018 「魔犬」(「ラヴクラフト全集 第5巻」) H・P・ラヴクラフト 大瀧啓裕訳 創元推理文庫




 前回の「魔法探偵」を受けて、南條竹則が翻訳した新潮文庫のラヴクラフトを取りあげてもいいのですが、表題には全7巻、別巻上下巻で「全集」となっている創元推理文庫版の方を示しておきます。

 南條竹則編訳の方も紹介しておきますと、新潮文庫で既刊は以下の3冊―

「インスマスの影 クトゥルー神話傑作選」
「狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選」
「アウトサイダー クトゥルー神話傑作選」

 創元推理文庫版は第1巻が大西尹明訳、第2巻が宇野利泰訳でそれぞれ1974年、1976年に初版が出ていたもの。第3日以降1984年から大瀧啓裕が全7巻の全集に向けて訳を担当、2005年に第7巻が出て、さらに共作・補作を集めた別巻上下巻をもって全集完結としたものです。


Howard Phillips Lovecraft (1934)

 Howard Phillips Lovecraft ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは1890年ロード・アイランド州プロヴィデンス生まれの「20世紀最後の怪奇小説作家」と呼ばれている怪奇小説作家。2歳でアルファベットを憶え、4歳で聖書を読み、16歳で天文学に関する論文を地元の新聞に寄稿したということですから、知的にはきわめて早熟かつ利発な少年だったのですが、病弱のため大学進学を諦め、アマチュア作家としての生涯を送ることになったというひとです。

 当時はまだ市民権を得ていない先達の怪奇小説を研究して実作にも応用していたものの、生前、自作の発表の場はパルプ・マガジンに限られ、単行本は仲間うちの自費出版が1冊あるのみ。それも印刷はひどいしろものだったそうで、一般読書界にはほとんど受け入れられず、他人の作品の添削をして生活の糧を得ていました。

 ちなみにパルプ・マガジンというのは、粗悪なパルプ紙に印刷された廉価な大衆雑誌のこと。おおむね扇情的な表紙や読み物が売りもので、識者からは悪書・三文雑誌と非難されていたもの。そのなかに”Weird Tales”「ウィアード・テイルズ」という怪奇小説・恐怖小説専門の雑誌があって、ラヴクラフトの作品のほとんどはこの雑誌で発表されていました。

 
”Weird Tales” 左は1934年9月号表紙 右は1941年11月号表紙

 ラヴクラフトといえばクトゥルー神話。人類の進化に先立つ悠久の太古に、この地球上で旧支配者と大いなる種族が、自分たちをつくりだした旧神に対する謀反を企てた。長い戦いの末旧支配者は敗れ、旧神によって追放あるいは幽閉の刑に処される。たとえばクトゥルーは太平洋のポナペ沖にある海底に没した都市ルルイエで死にも似た眠りにつかされ、ヨグ=ソトホートは時空の彼方の混沌に追放された。ところが旧支配者は戦いに敗れる前に従者の群れを生み出していた。この旧支配者の復活はアブドゥル・アルハザードによって予言されており、以来、この従者どもが旧支配者の解放・目覚めを待ち続けている・・・というものですね。

 ラヴクラフトの生前からその後、現在に至るまで、多くの作家たちがこの枠組みを利用して数々の作品を発表しています。代表的なところではオーガスト・ダーレスをはじめ、ロバート・ブロック、クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・アーヴィン・ハワードといった作家たちです。ただし、正確にいえば、クトゥルー神話というのはラヴクラフトの創造したものではなくて、ラヴクラフトの文通仲間であると同時に崇拝者であり、自身も作家であるオーガスト・ダーレスが、ラヴクラフトの作品からまとめあげたものです。従って、ラヴクラフトの作品を「クトゥルー神話作品」と呼ぶのは、厳密に言えば誤りということになります。とはいえ、ラヴクラフトによる著作集の表題に「クトゥルー神話」とあったからといって目くじらを立てることもない。そのあたりは読者への便宜ですから、読むうちに理解してゆけばいいのです。

