038 「プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?」 メアリアン・ウルフ 小松淳子訳 インターシフト




 
メアリアン・ウルフはタフツ大学の「読字・言語研究センター」の所長、専門は認知神経科学、発達心理学、ディスレクシア研究ということです。

 ディスクレシアとは「読字障害」のことで、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エジソン、オーギュスト・ロダン、アントニオ・ガウディ、アインシュタインがディスレクシアだったということです。これら錚々たる名前が並ぶことから、ディスレクシアには別の才能の発達に役立っているのではないかと考えられるとしています。
 もっとも著者がディスレクシアの研究に取り組んだのは、自分の子供が重度のディスレクシアであったこと、脳が本を読むときになにが起きているのかを解明するには、ディスレクシアを研究すれば明らかになるのではないかと考えたから。

 「人の脳が文字を読むことを学んできた歴史」、「人間が年を重ねていくにつれて高度化する識字能力の発達について」、「文字を読むことができない脳(ディスレクシア)とはどううことか」という三方向から論じてゆくのが本書の内容。


Marcel Proust この本はプルーストの「読書について」の引用に始まる。

 人間の脳は当初文字を読んで認識するための回路を持ってはいなかった。これが言葉を操り、象形文字を使いはじめ、さらに文字の並びを見るようになって、次第に脳が進化してきた。この脳の進化というのは、文字を認識する回路がもともとなかったので、ほかの回路が、利用され、変化して、文字認識できるようになった、ということです。つまり回路のどこかが新たに接続された、とみる。

 現在では脳のイメージ化(脳画像)によって、じっさいに文字を読んだときに脳のどの部分が活性化しているかなど、確認することができるようになっています。第一次視覚野を側頭葉と頭頂葉の言語システムと概念システムが・・・といった具合ですね。これが
ピクトグラム(絵文字)的なるものからロゴグラム(表語文字)的なものに移行すると、また使われる回路に違いが出てくる・・・シュメール文字になると意味性と音声性を持っていて、当時のシュメール人あたりから、脳に新たな認知回路が作られるようになる。

 シュメール語の次にはアッカド語。ギリシャ語のアルファベットに至ると、文字数の少なさで世界を制覇します。文字数が少ないくせにことばのもつ最小の音の単位を綴りであらわして、アルファベット型の表音文字は、こうして認知モデルを大きく進化させました。一方で、表意文字としての漢字を操る中国人や日本人の脳は、アルファベット脳とは別の進化・発展をとげることとなります。

 ・・・と、いうことは、脳の回路は文字認識を発達させるにあたって、、表音文字であれ表意文字であれ、多様な民族的言語文字システムに対して、どうとでも対応できるものだったわけです。


イカは、そのまんまの意味で、神経が太いので、神経系の研究者に重宝される。

 それでは幼児や子供はどのように文字を読むようになるのか。概ね5歳児くらいまでに相当数の音声言語を覚えてしまうとはいえ、音声言語が書記言語になるには、絵本や母親の読み聞かせが必要で、その子供自身も、指で文字を追ったり、それを声に出したりする必要がある。読字の能力には学習にが必要なのです。

 著者によれば、子供の読字能力を発達させるのは、平均5歳前後。そこでは、文字と音韻とのつながりを知覚して、綴りや単語の並びをパターンでおぼえる能力がつく。これにより、ことばの意味を理解して、文法的な関係を習得する。さらに、ことばが意味やメッセージをもっていると実感すること、文章のつながりによって物語が想定できるようになることで、社会的スキル、情動的スキル及び認知的スキルのひとつに数えられる、他人の考えを受け入れる能力の基盤が形成される、ということです。3歳から5歳くらいの子供が、自己中心的な傾向を持つのは徳性の問題ではなく、他者の気持ちや考えを思いやる能力の発達には時間がかかるということなのです。

 ここに至ると、書物というものには長短の単語がびっしりと並び、それぞれに独自の表現があるという発見が、認知の発達に大いに貢献する。しかも、音声言語とは異なる書きことば。隠喩(メタファー)や直喩(シミリー)、たとえば「バラの花びらのような頬」。ここで子供は認知的に複雑な類推の使い方も身につける。そして理解力、推論スキルの向上。

 以上、読み聞かせは読字のための準備の一環で、子供たちの読字の発達を予測する判断材料として、文字を音読する能力が挙げられるところまでで、概ね本書で論じる内容のの3分の2になります。

 この後は、子供のなかにどのように「読字能力」が備わったのかということをさらに追求するために、「読字能力」の欠落、すなわちディスレクシア(読字障害)について分析・研究することになります。先に述べたとおり、著者の娘がディスレクシアでした。なぜ娘はこんなふうになったのか。母親として認知科学者としてあらゆる文献や症例研究を調べた著者が達した(中間)結論は―おそらく脳はもともと文字を読むようにはつくられておらず、”読字中枢”のようなものはない。脳が文字を読めるようになったのは、別の視覚や聴覚の認知回路が代わりに働いたからだろう。先天的に読字に障害があるのは認知回路自体の遺伝子的な障害ではないか。多くのディスレクシアの原因はいくつかの回路の接続障害や処理速度障害ではないか。そして、これを克服するのに有効なのが・・・と続きます。

 ディスレクシアであっても、そうでなくても、ご幼少のお子さんをお持ちの方は是非。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?」 メアリアン・ウルフ 小松淳子訳 インターシフト



Diskussion

Kundry:脳科学関係はほとんど読んでこなかったのですが・・・。

Parsifal:いや、じつはそのあたりはあまり興味がなくてね、読みとばしてしまったから、あまり詳しくは語れなかったんだ。

Hoffmann:脳科学といっても茂木健一郎あたりの胡散臭さはないよね(笑)これはちゃんとした本だよ。

Klingsol:いまの話では出なかったけど、ソクラテスが書きことばを非難した話があったよね。たしか、著者は最後の方で、「ソクラテスは・・・文字を読むことによって脳がそれまでよりも深く思考する時間が生まれることを知らなかったのだ」と書いている・・・。

Parsifal:書記言語非難だね。

Hoffmann:ははーん、Klingsol君がなにを言いたいのか、わかるよ(笑)

Klimgsol:・・・それを言うなら、音読こそが黙読より先にあって、黙読によって生じたものも取り上げて検討してもらいたいところだな。

Parsifal:それはもう、別な人が有名な本で書いちゃってるから・・・(笑)

Hoffmann:ソクラテスなら、子供の読字よりも、現代のPCやスマホ環境で、読んだりしゃべったりしてくれることと対比して欲しかったかな。

Kundry:だれも言わないので、私が言いましょうか(笑)ソクラテスの時代には印刷術がなかったんですから、ソクラテスが非難した書きことばというものは、いまの印刷物とは違いますよね。そのあたりがこの本ではスルーされているようで、ちょっと気になりましたね。