monologue 2011.06

2011.01 2011.02 2011.03 2011.04 2011.05
2010.01 2010.02 2010.03 2010.04 2010.05 2010.06 2010.07 2010.08 2010.09 2010.10 2010.11 2010.12
2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10 2009.11 2009.12
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2011.06.31 Σ( ̄□ ̄;



数日前にやってきた、ユニヴァーサルプレーヤーですよ。CDやDVDはもちろん、SACDにBlu-rayも再生できる、これぞホントのuniversal。雑誌記事によれば音質はそこそこ、discの読み込みが速い、とのことでしたが、たしかにdiscの挿入から再生が始まるまでが迅速。音質もことさらにaudioマニア受けしそうなものではなく、やや軽快感のある軟調傾向ながら、それだけにバランスは良好。当初はわずかに高域側にアクセントを感じないでもなかったんですが、エージングが進むにつれ、また音声用RCAケーブルを海外製の音場再現優勢タイプのものに交換してみたところ、強調感のない落ち着いた音質になりました。さらに電源ケーブルを手持ちのものに替えてみたところ細部の見通しも向上して、SACD(ハイブリッド盤)を再生してみれば、たしかに我が家のCDプレーヤーでCD層を再生する場合とは異なる彫りの深さを感じさせます。まあ、高級SACDプレーヤーは持っていないので、これが単なるキカイの違いなのか、CDとSACDの違いなのか、即断はできませんけどね。それとね、こいつはDVDの再生に関してregion freeというのがポイント高し。もちろんNTSC盤とPALを問わず再生可。いや、だから入手したんだよ(Blu-rayはregion freeではない、残念!)お写真のプレーヤーはいま、モニタにはつないでなくて、プリメインアンプに接続してCDやSACDを聴いています。これまで使っていたおフランス製のCDプレーヤーとはまた異なったtasteが愉しめて、いやはや、長生きはするもんですなあ。

「お写真のプレーヤーは・・・」って、ヘンな言い回しですね(笑)

参考までに申しあげておけば、映像メディアの再生には使わず、CDやSACDを聴くためにこのプレーヤを導入するとしても、音声再生の設定は必須なので、一度はモニタ(TV)につながなきゃダメよ。



それはともかく、新しいデジタルカメラのいろいろなカラーモードを使ってみましたよ。被写体は上記ユニヴァーサルプレーヤーにちなんで「魔人ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」といった古典ホラーで有名なUniversal映画についての本。上は「マイカラー切」の標準モード。



くっきりカラー、すっきりカラー、セピア、白黒。あざやかは「コントラスト」強調気味、「すっきり」はややくすんで見えます。モノクロはただ色を抜いただけですね。



ポジフィルムカラー、色白肌、褐色肌・・・さすがに本の表紙じゃわかりにくいんですが、たしかに微妙に違う。



あざやかブルー、あざやかグリーン、あざやかレッド・・・意味なし(笑)

それぞれ海や空、山とか草花を撮影するときにどうぞ・・・ということなんですね。あざやかレッドというのはたとえばどんな・・・?

紅い花なんかを撮るときに使うんだろう


眠れや・・・ヾ(-∇-*

ちなみにピント合わせの際、顔検出モードにしてみたら、左側の女性の顔を認識しましたよ(^^;右のおじさんはダメでした




2011.06.30 thurs

(昨日の続き)

えー、それではほとんど文句なしの絶賛ものなんですか? 残念な点などはありませんか?

あるよ。開放F値がF3.4というのは、もうすこし明るかったら・・・と思うけど、それでもテレ端でF5.6を保っているので、これは用途上問題ない。それよりも、液晶モニタがバリアングルでないのはしかたがないとして、AFフレームが任意の位置に移動できないのは残念だな。室内で三脚にセットしてのブツ撮りでは、AFロックしてフレーミングし直すのは面倒だから、AFフレームが自由に動かせると便利なんだけどねー。それから、光学ファインダーがない。これはある意味致命的な短所だな

