしても、録音悪いなあ。

クナッパーツブッシュは遅めのテンポはいいとしても、冒頭の二打とその後に続く音楽のテンポがまるで無関係、これでは二打が楽曲の一部ではなくて、まるで開始のゴングみたい。念のため言っておくと、この二打と終楽章の最後の和音との間で全曲が展開されているとみれば、やっぱりこれじゃいかんでしょ。

さすがだなあと思わせたのは、クリュイタンス、セル、モントゥー(二種)、ケンペのレコードなど。このへんは以前取りあげた記憶があるので省略。あとはその他、今回聴いたなかでわりあい気に入ったレコードを、小さめのお写真で並べておきますよ。







2010.10.28 thurs

ボードレールの「悪の華」のなかでもとりわけHoffmannの大好きな「パイプ」と題された詩―

作家のパイプでございます。
エチオピアの娘かカフルの女性のやうな
眞黒な わたしの顔を御覧になると、
主人の煙草好きなのが お解りになる。

(中略)

強烈な香気を わたしは振りかけて、
それが 心を 魅惑して 精神の
疲労を 癒して差し上げる。


澁澤龍彦もそのエッセイのなかで引用している鈴木信太郎の訳です(その引用では「御覧」が「ごらん」になっています)。

これが杉本秀太郎訳になると―

あたしはパイプ。ある物書きの持ちものなの。
アビシニアの、それともカフラリアの女のような
あたしの黒光りする顔を、つくづく眺めた人には分かります
あたしのご主人はすごい煙草のみなのね。

(中略)

そしてあたしはきつい匂いをゆさぶりかき立て
あの方の心をうっとりさせて、
あの方の疲れた神経をなぐさめる
お楽しみの相手になってあげます


いいですね、この翻訳。

ちなみにHoffmannならこう訳します―

わたしはパイプ ある物書きの持ちものなのよ
エチオピアの娘かカフルの女みたいな
わたしの黒光りする顔を つくづく眺めたひとならご承知でしょう
わたしのご主人は煙草が大好き

(中略)

わたしは あのひとを思いっきり煙に巻いて
その心をしっかりとらえてしまって
疲れも癒してさしあげちゃう
あのひとの女なのよ






2010.10.27 wed

どうも今月は文庫本を中心に取りあげる流れとなっているようなので、いまのうちにこの表紙も並べておきたい―。



先日、山田風太郎、江戸川乱歩の角川文庫で佐伯俊男や宮田雅之、春陽堂文庫の乱歩で多賀新の絵を取りあげましたが、こちらは廣済堂文庫の山田風太郎シリーズから、山本タカトの絵が表紙を飾っているものです。これもいいですね。Hoffmannとしては、佐伯俊男や多賀新への嗜好と同一線上で、このひとの絵にもたいへん魅力と愛着を感じています。

廣済堂文庫の山田風太郎はまだほかにも何冊かお持ちですよね

この文庫は同じ著者でも統一されていなくて、手許にあるなかで山本タカトの表紙はこの4冊だけなんだよね

この方の描く人物の容貌は、どれもユニセックス風なのが特徴ですね




2010.10.26 tues

今回、自宅ではやたら捕物帖ばかり読んでましたよ。五大捕物帖といえば岡本綺堂の「半七捕物帖」、佐々木味津三の「右門捕物帖」、野村胡堂の「銭形平次捕物帖」、横溝正史の「人形佐七捕物帖」、城昌幸の「若さま侍捕物手帖」をさすらしい・・・とは種村季弘のエッセイにありましたな。



Hoffmannとしては、なんといっても岡本綺堂の「半七捕物帖」が最高傑作、あとは「その他」といってもいいくらい(笑)永井荷風と並ぶ、「滅び去った時代への哀惜の念」がそこはかとなく漂い香る珠玉の名品。

過ぎ去ってゆく人や街、未だその息遣いの名残が息づいているかのような時代のatmosphereというのはまさにHoffmannさんのキーワード、つまりノスタルジーですね(^^*

お写真は往年の旺文社文庫、「半七捕物帖」は全6巻。腰巻(帯)は当時全国ネットでTV放映されていた尾上菊五郎主演の「半七捕物帖」の広告。この旺文社文庫版に収録された岡本経一の解説が「超」の字を付けたいほど貴重な内容。多くの文庫本に付された、感想文に毛が生えた程度の駄文を書いている凡百の解説者は裸足で逃げなさい。



「半七捕物帖」が最高傑作であとは「その他」・・・とはいえ、その他の「周辺」には周辺なりのおもしろさがあることも否定はできません。お写真は講談社の「大衆文学館」シリーズから―角田喜久雄の短篇集はいろはの左近ほかの魅力的な同心が登場、日影丈吉は明治の東京を舞台にハイカラ右京が活躍する、同心や岡っ引きにはあらずとも、やはり「捕物帖」の流れの延長線上にある名品。



こちらは河出文庫の「大江戸歳時記捕物帖傑作選」の「新年の巻」、「春の巻」、「夏の巻」、「秋の巻」、「冬の巻」の5巻のアンソロジー。半七、平次、佐七、むっつり右門から顎十郎、おまけに平賀源内や勝海舟までがご活躍。

