monologue 2012.12

2012.01 2012.02 2012.03 2012.04 2012.05 2012.06 2012.07 2012.08 2012.09 2012.10 2012.11
2011.01 2011.02 2011.03 2011.04 2011.05 2011.06 2011.07 2011.08 2011.09 2011.10 2011.11 2011.12
2010.01 2010.02 2010.03 2010.04 2010.05 2010.06 2010.07 2010.08 2010.09 2010.10 2010.11 2010.12
2009.01 2009.02 2009.03 2009.04 2009.05 2009.06 2009.07 2009.08 2009.09 2009.10 2009.11 2009.12
2008.01
2008.02 2008.03 2008.04 2008.05 2008.06 2008.07 2008.08 2008.09 2008.10 2008.11 2008.12
2007.01 2007.02 2007.03 2007.04 2007.05 2007.06 2007.07 2007.08 2007.09 2007.10 2007.11 2007.12
2006.01〜2006.03 2006.04〜2006.06 2006.07〜2006.09 2006.10〜2006.12
2005.01〜2005.03 2005.04〜2005.06 2005.07〜2005.09 2005.10〜2005.12
2004.12




2012.12.31 mon

この歳ンなると、1年経つなんざ、あっという間のことですなあ・・・( ̄o ̄;

それではみなさん、よいお年をヽ(^o^*)よいおとしをっヾ(^∇^*)


「さほどまで念入りに手洗いせずとも・・・」「殿、昨今巷で『のろうぃるす』なる疫病が蔓延と聞き及びますれば




2012.12.30 sun



ジャン=クロード・カサドシュ指揮リール国立管弦楽団のDVD3点です。発売になったときから気になっていたんですが、突然バーゲン価格にて出回りはじめたので購入。たぶん製造終了でしょうな。

左上はパリ、ノートルダム寺院での1997年live収録で、オルガンにフィリップ・ルフェーヴルを迎えての、プーランクのオルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲、サン=サーンスの交響曲第3番。

右上は1988年サン・ドニ・バジリカ寺院でのlive、プーランクのグローリアとフォレのレクイエム。バーバラ・ヘンドリックス、カール=ヨハン・ファルクマンのソロ。

下は1992年、リール市のスタジアムにおける野外コンサートでプログラムはすべてラヴェル。ジョルジュ・プリュデルマシェ(と表記されています)のピアノによる2曲のピアノ協奏曲とラ・ヴァルス、ボレロを収録。

 


カサドシュもプルーデルマッハー(プリュデルマシェール)も好きなHoffmannですから、最後のラヴェルに期待していたんですけどね、これは録音も画質も劣悪。なぜか画面の周囲が白くなるのはともかくも、録音はマルチマイクによる卓上操作丸出しのケッタイなもの。思うにこれ、野外コンサートなので会場ノイズを排除しようとして、なおかつ各楽器の音を鮮明に録ろうとしたんでしょう。それにしたってもう少し上手く再構成できませんかね。各楽器の距離感なんてデタラメ、その都度引っ込んだりせり出したりしてきます。演奏がどうこうと言えるレヴェルじゃありません。これが1992年の収録とは信じ難い。往年のコンサートホール盤のシューリヒト録音を思い出しちゃいました。ただピアノに関してはとにかく手もとをさかんに映すので、興味のあるひとにはおもしろいかも。



後の2点も画質はよくないものの、録音はまとも。プーランクとフォレのdiscは、帯に「バーバラ・ヘンドリックスの芸術」と表題がついていて、この人気歌手に焦点を合わせたDVD化なんでしょうか、「清らかな澄み渡った歌声は、人の心を浄化させると言われている。ここでのバーバラ・ヘンドリックスの声質は、まさに心を清めてくれるもの」なんて書いてある。この声のどこが清らかnano?(^o^;たしかに知名度の高い歌手ではあるんですが、このひとほど実力が知名度に反しているひともめずらしいんじゃないでしょうか。媚を含んだようなvibratoは清らかどころかむしろ響きが濁って聴こえ、ましてやこれがレクイエムでは困ってしまいます。日常生活でも、音楽でも小説でも、媚を売るのは最低。



というわけで、もっとも期待していなかった、プーランクとサン=サーンスのdiscがいちばん愉しめました。期待していなかったというのは、サン=サーンスなんてあまり好きじゃないからなんですが、これは派手さがなくていいですね。しかし、教会というロケーションでステンドグラスや聖母像などを映し込むのはいいとしても、むやみに演奏者の映像を重ねるのはいささか幼稚な演出です。UNITELもよくやってましたが、1888〜1997年の収録でこれはないよな。もっと普通に撮りなさいと言いたいところですね。







2012.12.29 sat



・コルンゴルトの歌劇「死の都」のゲッツ・フリードリヒ演出DVDが出ましたね。1983年、このひとが総監督を務めていたベルリン・ドイツ・オペラにおける収録。以前LDで出ていて、当時Hoffmannも入手して観ていたものです。祝DVD復活。



演出は現代の感覚で観れば、至極まとも。歌手への演技はこの演出家らしく、リアリズム路線。セットにしても、第二幕の水(運河)、これがちゃんと水を張ってある。これをたとえばフェリーニ映画のようにあえて作り物感丸出しなセットで表現する選択もあろうかと思いますが(たとえば「カザノヴァ」)、幻想的なatmosphereを醸し出すのには、リアリズムを追及するのもまた有効な一手法ですね。



指揮はハインリヒ・ホルライザー、これといって特徴はないんですが、手堅くまとめています。歌手はジェイムズ・キング、カラン・アームストロングの主役よりも脇が好調。カラン・アームストロングは容姿はまんざら悪くないんですが、歌はじつによくない。もっともここでは、Bayreuthの「ローエングリン」でのエルザよりはましかな。

言うまでもなく、このオペラはジョルジュ・ローデンバックの小説「死都ブリュージュ」を原作とする、コルンゴルト23歳のときの作品。書法も達者ながら、選んだ題材がローデンバックのこの小説ですから、コルンゴルトは精神面でも早熟だった?







