065 モーツアルト レクイエム LP篇




 録音年順です。

Bruno Walter, Vienna Philharmonic Orchestra, Vienna State Opera Chorus
Elisabeth Schumann, Kerstin Thorborg, Anton Dermota, Alexander Kipnis
Theatre des Champ-Elysees, 29,VI.1937
EMI EG29 0781 1(LP)

 DMM盤。

 1937年のパリ録音。ワルターこのとき60歳。テンポの変動はあるものの、後の1956年録音よりもむしろ禁欲的というか、フォルムが整っているように聴こえる。ソロは大歌手の時代。聴いていて惚れ惚れとしてしまう。


Bruno Walter


Victor de Sabata, Eiar Orchestra and Chorus
Pia Tassinari, Ebe Stignari, Feruccio Tagliavini, Italo Tajo
4-5.12.1941
CETRA SORIA LP1001(2LP,10inch)、CETRA LPO2025(LP)、HELIODOR 88005(LP)


 CETRA SORIAの10inch2枚組は米盤だがoriginal。おそらく米Columbiaによるプレス。箱のなかのに回転棒付きの袋に10inch盤2枚が入った装幀。"Recorded in Roma at the Basilica of Santa Maria Angeli in commemoration of the 150th Anniversary of the death of Mozart"との表記あり。モーツアルト没後150年のタイミングで録音されたもの。live録音ではない。"Eiar"というのは、Ente Italiano Audizioni Radiofoniche、すなわちイタリア・ラジオ放送局、現在のRAIのこと。

 CETRAのLPO2025はずっと後の再発盤。HELIODOR盤には"April 1939 in Berlin"とあるが、これは間違い。

 サーバタの指揮は決して場違いではないが、歌手はいかにもな発声でちょっとイタリア・オペラ風。"Lacrimosa"の没入ぶりは一聴の価値あり。
 10inch盤のEQカーヴは、最初Columbiaかと思ったが、これはNABか。なお、今回再発の12inch盤2種は聴いていない。


Victor de Sabata


Joseph Krips, The Vienna Hofmusikkapelle
Werner Pech(Boy-Soprano)、Hans Breitschopf(Boy-Alt)、Walter Ludwig(Tenor)、Harald Proeglhoef(Bass)
6.1950.
DECCA LX3030, LX3031(2LP,10inch)、キング ACL13(LP)


 ソプラノとアルトにはウィーン少年合唱団員のソリスト2名、合唱もソプラノとアルトは少年合唱団を起用。Chor und Orchester der Hofmusikkapelle Wienウィーン宮廷管弦楽団、同合唱団というのは、ウィーン宮廷礼拝堂Hofburgkapelleでミサなどを演奏するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン少年合唱団のメンバーで構成されたもの(宮廷は第一次大戦後に解体されてなくなっている)。
 国内盤は"Ace of Clubs"。オーケストラと合唱団は「ウィーン宮廷管弦楽団」「ウィーン宮廷合唱団」と表記されている。

 男声だけなので、いかにも宗教音楽らしい味わい。ボーイ・アルトはやや苦しいか。アタックが鋭くならず、しなやかでやさしい弦の表情など、いかにも1950年代のウィーンの演奏といったimageどおりの演奏。
 EQカーヴはDECCAffrr。


Joseph Krips


Guid Cantelli, Orch. & Chorus La Scala
Renata Tebaldi, Fedora barbieri, Giacinto Prandelli, Cesare Siepi
live performance 1950
MDP032(LP)


 private盤。音質は劣悪と言いたい部類。それでも、若々しく直情的な演奏は捨て難い。


Ferenc Fricsay, RIAS-Symphonie-Orhcester Berlin, RIAS-Kammerchor, Chor der St.Hedwigs-Kathedrale
Elisabeth Gruemmer, Gertrude Pitzinger, Helmut Krebs, Hans Hotter
5.3.1951
DG 2535 713(LP)


 好演。フリッチャイのモーツアルトは、いくつかある交響曲の録音はやや荒いと感じられるが、これはかなり丁寧な演奏。合唱もソロの歌手もいい。とりわけハンス・ホッターの歌がたいへん印象に残る。


