028 「病短編小説集」 E・ヘミングウェイ、W・S・モーム ほか 石塚久郎監訳 平凡社ライブラリー
     「疫病短編小説集」 R・キプリング、K・A・ポーター ほか 石塚久郎監訳 平凡社ライブラリー




 澁澤龍彦の「マリジナリア」のなかに「疫病文学」というエッセイがあります。

 旧約のヨブ記からはじまって、ルクレティウスの『万象論』の最後の部分、ジョロラモ・フラカストロの『シフィリス』、ボッカチオの『デカメロン』の序、デフォーの『疫病流行記』、ポーの『赤死病の仮面』、ユイスマンスの『スヒーダムの聖女リドヴィナ』、リラダンの『ポートランド公爵』(古代のレプラを扱っている)マルセル・シュオッブの『黄金仮面の王』(これもレプラ)、ルノルマンの『モロッコの春』(天然痘)、ミシェル・レリスの『癲癇』、ジョゼフ・デルテイユの『コレラ』、それにホーフマンスタールの『バッソンピエール元帥綺譚』にいたるまで、あらゆる難病や悪疫をテーマとした作品をあつめて、疫病文学選集というのを作ったらおもしろかろうと夢想したのは、もうかれこれ十年以上の前のことになる。疫病は、とくにロマン主義文学にとって親しいテーマなのである。

 なるほど、なかなかおもしろいアイディアですね。ペストとかレプラなんてそれだけで一冊まとまってしまいそうですが、ただテーマにされているだけではなく、すぐれた作品でなければ収録する意味がありませんからね。などと、偉そうに言っていますが、上記のうち、私が読んだのはボッカチオ、デフォー、ポー、ユイスマンス、リラダン、シュオッブ、ホフマンスタールのみなんですが。

 私がこのエッセイをはじめて読んだのも、もうXX年以上も前のこと。その後、おそらく世界初だと思いますが、エイズを扱った作品、ドミニック・フェルナンデスの「除け者の栄光」も出版され、私としてはこれもリストの末尾に加えておきたいところです。あと、搦め手でトーマス・マンの「魔の山」も加えてみてもいいかも。もちろん結核文学として・・・いや、あれは「結核病棟文学」といったほうがふさわしいかな。

 さて、この「病短編小説集」に収録されているのは、英米文学の短篇作品に限られているので、必ずしもすぐれた名品ばかりとは言えないのが残念。この本の腰巻(帯)には「文学と医学の共犯/文学は病をどう語ってきたか。/病は文学によって、どのように意味づけられてきたのか。・・・」とありますが、特段「意味づけられて」はいないのではないかな、という作品も収録されています。

 ここで目次を転記しておきましょう―


1 消耗病・結核
 村の誇り ワシントン・アーヴィング
 サナトリウム W・サマセット・モーム
2 ハンセン病
 コナの保安官 ジャック・ロンドン
 ハーフ・ホワイト ファニー・ヴァン・デ・グリフト・スティーヴンソン
3 梅毒
 第三世代 アーサー・コナン・ドイル
 ある新聞読者の手紙 アーネスト・ヘミングウェイ
4 神経衰弱
 黄色い壁紙 シャーロット・パーキンス・ギルマン
 脈を拝見 O・ヘンリー
5 不眠
 清潔な、明かりのちょうどいい場所 アーネスト・ヘミングウェイ
 眠っては覚め F・スコット・フィッツジェラルド
6 鬱
 十九号室へ ドリス・レッシング
7 癌
 癌 ある内科医の日記から サミュエル・ウォレン
8 心臓病
 一時間の物語 ケイト・ショパン
9 皮膚病
 ある「ハンセン病患者」の日記から ジョン・アップダイク

 たとえば、ヘンミングウェイの「ある新聞読者の手紙」などは、解説によればじっさいの新聞の健康相談あてに書かれた新聞読者の手紙をそっくり借用しているとのことで、「あまりにも安直に書かれたため低い評価しか受けてこなかった」が、「当時のアメリカ社会に生きる、夫の性病に対する妻の不安とその内面を記録したものとして資料的価値は高い」とされています。たしかに、「資料的価値」は認められるかもしれませんが、やっぱり「安直」ですよね(笑)だいいち、「文学作品」と呼ぶことができるほどのものでしょうか。

 とはいえ、日頃なかなか読む機会のない作家の作品に出会えるのは、こうしたアンソロジーならでは。同じヘミングウェイでも「清潔な、明かりのちょうどいい場所」は、いかにもこの作家らしい、交わされる会話のニュアンスに味わいのある佳品です。ほかに印象に残ったものといえば、アップダイク、ジャック・ロンドンあたり。


