047 「黒死病 ペストの中世史」 ジョン・ケリー 野中邦子訳 中央公論新社




 ヨーロッパで14世紀にペストが流行したとき、この疫病の原因としてユダヤ人が毒薬散布したとして告発され、ヨーロッパ各地で暴動が起こり、多くの罪のないユダヤ人が虐殺されています。それまでも西欧には、ことあるごとに災厄の原因としてユダヤ人やハンセン病の患者などが告発されてきた歴史があります。

 もちろん、じっさいにはペスト菌がネズミから蚤によって媒介されてヒトが感染するのです。

 「吸血鬼ドラキュラ」を取り上げたときに、歴史上の黒死病(ペスト)の流行と吸血鬼騒動の時期の不思議な一致を指摘しているものがあるという話がありましたね。つまり、吸血鬼はペストという流行病の擬人化ではないか、という推測をする人もいます。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画「ノスフェラトゥ」(1978年)でも、吸血鬼は大量のネズミとともにやってきて、ペストがブレーメンの町を襲っています。


”Nosferatu:Phantom der Nacht”(1979年 西独)

 ネズミからヒトへの感染経路となっている蚤は、齧歯類、つまりネズミを宿主とします。そしてペスト菌を保菌している蚤はヒトに移って、その咬傷によって健常者が感染するのです。ペスト菌を保菌しているネズミはアジア原産のアレチネズミ、このアレチネズミから家に棲息するクマネズミに感染して、ヒトへと至るわけです。

 クマネズミは中世まではヨーロッパ内陸部には棲息してなかったと言われています。ところが、戦乱や十字軍といった社会現象、商業の発達や相次ぐ飢饉などによって、ヨーロッパ全土に拡散したらしいのですね。14世紀といえば、ヨーロッパは12世紀頃からたびたび極度の飢饉に見舞われており、なにしろ木の皮や泥、さらには人肉食の記録もあるくらいなので、多くの人々が体力的にかなり弱っていたのことも一因かもしれません。ヨーロッパ人口7千5百万人と、現代の水準(4億人超え)から見れば少ないものですが、当時利用可能であった資源の量と比べれば、人口過密もいいところで、飢饉と栄養失調はペスト大流行の直前まで続いていたのです。

 また、衛生面での不潔さについても指摘されます。中世初期のヨーロッパ人が体を洗ったり、服を着替えたりする回数は、せいぜい年に1、2回だったという事実は、キリスト教社会でもあまり公言されていません。エドワード三世が3か月に3回入浴したという噂を聞いたロンドン市民は呆れかえったそうです。さらに、市壁で囲まれた数平方kmの内側に、人間、ネズミ、蠅、汚物や生ゴミが密集していたのですから、病気にならない方が不思議なくらい。フランスやイタリアの都市には、糞尿に関連した名前の通りがあるほどです。ちなみに、19世紀あたりまでは消化器系の病気が死亡要因のトップです。これは衛生面に問題があったから。現代において悪性新生物、つまり癌などが上位に入ったのは、衛生面が改善されて、消化器系の病気で死に至ることが少なくなったため、というのが理由のひとつなんですよ。

 14世紀半ばに大流行したペストは、東方諸国で15年にわたって猛威を振るった後、西洋に到達したと言われています。現代の歴史学者は、内陸アジアのどこかで発生して、西は中東及びヨーロッパ、東は中国まで、国境を越えた交易路に沿って広がっていったと考えています。発生地としてよく言われるのはモンゴル高原、もうひとつが中世の旅人が中国への近道としてよく利用したイシク湖。この湖沼地帯は疫病が発生しやすい地域がいくつかあり、じっさいに1338年と1339年の没年を刻んだ墓石が異常に多く、なかにははっきり「ペスト」”plague”という文字のある墓碑銘も見られるそうです。

 折しも、モンゴル帝国軍が都市国家ジェノヴァ共和国の植民都市カッファを包囲して長期戦となっていた、そのモンゴル軍中に疫病が蔓延。やがて包囲されているジェノヴァ人も感染して、カッファの包囲線が終わったとき、敵味方とも戦いと病ですっかり疲弊しきっており、大勢の死者を出していました。そしてジェノヴァ人は西へと逃げ出します。出航したガレー船の船倉には病原菌を持ったネズミが体を掻きながら鼻をうごめかしていた・・・。こうして、ジェノヴァ人はペストをヨーロッパに運んだとして永遠に記憶されることになります。

 ただし、疫病の発生ごとに「ペスト」と呼ばれていたようなふしもあって、記録に「ペスト」とあるからといって、必ずしもペストが流行したものとは限りません。しかし、14世紀の黒死病はまずペストに間違いないものです。

 ヨーロッパの被害は甚大なもので、キプロス島はほとんど生存者はなく、フィレンツェの死亡率は60%、結局イタリア全土では全人口の半分が死亡したとされています。当時の報告は多少大げさらしいのですが、埋葬が追いつかなくなって、なにしろ身よりも召使いもみんな死んでしまいますから、遺体が放置されたままということもめずらしくなかったようです。