Hermann Scherchen, Orchestra of the Vienna State Opera, The Akademie Kammerchor
Marga Lazlo, Hilde Roessel-Majdan, Peter Munteanu, Richerd Standen
7.1953
Westminster WL5233(LP)


 米プレス盤。EQカーヴは、このレコードに関してはNAB。Westminsterのレコードには時々AESのものもあるので注意されたい。

 冒頭は悠然と構えて若干モノモノしくはじまるが、やがてシェルヘンの地が出てくる(笑)


Hermann Scherchen


Rudolf Kempe, Berlin Philharmoniker, Derr Chor St.-Hedwigs-Kathedrale Berlin
Elisabeth Gruemmer, Marga Hoeffgen, Helmut Krebs, Gottlob Frick
10-14.10.1955
His Master's Voice ALP1444(LP), Electrola WCLP514(LP)


 EQカーヴは、英プレスのALPはColumbia、独プレスのWCLPはRIAAか。

 ケンペらしい真面目な指揮、遅めのインテンポで一貫。厳しさよりは敬虔な祈り。各曲でコントラストをつけるようなドラマティックな演奏を求めるべき指揮者ではないのだろうが、やや微温的か。合唱団は優秀。Choir leitungはKarl Forster。


Eugen Jochum, Wiener Symphoniker, Chor der Wiener Staatsoper
Irmgard Seefried, Gertrude Pitzinger, Richard Holm, Kim Borg
Alois Forer, orgel
2.12.1955
ARCHIV 504/05(2LP), ARCHIV 2708 017(2LP)


 "Gedenkegottesdienst zur Wiederkehr von Mzart todestag im Stephandom zu Wien"、つまりウィーン、シュテファン大聖堂におけるモーツアルトの命日記念ミサ典礼。なお、モーツアルトの命日は本当は12月5日。
 "celebrans:Domkurat monsignore Penall"、大聖堂助任司祭ペナル卿。

 ARCHIV 504/05(2LP)はリネン貼り箱、"Archive-Kartei des Musikhistorishcen Studios der Deutshce Grammophon GES"付き。EQカーヴはDECCAffrr。
 ARCHIV 2708 017(2LP)はのちの再発盤でダブルジャケット。EQカーヴはRIAA。

 PHILIPS録音のバッハなどにも通じる、良くも悪くもヨッフムらしい真面目な演奏。もう少し攻めてもよかったんじゃないかな、と思う。


Bruno Walter, Orhcestre Philharmonique de New-York, The Westminster Chiir
Irmgard Seefried, Jennie Tourel, Leopold Simoneau, William Warfield
10,12.3.1956
PHILIPS A01.251L(LP)

 仏プレス盤。1956年、モーツァルトの生誕200年を記念して録音された正規録音。

 ワルターのレクイエムも、これしかなければこれはこれで十分満足できるもの。
いまでは同時期のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのlive録音などがあって、さすがにオーケストラは分が悪いが、歌手はすぐれた歌唱を聴かせてくれる。


Bruno Walter, Wiener Philharmoniker, Singverein der Geselschaft der Musikfreunde
Wilma Lipp, Hilde Roessel-Majdan, Anton Dermota, Otto Edelmann
Josef Nebois, orgel
Musikvereinsaal, Juni 23.1956 live
CBS Sony SOCO111(LP)


 1975年、日本のCBS Sonyが、オーストリア放送協会(ORF)及び英DECCAとの5年間の交渉を経て、第二次大戦後にウィーンとザルツブルクでワルターとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が共演した演奏会のlive録音から日本国内販売限定でLP4枚分の音源を発売した、そのうちの1枚。長いセンテンスだな(笑)私は当時子供だったが、小遣いはたいて買ったもの。いまでも覚えているのは、千円札がなくて全部100円玉で払ったこと(笑)

 やはりいま聴いても、ワルターのモーツアルトには「古い」のひと言では片付けられない、有無を言わせぬ説得力がある。ただ、これは先入観かも知れないが、1937年の録音とくらべると、アメリカ時代を経た後のワルターだなと思う。