おやぶん、てえへんだてえへんだっヾ(・∇・;)))=(((* ̄∇ ̄)/どうしたい、ハチ・・・




2010.10.25 mon

ちょっと自宅へ帰っていました。で、帰ればその数日間は本やレコード、CDなどの買い出し(^^* (^o^;買い出しなんですか〜

近頃は既知の演奏家のdiscであれ、あまりよく知らない演奏家のdiscであれ、購入してハズレということがほとんどありません。いよいよ新境地に達したかσ(^o^*


コツはできるだけ通俗名曲を避けて、世評の高い、いわゆる巨匠系の演奏家を無視すること(笑)ま、話半分に聴いてくださいな(^o^A;お写真はちょっと以前に入手したものばかりですけどね。どれもステキなdisc、生きててヨカッタ♪




こちらは帰宅すれば必ず一度は針を落とすLPたち(^^*




2010.10.20 wed



しばし休みますよ。




2010.10.19 tues


最近読んだ本―。

「神話と夢想と秘儀」 ミルチャ・エリアーデ 岡三郎訳 国文社
「水と夢 物質の想像力についての試論」 ガストン・バシュラール 小浜俊郎・桜木泰行訳 国文社
「竜蛇神と機織姫 文明を織りなす昔話の女たち」 篠田知和基 人文書院
「鷲の紋章学 カール大帝からヒトラーまで」 アラン・ブロー 松村剛訳 平凡社
「纏足物語」 岡本隆三 福武文庫
「元型との出会い ユングとドイツ文学の深層」 T・インモース 尾崎賢治訳 春秋社
「たまたま 日常に潜む『偶然』を科学する」 レナード・ムロディナウ 田中三彦訳 ダイヤモンド社
“Historic British Ghosts” by Philip W. Sergeant Hutchinson & Co. London

拾い読み含む。エリアーデ、バシュラールの著書はこの2冊に限らず、どれかしらをときどき時々引っ張り出して読み返しています。「鷲の紋章学」は副題にあるとおり、ナチズム関連書でもあり。「纏足物語」はフリークス関連といっては異論もあろうが、人体改造論には違いない。Hoffmannはこれまでの発言において、ユングの言う「元型」をあえて「原型」と表記してきたんですが、やっぱりこの「あえて」はひとりよがりなところがあって、今後はちゃんと「元型」と言うことにします。“Historic British Ghosts”は前書き(Preface)でO-YoneだのShinzaburoだのといった名前が出てきます。もっともこれ、元は中国の古典ですな。この本の刊行年は不明。

巻末の広告に1936年春の新刊書の広告がありますから、たぶん1936年頃じゃないですか?






2010.10.17 sun



本日は映画を扱った映画、ジョン・カーペンター監督の「世界の終り」Cigarette Burns(2005年・米)です。13人の映画監督が競作したオムニバス、「マスターズ・オブ・ホラー」の内の一作。本編およそ1時間という尺はTV用だったからかな。

storyは、赤字映画館を経営する主人公が大富豪から稀少filmを探し出すことを依頼される、その「世界の終り」という映画は観た者の正気を失わせると言われており、ただ1回の上映時には多数の死者を出す暴動が発生したという。そのfilmの捜索をはじめたところ、奇妙な幻影が主人公を襲うようになり・・・というもの。


ジョン・カーペンターの作品はこれまでにもいくつか観たことがあるんですが、とくに印象に残っているものはありません。別に嫌いではないんですけどね、積極的に観たいとも思わない監督さんです。ではなんでこの映画を観たかというと、ウド・キアが出演しているから(^^;いやあ、このひとは重厚な役を軽妙に演じる、まったく恐れ入ったひとですなあ。あと、この富豪の屋敷に捕らわれている「世界の終り」の出演者、羽を切り取られた天使が、なんともfetishな存在となっていて、たいへんよろしい。



さがしもの、ここでは幻の映画のfilmなんですが、これに近づいてゆくと異変が・・・っていうのはそれほど独創的な展開ではありませんが、映画のなかで映画をモチーフにするというのは、やはり観る側の興味を引くアイデアですよね。ちょいとネタバレになっちゃいますが、意識下より顕在化したものが、filmのパンチ穴(の幻影)からあらわれるというのも、よく計算された展開なのでは? ただし、だから観た者が正気を失うに至るという納得は得られないんですけどね。まあ、1時間でうまい具合にまとめてあり、「佳作以上」と言っていいんじゃないでしょうか。




2010.10.16 sat

ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」がチト古くさい、とはいってもつまらないというわけでは・・・(笑)

ありませんよ、もちろん(^^*



こちらは密室ミステリの古典、「黄色い部屋の謎」とその続編とも言うべき「黒衣婦人の香り」の創元推理文庫版。「黄色い部屋の謎」は宮崎嶺雄訳、「黒衣婦人の香り」は石川湧訳。下に並べた2冊は1990年代の版なんですが、嫌な表紙ですな。Hoffmannはこういった、惹句や引用文などが印刷されている表紙(デザイン)は嫌いです。カラーが中間色で曖昧なのも好きじゃない、上に重ねた「黒衣婦人・・・」は1982年の7版、こちらの方がだんぜん好みです。



こちらは早川文庫の「黄色い部屋の秘密」と「黒衣夫人の香り」。「謎」が「秘密」になるのはともかく、「婦人」が「夫人」に変わっています。こちらの翻訳は日影丈吉。



「黄色い部屋の秘密」もう1冊、新潮文庫版でこれは堀口大學訳。

えー、翻訳はいかがでしょうか?

