012 マーラー 大地の歌 その2 LP篇




 自分の整理のために、所有しているdiscをまとめておきます。今回はLP篇です。

 はじめに取りあげるのはこれ―

1 ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
  ミルドレッド・ミラー(メゾ・ソプラノ)、エルンスト・ヘフリガー(テノール)
  I、III、V 1960年4月25日、II、IV、VI 1960年4月18日
  プロデューサー:ジョン・マックルーア


 私はこの演奏が大好きなので、複数枚(組)持っています。
 
1-1 日CBS Sony SOCL1084 1LP stereo

  SX-74カッティングシステムを使用したことを示す〈SX-74 SOUND〉の表示あり。国内プレス。
  「NEWベストクラシック100選」の1枚。

1-2 日コロムビア OS-326 1LP stereo

  〈←STEREO ”360 SOUND”→〉の表示あり。国内プレス。
  「ワルター=マーラー特選集」の1枚。

1-3 日コロムビア OS-119~20 2LP stereo

  〈←STEREO→〉の表示あり。国内プレス。6eyes。
  「大地の歌」は3面使用。第4面にはミラー、コロムビア交響楽団との「さすらう若人の歌」を収録。

1-4 米Columbia Y30043 1LP stereo

1-5 米Columbia Y30043 1LP stereo

  「1-4」「1-5」は同じレコード、2枚ある。米プレス。
  Odyssey盤。

1-6 米Columbia MS6426 1LP stereo

1-7 米Columbia MS6426 1LP stereo

  「1-6」「1-7」は同じレコード、2枚ある。
  〈←STEREO ”360 SOUND”→〉の表示あり。2eyes。米プレス。

1-8 英CBS Sony SBRG72126 1LP stereo

  〈←STEREO→〉の表示あり。英プレス。

1-9 東独ETERNA 8 25 645 1LP stereo

1-10 蘭PHILIPS 835 572 AY 1LP stereo

1-11 蘭PHILIPS 835 572 AY 1LP stereo

  「1-10」「1-11」は同じレコード、2枚ある。
  レーベルに〈HI-FI STEREO〉表記あり。

1-12 蘭PHILIPS A01486L 1LP mono


 私の大好きなdiscです。ワルターの指揮は程良い枯れ具合で、この作品の気分にふさわしく、ヘフリガーのテノールも端正でたいへん好ましいものです。さらにミルドレッド・ミラーがすばらしい。かなり抑制気味の淡々とした表現ながら、内面的な表情が作品そのものから自然と浮かびあがってくるのですね。ここでのワルターのスタイルとはひじょうによく合っていると思います。


2 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  カスリーン・フェリアー、ユリウス・パツァーク
  1952年5月15、16、20日 ウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション録音


  あまり好きな演奏ではないんですが、それでも2枚(組)持っています。

2-1 英DECCA LXT.2721、LXT.2722 2LPバラ mono 3面使用

  第4面には「リュッケルトの詩による3つの歌」を収録。
  EQカーヴはDECCAffrr

2-1 仏DECCA LXT.5576 1LP mono

  フランスでの再販、1枚ものの第2版
  EQカーヴはRIAA


 「5」のクレンペラー盤と同様、歌い廻しや表情付けが東洋ふうの五音音階とは異質な印象です。さらに、ここでのフェリアーの歌唱はそれほどすぐれたものとも思えないし、パツァークに至っては声(量)もなく、表現も二流以下、ホントに酔っぱらっているんじゃないかという歌いぶりです。フェリアーについては好みの問題かもしれないと思いますが、パツァークなんてどこがいいのかさっぱり理解できません。いつかこの演奏の美点に開眼するのかなという期待もあるのですが、現在までのところ、このdiscにはほとんど魅力を感じられないでいます。音質もこの時期のDECCA録音らしく残響感のない、かなりドライなもので、全体にこもりがちなのが残念です。
 ただ、クレンペラーの場合も含めて、東洋ふうの五音音階というのは私たち日本人にはあまりにも馴染み深いので、よけいに「通俗」と感じてしまうのかもしれません。マーラーやその同時代人には、ことばどおりの意味で「異国趣味」と受けとられて、このような節回しになっているのは、それはそれで正しいのかもしれません。