Karl Boehm, Wiener Symphoniker, Wiener Staatsopernchor
Teresa Stich-Randall, Ira Malaniuk, Waldemar Kmentt, Kurt Boehme
2-8.11.1956
PHILIPS A00435L(LP)


 重厚。すばらしい。録音もmonoながら良質。ベームなら、DGへのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのstereo再録音よりも、こちら。


Hermann Scherchen, Vienna State Opera Orchestra, Vienna Academy Chorus
Sena Jurinac, Lucretia West, Hans Loeffler, Frederick Guthrie
5-6.1957
ワーナー・パイオニア G-10555~6(2LP)


 atereo録音。3面収録。第4面は、Regina Coeli L.Anh.118、Ave Verum Corps K.618、Te Deum K.141、Santa Maria K.273を収録。指揮はRene Leibowitz。

 1953年録音と同様、悠然とはじめるが、だんだんメリハリ調に変わる。どうも冒頭は意識しすぎではないのか。フレーズの終わりでテンポを落とすので、多少音を延ばし気味と聴こえる。
 EQカーヴはRIAA。


Karl Richter, Munich Bach Orchestra, Munich Bach Choir
Maria Stader, Hertha Toepper, John van Kesteren, Karl Christian Kohr
Franz Edler, trombone
11.1960
TELEFUNKEN SMA56(LP), TELEFUNKEN SDDR380(LP)


 2枚とも英プレス。SDDR380は"Ace of Diamond"シリーズ。

 リヒター盤。なぜかオーディオマニアに受けのよい演奏で、どうしてかなーと思っていたら、ゴミとかいう作家が交通事故で他人様の子供を死なせたときに、来る日も来る日もリヒターによるモーツァルトのレクイエムを聴いた、などとエッセイに書いていたためらしい。他人を殺しておいて、それをネタに原稿料を稼ぐとは、さすが売文業者。

 こういった自己の内面を「演出」して、お涙頂戴式に嫋々たる嘆き節で公表する幼稚な精神が、私は大っ嫌い。かつて、私小説作家に多かった、自慰行為そのものが目的ではなく、その行為を他人に見せることで他人に及ぼす効果を見て楽しんでいる(効果を狙っている)という、公然猥褻的売文。交通事故で子供を殺しておいて、毎日モーツアルトのレクイエムを聴いていると公言する自分に「酔って」いる、度しがたいsentimentalism。もっとも、こういう手合いは、精神年齢の絶望的に幼い、青白い文学青年とかオーディオマニアには人気が高い。

 それはともかく、演奏はなかなか美しい。1960年の演奏としてはモダンな感覚。音を伸ばしすぎることなく、Dies Iraeでも荒れすぎない節度、情感よりも厳しさ。ただし、即物的にからないところがこの世代。マリア・シュターダーのソプラノがいい。カートリッジはEMTのXSD-15 SFLで聴いた。

# 上記の作家は、私にとっては、ただの不潔な「書き屋」にしかすぎないのですが、ご当人と面識があった方のお考えや愛着は尊重します。友人・知人が寄せる思いはまた別問題です。


Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker, Wiener Singverein
Wilma Lipp, Hilde Roessel-Majdan, Anton Dermota, Walter Berry
Wolfgang Meyer, orgel
5-12.10.1961
DG 138 767 SLPM(LP)


 カラヤン、ベルリン・フィルの1961年の録音。DGGらしい低音のない、平面的で薄っぺらな録音。演奏も推して知るべし。カラヤンも若いころ、フィルハーモニア管弦楽団との録音を行っていた時期だとそれなりの良さもあったのだが・・・。なんだかAV男優がAV女優を撫でているような(そんなに見ていないけどな・笑)レガートは、響きをハーモニーとするよりも単に混濁させただけ。ムード音楽だと思えばBGMに使える? 合唱は下手。カラヤンがこの合唱団を使ったのは、自分だけが目立つためではないのか? 