コンパクトデジタルカメラで光学ファインダーがどうしても必要ですか? どのみちあまり覗き心地のよいファインダーは装備されそうにもないと思いますが・・・

屋外で撮影するときには、やっぱりファインダーを覗いてワキを締めた構えでないと撮りにくいんだよね。よく見かける、両手でもって前方に突き出す構えって、あれ、いかにも手ブレしやすいポーズだよね。その点、バリアングルモニタなら腹のあたりで腰だめにして構えることもできるので、また使いようもあるんだけどね。その意味で、屋外で写真を撮る目的ならば、このカメラは絶対に買わなかっただろうな



いや、それでも今日外に持ち出して試写してみたんだけど・・・やっぱり構えが決まらないから、てんでやる気のなさそうな写真しか撮れなかった(^^;

Hoffmannさんは銀塩カメラではレンジファインダー機に慣れてらっしゃいますから。一眼レフでもさることながら、とりわけデジタルカメラのモニタを見ながらでの撮影では「切り取り」ができませんから、感覚的にダメなんでしょうね

あと、これはこの機種に限ったことではないんだけど、メディアカードの挿入口が底面にあるのが不満だ。三脚にセットしていると、いちいち外さなけりゃ交換できない。なんでこんなことが気になるかというと、ずっと以前使っていた観音のG3は側面にあったから便利だったんだよね。G3はCFカードで、いまはSDカードと小型になっているんだから、できれば側面に戻して欲しいね




2011.06.29 wed

自宅にデジ亀置き忘れてきちゃった・・・
ので、とりあえず間に合わせに一台導入しましたよ。このページで使うようなお写真撮るのに、一眼まで持ち出すのはさすがに面倒だかンね(^^;

置き忘れてきた機種をかつて購入する際、これを選定するまで検討している様子は、monologue 2007.12.24〜26あたりに書いてありますね(入手したのは2007.12.29かな)。そのときの条件は、操作に慣れた観音製で、マニュアル露出ができること、それに液晶モニタがバリアングルであることでした。さらにISO感度やWBがマニュアル設定できるのは当然として、レンズの明るさはテレ端でもF5.6を保っていること。画質最優先ではないからRAWデータは不要。今回は、まあサブのそのまたサブですから、バリアングルモニタは諦めても、とにかくお値段が安いものにしたい。そしたら、ありましたよ、ひと昔前ならオモチャみたいなお値段で、バリアングルモニタ以外の条件は満たしているやつが(笑)


(木材かけとるよ)

さっそく死者・・・じゃなくて試写。夜の室内撮りってことで、三脚にセットしてISO400、WBユーザー設定、露出もマニュアルでシャッター1/10、F5.6。うんうん、まあこんなもんでしょ。お値段考えたら立派なもの。造りはチト安っぽいが、軽くて手に収まる感じも良好。なによりうれしいのは、ここまで取説はまったく開いていないこと。Hoffmannにとっては200万画素機の時代から使ってきた観音カメラですから、いじっているうちにどうにかなっちゃうだろうと思ってはいましたが、じっさい、どうにかなっちゃいました( ̄ー ̄*我ながらさすがである・・・調子に乗らないでくださいよ〜(;^o^)σ)~0~)/プニッ♪

バリアングルモニタの機種もあったんですよね

あったけど、お値段がちょっとね。それにカメラ自体も大きくて重かったので、仕事で持ち歩きたいときにはツラそうだったんだよね

これは液晶モニタがこれまでお使いになったデジタルカメラのなかでも、もっとも大型なんじゃないですか?

そうそう、これなら固定でもいいよね・・・というか、バリアングルを諦めたおかげで大型にできたんじゃないかな。視野角も広い

肝心の写りは・・・

まだ室内でちょっと使っただけだけれど、問題はない。そんなにノイズも目立たないし・・・もちろん、一眼の画質を望むつもりもないけれどね


単三乾電池2本で動くのもいいですね。いろいろなシーンに合わせたモードとか、様々なカラー設定というのは・・・これはあまりHoffmannさんには必要ないのかと思いますが(笑)


お遊びみたいな機能は使わないなあ。それよりなにより、マニュアル露出ができるという点がいちばん重要なんだよ。それですべて対応できる




2011.06.27 mon

ちょいと自宅へ帰っておりまして・・・自宅にデジ亀置き忘れてきてもうた( ̄□ ̄;;;ズイブンたくさん写真撮ってきたのに・・・

いまごろ真っ暗なお部屋で三脚の上に鎮座ましましているんですね(笑)



