034 「精神科医の悪魔祓い デーモンと戦いつづけた医学者の手記」 リチャード・ギャラガー 松田和也訳 国書刊行会
    ※ 「悪魔祓い」のルビは「エクソシズム」



 
著者は国際祓魔師協会会員という異色の肩書きを持つ、アメリカの精神科医・精神医学者です。1990年代から、「悪魔憑き」「憑依」と呼ばれる症例に多く接するようになり、医学的観点から”悪魔憑依”について診断・研究、さらにはキリスト教カトリック公認の「祓魔師(エクソシスト)」からもしばしば助力を乞われ、”悪魔祓い”の現場に幾度も立ち合ってきたということです。本書はそうした経歴と実績をもつ精神科医が、これまでの「症例」についてレポートしたもので、原著の刊行は2020年。

 以下は「イントロダクション」から引用―

 本書『精神科医の悪魔祓い』は大衆文化―超常現象や超自然を煽情的に取り上げる―と、健全な霊的判断および真面目な精神医学的・科学的研究が出逢う場所に立ち入ろうとする試みである。・・・これを説明する最善の方法は、私見では、当初の懐疑派から肯定派に、そして遂には専門家に至った私自身の変容の旅を語ることだと思う。自らが実見した複雑かつ説得力ある症例を選抜し、私自身の研究手法を概略すると共に、各症例がどのように現代文化、歴史、宗教、精神医学理論と関係し特徴付けているかを解説した。

 そして選抜された症例は―

 若い女性。自称自然悪魔崇拝者。八名の証人の前で祓魔式を受けている最中に三〇分間空中に浮揚した―二人の熟練した祓魔師によれば、「一〇〇年に一度」の事例。

 主婦。誰かが宗教に関わることを言うと、聴覚を失い、反復的なトランス様の憑依状態で下品かつ冒瀆的なことを言った。

 専門職の女性。不可解な傷が生じ、全く知らないはずの複数の言語を話し、憑依状態で定期的に暴れ回り、自分自身とその評判を台無しにした。

 小柄な女性。憑依状態において、体重二〇〇ポンドのルター派執事(ディーコン)[訳注:プロテスタントで牧師に次ぐ聖職者]を部屋の端から端まで投げ飛ばした。

 このような症例では、まず当該患者の症状が自然的もしくは科学的に可能か否かを確認するため、必要とあらば検診や通常の一連の医学的検査、たとえば科学的異常を探す血液検査などを行い、発作性障害やそれ以外の脳損傷がないかを確認する・・・そして自然な、あるいは科学的な説明を決しかねるというまれな症例の場合、その人物を送り込んできた司祭、ラビ、牧師、イマーム、その他の霊的指導者の許に送り返す、とあります。もちろん、精神的に病んでいて自分が悪霊に攻撃されていると思い込んでいるだけの患者に対しては、精神医学的な援助を奨める、ということです。

 そして著者は上記の事例を軸にしつつ、上記以外の例も挙げ、悪魔憑依の症例は、本人がそう思い込んでいるだけ、あるいは何らかの精神疾患や精神病に起因するものが圧倒的に多いことを説明して、しかし、明らかにこれにはあてはまらないケースも確実に存在しており、科学的知見を超越した「悪霊」「悪魔」の存在が疑いえないという結論に達した、としています。


映画「エクソシスト」(1973年 米)から

 第2章で、著者はすべての発端となった、老齢のカトリック司祭、合衆国における数少ない公認祓魔師の訪問を受けたときのことを書いています。「悪魔による苛虐」の徴候を示している女性の診断を手伝って欲しいと頼まれて、著者の最初の返事は、職業上、私はそれまで悪魔の攻撃を受けていると思い込んでいる精神病患者は数多く見てきた、虚心坦懐に言って悪魔憑依については深い疑念を抱いています、というもの。もちろん、相手の神父は「だからこそ、先生にお願いしたいのです」と返すわけですが・・・。

 この本を一読して感じたのは、著者はもともと悪魔の憑依ということに対してあまり深い疑念を抱いていたようには思えないことです。もちろん、現在の立場で書かれているので、論旨がいまの考えに支えられているのかもしれませんが、そもそも懐疑的な人間が、「歴史的証拠もまた同様に有用であり『知る』ための重要な方法である」「憑依の症例は一般的に遭遇するものではないにしても、それが実在するという累積証拠は歴史を通じて膨大なものとなっている」などと考えるでしょうか。無批判に「累積証拠」などというのなら、もう精神科医の出る幕ではないでしょう(笑)

 精神病患者もまた幻覚を見たり、あるいはオカルト的な交信をしたり他者の「思考を読んでいる」と主張するが、精神病患者におけるそのような妄想状態は、被憑依者におけるあり得ないほどの頻度や隠された情報に関する不気味なまでの精確さとは到底比較できない。新の被憑依者は他者の「思考を読む」ことはない。彼らは単に、霊からの情報提供を受けているに過ぎない。

