monologue 2011.07

2011.01 2011.02 2011.03 2011.04 2011.05 2011.06
2010.01 2010.02 2010.03 2010.04 2010.05 2010.06 2010.07 2010.08 2010.09 2010.10 2010.11 2010.12
2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10 2009.11 2009.12
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2011.07.31 sun

あー、そこのひと、帰らないで・・・(^o^A;

サンビスしますからっヾ(^∇^*





これは往年の角川文庫版山田風太郎作品の表紙を飾っていた、佐伯俊男の絵ですね

北斎と並べても、あまり違和感がないなあ

とくに下の絵の遠目に傍観している人物などは・・・私は歌川国芳による「木曾街道六十九次」の「鵜沼」を思い出しちゃいました

ハリー・クラークの「ヴァルドマアル氏の病症の真相」とか・・・(笑)じつに効果的だよね。それと、極度に様式化されていて・・・

ちょっと花札の図柄のようですね

リアリズムじゃないんですかっヾ(・∇・;




2011.07.30 sat

たまにはこんな本を広げて、眼を楽しませるのもいいもんです(^^*











北斎の妖怪画ですね(^^;この左のページの幽霊はどこかで見たような・・・



あの子の母親が血を売って、その血を輸血されたひとの絵だよね(^^;

ヒントはこちらですね(^o^*




2011.07.29 fri



これは自宅の本棚にあった本。ゴーチエユイスマンスの「彼方」の翻訳で有名な田辺貞之助って、こんな本も出しているんですよ。フランス及び我が国の古典(?)艶笑系小話集・・・いや、ゴーチエの翻訳者としては、納得かな(笑)

艶笑ものといえばフランスやイタリア(イギリスにもいたな)の映画監督が、まるで余技のように手を染めている例がありますね。「カリギュラ」「サロン・キティ」のティント・ブラスなどは、どうも軽妙なエロティック映画の方が本領みたいなんですが、一方ホラー映画の監督が艶笑ものやポルノを制作しているのは、やはり生活のため、あるいは本来作りたい映画の資金を稼ぐためといった場合も多いようです。またそんなメリハリのある仕事ぶりではなく、ゾンビ映画として撮影を始めたのに、配給元の都合で、途中からポルノに変更されちゃった映画もありましたな。映画において、ホラーというよりも残酷や恐怖と、ポルノグラフィーの要素がほとんど不可分の関係にあるのは、こんなところにも死とエロティシズムの関係があらわれているということなんですよ。

エロティシズムといえば、映画では古典の時代から、吸血鬼などはそのもっとも代表的な例ですよね。ポルノグラフィーの要素というのは、女性のヌードシーンがあるという・・・?

ヌードそれ自体が特別なことだとは思わないな。そこの死と暴力が交わってくるとエロティシズムになりうるということだよ。ただ、いささか低俗なポルノにすぎないような映画が多いんだけど。でもさ、映画の世界ではB級、Z級とよばれるものにもそれなりの存在意義があるからね。つまるところ、ホラー映画の監督がポルノを撮っても、さほど意外ではないんだな

それでは、Hoffmannさんがホラー映画を好まれるのも、意外ではありませんね(^o^*このところご覧になっているイタリア映画といえば、レナート・ポルセリ、アントニオ・マルゲリーティ、セルジオ・マルティーノ、ジョー・ダマトとか、フランス映画ならジャン・ローランとか・・・


ジャン・ローランは先日惜しくも亡くなったそうだね


「惜しくも」とおっしゃっているのはHoffmannさんくらいかも・・・(^^;

# エロティシズムとポルノグラフィの違い(Hoffmannによることばの使い分け)はこのあたりを参照してちょんまげ♪



最近、大英帝国及び新大陸から飛来した銀色の円盤の一部。VHS時代からその筋で名高いSalvation FilmsのREDEMPTIONレーベルのDVDと、Shameless FilmsのDVDをまとめてみましたよ。べつにこのふたつのメーカーのDVDを集めているわけではなくて、あまり聞いたこともない、webでも評判のよろしくないホラー映画を選んで注文したら、こうなっちゃったのよ(^^;

REDEMPTIONのDVDはいわゆる聖ペトロ十字のマークが目印ですね




2011.07.28 thurs

先日来、自宅でCD、SACDを聴く際に使用しているプレーヤーが、ごくお安いπの薄型軽量DVDプレーヤーだとはmonologue 2011.07.18に書きましたね。そのとき、アナログ音声ケーブルを、たまたま余っていたゾノトーンは6.5N・AC-2000Meisterにしてみたところ、なかなか按配がよろしかったことも同様に記載済み



でね、ものはついでとばかりに電源ケーブルも付属のものから変更してみたんですよ。これは3pinではなく、いわゆるメガネタイプなので、余っているケーブルは使えず、はじめてメガネタイプのケーブルを購入しました。RCAケーブルが園豚で好結果だったので、ここは素直に電源ケーブル(メガネ)も園豚に―6N2P-3.5 Blue MEGANEという型番。いやあ、じつを言えばこれがタマタマかなーりお安くなっていたもんでね(^o^A;


  ∩
( ゚∀゚)彡 メガネ!メガネ!
 ⊂彡


はじめて導入したメガネ型電源ケーブル・・・う〜ん、変わるもんですな。挿し替えた直後は、新品電源ケーブルの常で、いかにも元気のよい、細かな音まで勢いよく飛び出してくる、悪く言えばまとまりのないバラバラな音。webを徘徊していると、交換直後の音が好きで、この音がずっと続いてくれればいいのに・・・というひとも少なくないようなんですが、Hoffmannはエージングが進んで落ち着いてきた後の方が圧倒的にいいと思っています。我が家でも2日後には、これ見よがしではない、「フツーにいい音」に変化してきましたよ。高低のレンジは広まって、全体的に有機的なつながりがよくなってくるんですね。高域側はやかましさを抑えて、我が国の国営放送局のオーケストラから旧東独の名門オーケストラの音色に変貌したかのような違いがあります。空間表現も向上して、どちらかというとstaticな美しさに傾いていながら、生き生きとした躍動感も加わった印象です。ちなみに3pinと違ってメガネ型だと、プラグにもケーブルにも極性表示がありませんよね。自宅にはテスターを置いてないので、極性は聴感で合わせました。日頃から音場感重視で聴いているひとなら聴けば判断できるはず。

3日めにもとの付属電源ケーブルに戻してみたところ(こうすると違いがよくわかる)、なんとも薄っぺらな、実在感のない音になってしまいます。間接音成分も激減して、なんだか演奏者が真空の空間に浮かんでいるみたい。園豚だとステージに足を着けて音場が展開してくるから、この相違は小さくない。考えてみればこの電源ケーブル、お安くなっていたとはいえ、当のユニヴァーサルプレーヤーよりお高いんですから、ばかばかしいと言えばばかばかしい限りなんですけどね。まあ、これはπのプレーヤーの潜在能力がそれだけのものであるということなんでしょうな。有名な話ですが、このプレーヤーの中身を(ちょっと変更して)別な筐体に入れただけでナンジュウマンエンというスイスのメーカーが存在することが、そのことを実証しているのかもしれませんぞ(笑)




これはギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団によるブルックナーの交響曲第8番と第9番。Hoffmannはヴァントのブルックナーなら最初のケルン放送交響楽団との全集録音(右写真。これはアナログLPのセット)がいちばん好きなんですけどね。ちなみに某shopのオーナーも「私もそう思います」とのことで、ここにふたりいるんだから、きっと50〜60人は同じ意見のひとがいるに違いないと( ̄ー ̄*
ヾ(^o^;ゴキブリじゃないんですから〜左の2点は北ドイツ放送交響楽団とのブルックナー録音としては初期のもの、8番が1988年、9番が1987年の録音で、会場はリューベック大聖堂。たしかに残響は深く豊かですが、決して混濁して細部がマスクされているという録音ではなし。かつてブルックナーといえば大聖堂や教会での録音がふさわしいと言われていたのに、ヴァントが来日時のインタビューで、ブルックナーは残響の多い教会で録音するのはよくないとか好きじゃないとか発言して以来、まるでこの発言をなぞるみたいに同じことを言うひとが目に付くようになりましたな(笑)Hoffmannはケルン放送交響楽団との録音に次いで、このふたつのdiscは好きですよ。というか、ヴァントのブルックナーがいいのはこの録音まで。この指揮者のブルックナー録音はほとんど聴いているんですが、なんかね、後に行くほど、フツーのロマン主義音楽に迎合(予定調和)しちゃって、ケルン時代の表現主義的とも言いたいような刺激がやわらいでしまっているような気がするんですよ。悪い意味で伝統的(と、多くのひとが感じるよう)なブルックナーの枠に収まってゆく。このリューベック録音はそのぎりぎり一歩手前。

それはともかく、自宅のπのユニヴァーサルプレーヤーも、このdiscがそれらしく再生できるんですから、やっぱり電源ケーブルは交換して正解。

なお、このCDは今回出稼ぎ先に持ってきたんですが、これを聴くに際しては、最近導入したユニヴァーサルプレーヤーよりも旧来のCDプレーヤーで、さらに出力ケーブルにはBeldenの古いものを使って、ちょいとクラシカルに渋みを効かせた響きをアンプに放り込みたい。いやね、最近のRCAケーブルって、レンジも広くて分解能も高いながら、概して音色が明るめでしてね、ために陰影感という点ではいま一歩と感じるんですよ。影の部分を描いて沈み込むような音色を聴かせるBeldenの古いケーブルは、いまや我が家でも貴重な存在なんスよ(笑)




2011.07.27 wed



左はCDですが、これは自宅に置いてあったもの。ブラームスのピアノ協奏曲第1番。ブレンデルのピアノ、アバド指揮ベルリン・フィルとアシュケナージのピアノ、ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団によるdisc。アバドはベルリン・フィル監督時代のレコーディングではこれがベストじゃないかな。アシュケナージ盤でもハイティンクは気迫の漲った、このひととしては常ならぬドラマティックな指揮。ピアノはブレンデルの後にアシュケナージを聴くと、ずいぶん雄弁(というか、饒舌?)なピアノと聴こえます。

右はこれまでにも何度かお写真upしたLP、同じくブラームスのピアノ協奏曲第1番で、いずれもワイセンベルクのピアノ、ジュリーニ指揮ロンドン交響楽団との録音と、ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団との再録音盤。ワイセンベルクなんてあまり好きなピアニストじゃないんですが、この2枚は別格。おお、ここに取りあげたdiscは、どれも熱気あふれる指揮者のバックがひじょうに印象的なものばかりですなあ。



自宅にもうひとつあったブラームスのピアノ協奏曲のdisc。これは1番と2番の2枚組。ブフビンダー、アーノンクール、ロイヤル・コンセルトヘボウ盤。上記4枚の後に聴くと、ちょっと理に落ちた印象。ブフビンダーはさすが知性派、思慮深いブラームスなのはかまわないんですが、これを支えるのがアーノンクールの指揮となると、相乗効果か、これは考えすぎのブラームス? 勢いにまかせることのない、丁寧な演奏なんですけどね、これが結果的に推進力に乏しい、ダイナミクスの変化だけで聴かせる、なんともリズムの重い音楽になってしまっているんですね。ただ、このdiscは時間をおいてまた聴いてみたうえで、あらためて判断してみたいところです(慎重なんじゃなくて、感想を述べるのに締め切りなんぞありゃしない、お気楽な道楽ものの特権を行使しているんですよ・笑)。



こちらは出稼ぎ先に戻ってきてから引っぱりだしたCD。ブラームスのピアノ協奏曲といえば、Hoffmannはムカシから第2番よりも第1番の方が好きだったんですが、最近ラローチャのピアノ、ヨッフム指揮ベルリン・ドイツ交響楽団による1981年live盤、それにベロフのピアノに同じくヨッフムの指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの1979年live盤を聴いて、第2番もいいなと思うようになりました。ラローチャこそピアニストというよりも本物の芸術家、ことさらにテクニックにものを言わせるでもなく、効果造りを排してなおこれだけ説得力のある演奏をするひとはそうそういるもんじゃありません。ヨッフムは時にスコアに手を入れることも辞さないという点でのみ、往年の巨匠らしさを感じさせるんですが、意外にも若い頃から結構モダンな感覚の持ち主ですね。ベロフのピアノはラローチャとくらべてはさすがに不利なんですが、このひと独特の硬質な響きは、バックのシュターツカペレ・ドレスデンの軟調の音色とはおもしろいコントラストを感じさせて、組み合わせの妙。じつはね、かなーり昔のことなんですが、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、このブラームスの第2番のピアノ協奏曲を聴いたことがあるんですよ。そのときのピアノがピーター・ゼルキンで、指揮がアレクサンダー・シュナイダー。オーケストラは、これが新日本フィルかっていうような重厚な音を出していましてね、これをバックにP.ゼルキンのクリスタルのようなタッチのピアノがコロコロ鳴っている・・・これがすばらしくってね、なんだかそのときの演奏会を思い出しちゃうんですよ。

右のお写真は、第2番もいいなと思って、手持ちのなかから選んで聴いてみたdisc。近頃はフルトヴェングラーもめったに聴かなくなっちゃったんですが、このエドウィン・フィッシャーとの大戦中(1942年)のlive録音は結構気に入りました。ゲザ・アンダのピアノとクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団によるdiscは1962年のlive録音。典型的な、アクセルとギアを駆使して表情を付けてゆく演奏です。その表情付けがやたら「濃厚」と感じさせないのは、この時代にしてアンダとクーベリックの節度かな。




2011.07.26 tues



いつも帰宅すると、なぜか予定しているわけでもないのに、一日は特定の作曲家のレコードを集中的に聴いちゃいます。前回はシベリウス、前々回はオッフェンバックでしたが、今回はなぜかシューマン。最初に聴いたのはヴァイオリン・ソナタ。カトリーヌ・クルトワのヴァイオリン。ここではピアノのカトリーヌ・コラールがすばらしい。なんだかリパッティを思い出させる、作品に奉仕する無垢なピアニズム。感動的。



