042 「李白 巨大なる野放図」 宇野直人、江原正士 平凡社




 李白の生没年は701年から762年。蜀の錦州彰明県青蓮郷の人、ために青蓮居士と号しました。字は太白。これは母が身ごもったとき、宵の明星である太白星が懐に入った夢を見たことからつけられたものと言われています。

 父は富裕な商人であったらしく、幼少の頃から記憶力に優れ、百家の書を読んだり賦を作るなど文事にも勤しみましたが、一方では剣術や游侠を好み、任侠の徒に交わって人を殺めたこともあったようです。郷里に近い岷山(びんざん)の山奥に棲み、小鳥を相手としながら浮世の外に暮らしたこともありましたが、25歳の時に遍歴の旅に出て、5人の隠士と徂徠山に隠れ住んだり、仙術を修めたり・・・。推挙する人があって、長安にて出仕したのが42歳のとき。皇帝のおぼえもよく、酒ばかり飲んで気ままに暮らしていたところ、その奔放な気質と傍若無人な行動から宮廷に仕える人たちの恨みを買って中傷にあい、わずか3年で都を追放されます。

 そしてまた放浪の旅。今度は10年。安禄山の乱が起こってこれを討伐すべく兵を挙げた玄宗の息子、永王璘(えいおうりん)の参謀となるも、かえって反軍と見なされてとらわれの身となり、死罪に決せられてしまいます。ところが幸いに官軍に知友があり、流刑に減ぜられ、その途上に大赦にあって無罪に。喜んで引き返し、親族のもとに老病の身を寄せて、波乱に富む62歳の生涯を閉じました。

 ああ、62年、こうしてまとめてしまえばわずか10行あまり。

 この生涯が示すように、李白は根っからの放浪詩人でした。拘束の多い儒家思想よりも、道家の説く無為自然の自由を愛した人です。快楽主義者であって世捨て人ではない。酒なくしては一日も暮らせぬ、女も好む、案外と情熱的な面があるんですね。なのでその詩は幻想的で俗世間に対してはなんら関心を示さないもの―。技巧にはしるよりは、太い線で雄々しく、吹き上がるかのような勢いがあります。

 今回取り上げる本は、NHKラジオ第二放送で放送されたものを母体に、著者ふたりの対話形式で、江原正士が聞き手になって宇野直人が語り、李白の生涯と作品を詳細にたどってゆくものです。中国の詩でも、詩集、作品集はさまざまあれど、詩史は比較的少なく、詩人の生涯をたどったものはさらに少ないので、貴重な本だと思います。


李太白

 いくつかの場面を、詩とともに引用してみましょう。

 長安を追放された後、洛陽にいったところ、杜甫と出会ったというのは有名な話ですね。時に李白44歳、音に聞こえた大宮廷詩人。杜甫は未だ科挙に合格していない浪人中の33歳。これは杜甫の方から面会を申し入れたらしいんですが、よほど意気投合したのか、その後一緒に足かけ2年ほどの放浪の旅に出てしまいます。

 
酔別 復た幾日ぞ
 登臨 地台に徧し


 ―という書き出しの杜甫を見送る五言律詩は分かれの気持ちをうたっており、「別れを惜しんで酔うことを、私たちは何日続けたことだろう」ということですから、延々と別れの宴会を続けていたのでしょう。表題は「魯郡東石門送杜二甫」。

 
山中問答

 余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
 笑つて答へず 心自ら閑なり
 桃花 流水 窅然として去る
 別に天地の 人間に非ざる有り


 表題は「山中問答」。これは有名な七言絶句ですね。44歳で朝廷を追われた後、次の目標を探そうと名所旧跡を回り、いろいろ努力するんですが、50歳を過ぎてもどうも悟りきれないでいた頃の詩です。「山中にて俗人に答ふ」という題名でも知られているとおり、俗人に「あなたはどんなつもりでこんな人気のない山に棲んでいるのか」と問われて、自分はそういう質問に笑うばかりでこたえない、いや、この詩でこたえていますね。谷川の流れの上を桃の花がすうっと向こうの方へ流れてゆく。俗人どもの世界とは違った、純粋に美しい世界がここにはあるという、超俗の心を詠じている作品です。もしかしたら李白の自問自答なのかもしれません。碧の本来の意味は碧玉でしょう。深緑の山です。4句めの「人間」というのはいまの日本語の人間の意味ではなく、人の間(よ)、人間の世界の意味です。

