035 「あなたはなぜ『嫌悪感』をいだくのか」 レイチェル・ハーツ 綾部早穂監修 安納令奈訳 原書房




 
この本は、発酵食品のような食べ物、さまざまな恐怖症、性に関するタブーや汚れの意識など、多岐にわたる事例から人に嫌悪感を抱かせる事象を取り上げ、嫌悪感の正体とメカニズムを明らかにしようとするものです。

 取り上げられている事例からいくつか拾ってみると―

 納豆やチーズといった発酵食品。これを好む人もいれば不快に感じる人もいるのはなぜか。あるいは生きた食材をそのまま食べること。近頃話題の昆虫食。たとえばグリルしたコオロギ。チーズにもうじ虫まみれのものがある。

 コップに吐き出した唾液をもう一度口に入れるのはどうか。おそらくあまりいい気持ちはしないだろう。口のなかにあるときはなんでもない、恋人と情熱的なキスをするときには、唾液の交換もエロティックですらあるのに―。


”casu marzu”(カース・マルツゥ) 別名「うじ虫チーズ」

 著者は、身体の老廃物の例で、自分のはかまわないが他人のは嫌だという反応は、気持ち悪さの原因がどこから作り出されたものかによって不快かどうかが決まることを示していると考えています。その対象が自分に身近なほど、嫌悪感は弱まると―。

 もっとも原始的な嫌悪感は、身体にまつわる嫌悪感だということです。体内に取り込むかもしれない食べ物や飲み物、それに排泄された尿、嘔吐物、痰、唾液、汗、血液や便などに関するもの(嫌悪感から唯一除外されているのは涙)を対象とした嫌悪感ですね。これが他人のものであれば、誰かから感染する厄介ごと、病気や細菌、あるいは邪気といったものと同一視される。たとえば手で口を押さえて咳き込んだばかりの人との握手、隣に座った人のかさぶたに覆われた傷、汚れてベタベタする机での作業を強いられたときの嫌悪感がこれに該当するというわけです。

 著者の結論は、死と嫌悪感は密接につながっており、嫌悪感をおぼえることは死を思い起こさせるという実験結果から、こうした疾病や汚染への嫌悪感とはすなわち、死の予感からできるだけ遠ざかっていたいという拒否反応のあらわれで、これは人間が生き残るために備わった能力である、というものです。

 その反面、死や破滅、もっとも嫌悪を催させるものに惑わされ、惹かれてしまう例がホラー映画です。ここで著者は、注目すべきは、現実か虚構かという点で、この虚構性が気持ち悪さをエンターテインメントに変えてしまう、としています。いわゆるモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)が筋金入りのホラー映画ファンの不評を買うのはこのためであると―。
 これはちょっと単純すぎないでしょうか。いや、健全なホラー映画ファンならそれでいいんですが、世のなかには闇の世界があって、”Snuff film”の存在もささやかれていますからね。

 ホラーの魅力についてよく言われるのは、見ることで実生活のストレスや不安が和らぐ、というものですね。著者が例に挙げているのはブライアン・デ・パルマの「キャリー」(1976年)で、観客のティーンエイジャーらはスクリーンの登場人物や環境に自分を重ね合わせることができる、この種の映画は個人的なトラウマからの浄化作用を持つ、としています。
 ここに至ると、もう嫌悪感に関して論じることを忘れてしまっていますね(笑)

 ホラー映画の次に検討されているのがポルノグラフィーです。たしかに性欲と嫌悪感にも密接な関連がありますね。著者の報告する実験によれば、不快に感じても、性的に興奮しても、脳の反応はよく似ているそうです。しかし、嫌悪感と性欲は同時に存在することはできず、思考している内容によっては、嫌悪が性欲を抑制する場合があるとして、銀行の窓口に並んでいるとき、列の前にいた人が振り返ってあなたの頬を舐めたら気持ちが悪い、しかし恋人があなたの頬を舌でやさしくなぞったら、エロティックではないか? 相手が見知らぬ人であったか、親密な人であったかという以外に違いはないのだが・・・とつづきます。

 そしてアーネスト・ベッカーの「死とセックスは双子である・・・子を産む動物はやがて死ぬ」ということばを引いて、その後は人間と動物の共通点、セックスの肉体的な側面に感じる不快感・・・といった話になります。躍起になって、セックスから獣くささを取り除こうとする願望はどんな文化にも見られるとして―

 皮肉なことに、自分たちの動物性を否定しながら許容される唯一のセックスは、子孫を残すセックスという、もっともベーシックかつ動物的なものである。一方、子孫を繁栄させる目的ではなく、単に欲望の赴くまま及ぶ性行為は、それがマスターベーションであろうとホモセクシャルだろうと、長い間社会から後ろ指をさされてきた。

 ―この後はダイエットを含む、セックスパートナーを惹き付けるための肉体の改造なんて話題になってしまう。

 いうまでもなく、死と性(注意、「死と生」の誤変換にあらず)は表裏一体のものです。そこにこそ人間を(ほとんど無意識領域で)魅惑して惹き付けるものが潜んでいるのに、フロイトの「エロスとタナトス」にふれることもなく、大事なところを素通りしてしまっているようです。どうも嫌悪感を論じるのに、世俗的な領域から踏み出すことがないんですね。

 「病的なセックス」ではネクロフィリアが取り上げられているんですが、嫌悪感ではなくて「タブー」のテーマで論じているに過ぎないのです。この限界を踏み越えなければ、人間の根源的な嫌悪感の正体を解き明かすことなどできないのではないでしょうか。

 じつはこの本のはじめの方で、1972年のアンデスで氷河に激突したウルグアイ空軍機五七一便の遭難者の話が書かれています。71日間、雪に閉ざされた氷点下の環境における生存者の、有名な人肉食事件ですね。ところが、このエピソードの結びは「口にするのもはばかられるタブーのひとつが破られたわけだが、それが許されたのだ。状況によっては、カニバリズムが容認されることもある」という(だけの)もの。たしかに慎重に扱うべきデリケートな話題ではありますが、この本のテーマは「タブー」ではなくて「嫌悪感」ではなかったのか・・・と疑問を感じます。

 この本に書かれている嫌悪感・・・それは納豆やチーズのように個人差があるものか、煙草のパッケージに印刷された注意書きのような、いずれみんな克服してしまう、言い換えれば慣れてしまうレベルの「嫌悪感」なんですね。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「あなたはなぜ『嫌悪感』をいだくのか」 レイチェル・ハーツ 綾部早穂監修 安納令奈訳 原書房

「あなたはなぜあの人の『におい』に魅かれるのか」 レイチェル・ハーツ 前田久仁子訳 原書房
「香水 ある人殺しの物語」 パトリック ジュースキント 池内紀訳 文春文庫



Diskussion

Hoffmann:期待した内容ではなかったということか(笑)

Klingsol:ひととおり目をとおしてみたけど、軽いエッセイという印象だな。読みやすいけど。

Kundry:著者は嗅覚心理学の研究者ですよね。「あなたはなぜあの人の『におい』に魅かれるのか」という本を読んだことがあります。善くも悪くも、心理学というものの胡散臭さを感じました。ただ、おもしろく読んだのことはたしかです。まあ・・・私が「匂いフェチ」なところがあるので・・・(笑)

Parsifal:嗅覚関係ならアニック・ゲレというひとの、「匂いの魔力 香りと臭いの文化誌」(工作舎)がおすすめだよ。

Hoffmann:パトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」(文春文庫)も忘れがたいね。ちょっと、段取りの叙述に終始する小説だけど。