3 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  カスリーン・フェリアー、ユリウス・パツァーク
  1952年5月17日 ウィーン、ムジークフェラインザールでのlive録音
  キングインターナショナル TALTLP-045/6(2LP)


 上記「2」の、15-16日のセッション録音翌日のlive録音。カップリングは同日のモーツアルト交響曲第40番。ライナーノートに、正気を疑いたくなるような常軌を逸した寝言が書き連ねられている。ダブルジャケットだが、二度と開きたくない。


4 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  ケルスティン・トルボルイ、チャールズ・クルマン
  1936年5月24日 live録音 mono
  東芝GR-2224 1LP
  トルボルイによる「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の第3曲「わたしはこの世に忘れられ」を併録


 これこそ奇蹟の演奏。あらゆる楽器の、むせかえるように濃厚な表情付けが絶妙で、諦念・厭世・告別の感情表現は他に類を見ないほどの切実さで胸に迫ってきます。とりわけ「告別」の楽章の”Die liebe Erde allueberall ・・・”の件、この静かな爆発ともいうべきクライマックスに至ると、大きな感動の波に浸されるのを抑えることができません。
  第4楽章なども、抑えすぎず、騒ぎすぎず、ひじょうにバランスがいい。そのあたりの設計も巧みで、でもことさらに「巧み」と感じさせないのがワルターらしいところ。思えばワルターはこの作品の初演指揮者ですから、これだけ早い時期に録音されていたのは、資料としても貴重で、ありがたいことです。音質もこの時期のものとしてはかなり上質です。


5 オットー・クレンペラー指揮 ウィーン交響楽団
  エルザ・カヴェルティ、アントン・デルモータ
  1951年5月20~23日 セッション録音

 これは2枚―

5-1 米VOX PL7000 1LP mono

5-2 日本コロムビア DXM-150-ST 1LP mono

  「永遠の名指揮者シリーズ/オットー・クレンペラー1」


6 オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
  クリスタ・ルートヴィヒ、フリッツ・ヴンダーリヒ
  II、IV 1964年2月19~22日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
  I、III、V 1964年11月7~8日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
  VI 1966年7月6~9日 アビー・ロード・スタジオ stereo


 これは3枚持っています。

6-1 英EMI SAN.179 1LP stereo

  英プレス
  〈ANGEL SERIES〉の表記あり

6-2 独Electrola 1c065-00065 1LP stereo

  独プレス
  〈ANGEL SERIES〉の表記あり

6-3 仏LA VOIX DE SON MAITRE CAN179 1LP stereo

  仏プレス 棒付きジャケット
  〈SERIE ANGEL〉の表記あり


 クレンペラーの代表盤でもあり、おそらく「大地の歌」のdiscの人気投票でもやったらこれが上位に選ばれるのは間違いない、一般的な評価の高いdiscですね。
 たしかに、表面上はさらりと流しているようで、その底流に深い内容を感じさせるクレンペラーらしい演奏です。無骨といえば無骨、軽やかな諧謔味も不器用な表現と聴こえるのですが、一切の感傷を廃した演奏はこれはこれで立派なものです。ヴンダーリヒは作品のあらゆる要素を表現し尽くした比類のない名唱、ルートヴィヒもいくつかある録音のなかで最高の出来でしょう。ただし、オーケストラ、ソロとも極めて高い水準の演奏であることを認めたうえで、個人的にはやや疑問もあります。なにも唐詩がテクストだからといってマーラーの音楽が西洋ふうではいかんというつもりはないのですが、東洋ふうの五音音階を多用しているマーラーの意図を思うと、これが十全に表現されているとは思えないのですね。各楽器のソロ、その歌わせ方などに、西洋人がキモノを着ているようなチグハグさが感じられるんですよ。

 なお、このレコードは完成までに紆余曲折あったことは有名ですね。1964年2月にルートヴィヒとII、IV楽章を録音した後、同年3月10日にプロデューサーのウォルター・レッグがフィルハーモニア管弦楽団の解散を発表、オーケストラは自主運営の道を選び、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団として11月にプロデューサーと録音技師を代えてヴンダーリヒとのI、III、V楽章を録音、翌1966年7月に会場をEMIのアビー・ロード・スタジオに代えてルートヴィヒとのIV楽章を録音して完成したものです。
 フィルハーモニア管弦楽団の解散は、ビートルズ・ブームのさなか、クラシックレコードの売り上げが低迷して、クラシックのスタッフが削減され、EMIにおけるレッグの発言力も低下、というより、上層部から年7万5千ポンドの印税を諦めるように命じられてレッグは退社したのですね。