こちらHoffmannの好きなウルフ・ヘルシャーのヴァイオリン。ピアノはベロフ。ベロフのピアノはなんとも独特な響き。ヘルシャーって、技術的にはさほど目を見張るような名手でもないんですけどね、とにかく知情意のバランスが絶妙。1970年代以降のドイツを代表するヴァイオリニストといえばムターなどより、このひと。ついでにヴァイオリン協奏曲も。なんかもう単調に展開もすることなく、ひたすらだらだら続く第2楽章のソロなど聴いていると、たしかに作品としては二流には違いないと思えるんですが、じつはこの曲、結構好きなんですよ(笑)



パレナン弦楽四重奏団による弦楽四重奏曲第3番と、ピアノにバルビゼが加わったピアノ四重奏曲。う、美しい・・・。



ピアノ協奏曲はアニー・フィッシャーのピアノ、クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団。一見ブッキラボーな伴奏の、しかしその底に流れる濃厚なロマンティシズム。おっと、ここまで(主要)演奏者が仏・独・仏・独と並びましたな。



おしまいは日本人、高橋悠治による「森の情景」と「クライスレリアーナ」・・・って、Hoffmannとまんざら縁がないでもない作品ですね(笑)高橋悠治はバッハでもそうなんですが、作曲家らしい曖昧さを排した構築性重視の演奏かと思いきや、ノリがいいというか、不思議なスイング感のある演奏。現代の指揮者やソリストの低カロリー演奏とは一線を画す。このひと、ピアノを奏くことを愉しんでいますね。その意味で、作品が「生きて」います。



そして交響曲第3番「ライン」。ジュリーニ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団によるDGG盤は、この指揮者とオーケストラのコンビによるレコーディングの頂点のひとつ。若き日のフィルハーモニア管弦楽団とのレコードは英プレスstereo盤と独プレスmono盤と持っているんですが、これは音質に関しては甲乙付け難し。使用されているスコアは独盤に“re-orhcestrated by Mahler”とあるとおり、マーラー版。じつはロス・フィル盤もマーラー版と言われているんですが、こちらは多少変更があるみたい。スコアにあたったわけではないので断定的なことは言えないんですけどね。



これは出稼ぎ先に戻ってきて聴いたシューマンのCD。チェロ協奏曲のヴァイオリン協奏曲版。右はクレーメル、小澤征爾指揮ボストン交響楽団によるショスタコーヴィチ編曲版。左のフィリップ・グラファンのヴァイオリン、ポッペン指揮ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(長い名前だな)によるdiscはシューマン編曲とあり。こちらもやや線が細いながらなかなか聴かせる演奏なんですが、さすがにクレーメル、小澤盤と比較しては分が悪い。ショスタコーヴィチによるアレンジは刺激的。うっかり聞き流していても、思わずこちらの注意を引いて傾聴させる瞬間少なからず。そのせいか、小澤征爾のサポートも伴奏の域を超えた充実ぶりと聴こえます。




2011.07.25 mon

またまた自宅に寄ってきましたよ。



読んでいた本はこんなの―ジェームズ・ハーバートの「聖槍」とマイクル・フォークナー・アンダースンの「総統の頭蓋骨」。かつて早川文庫から「モダンホラー・セレクション」というシリーズで出たものですね。いずれもナチス残党もの。このテの小説は、読んでいて怖いってものでもありませんから、歴史上実在した人物をどう描くか、あるいは登場人物にどう語らせるかで勝負することになりますね。「総統の頭蓋骨」は、ひょっとするとちょいと昔の某短篇小説にヒントを得たかな(じつはこのmonologueページで取りあげたことがあるんですが、わかります?)。ハーバートは以前お写真upした「ムーン」のほか、翻訳の出ているものはたいがい読んでおりまして、なかなか上手いんですけどね、そのentertainment小説としてそつのないところがまた欠点でもあり(笑)、エピソードを並べたり、二場面を同時進行させたりと、そうした際の手際は悪くはないんですが、その積み重ねが緊迫感とか高揚感に至らないんですね。そのためかどうか、早川書房の積極的な売り込みにもかかわらず、我が国ではあまり人気が出なかったようです。この「聖槍」ではパルジファルだのクリングゾルだのと、Hoffmannの嗜好をシゲキする要素には事欠かないんですが、ヒ○ラーの幽霊っちゅーのは(以下略)。



そのほか、レコードなんぞ聴きながら拾い読みしていたのは怪談ばなし。



これは立ち寄った書店で購入した新刊文庫本。この2冊についてはあらためて取りあげるかもしれません。




2011.07.22 fri



比較的最近入手した切り裂きジャック関連のDVD。映画あり、TV番組を収録した(らしき)ものあり・・・じつはまだぜんぶは観ていないんですけどね、いちばんおもしろそうなやつは最後にとってあるのよ(^^*

やはりイギリスでは、いまでも切り裂きジャック事件に対する関心が衰えてはいないのですね



なにしろオペラにまで登場するんだから、世界の名士といっていいよね




2011.07.21 thurs

交響曲第2番のほかに聴いたシベリウスのレコード―。



こちらのヴァイオリン協奏曲のLP2枚は以前取りあげたことがありましたね、左は潮田益子のヴァイオリン、小澤征爾指揮(旧)日本フィルハーモニー交響楽団による演奏。英EMI盤のジャケット(表面)には“MASUKA USHIODA”と表記されているのが残念。右は石川静のヴァイオリン、ビエロフラーヴェク指揮ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団によるSPRAPHON盤。いずれもブルッフのヴァイオリン協奏曲とのカップリング。前者はヴァイオリニストに気負いが感じられてほほえましい。オーケストラがなかなか上手くて、しかしヴァイオリン・ソロは並みいる同曲discのなかで比較すれば格別の魅力があるとは言い難い。ヴァイオリンに関しては、自然体の石川静に一日の長あり。



こちらはFINLANDIA盤、左は新井淑子のヴァイオリン、舘野泉のピアノによるシベリウスのソナチネ、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番ほか。右はYuval Yaronのヴァイオリン、Rena Stipelmanのピアノによる、ヴァイオリンとピアノのための作品集です。新井淑子、舘野泉ともヘルシンキを中心に活躍しているひとですが、ここではむしろブラームスの演奏がいいな。個人的にはこんな演奏で聴きたかったと言いたい、大きく構えるよりも内面に沈潜してゆくブラームス。Yuval Yaronは並々ならぬ表現意欲、ささやかな作品まで大スケールに演奏しようとするのはちょっとやりすぎ?(^^;



上記FINLANDIA盤、新井淑子と舘野泉によるソナチネとYuval Yaronの作品集がカップリングされたCDが出ています。ただしこちらではYuval Yaronのピアノ伴奏者はRena Sharonと表記されていますね。結婚でもして姓が変わったのかな。

右写真はおまけ。目下お気に入りのヴァイオリン協奏曲のdisc。レジ・パスキエのヴァイオリン、ピエール・バルトロメ指揮リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団による1995年録音。仏Valois盤CD。やや痩身気味の美音で、気品がありながらダイナミクスの抑揚が大きくリズム感は抜群、スイングするといいたい表情豊かなノリのよさがひじょうに魅力的。バッハの無伴奏といい、ベートーヴェンのソナタにバルトークやアルバン・ベルクの協奏曲といい、はたまたブラームスやフランスものの室内楽と、このひとはなにを奏いてもすばらしい。