2012.12.28 fri



これは滅法ユニークなCDで、シューマンの歌曲集「詩人の恋」と「女の愛と生涯」を、それぞれ3人の歌手による歴史的録音でまとめた2枚組です。「詩人の恋」はアクセル・シュッツ(1946年)、シャルル・パンゼラ(1935年)、ゲルハルト・ヒュッシュ(1936年)、「女の愛と生涯」はロッテ・レーマン(1946年)、マリアン・アンダーソン(1950年)、キャスリーン・フェリアー(1949年)。

ヒュッシュというひとはことのほか素直な歌い口だと思っていたものが、この3種類の録音を続けて聴くと、案外と技巧を凝らしているようにも感じられ、フェリアーはもともとあまり好きではないことには変わりなく、しかしブルーノ・ワルターの伴奏ピアノに独特の味わいがあることにあらためて気付くなど、いろいろ発見もありますよ。

デザインはクラシックのdisc、とりわけシューベルトやシューマン、ブラームスあたりではすっかりお馴染みのCaspar David Friedrich、これは妻のカロリーネをモデルにした「窓辺の女性」ですね。ここでカロリーネは身体をやや左に傾け、窓の外の川に浮かぶ船のマストはやや右に傾斜、そうして開かれた空間を通して川向こうのポプラ並木が見えるという外界が侵入してくる、たしかに外気が内側に開かれた窓から流れ込んでくるのが感じとれる。さらにそこにはこの光景を見ている画家自身と窓辺で物思う妻の内面までが描かれているようです。いやあ、クラシックのCDではたびたび見かける絵ですが、これはまさしく「詩人の恋」と「女の愛と生涯」のdiscにこそ、ふさわしいように思えてきました。




2012.12.27 thurs



ミステリの翻訳といえば、あまり言及されることもありませんが、Hoffmannは荒正人によるイーデン・フィルポッツの「闇からの声」も好きでしてね。まあ原書で読んだわけではないので、小説の日本語として好きだと言っておこうかな。これはちょっと古い講談社文庫なんですが、同じくフィルポッツの「赤毛のレドメイン家」も出ていたことは知っていて、いつか読んでみたいとは思っていたところ、古書店の棚に見つけたので捕獲しました。奥附によると「赤毛のレドメイン家」が昭和52年10月、「闇からの声」が昭和53年7月の刊行。いずれも創元推理文庫版も手許にあって、そちらでは「赤毛のレドメイン家」は宇野利泰、「闇からの声」は橋本福夫の訳。
 
ちょいと並べてみると―

 旧領主邸ホテルは南に面した高台にあった。海面から六百フィートはある台地にぽつりと突立っていて、背後には休閑地や森のつらなる尾根をひかえ、海のほうに降っていっている斜面には点々と農園があり、下の谷間には小川が流れていた。その谷間を越すと、海岸線はまたもり上って、起伏の多い一連の砂丘になっており、海に面した部分は海綿色の切り立ったような断崖になっていた。(橋本福夫訳、「旧領主邸」には「オールド・マナ・ハウス」とルビ)

 旧荘園荘ホテルは、南に面した高地にそそり立っていた。海面から六百フィート高くなっている台地に座を占め、その後ろには、休耕地と森林が盛り上がり、海に面した斜面には、農園が散在し、下の谷間には、ひとすじの流れが走っていた。この渓谷の向こうで、海岸線はふたたび高くなり、不規則な、ひろひろとした丘陵(南イングランドの白亜紀のおか)に至ると、そこからは低い海綿色の絶壁が岸辺に続いていた。(荒正人訳、「旧荘園荘」には「きゅうしょうえんそう」とルビ、「丘陵」には「ダウン」とルビ、括弧内は小フォントによる注釈)


―以上は「闇からの声」の冒頭。

それにしても、この頃の講談社文庫って、表紙のセンスはかなり悪いんですが、ミステリに限っても、クイーンの「Yの悲劇」、カーの「黒死荘殺人事件」(「プレーグ・コートの殺人」)、ヴァン・ダインの「僧正殺人事件」を平井呈一訳で出しており、いまも古書店の棚では素通りできないんですなあ。

全部お持ちじゃないですか〜さりげなく自慢なさってませんか〜((((*^o^)σ)~0~)/プニッ♪







2012.12.26 wed

日影丈吉というと、最近はいわゆる幻想文学方面からの評価が高いみたいですね。たしかにミステリ作家と言ったのではこのひとの一面しかとらえていないことになります。Hoffmannとしてはその悠然たる筆致、微細な心理描写から匂い立つようなatmosphere・・・と、長篇から短篇小説に至るまで、きわめて高度な文学作品と思っていますけどね。派手さで引きつけるようなstoryであるよりも、叙述で唸らせる、これこそ真に価値ある「作品」ってもんです。

これほど渋いと文庫本にはなりにくそうですが、それでもこれまでに文庫化されたものもあって、社会思想社の現代教養文庫から5冊出ていたほか、講談社文庫からも3冊、比較的最近では、同じく講談社の大衆文学館から「ハイカラ右京探偵全集」が出ていたし、さらに、もちろん既に絶版(品切れ?)ながら、徳間文庫からも7冊ばかり出ておりましたな・・・ちゅうか、そのあたりは買い漏らすことなく、全部揃えています。そうそう、行方不明になっていた原稿が10余年の時を経て発見された「夕潮」も創元推理文庫版がありましたね。