 ちなみに、レッグは職を求めてザルツブルクにカラヤンを訪ねましたが、数日待たされたうえ職を得ることはできず・・・レッグは助手に次のようにこぼしたそうです。「世界中のすべての会社が僕を迎えに来ると思っていたんだが、そんなことは何ひとつ起こらなかった」と―。レッグほどの人でも、そんな幻想を抱いていたというのは、一度高い地位と発言力を得た人は、自分が置かれている状況を客観的に見定めることができなくなる、という例ですね。過去の業績というものはそれ自体が評価されることはあっても、現時点での「その人」を評価するための材料にはならないのです。

 参考文献
「レコード誕生物語」 「レコード芸術」編 ONTOMO MOOK 音楽之友社
 ※ 「レコード芸術」編の故か、記事内容は少々きれいごとに過ぎる傾向がある。
「クラシックレコードの百年史」 ノーマン・レブレヒト  猪上杉子訳 春秋社
 ※ 少々下世話な話に傾くが、野次馬的に読めば面白い。



7 エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
  ナン・メリマン、エルンスト・ヘフリガー
  1956年12月録音
  蘭PHILIPS A00410L、A00411L 2LP ダブルジャケット mono 蘭プレス 3面使用

  第4面にはメリマンによる「さすらう若人の歌」を収録。
  〈minigroove 33 1/3〉表記あり。


 戦前・戦中のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団といえば、ワルター同様マーラーに縁の深いウィレム・メンゲルベルクが長く首席指揮者を務めていましたね。従ってマーラー演奏に関しては伝統のあるオーケストラです。残念ながらメンゲルベルクの指揮によるマーラーの交響曲は第4番しか録音が残されていません。
 戦後、ナチス・ドイツへの協力により首席指揮者の地位を追われたメンゲルベルクの後任がこのベイヌムです。個性派(自己流?)の指揮者の後任がオーソドックスな音楽造りをするタイプであるというのもおもしろいですね。フィラデルフィア管弦楽団がストコフスキーの後任にオーマンディを迎えたのと似ている・・・かな?

 冒頭からオーケストラの落ち着いた渋い音色がとりわけ印象的です。どこかのスピーカーじゃありませんが、「いぶし銀のよう」なんて形容をしたくなりますね。しかも上手い。結果、酸いも甘いも噛み分けた大人の音楽になっています。客観的にも、耽美的にも、いずれに大きく傾くこともなく、とにかくバランスのいい演奏でありながら、つまらないとか退屈するとかいうことがない。メリマンとヘフリガーの歌唱も同様の表現で、これ見よがしにアピールポイントを主張することはありませんが、数ある「大地の歌」のdiscのなかでもきわめてすぐれた演奏として、これは声を大にして絶賛しておきたいですね。
 なお、中古shopでこのベイヌム盤のstereo盤を見かけることがありますが、あれは疑似stereoです。試しに入手して聴いてみましたが、あまり質の良くない、不自然な疑似stereoなので、おすすめできません。


8 ハンス・ロスバウト指揮 南西ドイツ放送交響楽団
  グレース・ホフマン、ヘルムート・メルヒェルト
  1957年、バーデン-バーデンでの録音。
  仏Club National du Disque C.N.D.804 1LP mono 仏プレス(おそらくPatheプレス)
  米VOX音源。stereo盤も存在するはず(おそらく米盤)。


 メルヒェルトは勢いにまかせるのではなく、ことばの意味を大切にした、ていねいな歌唱。ロスバウトは神経質の一歩手前で入念な表情付け。基本的にはイン・テンポ。木管のソロなどはなかなか堂に入って、ほどよく枯れた響き。マーラー演奏として決して場違いではなく、客観的でドライなようでいて、無常観、諦念など感じさせる演奏ですね。オーケストラの響きは豊麗ではなく、痩身、細身で筋肉質。やや鋭角的に聴こえるところも。ホフマンは豊かで深々とした声、終楽章ではロスバウトもダイナミクスの幅を大きくとってより大きな表情を付けているように感じます。録音もマイクに口が近すぎるようで、大口(ビッグ・マウス)になっているのが惜しい。オーケストラも若干マルチマイク臭さが感じられます。