ちょっと引用してみようか(^^*

宮崎嶺雄訳はこんなふう―

「ご存知でしょうね、ロベール様、予審判事がお嬢様の尋問をなさっておいでですが」
ロベール・ダルザック氏は、すぐさま私たちのほうへちょっと断わるような会釈を送ると、城のほうへ駆け出した。男もそのあとから駆けて行った。
「死骸が口をきくとなると、こいつは面白いことになりそうだぞ」と、私は呟いた。
「とにかく様子を見なきゃ。早速城へ行ってみよう」と、ルールタビーユは言った。
彼は私を引っ立てるようにして出かけた。ところが、城に着いてみると、玄関に憲兵が一人立っていて、私たちが二階に近づくことを禁止した。結局、そこで待っているよりしようがなかった。


日影丈吉訳はというと―

「ご承知でしょうが、ロベエル様、予審判事様がお嬢様を尋問中でございます」
ロベエル・ダルザック氏は曖昧な挨拶を我々に投げかけると、あたふたとお城の方向に駆けだした。使いの男もその後を追って駆けていった。
「死人に口ありなら」と私はいった。「面白くなるがね」
「そいつは知っとかなくちゃあ。お城へ行ってみようや」
わが友はこういうと、私を引っぱっていった。が、城につくと、玄関に頑張っていた憲兵が、二回の階段に近づくのを厳禁したので、待つより手がなかった。


堀口大學訳だとこうなる―

「ロベール様、ご存じでしょうか、予審判事がお嬢様を尋問なさっていますが。」
ダルザック氏は、いきなり私たちに向かって詫びるような身振りを見せると、そのまま本邸の方へと駆け出して行った。呼びに来た男もその後を追った。
「死骸が口をきいたら面白いことになるぞ。」私が言った。
「知って置く必要がある、すぐ本邸へ行こう。」ルルタビルが言った。
言うなり彼は私を引きずって走り出した。ところが、折角本邸へ来て見ると、玄関を固めていた一人の警官が私たちを引きとめて、二階へは上がらせなかった。止むなく私たちは待つことにした。


比較するとおもしろいですね〜(*^o^)
(^^*デショ?




2010.10.15 fri


引き続き文庫本―。


映画関連の本・・・といっても、いわゆる原作本を並べてみたところ。ただそれだけの話で、どうということもありませんな。

左はガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」、エーヴェルスの「プラークの大学生」、テア・フォン・ハルボウの「メトロポリス」ですね。いずれもサイレント時代の名作がありますね

「オペラ座の怪人」はその後もリメイクされているけどね

ガストン・ルルーはいかにも時間がゆっくり流れていた時代の小説で、三輪秀彦の翻訳を持ってしても、さすがに古いとの印象は否定できません。エーヴェルスとテア・フォン・ハルボウは前川道介の訳で、いずれも通俗小説といった印象で、とくに後者はさして文学的にすぐれた小説でもありませんが、エーヴェルスは意外にもいま読んでも通用するモダンな感覚が備わっていると思いま・・・って、この「プラークの大学生」はドクトル・ラングハインリヒ・アントスというひとがエーヴェルスの映画に基づいて小説化したもののようですね

前川道介の解説によると、「Dr. Langheinrich-Anthosについてはでき得る限り調べたが、生没年は不明」、「文学辞典や研究書で、この小説をエーヴェルスの作として、ラングハインリヒ=アントスの名を記さぬものが多い」そうなんだよね。前川道介は「序文でエーヴェルスがジャンルを異にする芸術相互の複製を激しく嫌悪しているところから見て、まさか本人の筆名ではないと思われるが」と書いているけれど、むしろだからこそ、エーヴェルス本人の変名なんじゃないかと思うんだけどね

Hoffmannさんは、「プラークの大学生」の映画は第一作、第二作ともDVDをお持ちでしたね。どちらもいずれ劣らぬ傑作だと思います

右の写真はリチャード・マシスンの「地獄の家」とシャーリイ・ジャクスンの「山荘綺談」。これは「ヘルハウス」「たたり」の原作だ

よく似た設定なんですよね(^^*これまたどちらも通俗小説ながら、作者はストーリー・テラーとしての才覚にあふれた方々ですから、長篇でも飽きさせずに読ませちゃいますね、映画はなかなかの名作でしたね



ちょっとひねって・・・モーリス・ルブランの「三つの目」、ジュール・ヴェルヌの「カルパチアの城」、それにスウィフトの「ガリヴァ旅行記」と・・・これは映画または映画「らしきもの」が登場する小説です。

ふぁんたずまゴリラじゃないですかっヾ(・∇・*

「ガリヴァ旅行記」は主人公が日本へ渡航する途上に立ち寄った小島グラブダブドリッブにおけるエピソードですね。モーリス・ルブランの小説は映画が登場した後に書かれているわけですが、ひょっとするとこのスウィフトの筆になるエピソードを意識していたのかもしれませんね(^^*




さらにこのあたり―ジョナサン・キャロルの「空に浮かぶ子供」は自殺したホラー映画監督が引退した元映画監督である親友に未完のヴィデオを託すが、このヴィデオを再生してみると、主人公が小さい頃亡くした母親が飛行機事故で死ぬ最後の数分間をの光景を映し出す・・・という小説。映画をただ小道具に使っただけではない長篇です。ちなみに作者の父親は脚本家、母親は女優だったそうで、初期の作品「死者の書」でも主人公の父親は映画俳優という設定でしたな。

