014 「文豪怪談傑作選 特別篇 文藝怪談実話」 東雅夫編 ちくま文庫




 第11回からは主に「山の人生」からの連想で、前回の「山の怪談」へと流れましたが、今回は同じ第11回の「遠野物語」が、怪異譚、説話集というところから百物語と連想して、ちくま文庫の「文芸怪談実話」を取りあげます。

 怪談大好き、怪奇小説大好き、ちなみにホラー映画も、古典から現代のものまで、傑作、名作、石ころ(B級)、ごみクズ(Z級)作品も含めて、好きです。

 怪奇実話ものも結構読んでいるんですが、古いものばかり。最近のものはあまり読んでいません。なんとなく胡散臭いという先入観があることも理由のひとつですが、どうも似たような話が多いんですよね。その意味では、都市伝説テーマからのアプローチがふさわしそうです。

 手許にあるのは、前回お話しした山の怪異集のほかには、田中貢太郎の著作、志村有弘編著の何冊か、海外のものでは、比較的最近翻訳が刊行されたアンドルー・ラングの「夢と幽霊の書」(作品社)のほかには、「ゴースト・ハンター」と呼ばれるエリオット・オドンネル Elliott O'Donnell の本が何冊か・・・”Ghostly Phenomena”(1913)、”Phantoms of the Night”(1956)、”Family Ghosts and Ghostly Phenomena”(1933)、”Haunted Churches(1939)”、”Haunted Waters”(1957)など、本棚を探したら5冊出てきました。オドンネルも結構胡散臭いんですけどね(笑)、初期のものはなかなか面白い。

 さて、ちくま文庫の「文芸怪談実話」です。冒頭の山下清のイラスト付きエッセイ、遠藤周作と三浦朱門がふたりで旅行中に出くわした幽霊に関して、それぞれの視点で書いたものを並べて、小泉八雲、岡本綺堂から淡谷のり子、多田智満子、そして豊島与志雄、内田百閒へと至るセレクション。

 こうした収録作の妙もさることながら、私がこの本に飛びついたのは、「史上最恐の怪談実話!?―田中河内之介異聞」という章立てで、徳川夢声「田中河内介」と「続田中河内介」の2篇、池田彌三郎「異説田中河内介」、長田幹彦「亡父の姿」、鈴村鼓村「怪談が生む怪談」の5編がまとめられているから。

 じつは泉鏡花の「向島の怪談会」(「鏡花百物語集」ちくま文庫に収録あり)でも、「田中河内之助」の話として言及されており、そちらに従うと、その怪談会で、飛び入りでやって来た見知らぬ男が、会も進んで夜も更けたころ、膝を乗り出して、ただ伺うばかりで済みませんが私も一つ怪談をいたしますと、話をはじめる。

 話はこの男の家にとって大事な話で、私の父が敵と狙った人を返り討ちにした話です、という前置きがあって、旧幕時代、私の殿様が短慮な人で、そのために田中河内之助という家老が切腹いたしました・・・とはじまる。

 不思議な事にはいつまで経ってもこの話が進まない。田中河内の助が切腹をいたしましたというところまで話してはまた私の父が敵を返り討ちにしました話で、中々私にとっては大事件でございますなどと始めの言葉を繰り返す。云えば云う程話がもつれて、「田中河内の助が切腹をしました」というところ以上には決して進まない。

 「田中河内の助が切腹をしました」が五六度も繰り返されるころには泉鏡花も喜多村緑郎もこっそり顔を見合わせてもじもじしはじめ、会員のなかには席を立って抜け出してしまうひともいる。それでも話し手の男は「河内の助」を繰り返していたかと思うと、ぱったり倒れてしまう。大騒ぎになって介抱すると熱が39度を越しているが、その人の家に知らせようにもどこのだれやら分からない、やむを得ず夜の明けるまでこの家で介抱していると、その人の家人が来て連れて行ったが、すぐ病院で手当をするもその夜に息を引き取った・・・という怪談会から出た怪談。

 この話を、徳川夢声はM氏とT氏に聞いた話として書きはじめ、自ら体験することとなる後日譚を語る。池田彌三郎はその怪談会に居合わせた父親から話を聞いて、長田幹彦は自身が列席していたことから見聞きしたことを語り、亡父を見たという体験の話に至る。鈴村鼓村はこれも当の怪談会に参加していて、話は別な因縁話から怪談会の夜に出来事に及ぶ。

 この怪談会での事件は怖いですね。当時現場に居合わせた泉鏡花、喜多村緑郎に相当な恐怖を植え付け、またこうして幾人かの関係者に繰り返し語られることによって、あたかも恐怖が連鎖してゆくかのようです。これはできれば先に挙げた泉鏡花の「向島の怪談会」を読んでから、取りかかっていただくとよろしいのではないかと思います。