9 アルトゥール・ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
  ケルスティン・トルボルイ、チャールズ・クルマン
  1944年11月19日のlive録音
  加BATON BATON1001 1LP mono 加プレス


 ワルターの1936年盤でケルスティン・トルボルイとチャールズ・クルマンの歌唱に耳を傾けると、これがまったく古びた印象がなく驚かされます。むしろ1952年盤のフェリアー、パツァークの方が古臭く聴こえるんですね。同じトルボルイとクルマンが歌っているもうひとつのdiscがアルトゥール・ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによるlive録音のレコードです。楽章ごとに拍手が入ります(第4楽章の後だけ拍手がない。すぐに第5楽章に入った?)。
 歌手は立派なものですが、ロジンスキーの指揮が一本調子です。オーケストラはいい響きを出しているものの、イン・テンポで一貫していて、まじめでクール、演出臭がないというより素っ気ない。とくに第6楽章の長丁場で楽想の変化を表現し切れていないように聴こえます。もっと多彩な表情を求めたいですね。そのためか、歌手の出来もワルター盤のほうがより上と聴こえるんですね。


10 フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
   モーリーン・フォレスター、リチャード・ルイス
   1959年 セッション録音


  3枚(組)持っています。

10-1 米RCA VICTOR LSC-6087 Box入り2LP stereo 3面使用
    RED SEAL  米プレス

  〈LIVING STEREO〉表示あり。
  〈a”New Orthophonic”High Fidelity Recording〉表示あり。
  第4面にはハイドン交響曲第88番を収録。

10-2 米RCA VICTOR LM-6087 Box入り2LP mono 3面使用
     RED SEAL  米プレス

  〈a”New Orthophonic”High Fidelity Recording〉表示あり。
  第4面にはハイドン交響曲第88番を収録。

10-3 日本ビクター SRA-2251 1LP stereo
     RED SEAL  国内プレス

  〈LIVING STEREO〉表示あり。
  レーベルに〈”STEREO-ORTHOPHONIC”HIGH-FIDELITY〉表示あり。
  「世紀の指揮者フリッツ・ライナーの名演集 第2巻」


  意外なほどシンフォニックに傾かないのは、若き日にオペラハウスの経験を積んだベテラン指揮者ならではでしょう。ライナー、シカゴ交響楽団というとオーケストラの機能性重視の、完璧なアンサンブルといった評価が一般的ですね。たしかにそうした一面はありますが、なんとかのひとつおぼえ的にまるでそれだけの演奏と決めつけているひとは、きっと「ローマの松」だの「展覧会の絵」だの「ツァラトゥストラはかく語りき」だのといった、内容のない音楽(失礼)ばかり聴いているんじゃないでしょうか。ここでの演奏はクレンペラーとは別な意味で、感傷を廃した骨太のロマンティスムと感じられます。細部における抑揚から聴き取れる呼吸は、マーラー演奏として決して場違いな印象はありません。歌手にフォレスターを得たのもこのdiscの大きな美点となっています。
 木管のソロなど、なかなか味わい深いんですが、欲を言えば金管がもう少し表情豊かであればと思います。録音もフォルテシモでわずかに音がつまり気味なのが残念。米プレスmono盤は、なかなかの音質で、monoなのにかえって奥行きを感じとれます。国内盤はややカッティングレベルが低いかも。

 なお、この国内盤の見開きジャケットに印刷してある解説、指揮者について書かれている文章を(よせばいいのに)読んでみたら、恐ろしく内容のないことが書き連ねてあって、5行もあれば充分なことをその40倍位の分量に引き延ばしてだらだらと・・・で、結局なんにも言っていないというシロモノでした。「思う」を「おもう」とするなど、漢字で書けばいいことばをやたら平仮名にするのは、往年の「進歩的文化人」を気取っていた人に特徴的な悪癖ですね。


11 ジョルジュ・セバスチャン指揮 フランス国立放送局管弦楽団(O.R.T.F.)
   リタ・ゴール、ケネス・マクドナルド
   1969年ブザンソン音楽祭におけるlive録音 strereo
   仏harmonia mundi LE CHANT DU MONDE LDX78 762/63 Box入り 2LP 2面使用 仏プレス
   INA Archives 