 それにラヴクラフト自身もひとつの世界観を創造しているのはたしかで、特定の地名や人名、文献などを配して自作を相互に関連づけています。それでは、そもそもラヴクラフトの考えていた宇宙年代記とはどのようなものだったのかというと・・・地球の誕生後間もない、まだ地球上になんの生命体も存在していなかった頃、宇宙のさまざまな数多くの種族が地球に飛来してきた。大いなる種族、クトゥルーの眷属、南極大陸には有翼の海百合状生物・・・。これらの種族同士の抗争は激しく、やがて滅亡したが、大いなる旧支配者は未来永劫死滅することなく、時空の間隙に潜んでいて、いつの日か復活して地球を支配し、世界に狂気と混沌をもたらす・・・というものです。ちなみに、現在地球上に存在する生物は、人類も含めて、すべて食料や奴隷とするために海百合状生物によって創り出されたものだということになっています。

 ダーレスのクトゥルー神話という体系は、これをまとめて発展させたものです。ダーレスのまとめ方を批判するひとがいるのも事実で、じっさい、ラヴクラフトは”Elder God”「旧神」ということばは使っていない。そもそも「クトゥルー神話」という呼び名もおかしいと、ラヴクラフトの作品でクトゥルー神が出てくるのは「クトゥルーの呼び声」だけで、むしろ「ヨグ=ソトホート神話」と呼ぶべきではないかという研究者もいる。従って、ダーレスも功罪相半ばするといったところでしょうか。本質的なところでは、ラヴクラフトでは人間は無力な存在にすぎないのに、ダーレスの作品だと人類存亡を賭けて知識と力で戦うヒーローになってしまう。すっかり通俗化してしまって、個人的にはヒロイック・ファンタジーという看板を掲げた紙芝居と見えます。

 それでも、ダーレスはラヴクラフトの死後、文通でのつきあいしかなく、しかも特別自分にばかり目をかけてくれたわけでもない、この一地方作家の遺稿を出版するためにアーカム・ハウスという出版社を設立している。このダーレスがラヴクラフトの作品の紹介に努めたおかげで今日その小説群を読むことができるのですから、その情熱と功績は讃えられてしかるべきかもしれません。

 ついでに発音の問題にふれておきましょう。”Cthulhu”にしろ、いくつかの呪文にしろ、これらはラヴクラフトに言わせれば「見るもの」だそうで、発音についてはこれが正しいというものを示していません。だから諸説あって、曰く、「クトゥルー」、「クスルー」、「クトゥルフ」、果ては「ズールー」に「ク・リトル・リトル」なんていうのまであります。


August Derleth

 ラヴクラフトの作品では黒人や有色人種が、いかにも劣悪な人種のように書かれています。たとえば「クトゥルーの呼び声」では「生まれのいやしい混血の精神異常者・・・黒人や、白人と黒人の混血もわずかにいて・・・堕落して無知な連中」とか、「カナカ人と混血からなる凶悪な面がまえの奇妙な船員」とか・・・そして黒人の船員やインド人水夫などがあやしげな場面では必ず登場している。ラヴクラフトが人種差別論者だったことは事実で、1905年頃に書かれた未完の詩には「猿を象って造られた獣ども―あの野蛮な黒人ども」はやがて殺戮の末絶滅するであろう、などといった一節があり、また1925年、ある知人に宛てた手紙には、いっさいの交通機関と海浜において人種隔離を行うべきであると主張している。「油染みたチンパンジー」と同じ水を浴びるなどデリケートな神経の持ち主なら耐えられない、というわけです。

 それに、ラヴクラフトはヒトラーの「我が闘争」の英訳本が出たときには、熱中してひと息に読みあげ、ファシズムにかぶれて、ユダヤ人やアメリカ少数民族に対する憎悪をいっそうつのらせたと言われています。もちろん東洋人だって劣等民族の扱い、日本人はよく知らなかったようですが、当時チャイナ・タウンに生活していた中国人に対しても、「彼らがなにでできているのか・・・いやらしい腐肉をたっぷり入れてかき混ぜた、見るのも、においをかぐのも、想像するのも厭わしい、おぞましい肉汁・・・」だなんて言っています。まるで自身の小説に登場する魔物みたいな扱いですね。

 ただ、これは自分の生まれに対する不安のあらわれではないかと思われる節があります。ラヴクラフトの父親はラヴクラフトが3歳のときに発狂して、5年後に死亡している。真因は脳梅毒らしい。母親はといえば、やはり息子が29歳のときに神経症で入院し、2年後に亡くなっている。ちなみに母方の家系は近親結婚が多かったと言われています。ラヴクラフトが父親の死の原因となった病気を知っていたのかどうかは定かではありませんが、知っていたにせよ、知らなかったにせよ、自分の血に対する恐れがあったのではないか。つまり、自分もいつか狂気にとらわれるのではないか、発病するのではないか、という不安と恐怖にとらわれていたのではないかと考えられるのです。