 研究者によって推定数は異なりますが、このときの死者数は全ヨーロッパで2千5百万人とも3千万人ともいわれている。じっさい、中世の文献に記されている郡部の地名で、14世紀以降消えてしまっているものがたくさんある・・・つまり、ペストで全滅してしまったということです。


”Der Doktor Schnabel von Rom”「疫病を避けるためのマスクをした医者」 パウル・フュルスト画 1656年

 ペスト(らしき疫病)は、古くは聖書にも語られていて、さらに紀元前3世紀のエジプトを中心とする悪疫の記録もペストと見られています。

 文学に現れたペストといえば、フランスのアルベール・カミュの小説「ペスト」が有名ですが、これはカミュの思想・哲学を表現するための小説。ルポルタージュとしてはダニエル・デフォーの「ペスト」がすぐれています。忘れてはいけないのが、ジョヴァンニ・ボッカチォの「デカメロン(十日物語)」。「デカメロン」は黒死病下のフィレンツェで、7人の男と3人の女がひとり一日一話ずつ、十日間話し続けて全百話の物語を語る、という形式の枠物語です。面白おかしな好色艶笑譚ばかりなんですが、その背後にはペストが蔓延する都市フィレンツェがあるのです。冒頭にはその惨状が語られていて、淡々と描写されているだけにかえって恐ろしく、滑稽な話も明日の命も知れない状況での刹那的な笑いであることを意識させられます。

 また、「ピープスの日記」で有名なサミュエル・ピープスが、17世紀半ばにペストがロンドンを襲ったときに、まさにそのロンドンで生活しており、その「日記」のなかで、当時の状況を生々しく伝えています。もっとも、夫人を疎開させた後は、ペストに怯えながらも浮気ばっかりしているのが・・・これも刹那的、でしょうか(笑)もうひとつ、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」もあげておきましょう。ペストの流行がロミオとジュリエットのメロドラマ的すれ違いを生んでしまうんですよ。ご存じない? 「ロミオとジュリエット」はよく知られているようでいて、案外と読まれてはいないのですね。


ペストによって死屍累々となった街 Michel Serre作

 そもそもペストとはどんな病気なのか。

 ペストには三種類の病型があります。ひとつは腺ペスト。生存率はこれが最も高い。それでも、治療をしなかった場合の死亡率は約60%。その病態は、感染してから数日で高熱を発し、随意筋が麻痺して引きつけなど起こすに至る、鼠蹊部や腋下部のリンパ腺が腫脹 硬結して排膿しない、3日め頃になると全身に出血性の紫斑が現れ、この黒い斑点からここから黒死病と呼ばれるようになったんですね。肺ペストというのは、喀血などの肺炎症状、心機能が低下するので、苦痛のあまり暴れたりすると一巻の終わり。こちらは空気感染する―つまり、直接ヒトからヒトへと感染するのでやっかいです。

 しかし、腺ペストと肺ペストがあって、流行するときにはいずれか一方というわけではありません。ネズミと昆虫を介して媒介された腺ペストの一部の症例では、ペスト菌がリンパ系を通って肺に感染して二次的に肺ペストを引き起こすのです。これは俗に咳ペストとも呼ばれ、咳と喀血が主な症状です。こうなると、致死率は極めて高く、治療しなければ95%から100%の確率で死に至ります。

 もうひとつは敗血症ペスト。これは手足が炭のように真っ黒に、硬くなります。ここから「黒死病」という呼び名が生まれたとする説もありますが、敗血症ペストはまれな型です。

 ペストは歴史上300年周期で流行していると言われています。いまではさまざまな抗生物質が開発されていますが、もちろん、14世紀当時は治療法もなく、運良く回復することもありましたが、死亡率は30%とも40%以上とも言われています。現代でも根絶されているわけではなく、いまでもインド、マダガスカル島(野生のアレチネズミがいる)などでは散発しているそうです。

 ネズミといえば、じつは18世紀にドブネズミが、ロシアからヨーロッパに入り込んでいるのです。その大群がヴォルガ河を泳ぎ渡っているのが目撃されているんですね。このドブネズミによってクマネズミが駆逐されたらしいのです。するとドブネズミはヒトとの交渉が少ないので、これでクマネズミ→ヒトというペスト菌の感染経路が多少とも減少したわけです。ドブネズミもなかなか捨てたものではないですね(笑)


ペスト菌

 当時、ペストの病因はどのように考えられていたのか。

 いちばん単純なのはこれこそ神の怒りという考えです。それまで不品行の限りを尽くしてきたひとが、突如として施しや善行に救いを求める例もあったそうです。かと思うと、この世限りとばかりに欲望の赴くまま、つかの間の刹那的な快楽を求め、放埒な生活に耽溺したひとたちもいたということです。

 もちろん、疫病が伝染病であるという認識さえなかった時代です。もともとヒポクラテスの唱えた、人体の四体液(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)がバランスを欠いたときにひとは病気になるという説が、歴史上長く信じられており、そこから発展して四大素(土、水、空気、火)や天体の運行(占星術・惑星)と病気との関連も考えられていました。黒死病の時代には、汚染空気というものがあって地震や火山の爆発で地表に吹き出される、これが停滞した土地で疫病が発生すると考えている学者がいて、この大気腐敗=病因説は占星術とも結びつけられ、かなり支持者がいた模様です。

