013 マーラー 大地の歌 その3 CD篇




  所有している「大地の歌」のdisc、今回はCD篇です。

 これよりCD及びSACDです。

17 ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
   ミルドレッド・ミラー(メゾ・ソプラノ)、エルンスト・ヘフリガー(テノール)
   I、III、V 1960年4月25日、II、IV、VI 1960年4月18日 stereo
   プロデューサー:ジョン・マックルーア

 2枚ある―

17-1 日CBS/SONY 35DC 115(CD)

17-2 GRAND SLAM GS-2069(CD)


 「1」と同じ演奏。「17-1」は初期のCD。「17-2」は平林直哉による、CBS Sony(Japan)のSONT 12095、19センチ、4トラックtapeからの復刻盤。このふたつがあれば、この演奏のCDは十分。以後出ているリマスター盤は音が変わりすぎており、かなり操作されていると思われます。


18 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   カスリーン・フェリアー、ユリウス・パツァーク
   1952年5月15、16、20日 ウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション録音 mono
   独DECCA 414 194-2(CD)


 「2」と同じ。


19 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ケルスティン・トルボルイ、チャールズ・クルマン
   1936年5月24日 live録音 mono
   米Music & Arts CD.749(CD)


 「4」と同じ。リュッケルト歌曲から2曲、交響曲第5番の第4楽章、ワルターのマーラーについての語りなどが併録されています。(詳細省略)


20 ブルーノ・ワルター指揮 フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ
   エレナ・ニコライディ、セット・スヴァンホルム
   1953年2月22日 ニューヨークでのlive録音 mono
   米Music & Arts CD.749(CD) このCDは日本のKing Record製造。KICC2075と同じと思われる。


 オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニックと思われる。わりあい鮮明な録音。ただし終楽章の途中で音質ががらりと変わる箇所があります。また、高域をかなり持ち上げているので、トーンコントロールで少し下げたいですね。スヴァンホルムは旧世代の歌手らしく力業。また衰えかやや乱暴に聴こえるんですが、これだけ声を出してくれるとオーケストラのコントロールもしやすそう。よく言えば堂々として、パツァークよりはまし。ニコライディも悪くはないんですが、無難というレベル。


21 ブルーノ・ワルター指揮 フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ
   モーリーン・フォレスター、リチャード・ルイス
   1960年4月16日 live録音 mono
   米Curtain call CD-206(CD) このCDは日本のDENON製造。


 これもオーケストラはニューヨーク・フィルハーモニックと思われます。若干ノイジーだが音質はまずまず、高域の強調感もありません。フォレスターとルイスは上記ニコライディとスヴァンホルムよりもいいですね。


22 ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
   カスリーン・フェリアー、セット・スヴァンホルム
   1948年1月18日、カーネギー・ホールにおけるlive録音 mono


 これは3枚ある―

22-1 NAXOS 8.110029(CD) mono
    CDケースに記載された録音年月日は1948年1月8日だが、1948年1月18日との訂正紙片入り。
    ”This sound on this recording has been restored using the CEDAR System”との表記あり。


 音質悪く、歌手の声も歪みがち。途中からいくらかよくなるものの、全体にこもりがちで鼻つまんだよう、空気感がまるでない、薄っぺらな音。それでいて高域過剰でカンカンと耳について聴くに耐えないレベルです。スヴァンホルムは力業で咆哮気味。フェリアーは相変わらずドイツ語がおかしく、第4楽章や第6楽章など、これは「下手」と言うべきじゃないでしょうか。ワルターのdiscはほかにも何点かある以上、あえてこのdiscの出来を云々することもないと思っています。(放出候補!)


22-2 SOMM Recordings ARIADNE 5007(CD) mono
    CDの表題は”Kathleen Ferrier in New York”


 ワルターのインタビュー、フェリアーのバッハ3曲を併録。(詳細省略)
 こちらの方がはるかに音質良好。おかげでスヴァンホルムもフェリーもいくらか良くなったように聴こえます。若干高域上昇気味ですが、強調感は感じられず、素のままの、まともな音、という印象です。


22-3 日King International Epitagraph EPITA 027/8(3CD) mono

 CD3枚組。「大地の歌」はDISC3。DISC1は交響曲第1番、1950年2月12日カーネギー・ホールlive、DISC2は交響曲第2番、マリア・シュターダー、モーリーン・フォレスター、ウェストミンスター合唱団、1957年2月17日カーネギー・ホールlive。

 音質では3点中ベストでしょうか。monoながら立体感さえ感じられます。アンプをmonoモードにすると少し落ち着くところをみると、これは疑似stereoではないものの、左右チャンネルに逆相成分を入れて若干のエコーを付加しているのかもしれません。響きは明るめで強調感がなくもないのですが、これを聴いて「鮮明」と感じる人は多いでしょう。


23 オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、フリッツ・ヴンダーリヒ
   II、IV 1964年2月19~22日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
   I、III、V 1964年11月7~8日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
   VI 1966年7月6~9日 アビー・ロード・スタジオ stereo
   英EMI CLASSICS CDC 7 47231 2(CD)


 「6」と同じ。


24 オットー・クレンペラー指揮 ハンガリー放送交響楽団
   ユーディト・シャーンドル、エンドレ・レスラー
   1948年11月2日 ラジオ・ホールでのlive録音 mono
   MEMORIES MR2521/2523(3CD)


 CD3枚組。MR2523が「大地の歌」。余白に「さすらう若人の歌」、ヘルマン・シェイのバリトン、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1947年12月4日live。MR2521はatereo録音で交響曲第2番、バイエルン放送交響楽団、同合唱団、ヘザー・ハーパー、ジャネット・ベイカー、1965年1月29日ヘラクレスザールlive。MR2522は交響曲第4番、エリーザベト・リンダーマイヤー、バイエルン放送交響楽団、1956年11月19日ヘラクレスザールliveと、「子供の死の歌」カスリーン・フェリアー、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1951年7月12日live。

 独語歌唱。晩年の録音とは異なって早めのテンポ。オーケストラは技術的にはほどほどながらいい音を出しています。レスラーはかなり力が入って不安定。第1楽章の終わりは情けない声を出して、第5楽章はあくびのように聴こえます。シャーンドルはソプラノでしょうか。やや軽いので彫りが浅く聴こえるものの、これはこれで悪くありません。


25 エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
  ナン・メリマン、エルンスト・ヘフリガー
  1956年12月録音 mono
  独PHILIPS 462 068-2(CD)
  メリマンによる「さすらう若人の歌」を収録。


 「7」と同じ。


26 レナード・バーンスタイン指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、ルネ・コロ
   1972年5月17、18、20日 テルアヴィヴのフレデリックマン・オーディトリウム stereo
   プロデューサーはジョン・マックルーア


 これも2枚―

26-1 蘭CBS MASTERWORKS MK 42201(CD)

26-2 EU SONY CLASSICAL 88697806222(CD)
    〈DSD(Direct Stream Digital)〉の表記あり。


 「13」と同じ。「26-1」は比較的初期のCD。LPにおけるSQエンコードの「ゴッチャリ感」は、CDになっても変わらず。

27 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
   ディートリヒ・フィッシャー-ディースカウ、ジェス・トーマス
   1967年3月18日 ニューヨークのフィルハーモニック・ホールでのlive録音 stereo
   MEMORIES MR2616(CD)


 若干の音ゆれ、こもりはあるものの、比較的良好な音質。ジェス・トーマスはキングよりいいですね。F-ディースカウは相変わらずオカマの自己陶酔と聴こえるんですが、DECCA正規録音よりはまし。


28 カール・シューリヒト指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
   ケルスティン・トルボルイ、カル・マルティン・エーマン
   1939年10月5日 アムステルダムにおけるlive録音 mono
   archiphon (CD)