 さらにラヴクラフト自身が生来病弱で、しばしば神経症の発作を起こすため、早熟で利発な少年であったのに大学進学を諦めたことも手伝って、「生まれ」というものに対する意識が影響を受けたと想像するのも、あながち的はずれではなさそうです。そのために、黒人・有色人種に対する憎悪ともいうべき偏見と蔑視の感情がより強烈なものに育てられたと考えられる。そんな自分の体内に流れている血に対する不安と恐れは、たとえば「インスマスの影」や「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」といった作品にあらわれています。

 
”Lovecraft at Last” By H.P.Lovecraft and Willis Conover Carrollton・Clark 1975 ※ この本はHoffmann君が所有しているものです。

 ラヴクラフトの作品の構成はおおむね倒叙法に近いものです。語り手は怪奇な結末を冒頭で予告していることが多い。だから結末の意外性にあっと驚くというものではありません。フリッツ・ライバーに言わせると、読者はあらかじめ結末を予測しているから、「確認法」とでも呼ぶべきものだということになります。その意味では、ラヴクラフトは叙述よりも描写の作家なのです。物語の本質は雰囲気であって、構成と結末よりも雰囲気を演出するための描写の方が重要と考えていたようです。怪物があらわれると、これでもかというくらいふんだんに形容詞を使い、克明に描写するんですね。このため、一般には悪文家と言われることが多い。たとえば「ダンウィッチの怪」では―

 腰から上はなかば人間に似ているものの、番犬がまだ用心深く前脚を置いている胸は、その皮膚が、クロコダイルやアリゲーターさながらの網状組織の皮になっていた。背中は黄と黒のまだらになっており、ある種の蛇の鱗に覆われた皮膚を漠然と思わせた。・・・皮膚はごわごわした黒い毛にびっしり覆われ、腹部からは緑がかった灰色の長い触角が二十本のびて、赤い吸盤を力なく突出していた。その配置は妙で、地球や太陽系にはいまだ知られざる、何か宇宙的な幾何学の釣り合いにのっとっているようだった。尻のそれぞれに深く埋もれた恰好の、一種ピンクがかった繊毛のある球体は・・・

―といった具合です。読む側が積極的に「その気」になって歩み寄らないと、ちっとも怖くない。

 ラヴクラフトをポオにも比肩する怪奇小説作家と評価するひともいるようですが、ポオとは本質的なところに違いがあって、ポオでは恐怖は審美の手段ですが、対して、ラヴクラフトは恐怖そのものを描こうとしています。その恐怖も不安をかきたてるやり方ではなく、映像的な描写に頼ったもの。たとえば「アウトサイダー」について、ラヴクラフト自身も後に「ポオの模倣が最高潮に達した」と語り、ダーレスに至っては「ポオの未発表の小説として提示されたなら、反論する者は誰もいないだろう」なんて言っている・・・ほかに「冷気」がポオの「ヴァルドマアル氏の病症の真相」に着想を得ているほか、「狂気の山脈にて」がやはりポオの「ナンタケット島出身のアーサー・ゴ-ドン・ピムの物語」を下敷きにしているのですが・・・しかしポオとはやはり性質が違って、ラヴクラフトにはポオの幾何学的精神はない。正直言ってそもそもポオと比較できるような格調高さがあるとも思えません。

 いわゆる旧支配者―魔物、怪物を登場させる作品を描いたことと、ラヴクラフトの描写重視の方法論はパラレルですから、そこを評価してもいいのかもしれませんが、怪物を出してしまえば怪奇小説も行き詰まらざるを得ないのではないでしょうか。怪奇小説を追いつめて、墓穴を掘った・・・ラヴクラフトは20世紀最後の怪奇小説作家になるべくしてなったのだと思います。まあ、ラヴクラフトが書かなくても、だれかが書くことになったのでしょう。じっさい、クトゥルー神話を書き継いでいった作家たちは、やがてヒロイック・ファンタジーに流れていったり、あるいは(安易に)SFに転身したりしてしまった・・・怪奇小説と呼べるのはかろうじてラヴクラフトまでだと思うのです。