 他の収録曲は以下のとおり―
 Side3 マーラー「亡き子を偲ぶ歌」
 Side4 マーラー「さすらう若人の歌」
     ベルリオーズ 歌劇「トロイ人」からディドンの死
     ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から愛の死

 「大地の歌」以外はすべてmono録音。いずれもリタ・ゴール(Ms)による歌で、演奏は「亡き子を偲ぶ歌」のみデジレ=エミール・アンゲルブレシュト指揮O.R.T.F.、1959年録音、その他はピエール=ミシェル・ル・コント指揮フランスRTFリリック管弦楽団、1960年の録音です。つまり、リタ・ゴールに照準を合わせた企画盤。

 「大地の歌」のオーケストラは健闘、ちょっとしたソロなど、マーラー演奏として場違いでない、なかなかいい味わいがありますが、指揮はやや勢いで聴かせる印象です。第4楽章などはあまり工夫もなくて、「告別」などは微細なニュアンスに欠けるうらみがあります。ケネス・マクドナルドも同様に勢いで押しまくるといった歌唱、やや一本調子ですが、破綻なく歌いきっており、その点live録音としては立派。リタ・ゴールはやはり旧世代の歌手と言うべきでしょうか(1926年生)。やや温度感の低い個性的な声はなかなか美しく、貫禄は相当なものなんですが、どうも堂々としすぎていて、テクストの内容が他人事のように聴こえます。時に咆哮に近いと感じてしまうのは、こちらが現代の歌手(の歌唱)に毒されているため?(笑)決して悪くはないんですが、もう少し細やかな表現を望みたいところです。


12 レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ディートリヒ・フィッシャー-ディースカウ、ジェイムズ・キング
   1966年のセッション録音 stereo


 これは2枚持っています。

12-1 独DECCA SET331 (1LP)
    独プレス。

  〈Teldec-Telefunken-DECCA〉の表記あり。

12-2 米LONDON OS26005 (1LP)
    英プレス。


 偶数楽章をアルトでなくバリトンが歌ったDECCA録音です。私はF-ディースカウが嫌いなんですが、それを別としても、やはりバリトンには抵抗を感じます。良くも悪くもバーンスタインらしい没入感があまり感じられず、第1楽章の冒頭など、テンポも速めでせわしない。キングも熱唱というよりは精一杯という感じです。上記のとおり2枚手許にありますが、あまり聴きたくないレコードです。


13 レナード・バーンスタイン指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、ルネ・コロ
   1972年5月17、18、20日 テルアヴィヴのフレデリックマン・オーディトリウム stereo
   プロデューサーはジョン・マックルーア
   日CBS Sony SOCO80 (1LP)


 バーンスタインの再録音。SQエンコードされているためか、位相が乱れて音像ボケ気味なのが残念(これはCDでも同様)。オーケストラは超一流とはいかないんですが、いかにもマーラーらしい響きは「11」のウィーン・フィルよりいいですね。若い頃からマーラーとなると世の苦難を一身に背負ったような没入型の演奏をするバーンスタインですが、ここでもとりわけ「告別」の楽章における感情移入ぶりはこの指揮者ならではのもの。“Die liebe Erde allueberall ・・・”の件ではバーンスタインの”歌”も聴こえます。ルートヴィヒのソロも深い内容を感じさせ、あえて言えばコロはまだまだ若く、ルートヴィヒにくらべれば表面的な印象もあります。それでもその若さがまんざら短所とばかりなっているわけではなく、むしろこの作品には似合っていると受け入れることもできます。映像付きのDVDも出ています。
 ちなみにこの国内盤の解説、おそろしく無内容なことがよくもまあ、長々と書いてあること・・・。


14 オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
   ナン・メリマン、エルンスト・ヘフリガー
   1963年のセッション録音。stereo
   DG 138 865 SLPM (1LP)
   独プレスLP ジャケットはフランス語だが中身は独盤(DGではわりあいよくあるパターンです)