 このdiscは終楽章演奏中(長い間奏の直後)に、聴衆のなかから女性の声で”Deutscheland ueber alles, Herr Schuricht !”という声が聞こえる録音。これはナチス支持者がユダヤ人の音楽を演奏するドイツの指揮者に対して抗議したものか、あるいは反ナチスの立場で抗議を込めて指揮者に皮肉をとばしたものなのか不明ながら、ある意味、異様な「時代の証言」となった記録として有名な録音です。

 戦後のシューリヒトは前につんのめるような性急ともとれるテンポと禁欲的なまでに引き締まった響きが特徴的ですが、ここではテンポもそれほど極端ではなく、意外なほど耽美的な表情を垣間見せる演奏で、オーケストラも上手い。時折弦のポルタメントが目立って、これがメンゲルベルクのオーケストラであることを思い出させます。歌手もそうしたスタイルに合わせてか、とくにエーマンは表現意欲旺盛な、振幅の大きい表情の変化が聴き取れます。そのエーマンも印象的ですが、やはりトルボルイは桁違いの名唱。音質は時代を考慮すればかなり良質なもの、ただし復刻もとのSP盤の傷みで、後半ノイズが目立つ箇所あり。


29 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団
   カスリーン・フェリアー、リチャード・ルイス
   1952年4月2日 マンチェスターでのlive録音 mono


 2枚あります―

29-1 MEMORIES MR2526/2529(4CD)
    〈note:The beginning of 1st movement is missing〉
    〈note:The beginning of 5th movement is missing〉の表記あり。


 CD4枚組。MR2529が「大地の歌」。MR2526はstereo録音で交響曲第4番、ヘザー・ハーパー、BBC交響楽団1967年1月3日live。MR2527は交響曲第5番、ヒューストン交響楽団のニューヨーク公演、1966年3月24日カーネギー・ホールでのlive。MR2528は交響曲第6番、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1966年1月13日live。

 表示どおり、第1楽章と第5楽章冒頭に欠落あり。ノイズ除去を施したのか、こもりがちで、少し高域を持ち上げたというバランスです。

29-2 Appian Publications & Recordings APR 5579(CD)
    録音年1952年とあり、月日は記載なし。
    録音会場はマンチェスター、ディーンズゲイトのミルトン・ホールと表記あり。
    〈This recording of Mahler's Das lied von der Erde is without the opening 7bars〉の表記あり。


 フェリアーが歌うブラームスの「アルト・ラプソディ」、エリク・トゥクセン(Erik Tuxen)指揮オスロ・フェルハーモニー管弦楽団、同男声合唱団による1949年の録音を併録。

 表記は第1楽章のみですが、第5楽章冒頭も欠落しています。録音は不安定でノイジーなんですが、さすがバルビローリ、ハレ管弦楽団も実力以上の出来。フェリアーはあまり好きではありませんが、この「告別」はときどき聴きたくなります。リチャード・ルイスも健闘しているんですが、なにしろ第1、第5楽章のアタマが切れているので・・・ルイスもいまごろふて腐れているかもしれませんな(笑)


30 ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団
   ディートリヒ・フィッシャー-ディースカウ、フリッツ・ヴンダーリヒ
   1964年4月2日 live録音(「29-1」の表記による) mono


 おそらく同一と思われるものが3枚あります―

30-1 MEMORIES MR2556/2559(4CD)

 1964年4月2日 live録音と表記あり。

30-2 丁ClassicOPTIONS CO 3515(CD)

 1964年4月録音と表記あり。
 第4楽章がtrack4とtrack5に2回収録されている(つまり全6楽章でtrack7まである)。

30-3 伊CIN CIN CCCD 1026(CD)

 1963年録音と表記あり。ただし上記Classic OPTIONS盤と演奏時間が同一。

 どうもピッチが高いような気がします。カイルベルトがバンベルク交響楽団を振ってセッション録音したレコードは現代のオーケストラとくらべると、どれもややピッチが低く感じられるのに対して、このdiscは妙にピッチが高いみたいで、どうも落ち着いて愉しめません。それでも聴いていて気が付くのは、オーケストラの音色が渋めで、技術的にはいま一歩ながら、情感豊かな演奏であること。ヴンダーリヒが熱唱、F-ディースカウは好みを別にしても、ここではあまり出来が良くないようです。


31 ハンス・シュミット-イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送(NDR)交響楽団
   ナン・メリマン、フリッツ・ヴンダーリヒ
   1964年(1965年?) live録音 mono


 これも2枚―

31-1 DISQUES REFRAIN DR-930064(CD)

 1964年4月のlive録音と表記あり。

31-2 Bella Voce BLV 107.011(CD)

 1965年4月4日 ハンブルクと表記あり。

 「29」のカイルベルト盤とほぼ同時期のドイツでの録音―というか、こちらも「いかにも」なレーベルから発売されたCDで、しかも2種のdiscをくらべると録音年の表記が異なるという点、カイルベルト盤と同じ。カイルベルト盤では演奏時間がすべての楽章でまったく同じなんですが、この2種は終楽章のみ同じで、ほかの楽章は微妙に異なります。

 DR盤 I 8'55''、II 9'09''、III 3'07''、IV 6'35''、V 4'09''、VI 28'06''
 BV盤 I 9'03''、II 9'02''、III 3'17''、IV 6'46''、V 4'12''、VI 28'06''

 まあ、この種のdiscであまり細かいことを詮索をしても仕方がありません。厳密に比較してみたわけではないんですが、どうも同一録音のようなので、同じものとして扱います。

 これもオーケストラの音色が渋くていいですね。表現にも派手さはないんですが、人肌の暖かさを感じさせるような息遣いのフレージングは、これはこれでたいへん魅力的です。ところどころ木管が張り出して聴こえるのは、録音のせいかどうか。ヴンダーリヒは熱唱、第1楽章はちょっとはらはらする場面もあるんですが、さすがに上手く切り抜けています。メリマンは、「告別」ではやや抑制気味とも聴こえるオーケストラをバックに、滋味あふれる歌を聴かせてくれます。


32 ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団
   モーリーン・フォレスター、リチャード・ルイス
   1967年4月21日 セヴェランス・ホールでのlive録音 stereo


 2枚あります―

32-1 MEMORIES MR2608(CD)

32-2 ATS ATS954-2(UHQCD)


 枯淡のワルターに対して意外とaggressive。歌手もふたりともよい。

 かなり以前、Living Stageから出ていた同一演奏のCD、録音年月日も同じ1967年4月21日でありながら、ベルリンにおけるlive録音と表記されていたが、いずれが正しきや不明(おそらくベルリンの表記は誤りと思われます)。


33 アルトゥール・ロジンスキー指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
   ケルスティン・トルボルイ、チャールズ・クルマン
   1944年11月19日 live録音 mono
   AS disc AS 528(CD)


 「9」と同じ。


34 ハンス・ロスバウト指揮 ケルン放送交響楽団
   グレース・ホフマン、エルンスト・ヘフリガー
   1955年 ケルンでのlive録音。 mono
   SWR CLASSIC SWR19099CD(8CD)


 CD8枚組。CD8が「大地の歌」。第1番(11-16.09.1961)、第4番(14.05.1959)、第6番(06.04.1961)、第7番(20.02.1957)、第9番(07.01.1954)は南西ドイツ放送交響楽団、第5番(22.10.1951、live)と「大地の歌」がケルン放送交響楽団。ケルン放送交響楽団のみlive録音。

 「8」とは別録音。楽章ごとに拍手が入る。歌手は2人ともにいい歌を聴かせ、オーケストラも上手いですね。


35 フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、リチャード・ルイス
   1958年2月20日 シカゴ live録音 mono
   ARCHIPEL ARPCD 0482(CD)


36 ロリン・マゼール指揮 ローマRAI交響楽団
   マルガ・ヘフゲン、ミシェル・セネシャル
   1959年3月7日 ローマ mono
   ARCHIPEL ARPCD 0527(CD)

