011 「遠野物語・山の人生」 柳田国男 岩波文庫 それでは、(鉱)山からの連想で、私、Klingsolがこの本を取りあげます。 柳田國男 柳田民俗学については、さまざまな側面から研究が進んでおり、その研究の歴史は柳田民俗学からの脱却をめざしたもの、といっても差し支えないでしょう。 柳田國男はエリート官僚という立場故に、時局に抗するにも自ずと制限がありました。たとえばその初期の研究において、日本人の源流たる「山人」について仮説を立てる際にも、当時のアウトサイダーこそが先住民であるとするわけにもいかず、「山人」に関する研究を投げ出してしまいました。そうしてたどり着いたのは、日本人は「常民」(=定住農耕民、すなわち普通の農民)がコメ文化を固守する単一民族であるとの結論。いや、それは「結論」というよりもむしろ「前提」になってしまって、山村の調査を行っても、その実地調査は、弟子たちに「自分の意見を交えず、事実だけを記録しろ」と命じて、その最終記録をあらかじめ用意した答えを見つけるためにのみ、利用していた・・・。 第二次世界大戦中は民俗学は国策のなかに組み込まれてゆき、ドイツ民俗学という先例においてオカルティズムとの接近があったことから、日本でも「日本人はムー(大陸)の子孫たる白人種の一種」であるなどという主張も現れました。さすがに柳田はこんな主張はしていないんですが、戦時下においては、柳田もそうした「偽史」とまったく無関係ではいられなかったわけです。 そんな時を経て、戦後を迎えた柳田は、農政学の観点から植民地政策を練っていた頃の、「多様な日本」という認識をすっかり忘れ去ってしまい、「郷土」にも「日本人」にも、現代人全般に通じる予定調和なイメージを都合よく見出すだけの「一国民俗学」であることに満足してしまいます。近代が古代や中世とは直結していないことに気が付かず、柳田が「発見」した日本の伝統は、ほとんどが近代日本で創始された「伝統」。これは、日本人の起源を語らなくなった柳田が、着地点を失ってしまったということ。そして晩年、日本人ははじめから日本人だった、という主張を完成させるために、遺作となった「海上の道」を書きますが、もはや痛ましい自己弁護でしかないのでは・・・。 以上のような「一国民俗学」の柳田國男への批判に対して、いやいや柳田は決して「山人」の実在説を放棄したわけではないんだよ、先住民の研究ではなくて、焼畑狩猟民の遊動的生活から導かれた「協同自助」の社会の研究に「山人」の実在を求めていたんだよ、という主張もあります。たとえば柄谷行人の「遊動論 柳田国男と山人」(文春新書)などがそうです。 近年、柳田國男の漂白放浪民に関する論考をまとめた本が何冊か刊行されており、とくに河出書房新社から出た「被差別民とはなにか」と「賤民にされた人びと」は、柳田による非常民についての論考をまとめて読める良書。ただ、やはりどれも初期に書かれたものなのですよ。 遠野にて 「遠野物語」が刊行されたのは明治43年。これは「民俗学」以前。赤坂憲雄のことばを引けば、ここには「名づけえぬ『民俗学』以前の混沌が詰まっている」、「手垢まみれの意味に捕捉されることのない思想のかけらが、そこかしこに裸身を晒し転がっている」重要な著作です。 この、百十九話のひとつひとつがたいへん簡潔な物語集は、明治42年の2月頃から、水野葉舟の引き合わせにより知り合った、遠野出身の佐々木喜善から聞いた話をまとめたもの。佐々木喜善は遠野弁はなはだしく、ひどく聞き取りづらい語りであったそうですが、その地勢の紹介、習俗・年中行事に至る伝承・世間話を、柳田自身に言わせれば、「自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまゝ書きたり」ということです。 ところが、いまでは原話の改竄・修正があったことは周知の事実。そのあたりが、柳田への批判・非難につながっているのです。強いて弁護するならば、「感じたるまゝ」ということで、「遠野物語」は文学作品であって、編集され分類されている。柳田がそうしたのは、その説話に潜む真実を暴き出そうとしたから、だからこそ歴史に残る説話集となった、とも言えるわけです。その後佐々木喜善も自ら「聴耳草紙」などの昔話集を書きつづっており、柳田の仕事を補完してくれています。 佐々木喜善記念館にて 一応、「遠野物語」執筆の背景をおさらいしておくと、この時期、柳田自身がかかわった植民政策が朝鮮併合で、その先例が台湾植民政策です。それを踏まえて、献辞と序文を見てみると― 献辞は「この書を外国に在る人々に呈す」とある。では、「外国に在る人々」とは誰を指すのか。柳田自身は西洋在住の友人に送ったものだと後に言っているんですが、そうでしょうか? これは、「心が外国に向いている日本のインテリ知識人に呈す」といった解釈が通説。つまり、西欧崇拝よりも自分の国である日本に目を向けろ、ということですね。さらに「海外の民俗学者に呈す」という解釈もあります。柳田はインターナショナルな視点にも欠けていないひとなので、自分の研究を日本の民俗学として示そうという考えであっても不思議はない。いったい、どれが正しいのか? 序文には「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。」とある。陳勝呉広とは中国最初の統一国秦を崩壊させるきっかけとなった農民反乱を起こした首領二人の名前です。では、「外国に在る人」とは山人=現地人で、日本の植民政策に対する反乱を呼びかけたのか。じつはそのような解釈をする研究者もいるのですが、少々無理があるのではないでしょうか。