それに忘れてならないのがガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」や「黄色い部屋の秘密」、「黒衣夫人の香り」などの翻訳ですね。ジョルジュ・シムノンとかボアロー&ナルスジャックといったあたりはHoffmannにはあまり興味がないので未読ですが、日影丈吉の翻訳ならいずれ読んでみてもいいかな、なんて思っています。

ところで、Hoffmannさんはatmosphereということばをよくお使いになりますよね。文学でも映画でも、音楽やその録音の場合でも、「atmosphereを感じさせる」とおっしゃれば、それはいい意味であるわけですが・・・

moodとかfeelingとは違うんだよ。Jack Sullivanの編纂による“The Penguin Encyclopedia of Horror and the Supernatural”に“ATMOEPHERE”という項目が立てられていてね、以来便利に使わせてもらっている(^^*ちなみにその項目の執筆者はJack Sullivan自身だ







2012.12.25 tues

ただいまぁ〜(-_-;あー疲れた・・・

おかえりなさ〜い(^o^*

おかえりなさいっヾ(・∇・*


わっ、びっくりしたΣ(・o・;;

Hoffmannさん、はやくはやくはやくヾヾヾ(・∇・;;;おまちかねのものがとどきましたよっヾヾヾ(・∇・;;;ホラホラ

ヾ(・∇・;))))こっちこっち
 (・・?))))なんなんだい? (^m^*))))クスクス



じゃ〜んヾ(^∇^*

おおっΣ(・o・;
(^o^*



つ、ついに入手した、国書刊行会版「日影丈吉全集」全9巻(8巻+別巻)揃です。

先日本屋に寄ろうと帝都に赴いた折には、いろいろあってほとんど見て回ることもできず、結局両親の家のPCで古書店在庫などをweb検索している始末。ナンダ、ふだんとはPCが変わっただけじゃないか(-_-;

この「日影丈吉全集」は以前から欲しかったんですけどね、貧乏で欲しいものもなにも買わずに我慢して、それでも日々生活苦にあえいでいるHoffmannには
ちょっとおおげさじゃないですか〜(^o^;おいそれと手の出せるお値段じゃない。そこで古書店が頼み、全巻刊行からほどほどの時日が経過、全9巻の個人全集、国書刊行会の出版とくれば、状態の良いものがそこはそれ、「よっしゃよっしゃ♪」といった値付けでよくわかりませけどね〜(^_^;出てくるんじゃないかと期待しておりましたのですよ。

で、見つけたのがナント、Hoffmannの現在の出稼ぎ先の職場から歩いて行けるところにある古書店でした。出稼ぎ先に戻ってから一応現物確かめに行って、状態もまずまず、お値段格安っちゅうことで、めでたく購入の運びと相成りましたとサ
メデタシメデタシヾ( ̄∇ ̄*配送料もお店で負担してくれて、お買い得感も割増気分♪ おまけにちょうど代金分ぴったり同額の臨時収入があったところ。これだけ好条件が揃うと、ご飯三杯は軽くいけますな(笑)

そういえば、ちょっと以前に同じ国書刊行会版「久生十蘭全集」について「我が家の本棚に収まってもらいたい全集モノの筆頭」とおっしゃってませんでしたっけ?

「筆頭格」って言ったんだよ(笑)そこはちゃんとことばを選んでいる( ̄ー ̄*)♭「筆頭」はこの「日影丈吉全集」だったのさ

それにしても、国書刊行会は「全集」の刊行をはじめたら、ちゃんと完結までこぎつけるのは立派ですね(^^;あたりまえかもしれませんが・・・




2012.12.24 mon



ひさしぶりに、太洋を越えて飛来してきた銀色の円盤群ですよ。注文したのは主としてCriterion Collection盤、そのほかサスペンスものの古典、正真正銘B級作品などもあり。







2012.12.23 sun



「沖縄怪談 逆吊り幽霊/支那怪談 死棺破り」(1962年大蔵映画)、監督は小林悟。

大蔵貢率いる大蔵映画が1962年に台湾との合作で製作した猟奇怪談もの。当時のポスターを見ると、あたかも2本の別の映画のように見えるのですが、「支那怪談 死棺破り」(東方影業/邵羅輝監督)は劇中劇。おまけに「太陽の怪物」Hideous Sun Demon(1959年・米)を輸入して、「米国怪談 太陽の怪物」と邦題を付けて併映。「沖縄怪談/支那怪談/米国怪談」とタイトルを並べたもんですから、たいがいのひとは3本立て興行と思いこんだんでしょうな。じっさいは先に述べたとおり「支那」は「沖縄」のなかで語られるエピソードですから、「太陽の怪物」との2本立て。もちろん、大蔵貢がお客さんをダマそうとしての仕掛けた宣伝なんですよ。

「太陽の怪物」はmonologue 2010.04.25 sunで取りあげてらっしゃいましたね(^^*

美人の社長令嬢と結婚して逆玉にのった男が原因不明の病気になって、妻が運転手と浮気している妄想にかられます。ある日枕元に妻を呼んで、中国に伝わる話をするんですが、これが「支那怪談」。堅い操をたてた貞淑な妻が夫の死後、若い男が現われると、彼のために死んだ夫の脳ミソまで取り出そうとして・・・という話。この話を聞いた妻は、ほかの男が自分に言い寄らないように、自らその美しい顔を傷つけます。その後夫の病気は回復しますが、妻の顔は傷が化膿して、ふた目と見られぬ有様となってしまい、夫は妻に愛想をつかし愛人を作って毎日午前様。しかしこの夫、もともと婿養子なので財産はすべて妻名義、そこで財産を奪うためにゴロツキを雇って妻を殺害させます。殺された妻は怨霊となって・・・というstory。