 セネシャルは不安定、ヘフゲンもliveにしてもミスが目立ち、あえて聴く必要もないかと思います。


37 カルロス・クライバー指揮 ウィーン交響楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、ヴァルデマール・クメント
   1967年7月7日 ウィーン・コンツェルトハウス live録音 mono
   MEMORIES ME1065(CD)

 アナログ時代(つまりCD登場以前)にも海賊盤LPが出回っていましたが、それはもうヒドい音でした。それにくらべるとこのCDはかなり「まし」です。





38 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、ルドヴィク・スピース、ホルスト・ラウベンタール
   1970年12月15日 ベルリン live録音 stereo
   HUNT HUNTCD 739(CD)


 ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」第一幕への前奏曲、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団との1966年8月28日、ザルツブルクでのlive録音を併録。

 discにはクリスタ・ルートヴィヒ、ルドヴィク・シュピース、ホルスト・ラウベンタールの名前がクレジットされており、どうも第1楽章はシュピース、第3、5楽章はラウベンタールが歌っているみたいですね。カラヤンには1961年のウィーンでもワーグナーの「パルジファル」でクンドリー役を第1、3幕と第2幕で歌手を交代させた「前科」がありました(笑)こうしたアマチュアじみたアイデアを思いついて実行してしまうあたり、むしろほほえましいくらいなんですが・・・。

 カラヤンでなかったら、歌手も納得しないでしょう。また、クンドリーならばともかく、この「大地の歌」の場合、それなりの自負心のある歌手であったら出演を拒否するんじゃないでしょうか。つまり、なにが言いたいのかというと、シュピースもラウベンタールも言われるがままにするしかない二流の歌手だということ。じっさいに聴いてみても、どうということもない。第1楽章は脱俗詩人の磊落ぶりを、第3、5楽章はより若さを際立たせようとしての人選と思われますが、たいした効果もなく、シュピースは品格に欠けて、ラウベンタールも凡庸な歌唱。オーケストラは機能的には上手いものですが、カラヤンの指揮は外面を飾り立てるのみ。ルートヴィヒがひとりいい歌を聴かせてくれますが、クレンペラー盤やバーンスタイン盤での歌唱に及ぶものではありません。(放出候補!)


39 ルドルフ・ケンペ指揮 BBC交響楽団
  ジャネット・ベイカー、ルドヴィク・シュピース
  1975年10月8日 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール live録音 stereo
  BBC LEGENDS BBCL 4129-2(CD)


 ケンペはフレーズの末尾で粘ったりしないので、濃厚なロマン主義音楽といった印象ではありません。こうした音楽造りだと、指揮者によっては表現主義的になるんですが、むしろ古典主義的な構築性が強調されたように聴こえるあたり、ケンペらしいところです。オーケストラは上品で、そのため第4楽章のヤマ場はちょっと中途半端です。このあたり、いま一歩コントラストを強調してもよかったんじゃないでしょうか。オーケストラのソロがやや魅力に乏しいのも気になります。べつに下手というわけではじゃないんですが、音楽の大きなうねりに至らないような気がします。シュピースはクセのある声で、気品に欠けます。ベイカーは知性派の面目躍如・・・なんですが、後述するクーベリック盤ではやや抑制気味のところ、ここでは、とくにテンポの遅いところなど、耽美的になりすぎない一線を守りつつも、ずいぶん表情に変化を付けています。


40 ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 BBC北(ノーザン)交響楽団
   アルフレーダ・ホジソン、ジョン・ミッチンソン
   1972年4月28日 マンチェスターのHouldsworthホール live録音。
   BBC LEGENDS BBCL 4042-2(CD)


 やや遅めのテンポで、派手ではないのですが、響きは明るめ。ただしオーケストラは一流とは言えません。結構フレーズの各所で粘るので、濃厚な後期ロマン主義的な演奏かと思いきや、情緒的ではなく意外と客観的。逆に言うと、粘ったり間をとったりしているのも、どこか恣意的に感じられるということです。オーケストラの技術的な限界かもしれません。歌手ふたりは格別すぐれた歌唱でもありませんが、なかなかいい声を出していて、この作品にふさわしいといっていいでしょう。


41 ヘルベルト・ケーゲル指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
   ヴィエラ・ソウクポヴァー、ライナー・ゴールドベルク
   1977年4月 ライプツィヒ、コングレスハレ live録音 stereo
   WEITBLICK SSS052-2(CD)


 テンポやダイナミクスの振幅が大きい、意外なほど熱を込めた演奏です。それでも響きには独特のものがあって、どことなく表現主義的と言いたいようなクールな感触です。身振りは熱いのに響きはクール・・・というのも変ですが、結果的にチグハグ感があって、その身振りがどこか「本気」に聴こえないんですよ。どことなく、あえてオーケストラの特性を抑え込んだようにも聴こえます。ゴールドベルクは朗々と歌いはじめるものの、あれよあれよという間に息も絶え絶え。ほとんど裏返った声で第1楽章を締めくくり、第3、第5楽章は多少持ち直すものの、私はこれまで聴いたlive録音(及び放送)で、この人が安定した歌唱を聴かせてくれた例を知りません。ソウクポヴァーは表情豊かで、指揮者の表現に合わせた歌唱です。


42 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、トーマス・モーザー
   1983年4月7日 プラハ live録音
   Praga PR 254 052(CD)

 クリスタ・ルートヴィヒのシューマン「女の愛と人生」、ジェフリー・パーソンズのピアノ、1966年5月28日のlive録音(mono)を併録。

 チェコ出身でマーラー演奏をさかんに行った指揮者のひとりがヴァーツラフ・ノイマンですね。2度目の交響曲全集録音はついに完成されず、私ももその2度目の録音はひとつも聴いたことがないんですが、最初の全集は手許にあります(「大地の歌」含まれていません)。ノイマンのマーラーはひとことで言えば端正で客観的、クールな演奏で、よく言えば夾雑物のないストレートなさわやかさが印象的です・・・って、ひと言じゃないな(笑)もっともチェコ・フィルは、その知名度のわりには国際的な一流オーケストラとは言い難く、そのさわやかさも響きの薄さ故ともとれます。

 ここでの「大地の歌」の演奏も、ノイマンのアプローチと相俟って響きの彫りが浅く聴こえ、いささか物足りないのも事実です。モーザーは大人びた落ち着きがこれはこれで悪くはないのですが、もう少し若々しさがあってもいいですね。ルートヴィヒはノイマンの音楽造りとはやや異質です。フレーズがあっさりしているので、とまどいつつ先を歌い続けているみたいに聴こえます。極端な例になりますがもっと主情的なバーンスタインなどの方が、ルートヴィヒの歌唱とは相性がいいんじゃないでしょうか。


43 ヴァーツラフ・ ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
   ヴェエラ・ソウクポヴァー、ヴィレム・プジビル(と発音するのかな?)
   1971年5月20日 スメタナ・ホール プラハの春音楽祭におけるlive録音 stereo
   Cesky Rozhlas CR0438-2(CD)


 オーケストラは健闘していますが、響きが薄く、痩せて聴こえるのは録音のせいなのか、オーケストラの質故なのか。よく言えば室内楽的な響き、ただし室内楽的ということばからintimateなアンサンブルを期待するならそれは間違い。ノイマンらしい客観的でクールな演奏です。ブジビルはちょっと鼻にかかったような声。ソウクポヴァーはこのひとにしては禁欲的? 歌手も含めて、1983年のlive録音のdiscに対してとりわけ優位に立つというものでもないという印象です。

 ちなみにこのCDが発売されたとき、某shopのwebサイトには、「ライヴ特有の高揚感」「冒頭のテノールが鮮烈に響き聴き手を一気に引き込み、第6楽章『告別』ではソウクポヴァーの絶唱をサポートするノイマンの大熱演・・・」なんて書かれていましたが、抑制気味の歌唱を「絶唱」とは言えないし、「高揚感」とか「大熱演」なんて、この演奏からはまったく思い浮かばない形容です。live録音だからそう書いておけばいいと思ったんでしょうか。