ジョナサン・キャロルはほかにも翻訳が出ているようですが、Hoffmannさんはこの2冊しかお読みになってませんね

storyはおもしろいんだけどね、さほど食指が動かない・・・というよりあまりこれ以上読みたくない。翻訳文がいかにもなヤンキーのモダンホラーという感じでね。もともとの文体がそうなのかもしれんが、「やつが」、「おれが」とか、「気分はいいぜ」、「忘れちまった」、「くれてやったんだ」なんて言葉遣いが延々と続く小説は大っ嫌いなんだよね(^^;


それでは私も対抗して(笑)日本から映画を扱った小説を二篇、あげておきたいのですが・・・

ああ、内田百閧フ「旅順入城式」だね(^^*往年の旺文社文庫♪

エッセイでは平凡な日常を書いておもしろく読ませる百閧ナすが、小説ではすまして日常を語っているようでいて、いつの間にかあちら側の世界に入り込んでいる、その境界を浸食しあっている、というのがこのひとの真骨頂ですね。「冥途」とか「とほぼえ」などもそうした作品といっていいですよね

まったくもって、妖気を漂わせることにかけては、百閧フ右に出るひとはいないね。右の「現代怪談集成」からは・・・ああ、谷崎だね(^^*

はい、谷崎潤一郎の「人面疽」です。映画女優が自分が主演しているという映画の噂を聞くのですが、彼女はそのような映画に出演した覚えはない、しかもその映画をひとりで観るとはなにか不気味なことが起こる・・・というstoryですね。謎を謎のまま放り出して、かえって惻々と不気味な後味を残す短篇です。作中には「プラアグの大学生」とか「ゴオレム」などのタイトルも出てきて、そんなところにも、谷崎の映画好きの側面があらわれていますね




2010.10.14 thurs




このところやたら文庫本が取りあげられているのは、先日文庫本の棚を整理したから。もっとも整理したといっても、ニーチェの並ぶ段のその隙間にリチャード・マシスンだのレイ・ラッセルだのが突っ込まれているという突飛な状況に変わりはなし(笑)



整理したのは主にミステリと(少量ながら)SFの文庫本を収納した棚なんですが、あまりジャンル分けに厳密ではないので・・・というより、独自の分類法に従っているので、クリフォード・D・シマックの「中継ステーション」とカポーティの「遠い声 遠い部屋」が平然と並んでしまったりするんですよ。

独自の分類法って、作家のアルファベット順とか、国籍別とかではありませんよね。どういった基準なんでしょうか?

ミステリとかSFといった看板なんて他人様による便宜上の区分だよね、そんなジャンル分けには従いきれないものの方が多いんじゃないか? じっさい、〈早川文庫SF〉なんて、SF小説と呼ぶのに必ずしもふさわしいと思えないものが少なからずある。我が家の本棚の場合、結局のところ、テキトー、えーかげん、なんとなく・・・(^^A;でも、自分としては納得、という並びなんだよね。あまり厳密な規則を適用すると無理が出てくる。往年の創元推理文庫の「帆船マーク」の方がまだしも直感的で納得できるよ、多少曖昧で融通が利く余地を残しておいた方がいいんだ


いずれにせよ、さりげなくお好きな本をupされましたね(笑)




2010.10.11 mon




AIPのロジャー・コーマン作品も一連のポオ・シリーズになると、よほど質がよろしくなっておりますな。これは「赤死病の仮面」The Masque of the Red Death(1964年英・米)です。

この画像だけ見たらフェリーニかと思っちゃいますね(^^;これはポオの「跳び蛙」のエピソードを取り入れたシーンですね

そう、ロジャー・コーマンははじめチャールズ・ボーモントに脚本を書かせたけれど満足せず、R・ライト・キャンベルに加筆修正させたそうで、このエピソードがどの段階で加えられたのかわからんが、なかなか効果的に扱われているよね

このグロテスクな哄笑にいろどられた残酷味は作家の創作欲を刺激するんでしょうか、じつは先日グスタフ・マイリンクの短篇小説「壜の上の男」を読んだので、連想からこのDVDを引っ張り出したんですよ。

「赤死病の仮面」の系譜に連なる小説としては、ハンス・ハインツ・エーヴェルスの「カディスのカーニヴァル」がありますよね




2010.10.10 sun




B級映画の帝王ロジャー・コーマン監督の「金星人地球を征服」It Conquered the World(1956年・米)ですよ。まさかこの映画が国内盤DVDで観られるようになるとはね・・・もっとも登場する金星人は「金星ガニ」と呼ばれて、SF映画界の名士、我が国でも昔から有名な映画ですね。1950年代といえば、金星からはこの金星ガニが攻め込んできて、火星からはデビルガールがやって来る(笑)、いつの間にか地球は観光地化したようで、なんともにぎやかなもんですな、

大戦も終結して10年、世界が平和になった証拠ですね(^^*


もうツッコミどころ満載で、通信装置はチャチだし、戦闘シーンはショボイ、たったひとりで(一匹で?)やって来て地球を征服ってのもどうかと思うし、銃で撃たれても死なないくせに、最後はバーナーで目を焼かれたらあっさり頓死(笑)しちゃう、おまけに隠れている洞窟が「金星と環境が似ている」って・・・( ̄□ ̄;でもそんなアラをあげつらっていると、なんだかこちらが大人げないような気がしてくるほどの、徹底したB級ぶり、こりゃZ級かな?