まあくだらないstoryですな。死にそうな病床にあって、おれが死んでもほかの男とイチャつくなってダダこねる男もばかばかしけりゃ、そんな夫を安心させようと顔面に傷をつける妻っちゅうのも、考えたらこりゃ似合いのバカップル? 「支那怪談」を別映画と見せかけたのはともかくとしても、さらに劇中劇の思いっきり安造りなセットに目をつぶっても、これは脚本の水増しとしか見えないよなあ。



それよりもね、Hoffmannがちょっと興味を引かれたのは表題どおりの「逆吊り幽霊」。ドリフのコントでもお馴染みな、頭を下にして上から登場する幽霊というのは、これはちゃんと伝統に則っているんですよ。この映画のなかでは、妻の幽霊が、ひどい夫に足に釘を打たれてこんな姿で・・・と和尚に訴えるんですが、ルーツは鶴屋南北の「東海道四谷怪談」、蛇山庵室の場において、お岩の亡霊が門口の提灯から現れるところ。文政8年(1825年)の初演時ではなく、天保2年(1831年)、三代目菊五郎が5回目の上演にあたって採用したとされる「提灯抜け」がそれ。もっともこうした趣向はこれ以前からあったとも言われており、ここに幽霊が「さかさま」で登場する、あるいは描かれるのはなぜか、といった問題が浮きあがってくるわけです。そのあたりを考察したのが、服部幸雄の「さかさまの幽霊」(ちくま学芸文庫)。

オボロ影の術じゃなかったんですかっヾ(・∇・*

しかしまあなんだね、この映画を観るのに、わざわざ泡盛なんぞ用意してモニタの前に座っちゃったけど、これは往年の東京12チャンネルあたりで放送しているのを、寝そべってながめているのがふさわしかったような気がするね

まあ、ポップコーンよりは泡盛で正解でしょう(^o^*







2012.12.22 sat



フランソワ・トリュフォー監督の映画「華氏451」(1966年・英・仏)です。アメリカの小説家・詩人、主に、SF・幻想・怪奇小説作家として知られ、わが国で翻訳も出ているレイ・ブラッドベリの「華氏451度」を原作とする、本を読むこと、所有することが禁じられた近未来を描いた映画ですね。華氏451度とは摂氏220度、書物が自然発火する温度のこと。

本をテーマにした本(著作)といえば、ステファヌ・マラルメ、モーリス・ブランショ、ホルヘ・ルイス・ボルヘスときて、我が国では中島敦、比較的新しいところではエリアス・カネッティ、そしてウンベルト・エーコの「薔薇の名前」などが思いつきますね。「薔薇の名前」では、ある書物が宗教的な立場から危険思想扱いされていますが、ブラッドベリの「華氏451度」では、あらゆる本が発見次第火炎放射器で焼き尽くされるという法令がこの未来社会を支配しています。人々は常時超小型ラジオから流れる情報を聞き、家では巨大なテレビスクリーンがをながめていれば幸福になれるというシステムの、いわば管理社会ですね。ところが焚書官のひとりであるガイ・モンターグはふとしたことから読書に目覚めてしまい、書物というものが世界の本質を理解するための手がかりであることに気付きます。終盤、モンターグは当局から追われる身となって、この管理社会を逃れたコロニーに加わることとなるのですが、その小集団では、ひとりひとりが書物となっています。



まあ焚書とか国民の管理とかいったあたりから、ブラッドベリが当時のアメリカに吹き荒れていたマッカーシズム、すなわち「赤狩り」旋風に対する抵抗としてこの小説を書いたことは明らかですね。思想の検閲を書物の禁止にして、これをSF小説のステージ上で綴り、展開してみせたわけです。まあ、Hoffmannの場合そういった社会的な背景っちゅうものにはあまり関心がないので、そこんところはいまはふれません。

もうひとつ、20世紀末ごろから急速に普及したインターネットとか、モバイル端末といった情報機器がもたらすものと、本(書物)というものの本質的な相違といったような観点にも、Hoffmannは興味がない。PCと紙の印刷物の違いというのが、さほど本質にかかわる問題とは思えないんですね。「なにかが失われつつある」式の指摘は多分に情緒的なものだと思うんですよ(ただし付け加えておくと、Hoffmannも本に対してはかなり情緒的です・笑)。

そういったことよりも、Hoffmannが興味深く感じるのは、コロニーの彼(彼女)らは、そもそも文字というものがなかった古代の「語り部」となっていることです。いや、文字が発生してからも、「読む」という行為は「音読」を意味していたのですよ。かつて読むひとというのは同時に語り部でもあった。つまり、世界は読みとられ、同時に語られていたのであり、この世界に対するふたとおりの理解の仕方は矛盾なく並置され、相互保管しあっていたわけです。マーシャル・マクルーハンが「グーテンベルクの銀河系」で指摘したように、活版印刷の出現によって「音読」と「口述」から「黙読」への転換が起こった。これにより、聴覚と視覚、感性と知性、肉体と精神、それぞれがとらえていた世界像は切り離されてしまった。だから、黙読によって、さらに元をたどれば印刷術の出現によって、人間精神のなかに、自ら分裂しようとする起爆剤のような「無意識」なんてものが発生することとなった(発見されることとなった)というわけです。



だからこのコロニーがほとんど原始生活を送っているように描かれているのも、もっともな話なんですね。じっさい、ここのリーダーはモンターグが持っている本(ポオの「怪奇と幻想の物語」)をはやく覚えて焼いてしまいなさい、と言う。このコロニーは本を守ろうとして、結果的に文字のなかった時代に回帰しようとしているのです。Hoffmannはこんなところに、本来人間に備わっていた、原初の認識力の純粋さというか、原点があらわれているような気がします。だから本を読む習慣なんてのは自慢にも肥満にもなりゃしないんですよ。