44 ラファエル・クーベリック指揮 バイエンルン放送交響楽団
   ジャネット・ベイカー、ヴァルデマール・クメント
   1970年2月27日 ヘラクレスザール live録音 stereo
   audite audite95.491(CD)


 クーベリックはDGに交響曲全集を録音しているものの、「大地の歌」の正規録音はありませんでしたから、この記録は貴重ですね。クーベリックの音楽造りというのは、やはり旧世代の指揮者らしく、アクセルとギアを駆使して表情を付けながら、楽曲を進行させていくものです。とはいえ、おっとりゆったりではなく、時には野性味さえ感じさせる大胆さもあります。DGの交響曲全集は、クーベリックとしては時期がやや早すぎた感もあり、響きはふくらまず流れもやや硬い、またDGの録音がその傾向を助長していたようです。

 この「大地の歌」は、第1楽章から先に述べた「野性味」を感じる演奏です。どうもクーベリックというひとはlive録音の方が圧倒的に個性が発揮されるようですね。クメントは表情豊かに歌いはじめるものの、ところどころ苦しそう。その磊落ぶりはおもしろいんですが、情感豊かとはいかないのが残念です。ベイカーは逆に知的なコントロールが行き届いた歌唱で、一見淡々と歌っているようでありながら、作品の内面にまで充分踏み込んでいるのはさすがです。「告別」ではオーケストラがバックで豊かな情感を醸し出しており、それがここでは「異質」といった印象とはならず、むしろこうした歌手と指揮者の組み合わせがおもしろい効果を生んでいます。


45 ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ヒルデ・レッセル-マイダン、ヴァルデマール・クメント
   1959年8月30日 ザルツブルク音楽祭  Altes Festspielhaus live録音 mono
   ORFEO C 820 102 B(2CD)


 2枚組で1枚目には同日のプログラム、シューベルトの交響曲第4番を収録。

 クメントはさすがにこちらの方が若々しくていいですね。レッセル-マイダンは悪くはないんですが、終楽章ではやや平版、いま一歩の表現の幅が欲しいところ。この演奏、ウィーン・フィルの木管のソロなどの表情付けがかなり積極的。第2楽章や終楽章ではほとんどオーケストラによるレチタティーヴォみたいで、ちょっとあざといんじゃないかというくらい。いかにも東洋的でございますといったひなびた響きと息遣い。クーベリック1970年のバイエルン放送交響楽団とのdiscを聴くと、ここまで濃い表情付けはしていない。それじゃあウィーン・フィルのことだから、ルーツはブルーノ・ワルターかなと思ってワルターのDecca録音を聴けば、意外とあっさりめでやっぱり違う。この表情付けはオーケストラの奏者が勝手にやっているのか、それともクーベリックの指示によるものなのか・・・。ここまでやるとかえって陰影感も乏しくなり、底が浅く聴こえてしまうという例です。


46  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ブリギッテ・ファスベンダー、フランシスコ・アライサ
   1987年8月2日 ザルツブルク音楽祭 Grosses Festspielhaus live録音 stereo
   ORFEO C 654 152 B(2CD)


 2枚組で1枚目には同日のプログラム、モーツアルトの交響曲第40番を収録。

 ジュリーニのdiscでウィーン・フィルとの録音といえばDGのブラームスやブルックナーの交響曲がありましたが、上記「大地の歌」はベルリン・フィルを振っていながら、響きには共通するものがあって、そのあたりが、ジュリーニの流儀のあらわれなのでしょう。具体的に言うと、ベルリン・フィルにしては明るめかつ軟調の響きで温度感高め、悪く言うとベルリン・フィルにしてはコシが弱い。

 ところがこのウィーン・フィルとのlive盤は微妙に芯のある響きとなっていて、これは録音の違いか、あるいはやはりオーケストラとの相性がいいためなのでしょうか。演奏はまったく同じコンセプトによるものでありながら、liveならではの感興に富み、いつになく動的な演奏となっています。そのため、多少緊張と弛緩のコントラストが強まった印象で、マーラーの音楽のあらゆる要素が生き生きと展開されていますね。歌手もアライサはこちらのほうが生彩があります。


47 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   ブリギッテ・ファスベンダー、フランシスコ・アライサ
   1984年2月14-15日 フィルハーモニーザール live録音 stereo
   TESTAMENT JSBT 8465(1CD)


 こちらはベルリン・フィルとのlive録音。1984年2月のlive盤。DG盤と同時期ですね。歌手も同じくブリギッテ・ファスベンダー、フランシスコ・アライサ。しかしなんですな、TESTAMENTから発売されるlive音源のdisc、ジュリーニに関しては、セッション録音のdiscが出ていた作品ばかり。レパートリーが限られていた、というよりも、取りあげる作品はあくまで自ら納得できるものだけという、禁欲的なまでに己に厳しい指揮者だったんでしょうね。

 ジュリーニの場合、ウィーン・フィルだとややユルフンになりがちなところ、ベルリン・フィルの方がコシの強い響きになる傾向があって、歌手とオーケストラの録音バランスも、歌手が埋没気味のDG盤よりも良好。私はこちらの方が好きです。 ただしファスベンダーとアライサの歌唱はDG盤とさほど変わりません。


48  パウル・クレツキ指揮 ウィーン交響楽団
   オラリア・ドミンゲス、セット・スヴァンホルム
   1954年11月12日 ムジークフェライン live録音 mono
   ORFEO C 748 071 B(1CD)


 ドミンゲスとウィーン楽友協会合唱団とのブラームスの「アルト・ラプソディ」を併録。

 クレツキは1900年ポーランド生まれの指揮者、若くしてベルリンに留学したもののユダヤ系であるためナチス政権から逃れてイタリア、ソ連、スイスへと亡命を重ねたひと。たしかクレツキにはEMIの「大地の歌」の録音がありましたが、これは偶数楽章がバリトンで、私が嫌いなF-ディースカウが歌っているため、入手していません(聴いたこともない)。ここではアルト歌唱なので購入しました。





49  ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン交響楽団
   アンナ・レイノルズ、ジェス・トーマス
   1972年6月24日 ウィーン・コンツェルトハウス live録音 stereo
   ORFEO C 278 921 B(1CD)

 クリップスは好きな指揮者なんですが、ここではウィーン交響楽団がやや弱く、もたつく箇所も。ジェス・トーマスはいいとして、アンナ・レイノルズもところどころで不安定に。終楽章ではオーケストラも調子が出てきたのか、いい味わいで聴かせるんですが、肝心のレイノルズは声を延ばす箇所で精一杯という感じ、深い内容を感じさせるには至っていません。


50 アルミン・ジョルダン指揮 モンペリエ・ナショナル管弦楽団
   イリス・フェルミリオン、ドナルド・リタケル
   2002年2月1日 モンペリエ ベルリオーズ・オペラ座(?) live録音 stereo
   ACCORD 4761485(CD)


 ジョルダン父のdiscを聴いていつも感じるのは、「純情」さです。聴くものの耳を惹きつけようなどという作為は感じられず、明快であるにしても別に明快さを志向したわけでもなく、本当に作品をありのまま音にしているといった印象なんですね。それでいて即物的にならないところが純情と思えるんですよ。

 この「大地の歌」のdiscも、最初に聴いたときはさほど強い印象はなくて、何度か聴いていたらだんだん味が出てきました。オーケストラは超一流ではなく、その響きも重厚ではないものの音色は美しく、歌手もフェルミリオン、リタケルとも好演。ロマン主義的な憧憬は(抑制しているのではなく)やや控えめに表出されているかのようで、こうした演奏は聴く側が積極的に耳を傾けないと「素っ気ない」で終わっちゃいそうですね。ほかのdiscで聴かれる濃厚な感情移入もマーラーならではですが、これを聴くと感情に溺れるばかりがマーラーじゃないなと思えてきます。