 山中与幽人対酌

 両人 対酌して山花開く
 一杯 一杯 復た一杯
 我 酔うて眠らんと欲す 卿 且く去れ
 明朝 意有らば 琴を抱いて来たれ


 表題は「山中与幽人対酌」。「幽人」というのは隠者、山水の美を解する人物のこと。もう酔っ払って眠いから帰りなさい、明日の朝、その気になったら琴を携えてまた来なさい・・・と言ってるんですから、ずいぶん横柄に聞こえるかもしれませんが、後半二句は記録にある陶淵明のことばを引用したもの。陶淵明は李白よりも400年ほど前の人ですが、乱世に生きて権力争いから身の危険を感じて41歳で隠者詩人となったんですね。そんな陶淵明に、宮中を追われた我が身を投影していたのかもしれません。なに、一緒に飲んでいるのは気のおけない友なんでしょう。ちなみに「山花開く」というのは、そのまんま、花が咲いている、酔って心が開いてくる、などの説のほか、酔って顔が赤くなってきたことを表現している、という説もあるそうです。いいですね。

 時代は前後するんですが、これも有名な詩です―

 春日酔起言志

 世に処るは大夢の若し
 胡為れぞ其の生を労せん
 所以に終日酔ひ
 頽然として前楹に臥す


 五言古詩のはじめの4句です。志を言う、と大きく構えておきながら、所詮人生ははかない、努力するより酒に酔って過ごす方がまだしも有意義だ・・・と、酔った眠りから起きたところで言っているわけです。ちょっとしたユーモアは認められるものの、達観できないからこそ酒に逃げているようでもあり、官吏に登用されようとして努力しても実らない、やっと宮廷生活に入ったと思ったら失望することばかり・・・じっさい、朝廷を去る直前と思われる時期の詩です。もう、自暴自棄になっているんですね。決して明るい詩ではありません。

 このあとに、著者ふたりの対話が入るのですが、ここでマーラーの「大地の歌」についてふれられています。そのなかに、ちょっと事実誤認があるんですね。いくつか引用すると―

 
とりわけ十九世紀末、ドイツでハンス・ベートゲという人がいろんな詩人の漢詩を訳した『中国の笛』という本がかなり人気を博しまして・・・

 
李白の詩が一番多くて四首、ほかに孟浩然や王維の詩も取り入れられています。

 実際にマーラーの九番目の交響曲なのですが・・・マーラーは人一倍そういうジンクスを気にする人だったので、九番めの交響曲に「第九」と名付けず、わざと番号なしの「大地の歌」にしたそうです。


 3つめの、第九のジンクスを避けたという、いまだにこんな説がまかり通っているんですね。まあ、これはアルマ・マーラーの回想録を鵜呑みにしてしまったためだと思われるので未だ許せます。

 ところが最初の発言は問題です。「ハンス・ベートゲという人がいろんな詩人の漢詩を訳した『中国の笛』という本がかなり人気を博しまして・・・」というのも、いいかげんなレコードの解説書を読んだことによる発言だと思われますが、もちろん、ベトゥゲは中国語なんてまるでわからない人、訳せるわけがありません。ベトゥゲはほかのドイツ語訳のアンソロジーから拾ってきただけ。だから中国人以外の創作者による詩まで、オリジナルは漢詩だと思って「中国の笛」に載せてしまっているようなのです。

 こうした誤りを、「これは文学書だからしかたがない」「著者は音楽の専門家ではないのだから」と擁護する人もいるかもしれませんが、ジャンルを超えて横に広がる知識が乏しいようでは、通用しないのがいまの時代の学問だと思います。

 専門であるはずの李白の詩についても、若干の疑問があります。ここで「李白の詩が一番多くて四首」と言っているのですが、たしかに第4楽章と第5楽章はすでに特定されているし、著者は第1楽章の原詩を「悲歌行」としています。では、第3楽章は該当するものを指し示すことができるのでしょうか。いや、これは難癖をつけているのではありません、もしも「これだ」というものがあるならばぜひ教えていただきたいところです。特定できればちょっとした「新説」「大発見」になるかもしれないのですよ。