序文を読み進めてゆくと、「これはこれ目前の出来事なり」「この書は現在の事実なり」とあります。つまり、柳田は、山人=現地人のことはこの本に書いてある、現地人たちの自らの文化や風俗に対する思いをここから学べ、それを植民地政策に活かせよ、と言っているのではないでしょうか。 つまり、この時点でも、農政官僚として、国策に貢献しようとする姿勢が見えてくるわけです。柳田が植民地政策としての農政学を放棄するのは第一次世界大戦終結後です。これは柳田の挫折でもあり、そこから(ようやく)学問としての民俗学に取りかかることになります。それがどのような結末に至ったのかは、先述したとおり。 なお、「山の人生」に関して述べておきたいのは、大正15年に刊行されたこの本では、「サンカ」「山男」「山女」「山人」の記述があって、ここでは未だ日本人が単一民族であるという考えはないということ。これは執筆時期がそういう時期だったためです。 なので、この岩波文庫は「遠野物語」と「山の人生」を併録した、すなわち比較的初期の著書。いい組み合わせです。佐々木喜善からの聞き取りも、先に述べたとおり、現在では原話に対する改竄も指摘されていますが、それでも読んでおもしろい。いろいろ考えさせられます。 たとえここに含まれている説話が、古の山間部で囲炉裏端を囲んだ酔っぱらいの法螺話であったとしても、そして柳田の手が加わっているにしても、各話の共通点や微妙な相違点から、ユングの言うところの「集合的無意識」が浮かびあがってくるようです。 たとえば、「山の人生」の「巨人の足跡」は、いわゆる「ビッグ・フット」を連想させます。あるいは、山で出会った異形の山男はなぜかくも威嚇的で恐ろしい存在なのか・・・逆に、山女はなぜ例外なく長い黒髪の美女とされるのか・・・これはもう、語り手が男性だからに決まっています。神隠しだって、説話に残っているものは若い女性と子供が消えたという話に限られていて、成人男子の神隠しなんて、ない。なぜか? 消えたのが成人男子では、人々もあまり騒がず、たいして捜索もしなかったのでしょうか? この話は次回、私が担当するときに再び取りあげることにいたします。 (Klingsol) 引用文献・参考文献 「遠野物語・山の人生」 柳田国男 岩波文庫 「被差別民とはなにか」 柳田国男 河出書房新社 「賤民にされた人びと」 柳田国男 河出書房新社 「怪談前後」 大塚英志 角川選書 「遠野物語へようこそ」 三浦佑之/赤坂憲雄 ちくまプリマー新書 「『遠野物語』を読み解く」 石井正己 平凡社新書 「遠野物語と怪談の時代」 東雅夫 角川選書 「東北学/もうひとつの東北」 赤坂憲雄 講談社学術文庫 「柳田国男を読む」 赤坂憲雄 ちくま学芸文庫 「遠野奇談」 佐々木喜善 石井正己編 河出書房新社 「聴耳草紙」 佐々木喜善 ちくま学芸文庫 「魔の山」(上・下) トーマス・マン 高橋義孝訳 新潮文庫 Diskussion Kundry:「現代人全般に通じる予定調和なイメージ」とは、具体的にはどのような? Klingsol:「現代人全般に通じる予定調和なイメージ」というのは、「水戸黄門」をはじめとするTV番組や通俗時代小説に描かれているような、のどかで素朴な世界ということだよ。独善主義や排外主義、偏狭さや愚かさなんてまったく描かれていない通俗ファンタジーの世界だ。 Hoffmann:かつて職場に、仕事に関してまったく無能な上司がいたんだけどね、これが藤沢周平という小説家の作品について、「江戸時代の庶民の生活が、とてもよく書けている」と言っていたんだよ。ところがこいつは「江戸時代の庶民の生活」なんて藤沢周平の本でしか知らない、ほかの文献など読んだことも聞いたこともない。つまり、そんな無知無教養な手合いでも「よく書けている」なんて感心することができちゃうのが、「現代人全般に通じる予定調和なイメージ」ってことなんだな。 Parsifal:司馬遼太郎の小説なんかも、あれを史実だと思いこんでるひと、いるよね。「司馬遼太郎の本にはこう書いてあった」なんて(笑)あれは小説だということを忘れているのか、それとも知らないのか・・・。 Klingsol:「遠野物語」に関する文献は、ここに参考文献としてあげたもの以外にも多数あるので、補足しておこう。 佐々木喜善の作品にあたるならば「遠野奇談」(河出書房新社)、「聴耳草紙」(ちくま学芸文庫)が入手しやすい。遠野市立博物館から全4巻の全集が出ていたけれど、私は入手し損ねて、どれかの巻が品切れ再版予定なしのはず。 また、佐々木喜善を柳田國男に引き合わせた水野葉舟の「香油」「黄昏」「旅からのはがき」「土淵村にての日記」「遠野へ」といった日記風のエッセイが、花巻ー遠野間を往く馬車、雪道、あるいは宿の情景などを語り、「遠野物語」の背景となる地方の雰囲気を伝えていて、柳田、佐々木による怪異譚を読む際には脇に控えさせておきたい魅力がある。私は青猫出版の電子書籍「水野葉舟作品集」をamazon kindleで読んだ。 ほかに水野葉舟による怪異譚は、ちくま文庫の「文豪怪談傑作選 特別篇 百物語怪談会」に3篇、「同 明治篇 夢魔は蠢く」に12篇の小品が収録されている。後者には佐々木喜善の作品と日記の一部も収録されている。いずれも東雅夫によるセレクション。 Kundry:そもそも、山は異界なのか、そこには何ものかが棲んでいるのか・・・。 Parsifal:「自然はあなたの精神をまったく必要としていません」 Klingsol:(微笑)続きを言わせてもらっていいかな? 「自然はそれ自体精神です」 |