089 ベルク 歌劇「ルル」




 「ルル」"Lulu"は、アルバン・ベルクによる2作目の、未完のまま絶筆となったオペラ。原作は「ルル二部作」と呼ばれるフランク・ヴェーデキントの戯曲「地霊」"Erdgeist"と「パンドラの箱」"Die Buchse der Pandora"。「ヴォツェック」で展開された技法がよりいっそう高度に追求されて洗練されたのが、この「ルル」です。

 残念ながら「ルル」は未完のままに終わりました。完成されたのは第2幕まで。残されたのは第3幕第1場の第268小節までと、おおよその楽器編成を指示したその後のショートスコア。さらに、第3幕の間奏曲と終結部が組曲の一部として抜粋・作曲されていました。

 なので、1937年の初演以来、2幕の形で上演されていたわけです。これを補筆完成させたのがウィーンの作曲家フリードリヒ・ツェルハ。ベルクの残した草稿を元にして、15年かかって第3幕を完成させ、1979年2月24日、パリ・オペラ座で初演されるに至りました。この上演には西ドイツからシュミット首相、フランスの内相なども出席、たいへんな話題になり、終演後は大喝采、内外の新聞も絶賛しています。

 じつはアルバン・ベルク未亡人はこの未完成作品に関して、シェーンベルク、ウェーベルン、ツェムリンスキーが3人ともこのオペラを完成させることは出来ないとしたことにより、以後他人の手によって完成されることを固く禁じていたのですね。もっともこの3人が完成させることが出来ないと言ったのは、つまり補筆完成作業を断ったということ。シェーンベルクに至っては、台本のなかに「ユダヤ人の豚野郎」ということばに気分を害したためとも言われています。ウェーベルンが断った理由は不明で、ツェムリンスキーの場合は、大いに興味をそそられたものの、2年間の研究の後、ベルク自信が完成したものだけで上演した方がよい、と言ったそうです(ただしツェムリンスキー未亡人はこの仕事を依頼された事実も、断った事実もないと証言しています)。

 また、未亡人の禁止令はこのオペラの主人公ルルが、ベルクがひそかに愛した女性をモデルとしていることに気付いたためであるとも言われています。ちなみにその女性はマリー・ショイフルといって、ベルクの子供アルビーネ・ショイフルも産んでいますが、ベルクは認知せず、しかし関係は長く続いて、ベルクの葬儀にも参列、ベルク未亡人を訪ねるも門前払い。うーん、アルビーネ・ショイフルは、未亡人がベルクと結婚したときにはもう9歳、それにベルク未亡人だって皇帝フランツ・ヨーゼフとアンナ・ナホヴスカの間に生まれた私生児ですからね。もう少し親切にしてやってもよかったんじゃないかとも思います。ま、たぶん遺産相続の問題でしょうね。ついでに言っておくと、マリー・ショイフルがルルのモデルであったというのは、ベルクの親戚や研究者によって否定されています。

 ともあれ、禁止令を遺言に残したまま未亡人は逝去。ところがベルクの遺稿を所有しているウニヴェルザール・エディション社はあえてこの作品を完成させて出版しようと考えたのですね。その手許に「ルル」が3幕形式であることを明示したベルクの署名入り契約書があったこともその行動を後押ししました。ツェルハに依頼したのは1963年。未亡人は認めず、そこでウニヴェルザールは未亡人に内緒でベルクの遺稿をツェルハに見せました。つまり一切は秘密の内に進められたわけです。そしてついに完成。

 ベルク未亡人は既に逝去、その意思を尊重する義務を負っているアルバン・ベルク基金はツェルハ補筆版の出版に反対して法的処置を執りましたが、一応ツェルハの仕事ぶりを確かめようと、オペラ座での上演を許可して、最終的に2幕までと3幕の補筆版とを分けることで出版を認めています。「ルル」3幕版は1979年に出版され、同年2月24日、ピエール・ブーレーズの指揮、パトリス・シェローの演出でガルニエ宮にて世界初演されました。ツェルハによる補筆完成版は、残されていた草稿も参照した上での作業で、第2幕までと様式的にも一致しており、これで「ルル」の全貌が明らかにされたと評価されています。

 従来の「ルル」上演では、第2幕の後に「ルル」組曲の一部(「変奏曲」と「アダージョ・ソステヌート」)を伴奏として、ルルの凋落をあらわすパントマイムが演じられることが多かったのですが、ここに完成した第3幕ではルルの没落の過程を描いており、第1場ではいかさま師たちに利用され、第2場でロンドンに逃れた彼女は街娼にまで身を落とし、切り裂きジャックに殺されてしまいます。なお、この切り裂きジャックとシェーン博士を同じ歌手に歌わせるというのは、ベルク自身の指示によるものです。


 以下は手持ちのdisc、録音年順に―

レオポルド・ルートヴィヒ指揮 ハンブルク国立歌劇場管弦楽団
ローテンベルガー、ブランケンハイム、ウンガー、ボルイ、マイヤー、ヴォールファールト
16-19. II & 15. III 1968
独EMI 153EX29 0347 3(3LP)


 オペレッタ歌手として、あるいはカラヤンの「薔薇の騎士」のlive映像でお馴染みのアンネリーゼ・ローテンベルガーによるルルが聴けるレコード。本邦未発売だったが、結構有名なレコード。私は高校生の頃に某輸入レコード店で購入した。あまり神経質でなく、知的かつ可愛らしい声のルル。その他の歌手もよく、指揮も手堅い。


カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
シリヤ、グートシュタイン、クメント、ホッター、メードル、ブランケンシップ
1968.12.16.
ANDANTE AN3050(2CD)


 カール・ベームならばDGの正規録音よリもこちらのliveを。バイロイトで「ニーベルングの指環」を指揮していた頃のベーム最盛期の記録。


クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
シリヤ、ベリー、ホプファーヴァイザー、ホッター、ファスベンダー、ラウベンタール
1976.
英DECCA D48D3(3LP)


 英プレス。
 音質はベラボーに良い。「ヴォツェック」もそうだったが、ドホナーニが振るとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が上手くなったように聴こえる。指揮者のシャープな感覚に豊麗な響きが加わる。歌手陣にも穴がなく、とくにシリヤの歌唱は鳥肌もの。2幕版のstandard。


ピエール・ブーレーズ指揮 パリ・オペラ座管弦楽団
ストラータス、マツーラ、リーゲル、ブランケンハイム、ミントン、ティアー
1979.
独DG 2711 024(4LP)


 ツェルハによる補筆完成版。国内盤が出たとき、かなり話題になったことをよく覚えている。私もそのときは国内盤を買った。アルバン・ベルクに、あるいは「ルル」に関心があるならば必携のdisc。ストラータスをはじめ、歌手も良い。私としては、第三幕に「切り裂きジャック」が登場するのがポイント高し。


(Hoffmann)