Howard Phillips Lovecraft (1915)


 ラヴクラフトは我が国でも人気の作家ですから、翻訳もいろいろ出ているものの、上に挙げた文庫版を読めばほぼ全貌をとらえることができるはず。

 さて、今回のお話の枕に取りあげるのは創元推理文庫版全集第5巻に収録された「魔犬」です。南條竹則編訳の新潮文庫版では「狂気の山脈にて」に「猟犬」という表題で収録されています。正直なところ、この短篇はラヴクラフトの作品のなかでも特別好きなものというわけではありません。「魔犬」が重要であるのは、前年執筆発表された「無名都市」において不可解な二行聯句を謳ったとされる、狂える詩人アブドゥル・アルハザードが、はじめて禁断の「ネクロノミコン」の著者とされた作品だからです。

 申すまでもなく、「ネクロノミコン」とはラヴクラフトによる架空の書物。ラヴクラフト自身が「ネクロノミコンの歴史」という文章を執筆しており、翻訳が同じ創元推理文庫版全集の第5巻に収録されています。

 これによると、「ネクロノミコン」の原題は「アル・アジフ」といって、紀元700年頃の狂える詩人アブドゥル・アルハザードによって著されたもの。「アル・アジフ」とは、アラブ人によって魔物の吠え声と考えられた夜の音、すなわち昆虫の鳴き声を表すことば。アルハザードは死の邪霊と怪物が護り棲んでいるというアラビア南部の砂漠で10年間ひとりきりですごし、晩年ダマスカスに住んで「ネクロノミコン」を執筆した。アルハザードの最期は紀元738年、白昼通りで目に見えない怪物に捕らえられ、恐怖のあまり立ちすくむ大勢の者の前で、恐ろしくもむさぼり食われたと伝えられている。

 紀元950年、内密に流布されていたにもかかわらず、すでに思想家の間でかなり取り沙汰されていた「アル・アジフ」はコンスタンティノープルのテオドラス・フィレタスによって、「ネクロノミコン」の表題のもとにひそかにギリシア語に翻訳された。これは総主教ミカエルによって出版が禁止され、焚書処分にされた。中世になると1228年、オラウス・ウォルミウスがラテン語版を作成し、二度、一度は15世紀にゴチック体で明らかにドイツにおいて、いま一度は17世紀におそらくスペインで印刷された。しかしラテン語版、ギリシア語版ともに、1232年に教皇グレゴリウス九世によって出版が禁止された。そしてアラビア語写本はウォルミウスの時代に失われて・・・ギリシア語版は・・・ジョン・ディー博士が行った翻訳は・・・ラテン語版は・・・と続きます。


Ole Worm オーレ・ヴォーム (1588-1654) Olaus Wormius オラウス・ウォルミウス はラテン語名。

 ここで、オラウス・ウォルミウスの生没年を見ると、1588年から1654年です。とすると、ウォルミウスが1228年に「ネクロノミコン」をラテン語に翻訳したというのは、誤りということになります。しかも教皇グレゴリウスが1232年に、ギリシア語版はともかく、ラテン語版の出版も禁止したというのもおかしいし、15世紀にドイツで印刷されるはずもない。かろうじて17世紀のスペインでの印刷というのは、あり得る。だから、(後からこのあたりの矛盾に気付いて)各作品中に出てくるのはもっぱら17世紀版なのでしょう。

 「ネクロノミコン」の内容は、初期においては題名が表すように「死者の掟の表象あるいは絵」といった記述が暗示されていたが、次第に邪神にまつわる書物という傾向が強くなってきた・・・というのはごく一般的な解説で示されるところ。そこで「魔犬」にあたってみると・・・短篇「魔犬」は、墓場荒らしによって得た翡翠製の魔除けが、凄絶な呪いをもたらす経過を描いたもので―

 ・・・わたしたちはそれが、狂えるアラブ人、アブドゥル・アルハザードの禁断の『ネクロノミコン』でほのめかされるものであることがわかった。中央アジアに位置する接近不能なレンにおける、屍食宗派の恐ろしい霊魂の象徴だったのだ。

 主人公がイギリスに戻った後、奇怪な出来事がおこりはじめ―

 わたしたちは魔よけの特性、死者の霊魂と魔よけが象徴するものとの関係について、アルハザードの『ネクロノミコン』を読みふけったが、読むほどに、不安がかきたてられていった。