Helmut Koch, Solistenvereinigung des berliner Rundfunks,
Berliner Rundfunk-Sinfonie-Orhcester
Jutta Vulpius, Gertraud Prenzlow, Rilf Apreck, Theo Adam
Robert Koebler, orgel
11.1962
ETERNA 8 25 404-406(2LP)


 Claus Strueben録音。3面収録。第4面はMissa c-moll K.427(417a)、sopranoがIngrid Czerny、altがIngebourg Wenglorに替わる。

 噛んで含めるような厳粛さ。しかしモノモノしくはならない。人肌感覚というか、手造り感のある伝統の響きか。ヘルムート・コッホの残した録音のなかでも上位の出来。


Istvan Kertez, Vienna Philharmonic Orchestra, Vienna State Opera Chorus
Elly Ameling, Marilyn Horne, Ugo Benelli, Tugomir Franc
8-11.10.1965
DECCA SET302


 悪い演奏ではないが、特筆すべきことも思いつかない。


若杉弘指揮 読売日本交響楽団、モーツアルト祭混声合唱団
加藤綾子、木村宏子、金谷良三、大橋国一
司式司祭 東京カテドラル聖マリア大聖堂主任司祭 ルカ荒井金藏神父
助祭 イグナチオ関戸順一神父
グレゴリオ聖歌 聖アントニオ神学院聖歌隊
指揮 ジェルマノ・ヴォルカン神父
オルガン 坪川裕子
東京カテドラル聖マリア大聖堂、1965年12月4日
キングレコード SLS(J)1551~2s(2LP)


 モーツアルトの175回命日にちなんで1965年12月4日東京カテドラル聖マリア大聖堂における追悼ミサの完全実況録音。モーツアルトの命日は12月5日だが、教会の都合で前日の公演となったもの。

 残響が長すぎて、録音には苦労したことと思われる。ためか、ソロの歌手がやや近め。それでもその長い残響のせいで、オーケストラも合唱もややレガート気味に聴こえて、音楽がロマン主義的に傾いた印象。あくまで録音されたレコードで聴いているので確かなことは言えないが、もう少しテンポを落とした方がよかったのでは?


Karl Boehm, Wiener Philharmoniker, Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Edith Mathis, Julia hamari, Wiestaw Ochman, Karl Ridderbusch
Hans Haselboeck, orgel
13-14.4.1971
DG 2530 143(LP)


 合唱指揮にNorberth Balatschとある。

 ベームによる1979年の録音。重厚ながらすっかり枯れて、潤いのない、ある意味平板、聴きようによってはこれこそ「祈り」かとも思えるような滋味ある演奏。ただし、緊張感が持続できないのはベームの衰えか。録音もよくない。DGG独プレス盤。


Michel Corboz, Choeur Symphonique et Orchestre de la Fondation Gulbenkian de Lisbonne
Elly Ameling, Barbara Scherler, Louis devos, Roger Soyer
Emidio Coutinho, trombone
Antoine Sibertim-Blanc, orgue
4.1975
Erato STU70943(LP)


 1970年代録音の仏Erato盤。録音はまあまあ、Eratoにしてはさほど・・・とも思うが、1970年代も半ばとなるとこんなものか。演奏はきれいといえばきれいだが、カラヤンあたりとは別な意味で強烈な演出臭。そんなに下品ではないが、千変万化の表情も、歌うのも、とにかく「たっぷり」、やっている。それがなんかもうここまでやらなくてもいいんじゃないかというくらい、まるで聴き手に媚びているようなサービス過剰の効果造りになっている。ぱっと見「おっ、清楚な美女だ」と思ってよくよく見たら、こってり厚化粧の水商売風・・・といった印象(笑)水商売といっても、水道局におつとめの方ではありませんよ(笑)


Janos Ferencsik, Magyar Allami Hangversenyzenekar, A Magyar Radio es Televizio Enekkara
Magda Kalmar, Klara Takacs, Gyoergy Korondy, Jozesef Gregor
Sandor Margittay, orgona
1978
HUNGAROTON SLPX12038(LP)


 オーケストラと合唱団を英語表記すると―Hungarian State Orchestra、The Hungarian Radio and Television Chorus―となる。

 すばらしい演奏。 テンポ、ダイナミクス、すべてにおいて過不足がなく、適正と思える。残響豊かな録音もいい。
 EQカーヴはRIAA。


Carlo Maria Giulini, Philharmonia Orchestra, Philharmonia Chorus
Helen Donath, Christa Ludwig, Robert Tear, Robert Lloyd
16-17.9.1978
Electrola 1C 065-03 431(LP)