 ヨッフムはまずまず長生きして、その風貌からも、いかにもドイツの巨匠的な指揮者といったイメージを抱きがちですが、じつは若い頃から晩年まで、結構モダンな感覚の持ち主ですね。ここでもヨッフムの棒はオーケストラから洗練された響きを引き出して、なかなか切れ味のいい演奏になっています。ただ、それだけに陰影に乏しい。なんだかあっという間に聴き終わってしまい、あとになにも残らない。決して彫りの浅い演奏ではないんですが、妙に楽天的。折り目正しい楷書体。歌手は悪くないのにオーケストラはテクストに無関心といった印象です。よって、曲想はソロのふたりの表現にかかっているんですが、どうも「安定」の一語に尽きる印象です。


15 ベルナルド・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
   ジャネット・ベイカー、ジェイムズ・キング
   1975年9月のセッション録音。stereo
   蘭PHILIPS 6500 831 (1LP)
   蘭プレス


 ハイティンクといえばオペラでもシンフォニックに演奏してしまう傾向がありますね。ここでも機能的に申し分のないオーケストラがよく鳴って、ていねいな表情付けがそれでも自然体と聴こえるあたり、ハイティンクらしいところ。あまり歌手のことなんて気にかけていないような指揮でありながら、自然体だから歌手も歌いやすそうです。すべてにおいてバランスがいいんですが、そこが物足りなくもある。響きが明るすぎて、上のヨッフム盤にくらべても陰影に富んでいるとは言い難い。ベイカーは客観的で知的な歌唱。だれの歌というわけではないんですが、あざとい感じがしたら、それはもう「知的」とは言えないのです。キングはバーンスタイン、ウィーン・フィル盤よりも余裕。録音は細かい音も鮮明でありながら豊かな音場感で聴かせる、PHILIPSならではのもの。


16 マルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   ブリギッテ・ファスベンダー、フランシスコ・アライサ
   1984年のセッション録音。stereo
   DG 413 459-1 (1LP)
   独プレス


 ジュリーニは一見楽譜に忠実なようでいて、じつは細部がすべて自己流、という指揮者だと思っています。その結果、響きの線は明瞭でありながら、ふくらみがあってやわらかめ。カラヤンのように流線型でボケボケではないんですが、このふくらみが音楽のスケールを大きくしているようなところがあります。それはとくにDG時代の録音に顕著なんですが、ここではその響きのふくらみも控えめ。その分、思ったよりもテクスチュアが室内楽的に明瞭になっています。すべての音に対して真面目に気を配っていて、どことなく表現がフラットと感じられます(とくに第3~5楽章)。つまり、コントラストが弱くて、マーラーの諧謔味も深刻な内面への沈潜も等しく同じ観点からとらえられ、音にされていると感じられる。極めて精緻な演奏でありながら、物足りないと感じるのはそのあたりに原因がありそうです。
 そのあおりを食って、まるで器楽の交響曲に歌手が迷い込んでしまったような窮屈さ。なので、歌手はちょっと損。録音もオーケストラの中に引っ込みがちです。アライサは力強くもなく、若々しくもなく、可も不可もなし。ファスベンダーはどうにも品格に欠けた歌唱ですね。もっともこれは私の先入観かもしれない。ファスベンダーというと、映像で観た「薔薇の騎士」のオクタヴィアン役や「こうもり」のオルロフスキー役の、とうてい貴族などとは思えない、チンピラじみた下品きわまりない演技を思い出してしまうんですよ。



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 LPは以上。もしも新たに入手したものがあれば追記します。


 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。
 stereo盤は1970年以前のプレスはカートリッジortofon SPU GE、Thorens MCH-IIで、1970年以降のプレスはortofon、そのほか、高域上がりのバランスと感じたものにはSHELTER MODEL501 Classicを使い、スピーカーはTANNOYのMonitor Gold10"入りCornettaで聴きました。
 mono盤再生時のカートリッジは、古いmono盤にはortofon CG 25 Dを使い、stereo時代の再発mono盤にはMC Cadenza MonoまたはSHELTERのmonoカートリッジを使いました。プレス時期が微妙な場合等、レコードによっては溝を目視で確認して判断して、よく分からない場合にortofon SPU Mono G MkIIを使ったものもあります。スピーカーはSiemensのCoaxial、いわゆる「鉄仮面」をチャンネルあたり2基の後面開放型Sachsen 202で聴いています。なお、私はmono盤でもスピーカーは2本で聴きます。
 また、EQカーヴはRIAAで疑問を感じたものは適宜ほかのカーヴを試し、結果はなるべく記載しておきました。



(Hoffmann)