 さて、この「病短編小説集」の出版は2016年、その後コロナ渦で新たに編まれて2021年に出たのが「疫病短編小説集」です。

 これも、目次を転記しておきましょう―


1 疫病
 赤い死の仮面 エドガー・アラン・ポー
2 天然痘
 レディ・エレノアのマント ナサニエル・ホーソーン
3 コレラ
 見えざる巨人 ブラム・ストーカー
 モロウビー・ジュークスの奇妙な騎馬旅行 ラドヤード・キプリング
 一介の少尉 ラドヤード・キプリング
4 インフルエンザ
 蒼ざめた馬 蒼ざめた騎手 キャサリン・アン・ポーター
5 疫病の後
 集中ケアユニット J・G・バラード

 冒頭のポーは「いまさら」感がなくもありませんが、そう、ここにはブラム・ストーカーによる、コレラ流行をテーマにした小説が収録されているのです。正確には、コレラと明言されているわけではないのですが、描かれている病状はコレラそのもの。母親から聞いたのは1832年のコレラ流行の話を元にしていることからも間違いないでしょう。そして、1832年の流行なので、この小説中ではもっぱら「瘴気説」で語られています。これは「吸血鬼ドラキュラ」の参考図書としても必読と言えそうですね。

 監修者は、この2冊めの短編集が、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックを強く意識して編まれているとしています。しかし、こうしたアンソロジーを読んだところで、監修者が「解説」に書いているように、「英米の著名な作家たちが疫病にどのように反応し、疫病とそれを取り巻く人間や社会をいかに想像的に描いたのかを知ることは、パンデミックとどのように向き合い、その後の世界をどう想像しどう生きるかの重要なヒントを与えてくれる」とは、正直なところ、私には考えられません。「歴史は繰り返す」なんて、よく言われますが、人間の愚かさは繰り返されるものの、「疫病」をはじめとする災害は同じ顔で再び現れることなどありそうもないことです。重要なヒントがあるというのなら、「ヒントを与えてくれるだろう」なんて言うだけではなく、どんなヒントがあるのか、監修者はどんなヒントを読み取ったのか、具体的に示してもらいたいものですね。そのほうが、よほど世のなかのためになるでしょう。


”Die Pest” Arnold Boecklin

 私はむしろ、緊急事態宣言にしてもマスクの着用にしても、イヴェントの自粛にしても、なんでもかんでも政府や行政の責任を問う材料にしている「世論」に疑問を持っています。ミシェル・フーコーが「臨床医学の誕生」で言っていることを思い出してください。医学が18世紀末に単なる治療技術から国家的任務の一部となり、人間全般に対する認識をも含むこととなったこと。そして医学は健康になるためのとるべき行動を示し、そこでは模範的人間の定義が下され、人々の日常性の管理と規範化に大きく関わるようになったこと・・・。こうしたことに対する危惧を意識した方がいいのではないかと思っています。そうすると、むしろ政府や行政の介入に対して、「丸投げ」で「後はお任せ」という姿勢の危険に気付くはずだと思うのです。

 そして、かつてエイズが多くの人々の意識のなかで、同性愛その他の性的な象徴機能を有していたことも忘れてはいけません。いまではADHD、アスペルガー症候群という診断・・・というよりも名称そのものに、同様な象徴機能がはたらいて、医療や健康という概念そのものがあるべき「善き市民」「善き国民」像を強制して、たとえば「自己責任」の名のもとに「排除」や「差別」を生じさせつつあるのではないかと、心しておくべきでしょう。

 病名、すなわち名前。名前は記号でしかない、とよく言われますが、名前は象徴になり、暗喩となるのです。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「病短編小説集」 E・ヘミングウェイ、W・S・モーム ほか 石塚久郎監訳 平凡社ライブラリー
「疫病短編小説集」 R・キプリング、K・A・ポーター ほか 石塚久郎監訳 平凡社ライブラリー
「医療短編小説集」 W・C・ウィリアムズ、F・S・フィッツジェラルド ほか 石塚久郎監訳 平凡社ライブラリー

「マルジナリア」 澁澤龍彦 福武書店
「デカメロン」上・中・下 ボッカチオ 柏熊達生訳 ちくま文庫
「疫病流行記録」 ダニエル・デフォー 泉谷治訳 現代思潮社
「腐爛の華 スヒーダムの聖女リドヴィナ」 ユイスマンス 田辺貞之助訳 薔薇十字社
「黄金仮面の王」 マルセル・シュオッブ 大濱甫訳 国書刊行会
「ウィーン世紀末文学選」 池内紀編訳 岩波文庫
 ※ ホフマンスタールの「バッソンピエール公綺譚」を収録
「除け者の栄光」 ドミニック・フェルナンデス 榊原晃三訳 新潮社