51 クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   アグネス・バルツァ、クラウス・ケーニヒ
   1982年12月、1984年8月 アビー・ロード第1スタジオ stereo
   EMI CLASSICS 7 54603 2(CD)

 テンシュテットといえばカラヤン存命中のひところ、小澤征爾とともにベルリン・フィルの首席指揮者の後任候補として名前があがり、これがきっかけとなって、また同時にレコード録音もさかんに行われて、我が国でも知られるようになったのでしたね。私はテンシュテットの正規録音はほとんどすべて聴いており、またロンドン・フィルを率いての来日公演に接したこともありますが、必ずしも好きな指揮者とは言えません。カラヤンほどではないんですが、音楽がつねに横の流れを重視しているようで、重層的なおもしろさや発見がない。だからベートーヴェンやブラームスなどはさっぱりおもしろくないし、旋律線重視ですから、作品によっては響きそのものの魅力が感じとれないんですね。この傾向は正規録音でないlive録音となるとさらに顕著で、どうも弦楽器奏者出身の指揮者には、こうした傾向のひとが多いような気がするんですが・・・これは先入観・偏見でしょうか?

 ・・・ちょっとテンシュテットに厳しすぎましたね。それでも、マーラーを振ったときのテンシュテットは格別にすばらしい。私もこの指揮者によるマーラーは大好きです。とくに第3、5、6番あたりを聴こうというときには、テンシュテット盤に手が伸びてしまうことが多いんですよ。さて、この「大地の歌」は、比較的モノフォニックというか、対位法的な箇所でも縦の線の結びつきはゆるやかなので、テンシュテットの音楽造りには有利な作品だと思います。旋律やダイナミクスのうねりは音楽に深い内容を感じさせ、あたかも一音一音に感情を込めているかのような情緒的なオーケストラはしかし決してモノモノしくならず、なるほどテンシュテットらしいマーラーになっています。ここではとくに弦楽器群の健闘をたたえておきたいですね。ケーニヒもそのテンポによく合わせて熱唱していますが、歌手はバルツァも含めて、録音のせいかやや引っ込みがち。このため、テンシュテットの音楽がより印象強烈になるんですが、「大地の歌」では、歌手にもう少し手前にせり出して欲しいですね。バルツァは(ほかの歌手たちにくらべて)やや線が細いためか、歌のテクニックが際立ち(すぎて)、もっと自然に内面的な表現をして欲しいところです。まあ、バルツァはあまり好きではない歌手なので、割り引いて読んでもらってもかまいません。


52 ガリー・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団
   マリヤーナ・リポヴシェク、ベン・ヘプナー
   1991年11月16、17日 東京サントリーホール live録音 stereo
   EMI CLASSICS 09463 40238 2 5(11CD)  全集セット


 1983年、若杉弘が退いたあとのケルン放送交響楽団の首席指揮者に就任した際、なんでも「このオーケストラを10年でベルリン・フィル以上にする(追いつき、追い越す)」と豪語したとか。以前にも書きましたが、若杉ファンとしてはフクザツながら、たしかにこのオーケストラはベルティーニの棒の下で、その後目に見えてレヴェルアップしたんですね。

 マーラーに関しては交響曲全集があり、一部は東京でのlive録音、この「大地の歌」もそうですね。私ははこの指揮者とオーケストラの来日公演も複数回聴いているんですが、discで聴くのと同じく、とにかくしなやかで強靱、引き締まった響きで細部に至るまで無駄がなく、緊張感の張りつめた演奏です。先にクーベリックのところで、「旧世代の指揮者らしく、アクセルとギアを駆使して」なんて言いましたが、これは必ずしもテンポに関してだけの比喩ではありません、ハッスルしたり(笑)緩んだり・・・というたとえでもあると、言わずもがなのことを付け加えた上で、ベルティーニは正反対であると断言します。相当長大な作品でも、あたりまえのように緊張感が持続するのは驚きです。ひとによっては息苦しいとさえ感じるかもしれません。それだけに、各部での表情付けは入念で、つねに指揮者のコントロールを意識させます。その点ではマゼールとも似ているんですが、時に茫洋とするマゼールに対して、ベルティーニは引き締まって聴く側にも緊張を強いるようなところがありますね。響きもやや硬質。歌手はふたりともに安定した歌唱、その歌も録音面でテンシュテット盤よりもバランスは良く、演奏面でオーケストラとのポリフォニックなからみを意識させる点で稀有なdiscですね。


53 ガリー・ベルティーニ指揮 東京都交響楽団
   スーザン・プラッツ、ヨルマ・シルヴァスティ
   2003年11月29日 横浜みなとみらいホール live録音 stereo
   fontec FOCD9205(CD)


 1998年、これまた若杉弘のあとを襲って東京都交響楽団の音楽監督に就任したベルティーニによる再録音です。fontecからlive盤が何点か出ているようですが、私はこの「大地の歌」しか持っていません。

 基本的にはケルン放送交響楽団との演奏と同じ路線なんですが、いやはや、東京都交響楽団はびっくりするくらい上手いですね。知らずに聴いたら日本のオーケストラであると言い当てるひとはいないんじゃないでしょうか。しいて言えばとくにテンポの速いところで、細かなニュアンスが浅くなりがち。どうしても上品な方に傾くんですね。それでもベルティーニのトレーナーとしての才覚は(ケルンで実証済みとしても)驚くべきものでしたね。補助金を削ってベルティーニに辞任させた石原都知事の罪は深い。歌手は若手を起用して、とくにシルヴァスティが魅力的。プラッツは声は悪くないんですが、表面をなぞっているだけと聴こえ、いま一歩内面に踏み込んでいく表現を望みたいところです。


54 若杉弘指揮 東京都交響楽団
   伊原直子、田代誠
   1991年10月18日 東京サントリーホール live録音 stereeo
   fontec FOCD9030(CD)


 ケルンでも東京でも、ベルティーニに追いかけられた(笑)若杉弘の指揮によるdiscです。演奏は東京都交響楽団。このオーケストラは若杉弘の指揮でマーラー交響曲全集のほかにも、いくつかCDを録音しているんですが、録音年月の順を追って聴くと次第に実力を上げていく様子がよく分かります。この「大地の歌」でも、日本のオーケストラにはめずらしい、自発性―表現意欲をうかがわせる好演となっています。ただ、ベルティーニはさらにレヴェルアップさせましたね。まあ、若杉弘が下地を造っていた、としておきましょうか(笑)私は若杉ファンなので、やや複雑な心境なんですよ。

 若杉弘のマーラー演奏は、東京都交響楽団のほか在京のオーケストラ、あるいはケルン放送交響楽団との演奏で何度も聴いたことがありますが、いつでも音楽に内在するあらゆる要素の、どれもスポイルすることがない、細部まで神経の行き届いたものでしたね。それだけに、まとまりは悪くないのに、響きがもうひとつ洗練されないところもありました。さらに息の長いフレーズを巧みに歌わせながら要所要所で区切りをつけるあたりがオペラ指揮者らしく、またそれが音楽に内容を感じさせる要素のひとつとなっていました。

 この「大地の歌」に関しても同様の印象ですね。第4楽章や終楽章の長い間奏など、処理のうまさを感じさせる箇所には事欠かないんですが・・・続けて聴いたせいでどうしてもベルティーニ盤と比較してしまいます。やはりオーケストラの響きがやや細身で、どことなく柳腰のマーラーと聴こえるんですね。この演奏を人間に例えたら、「もっと肉を食べなさい」と言いたいタイプです(笑)声はやはり引っ込みがちで、とくに田代誠は録音のせいもあるかもしれませんが、全体の響きに埋没寸前です。伊原直子は豊かな声で深さも感じられるものの、vibratoをかけすぎてやや線(輪郭)が不明瞭になっています。