 ―とあります。ここに出てくる「ネクロノミコン」は、オラウス・ウォルミウスによるラテン語版ということになります。ここでは、「ネクロノミコン」はおよそ正気や健全な意識にとってはおぞましすぎる古の妖術、悪魔的秘儀の「考えと伝説」を詳述した書物であるらしいのですね。しかしこれだけで政府や教会から発禁処分とされる禁断の書とは言えそうもない。

 ところが「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」では黒魔術師ジョセフ・カーウィンが所有しており、「ダンウィッチの怪」に至っては、不完全な英語版が異世界からの怪物を召喚させるために用いられ、またそれを壊滅する呪文や祈りまでが秘められた書物となっている。

 「ダンウィッチの怪」はマサチューセッツの荒廃したダンウィッチという地域を舞台にした物語。1913年の聖燭節にウェイトリィ家の白化症の女性ラヴィニアが産んだ父親不明の子、ウィルバーは、祖父からネクロノミコンのジョン・ディーによる不完全な英訳版を譲られており、この祖父は臨終の床で次のように言い残します―

「・・・あの長い詠歌を口誦さんでヨグ・ソトホートのために門を開けるんじゃ。歌は完全版の七五一ページに出ておる。そうしたら、牢獄に火をつけるんじゃ。地上の火では、あいつはけして焼けんからな」

 「完全版」というのは17世紀のラテン語版のこと。これはこの後ウィルバーがミスカトニック大学附属図書館で閲覧を申し出ることからも分かります。もちろんその目的は自分の本には欠けている751ページにあるはずのある章句をさがすため。司書ヘンリー・アーミティッジもウィルバーにいろいろな質問を浴びせ―

 ウィルバーは、ヨグ・ソトホートという恐ろしい名前の出てくる一種の式文ないし呪文を探していることを認めざるを得なかった。(以上「ダンウィッチの怪」からの引用は南條竹則訳)

 ―これなら禁断の書とされて発禁、焚書処分されたとしても驚くにはあたらない。

 ここで注意して欲しいのは、「紀元950年・・・『アル・アジフ』はコンスタンティノープルのテオドラス・フィレタスによって、『ネクロノミコン』の表題のもとにひそかにギリシア語に翻訳された」というところ。8世紀から10世紀頃のアラビア科学成立の時代、この翻訳時代というのは、通常ギリシア語からアラビア語への翻訳なんですね。そして中世になると今度はラテン語に翻訳される。このとき、例えば天文学の専門用語など、該当するラテン語がなければ、アラビア語をそのまま使うわけです。これは12世紀あたりの翻訳者としてはありふれたこと。意図的になされることもあれば、単にものを知らなかったなどという事情も入り乱れている。ところが、ラヴクラフトは「アル・アジフ」を先行させて、それが「ネクロノミコン」としてギリシア語に翻訳されたと・・・つまりあえて順序を逆にしている。「ネクロノミコン」というギリシア語表題については、ラヴクラフト自身が、知人宛て書簡のなかで、プトレマイオスの天文学の著作がアラビア語の表題で知られている事実を利用して、「わたしは気まぐれに状況を逆転させ」たと書いている。こうしてアラブ人アブドゥル・アルハザードを「ネクロノミコン」というギリシア語の表題を持つ書物の著者にあてがったというわけです。これ、なんだか不自然ですね。この時期に訳されていたギリシア語文献のそのギリシア語はすでに死語に近く、当時のビザンツ(東ローマ帝国)のことばとも違っていたはずで、しかも翻訳者はほぼ全員が各種教会のキリスト教徒であったはず。

 とはいえ、紀元950年という時代を考えると、ふつうなら東方の古代ギリシアとオリエントの伝統文化が融合してヘレニズム文化が生まれ、ローマ人及びアラビア人を通じてひろがっていったわけですから、「ネクロノミコン(アル・アジフ)」はヘレニズムとは無関係ということになります。はからずも、その後のラテン文化とか、さらその先にあるルネサンス運動などといった近代ヨーロッパ文化とは直接のつながりがないことになる。「気まぐれに状況を逆転させ」たどころか、いかにも人類創世以前の太古の地球を支配していた旧支配者にかかわる禁断の書たるもの、これを紀元700年頃のアラビア人が著したからには、なるほどそうでなければ・・・という納得のいく設定になっているのですね。