本日のふたつめの画像は、焚書官たちが乗る消防車(と呼ぶのもおかしいかもしれませんが)のボンネットに飾られたマスコット、サラマンドラですね




2012.12.21 fri



今日は優美が我が家へ来て10周年の記念日です♪

ひさしぶりの登場ですね〜(^o^A;



それじゃ、もう2枚ほど・・・モノクロメガネ写真だよ(^^*

おめでとうございますっヾ(^∇^*




2012.12.20 thurs

たまにはvisual面で・・・サンビスしますからっヾ(^∇^*







山本タカトの画集「ヘルマフロディトゥスの肋骨」から―。

ヘルマフロディトゥスとことわるまでもなく、のひとの描く男女はユニセックス風。そこはかとなくハンス・ベルメールを連想させる肉体のオブジェ感覚、あるいはハリー・クラークを思わせる静謐なatmosphere。




2012.12.19 wed



光文社文庫の2冊、探偵小説雑誌「新青年」昭和13年(1938年)の掲載作と「宝石」昭和25年(1950年)の掲載作からセレクトしたアンソロジーです。

前者では表題になっている赤沼三郎の「悪魔黙示録」がさほどでも・・・。ほか、渡辺啓助、妹尾アキ夫、木下宇陀児と、いずれも代表作とは言えず、城昌幸なんていまだにこの作家を評価するひとがいるのは不思議。読んでいて眠くなってきた(^^;
眠れや・・・ヾ(-∇-*

一方の「宝石」では魔子鬼一の「牟家殺人事件」がおもしろい。大戦末期の中国は北京を舞台にしたミステリで、登場人物の名前など、最初だけは中国語読みのルビが振ってあるものの、何度か登場するうちに「えーと、なんて読むんだっけ?」となってしまうんですけどね(笑)異国情緒というか、漂うatmosphereがたいへん魅力的。




2012.12.18 tues



シャーロック・ホームズ関連の本もこれまで何冊か読んでるんですけどね、シャーロッキアンも結構なんですが、真面目な研究もあまりマニアックに傾いてゆくと少々うんざり。行間を読むとか裏を読むとか、「そんなこと、どうでもいいよ」と言いたくなるのは、Hoffmannがホームズものに寄せる関心の度合いかその姿勢の故なのか。なんかね、新たなネタを探してひとりよがりに陥っているんじゃないかと思うような本も見受けられますね。

そんななかで左の「シャーロック・ホームズの愉しみ方」植村昌夫(平凡社新書)は、珍奇なこことを語ろうという構えもなく、それこそ平凡な表題ながら、ごく基本的な、まっとうな問題を論じている良書。英米のホームズものに関する論考を紹介して、さらに近年我が国で出版されたホームズものの新訳の、ほぼすべてに駄目出し(笑)Hoffmannは目からウロコ、でした。




2012.12.17 mon

ただいまご帰還。いろいろ事情があって、ほとんど両親の家にいたため、本屋には寄れませんでした。まあ、しかたがない。実家にもレコードは少々あって、めったに聴かないものに針を落とすことができたので、これはこれで有益な時間。

もちろん、選挙は不在者投票を済ませておきましたよ。16日の夜はTVで選挙速報を見ながら老父と激論・・・というのはおおげさ、概ね「ザマーミロ」ってなもんで意見は一致。意見が分かれたのは、選挙後「遺臣」から追い出されるのはふたりのうちどちらか、とかそういうハナシ(笑)




2012.12.09 sun



ちょいと出かけてきますよ。レコードを聴いて、本屋にも寄ってくる予定。




2012.12.08 sat

幻想交響曲って言えば、かなり以前に書いたことがあるんですが、第3楽章での殺人、これまで注意してwebなど閲覧してきましたが、これを指摘しているひとがいないね。イングリッシュホルンとオーボエの対話って、ふたりの牧人(羊飼い)とか言われているけれど、おしまいの方ではオーボエがいなくなるでしょ、あれこそ恋人ですよね。ホラ、その直前に殺されてるじゃない・・・って、見つけた!

ttp://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/Gensou.htm

ちゃーんと指摘しているひとがいらっしゃいました。Hoffmannが漠然と考えていたよりも、よほど具体的かつ詳細な分析により、ひじょうに説得力のある指摘となっています。



ところで、幻想交響曲のdiscのジャケットをこんな絵で飾ってみようという勇気のあるメーカーはありませんかね?




2012.12.07 fri

辞書も引いてもみないで、DVDの字幕がおかしいとか言っているひともおりますが、先日立ち読みした本では、ベルリオーズの幻想交響曲で鐘の音をピアノでやっているのがある、ミトロプーロスよりロジンスキの録音が先にあって、ロジンスキがニューヨークに持ち込んだやり方か・・・なんて話し合っているひとたちがいました。う〜ん、そういうことはスコアを参照してから言わないと・・・って、これ、Hoffmannも知らずしてトンチンカンな発言をしてしまうことが結構あるんですな。まあ、自分のことは棚に上げておいて、やっぱり音楽の場合、カネとって読ませる本になにか書こうというのなら、スコアを見ておく程度の手間を惜しんじゃいかんということですね。




2012.12.06 thurs



ウィーンの神童・天才作曲家としてキャリアをスタートさせたコルンゴルトですが、1933年にドイツでヒトラーが政権を取ると、ユダヤ系であるコルンゴルトの活動には圧力が加わるようになりました。そんな時期に、ドイツからハリウッドに亡命した友人の演出家マックス・ラインハルトから連絡があり、ワーナー・ブラザーズがシェイクスピアの戯曲を原作とする「真夏の夜の夢」を映画化するにあたり、音楽はメンデルスゾーンのものを編曲することにしたが、その音楽監督としてハリウッドに来てくれないかとのこと。時に1934年。