 合唱指揮にNorberth Balatschとある。

 「たっぷり」といえばこれも―ジュリーニ1978年の録音。とにかくジュリーニらしい、よくも悪くも自己流の音楽造りで、響きはふくらんで音場はみっしりと隙間なく埋め尽くされたかのような厚みを感じさせるもの。EMIらしいオフマイク録音、細部がマスクされてしまって、よく言えばハーモニーで聴かせ、悪く言えばおだんご状の音響。ただし不思議と混濁しているという印象はない。演奏そのものはまじめでたいへん好感の持てるもの。これは小型の装置で聴くと、装置の柄を超えた厚みのある響きがふわぁーと広がって効果的。つまり1970年代後半に多い小型の装置向きの音造り。


ズデニエック・コシュラー指揮 新星日本交響楽団、新星日響合唱団
常森寿子、木村宏子、鈴木寛一、芳野靖夫
東京文化会館、1979年10月23日 live

日本Victor PRC-30202(LP)

 自主制作盤。新星日本交響楽団第37回定期演奏会のlive録音。いまとなってみれば、歌手陣には懐かしい名前が並んでいる。

 フレーズの終わりを伸ばしすぎることがなく、詠嘆調になることを避けた古典主義的な演奏。その意味ではstoicで求心的、これはこれでレクイエムにふさわしい。オーケストラと合唱団は健闘。


Nikolaus Harnoncourt, Concentus Musicus Wien, Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Rahcel Yakar, Ortrun Wenkel, Kurt Equiluz, Robert Holl
10-11.1981
TERDEC 6.42756(LP)


 DMM盤。

 Beyer版。「奇をてらった」つもりではなく、これがアーノンクールなりの主張なのであろうが、テンポも、ダイナミクスも、とにかくそれまでの演奏の「反対をやった」という印象。一度は聴いてみたくなるが。また聴きたくなる演奏ではない。再録音があるのは知っているが、あまり聴きたくない(笑)ただしこれまでの経験から、私はアーノンクールとは相性がよくないようなので、自分で聴いて判断して下さいよ。私の場合、このレコードは放出候補(笑)


Peter Schreier, Staatskapelle Dresden, Rundfunkchor Leipzig
Margaret Price, Trudeliese Schmidt, Francisco Araiza, Theo Adam
12-16.4.1982
PHILIPS 6514 320(LP)


 Beyer版。

 シュライヤーはある時期から歌唱がことさらにドラマティックになって、時にがなり立てているようでいくらなんでも「やりすぎ」と感じていた。指揮をはじめたのもちょうど同じ時期。しかし指揮ではドラマティックではあるが、「やりすぎ」てはおらず、このレコードなどは「マタイ受難曲」以上に優秀といえるのではないか。


Zdenek Kosler, Slovak Philharmonic Orchestra, Slovak Philharmonic Choir
Magdalena Hajossyva, Jaroslava Horska, Jozef Kundlak, Peter Mikulas
march 1985
OPUS 9312 1686(LP)


 OPUSのレコードの常で、録音がややオンマイクで高域上がりのバランス。中型以下のスピーカーを使って、若干高域を下げたい。

 さすがに実力派コシュラー。必ずしも機能的に超一流とは言い難いオーケストラながら、オーソドックスな好演。個人的にはフェレンチク盤と並んでかなりの好印象。惜しいのは録音で、音場は奥行きに乏しく、横一列整列型。残響はそこそこ入っているものの、ややオンマイク、わずかに高域上がりなのはOPUS盤の常。少し高域を下げたい。いっそEQカーヴをNABにすると合う感じ。


山田一雄指揮 新星日本交響楽団、新星日響合唱団
常森寿子、伊原直子、鈴木寛一、高橋啓三
東京文化会館、1986年1月16日live
日本Victor PRC-30501(LP)