Hoffmannさん、カメラならたくさんありますよっヾ(^∇^*




2011.06.23 thurs



オッフェンバックのオペレッタ「地獄のオルフェ」ですけどね、「天国と地獄」っちゅうのは我が国で勝手に命名しちゃった、いわば邦題であるわけですが、思えばなんとも秀逸な命名ですなあ。

それはともかく、高尚な芸術作品以上に通俗芸能こそがその当時の歴史を語るという点で、オッフェンバックの作品はその代表格といっていいでしょう。

ここで僭越ながらお若い方々に老人Hoffmannからの(決して上から目線のエラソーな指図ではなくて、我が身を振り返っての反省をも込めた)アドバイスを―もしもアナタが日記を付けているのなら、内的独白みたいな、あるいは魂の告白といったような、その思いの丈を観念的に書きつづるのだけはおやめなさい。作家のなかにはそんな日記を活字にして発表しているひともいますけどね、あんなの、あとで本人が読み返したって、おもしろいものとは到底思えない。そんなことよりも、その日の天候、食べたもの、見聞きしたものを、極力即物的に記録しておくことをおすすめめしますよ。10年後か20年後に、それは紅茶にひたしたプチットマドレーヌに、過去からのホットラインになります。魂の告白なんて、見知らぬ他人の寝言にしか見えませんよ。




2011.06.22 wed



「手袋の内側には愛がある」




2011.06.21 tues

realityに引き寄せる(縛り付ける)のが通俗ポルノの、それならではの媚。
無意識を解放して非日常に飛翔させるのが、連続性をめざすエロティシズムの精神。

エロティシズムをシュルレアリスムが好んで取りあげたことで誤解しないように。しばしば「非現実的」の意味で「シュール」なんて言うひとがいますけどね、それじゃあ意味がさかさま。「シュルレアリスム」、つまり「超現実」というのは、正真正銘徹底的に本当の現実、ということなんですよ。非日常ってのは、決して「反」日常ではないのです。

 

それはともかく、「ポルノグラフィ」ということばはなにもかもひっくるめて使われているので、どのような作品が扱われているのか、読んでみるまでわかりません。




2011.06.20 mon



メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」を聴きながらマーシャル・マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」など読んでいました。



書物というものがなくなったとして―というのは、ことごとく電子化されたとした場合―余白に書き込みできなくなってしまいますね(言うまでもなく比喩ですよ)。




2011.06.19 sun

角川映画の「伊賀忍法帖帳」(1982年)です。監督は斎藤光正、出演は真田広之、渡辺典子、千葉真一、中尾彬。



monologue 2011.05.23 monに「魔界転生」を取りあげて、これも山田風太郎原作ということで観たんですけどね、いやはや、観なけりゃよかった、じつにクダラない映画でした。まあ、時代物なんて映画でも小説でも、ご都合主義の約束事だけで成立しているようなところがありますがね、じっさい、山田風太郎の小説だって登場する女性はみんな清純可憐な美女か色情狂のどちらかですもんね。でも山田風太郎の原作にはペシミスティックに醒めた視線とかわいたユーモアがあります。これが映画になるとぜんぶスポイルされちゃって、嫋々たるsentimentalismがくっさいこと臭いこと・・・。宇崎竜堂と阿木燿子の音楽がこれに拍車をかけて、ラストシーンなんざ失笑もの。それにこのテの映画って、真田広之とか渡辺典子とか(よく知らないんだけどサ)、当時所属事務所が今後金になりそうな俳優女優を売り出すために配役して、そのimageに沿った映像となっているのであって、極端なこと言えば、こりゃプロモーションビデオの延長だよね。そのふたりが主役級だから、脇を個性派俳優で固めていたところで、こりゃ支えきれない。途方もない愚作。

 

あはは、こんなシーンしかキャプチャしとらんわ(笑)

「俳優女優を売り出すために配役して、そのimageに沿った映像となっている」とおっしゃるのはわかるような気がします。だから脇役の役者さんたちのほうがのびのびとして見えるんですね

