053 ドビュッシー 交響詩「海」 その2 CD篇 ※ 所有しているdiscを録音年順に記載します。




 ”La Mer” ※ 新規入手discとコメントは随時追記します。



ピエロ・コッポラ指揮 パリ音楽院管弦楽団
パリ、1932.10.25,27.
ANDANTE AN1200(4CD)

 AN1200はドビュッシー作品の歴史的録音を集めた4枚組CD。CD2にコッポラ、トルカニーニ、デゾルミエールの「海」が収録されている。


ヴィクトール・デ・サバタ指揮 ローマ聖(サンタ)チェチリア音楽院管弦楽団
1948.
Testament SBT1108(CD)

 なんとも個性的で・・・主旋律以外の副旋律(?)とか、リズムの刻みがやたらと耳につく不思議なバランス。弦楽器のはなはだしいポルタメントはさすがに古さを感じさせる・・・というか、ほとんど異様なくらい。


アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
Studio8H、1950.6.1
ANDANTE AN1200(4CD)、aeon AECD1215(3CD)


 AN1200はドビュッシー作品の歴史的録音を集めた4枚組CD。CD2にコッポラ、トルカニーニ、デゾルミエールの「海」が収録されている。AECD1215も同様の3枚組CD。CD2にトスカニーニとデゾルミエールの「海」その他が収録されている。


ロジェ・デゾルミエール指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
プラハ、1950.10.
ANDANTE AN1200(4CD)、aeon AECD1215(3CD)


 AN1200はドビュッシー作品の歴史的録音を集めた4枚組CD。CD2にコッポラ、トルカニーニ、デゾルミエールの「海」が収録されている。AECD1215も同様の3枚組CD。CD2にトスカニーニとデゾルミエールの「海」その他が収録されている。


カール・シューリヒト指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
1952.5.23.live
archiphon ARC-2.12(CD)


 この指揮者は、とくに引き締まった響きが特徴的。フランスのオーケストラとのレコーディングは多いが、フランス音楽は比較的めずらしいレパートリーではないか。響きをふくらませないので透明度が高く、速めのテンポと相俟ってリズムが鋭く感じられる。どちらかといえば客観的。かなりテンポを動かして、ときにじっくり歌ってみせたりもするのに、それが恣意的な印象にならないのは、キマっているから? ただし、経過部ではたいていテンポを速めてさっさと通り過ぎてしまうあたり、やはり旧世代の指揮者らしいところ。終わり近くで間違いか金管の音型がおかしく、またソロが一部ヘンな音を出している。とはいえ、総合的にはわりあい好きな演奏。


デジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮 フランス国立放送局管弦楽団
1954.1.11.live?
Testament SBT1213(CD)


 1954年録音のDucretet-Thomson原盤をTestamentが復刻CD化したもの。
 LPの仏Ducretet-Thomson等と同じ。CDとLPをくらべると、CDの方が細かい音が明瞭ながら、LPの方が微妙に奥行き感が感じられて、どちらをとるか、これはお好み次第。一般的にはCDの方が好まれそう。なお、この録音は最後の音の残響が一瞬のうちにfade-outする。これはLPもCDも同様。


デジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮 フランス国立放送局管弦楽団
1962.1.23.live
DISQUES MONTAIGNE TCE8790(2CD)


 INA Archives。
 1954年の仏Ducretet-Thomson盤、1958年録音のErato盤も含めて―どれもすばらしいもの。ほかの指揮者がこんな表情を付けたら恣意的に聴こえてしまいそうなところ、自然に聴こえるあたりがさすが。やはり、作品に対する共感故? 演奏はほぼ同等ながら、オーケストラは1962年の方がノリがいいようで、ソロの表情などは新しい1962年の方がわかりやすく、当時名手揃いだったこのオーケストラの、とくに木管楽器の音色を愉しむなら、この盤が最適かもしれない。その代わり、ややせかせかして聴こえる部分も。1954年の方が落ち着いた印象。なお、Disques MontaigneのCDとEratoのLPは最後に拍手も入っている。


エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1957.5.27-28
SCRIBENDUM SC508(13CD)


 ”The art of Eduard van Beinum Vol.2 (1954-1959)”の13CDセット。
 PHILIPSのLPと同じ。


ジャン=クロード・ベルネード指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団
パリ、1986.3.
FORLANE UCD16555(CD)


 ドビュッシーの「海」とラヴェルの「亡き王女ためのパヴァーヌ」、「ボレロ」、「ラ・ヴァルス」を収録。
 デザインはモネの「印象、日の出」。まさしく「印象派」という呼称の元となった絵。当時は「未完成の描きかけ」だとか「即席で仕上げた」なんて酷評されたものなれど、海にしろなんにしろ、ある瞬間の対象を、もっとも写実的に描いている。それはともかくとして、いまだにドビュッシーが「印象派」という誤解はそろそろおしまいにして欲しいところ。モネに文句を言うわけではないケドね(笑)

 指揮者はたしかベルネード四重奏団を率いていたヴァイオリニスト。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、指揮はピエール・デルヴォー、マルケヴィチらに師事したひと。なるほど、たしかにフランスのオーケストラにしてはめずらしいくらい、アンサンブルは整っている。整っているだけでなく、弦楽器出身の指揮者にありがちな、横に歌わせることに傾いた演奏ではなくて、縦横のバランスも見事。強烈な主張を感じさせるような作為的な演奏ではないが、よく聴けば木管のソロなど表情付けは入念。どこをとってもこうあって欲しいというようなドビュッシーになっていて、たいへん好感が持てるもの。


Claude Monet ”Impression, soleil levant”


ミシェル・プラッソン指揮 トゥールーズ・キャピトル管弦楽団
トゥールーズ、1988.7.5,7,8.
EMI CDC7 49472 2(CD)


 万人に受け入れられやすい、フランス音楽らしい上品な演奏。欲を言えば、この作品は、もう少しスケールの大きい音楽だと思うが・・・この演奏に限らず、こぎれいにまとめちゃってる人も少なくないみたい(笑)


マックス・ポンマー指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
1988.
Capriccio 51132(2CD)


 録音年は表記がないが、たしか1988年頃だったはず。
 ポンマーはバッハやヘンデルの、たいへんすぐれた演奏を録音しているが、近代~現代作品も得意にしていた人。指揮者やオーケストラから、折り目正しいドイツ的な演奏を想像するかもしれないが、ドビュッシーとして決して場違いな印象はなく、これもいい演奏。実力のあるひとはなにをやっても・・・じつは、ほかの収録曲のなかには、ちょっと硬いかな、と思うものもあったが、この「海」に関しては、フランスのオーケストラよりも、かえって各部での響きの重層的なおもしろさが伝わってきたような気がする。外国語が、その言語のネイティヴが喋るよりも聞き取りやすいみたいなものか(違うか・笑)


レナード・バーンスタイン指揮 ローマ聖(サンタ)チェチリア音楽院管弦楽団
1989.
DG 429 728-2(CD)


 バーンスタインは1990年に亡くなっているので、最晩年の録音ということになる。マーラーやチャイコフスキーほどには、感情移入の激しい、響きの重い演奏ではないが、それでも遅めのテンポで、細部における濃厚な表情付けが個性的。鮮烈な響きではないので、金管も刺激的な音を出していないように聴こえる。むしろ、どことなく塗り重ねた油絵風のこってり感。響きが極端に重くならないのは、オーケストラの選択による狙いどおりというわけか。録音のせいか、ヴァイオリン、ヴィオラが浮き上がって聴こえて、やや腰高な印象も。そのせいで、バーンスタインにしては深々とした響きが聴き取れないのが残念。