55 エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団
   ヤルド・ヴァン・ネス、ペーター・シュライアー
   1988年3月24、25日 フランクフルト・アルテ・オパー セッション録音 stereo
   DENON COCQ-84805→19(15CD) 全集セット


 インバル、フランクフルト放送交響楽団はマーラーのdiscで一躍有名になりましたが、それより以前にもPHILIPSにいくつかレコード録音があって、また西ドイツ放送局(ヘッセン放送協会かな?)の提供によるtapeがNHK-FMでもたびたび放送されており、一部では注目されていた指揮者ですね。私はこの指揮者とオーケストラの来日公演も聴いたことがあります。実演ではなかなか熱のこもった演奏だったんですが・・・。

 指揮者の性向はマーラー演奏にふさわしく、各所の表情付けは堂に入ったもの。言い換えれば一般的にマーラー演奏が期待されるとおりの演奏なんですが、現代的に洗練されているあたりがインバルらしいところ。ただ、どうもdiscだと脱脂されたようなさっぱり感が物足りなく、オーケストラの音色も魅力に欠けるんですね。ついでに、技術的な限界も見えてきてしまいます。もう少し響きに厚みが加わっていたら・・・まとまりのよさと、スケールの大きさが両立してくれれば、と。ソロも「意あって力足りず」の印象です。歌手はシュライアーが嫌らしいくらいあざとく、ドラマティックに歌唱を「演出」していて、声が汚い。このひとはPHILIPSに録音した「マタイ受難曲」あたりからこうした傾向が強まってきて、正直なところ聴くに耐えない歌唱です。ネスはスケールは大きくないものの、安定した歌唱で好感が持てますね。


56  エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団
   イリス・フェルミリオン、ロバート・ギャンビル
   2012年3月29、30日 東京サントリー・ホール live録音 stereo
   Octavia EXTON OVCL-00473(SACD Hybrid)


 東京都交響楽団は若杉弘、ガリー・ベルティーニに続いて同曲3度めの録音ですね。

 ギャンビルは粗いなあ。フォルテになると歌詞の内容がすっとんで、威勢のよさで誤魔化しているよう。オペラならまだしも、「大地の歌」ではいただけません。フェルミリオンは深い内容のあるいい歌唱を聴かせてくれます。インバルの指揮は以前の録音と同様に、どちらかといえば客観的に傾いていますが、表情の彫りは深くなって、その指揮にこたえるオーケストラも好調です。


57 ロリン・マゼール指揮 バイエルン放送交響楽団
   ヴァルトラウト・マイアー、ベン・ヘプナー
   1999年5月2~3日、2000年2月5~6日 ヘラクレスザール セッション録音 stereo
   BMG 74321 67957 2(CD)


 これもテンシュテット盤ほどではありませんが、録音の間隔があいてますね。おそらく歌手の都合でそれぞれが奇数楽章と偶数楽章を録音した日時なんでしょう。余談ながら、クレンペラー盤の昔から、二人の歌手が一度も顔を合わせないまま完了したレコーディングが少なくありません(この後も出てきます)。演奏の出来に影響がないというのなら、それはそれで欣快の至りではありますが、正直、なんだかなあとも思いますね。つい、live録音のdiscに手が伸びてしまうのも、そのあたりに理由があるのですよ。

 さて、マゼールがウィーン・フィルと交響曲全集を完成させた後、かなりの時を経てこのdiscが登場したんですね。ウィーン・フィルとのマーラー演奏は、マゼールの音楽造りに変化はなく、それでもオーケストラの特質を利用し、時には図らずも助けられ・・・といった印象でした。マゼールは、マーラーはいたってまともな人間であり、自分はその作品を純粋な音楽として演奏する、なんて発言をしていましたね。じっさい、マゼールは言ったとおりの演奏をしているようです。世のなかには、マーラーに関して、さんざん文学的・哲学的、あげくの果ては病理学的(?)なご意見を開陳して、なんのことはない、極めて凡庸な演奏しかしなかった、言行不一致も甚だしい指揮者もいますからね。マゼールはそうした「アタマでっかち」に対するアンチテーゼとして、上記のような発言をしたのではないかと思われます。

 この「大地の歌」でも、マゼールらしい入念な表情付けと、やや強引なオーケストラのドライブは健在です。「言行一致」の音楽造りによって明るめに響く音色は、それでもウィーン・フィルよりは渋め。マーラーを純粋に音楽として(のみ)演奏することの是非に関しては、あまり意見を言いたくありません。いや、そうした姿勢には疑問もあるんですが、作品そのものに内在する要素は、そう簡単に消失するものではありませんからね。しかしながら、ここではマゼールの、まるで棒が見えるような、入念かつ身振りの大きな表情付けが、ちょっとうるさいですね。そのおかげで、構えが大きいわりには音楽がせせこましくなってしまった印象です。オーケストラをコントロールして雄弁に語らせるという点は、ベルティーニとも共通する傾向なんですが、これは少々あざといくらいで・・・こういった、テクニックを披露するような演奏というものは、作品に対する共感とは異なる次元のもので、聴いているうちに煩わしくなってしまいます。そのあたりがテンシュテットやベルティーニとの違いですね。歌手は可も不可もなし。おそらくマイアーを悪く言うひとはいないだろうと推察されますが、「告別」の楽章など、表現のパレットは色彩が乏しく感じられます。


58 ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
   イリス・フェルミリオン、キース・ルイス
   1996年1月 ドレスデン、ルカ教会 セッション録音 stereo
   DG 453 437-2(CD)





59 ピエール・ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ヴィオレッタ・ウルマーナ、ミヒャエル・シャーデ
   1999年10月 ウィーン・ムジークフェライン セッション録音 stereo
   DG 469 526-2(CD)


 DGから出ているブーレーズのマーラーは、この「大地の歌」しか持っていません。

 私はかつての超辛口時代のブーレーズが結構好きですが、バイロイトに登場してのワーグナーもすばらしいと思っています。ところがDGに録音されたドビュッシーやストラヴィンスキーは、なんだか妙に物わかりのいいオトナになっちゃったみたいで、どうも好きになれません。このマーラーも期待はずれでした。良くも悪くもウィーン・フィルの音色はどこからも聴こえず、歌手も含めて(シャーデは若々しさがあって悪くないのですが)全体に軽量級といった印象で、中途半端なロマン主義の残滓を見るようです。後ろ向きのブーレーズ。聴き終えたあとになにも残らない、あっさり淡泊で、とくに知的でもない。しいてこの演奏の長所をあげれば、破綻のないバランスのよさ・・・でしょうか。それにしたってこぢんまりとまとまっちゃった、という印象です。


60  ミヒャエル・ギーレン指揮 SWR交響楽団
   ジ-クフリート・イェルザレム、コルネリア・カリッシュ
   1992年11月 バーデン・バーデンのハンス・ロスバウト・スタジオ(1、3、5楽章)
   2002年11月 フライブルクのコンツェルトハウス(2、4、6楽章) stereo
   haenssler CLASSIC CD 93.269(CD)


 明晰な音響、都会的な現代感覚ながら、冷たくなったり、表情付けがあざとさを感じさせたりしない、バランスのとれた好演です。上のブーレーズなどよりも辛口でいいですね。イェルザレムはこのひととしては上出来ながら、指揮者のスタイルとはやや異質。一方のカリッシュは指揮者のスタイルに合わせています・・・って、これ、録音時期が離れすぎていやしませんか。もっとも知らずに聴いていたらさほど違和感もなかったわけですけどね。そもそも全曲録音しようという意図があったのか、なんらかのトラブルで間が空いてしまったのか・・・。


61 ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団
   クラウス-フロリアン・ヴォイト、クリスチャン・ゲルハヘール
   2009年1月、13(live)、14(live)、15(studio) モントリオール
   2009年2月2月15日 ミュンヘン stereo
   SONY CLASSICAL 88697508212


 たしかこの指揮者は初来日時にこの作品を指揮したんじゃありませんでしたっけ?