「魔界転生」の若山富三郎なんて、角川映画だろうが我が道を行くもんだから、かえって映画の方も救われたんじゃないか? ここでも役柄としては脇のひとたちがハメを外してくれれば、それなりに映画の美点となりそうなんだけど、たとえば中尾彬なんて―Hoffamnnはこのひとは好きなんだけどね―きっと頭のいい役者さんなんだろう、きちんと枠に収まって演技していて、映画のダメさかげんはそのまんまなんだな

Hoffmannさんはこのところ時代物といえば、若山富三郎さんに天知茂さんといったそうそうたる方々の映画ばかりご覧になってられたので、このあたりでは辛口になっても仕方がありませんね(^o^;




2011.06.18 sat

 

Wagnerのdiscは依然として増え続けており、つい油断すると、未だあちらのページに追加していないものが山積み。一方、Wagner関連書は玉石混淆なので最近あまり買っていないんですね。



そうそう、この「大地の歌」もあそこに追加しておかないと。これはミヒャエル・ギーレン指揮バーデン・バーデンのSWR交響楽団、ジ−クフリート・イェルザレム、コルネリア・カリッシュのソロ。明晰な音響、都会的な現代感覚ながら、冷たくなったり表情付けがあざとさを感じさせたりしない、バランスのとれた好演。イェルザレムはこのひととしては上出来ながら、指揮者のスタイルとはやや異質。一方のカリッシュは指揮者のスタイルに合わせていて、それだけにスリルがないと言ってはあまりに勝手な言い分かな。




2011.06.17 fri

怪談を読んでいます。



岩波文庫の「江戸怪談集」上中下巻、その横ちょに並んでいた「耳嚢」、これも上中下の3巻本。



こちら英国はヴィクトリア朝屈指のベストセラー作家、Rhoda Broughtonの怪談集、“Rhoda Broughton's Ghoststories and Other Tales of mystery ando Suspense”。収録作すべてが怪談ではないんですが、夢あるいは幻視を扱った小説が多い。つまり、昨日のジェームズ・ハーバートの小説からの連想で引っぱりだしたんですよ・・・って、あれ?



なんで2冊あるんですか〜((
(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪またやっちゃったか・・・




2011.06.16 thurs

このところ、どうしたはずみかサロメだ、メドゥーサだ、蛇だと騒いでいたところ、今日も雨など降っているので、こんな本を引っぱり出して読んでいますよ。



左、エドワード・H・シェーファーの「神女 唐代文学における龍女と雨女」西脇常記訳、東海大学出版会。ま、龍は蛇というよりトカゲなんですけどね。ちなみにゲルマン系ドラゴンは火を吐くけど、中国の龍は雨をもたらすんですよ。右は参考に取り出した―これもやっぱり本棚で隣り合って並んでいたんだよ(笑)―「竜蛇神と機織姫」篠田知和基、人文書院。

ま、あとは皆既月食ちゅうことで、月にちなんだ本でも―。



どうしたらこんな本が書けるのか・・・図書館的な分類にとらわれていては決して思いつくことも、発想することもできないであろう、異能の発露。

 

こちら以前にもupしたJames Herbertの“Moon”。殺人鬼に同化してその凶行現場を幻視してしまうという、自ら望まぬ超能力を持った女子校の教師。その殺人鬼も彼の存在を察知して身辺に魔の手を伸ばしてくる・・・というstory。このpaperbackを取りあげたとき、「なんだか覚えがあるなー」と思っていたら、今回の引っ越しの際、この作家の翻訳が何冊か出てきて、そのなかに早川文庫の「ムーン」もありましたよ。やっぱり翻訳で読んでいたんだね。



これは「ついで」(笑)のおまけ画像。




2011.06.15 wed



本棚の整理をしていたらロベール・ド・モンテスキューの詩集「カランドリエ」白鳥友彦訳(森開社)が出てきたので、なんとなく記念撮影(^^*右はユイスマンスの「さかしま」澁澤龍彦訳(桃源社)、左はプルーストの「見出された時」、五來達の訳による三笠書房版。関連は言わずもがな。