「臨床医学の誕生」 ミシェル・フーコー 神谷美恵子訳 みすず書房
「隠喩としての病い エイズとその隠喩」 スーザ・ソンタグ 富山太佳夫訳 みすず書房
「死者の書・身毒丸」 折口信夫 中公文庫
「日本文学100年の名作 第6巻 1964-1973」 池内紀・松田哲夫・川本三郎編 新潮文庫
 ※ 野坂昭如の「ベトナム姐ちゃん」を収録
「狂人日記」 色川武大 講談社文芸文庫
「厨子家の悪霊」 山田風太郎 ハルキ文庫
「遙かな国 遠い国」 北杜夫 新潮文庫
 ※ 「為助叔父」を収録
「贋物漫遊記」 種村季弘 ちくま文庫




Diskussion

Parsifal:ひとつ、付け加えておこう。その後同じ監修者によるアンソロジーで、医療をテーマにした「医療短編小説集」が出ている。これもなかなかおもしろく読めるんだけど、前2冊と同じく、選ばれているのが英米ものに限られているのがちょっと残念なところだ。

Klingsol:中世においては、病は宿命や神罰として甘受せざるを得ないものだったわけだが、現代では、病は人間と労働、ライフスタイルとの関係において考察されるようになっている。人間は本質的に健全なものであるという前提に立って、病はその健全な人間を冒す有害な社会によって生み出されるという言説が流布したことによって、病人の「社会的地位」が常に意識されているんだな。

Hoffmann:問題は、サラリーマン、肉体労働者、女性、子どもといった社会性それぞれに合わせた(予防的)行動が推奨されることだ。

Kundry:それで予防医学が発達したのはたしかですよね。

Hoffmann:いや、推奨されたっていいんだけど、それが国家的な管理となることに問題はないのか、ってことなんだよ。昔、総理大臣が「期待される人間像」なんてぶち上げて物議を醸したけど、「善き市民」「善き国民」みたいなステレオタイプが人々の意識に刷り込まれると、どこかの市議みたいに、病気になるのは当人の自業自得だなんて言い出す奴が出てくるだろう?

Parsifal:いわゆる「自粛警察」なんていうのもその流れの先にあるよね。

Hoffmann:おまけに、病名の象徴機能によって被差別を生むことだってある。

Klingsol:かつては強制的な排除や隔離の対象であった病人が、社会との共生を促され、「一病息災」などということばであらわされるように、その病気を抱えて生きていかなければならないという制度になったから、患者は患者で、社会との新たな関係を打ち立てることを強制されているわけだ。

Kundry:医療制度はよくも悪くも社会制度になっていますからね。

Klingsol:スーザン・ソンタグは「隠喩としての病い エイズとその隠喩」のなかで、自らの癌との闘病体験をふまえながら、病気(とくに19世紀の結核と20世紀の癌)の象徴機能を分析して、人々の社会生活や感情生活が隠喩化されてゆくプロセスを明らかにしている。この本は必読だよ。

Hoffmann:Parsifal君が指摘した、「英米の著名な作家たちが疫病にどのように反応し、疫病とそれを取り巻く人間や社会をいかに想像的に描いたのかを知ることは、パンデミックとどのように向き合い、その後の世界をどう想像しどう生きるかの重要なヒントを与えてくれる」という「解説」、これはいただけないね。

Kundry:そんなにこだわるところですか?(笑)

Hoffmann:「匂わせ」ですませるのなら書かない方がいいよ。よく、他人を批判して根拠を示さない人っているじゃない? 「これ以上は言わない」とか「なにが問題なのか、野暮は言うまい」とかって・・・。

Klingsol:そういうひとは、単にマウントを取りたいだけで、じつはなにも考えてはないんだよね(笑)

Parsifal:ところで、日本の作品で疫病文学のアンソロジーを編むとしたら、みなさんのおすすめは?

Klingsol:折口信夫の「身毒丸」。

Hoffmann:小酒井不木にいろいろあるけど・・・そうだ、野坂昭如の「ベトナム姐ちゃん」だな。ヘミングウェイよりよほどいいぞ。もうひとつ、山田風太郎「厨子家の悪霊」とか。

Kundry:長編小説になりますが、色川武大の「狂人日記」を入れたいですね。短篇なら北杜夫の「為助叔父」などいかがでしょう?

Hoffmann:「為助叔父」かあ、叔父さんの滑稽と悲哀が渾然一体となった純粋さを、少年の視点で見ているのがたまらないね・・・Parsifal君は?

Parsifal:種村季弘の「贋物漫遊記」から、「ガセネタくらべ」だな(笑)小説というよりもフランス語で言うところの「コント」だけど。

Hoffmann:ヤラレタ(笑)

Parsifal:みんな、「重要なヒントを与えてくれる」かどうかよりも、審美的な基準で選んできたね(笑)