こうしてコルンゴルトが映画音楽に手を染めた最初の作、「眞夏の夜の夢」A Midsummer Night's Dream(1934年・米)が完成します。ここではメンデルスゾーンの劇伴「真夏の夜の夢」を中心に交響曲その他の作品も取り入れて編曲、コルンゴルトはその実力を認められてワーナーと2年間の契約を結び、ルビッチ監督のオペレッタ映画「恋のナポリ」Give Us This Night、「海賊ブラッド」Captain Blood、さらに歴史大作「風雲児アドヴァース」Anthony Adverseといった映画の音楽を手がけます。

ワーナーとの契約期間が終了した1937年、コルンゴルトはウィーンに戻り、オペラ「カトリーン」を完成。そこにまたワーナー・ブラザーズから新作を依頼する電報が届いて、これがE.フリン主演の「ロビンフッドの冒険」The Adventures of Robin Hood(1938年・米)。どうもコルンゴルトは当初あまり乗り気ではなったようなんですが、折りしもナチス・ドイツがオーストリアに侵攻して武力併合。ウィーンのコルンゴルト邸もゲシュタポに接収され、コルンゴルトは家族とともにアメリカに亡命すること決意します。そして亡命後は家族や親戚を養うため、映画音楽の作曲に専念することになりました。

その後音楽を手がけた映画は「女王エリザベス」The Private Lives of Elizabeth and Essex(1939年)、「シー・ホーク」The Sea Hawk、「海の狼」The Sea Wolf(1941年)など。Hoffmannはそのすべてを聴いているわけではないんですが、先の「ロビン・フッドの冒険」も含めて、映画の内容からあまり気の進まない仕事であっても全力投球、完成された音楽はどれもすばらしいものであったと言われています。なかには、音楽が見事なあまり、かえって陳腐な映画の不出来ぶりが露呈してしまうというケースもあったようです。

1945年、第二次世界大戦が終わるとともに、コルンゴルトはクラシック音楽の作曲に復帰して、ヴァイオリン協奏曲その他の作品を発表します。ただしクラシックの世界に戻ったとは言っても、じつはかつて映画音楽のために作曲した主題を流用しているのですね。これは別に手抜きとか省エネとかではなくて、もともと映画音楽を作曲するにあたっても、、映画音楽だからといって手を抜いたり、コンサートホールの音楽ならば映画音楽に対するとは異なった態度で作曲に臨んだりしていたわけではないということだと思います。

その証拠ってわけじゃありませんが、1946年にコルンゴルトは映画「嘆きのプレリュード」Escape Me Neverと「愛憎の曲」Deceptionにスコアを付けましたが、後者は女流ピアニストを巡るチェリストと作曲家の三角関係を描く映画で、この映画のために作曲されたのが昨日取りあげたチェロ協奏曲なんですね。映画音楽を協奏曲にしたのではなく、協奏曲を映画音楽にしたというわけでもない、ただ言えることは、どちらにしろコルンゴルトは作曲に全力を注いでいたのだろう、ということです。つまりコルンゴルトの映画音楽とかコンサート音楽とかわざわざ区別して呼ぶのは意味がない、いずれも「コルンゴルトの音楽」なのだと言いたいんです。




2012.12.05 wed

コルンゴルトは好きな作曲家で、とりわけヴァイオリン協奏曲は昨年か一昨年あたりから大のお気に入り。discを見つけると、つい買っちゃいます。



右上は先日とりあげたヤルヴィの「眠りの森の美女」の録音にも参加していたジェームズ・エーネスのヴァイオリンで、バーバーとウォルトンのヴァイオリン協奏曲も併録。ブラムウェル・トヴェイ指揮バンクーバー交響楽団。2006年の録音。やや線が細いかなと思うものの、ここでも達者なヴァイオリンを聴かせる名手。

左上はヴァディム・グルズマンのヴァイオリンで、リトアニアの作曲者、バリス・ドヴァリョーナスのヴァイオリン協奏曲ほかとカップリング。共演はネーメ・ヤルヴィ指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団。2009年の録音。悪くはないけど、もうひとつ特徴に乏しいかな。某shopのwebサイトに、たぶん輸入元が用意した短い紹介文というか、惹句が記載されていたんですが、「コルンゴルト作品は、ハリウッド映画音楽調の華麗なオーケストレーションと豊富なメロディ・・・」なんてある。だからさ、そうじゃなくて、コルンゴルトのような音楽をハリウッドが取り入れたのよ。「映画音楽みたい」っちゅうのは、話が逆なの。

中央下はこれまで聴いたことのなかった作品、コルンゴルトのチェロ協奏曲のdisc。チェロはこれまたHoffmannは聴くのがはじめてになるユリアン・ステッケルというひと。1982年生まれで2010年のミュンヘン国際コンクールで優勝とのこと。バックはダニエル・ライスキン指揮ライン州立フィルハーモニーの演奏で、ほかにブロッホのヘブライ狂詩曲「シェロモ」とゴルトシュミットのチェロ協奏曲を収録。20世紀のユダヤ系作曲家の作品を集めたわけね。録音は2009年。

いかにもユダヤ音楽らしい、この3曲のなかでは抜きん出て有名な「シェロモ」を2曲めに置いて、その前後にコルンゴルトとその先に行った新古典主義的ゴルトシュミットを配するという、選曲と構成の妙。お目当てのコルンゴルトはヴァイオリン協奏曲同様に爛熟の世紀末を思わせる甘美な音楽。

チェロは若手らしい屈託のなさが印象的。知情意のすぐれたバランスといいたいところですが、ちょっと淡泊かな。テクニックだけの奏者ではないと思いますけどね。ライスキン指揮ライン州立フィルハーモニーといえば、cpoから出ているブラームスの室内楽作品の管弦楽編曲版、すなわちピアノ四重奏曲第1番のシェーンベルク編曲版、クラリネット・ソナタ第1番のベリオ編曲版のdiscで聴いておりまして、そちらであまり上手いとも思わなかったんですが、この協奏曲伴奏はよほど上等でなかなかの充実ぶり。