この低予算ぶりをコーマンのプロの仕事と見るか、単なる手抜きと見るかによって、評価は分かれるんでしょうね(^o^;



この金星ガニ、当初はもっと背が低かったのに、ヒロインのビヴァリー・ガーランドがばかにして蹴っとばしたもんだから、アタマを付け足して大きくしたというのは有名な話。それでもてんで怖くはありませんな。いくらカルト的な人気があるといったって、デザイン以前でしょ、これ。

画質がまんざら悪くないだけに、かえってかぶりものの質感が丸見えになってしまったみたいですね(^^;




2010.10.08 fri



2010.10.05 tuesに「バタイユは講談社文庫、ジャン・ド・ベールは早川文庫でも持ってるけど・・・」と言ったのでちょっと補足してしておこう。左は早川文庫の「イマージュ」で榊原晃三訳、右は講談社文庫の「眼球譚/マダム・エドワルダ」で生田耕作訳。バタイユの方ですけどね、どうも講談社文庫ってのはセンスが悪いというか、表紙がせっかくのハンス・ベルメールながら、レイアウトが悪くて、これが活かされていないんですね。



これはエロティシズムではありませんが、講談社文庫のアポリネール短篇集。左が「異端教祖株式会社」、右が「虐殺された詩人」。高校生時代のHoffmannが夢中になった本です(^^*これも表紙がビアズリーの絵で飾られているにもかかわらず、洗練されていないなあの印象。印刷自体もよろしくなくて、detailがつぶれています。


2010.10.05 tuesの角川文庫版バタイユ、黒い表紙に金子国義の絵って、ちょっと富士見ロマン文庫ふうでしたね。ミュッセの「ガミアニ伯夫人」、よく似てるでしょ。これがまさに富士見ロマン文庫の雰囲気を代表しています。しかしながらここにupした、ミュッセのほか、作者不詳のヴィクトリア朝時代のポルノグラフィ「わが愛しの妖精フランク」、「吾輩は蚤である」、アナイス・ニンの「ヴィーナスのためいき」と、いずれも文学的な価値は乏しい。あえて選ぶとすれば、「わが愛しの妖精フランク」が、鞭撻趣味を扱いながらも、そのヌルさ(笑)故に牧歌的ポルノとしてほほえましい・・・かな(^^;

「吾輩は蚤である」って、「蚤の一代記」という表題で言及されることの多い、有名なポルノグラフィですね。この本も表紙は金子国義ですね




鞭撻小説ということで、ついでにこちら―河出文庫から出たザッヘル=マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」、種村季弘訳。申すまでもない有名な小説ですが、これもHoffmannの尺度では、文学的価値は認められません。なにも種村季弘が訳すまでもなかったんじゃないかというのが正直なところ。バタイユの諸作はもちろん、「O嬢の物語」と比較しても雲泥の差。到底エロティシズム文学の系譜に連なる名作とは思えません。ちなみにこの小説を原作とした映画のクダラなさときたら(以下略)

なんだか薄汚れた本が多いですね〜(^o^;

なにしろ置き場所がなくて、このあたりの文庫本はまとめてキッチンに積み上げてあったんだよね(^_^A;スマソ




2010.10.06 wed


なんでもかんでも「ムカシはよかった・・・」式の懐古趣味じゃありませんが、角川文庫もかつてはなかなか魅力的でしたな。いや、本日はそんなに古い話じゃなくて、、もう少し後の時代、二代目社長が映画化作品とその原作本とを併せて宣伝して売りまくっていたころ、世間の一部―どちらかというと読書好きの方面からは、「角川文庫こそ出版界の堕落」みたいに言われていた時期の話です。

角川文庫といえばもともとは岩波文庫の後を追っていた・・・というのは、装幀や価格表示などかなり模倣していたということなんですけどね、これをがらりと変えてしまったのが二代目の角川春樹で、岩波文庫がドイツのReclam文庫に倣って、評価の定まった古典を文庫化する出版方針であったのに対して、角川文庫はむしろアメリカのpaperbackのように、新しめの出版物も続々と投入しはじめたわけです。その絶頂はなんといっても、映画化作品を大々的に宣伝して、おまけにその作家のその他の著書も続々とラインナップに載せていた時期ですね。森村誠一、大藪春彦、横溝正史、山田風太郎など、ある程度の年齢の方ならば、いずれもひところはそれぞれの作家の角川文庫本が、書店の平台に群れなす如く山積みになっていたことをご記憶なんじゃないでしょうか。

この、特定の作家の本をまとめてどっさり出すあたり、うれしいじゃないですか(^^*Hoffmannの場合で言えば、吉行淳之介、坂口安吾などは角川文庫でかなりの点数読みましたからね。まあ、その代わり部数が少ないのか、すぐになくなっちゃうのはこれは仕方がない。

さて、当時の角川文庫のなかでもとりわけ魅力的だったと言いたいのが、江戸川乱歩と山田風太郎。おいおい、そんなの現時点での話はもとより、当時でさえも全集本や他社の文庫でも読めただろうに・・・という声が聞こえてきそうですが、いや、そのとおり。底本が初出時なのかその後手を入れた版なのかといった書誌的な面でもとりたてて特色があるわけでもない(乱歩はたぶん桃源社版)。あのね、乱歩と風太郎がいいってのは装幀―つまりは表紙デザインなんですよ。



山田風太郎作品の表紙は佐伯俊男のデザイン。これはなかなかいい雰囲気を醸し出していますね。このひとの絵はエロティシズムで有名ですが、男を描いてもすばらしいとは声を大にして主張しておきたい。

描かれている人物の目つきひとつに、底知れぬ人間の内面やその運命が読み取れるかのようなatmosphereが感じとれるんですよね(・・;



江戸川乱歩は切り絵画家、宮田雅之のデザイン、Hoffmannは数ある乱歩作品の表紙のなかでも、これがもっとも乱歩の世界にふさわしいと思っています。すばらしい!