2011.07.20 wed



シベリウスの交響曲第2番、アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団による英DECCA盤と、モントゥー指揮ロンドン交響楽団による、これまた英DECCA盤。ジャケットデザインの、その写真と絵という違いはともかくも、同じ音楽に対するimageのとらえ方の相違がなかなかおもしろい。モントゥーは内声部における処理が見事、はっとさせる瞬間たびたび、スリリングではないが老練な安定感。アンセルメ盤の演奏は知情意の絶妙なバランス、意外やほのぼの系ではすまされない刺激的なシベリウス。



こちらは「ペレアスとメリザンド」ほか管弦楽作品集。左はバルビローリ指揮ハレ管弦楽団、右はビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による、いずれも英EMI盤。“HMV CONCERT CLASSICS”という廉価版のシリーズ、HMV録音かな。バルビローリの個性的な旋律の歌わせ方、ビーチャムの一見無作為にみえて我が道を行くスタイルはいかにも時代を感じさせはするんですが・・・。

それでね、なにが言いたいのかというと、DECCA録音ってのはマイクが近め、EMI(HMV)録音はややオフ気味。もともとHoffmannの好みは後者ですから、音場が奥に展開するようなスピーカーを、そうなるようにセッティングしているわけです。これでDECCA録音を聴いてダメなわけではない。でもね、以前に取りあげたことのあるMCカートリッジの昇圧トランスですけどね、DECCA盤を聴くときはやや音が前に出てくるトランスを使った方が愉しめるんですよ。これは先ほど述べた好みとは無関係に、そのほうがレコードの持ち味が引き出せる。装置と装置の相性もあるけれど、レコードとの相性というものも、あるんですよ。



交響曲第2番なら、バルビローリ盤とビーチャム盤も忘れちゃいけない。バルビローリはハレ管弦楽団との全集録音よりもロイヤル・フィルとの演奏が魅力的。録音も上質。ビーチャムはBBC交響楽団とのmono録音が、これまた大好きです。シベリウス演奏としてもはやスタイルが古いと断じている評論家(作曲家)がいましたが、たしかに譜読みに関しては大雑把なところもあるかな。その意味では少なくともこの作品ではバルビローリの方が規範。ビーチャムというひとは細かいこたぁ気にしない、というマイペースぶりながら、いかにもな効果造りを狙わない、その残された多彩なエピソードから浮かびあがってくる人物像とは裏腹な純情さが魅力。なんかね、作為を感じさせない一本気なところがいいのよ(笑)



左は自宅に置いてあったシベリウス交響曲全集、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団とアシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団のCDセット。知性の勝ったラトルと、純情というよりりやや単純な(^^;情感派アシュケナージ。このふたつの演奏を聴けば、やはりバルビローリ盤の完成度が高いと思えてきます。ラトルなどは深い譜読みという点ではかなりのものながら、模範的演奏と呼ぶには若干の抵抗あり。なお、アシュケナージ盤は、右写真のアナログLP盤で聴くと、とりわけ弦楽セクションの表情の彫りの深さがいっそう際立って、CDで聴くよりもはるかに感動的です。これだけ心に訴えてくるものがあると、ラトルのような知性派・理論派よりも、有無を言わさぬ説得力を持ってしまうところがあるんですよ(オーケストラの上手さに支えられていることも否定はできないが)。




7月19日、俳優の原田芳雄氏死去とのこと。ご冥福をお祈りします。



左は「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)から、藤田敏八と。右は「陽炎座」(1981年)、こちら共演は松田優作。このふたつの鈴木清順映画を観ていると、やたら鰻だの蕎麦だの、さらにはすき焼きに駅弁からおでんに鴨なんぞ、一杯やりながら食べたくなりますね。




2011.07.19 tues

ついでだから自宅の電源事情も整理しておきましょうかね。



お写真は以前upしたものを流用。ブレーカーからaudio用に専用線を引っ張ってあります。ここはオヤイデと古河電工の共同生産によるEE/F-S2.6を2本。先端はオヤイデのSWO-DX ULTIMO。ここから電源タップ、オヤイデのOCB-1SXを2台使用。じつは電源タップはもともとPS AUDIOのDUETとJuice Bar IIを使っていたんですが、これは出稼ぎ先に持ってきてしまったので、お値段手頃で性能の良さそうなものをということで選んだんですよ。1台導入してみたところなかなか按配が良かったので、さらにもう一台入手。ただしどちらかというとPS AUDIO製の2機種の方が好き(^^;

ここから先は箇条書きに―。

CDプレーヤー TRANSPARENT HPPL
phono-EQアンプ TRANSPARENT HPPL
プリアンプ FURUTECH Absolute Power II-18
パワーアンプ PS AUDIO XPL

アナログプレーヤーは電源アダプタなので交換できません。一応適材適所に、とは思っているんですが、管球式のphono-EQアンプはどうしたものかどのケーブルを使ってもそれなりで、プリアンプもこの組み合わせでなければ絶対にダメってわけでもありません。ときどき出稼ぎ先のものと入れ替えたりしています。CDプレーヤーは昨年まではACROLINKだったんですよ。今回CDプレーヤーが外されて、πのユニヴァーサルプレーヤーはいわゆるメガネ端子のケーブルなのでHPPLは流用できず、これが余っちゃった・・・ので、出稼ぎ先に持ってきました。その結果、出稼ぎ先では現在以下のようになっています―。

電源タップ(DUET) PS AUDIO XPL
電源タップ(Juice Bar II) ACROLINK 7N-P4020III PC
CDプレーヤー TRANSPARENT HPPL
ユニヴァーサルプレーヤー TIGLON MS-12A
プリメインアンプ ACROLINK 7N-P4020III PC

XPL、7N-P4020III PC、HPPLが2本ずつありますね。これはつまり気に入ったということ、もしくはお値段がお手頃だということ。Hoffmannはつい同じものを買っちゃうんですよ(笑)

XPLはとにかく「強力な音」で筋肉質。音に似て物理的にも太くて硬いから引き回しには少々苦労します。Absolute Power II-18はXPLをもうすこし柔軟にした印象です(音の話な)。HPPLはこのメーカーのエントリークラスの製品ですが、一聴して低重心。こうしてみると自宅の電源ケーブルがどれも「どっしり」系なのは、スピーカーを鳴らしきろうという意欲のあらわれかな(笑)

一方出稼ぎ先では、7N-P4020III PCがあらゆる要素においてstandardといいたい良さがあって、どこにでも安心して使えるタイプ。MS-12AはアンプよりもCDプレーヤー向きかな。微妙に軽快感があって、声楽などちょっと歌手が若返る印象も。ほかのケーブルが濃厚な空気感を醸し出すのに対して、これは透明感が魅力。

こうして一覧にしてみると、自宅のプリアンプのケーブルをstatic系に振ってみたらどうかなとも思ふ(笑)だとすると次回MS-12Aを持っていくか・・・でもそのあたりは、RCAラインケーブルで調整するべきかなあ。