 こうしたラヴクラフトの遊び心は、知人たちとの書簡のなかにも見受けられ、たとえばロバート・ブロックが自身が書きあげた「星からの来訪者」のなかで、ラヴクラフトをモデルにした「ニューイングランドはプロヴィデンスの神秘的な夢想家」を殺す許可を求めた際には、ブロック宛ての書簡で、「描き、殺し、軽視し、分断し、美化し、変身させるほか、どうあつかってもよい」と許可する旨を記し、証明書の体裁をとってラヴクラフトの署名のほかに、アブドゥル・アルハザード、ガスパール・ドゥ・ノール(「エイボンの書」の翻訳者)、フリードリヒ・フォン・ユンツト、レンのトゥチョ=トゥチョ人ラマ僧の署名も添えられていました。

 このような遊びも含めて、「ネクロノミコン」の綿密な設定は、いまに言われる「世界観の創出」と言っていいのではないでしょうか。ラヴクラフトにしてそうなのですから、当然のごとく、「ネクロノミコン」を再現しようとする試みはラヴクラフトの存命中からありました。ラヴクラフト自身が提案されたこともあったのですが、「ネクロノミコン」は最低でも751ページ以上の長編で、そんな大部な書物を著すのは自分の手に余るし、試みたところで怖ろしげにほのめかしたものの十分の一も恐ろしい、印象的なものはつくりだせない、と回答しています。なぜ「最低でも751ページ以上」なのかは、もうおわかりですよね。

 その後「ネクロノミコン」の創作に手を染めようという試みはいくつもあり、1973年には、アウルズウィック・プレスが贋作と明言したうえで「アル・アジフ」を出版。ただしこれは全ページをアラビア風文字の無意味な羅列で埋め尽くしただけのもの。

 1978年には、ジョージ・ヘイとコリン・ウィルソンが、16世紀ジョン・ディー版からの翻訳というふれこみで「魔道書ネクロノミコン」を出版。その内容は「驚くべき事に」、ジョン・ディーの時代より数百年後に描かれたラヴクラフトのクトゥルー神話の内容と合致している、というのが・・・なんだか、フランケンシュタイン博士の日記を発見したら、描かれている人造人間はボリス・カーロフに生き写しだった・・・みたいなご都合主義が微笑ましいですなあ(笑)お遊びとはいえ、「偽書」を創作しようというならもう少し考えなさい、と言いたいところです。

 偽書ではありませんが、時を遡って1946年、ニューヨークで古書店を営んでいたフィリップ・ダシュネスがラテン語版「ネクロノミコン」を販売目録に375ドルの値をつけて掲載したという椿事がありました。紀田順一郎の本に、おそらくそのときのものであろう、広告文の翻訳があったので、以下に引用します―

「アルハザード、アブダル著『ネクロノミコン』1647年、スペイン刊。仔牛皮表紙、多少ヤレのあるほか保存良好。本文に多数の木版画、神秘的な記号、サインあり。ラテン語にて黒魔術を論じたものと思われる。見返し蔵書票にミスカトニック大学より払い下げ品との記載あり。特別提供品」

 これには注文が殺到して、新聞記事にも取りあげられてしまったため、ダシュネスはこの冗談を謝罪しています。

 また、真面目な学術雑誌にアルハザードの著書を求める広告を出したひともいたし、作家ボルヘスが失明したのは「ネクロノミコン」を閲覧したためだ、という噂がながれたこともありました。

 私も、もしも「いまいちばん手に入れたい古書は?」なんてアンケートの回答を求められたら―

「ネクロノミコン」
17世紀版 パリ国立図書館、ハーヴァード大学のワイドナー図書館、アーカムのミスカトニック大学附属図書館、ブエノスアイレス大学図書館の所蔵品と同じもの

または15世紀にドイツで印刷されたラテン語版でも可 大英博物館所蔵品と同じもの ただし上記17世紀版よりも徹底した真贋確認を要す

 ―なんて、大真面目に回答するのも、ラヴクラフトの霊に喜んでもらえそうな気がするんですよ(笑)


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「ラヴクラフト全集」全7巻 別巻上下 大西尹明、宇野利泰、大瀧啓裕訳 創元推理文庫
「インスマスの影 クトゥルー神話傑作選」 南條竹則編訳 新潮文庫
「狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選」 南條竹則編訳 新潮文庫
「アウトサイダー クトゥルー神話傑作選」 南條竹則編訳 新潮文庫