2012.12.04 tues



チャイコフスキーの作曲したワルツといえば「眠りの森の美女」の有名なワルツが最高傑作じゃないかと言いましたが、交響曲で聴くことのできるワルツもいいですね。とくに交響曲第1番、第3楽章の中間部、交響曲第6番の第2楽章の5拍子のワルツなどは好きな音楽です。前者の憂愁も魅力的、後者の不安定な故の「ゆらぎ」もユニークですね。

交響曲第1番というのはこれまでにも結構取りあげることの多い作品だったんじゃないかな。「冬の日の幻想」と題されたこの交響曲は、やはり寒い季節になると聴きたくなりますね。Hoffmannが最初にこの曲を聴いたのはリッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のレコードです。若きムーティのはじめての交響曲録音ですね(発売はメンデルスゾーンの第3番が先でしたが、録音はこちらが先行)。録音のせいもあるかもしれませんが、やや響きの彫りは浅いものの、緻密かつ俊敏で歌心に富む熱演で、これはいまでも好きな演奏ですね・・・っちゅうか、ムーティのdiscのなかでもいまもって上位の出来じゃないかと思います。

その後ロシア系の指揮者による演奏も含めていろいろ聴いてきましたが、ムーティ盤があればほかにはイラン、じゃなくていらんかなあ。これまでに入手して手放したdiscはロジェストヴェンスキー、スヴェトラーノフ、ロストロポーヴィチ、カラヤン、アバド、マズア、V.ユロフスキなど、どれもあまりおもしろくなかった。記憶で言っちゃうと、最初の3人は響きが荒くて雑と聴こえ、これを泥臭くてロシア的というのなら、ロシア的なるものを見下しすぎているのでは? カラヤン、アバドはこれといって特徴がなく、というか若書きの未熟さも魅力のうちだと思うんですけどね、そのあたりの特徴を隠蔽しちゃって、結果微温的、ぬるい演奏に。いずれもオーケストラが超一流で響きもゴージャスなだけに、かえって虚しくなってしまうという例。マズアはとにかく客観的でこれはこれでユニークな個性なれど、あまりに醒めていて物足りず、オーケストラがルーチンワークと聴こえるのもマイナス。

いまも持っているのはムーティ以外ではLPでバーンスタイン、マイケル・ティルソン・トーマス、CDでマルケヴィチ、ヤルヴィ。このあたり、一応我が家では「勝ち残り組」(笑)なんですけどね、やっぱりいざ聴こうとなると、LPでもCDでもムーティ盤に手が伸びちゃうな。

えー、ワタシも過去のmonologueから探してみましたところ、Hoffmannさんはこのレコードをもう何度も取りあげてらっしゃいまして、いまの発言は2008.01.13 sunとほとんど同じなんですよ(^^*

あ、そう?(^^A;そりゃムカシっから好きなレコードだからね

ところが、その2008.01.13 sunの後半で、こんなことをおっしゃってます

---ここから---

1980年、42年の長きにわたって音楽監督を務めたオーマンディから推薦を受け、その後任にフィラデルフィア管弦楽団のシェフとなったムーティは、EMI(Electrola)にさかんに録音を行いましたが、Hoffmannはこの時期のムーティのレコードを好みません。毎度同じことを言って恐縮なんですが、オーケストラの音色・響きに魅力がないんですね。
---ここまで---

そのあと、フランクの交響曲を例外的だと・・・しかもこの時点で「毎度同じことを言って」とあるんですよ。それなのに、いまではムーティ、フィラデルフィア管弦楽団のdiscをわりあいよく聴かれますよね〜(^o^*


君子は豹変する(笑)だからさ、演奏の好き嫌いなんて、カンタンに変わっちゃうもんなんだよ(^0^*カンラカラカラ

笑い声が古いですね〜(^_^;




2012.12.03 mon

出稼ぎ先でチャイコフスキーの三大バレエの全曲盤を聴きたくなって、某shopのwebサイトなど見て物色していたんですよ。まずロシアの指揮者は除外、バレエ音楽に定評のある指揮者というのも意外性がなくてツマラナイから避ける。廉価盤ならそりゃ結構結構・・・ってンで、選んだのはこちら―。



左の「白鳥の湖」はサヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団。

そういやフィラデルフィア管弦楽団、破産したんですって? 日本で言えば民事再生法適用か。それより前ですけど、低迷していたフィラデルフィアはムーティに戻ってきてもらおうとしたのに固辞されて、そのムーティがシカゴ交響楽団の猛アタックの末シカゴに行っちゃったので、フィラデルフィアもちょっと気分を害したとか。Hoffmannはこのオーケストラの実演に2度ばかり接しているんですが、来日したのが湿度の高い6月なのに、まあ楽器のよく鳴ること。ついでに、どうでもいいことかもしれんが、ただ単に「フィラデルフィア管弦楽団」とは、「フィルハーモニー」とか「交響楽団」などと、看板で背伸びしたり、わざわざプライドを誇示するようなところがなくて潔いというか、奥ゆかしい、つまりネーミングがいい(笑)

サヴァリッシュって結構スラヴものも得意にしているみたいですよね。バイエルン国立歌劇場管弦楽団を振って録音したカバレフスキーの組曲「道化師」なんて、なかなかいい。ここでも歯切れよく、重くなりすぎず、わりあいオーソドックスな好演です。バレエ音楽らしさよりもわずかにシンフォニックに傾くのが、これはいまHoffmannが求めていたとおりの演奏。要するに、チャイコフスキーだからってsentimentalになって欲しくなかったの。