以上、Hoffmannはaudioマニアじゃないので、電源ケーブル選びの参考なんかにゃならんだろうが、これは自分用の覚え書きでもあるので勘弁な。

えーと、自宅のブレーカーからの配線をEE/F-S2.6に、その先端のコンセントにオヤイデのSWO-DX ULTIMOを選択された経緯を教えてください

配線は工事業者氏が下見の際に何種類か持ってきて、テストしてくれたんだよ。お値段はちょっと張るけれどEE/F-S2.6がもう別格だったから思い切って・・・。SWO-DX ULTIMOはその業者氏の見積書に記載してあったので、素直に従ったんだよ。電源コンセントとしてはさほど高級品じゃないよね。オヤイデでももっと上のクラスもあるのに、「なんでこれ?」と一応訊いてみたら、「これで充分」って、むやみに高級品を薦めてこないのが好感度高かったね(笑)



私は、Hoffmannさんのお好みは現代的な透明度の高いすっきりした音よりも、むしろ濃密なatmosphereを感じさせる音なのではないかと思います。アナログのカートリッジにしてもSPU一辺倒ですし、カメラのレンズにしたって、古〜いLeicaレンズがお好きですよね(^^*

ああ、言われてみれば・・・( ̄o ̄;でも、ピュアな音ならいいってもんじゃない。ピアノにしたって、ヤ○ハよりベーゼンドルファーとかエラールの方が魅力的だし・・・(笑)

Hoffmannさん、きょうの晩ご飯は豚汁ですよっ。アクも取りすぎるとうま味がなくなっちゃいますねっヾ( ̄∇ ̄*




2011.07.18 mon

ちょいと自宅へ帰ってました。今回はレコードやCD、DVD、あるいは古書の「買い出し」は一切なし、ただひたすら本を読みながらレコードやCDを聴いていましたよ(前回置き忘れてきたデジ亀も、今回忘れず持ってきた・笑)。



なんかね、ここんとこ自宅のCDプレーヤーの調子が悪くて困っていたんですよ。自宅にはアナログレコードがぜんぶ置いてあるから、アナログを聴いてりゃいいようなもんですが、CDも多少残してきてあるし、やっぱり買ってきたCDが聴けないのは不便です。そこで今回は出稼ぎ先からユニヴァーサルプレーヤーを持っていきました。



ユニヴァーサルプレーヤーといっても、BD、DVD、SACDも再生できる、最近入手したアレじゃありません。ごくお安いπのDVDプレーヤー。Blu-rayはかかりませんが、一応SACDには対応しているモデルです。もちろんDVDはRegion free。薄型軽量ですから、手荷物にして電車に乗ってもまるで苦にならず(笑)

自宅へ着いて、常用のCDプレーヤーと入れ替え・・・う〜ん、お値段で言えば30分の1となるグレートなまでのグレードダウンですな(^^;さすがに音は軽量級。陰影感いまひとつ。それでもそんなにひどいものではありません。まず足元、つまりインシュレーターを手持ちのもののなかから選んで3点支持に。なにしろ狂態・・・じゃなくて筐体が軽いので、操作ボタンを押すと動いてしまうから、滑り止めにもなるように工夫する。RCAピンケーブルはまず親出でアンプにつないでみたら、ピュアだけどチト線が細い。9EDにしてみたら、わずかに艶がのってきれいな音。次に、ひょっとするとこれが本命かと、使っていなかった園豚のケーブルに交換。これで音が太くなって、躍動感を感じさせつつ、足が地に着いたような落ち着きが加わりました。じつはこの園豚のケーブル、ほとんど雑誌記事などで取りあげられることもないモデル。いちばんお安いのはCPが高いと評論屋の評価も良く、これより上の中級機種はお値段も手頃で売れ筋なんだそうですが、Hoffmannの手許にあるのは、以前shopの店員氏が「このクラスは中途半端で売れない」と言っていたので、それならと購入したもの(笑)いや、なかなかいいですよ、つまりは使いどころだよね。天板はたたくと盛大に鳴くので、これも余っていたアナログLP用のスタビライザー(なぜか同じものを3つ持っているんだ・笑)をドライブの真上あたりにのっけて、入力端子は一部にショートピンを挿して、さらにいくつかの端子にはaudio狗江洲吐製のノイズストッパーと呼ばれるキャップをはめる・・・音が痩せない程度にすっきりしてきて、SACDもそれなりに聴こえます。まあ、こんなもんかな。

いつも機器類のメーカー名やモデルの型番を明記されないのは?

なんとなくだけど・・・検索で引っかかりたくないので・・・(^o^A;ま、いいや、けふは特別にドロを吐いてしまおうか(笑)オヤイデのケーブルはACROSS 750RR、ニュートラルなバランス、ちょっとクールな感触にしたいときに重宝する。QEDはたしかAudio1とかいういちばん安いモデル。高域がわずかに華やいで、チェンバロなど聴くのに最適。余っていたゾノトーンは6.5N・AC-2000Meister。QEDのケーブルが真っ赤っかなら、こちらはきれいなブルー。店員氏によれば3000Meisterってのがお手頃価格でよく売れているんだそうなんだけど、そんなの買ってもつまんないもんね(そうか?笑)ちなみにゾノトーンのいちばんお安いRCAケーブルというのはSilver Meister AC1001で、こいつは現在出稼ぎ先でBlu-rayプレーヤーの音声出力に使用中だ

あっさりバラしちゃいましたね〜(^o^*

いや、今回はたまたま型番をおぼえていただけだよ(^^;




2011.07.15 fri



これも「青春の読書」・・・って、いまでも好きですけどね。真からいい意味でのマイナー作家、ヴァレリー・ラルボーの諸作。



これは最近入手した短篇集、岩波文庫版「幼なごころ」、岩崎力訳。これこそ青春時代と呼ばれる若き日に読みたかった本。あまり老人の説教じみた押しつけは避けてきたところなんですが、もしもいまこのページを見ているあなたが10代かせいぜいハタチくらいの年齢ならば、ぜひとも手にとって欲しい小説です。この小説を読むことから受けるであろう感興は、そのあたりの年齢をすぎてから読むのでは、また違ってきてしまいます。若き日の経験というものは、後になってからでは、どうしたって取り戻すことも付け足すこともできません。いまの感受性が失われないうちに―。




2011.07.14 thurs



なんとなく、「青春の読書」。若い頃に読んで夢中になった本です。どれも現代思潮社の本なのはタマタマ。「ナジャ」を注文した本屋に入荷後引き取りに行ったところ、納品書に「ナジョ」と書いてあったのも、なつかしい「思ひ出」(笑)



こちらも同様。近頃はめったに読むこともなくなった詩集。でももう××年も我が家の本棚に並んでいる。フランシス・ポンジュの詩集は「物の見方」ではなくて「物の味方」なので、お間違いなきよう。

いま読めば紅茶にひたしたプチット・マドレーヌの如く・・・( ̄o ̄*

おいしそうですねっヾ(^∇^*




2011.07.13 wed



別に「電線病」に罹患しているわけでもないのに、長い間に必要応じて安いケーブルを買ったりしていると、いつの間にやら余った予備のケーブルも何本か控えている有様となってしまいます。Hoffmannはaudioにイノチをかけたり、あるいは精神修養の場だと思って取り組んでいるマニアではないので、スピーカーだろうがアンプだろうが、はたまたケーブルだろうが、「これでなきゃダメ」ってな律儀な求道精神は持ち合わせておらず、「これもよし、あれもまたよし」といった貧乏人のお気楽きわまる道楽気分でやっております。そう、ケーブルの交換っちゅうのは、言ってみればトーンコントロールで遊んでいるみたいな感覚なんですよ。