さて、ひさしぶりにこのDVD愉しみましょうか・・・。

以前入手されましたときにも取りあげた、Rolamd Petitバレエ団の“Proust”、これはシャルリュス男爵の登場するシーンですね



ところで、「プルーストより○○が好きです」と言うのなら、プルーストを読んでから言えよな。読んでないなら「知らないよ」と言うのが正しい日本語(笑)べつにいいんですよ、こんなの読んでいたからって、自慢にも肥満にもなりゃしない。せいぜい肥満児・・・じゃなくて暇人。Hoffmannは無知無教養な暇人ですが、無知無教養をさほど恥とは思っていません、少なくとも知ったかぶりの見栄っ張りよりはましじゃないかと思っています。




2011.06.14 tues

 

どうも今月はサロメから離れられませんね〜(^o^;


左のお写真はフローラン・シュミットの作品集のdisc、収録曲は「サロメの悲劇」、「幽霊屋敷」、「詩篇47番」。ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮サンパウロ交響楽団ほかによる演奏。2011.06.03 friにupしたティエリー・フィッシャー指揮BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団ほかによるdiscを聴いて、これもなかなか渋くていいんですけどね、ちょっと別な演奏でも聴きたくなったので入手。LPでもいくつか持っているんですが、やはり録音は新しめの方が聴き映えがする音楽ですね。フィッシャー盤と比較すれば、うってかわってこちらは響きが明るめ。毒のない、端正で上品な演奏に予定調和しがちなヤン・パスカル・トルトゥリエにも、このあたりで新境地に至って欲しいところ。少なくともジョルジュ・プレートルだとか、Hoffmannひいきのジャン=クロード・カザドシュとくらべても、その上に達することのできそうな才能のきらめきを感じさせる指揮者なんですから―。

右の本はフランソワーズ・メルツァーの「サロメと踊るエクリチュール」富島美子訳、ありな書房。副題が「文学におけるミメーシスの肖像」。文学という言語表現のなかに登場する(取りあげられる)肖像画について、さらに一神教において偶像崇拝―造形芸術が禁止され、一方言語芸術は世俗的ものとしてこれに対立する・・・など、そのテーマが多方面にわたる論述。エクリチュールだのミメーシスだのと、やたらカタカナを並べる表題は好みに合わないんですが、ちょっとほかに類書のない本ですね。表紙はせっかくのギュスターヴ・モローなので、帯を外して写真撮りましたよ♪




2011.06.13 mon



この画像は以前upしたことがありましたね。

天知茂、もうひとつの「四谷怪談」、1972年毎日放送の歌舞伎座テレビ室制作、つまりTVシリーズのうちの一話だよ。監督は山田達雄、脚本は宮川一郎。お岩役に円山理映子、宅悦に殿山泰司。


天知茂さんは、1959年の「東海道四谷怪談」のときにくらべて、さすがに「明智小五郎」の容貌になってらっしゃいますけれど(笑)ここではかつての傑作に比肩するほどの強烈な印象はありませんね。やはり劇場公開映画のように重厚に盛りあげるには至らないのが残念です

 

それは仕方がないな。映画ならいくら低予算とはいっても、それなりの工夫もあろうけれど、TVとなるとコストと効率優先だろうから・・・亡霊となったお岩さんのメイクなんか、ゴムを貼り付けた(かぶせた?)ようにしか見えない(笑)

 

ところで、お岩さんが毒を飲んだ直後はこんな感じ。Hoffmannは、この円山理映子という女優さんはよく知らないんですけどね、なんだか顔面が腫れて爛れていても、気品のあるきれいな顔立ちがとても印象的です。それだけに後半の、誰が演じていても同じに見えるようなお手軽メイクはもったいないですなあ。


とりわけ口もとが魅力的な女優さんですね

この鏡をのぞくシーン、ほとんど口もとだけで演技しているんだよね




2011.06.11 sat

「スパニッシュ・ホラー・コレクション」、ガルシア・ボグリアーノ監督作品集と銘打ったDVD3点セットを入手しましたよ。バラ売りもあるけれど、セットなら特典ディスク付き。



最初に観たのが「スクリーム・アット・ナイト」Scream At Night(2005年)。アルゼンチンの女子高生を主人公とした・・・憑依もの?なのかなあ。いやはや、いかにも制作者のひとりよがりで、ワケわからんうえにつまらない。途中眠くなって、買ったのを後悔しましたな。B級にすらなりえない駄作。問題外。キャプチャ画像にもHoffmannの気合いの不足があらわれておりますなあ(^_^;