「くるみ割り人形」といえば、Hoffmannとは因縁浅からぬ物語ですが(笑)右はマイケル・ティルソン・トーマス指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏。

この指揮者も実力派、かなり以前にはマリファナだったかなんだったか、とにかく麻薬関係で逮捕されたこともありましたけどね、どーせアメリカ人なんてみんなやってンでしょ・・・って、これは偏見かな(笑)このひと、1944年生まれだからもう68歳になるんですが、なんだかいつまでも若いimageがありますね。どうも実力なりの正当な評価を得られていないような気がしないでもないのは、その若さの印象のためでしょうか。

このひとの指揮はとにかく柔軟、と言ってもべつに軟調の響きということではなくて、バレエ音楽風とか、シンフォニックとか、特定の傾向を感じさせない、作品を純粋器楽にしてしまうようなところが持ち味。もちろんその演奏がつまらないわけではなくて、リズムがいいから聴いていて愉しい、どちらかといえばここでは軽妙感が優勢。



「眠りの森の美女」がねー、これがどうもめぼしいdiscが見当たらなかった。音楽的には三大バレエのなかでも随一の傑作だと思うんですけどねー、ま、最後の大詰めのところだけはどうにも大仰で好きになれませんけどね(^^;でも有名なワルツなんて、これはチャイコフスキー作品のなかでもとりわけ傑作の名にふさわしい名曲なんじゃないでしょうか。「くるみ割り人形」の「花のワルツ」以上だと思います。

よびましたかっヾ(^∇^*)))

結局これは廉価盤にこれといったものが見あたらず、最近出たばかりの英Chandos盤を購入。ネーメ・ヤルヴィ指揮ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、ヴァイオリン・ソロにジェームズ・エーネスを迎えての2012年6月の録音。SACD Hybrid盤。

パパ・ヤルヴィらしい、刺激成分のないゆったりしたヌケのよい軟調の響き・・・って、このひとの演奏について語ろうとすると、なんだかaudio装置のレビューみたいになっちゃうんだよなあ(^o^A;ものすごく好きな演奏かと問われても即答し難いんですが、これといった欠点も指摘できないんだよね。オーケストラは結構上手い。2014年までにチャイコフスキーの三大バレエの全曲録音を行う予定とか。

組曲版とか抜粋ではいかがですか?(^^*

これまで、折にふれて取りあげてなかったか? えーと・・・いま探してみたら、monologueの2007.02.08 thursと2008.08.30 satにある。いまでも好きなのは、そこらへんで取りあげたムーティ盤と若杉盤だな。ちょっと古いところでモントゥー、それに「白鳥の湖」の抜粋でデゾルミエール盤といったところかな・・・




2012.12.02 sun

怪奇小説、怪談の類が大好きなHoffmannですから、当然「東海道四谷怪談」にも関心があります。



右は新潮社の「新潮日本古典集成」版。傍注の現代語訳が赤文字で印刷されているのが、なんだか教科書か参考書みたいでヤな感じですが、読みやすさを優先すれば仕方のない措置か。左は高田衛の「お岩と伊右衛門 『四谷怪談』の深層」(洋泉社)。「四谷怪談」そのものについて知るのならこれで充分。

ところが、最近また2冊ほど読みまして、これがいずれも新書本でコンパクトにまとめられたものながら、なかなか面白く、参考になりました。




左が廣末保の「四谷怪談―悪意と笑い―」(岩波新書)、右は小林恭二の「新釈四谷怪談」(集英社新書)。いずれも、江戸末期という時代背景に生まれた「東海道四谷怪談」について論じています。小林恭二は先行する前者―廣末保の本を読んでいて、廣末保は江戸末期を幕藩体制が崩れて既成の秩序が崩壊してゆく時代ととらえ、自分は近代の黎明期と考えた、と述べていますが、これはいずれにしても同じこと。例えば世紀末のデカダンスなんて頽廃・爛熟・・・と、天文学でいえば「超新星」期ですよ。終末に至って爆発したら、新たななにかが生まれるもんです。

Hoffmannさん、日曜日は週末じゃありませんよっヾ( ̄∇ ̄*




2012.12.01 sat



フィッツ=ジェイムズ・オブライエンの短篇集「金剛石のレンズ」大瀧啓裕訳の創元推理文庫版です。

職場で若いモンつかまえて「金剛石ってナーンダ?」とやったら、わからないとの返答の方が多かった。いや、年寄りでもわからんやつはいるかもしれんが、この文庫本の表紙に“The Diamond Lens and Other Stories”とあるとおり、金剛石とはダイヤモンドのこと。尾崎紅葉の「金色夜叉」にも金満家の富山が正月のカルタ会にダイヤの指輪をはめてきて、居合わせた三十余人が口々に「金剛石!」「まァ金剛石よ!」「見給へ、金剛石」というシーンがあるでしょ、そこでは「金剛石」に「ダイヤモンド」とルビが振ってある。ちなみに「金色夜叉」に出てくるダイヤの指輪は300円也。

「ヨハネ黙示録」のなかに、神の神殿の、その石垣の基はさまざまな宝石で飾られて云々・・・って箇所があるんですが、サファイアだのトパーズだのと名前が並んでいて、しかしダイヤモンドなんか出てこない。そりゃそうだ、当時は硬すぎて磨く技術がなかったんだから、扱いにくいばかりで、珍重されることもなかったわけですな。

本についてはなにもおっしゃらないんですか〜(^o^;

そういえば、今日はおかんの誕生日なんだよ

それはそれは、おめでとうございます・・・って、なにが「そういえば」なのかはわかりませんけど(^^;なにか贈りものはなさいましたか?

とりあえずさっき、電話しといた♪

師走のこころは・・・ヾ( ̄∇ ̄*