006 ドビュッシー 歌劇「アッシャー家の崩壊」




  ドビュッシーの唯一のオペラ作品が「ペレアスとメリザンド」です。この、フランスオペラのみならず西欧のオペラ史上の名作を完成させた後、かなりの期間作曲を続けていたにもかかわらず、ついに完成されなかったのが「アッシャー家の崩壊」です。もちろん、エドガー・アラン・ポオの原作に基づく作品で、台本はドビュッシー自身が執筆、しかし音楽は十数ページの未完のフラグメントが残されたのみ。これを、1979年にドビュッシーの残した断片から補作・完成させたのが、チリのサンチャゴ出身で西ドイツで活躍していた作曲家ファン・アジェンデ-ブリンJuan Allende-Blinでした。さらに、2006年にはロバート・オーリッジRobert Orledgeが補筆版を出版しています。


Claude Achille Debussy

 ポオの「アッシャー家の崩壊」がフランスに紹介されたのは、1857年に出版されたボードレールによる翻訳書「続・異常な物語」においてです。ドビュッシーがこれをいつ読んだのかは明らかではありませんが、20歳代はじめの1880年頃からボードレールやポオを愛読していたようです。

 研究によれば、「牧神の午後への前奏曲」を作曲する3年前、28歳の1890年には「アッシャー家の崩壊」に基づく主題を心理学的に展開した交響曲を作曲しようとしていたらしいのです。ひょっとすると、1893年の弦楽四重奏曲がその名残かもしれないのは、現存する「アッシャー家」のテーマがこの作品の循環主題に似ているから。

 じっさいにとりかかったのは1908年、46歳の時で、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場と契約書を交わし、「アッシャー家の崩壊」と「鐘楼の悪魔」が完成した暁にはメトロポリタン歌劇場で同時に上演することに同意しています。この時期の書簡には、しばしば「アッシャー家」「ポオ」「ロデリック」という名前が出現しており、かなり作品の世界に入り込んでいた模様です。

 一幕二場からなる台本が完成したのは1916年9月、54歳の時。ここまでに3通りの台本を書いて、これが決定稿だったようです。ポオの原作はロデリックの友人による一人称形式で、会話が少なく、ほとんどがモノローグ。そこでドビュッシーは対話を増やすべく、原作ではほとんど登場しない「医者」にスポットを当て、医者と友人とロデリックの対話を中心にします。さらに、原作ではロデリックが歌うことになっている「亡霊の宮殿」をマデライン嬢に歌わせています。また原作ではロデリックとマデライン嬢は生き写しの双生児兄妹であったところ、ドビュッシーはロデリックを35歳、マデライン嬢を「ひじょうに若い」としています。また、マデライン嬢を生きながら埋葬するのは、原作ではロデリックであったところ、マデライン嬢を愛する医者が兄妹の愛に嫉妬して行ったことにされています。

 うーん、いろいろな意味で、ドビュッシーはちょっとポオの原作を読み違えているようにも感じられますね。個人的に気になる点は―

 ロデリックとマデライン嬢の異常な愛は生き写しとされる双生児でこそ活きるもの。ドッペルゲンガー的な読みも可能になりますからね。

 そう考えれば、マデライン嬢を生き埋めのするのがマデライン嬢に横恋慕する医者ではいけません。これはロデリックの役割です。

 それに第三者である医者に、ロデリックのことを「あれは気違いなのですよ」「自分の妹を愛してしまうとは」なんて証言させては、これは完全に台無し。原作ではあくまでロデリックの(狂気じみた)主観の世界で語られるのです。もちろん、語り手である友人はロデリックの狂気の世界に入り込んでしまっており、だからこそ読者もその世界に入り込んでしまって、この異常な物語を体験できるのです。

 台本の歌詞を見ても、「君が夢中で愛した人は君が愛してはいけない人だった」「流れているのは、禁じられた愛の血だ」とある―。たしかに原作でもロデリックとマデライン嬢の近親相姦的な愛がほのめかされてはいるものの、それはあくまでほのめかし―こうまであからさまにしてしまってはいけません。