気を取り直して次に観たのが、「36PASOS(36パスオーエス)」36PASOS(2006年)。典型的なサイコ・スリラー。典型的ってのは既視感ありありということ。storyも破綻気味。若い娘が水着で踊ったって、派手なスプラッター描写があったて、退屈なものは退屈。「スクリーム・アット・ナイト」もそうなんですが、女優さんたちにも魅力がありません・・・っちゅうのは、魅力的に描かれていないということな。



なんかもう、まったく期待もせずに最後に観たのが「ルームズ・フォー・ツーリスト」Rooms For Tourists(2004年)。これは見事。モノクロ映像美しく、モノクロ故にスプラッター描写もかえって抑制されたのがかえってよかったんじゃないかな。ワケありの5人の娘たちが「田舎でひどい目にあった」というありがちなstoryながら、緊迫感も途切れることなく、なかなか重厚に盛りあげていきます。ここではたいして美人でも美少女でもない女優さんたち(失礼)も魅力は充分。キャラが立っているというやつですな。やれやれ、この1本でようやくマトモな映画が観られましたよ。画質も含めて、いちばん古い作品がもっともよかったわけですね・・・とはいえ、以上3本とも、まず二度と見ることはないでしょうなあ(^^;



スプラッター描写が結構ドギツかったので・・・だからといってとくに喜んだり、逆に眉をひそめるでもなく、こんな本を引っぱりだして読んでるんですよ。

「グラン=ギニョル 恐怖の劇場」(フランソワ・リヴィエール、ガブリエル・ヴィトコップ共著)ですね。19世紀末のパリで流行した恐怖(残酷)劇に関する本ですね

我が国でも、先日来取りあげている「四谷怪談」の、鶴屋南北の原作だってグラン=ギニョルと言っていいよね




2011.06.10 fri

昨日、「マリオ・プラーツの「ペルセウスとメデューサ」を引っ張り出せば、隣に並んでいるこの本も・・・」なんて言いましたよね。

アノネ、本棚っちゅーもんは、本棚一本にラテン文学関係とか、あるいは一段で作家の誰それ、といった並べ方も当然のこととしてアリなんですけどね、隣り合った2冊とか3冊から10冊くらいまでの単位でレイアウトを意識してみるのも一興なんですよ。



たとえばHoffmann家では―これは以前にも言ったことがあるんですが―ミシェル・レリスの「成熟の年齢」とヴェルター・ベンヤミンの「ベルリンの幼年時代」は本棚で必ず並ぶんですよ。なんならその隣に、澁澤龍彦の「狐のだんぶくろ」が挿し込まれていてもいい。



ポール・ラディン、カール・ケレーニイ、カール・グスタフ・ユングの論考をまとめた体裁の「トリック・スター」とイーニッド・ウェルズフォードの「道化」が並んでいるのなんてアタリマエ(いずれも晶文社刊というのもわかりやすい・笑)。ここはヴィンフリート・レーシュブルクの「ヨーロッパの歴史図書館」の横ちょにクシシトフ・ポミアンの「コレクション」を並べてみる。もちろん、ディスプレイとしての効果ではなくて、このペアから新たな綺想が生み出されることに期待するんですよ、ええ(笑)




2011.06.09 thurs

 

テーマは連想の末、「蛇」と「斬首」に分岐してきましたな〜

この「蛇と十字架」にもメドゥーサに関してページが割かれてますね。ところで、ギロチンの発明者はギヨタンでしたっけ?

ギヨたん?(・∇・?