ジェフリー・サイモン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
ロンドン、1990.1.2-6.
GALA CACD1001(CD)


 これといって強烈な個性があるわけではないが、モダンな感覚。フランス音楽であることをことさらに意識していない、肩の力の抜けた演奏が好ましい。オーケストラの音色も魅力的。


アルミン・ジョルダン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
1990.
Eraro 2292-45605-2(CD)


 アルミン・ジョルダンは私の好きな指揮者。小細工のない「純情」さが持ち味、ここでも素直で明快な演奏となっている。テンポの変動もほとんどなくて、粘ったり踏ん張ったりしないので、良くも悪くも響きは上品ですっきりしている。ドビュッシーとなると、作品によっては毒が仕掛けられているのではないかとも思うが、この「海」に関してはあまりそうした不満もなく、これはこれでいい。強烈な個性とか主張がないのに、引き込まれてしまう。


ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮 アルスター管弦楽団
1991.2.19-20.
CHANDOS CHAN X10144(4CD)

 ややこぢんまりとしているが、いかにもフランス音楽らしいセンスの良さ。この指揮者は何を振ってもハズレがないが、「それ以上」もない。


ネーメ・ヤルヴィ指揮 デトロイト交響楽団
1992.
CHANDOS CHAN9072(CD)


 このCDはルーセルの交響曲第4番、ミヨーのプロヴァンス組曲、ルーセルのシンフォニエッタ、そして最後にドビュッシーの「海」と、英CHANDOSらしいユニークな組み合わせのdisc。

 意外にも録音レベルが低くてヴォリュームを上げなければならないが、その状態で大音量になっても飽和することなく朗々と鳴るあたり、さすがCHANDOSのCD。演奏も屈託なくのびのびとしたもの。全体にテンポは速めで、これといって強烈な主張を感じさせはしないものの、どこをとってもドビュッシーの管弦楽作品として過不足のない好演。デトロイトのオーケストラもポール・パレー以来の美しい響きを出しているのではないか。知らずに聴いてフランスの楽団だよと言われたら、信じてしまいそう。おそらく指揮者の手腕によるところが大きいと思われる。それにこの指揮者、なにをやってもこんな「フワッ」とした響きになるところ、じつに現代的だと思える。


セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1992.8.13.(EMI)
EMI 50999 0 85606 2 9(11CD)
METEOR MCD-033(CD)


 EMI盤はチェリビダッケの死後に遺族の許可が出て発売されたもの。EMI録音は1992年8月13日のガスタイクにおけるlive録音。ひところshopでよく見かけたMETEOR盤、いわゆる海賊盤には録音年の記載なし。聴いたところ別演奏のようだが、基本路線に変わりはない。METEOR盤はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死とのカップリングが気に入っている。

 例によってスローテンポで、噛んで含めるような演奏。不協和音も、その移ろいも、すべての響きを曖昧にしないために遅いテンポとなったと思われるが、これだけスローでありながらリズムが犠牲にならず、重くなりすぎないのは、このテンポについてゆくオーケストラの実力であろうと思われる。そのテンポと相俟って、フォルテシモの箇所でもスコアが見えるような明晰さ、チェリビダッケが楽譜を改変しているところもはっきりと。とくにティンパニの変更がわかりやすい。

 それにしても、遺族の許可があればめでたく「正規盤」ってことは、要するに海賊盤の問題は、結局それを造って売っているやつが金儲けをして、演奏者や遺族といった「権利」を持っているひとの収入にならないから、ということではないのか。つまり海賊盤の問題というのは、芸術的・道徳的な問題ではないということ。道徳は別にしても、芸術的な問題だというならば、遺族が故人の意思に反するかもしれないことを許可することだって、その是非が問われるはず。遺族=権利者が許可したなら海賊盤でないというのなら、「正規盤」か「海賊盤」かという違いは資本主義の原理によって決まってくる(にすぎない)わけですNA。


リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
フォラデルフィア、1993.2.
EMI 7243 5 55120 2 4(CD)


 ムーティがフィラデルフィア管弦楽団を振ったdiscは録音良質なものが多いが、どちらかというと、アナログLPの方が彫りが深くて好き。これはCD。

 このオーケストラは輝かしく、ゴージャスによく鳴るが、この音色に魅力があるかというと別問題。良くも悪くもinternationalな響きで、しかしだからこそドビュッシーのスコアの仕掛けが明瞭になる。ダイナミクスなど、細部ではっとさせるようなコントロールが行き届いているのはさすがムーティ。明るめの響きでストレートな運び。歌わせすぎることなく、重層的なおもしろさにも欠けてはいないが、どうもストレートというか、旋律が直線的に聴こえるような印象がある。


ガリー・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団
1993.live
Capriccio 7139(CD)


 SACD Hybrid盤。
 これもコントロールの行き届いた演奏。ムーティ以上に入念な表情付けが施されているかと思えば、あっさりやりすごすところも。作為的とまでは思わないが、ちょっと考えすぎかも。緩急のコントラストがきつすぎるような気がする。緩急といってもテンポのことばかりでなく、響きや表情付けも含めてのこと。あまりに目まぐるしくて、聴いていてちょっと振り回されているような印象も。この指揮者のマーラー演奏と同じ方法での音楽造りかも知れないが、だとすれば、ここではあまり成功していない。このdiscでは併録されている「夜想曲」の方が好演。SACD盤にしては細部の見通しいま一歩。


カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
1994.
SONY SK66832(CD)


 ジュリーニ3度めの録音。晩年のジュリーニに特徴的なのは、遅いテンポとゆったりふくらませた響き・・・それがこの時期に至ると、どことなく響きのふくらみが後退して、でもそれは室内楽的というよりも、音が痩せてきたような気がする。その点に関しては、なんだか晩年のカラヤンと同じ歩みと思える。この演奏が、ジュリーニが本当に意図するところなのか?  どうも細部のニュアンスがマスクされてしまっていると感じられて、ジュリーニならばフィルハーモニア管弦楽団との最初の録音がいちばん好き。ただし、このオーケストラ(とホール)の音色・響きに格別のものがあることもたしか。


エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
1996.
SONY SK62599(CD)


 これも知的な演奏だが、どこをとっても抑制気味と聴こえる。重層的なおもしろさも充分ながら、高度に充実した演奏であることは認めたうえで、どうしてもこれでなければというアピールポイントに乏しいような気がする。録音は(SONYにしては・笑)なかなか良質なもので、終わり近く、遠くから響いてくる太鼓の「ドン、ドン」に驚く(笑)


シルヴァン・カンブルラン指揮 SWR交響楽団
2004.
haenssler CD93.067(CD)

 カンブルランにはかなり以前から注目していた。相当の知性派ではないか。ドビュッシーといえば「印象派」といった誤解がまかり通ってきたのももう古い話だが、横の流れよりも縦の線、さらにこうした構築性の妙で聴かせる演奏は、ドビュッシー演奏にまた新しい世界を開いているように思える。ただし第一ヴァイオリン優勢気味で、やや浮きあがって聴こえるのは意図したものなのかどうか・・・。


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 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。
 今回はすべて古いmono盤なので、カートリッジは、ortofon CG 25 Dを基本に、一部SHELTERのmonoカートリッジを使いました。スピーカーはSiemensのCoaxial、いわゆる「鉄仮面」をチャンネルあたり2基の後面開放型Sachsen 202で聴いています。なお、私はmono盤でもスピーカーは2本で聴きます。部分的に、TANNOYのMonitor Gold10"入りCornettaでも聴いています。
 また、EQカーヴはRIAAで疑問を感じたものは適宜ほかのカーヴを試し、結果はなるべく記載しておきました。



(Hoffmann)