 ―私はこの一節を読んでちょっと目を疑いました。これでは懐疑的どころか、もはや「信じたい人間」の信仰告白ではないでしょうか。

 また、この本のなかで紹介されているある症例について、悪魔憑依でないと判断した理由は、その女性の患者は床に頽れるのに、怪我をしないように慎重に倒れ、動きに無駄がなくてパフォーマンスに見えた、というかなり主観的な感覚に頼ったものでした。このとき、横にいた、精神医学には門外漢である神父も同じ印象を受けていて、この神父と精神科医の違いは、精神科医がいくつかの心理学用語を用いて説明するという点だけです。この後に、いくつかの質問で、彼女は自己愛傾向を持つ極度の演技性人格障害であると結論するのですが、つい先ほどまで「絶対に霊的な問題に違いない」「サタンの攻撃なんだ」と主張していた牧師までが、彼女は悪魔の攻撃を受けているわけではない、と当人に告げている・・・。このケースに、経験豊かで優秀な第一人者と呼ばれるような精神科医が立ち会うことが必要だったのでしょうか?

 もう一点、たいへん気になるのは、この本に登場する、悪魔主義者を自認するある女性は、その印象的な物語を公表することを許可してくれたばかりでなく、奨励までしてくれた、というところです。著者はこれを、悪魔祓いの継続を断念した彼女の苦悩と葛藤を示す良心からのものと受け取っているのですが・・・みなさんはどう判断されますか? さらに言うと、この女性はその後連絡が途絶えて、消息も不明なんですね。「情報提供者」とはその後連絡が取れなくなって生死も不明・・・というのは、わりあい「よくあるパターン」ではないでしょうか(笑)

 先ほど書いておいた4つの症例の、怪力、空中浮揚、知らないはずの複数の言語を話したなどの現象は、どれも著者自身が確認したものではありません。すべて持ち込まれた話。「八人の証人の前で」「七人の証人が見た」「多くの証人がそうした場面を見た」などと書いてありますが、それだけで真実として認めてしまって、自分で確かめないのはまったく科学的ではありません。本来なら続けて「・・・とのことだった」と書いて判断を留保するべきでしょう。「証人」ということばにも先入観を持たせようという意図が働いていないでしょうか。その「七人」「八人」のなかには、たまたま居合わせただけの人もいたでしょう。江戸川乱歩じゃありませんけどね、一人がその場で「たしかに××を見た」と叫んだから、あとの何人かも「××を見ました」と「証言」しているだけ、ということは十分に考えられます。おまけに、その○人の証人というのがどこのだれやらもわからない。著者自身も知らないのでしょう。先ほどと同じことを繰り返しますが、情報源が不明で反対尋問どころか再確認もできない、していない、というのは、致命的です。これではインターネットの匿名投稿を鵜呑みにしているのと同じこと。

 ほかにもおかしな記述があります。「憑依」により、トランス状態になるある患者について、「驚くべきことに、それ以外のほとんどの時間においては彼女は完全に真面であり、高度な能力を発揮するのである。確かに本物の憑依ではあるが、その程度は重篤ではないとも考えられるだろう」と書かれているのです。こんなこと言ってることの方がよほど「驚くべきこと」で、このひと、「悪魔憑き」とか「憑依」ということを、映画の「エクソシスト」を見た程度の知識で、「ああいうものだ」と思っているのではないでしょうか。「憑依」されていると言われている症例で、一日中人格崩壊しているなんてものは、ありません。たいていは夜寝るときとか、何かのきっかけでしばらくの時間暴れたり騒いだりする、というものです。じっさい、一日中人格崩壊している症例は、この本の中にも紹介されていません。

 もう一点だけ―著者は敬虔で熱心なキリスト信徒が悪魔から苛虐を受けることを特別視して、「悪魔どもが善人を苦しめる一つの例」などと言っていますが、話は逆ではないでしょうか。キリスト教徒でなければ悪魔は憑かない、アメリカ人が狐憑きにならないのと同様です。信じているから暗示にもかかるし、なんらかのトラウマがフラッシュバックするなど、ストレス障害を引き起こすのです。この精神科医が「悪霊」とか「悪魔憑き」と呼んでいるものは、信じている人間の前にしか現れないものですよ。


(Klingsol)



引用文献・参考文献

「精神科医の悪魔祓い デーモンと戦いつづけた医学者の手記」 リチャード・ギャラガー 松田和也訳 国書刊行会

「バチカン・エクソシスト」 トレイシー・ウイルキンソン 矢口誠訳 文藝春秋

「エクソシストとの対話」 島村菜津 小学館



Diskussion

Parsifal:Klingsol君らしいね。

Kundry:試みに、いくつかの書評を探して読んでみたところ、著者がなぜそういった診断に至ったのかも丁寧に書かれている、と評されていました。たしかに丁寧かもしれませんが、肩書きのようなキャリアを感じさせるものではありませんでしたね。