2011.06.08 wed



マリオ・プラーツの「ペルセウスとメドゥーサ」を引っ張り出せば、隣に並んでいるこの本も一緒に取り出されることになるのだよ( ̄- ̄*)ohon

「蛇との契約 ロマン主義の感性と美意識」ですね。まあ、蛇の連想ですね(^o^;

表紙デザインがハンス・バルドゥング・グリーンの「エヴァ、そして蛇と死」てのがミソ(笑)研究書としてではなく、読みものとしてとにかくおもしろい

それでは私も対抗して・・・



言わずと知れた“The Romantic Agony”、英語版の2nd Editionですよヽ(^o^*翻訳の方は表紙がギュスターヴ・モローの「サロメ」♪

英語版といっても、引用文とかフランス語だらけなんだよな〜(笑)

第1章の表題が、これまた「メドゥーサの美」なんですよね(^^*

(おまけ)
 




2011.06.06 mon



えーと・・・これは「タイタンの戦い」Clash of the Titans(1981年・米)ですね(^o^*レイ・ハリーハウゼンの特撮♪

昨日は「怪談蛇女」だし、monologue 2011.06.03 friには「サロメはメドゥーサへと結びつく」なんて言っちゃった、そのあたりからの連想で本を読んでいるんだよ



本って・・・あっ、マリオ・プラーツの「ペルセウスとメドゥーサ ロマン主義からアヴァンギャルドへ」ですね。表題はそのまんまですけど、ここで論じられているテーマについては、連想がずれてますね〜(^^;これはロマン主義以降の近代美術論ですよ



それでは私はこの本を読みますよ

ベンヴェヌート・チェッリーニの「自伝」だね。ああ、この表紙の写真は「メドゥーサの首を掲げるペルセウス」だね。いやいや、英雄にとって、「歯の生えた女性性器」以上の宿敵はないね、ふっふっふっ・・・ペルセウスはここに至って、母性に勝利して、これと決別することによって、恋人であるアンドロメダを解放し、手に入れるのさ(笑)

ゴーインにテーマを引き戻しますね〜(^o^;
たしかに右手の剣はいい配置で(^o^*)そそり立っていますけどね〜ジュリア・クリステヴァは「同時に、去勢の恐怖との無限の対決が宿っている」と言ってますよ。そもそも母性なんですか?

ましてや蛇だぞ、蛇



メドゥーサなら、私はむしろ「邪眼」という側面からアプローチしたいですね

邪視には違いないんだけど・・・メドゥーサの画像って、歴史上はむしろ邪視を祓うお守りとして広く知られ、使われていたんだよね。そのまなざしによって、ではなくてまなざしに引きつけられてこれを見つめてしまうことによって、麻痺し石化してしまうというのは、まさしくエロスとタナトスの象徴のように思えるね




2011.06.05 sun

 

中川信夫監督の「怪談蛇女」(1968年)でござい。出演は桑原幸子、月丘千秋、西村晃、河津清三郎、山城新伍、脇に伴淳三郎、丹波哲郎など。

明治の北陸を舞台に、冷酷な地主が死んだ小作人の未亡人と娘に奉公を強制して、母親はいびり殺され娘は長男に暴行されて自刃。ふたりは蛇の怨霊となって一家に復讐する・・・という純和風怪談です。85分のうち50分過ぎまで「お○ん」か「女工哀史」みたいな世界が延々と描かれて、なんか陰鬱さも生々しすぎて、チトHoffmannには苦手なstoryですね。まあ、伴淳三郎などを配して息をつかせるなどの配慮はあるんですけどね。

 

小作人役は西村晃。さっさと死んじゃうけれど、その後は幽霊となって大活躍(笑)でもね、全体に小作人、奉公人のわびしい生活ぶりばかりが映し出されて、この画像のような中川信夫らしいシーンがどうも浮いちゃって、その効果もいまひとつのような気がします。



とは言うものの、このラストシーンはさすがに印象強烈です。

こうしたヒロインが「イジメ」にあうstoryって、観賞する側に自己陶酔型マゾヒズムの性向が備わっていないと、ちょっと受けつけないんじゃないですか?

あれ?(笑)きょうは優美が何気に新説を開陳してるね(^o^*

「おし○」なんて、たいがいそのような女性が自己投影してご覧になっていたんじゃないかと思うんですよ。それから、蛇が現れると悪役の地主が悲鳴をあげて、刀を振り回して大暴れしますよね。このところ「四谷怪談」映画でも伊右衛門役の俳優さんでさんざん見せつけられたおかげで食傷気味なのかもしれませんけれど、蛇を前にして暴れるというのも・・・蛇ににらまれたら蛙でなくても、金縛りにあったように身動きできなくなるのが、「今昔物語」の昔からの伝統だと思うんですよね(^^;半分冗談で半分本気♪

言われてみれば、そのあたりのクライマックスは「四谷怪談」とまったく同じ造りだね。たしかに新味のない紋切り型だ・・・っていうか、怪談ってそうしたものじゃないか?(笑)

映画に限らず、たとえば小説でもそうなんですけれど、Hoffmannさんにしたって、陳腐で紋切り型の予定調和はごめんこうむりたいですよね?