 予想どおりというか、冒頭から濁りなく透明度の高い響き、とにかく明晰。後期ロマン主義を超えて、ほとんど次の時代―たとえば新ウィーン楽派とか―に近づいてしまったかのようです。醒めたアプローチと言えばたしかにそうなんですが、いかにも現代風の低カロリーの演奏とは感じさせない、内に秘めたロマンティスムの香るオーケストラがこの指揮者らしいところ。テノールのヴォイトはリリックな美声で激することなく指揮者のコンセプトにふさわしい歌唱ですね・・・というか、この歌に合わせたオーケストラなのかも。私は偶数楽章は女声によって歌われる方が好きなんですが、それでもこの指揮者のことですから、期待して耳を傾けたところ・・・discで聴く限り、かつてこの偶数楽章をバリトンで歌う際にはF-ディースカウばかりが歌っていて、その猫なで声にはつくづく閉口していたんですよ。それが、ラトル盤のハンプソンを聴いて、ようやく新しい時代がきたのかなと思っていたんですが、このゲルハヘールの歌唱は好きではありません。第4楽章ではことさらに諧謔味を表現しようと、演出過剰になっています。終楽章に至っては、テノールと同様、リリックな美しさを志向しつつ、多彩な表情付けを狙うのはいいとして、詞の内容がまるで他人ごとのように聴こえます。私は、最低限の共感もなくして歌われている「告別」の楽章になんの価値があるのか、わかりません。(放出候補!)


62 デイヴィッド・ジンマン指揮 チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
   スーザン・グラハム、クリスティアン・エルスナー
   2012年10月30日~11月1日 チューリッヒ、トーンハレ セッション録音 stereo
   RCA 88765438152(SACD Hybrid)

 ブゾーニの「悲歌的子守歌」op.42(母親の棺に寄せる子守歌)を併録。





63 ミヒャエル・ツィルム指揮 ポーランド国立放送交響楽団
   ヤドヴィガ・ラッペ、ビオトル・クシエヴィツ
   1989年11月10日  Crzegorz Fitelberg Concert Halllive録音 stereo
   DUX DUX 0810(CD)


 ポーランドのDUXからリリースされたdisc。ケースはSACDふうですが通常のCD。ジャケット・デザインはなぜか北斎。

 オーケストラの響きはいま一歩洗練されていないながらも、そのちょっとローカルな音色がなかなかユニーク。オーケストラが出しゃばりすぎることなく、歌手との(録音ではなくて演奏の)バランスよし。遅めのテンポで、各楽器のソロの表情付けなど、なかなかのもの。しかし旋律を豊かに歌わせるよりも、歌手及び各楽器のバランスを重視した演奏で、どこか20世紀音楽としてのマーラーと聴こえます。そのなかで、ラッペが過剰になりすぎない程度にロマン主義音楽らしい、味わい深い歌唱を聴かせてくれます。


64 マルク・アルブレヒト指揮 オランダ・フィルハーモニー管弦楽団
   アリス・クート、ブルクハルト・フリッツ
   2012年6月21日-22日 ヤクルト・ザール(アムステルダム)
   PentaTone classics PTC 5186 502(SACD Hybrid)





65 ヤニック・ネゼ-セガン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   サラ・コノリー、トビー・スペンス
   2011年2月19日 ロンドン、サウスバンク・センター、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール セッション録音 stereo
   Lpo LPO0073(CD)





66 ヴラディーミル・アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団
   リリ・パーシキヴィ、ステュアート・スケルトン
   2010年5月26、28、29日 シドニー・オペラハウス、コンサート・ホール セッション録音 stereo
   Octavia Exton EXCL00055(CD)

 アシュケナージの指揮はこれといって特徴を感じさせず、よくいえば純情。チャイコフスキーやシベリウスの交響曲では、単純ながらハートに訴えるような印象もあります。しかし、マーラーとなるとやはり物足りません。指揮者が「なにもしていない」という印象です。そのためか、歌手ふたりにしても、可も不可もなく感じられてしまいます。


67 アダム・フィッシャー指揮 デュッセルドルフ交響楽団
   アンナ・ラーソン、ステュアート・スケルトン
   2018年1月11-15日 デュッセルドルフ、トーンハレ セッション録音 stereo
   Avi Music 8553407(CD)

 テンポとダイナミクスの変化に、指揮者の表現意欲が感じられる好演です。そのためか、スケルトンはアシュケナージ盤よりも好印象。アルトのアナ・ラーソン(ラーション?)は、最近の「大地の歌」のdisc中では出色の出来ではないでしょうか。指揮者は歌手のサポートに意を注いでいますね。そうしたコンセプトに反するように、録音はややオーケストラが張り出してくるのが惜しいところ。


68 イヴァン・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団
   ゲルヒルト・ロンベルガー、ロバート・ディーン・スミス
   2017年3月 ブダペスト芸術宮殿 セッション録音 stereo
   Channel Classics  CCSSA40020(SACD Hybrid)

  SACD Hybrid盤ですが、通常のCDプレーヤーで聴いても透明度の高い、なかなかの高音質です。演奏も上質。楽章ごとにコントラストをつけるあたり、全体の設計も巧みです。テノールは知的なコントロールのなかで力強さにも不足がなく、アルトは豊かな表情でありながら、わずかに抑制気味の表現で品位を保っています。全体に美しく、なおかつ彫りの深い表現となっており、上出来です。


69 ウラディーミル・ユロフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団
   サラ・コノリー、ロバート・ディーン・スミス
   2018年10月14日 ベルリン、フィルハーモニー live録音 stereo
   PentaTone Classics PTC5186760(SACD Hybrid)





70 ジャン=クロード・カサドシュ指揮 リール国立管弦楽団
   ヴィオレッタ・ウルマーナ、クリフトン・フォービス
   2008年6月 サン=ドニ大聖堂 live録音 stereo
   Evidence EVCD057(CD)





71 ジョナサン・ノット指揮 バンベルク交響楽団
   スティーヴン・ガッド、ロベルト・サッカ 
   2016年2月8-13日 バンベルク・コンツェルトハレ・ヨゼフ・カイルベルト・ザール セッション録音 stereo
   Tudor Records TUDOR7202(SACD Hybrid)





72 エサ-ペッカ・サロネン指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
   ボー・スコウフス、プラシド・ドミンゴ
   1998年3月2、4日(2、4、6楽章)
   1999年2月15、17日(1、3、5楽章) セッション録音 stereo
   Sony Classical  60646(CD)





73 サイモン・ラトル指揮 バイエルン放送交響楽団
   マグダレーナ・コジェナー、スチュアート・スケルトン
   2018年1月25-27日 ミュンヘン、ヘルクレスザール live録音 stereo
   Br Klassik 900172(CD)






 室内楽編曲版による演奏

c01 Robert HP Platz指揮 Ensemble Koeln
   Ingrid Schmithuesen(Sop)、Aldo Baldin(T)
   ハンブルクの北ドイツ放送局での録音 stereo
   Canterino Musikproduction CNT 1031(CD)


 シェーンベルクとライナー・リーンによる室内楽編曲版のdiscです。シェーンベルクの編曲は未完に終わって、ライナー・リーンが1983年に完成させたのですね。私が室内楽版「大地の歌」を聴いたはじめてのdiscです。