ただし角川文庫版乱歩本の表紙デザインはその後少なくとも一部が変わったもののようで、手許にある「黄金仮面」なんかこのありさま―右の宮田雅之は昭和55年の十二版、左は昭和62年の十七版、画家の名前は言わずにおこう(笑)いくらなんでも・・・ねえ(笑)



この十七版、表紙をめくるとこんな、まるでいたずら書きのようなイラストが・・・なに考えてんだ?

江戸川乱歩の文庫本といえばほかにも各社から出ており、なかには安手のマンガじゃないかという表紙のものもありますよね(^^;角川じゃない「K文庫」(笑)



角川文庫以外では春陽堂文庫の多賀新による表紙デザインが印象的。Hoffmannは4冊しか持っていないんですが、この銅版画は画集にもなっています。



一見してフェリシャン・ロップスやハンス・ベルメール、あるいはハリー・クラークとか、そのほかいわゆる象徴派と呼ばれるあたりの誰彼の影響はあからさま、問題はこのひとがそうした先達の影響を受けているというより、一点一点がそれぞれどこかで見たような既視感があることなんですが、それでもこれはこれで印象的です。乱歩の世界としてはもやや高尚すぎて、もうすこしキッチュ感があった方がふさわしいような気もします。その点で、かつての角川文庫の宮田雅之は文句なしにすばらしいんですよ。

いや、もちろん宮田雅之がキッチュだと言っているわけではなくてね、宮田雅之の切り絵はエログロナンセンスの精神から遠く隔たることなく、それでいてむしろ生々しい日常性、リアリズムを昇華してしまったような高みに達しているのが見事としか言いようがないんだな

それは山田風太郎の佐伯俊男にも言えることですね(^^*




2010.10.05 tues




昔の角川文庫でございます。ツルゲーネフの「散文詩」(中山省三訳)、先日取りあげたスティーヴンソンの「臨海樓奇譚」(島田謹二訳)、ピエール・ルイスの「ビリチスの歌」(鈴木信太郎訳)、ジャン・ジロドゥの「ジークフリート」(岩瀬孝訳)、シャミッソーの「影を賣った男」(手塚富雄訳)、ハンス・カロッサの「幼年時代」(石川錬次訳)、相良守峯編の「ドイツ詩集」。

そうそうたるラインナップですね。ぱっと見、岩波文庫かと思ってしまいましたケド・・・(^^;

ヘルダーリンなんて「ヘルデルリーン」と表記されていて、さすがに古いなあとは思うんだけどね

ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルワイデ、クロプシュトゥックから始まってゲーテ、シラーと続き、ノヴァーリスなどのロマン派詩人を経てニーチェ、ヘッセ、カロッサまでを収録していますね。Hoffmannさんがお好きのなのは・・・?

シャミッソーだな。「ボンクール城」なんて涙なしには読めない(-_-*



うってかわってこちらはもうすこし後の時代に出たもの―エロティシズム関係を並べてみましたよ。「バタイユ作品集」は生田耕作の訳で「」マダム・エドワルダ」、「死者」、「眼球譚」などを収録。アポリネールの「若きドン・ジュアンの冒険」と「一万一千本の鞭」(いずれも須賀慣訳)と並び、イタリア・ルネサンス期のピエトロ・アレティーノによる「ラジオナメンティ 女のおしゃべり」(結城豊太訳)、ご存知「O嬢の物語」は澁澤龍彦訳、ジャン・ド・ベルグ(ベール)の「イマージュ」(行方未知訳)。

バタイユは金子國義のイラストがgood(印刷よくないのが残念)。このなかでは、アレティーノはさほど文学的に重要とも思わないけれど、資料としての価値はある。アポリネールもエロティシズム文学と呼ぶにふさわしいか疑問ながら、とはいえアポリネールだからねえ(笑)

えーと、角川文庫のエロティシズム文学といえば、ほかにも澁澤訳のサドが何冊か出ていましたよね

そりゃあたしかに草木もなびく(笑)天下のサドだけど、これはよく知られているから省略(^^*

それではジョン・クレランドの「ファーニイ・ヒル」とかテリイ・サザーンの「キャンディ」は?