それは以前にもおっしゃってましたよ〜(^o^;


Hoffmannは何度も同じことを言います( ̄- ̄)ohon


ボケ老人ですねっヾ(^∇^*

CDプレーヤーとアンプを接続する、いわゆるインターコネクトケーブルで、このところ古いBelden製RCAピンケーブルが活躍中。これなんか、分解能という点では現在手許にあるケーブルのなかでもまさにもっとも下位にあるケーブル。帯域も、明らかに(とくに高域側が)下降気味で狭くなる印象です。でもね、これがまたいいんだな(笑)そうした音調故、中間帯域はかえって充実して聴こえ、実在感は増してくる。空間再現はやや中央にまとまる傾向で、分解能というより刺激感のないハーモニー重視の音の漂いが感じとれる。これで古い録音向きと言ってしまえば古いケーブルの相性かなと予定調和になっちゃうんですが、ごく新しめの録音でMahlerの交響曲などを聴いても、格別どこか我慢したり諦めたりする要素があるわけでもなく、充分に愉しめるんですね。最近のケーブルって、たいがい響きが明るめに傾いてすっきり系なんですが、これはやや渋めの響きが、いまではなかなか得難い個性です。


上のお写真にはそのBeldenのケーブルが写っていないようですが・・・

そりゃ、いま使っているから撮ってないんだよ

えーと、ただいまの説明ではいまひとつ納得できないところがありまして・・・

都合の悪いことは聞こえません( ̄- ̄*

トボケ老人ですねっヾ(^∇^*




2011.07.12 tues

昨日、「奥行き深めの空間再現だけは譲れない」と言いましたよね、この点についてちょいと補足しておきます。

よく、ヘッドホンは頭のなかやや後方に音場が展開する、あるいは音像が結ばれると言われますよね。それが欠点だとか、だからダメだ・・・。でもこれはヘッドホンの構造的な宿命なので仕方がない。その欠点が嫌だからスピーカーで聴くんだ、というひとの装置が、それでは前方に音場が展開して音像が結ばれているのであれば、まことに欣快の至りではあるんですけどね。
ところがshopや知人の家で立派な装置を聴かせてもらっても、音がスピーカーにへばりついていることって結構多いんですよ。我が家だってテキトーなセッティングで馴らしちゃえば簡単にそうなります。数千万円クラスの装置で、左右のスピーカーからそれぞれ出てくるのがはっきりとわかる音を聴いていると、ああ、これならウチの装置の方がいいわい、とか思っちゃいます(ま、そのようなささやかな自負心はだれしも多少は身に覚えがあることでせう・笑)

ヘッドホンは脳内定位だから嫌だっていうひとは多いんですが、それならそのひとのスピーカーで同じdiscを聴いたとき、その定位感がちゃんと前方に再現されていますか? Hoffmannがスピーカーで聴くとき絶対に譲れないのはこの点なんですよ。それとくらべたら、重低音だの分解能だのなんて、じつはどうでもいいんです。







2011.07.11 mon

我が家のユニヴァーサルプレーヤーは快調。今回はじめて「それなり」のHDMIケーブルを導入したところ、たしかにBlu-ray、DVDともに画質は向上。音声はアナログ接続ですが、SACDもCDとははっきり異なる音調。なかなか気に入っております・・・



・・・って、買ったとたんに新モデル発表ですと(笑)アタシの人生、こんなんばっかしですわ(^o^A;ま、3Dにはそれこそ「キョーミがない」のでかまわないんですけどね。だってさ、モニタはTVじゃなくてPC用モニタで3Dには対応してないし、いちいち専用のメガネかけなきゃならんなんてやってられんよ


んだんだ♪(^o^*

だいいち、3Dでスプラッター映画なんぞ観ていて、ハラワタがドバーとか勢いよくとび出してきた日にゃあ、どうやってよけたらいいのよ?(笑)

観るまえに新聞紙をしいておきしょうっヾ(・∇・*



ちなみにいま、ユニヴァーサルプレーヤーはこれまで使っていたアンプとCDプレーヤーの手前に設置してあります。床に直置きはいくらなんでもアレなので、手持ちのMDFボードを2枚重ね、間にJ1プロジェクトのインシュレーター(以下、飲酒と表す)をはさみ、あり合わせのスパイク飲酒で床から浮かせてあります。プレーヤー自体も足元は・・・ゴニョゴニョ・・・ま、こんなのはあまり参考にしちゃいけませんよ(^o^;



・・・で、ケーブル類の挿し替えが容易な設置状況なので、柄にもなく、電源ケーブルやRCAピンケーブルを挿し替えて遊んでいるところ。まあなんですな、よく相性って言いますけど、好みというものがある以上、飲酒とかケーブルっちゅうもんはいろいろ試してみるのもおもしろいもんです。もっともHoffmannの場合、「これでなければダメ」という求道精神みたいなものはなくて、「これはこれでいい」式のお気楽にしていいかげんな(良い加減?)感覚なので、よって文字どおり、おもしろい(笑)電源ケーブルなんて、高価なものがいいとは限らないのも愉快なら、RCAケーブルも新しい製品が好ましいとは限らないのも良哉良哉

audioに関してHoffmannの好みは必ずしも高解像度、引き締まった低域、伸びきった高域といったものではなくて、多少レンジ感は狭めでも、刺激感のない、ちょっと軟調傾向が好き。ただし奥行き深めの空間再現だけは譲れない。この空間再現はスピーカーの選定及びスピーカーのセッティングで対応すべき問題。アンプやCDプレーヤーに求めるものはまた別な要素です(まったく無関係ではないが)。

ここでHoffmann流のやり方を述べるとすれば、とにかくチューニングの初期状態ではぜんぶの音を出しちゃうつもりで・・・。メリハリも、ワイドレンジも、いずれも強調まではしない程度に再生音においてその実現をめざす・・・しかる後に、どこか1ヶ所で刺激感を抑え、軟調に振る。その1ヶ所というのはたいがいスピーカーケーブルなんですが、飲酒やRCAケーブルで行うことも可。でも、discを聴くときにはそんなことはてんで意識していない、数日聴いていて、「なんか変だな」とか「どうも嫌だな」とか、はたまた「こないだまでのよりいいんじゃないか」などと感じるかどうか、フツーに音楽を聴いて(愉しんで)いればいいんですよ。そうして判断するのがいちばん確実なんです。その意味では、今日聴いて明日には原稿を書かなければならないヒョーロン屋なんか、自宅で使っているひとにくらべたら、てんでアテにはならないし、信用することもできないのは当たり前、自明のことなんですよ。

(追記)
おっと、最後の2行、「自宅で使っているひとにくらべたら・・・」以下はうっかり言っちゃったのよ(^_^A;これで今後audioネタを取りあげたら、おれの言うことはアテになるんだぞと主張しているようなもんだ。そんなつもりは毛頭ないので、念のため。自分(が使うキカイ)のことは自分で判断するよーに。




2011.07.10 sun

2011.03.09 wedに映画「姑獲鳥の夏」と「魍魎の匣」を取りあげましたよね。映画はあんまりおもしろくなかったんですが、それでも京極夏彦の原作も読んでみようかなと思っていて、とりあえず中公文庫の「嗤う伊右衛門」を読み、これは「存外よろしかった」とは2011.05.21 satに書いています