 自主制作盤。新星日本交響楽団第89回定期演奏会のlive録音。

 それなりに様式感を重視した好演。人肌感のある、ハートを感じさせる演奏。


Sigiswald Kuijken, La Petite Band, Mederlands Kammerkoor
Ingrid Schmithuesen, Catherine Patriasz, Neil Mackie, Mattias Hoelle
October 6.1986 live
ACCENT ACC8645(LP)


 DMM盤。

 S.クイケンによる1986年ブリュッセルにおけるlive録音。バイヤーBeyer版による演奏。1986年といえば、もうすっかりピリオド楽器演奏が市民権を得ていた時代。アーノンクールのような気負いは感じられず、クイケンらしいアンサンブル重視の演奏。アクセント強め、フレーズの終わりを短めに切り上げて詠嘆調にならず、旋律を歌うよりも構築していく、いい意味での刺激的なレクイエムになっている。かなり好きな演奏。ただ、白AccentのLPで、ジャケットもいかにも録音が良さそうに見えるが、それほどでもない。若干ほこりっぽく混濁気味。メジャー・レーベルよりはましという程度。惜しい。
 ジャケットはCasper David Friedrichの"Abtei im Eichwald"。


Casper David Friedrich "Abtei im Eichwald" クラシックのレコード、CDのデザインではお馴染みですね。


Riccard Muti, Berliner Philharmoniker, Stockholmer Kammerchor, Schwedischer Rundfunkchor
Patrizia Pace, Waltraud Meier, Frank Lopardo, James Morris
14-15.2.1987
EMI EL7 49640 1(LP)


 DMM盤。"Ave verum corpus" KV618を併録。

 Stockholmer KammerchorのChorleitungはEric Ericron、Schwedischer RundfunkchorのChorleitungはGuataf Sjoekvistで、Orgelも担当。

 1987年録音のムーティ盤。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団もさることながら、エリック・エリクソン率いるスウェーデン放送合唱団、ストックホルム室内合唱団ということで、ほとんどの人が合唱を褒めるdisc。ウィーンではなくベルリンで録音したのは、この合唱団を使いたかったからではないか。指揮者の作為はかなりあからさまながら、ムーティらしくひたすら歌う(歌わせる)ことに徹していて、姑息な小細工とは感じられない。オーケストラもコシの強い音で、これはこれで聴き応え十分。個人的には、かなり好きな演奏。


Leonard Bernstein, Chor und Symphonie-Orchester des Bayerischen Rundfunks
Marie McLaughlin, Maria Ewing, Jerry Hadley, Cornelius Hauptmann
Diesen(Ammersee),Klosterpfarrkirche, 3-6.7.1988
DG 427 353-1(LP)


 晩年のバーンスタインらしい主情的な演奏。これを受け入れられるならば、「偉大」と呼ぶべき演奏。

 この、アンマーゼーのディーセンにある修道院の聖堂で行われた演奏は、1978年に亡くなったバーンスタイン夫人の没後10年の記念日の演奏。個人が個人に寄せる思い・偲ぶ思いというものは、人類愛なんて概念や、世界のためなんぞという抽象的な祈りよりも、はるかに普遍性を持つものなんですよ。

 つまり、経験から出発しないで、平和とか自由とか人間とかから「じかに」出発した思想なんぞというものは、思想の名に値しないということ。経験の意味の解明なくして、自分自身の内側から自分の意味が感ぜられてくることなどあり得ない。経験の意味を解明することこそが、主観主義とは関係がない、本物の姿に一歩近づくこと、ことばの深い意味で客観的になることを可能にするのです。



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 レコード(LP)を再生した装置について書いておきます。
 古いmono盤では、カートリッジは、ortofon CG 25 D、再発盤ではSHELTERのmonoカートリッジを使いました。スピーカーはSiemensのCoaxial、いわゆる「鉄仮面」をチャンネルあたり2基の後面開放型Sachsen 202で聴いています。なお、私はmono盤でもスピーカーは2本で聴きます。
 stereo盤は、1970年あたりまでの盤はortofonのSPU GTE、以後にはCadenza Redを使用して、スピーカーはTANNOYのCornettaで聴きました。

 また、EQカーヴはRIAAで疑問を感じたものは適宜ほかのカーヴを試し、結果はなるべく記載しておきました。



(Hoffmann)