「幻想と怪奇の時代」 紀田順一郎 松籟社




Diskussion

Klingsol:そうだね。イスラム知識人のヘレニズム化の時代背景を考えると、アラビア語のギリシア語への翻訳というのはちょっと不思議だね・・・本の内容が内容だし。

Hoffmann:まあ、闇から闇に受け継がれていった、地下出版みたいなものだと思えば・・・(笑)

Kundry:Parsifalさんがラヴクラフトを取りあげるというので、いったいどんなお話かと思っていたんですけど・・・ラヴクラフト入門から流れ流れて、結局今回取りあげた本は「ネクロノミコン」ですね(笑)

Klingsol:スペインで印刷されたものが17世紀版か・・・16世紀という設定じゃなくてよかったね。これが16世紀版だったら、ウォルミウスは12歳で翻訳しなければならないところだった(笑)

Parsifal:ほかにもラヴクラフトが考案したものには「屍食教典儀」、「ナコト写本」(南條訳では「プナコトゥス写本」)、「無名祭祀書」、「妖蛆の秘密」とか、いろいろあるけれど・・・。

Hoffmann:とりわけ重要で、もっとも多く言及されているのは、やっぱり「ネクロノミコン」だよね。

Klingsol:ボルヘスが盲目になったのは1950年代終わり頃だから・・・ブエノスアイレス大学の英米文学教授だった時期だな。なるほど、ブエノスアイレス大学図書館の所蔵品を閲覧したということで、つじつまは合うわけだ。


Jorge Luis Borges

Klingsol:あと、ダーレスの「クトゥルー神話」ではなくて、ラヴクラフトの考えていた、人類以前の異生物間の闘争と、現在の地球上の生物は海百合状生物によって創り出されたものであるというのは、ダーウィニズムの否定という意味がありそうだね。

Parsifal:ここでみなさんの「ラヴクラフト・ベスト3」を聞いておきたいな。好みでいいから、教えてよ。

Hoffmann:以前は「インスマスの影」「ダンウィッチの怪」「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」だったけど、最近は「時間からの影」と「狂気の山脈にて」かな。

Klingsol:賛成だ。「時間からの影」と「狂気の山脈にて」。中編では段取りの叙述に終始するものが多いなか、各エピソードを重厚に積み上げてゆく筆致がいいね。

Parsifal:「ダンウィッチの怪」も捨て難いよね。聖燭節にラヴィニアが父親不明の子、ウィルバーを生んで、これが山(丘)の上で「父上! 助けてくれ!」と叫ぶ・・・これはマリアが生んだイエスが十字架にかけられて「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ぶのと同じなんだよね。つまり、「ダンウィッチの怪」はアンチ・クリスト譚なんだな。
 「段取りの叙述に終始」というのはそのとおりだね。たしか仁賀克雄が、訳していると小説というより「記録みたい」と語っているのを読んだ記憶がある。


Kundry:私はそれほど読んでいませんが、「クトゥルーの呼び声」ですね。ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん・・・(笑)

Parsifal:ランドルフ・カーターものを挙げる人がいないね(笑)
 個人的には、すべてが暗示でのみ示される「家のなかの絵」が好きかな。作中に登場するピガフェッタの「コンゴ王国」はラヴクラフトが描写するとおりの実在する本だ。創元推理文庫版全集では第3巻に収録されていて、大瀧啓裕の解説にはこのあたりのことも記されていて必読だよ。


Klingsol:たしかに、大瀧啓裕の解説はこれだけで1冊にまとめてもらってもいいくらいだね。大西尹明や宇野利泰の訳に問題があるわけではないけれど、第1巻、第2巻も大瀧啓裕の新訳で出して欲しいね。

Hoffmann:ラヴクラフト原作の映画化されたものは結構あるけど、大幅に改編されていたりして、あまりいいものがないんだよね。そのなかでひとつだけ「これは」というのが、「クトゥルーの呼び声」だ。だれか、取りあげてみない?

Klingsol:私のレパートリーではないな。

Parsifal:Hoffmann君がやってよ。

Kundry:やってください(笑)

(追記)
 フウ・・・映画「クトゥルーの呼び声」、その他のラヴクラフト原作映画のページ、upしましたよ。(こちら