優美もよく知ってるね(^^;その2冊は角川文庫ではなくで他の版で読んだんだけど、文学的な価値は皆無だ(キッパリ)



右端に写っているのはウィルヘルム・ライヒの「性の革命」(安田一郎訳)ですね。これもなかなか貴重な本ですね(^^*角川文庫もこのあたりの時期になると、メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」のように、翻訳に問題のあるものも散見されるんですが、これは角川文庫に限った話ではありませんね


バタイユは講談社文庫、ジャン・ド・ベールは早川文庫でも持ってるけど、この時期にエロティシズム関連の本がある程度まとまって文庫本で読めたということに意義があるんじゃないかな




2010.10.04 mon


イザベル・アジャーニ、アーシア・アルジェントときて、有名女優主演映画第三弾・・・。



ジョーン・フォンテインです。これはHammer1966年の作、「影なき裁き」The Witches(1966年・英)。ヒッチコックの「レベッカ」、「断崖」で華々しく銀幕を飾ったものの、その後売れなくなっていたジョーン・フォンテイン自身が持ち込んだ企画と言われていますが、一説によるとこの映画の主役は当初ベティ・ディヴィス演じる予定だったとも言われており、だとするとフォンテインが持ち込んだというのも不自然で、いずれが正しきや不明。

ひさしぶりのHammer映画ですね。これは田舎へ行って純朴な村人たちだと思ったらひどい目にあった・・・式の恐怖映画で、異境の地で謎めいた事件が・・・というあたり、どことなく「レベッカ」の風味も感じられて、やっぱりこの女優さんの持ち込んだ企画なのでは?



ジョーン・フォンテインはいかにも「ドンくさいおばはん」という雰囲気だけど、これは役柄にふさわしいね。そういう役作りをしたのかな・・・だとしても、演技そのものは類型的でさほど見るべきものもないなあ

それでもベティ・ディヴィスではなくてよかったと思いますけど・・・(^^;ただ、展開も途中でだいたい読めてしまいますし、主役の女性がかつてアフリカで・・・という設定にも、さほど意味があるとは思えませんね



カルト集団の儀式は長々しくていかにも芝居がかっており、いささか失笑を誘います。

あまり怖くもありませんし、みなさん、トランス状態というより一生懸命演じていますといった雰囲気がありあり・・・ですね(^o^;


生贄とされる(されそうになる)女の子は地味〜な女優さんで、ヌードになるわけでもなんでもないんですが、はからずも未成熟な処女のエロティシズムを醸し出していて、これはちょっと効果的です。


いい雰囲気じゃないですか?


Hammerならではの色合いがいまひとつと感じるんだよね。いっそこの映画、「恐怖」みたいなモノクロだったら、かなり印象は違った鴨・・・



映画のなかの猫画像。先の女の子の祖母、このひとがいちばん怖い?(^^;




2010.10.03 sun


昨日とは思いっきり趣向を変えて、フツーの(?)ホラー映画ですよ。



映画のなかのカメラ画像―これはCanonのEF-Sレンズ、18-55mm、1:3.5-5.6と・・・世界を席巻する我が観音カメラのデジタル一眼レフですね。

ダリオ・アルジェント監督の「サスペリア・テルザ 最後の魔女」Mother of Tears(2007年伊・米)です。「サスペリア」、「インフェルノ」に続く魔女三部作完結編・・・って、まあ30年前から三部作なんて構想があったわけではなくて、結果的にそうなったんでしょう。

個人的には「サスペリア」ってさほど好きでもない。ところが「インフェルノ」を観たら、「ああ、『サスペリア』ってよくできてたんだな」と見直しちゃった。いろいろwebやその他の本など見ていると、「インフェルノ」は駄作と言うひともいれば、いやあれだけが例外的にいいと言うひともいるんですが、Hoffmannとしてはつまらないというのが正直なところ。「インフェルノ」はね、出演している俳優女優に魅力が乏しいんですよ。



その点ではこの「サスペリア・テルザ」はアーシア・アルジェントの演技で観(魅)せますね。こんなにいい女優さんだとは知りませんでした。storyはうまいことまとまりすぎちゃって、アルジェントらしいゴーインな力業があまり感じられず―というのは、唐突に脈絡のないシーンが挟まれる、といった破綻が目立たないということなんですけどね。

ホメてるんだか貶しているんだかわかりませんね〜(^o^;


世界各国からローマに集結した魔女たち―これはもうすこしなんとかならなかったのか・・・ただのケバい(場末の・笑)ヤンキーです。刑事を殺害するときの日本語の台詞「冥土へ行きな」(ぷぷっ)もなんだかなあ。「サスペリア」は色彩のケバケバしさがいい意味でたいへん印象的でしたが、おねーちゃんたちがケバケバしいのはねえ・・・(^_^A;

「冥土へ行きな」の魔女は市川純という女優さんだそうですよ


怪優ウド・キアもご出演。ダリア・ニコロディは主人公の母親で霊となって登場、いやはや、このひたぁ変わりましたな。生前の方が幽霊みたいなシルエットで、この映画での幽霊になってからの方が栄養たっぷりに見えます。

個人的にはウド・キアにはもっと狂気にとりつかれたような役を演じて欲しかったですね


いちばんシラけちゃうのは、甦った魔女がこれまたただのズベ公(笑)で、魔力を与えるという法衣がポロシャツにしか見えないのと、それをはぎとられたとき(於お立ち台・笑)の右のポーズ・・・「キャツ」って、あたしゃコーヒー吹いて大笑いしちゃいましたよ(ついさっきまでスッポンンポンのポン♪だったくせにさ・笑)。三姉妹のなかでもっとも残忍で美しい魔女? もっとも売れないストリッパーの間違いでは?(笑)

あらららら・・・(^o^A;



CGが安っぽいなあ。この大団円の背景も、このシーンで広角レンズを使っているところから見てCGではないかな? 