 もうひとつ、このアンソロジーのなかで私のとびきりのお気に入りが、佐藤春夫の「化物屋敷」です。淡々と語る筆運びから、なんとも言えない妖気というか、読者にまで不安をかき立てるようなatmosphereが漂ってくる名品です。これはこの文庫ではじめて読んだわけではなくて、かなり以前から繰り返し読んでいたんですが、登場人物「石垣」がじつは若き日の稲垣足穂で、その稲垣足穂が同じ事件をもとに書いた小説「黒猫と女の子」も並べて収録されており、これはこの本ではじめて読みました。



(Hoffmann)


引用文献・参考文献

「文豪怪談傑作選 特別篇 文藝怪談実話」 東雅夫編 ちくま文庫

「文豪怪談傑作選 特別篇 鏡花百物語集」 東雅夫編 ちくま文庫
「現代怪談実話傑作選 私は幽霊を見た」 東雅夫編 MF文庫ダ・ヴィンチ
「日本怪談実話 全」 田中貢太郎 桃源社
「夢と幽霊の書」 アンドルー・ラング ないとうふみこ訳 作品社



Diskussion

Kundry:田中河内介というひとは実在したのですね。どのような人だったのですか?

Hoffmann:調べてみたんだけどね、田中河内介は幕末の薩摩藩、尊王攘夷派の志士で幼い明治天皇の教育係を務めたひと。急進的な尊皇攘夷論者で、明治天皇が御所に入った後、薩摩藩主、島津久光の上洛に合わせて挙兵計画を企て、文久2(1862)年の寺田屋騒動で薩摩藩に捕えられた後、息子・瑳磨介らと海路で薩摩へ護送される途上、船中で親子ともに惨殺された。遺体は海に投げ捨てられ、無残な亡骸は小豆島の福田村に漂着し、村民によって葬られ、同村には田中河内介の墓碑があるそうだ。河内介の殺害について公式の記録はなく、誰の命令だったのかもはっきりしていないんだけど、新政府の成立後、明治天皇が集まった臣下たちに「田中河内介はいかがした」と尋ねられ、薩摩出身者は答えることができず、押し黙ったままだったという・・・一説には、ある者が居合わせた大久保利通を指さし、「殺したのは大久保でございます」と告げたとも言われている。


田中河内介

Parsifal:いかにも怪異譚の素材になりそうなひとだね。でも、切腹したわけではないんだ。

Hoffmann:みんな記憶で書いていたり、人からの聞き書きだから、細部が違うんだよね。飛び入りの見知らぬ男も、「年とった人」だったり、「青年」だったり、名前まで判明している、というものもある。先ほどの説明は、今回取りあげた本から「最大公約数」的に拾いあげたものだ。

Klingsol:いずれにせよ、田中河内介が祟った・・・「祟った」とは言わず、そう匂わせているわけだな。

Hoffmann:なお、作者によって「河内之介」、「河内の助」の表記もあるけれど、いずれも誤り、正しくは田中河内介だ。田中貢太郎も「怪談会の夜」という小品を書いていて、当夜の怪談会に出席していた市川猿之助から聞いた話として語られており、そこでは「田中河内守」とされていたけど、これも誤り。

Parsifal:田中河内介関連の短篇はこの本に5編、泉鏡花の「向島の怪談会」に1編だね。

Hoffmann:あと、徳川夢声の「私の霊界肯定説」というエッセイが怪談会の出来事にふれており、池田彌三郎にも「不思議といえば不思議な話」という田中河内介関連の短いエッセイがある。いずれもメディアファクトリーから出ているMF文庫ダ・ヴィンチの「現代怪談実話傑作選 私は幽霊を見た」に(並べて)収録されている。編者が同じ東雅夫。さすが、こだわってるなあ。


Klingsol:アンソロジーは編者の腕の見せ所だけど、この本もさすがに読者をうならせるセレクションだね。

Kundry:ところで、「百物語」といいますけれど、なぜ「百」なんでしょうか?

Hoffmann:怪談は百話をめざすんだよ(笑)10の倍数、とりわけ10×10である100には深い意味がある。ここで会ったが百年目、百も承知、お百度参り、百貨店、百科事典と、ひとつにまとめてこれでオシマイ、完結、といったニュアンスを持っているわけだ。

Parsifal:百物語の最後に怪異が顕れるというよね。とすると、百物語は怪異出現祈願なのかもしれないね。

Hoffmann:「怪を語れば怪至る」・・・今回は百物語に連想が働いたわりには、具体的な怪談実話の話になっちゃったから、百物語というテーマについては、あらためて取りあげることにしようか。