いやね、小松和彦の本を読んでいたら、京極夏彦の小説のことが書いてありましたのでね、それならてんで、入手して読んでみましたよ。「姑獲鳥の夏」、「魍魎の匣」と「狂骨の夢」。



結論から言いますとね・・・・・・つまらなかった(・Α・;「魍魎の匣」なんて読み通すのが苦痛。それでも「姑獲鳥の夏」、「魍魎の匣」はさきにあんな映画を観ちゃったからなーと思って、第三作の「狂骨の夢」まで読んだんですけどね、やっぱりダメでした。なにが気に入らないって、登場人物の振る舞いや性格設定の(ほかの登場人物による)描写。なんかもう、注学生がイキがって、ちょっと斜に構えた「変わり者」を演じているみたいな登場人物ばかり。いや、あえてそんな幼稚な精神の登場人物を描いているのならともかく、どうも読んでいると、作者がそこに自己を投影して自ら酔っているような「匂い」がする。キャラクター設定・描写とも、安手のTVドラマ並みのご都合主義と予定調和です。それこそchu学生くらいの時分に読んでいたら夢中になった鴨しれないね。「狂骨の夢」の「二人一役」とでもいうべきstoryも、おもしろいとは思うんですが、有無を言わさぬ説得力を得るには至らず。それにくらべれば「嗤う伊右衛門」はかなりいいのになあ、残念。



ところでこの「嗤う伊右衛門」を読んでいる間じゅう、どうしてもこのひとのimageがアタマに浮かんでしかたがなかった・・・(笑)

monologue 2011.05.25 wedにupした、中川信夫監督の「人形佐七捕物帖 妖艶六死美人」からキャプチャした画像ですね。これは浅香啓之助役の・・・(^o^*




2011.07.09 sat

せっかく入手したユニヴァーサルプレーヤーですから、積極的にSACD(ハイブリッド盤)を聴いています。



これまでHoffmannはSACDに対しては、キョーミがないなんてことはなくて、あまり食指が動かないといった消極的な姿勢でもなく、あまり普及していないみたいなんで残念に思っていたんですよ。音の良し悪しに関しては、個人的には決着済み。CDよりはアナログLPの方がいい。ただし使い勝手はあらゆる点でCDの方が便利。音がいいこと以外のすべての点で、アナログはCDに負けている・・・。



CDがいつまでたっても「この程度」なら、SACDでもなんでもいいからがんばってくれればそりゃ結構、というスタンス。規格が変わるというところに、いかにもギョーカイが金儲けのために仕掛けているみたいな違和感がありますけどね、でも考えてもみてごらんなさい、アナログだってmonoからstereoへの大変換があったじゃないですか。規格が短期間に更新されるのも、現代ではしかたがない。自作PCやってりゃ2〜3年かヘタすりゃ1年で変わっちゃいますよ。



ついでに言うとね、マルチチャンネルっちゅうもんはアナログの時代にも4chで幾度か仕掛けられてンのよ。当時はaudioヒョーロン屋も夢のなんとかだの新次元のかんとかだのって、どこかの大学教授みたいにせっせと提灯持ってましたけどね、結局普及しなくて、しばらくすりゃあヒョーロン屋もそんなことは忘れたふうに涼しい顔。マルチチャンネルっちゅうのは、売れるものがなくなると、メーカーが仕掛けてくる常套手段。AVアンプなんて、ありゃ悪い冗談。shopによっては買い取りの申し込みも断っているようなんですが、もっとも持ち込まれることが多いのもAVアンプなんだとか。もちろん、やりたいひとはおやりになればいい、ただしAVアンプは使い捨てのつもりでどンぞ。



いつの間にやら、手許にあるSACDのハイブリッド盤の数も結構な数になっていました。でも、編成の大きい後期ロマン派の作品が比較的多いのは、マダマダ。たくさん持っているフランス音楽のdiscには、なぜかSACDハイブリッド盤が見あたらないんですよ。ひとつドビュッシーあたりの室内楽で魅力的なSACD盤をリリースして欲しいですね。



以上並べたなかでは、「ジェイコブズ・ラダー」・・・じゃなくて、シェーンベルクの「ヤコブの梯子」が演奏・録音ともにすばらしい。ヴェルディの「レクイエム」2種は対照的な演奏ながら、いずれも上質。ハイティンク指揮シカゴ交響楽団のマーラーは1番がいいかな。ハイティンクはほとんど無作為と見えて(聴こえて)、ひじょうに充実した演奏となる稀有な指揮者だと思うんですが、さすがに2番は淡々としすぎて、チト物足りない。もっともこうした感覚はそのときどきの気分にも左右されるもので、いずれこれがいちばん作為がなくていい、なんて感じることもあるかもしれない。6番はフランスにおける凄絶ともいうべきlive録音が出ていて、さすがにシカゴ交響楽団もあの白熱ぶりには及ばず。ジンマンのマーラーはカーペンター版の10番が好きです。ジンマンには「大地の歌」も録音して欲しいなあ。

どうして最後のお写真だけ傾いているんですか〜(^o^;

オッフェンバックだから、フツーに撮っちゃつまらないかと思って・・・(^o^A;




2011.07.08 fri



いつか取りあげたい「退屈」な映画です。




2011.07.07 thurs



近頃、すぐ手の届くところに置いてある本。

どうも象徴とかシンボルに弱いんですね〜(^o^*

だってさ、ある意味辞書・事典類と同じ、リファレンス本になりうるんだよ(^o^A;




2011.07.06 wed

なんて言いますかね、ヨーロッパの歴史という時間軸の、そのちょうど中心にゴシックがあるんじゃないかと思うんですよ。キリスト教社会が中世を迎えてロマネスクに至り、これがゴシックを準備して、大聖堂というある意味キリスト教世界の爛熟期となる。そのあとは付け足し。数多ある美術作品も、ユイスマンスのカテドラル考察も、オリヴィエ・メシアンの音楽作品も、その水脈の延長線上にある。ロマネスクと同じように、ときどきrevivalするわけですよ。いまたまたま名前をあげたユイスマンスなんて、とりわけ骨がらみ取り憑かれちゃってるように見えるのは、19世紀末という時代のatmosphereを通しているから。やっぱり、とりわけ文明の爛熟期にふたたび、みたびと甦って、御目見得するんですね。そんな幽霊みたいな登場のしかたがゴシックにはふさわしい(笑)



本気で言ってるのか、冗談で言ってるのか、わかりませんね〜(^o^;




2011.07.05 tues



オッフェンバックといえば邪視、ここに写っている本はマリア・M・タタールの「魔の眼に魅されて」鈴木晶訳、国書刊行会。メスメリズムと呼ばれるフランツ・アントン・メスメルの動物磁気説が19世紀文学に与えた影響について論じた本・・・なんですが、あれれ、昨日あんなこと言ってたのに、ヒゲのユダヤ人の影が垣間見えてきたようですなあ(笑)