李白吟行図

 臨路の歌

 大鵬飛んで 八裔に振ひ
 中天に摧けて 力 済はず
 余風は万世に激し
 扶桑に遊んで 石袂を挂く
 後人 之を得て此を伝ふるも
 仲尼亡びたるかな 誰が為に涕を出ださん


 この詩はこの本ではじめて読みました。「臨路」とは「路(みち)に臨むの歌」、つまり「あの世へ行く路に臨んで作った歌」―辞世の詩です。著者によれば、「路」は間違って伝わった誤字らしく、崩し字で書くと「終」と区別がつきにくいそうです。また、書き下し文には反映されないのですが、一句めから四句めまで、「兮(けい)」という文字が入っている。「大鵬飛兮振八裔」という具合です。この「兮」というのは合いの手のような働きをする軽い文字で、日本の民謡の「なんとかだ、ヤレなんとかだ。なんとかだ、ソレなんとかだ」という「ヤレ」「ソレ」にあたるもので、この字が入るのは南中国、特に楚の国の民謡だそうです。また、「石袂」もじつは「左」の間違いらしいとか。

 大鵬は空へ飛んで四方八方に存分に羽ばたこうとしたが、中空で翼が折れて、自力でそれを助けられなかった。人生全体は挫折の連続だった。しかし私の仕事の名残は末永く後世まで刺激し、励まし続けるだろう。我が身は東の異国にずっとさまよい、やがて(左の)袖を引っかけて墜落してしまったけれど。しかしやはり心配だ、後世の人がこれを得てその遺産を広めても、果たして皆わかってくれるだろうか。孔子様のような見る目のあるひとはもういないんだ。じゃあ誰がこの大鵬、この私に同情して涙してくれるだろうか。

 若き日への反省と挫折の思い、しかし(おそらく)詩業のプライドがある、しかし乱世にあって、その継承には懐疑的にならざるを得ない・・・。こうした内容の詩に、「兮」という、合いの手の文字を入れるところが李白ならでは。

 杜甫をして「酒一斗、詩百編」と嘆ぜしめた天成の詩人李白の業績、遺産はたしかに、いまに伝えられています。


(Klingsol)



引用文献・参考文献

「李白 巨大なる野放図」 宇野直人、江原正士 平凡社
「李白」 新修中国詩人選集2 武部利男注 岩波書店
「中国詩史 上・下」 吉川幸次郎、高橋和巳編 筑摩叢書
「唐詩選 三」 中国古典選27 高木正一 吉川幸次郎監修 朝日新聞社



Diskussion

Parsifal:李白に関しては、杜甫などとくらべると、あまり詳しいことは伝わっていないんだよね。

Kundry:「白髪三千丈・・・」というのは有名ですよね。

Klingsol:「秋浦の歌 其の十五」だね。愁いが積もり重なってこんなに長くなったのだ・・・ちなみに一丈が約3メートルだ(笑)

Kundry:亡くなられたのも、揚子江で舟遊び中、水に映る月影をとらえようとして溺死したという伝説がありますよね。

Parsifal:実際には病死した記録が残っているらしいけど、そうした伝説も含めて、伝わっているエピソードはどれも李白にふさわしいんだよね。それが人気の理由だ(笑)

Hoffmann:E・T・A・ホフマン、エドガー・アラン・ポオとならんで大酒飲みというのがポイントが高い(笑)

Kundry:Hoffmannさんはどうも大酒飲みに弱いんですよね。それにしては自分で取り上げないんですが(笑)

Klingsol:この本の著者がマーラーの「大地の歌」第1楽章の原詩としている「悲歌行」についての検討はHoffmann君にまかせるよ。

Hoffmann:たしかに、第3楽章の原詩が特定できたら大発見だね。知る限りでは・・・それはまた別なページで話そう(笑)


(追記)

音楽を聴く 011 マーラー 大地の歌 その1 歌詞について (こちら


音楽を聴く 012 マーラー 大地の歌 その2 LP篇 (こちら

音楽を聴く 013 マーラー 大地の歌 その3 CD篇 (こちら