いろいろと文句もたれましたが、そこここを手直ししちゃうとダリオ・アルジェントらしさが薄れてしまいそうでもあり、たとえば呪いが放たれたローマの町の頽廃ぶりに関して、その描写はスケールが小さすぎるんじゃないかという声もあるようですが、これはこれでかまわんでしょ。そんなところで予算をかけて派手にやったら焦点がボケちゃうでしょう。全体としてもこれはこれで・・・ということは、新味もないってことなんですけどね(笑)

Hoffmannさんにしては甘いですね(笑)「サスペリア」は熱に浮かされた主人公の視点による悪夢のような印象があって(ちょっと初期のを楳図かずお風?)、様式化されたセットや色彩がその効果に貢献していましたね。次の「インフェルノ」はあらゆる事象ののすべてが寓意を含んでいるかのようなところがあって、脈絡のないエピソード(ホットドッグ屋さんとか)がかえって印象に残ったんですよ。その意味では、この「サスペリア・テルザ」は特色に乏しいというか、そこがHoffmannさんのおっしゃる「ゴーインな力業があまり感じられず」という物足りなさに通じるような気がするんですね


ところで、アーシア・アルジェント演じる主人公の名前がサラ・マンディーなんだよね(^o^*

律儀なことに、錬金術師に会いに行く場面もありますね(^^*




2010.10.02 sat


ドビュッシーの交響詩「海」を聴いていて葛飾北斎の富嶽三十六景を連想する・・・

「神奈川沖浪裏」ですね。この連想は自然ですね

・・・で、北斎から連想したのがこの映画―



これは・・・イザベル・アジャーニですね(・・;

そう。のっけから〈嘔吐ダンス〉の過激なシーンをupしちゃいましたな。これはアンジェイ・ズラウスキー監督の「ポゼッション」Possession(1980年仏・西独)です。



長い単身赴任から帰ったマルクは妻アンナのよそよそしい態度に迎えられ、彼女に“男”がいることを知ります。その問題の男ハインリヒと対峙するも、アンナが夫と子を残して会いに行く男はほかにいるらしい・・・マルクは探偵を雇って妻を尾行させるのですが・・・って、これ、なんとも不思議な映画ですね。一応ホラー映画として分類されているようなんですが、道都でも解釈できる、とにかく複線らしきものがてんこ盛りで、そのほとんどが放置されたまんま終わっちゃうんですよね。アンチ・キリスト譚といえばそうなのかなとも思うし、寓話めいたラブストーリーと見えないこともない。


海外でもしばらくDVDは廃盤になっていたようですが、先日国内盤でデジタルニューマスター版が発売になり、ようやく入手。かなり以前、VHSテープで観たことはあったんですが、もう一度観てみたかったんですよ。



これはイザベル・アジャーニの二役。じつはHoffmannはこのひと、あまり好きではないんですけどね、別に美しいとも思わんし・・・しかしここで対照的な女性を演じてさすがの貫禄とは認めざるを得ません。

なぜ北斎から連想したのか、説明しなくていいんですか?(^^;

ネタバレになっちゃうなあ・・・まあいいか(笑)



つまり、このシーンがひょっとすると北斎からヒントを得たんじゃないかと思われるんだよね

北斎というのは蛸とのからみですね。愛人は異形の化物だったと・・・たしかに、素直に観れば、オカルト映画ですね。ところがカメラはやたら東西冷戦下のベルリンであることを強調しているし、主人公の仕事もいわくありげで・・・そうなると、結末も、これはドッペルゲンガーなのかなとも思(以下略)


これはラストシーン。なんだか意味深だよね。まあ、ひとりの人間のなかでの善悪の戦いといった台詞がかなり説明調に語られているんだけど、やっぱり後味は放り出されてしまった感が強くてすっきりとしない。妙に高踏的というか、調子が高いよね(^^;名作なんだか迷作なんだか・・・

カメラの傾きとか音楽・効果音は不安を煽る効果が見事でしたね

とはいえ、やたらギャーギャーとわめいてばかりの、やかましい映画だよね(^o^;スピーカーの音量に注意






2010.10.01 fri


煉獄の10月に突入。細菌・・・じゃなくて、最近読んだ本、どれも再読―。

「氷のスフィンクス」 ジュール・ヴェルヌ 古田幸男訳 集英社文庫
「ラヴクラフト全集 4」 大瀧啓裕訳 創元推理文庫
「ポオ小説全集 第II巻」 創元推理文庫
「後ろから読むエドガー・アラン・ポー 反動とカラクリの文学」 野口啓子 彩流社
「臨海樓奇譚」 スティーヴンソン 島田謹二訳 角川文庫
「海の想い出」 ジョウゼフ・コンラッド 木宮直仁訳 平凡社

まずは小説三篇。「氷のスフィンクス」から流れたのであるから、ラヴクラフトやポオの全集からどの小説を選んで読んだか・・・これはお分かりになる方にはバレバレでしょうな。もちろん、ラヴクラフトは「狂気の山脈にて」、ポオはジュール・ヴェルヌやラヴクラフト作品の元ネタ、「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」、訳は大西尹明。次に、手許にあるなかではもっとも新しいポオ研究書に目を通す(あまりたいしたことは書いてない)。さらに海洋小説という連想から(ハーマン・メルヴィルが正道ではあろうが)ロバート・ルイス・スティーヴンスンの「臨海樓奇譚」を―。これはいまを遡ること四半世紀前、10代のHoffmannがはじめて英語で読み通した小説なんですよ(^-^*

さりげな〜く、サバよんでませんか〜(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