 ―などといったあたりは、少なくとも、ポオの意図するところとは相容れないものと思われます。ただし、急いで付け加えますが、ロデリックの独白部分―とくに壁石に語りかけるところは、原作にはないものの、原作以上にポオらしいatmosphereを醸し出す、なかなか迫力あるシーンです。

 なお、ファン・アジェンデ-ブリンによる補筆完成版はエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団により演奏会形式で初演され、当時NHK-FMで放送されたので聴かれた方もあろうかと思います。歌手はカナダのブルーノ・ラプラントなどが出演していました。演奏会形式だったのは、初演権がメトロポリタン歌劇場にあったためでしょう。

 その後、レコード録音されたのがこちら―

1 George Pretre指揮 Orchestre Philharmonique de Monte-Carlo
  Christene Barbaux、Francois Le Roux、Pierre-Yves le Maigat、Jean-Philippe Lafont
  13-16 juin 1983 a la salle Garnier,Monte-Carlo
   Andre Caplet:Conte fantastique after Edgar Allan Poe's ”Masque of the Red Death”
   Florent Scnitt:Etude pour ”Le Palais Haute”d'Edgar Allan Poe,Op.49s
  Pathe Marconi EMI 173160 1 PM375 (1LP) DMM盤


 ファン・アジェンデ-ブリンによる補筆完成版。ジョルジュ・プレートルの指揮で、アンドレ・カプレの「ポーの『赤死病の仮面』によるハープと弦楽四重奏のための『幻想的な物語』」と、フローラン・シュミットの練習曲「幽霊屋敷」を併録したPoe尽くしの1枚。演奏はまずまず。ほかに比較するものがあまりないので確実なことは言えませんが、歌手も含めて鑑賞には十分なレベルでしょう。


2 Lawrence Foster指揮 Wiener Symphoniker
  Scott Hendricks、Nicholas Cavallier、John Graham-Hall、Katia Pellegrino
  Bregenzer Festspiele 2006
  Capriccio 93517(1DVD)


 ロバート・オーリッジ補筆完成版。2006年のブレゲンツ音楽祭における上演のlive収録。バレエ入りの「牧神の午後への前奏曲」と「遊戯」に続けて「アッシャー家の崩壊」が上演されるという形式。「牧神」「遊戯」ではロデリック、友人、マデライン、医者及びロデリックの友人たち役のダンサーが舞う。このはじめの2曲は違和感ありあり。「遊戯」に登場するロデリックの友人たちって・・・ロデリックにこんなにたくさんの友人がいてはおかしいのでは?
 指揮は可もなく不可もなし。歌手はロデリック役のスコット・ヘンドリクスが腹の出たでっぷり体型で似合わない(笑)ドビュッシーはリブレットにロデリック・アッシャーは「いくぶんE・A・Poeに似ている。服装が乱れているにもかかわらず、服装に注意を払っていることが感じられる。高いところで結ばれているダーク・グリーンのネクタイ」と書いているんですが、もちろんPoeにも似ていないし、シャツの前をはだけてハラが出っ張っていては・・・ねえ(笑)

 


3 Christoph-Mathias Mueller指揮 Goettinger Symphonie Orchester
  William Dazeley、Eugene Villanueva、Virgil Hartinger、Lin Lin Fan
   Le Diable dans le Beffroi
   Eugene Villaanueva、Lin Lin Fan、Michael Dries、Virgil Hartinger、Kammerchor St.Jacobi Goettingen
  10et11 December 2013 Stadthalle Goettingen
  PAN CLASSICS PC 10342(2CD)


 ロバート・オーリッジ補筆完成版。「アッシャー家の崩壊」と「鐘楼の悪魔」のCD2枚組。上記映像付きの演奏と比べるとずいぶん異なった印象。指揮者も歌手もほとんど知らない人たちだが、「2」の静に比べて動、かなりaggressiveと聴こえます。「1」のファン・アジェンデ-ブリン補筆完成版の方が「ペレアスとメリザンド」との親近性を感じさせるような気がします。

(Hoffmann)