 Schmithuesenはソプラノで、この可愛らしい声は好きです。室内楽版とあってややこぢんまりとまとまっているものの、intimateな魅力があって、そう考えると歌手も含めてこれはこれで悪くありませんね。


c02 オスモ・ヴァンスカ指揮 シンフォニア・ラハティ室内アンサンブル
   モニカ・グロープ(Ms)、ヨルマ・シルヴァスティ(T)
   1994年5月22-24日 フィンランド、ヤルヴェンパー・コンサート・ホール セッション録音 stereo
   BIS CD-681(CD)


 これも同じくシェーンベルク&R・リーンによる編曲版。

 これは室内楽版だからどうということではなく、「大地の歌」の演奏としてひじょうにすぐれたものと言っていいでしょう。矛盾するようですが、室内楽版の楽譜をあざやかに展開していながら、フルオーケストラ版とくらべて物足りなさを感じさせません。上記Platz盤のintimateに対して、こちらはフルオーケストラ版に一歩も譲らぬ(表現の)スケールの大きさと緊張感が持ち味です。シルヴァスティはベルティーニ、都響盤でも歌っていましたが、こちらの方が生彩があると感じるのはやはり小編成であるためでしょうか。グロープも豊かな声で深い内容を感じさせる歌唱です。


c03 アルフレッド・パール指揮 デトモルト・カンマーオーケストラ
   ゲルヒルト・ロンベルガー(Ms)、シュテファン・リュガマー(T)
   2013年10月 マリエンミュンスター修道院 セッション録音 stereo
   MD+G MDG90118456(CD)


 シェーンベルク&R・リーンによる室内楽版。





c04  リノス・アンサンブル
   イヴォンヌ・フックス(Ms)、マルクス・シェーファー(T)
   2008年 セッション録音 stereo
   Capriccio C5136(CD)


 シェーンベルク&R・リーンによる室内アンサンブル版。





c05  ヘンク・グイタルト指揮 グルッポ・モンテベロ
   ヴィレム・デ・フリース(Bar)、マルセル・ライヤンス(T)
   大地の歌(ヘンク・グイタルト編曲による室内アンサンブル版)
    「さすらう若人の歌」(シェーンベルク編曲による室内アンサンブル版)併録
   ルートヴィヒ・ミッテルハンマー(Bar)
   2017年8月18日-19日(さすらう若人の歌)
   2018年8月18日-19日(大地の歌)、ケルクラーデ(オランダ)
   Etcetera KTC1645(CD)

 Henk Guittartによる室内アンサンブル編曲版。





c06 ラインベルト・デ・レーウ指揮 ヘット・コレクティーフ
   ルシール・リシャルドー(Ms)、イヴ・セレンス(T)
   2020年1月 ムジークヘボウ、アムステルダム セッション録音 stereo
   Alpha ALPHA633(CD)


 ラインベルト・デ・レーウ自身による声楽と室内アンサンブルのための編曲版。





 かつて持っていたがいまは手放してしまったdisc
 
※ コメントは以前書いたメモをもとに書いています。

x01 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   クリスタ・ルートヴィヒ、ルネ・コロ
   1973年12月~1974年1月 セッション録音
   独DGのLP


 DGへの正規録音では、カラヤンによるマーラー・レコーディング第一弾が「大地の歌」でした。オーケストラはベルリン・フィル、歌手はバーンスタインの再録音盤と同じでクリスタ・ルートヴィヒとルネ・コロ。1973年12月~1974年1月の録音です。これは以前LPで所有していたのですが、ゴージャスなサウンド、豪華絢爛に飾り立てられた甘ったるいケーキのような音楽になっていました。耽美的というより、ひたすら俗っぽい甘美さを演出するばかり。歌手ふたりは、レガートでボケボケに汚く濁った音響に埋没。それでもルートヴィヒは自分なりの表現を試みているんですが、コロは指揮者の支配下に入って、内容のないただ甘ったるいだけの歌をたれ流しといった有様です。強いて言えば、なにも考えないで聞き流せるから、BGMには最適かもしれません・・・というわけで、とっくに売り飛ばしてしまいました(笑)


x02 サー・コリン・デイヴィス(指揮)、ロンドン交響楽団
   ジェシー・ノーマン、ジョン・ヴィッカース
   1981年3月 ロンドン セッション録音
   蘭PHILIPSのLP

 指揮はまだしも、歌手ふたりのダメさ加減においては随一。ノーマンも上っ面だけの無神経な歌唱、ヴィッカースのケダモノのような声は二度と聴きたくないと思うものでした。とにかく、レコードを聴いてきた長い年月の間で、これほど「持っていたくない」と思ったものはほかにありません(笑)


x03 サイモン・ラトル指揮 バーミンガム・シティ交響楽団
   トーマス・ハンプソン、ペーター・ザイフェルト
   1995年12月28~30日の録音
   EMI CLASSICSの全集セットCD


 偶数楽章はバリトンによる歌唱。どことなく20世紀音楽と聴こえてくるあたり、やはりラトルは非凡な指揮者ですが、表情付けがいちいち説明調で、「はい、ここはこうなっているんですよー」「ここ、マーラーの仕掛けをよく聴いて下さいねー」といった調子で、聴いているとなんだか馬鹿にされているような気がしてきます。また、ハンプソンは終楽章など、ひそやかな「語り」のように聴こえ、F-ディースカウよりもいいんですが、やはりバリトンによる歌唱は私の好みではありません。ペーター・ザイフェルトは生真面目に過ぎると感じました。全集セットのCDは放出してしまいましたが、2番と10番の交響曲はいまもLPで持っています。


x04 マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団
   スチュアート・スケルトン、トーマス・ハンプソン
   2006年9月26~29日の録音
   全集セット SACD Hybrid盤

 録音は透明度高く、とりわけ独唱とオーケストラのバランスが理想的。歌手はふたりともにいい歌を聴かせてくれます。比較的新しめの録音ではサイモン・ラトルとかケント・ナガノ、それにこのマイケル・ティルソン・トーマスあたりがバリトンを起用するのはわかる気もするんですが、私はやはり偶数楽章を女声で聴きたいんですよね。それは別にしても、この、都会的な洗練されたマーラーも、どれか一曲聴くならいいんですが、全曲セットになると、魅力が半減するというか、聴いていて、しまいにはうんざりしてしまうんですよ。放出する前に比較したCDはミヒャエル・ギーレンの全集セットでした。つまり、ギーレンがあればこれはいらないという判断です。


x05 ハンス・グラーフ指揮 ヒューストン交響楽団
   Gregory Kunde、Jane Henschel
   2009年の録音。
   NaxosのCDだったかな?


 ジャケットには”Das Lied von der Erde”とあるその下に括弧付きで(The Song of the Earth)と表記されており、ヒューストンとかテキサス州での録音とかいったあたりから、いかにも”Song of ・・・”といったimageの演奏だったらどうしようかと期待(?)して聴いたんですが、そのようなことはなくて、むしろ落ち着いた演奏。しかし指揮も歌手も一本調子というか、表現のパレットに色数が少ない。技術的な問題か、あるいは作品が作品だけに、渋めに演奏しているつもりなのかもしれませんが、表情の多彩さに欠けているため全体に起伏のないフラットな印象、退屈な演奏で、歌手にも特段の魅力が感じられず、手放しました。



 いろいろ書いていますが、G・SとかD・Bみたいにまったく欲しくならないdiscもあるので、入手して聴いてみたということは、それなりの期待があったからなんですよ。



 CDを再生した装置について書いておきます。
 古いmono録音はスピーカーをSiemensのCoaxial、いわゆる「鉄仮面」をチャンネルあたり2基の後面開放型Sachsen 202で、比較的新しめ(1960年あたりから後)のmono録音はTANNOYのMonitor Gold10"入りCornettaで聴きました。なお、私はmono盤でもスピーカーは2本で聴きます。
 stereo録音は、Spendorの2ウェイ、バスレフタイプのブックシェルフ、またはMordaunt-Shortの2ウェイ密閉型ブックシェルフ・スピーカーで聴きました。



(Hoffmann)