Parsifal:本の帯(正式名称:腰巻)に、「奴らは、いる―。」とあるけどね、かえって空々しく聞こえてしまう。

Klingsol:引用したのとは別の箇所だけど、オカルティズム(本来の意味で使っているものと思うが)に関しても、「実際には全く新しいものではない。それらの活動を主要な世界宗教は何千年も前から愚かなものとして糾弾してきたのだ」などと書いている。ツッコミどころ満載だ。「何千年も前から」というのも嘘だし、「主要な世界宗教」の定義がなんであれ、それが正しいのなら、魔女狩り時代をもって悪魔の存在は証明できる。

Hoffmann:それにこの著者、カトリック以外の信仰には否定的なんだよね。どうも、カトリック謹製の通俗読み物といった印象だなあ。

Klingsol:参考文献に挙げた、バチカンの公式悪魔祓い師の話の方が、よほどまともだよ。

Hoffmann:2冊とも読んだ。イタリアでは、エクソシストがカウンセリングをやっているのか・・・と感じたことを正直に告白しておくよ(笑)バチカンもたいがいだと思うけどね。バチカンの広報によれば、「ロック・ミュージック」と「インターネット」が原因で、悪魔崇拝が盛んになっているんだそうだ(笑)

Parsifal:2010年にエクソシスト養成学校を再開して、これまで公式には認めていなかった悪魔祓いを公認したから、なにか理由付けが必要だったんだろうな。

Kundry:それにしたって、ロックとインターネットですか(笑)

Hoffmann:我々が子供の頃、昭和40年代くらいかな・・・ジーンズをはいてギターを持っていたら、それだけで「不良」と決めつけられていたのを思い出すね。あの頃は、バイクに乗っているだけで「暴走族」と言われたんだ(笑)

Parsifal:たしかエクソシストって数百人だと思ったけど、悪魔祓いの依頼は月間数千件だというから、エクソシストも過労死寸前だな(笑)

Hoffmann:2002年にアメリカでカトリック教会による児童への大規模な性的虐待と組織的隠蔽が大スキャンダルになったよね。バチカン管轄下のカトリック教会は、数百人の少年をレイプした司教たちを、コトが露見しても教区を移動させるだけですませて、被害者の両親に対しては逆ギレするか、それでおさまらないときは口止め料を払うという対応を、少なくとも50年以上続けていたんだよ。50年間に4,000人を超えるカトリック聖職者が万単位の少年少女を恒常的にレイプしていたんだ。しかも、卑劣にも聾学校や孤児院の生徒など、抵抗もできない、逃げ場もない児童が大量に含まれていたそうだ。

Parsifal:アメリカではもともとカトリックは最大派閥ではないから、これでますます権威が低下しただろうな。

Klingsol:それで福音派のような暴走気味のキリスト教保守勢力が力を付けてきたんだな。カトリックが21世紀になって悪魔祓いを再開したのは、顧客獲得の営業戦略かもしれない。

Kundry:うかがっていると、みなさん、思いっきり懐疑主義者なのも無理はないかなと(笑)それでは、空中浮揚や怪力、それに患者が知らないはずの言語―たとえばラテン語を話す、というのはどう解釈されますか?

Klingsol:空中浮揚は何人の証言者がいる、と書いているけど、先ほども言ったように、この本の著者は見ていないよね。いずれにせよ、夜間の飛行と同じで、多くの人の深層心理に働きかけるという点で都市伝説と同じだ。怪力は火事場の馬鹿力でよくあること。それほど馬鹿力でなくても、相手のバランスを崩せば部屋の端から端までなんて、そんなに難しいことではない。ラテン語というのも、著者が聞いているわけではないし、ちょっと信用できない。

Hoffmann:酔っ払ってろれつが回らなくなると、フランス語みたいな発音で日本語をしゃべる人なら知っている(笑)

Kundry:茶化しちゃダメですよ(笑)

Klingsol:学んだことのない外国語とか意味不明の複雑な言語を操る現象を「真性異言」と呼ぶんだけど、それほどめずらしいことでもないみたいだね。これを検討するには、ただ一方的に口に出すだけなのか、その言語で会話ができるのか、語彙はどの程度か、英語やドイツ語などと発音が似通った同族語ではないのか、それを聞いた人の語学知識もわからないとね・・・たとえば、ラテン語を話したのを聞いた「証人」が○人いたとして、その○人全員がラテン語に精通していたとは、ちょっと考えられない(笑)

Kundry:これで魔女、サバトと魔女裁判、悪魔祓いと続きましたが・・・Hoffmannさんはなにを取り上げられますか?

Hoffmann:悪魔祓いときたから・・・映画「エクソシスト」の話にしよう。

(追記)
 映画を観る 006 「エクソシスト」のページ、upしましたよ。(こちら