左のCDはMozartの「コシ・ファン・トゥッテ」ですね(^^*




罠腫盗に票を投じたの、少なからぬ日本国民ですから。票入れたやつがなにを文句言ってるの? 票入れたアンタらが莫迦なんですから。

火力発電や水力発電が環境破壊だってわめきちらしてたやつはどこの誰よ? いまになって、だから言わんこっちゃない・・・っていう言いぐさはちょっと違和感があるんだよな。

誰をとは言わないけどさ、被災地にノコノコやってきた奴を、みんながよってたかってそこらへんの電柱に吊してしまう・・・そうならないのが不思議といえば不思議。




2011.07.04 mon

先日自宅へ帰って聴いてきたレコード―なぜか今回はもっぱらオッフェンバック―は、せっかくお写真撮ったのにデジ亀を置き忘れてきてしまいましたとサ。そこで、間に合わせに購入したデジ亀で、帝都で入手して持って帰ってきたCDのお写真を撮ってみましたよ。



右上はヴュータンのヴァイオリン協奏曲全集。4番と5番は比較的録音の多い作品ですが、このdiscではこれまで聴いたどの演奏とも異なった、新鮮な演奏が聴けます。右下は夢にちなんだ歌曲集。Hoffmannだって、夢といって必ずしもフロイトだの無意識だのと連想してばかりいるわけじゃありません(笑)




2011.07.03 sun

えー、昨日がケン・ラッセルの映画「恋人たちの曲/悲愴」ですから、今日は当然チャイコフスキーの「悲愴」交響曲を・・・

また?(笑)最近、自宅のレコードをあれこれ取りあげなかったっけ?( ̄σ・ ̄)ホジホジ・・・

最近って、昨年の2010.05.09 sunですから、もう1年も前ですよ(^o^;

もう1年も前だったか〜どれどれ・・・「決して大好きな音楽とは申せないものの、いろいろな演奏を聴けば聴くほどに、こりゃ疑いもなくチャイコフスキーの最高傑作に違いないと思えてくる名曲」なんて言ってるね。この考えはいまも変わらない。それではこのときはアナログレコードばかりだったから、今回はCDを・・・優美にまかせた( ̄σ・)ホジホジホジホジ・・・

Hoffmannさん、「自尊心の塔」のお手入れですかっ?ヾ(^∇^*

えー、それではHoffmannさんがお取り込み中なので、私がやってみましょう(^o^A;



Hoffmannさんが以前おっしゃってらしたように、私も晩年のバーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して録音したDGG盤がすばらしいと思います。これはLPとCD両方ともお持ちなので、「別格」としてふれておきまして、その対極としてミヒャエル・ギーレン指揮バーデン・バーデンのSWR交響楽団による録音を取りあげたいと思います。これはいまでも巨匠から若手の指揮者に至るまで、多くの指揮者によって録音されることの多い「悲愴」交響曲のなかでも、とりわけ「新しさ」を感じさせるという点で希有なdiscだと思います。といって、即物的でつまらないわけではなく、感傷を排して作曲家が意図した仕掛けを損なうことなく、構築性も確固たる後期ロマン主義の音楽となっているんですね。

リッカルド・ムーティ盤はフィルハーモニア管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団との録音よりも、このフランス国立管弦楽団との2003年のlive録音が好きです。ムーティらしく、旋律を豊かに歌わせる手法はこの盤でも共通ながら、ここではいっそう表情が多彩で、要所要所のダイナミクスの変化やアクセントの付け方などに、一見チャイコフスキーのimageにはそぐわないような都会的に洗練されたスマートさを感じるんですが、これも感覚的に納得しちゃいます。緊張感の持続も見事なものですね。

若杉弘指揮ケルン放送交響楽団の1979年のlive録音は、このdiscを入手されてからHoffmannさんがときどきお聴きになってられたので・・・(笑)ギーレンのような新しさはなく、ムーティほどには洗練されておらず、ちょっとリズムも重い印象はあるんですが、このひとほど楽曲のあらゆる要素に対する目配りを欠かさない指揮者もめずらしいですね。その意味では、ギーレンやムーティはもちろん、いかな大指揮者といえども、どこかスポイルしてしまう要素があるものですが、このひとにはそれがありません。若杉弘は効果を狙う演奏とは徹底して無縁で、どこか手作り感のある音楽造りに、演奏それ自体で主張するのではなく、作品そのものにすべてを語らせているような印象があります・・・・・・といったところでしょうか(^o^;
フウ

う〜ん・・・・・・(-_-*

えっ、ダメですか、こんなのじゃ?ヾ(^o^;)ノシ




2011.07.02 sat



ついに出た、Ken Russell監督の“The Music Lovers”(1970年・英)のDVDです。英PAL盤、字幕なし。邦題は「恋人たちの曲/悲愴」、かつてレンタルVideo全盛時代にはshopの棚に並び、その後LDも出ていたらしいんですが、DVDは今回が初リリースのはず。作曲家チャイコフスキーにRichard Chamberlain、チャイコフスキーと結婚するニーナをGlenda Jacksonが凄絶に演じています。Hoffmannならこのグレンダ・ジャクソンに赤デミー賞くらいは振る舞っちゃいます。とにかく、鬼才ケン・ラッセル監督の最高傑作!!



いやあ、いろいろ考えたんですけどね、今回は説明はなし。興味のあるひとはとにかく観てくれ。ちなみにwebサイトのなかにはズイブンとんちんかんなstory紹介をしているところもあるので自分で観て判断してください。下にこの映画のなかからキャプチャした画像を並べておきます。なぜ上のようないかにもな映画映えするシーンを並べないで、これらの場面を選んだのか、ご覧になってから考えてみていただければ幸い哉。結構苦労して選んだんだよ。













待望していたこのDVDなんですけどね、ひとつだけ文句を言いたい。特典映像なんかなくても許せる。問題は本編、そのオリジナルmono音声をいじってstereoの左右チャンネルに振り分けるなど、これはやめてもらいたかった。試しにヘッドホンで音声を聴いてみたら、めまいがしてキモチ悪くなってきた。アンプで切替可能ならmonoにて観賞するべし。

観賞するでやんす(^o^*

かんしょうするのココロヾ(^∇^*




2011.07.01 fri



2011.06.02 thursに名前だけあげたんですが、「天使はなぜ堕落するのか 中世哲学の興亡」八木雄二(春秋社)を読んでこのかた、中世哲学がマイブーム(^^*



平凡社ライブラリーの3冊、山内志朗の「普遍論争 近代の源流としての」は、この本も2011.06.02 thursに書名があがっていましたね。これにクラウス・リーゼンフーバーの「西洋古代・中世哲学史」と「中世思想史」を加えて、現在、いつでもすぐに取り出して参照できる「リファレンス本専用棚」に並べてあります。



続いてこんな本も読んでいました。左の「中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ」リチャード・E・ルーベンスタイン(紀伊國屋書店)は先日購入してはじめて読んだもの。右の「ビンゲンのヒルデガルトの世界」種村季弘(青土社)は再読。う〜ん、「天使はなぜ堕落するのか」はこの2冊と隣り合って棚に収まってもらおうかな。澁澤龍彦なら澁澤龍彦用の棚にまとめられていていいんですが、種村季弘の著書は、著者でまとめて並べたりなどしないで、テーマごとにそれぞれふさわしい位置に分散していたほうが「使え」ますね。