そりゃあ、まあ・・・

といって、出会いたい対象はまったく未知のものでもなく、謂わば紅茶に浸したプチット・マドレーヌの瞬間を求めているのではありませんか?(*^-^)
(^o^A;うは〜




2011.06.04 sat

 

またまた四谷怪談映画、これは「怪談 お岩の亡霊」(1961年)です。加藤泰監督、主演は若山富三郎、藤代佳子。このDVDは最近価格を下げて再発売されたもの。

若山富三郎は、monologue 2011.05.22 sunに取りあげたうちの1本、毛利正樹監督の「四谷怪談」(1956年)に続く2度めの伊右衛門ですね。脚本が違うためでもありましょうけれど、ずいぶんimageが異なります。ここでは冒頭、直助に「御家人の端くれ」なんて言われていますが、ホントに「端くれ」。食い詰めたあげく、身も心もすさんだ素浪人ぶり。なんだか5年前よりオッサン臭くなったのか、これも芸の幅広さなのか(笑)ただこの人物造形がいささか陳腐で、お岩さんを含めたその他の役柄もいかにもなステレオタイプ。セットなど、制作費は結構かかっているようなんですが、どうもあまり印象に残らない凡作ですね。

ここでの
伊右衛門は自発的な悪役に徹するでもなく、まるでふてくされた小悪人ですよね。それならそれで、もっとお岩さんの悲劇に焦点をあててくれれば納得なんですけどね。これはHoffmannさんのおっしゃるように、印象の薄い「四谷怪談」です




2011.06.03 fri

monologue 2011.05.27 friに映画「二つの世界の男」The Man Between(1953年・英)のDVDを、そのなかのLjuba Welitschリューバ・ヴェリチュ(ヴェーリッチュ)演じるR.シュトラウスの歌劇「サロメ」の映像から、1952年メトロポリタン歌劇場におけるlive録音のCDを取りあげましたね。



その後、R.シュトラウスの「サロメ」のdiscをいくつか・・・



さらにフローラン・シュミットの「サロメの悲劇」を聴いて・・・

 

その間、膝のうえにはこんな本を広げておりました。サロメといって、ファム・ファタルの側面だけで語るのは19世紀末以降の狭い了見。それはともかく、ジュリア・クリステヴァの「斬首の光景」に至って、サロメはメドゥーサへと結びつく・・・。



おっと、この映画も忘れてちゃいかんね。

これはリリアーナ・カヴァーニの「愛の嵐」ですね




2011.06.02 thurs

最近読んだ本―。

「普遍論争 近代の源流としての」 山内志朗 平凡社ライブラリー
「異形のロマネスク 石に刻まれた中世の奇想」 ユルギス・バルトルシャイティス 馬杉宗夫訳 講談社
「天使はなぜ堕落するのか 中世哲学の興亡」 八木雄二 春秋社
「聖別された肉体 オカルト人種論とナチズム」 横山茂雄 水声社






2011.06.01 wed


ばっちいなあ、もう( ̄△ ̄;

いや、ばっちいだなんて、そんなこと言ってちゃいかんのです。

吸血鬼の吸血という行為はなにを意味するのか・・・って、この問いならたいがいのひとはなん通りもの答えが出せますよね。それでは・・・

ゾンビの眼はなぜ白いのか?
ゾンビはなぜ人肉を食らうのか?

このへんはまだいいとして・・・

モンスターや、悪霊に取り憑かれた人間の容貌(の変化)はなにを意味するのか?

このあたりの問いとなると、ちょっと差し障りがあって、なかなか文章にはしづらいんですよね。いつか論じてみたいとは思っているんですが。

「ゾンビはなぜ人肉を食らうのか?」という問いについては、以前お話になったことのなかに、そのヒントがありましたよね