 おいおい、中世って、キリスト教会が占星術を禁止していたんじゃなかったのかい、という疑問を抱かれるでしょうか。禁令が発布されたということは、民間において盛んだったからなんですよ。


ペスト菌 走査型電子顕微鏡写真

 イスパニアでは監獄に閉じこめられていたイスラム教徒が感染を逃れて、もちろんこのイスラム教徒たちは、これを神の恵みとしてアッラーを讃えたわけですが、この奇蹟の原因を隔離によるものと気づいた医者もいたらしいのですね。そのほかにも、完全に交通路網を外れたところでテント生活をしていたアラビア人がペストの流行から逃れられたという事実もありました。ところがこうした事実から導き出された感染説も、なぜかヨーロッパ全土では注目されず、隔離が有効であることが分かっていながら、大気の有害物質なんて議論に血道を上げていた状況は変わらず・・・これはあまり不思議じゃないですね。いまの時代も、発言力のある権力者というものは、たいがいアタマが固い(笑)

 問題は次―何者かが疫病を蔓延させたという説です。じつはヨーロッパに到達する前、東洋の窓とも言うべきカッファの街でペストが蔓延したときから、これははじまっています。モンゴル帝国軍がカッファを包囲していたとき、まず最初にモンゴル軍中に疫病が蔓延したわけですが、キリスト教徒にとって、異教徒であるタタール人がペストにやられるなど当然のことで、これは神の怒りというより神の助け―ペスト到来に感謝の祈りを捧げたくらいなのです。ところが、イタリア人(キリスト教徒)まで犠牲になると、神学上の問題になる・・・そこで、タタール人が死体を投石機の上に置いて、市中に向けて投げ入れた、と言い出しました。もちろん、ネズミが媒介したのであろうことは確実です。

 疫病は異教徒が蔓延させている―こうした考えは、ヨーロッパでのペスト大流行時にも同じく見られるものです。ある医師は、キリスト教徒の敵が空気、水、食物などに毒を投入している、と報告しました。「キリスト教徒の敵」というのは、言うまでもなく、ユダヤ教徒(ユダヤ人)を想定した発言です。この発言がきっかけとなったものか、1348年ジュネーヴでユダヤ人の大量虐殺が起こり、これが各地へと広まってゆくことになります。このときの陰謀説は国際的なユダヤ陰謀説に発展して、スペインのラビ・ヤコブが黒幕であるとか、その共謀者に宛てた手紙には「破門の苦しみとユダヤ法への従順を説き、大きな公共の井戸に毒を投げ込む・・・」と記されていたとか、毒を運ぶ手段や方法はこうであるとか、もっともらしい筋書きがでっち上げられています。

 現代にもある「陰謀説」と同じです。人間というものは、原因の分からない、恐ろしい災厄・不幸に見舞われたときに、これをだれかのせいにしたい、そうして納得したいと思うのはいまも昔も同じなんですね。その結果、仮想敵をこしらえて、スケープ・ゴートに仕立てて、場合によっては攻撃に出る・・・ユダヤ人の住んでいない地域では「キリスト教徒の敵」として、ハンセン病患者やアラビア人、墓堀人などが迫害の対象となったということです。

 では、患者の隔離が感染の拡大に対して有効なのは分かっていたわけですから、その後患者の隔離も行われるようになったのかというと・・・隔離政策はむしろ黒死病が終息して政情も落ち着いてからのことなんですね。ペストが蔓延して猛威を振るっている間は支配階級側もそれどころではなかったし、なにより役人も奴隷もばたばた死んでしまうのですから、手が回らなかったのでしょう。

 ところが、隔離政策には別な問題があります。隔離と言えば聞こえがいいものの、実質は患者の遺棄であり、社会的な抹殺、家族もろとも被差別者とする制度として機能してしまうわけです。薬害スモンのときも、原因が確定するまでは感染症と誤解されて、患者やその家族は地域社会ではつらい思いをしたということを思い出してください。同様なことが、たとえば歴史上、ハンセン氏病患者への根強い偏見にも影響しているのではないでしょうか。

 ユダヤ人差別・迫害においても、別な意味で「隔離」が行われることになります。その迫害の急先鋒に立ったのは、ほかでもないキリスト教徒です。ジュネーヴに続いてユダヤ人虐殺の起こったストラスブールでは、良識ある市長が、興奮した群衆に向かって、ユダヤ人が毒を投げ込んだというなら証拠を持ってこいと言いましたが、反対派はユダヤ人からの借金を棒引きにしてユダヤ人の財産を押収するという公約を掲げ、この市長と支持者を放逐してしまいます。当時商取引や金融業で社会の中心になりつつあったユダヤ人に対する怨恨もあったのでしょう。ここで隔離は医療行為ではなく、反ユダヤ主義と結びついたということです。ユダヤ人の虐殺、焼き討ちは必ず略奪行為を伴っていました。それには、その居住地がゲットーのように「隔離」されていることはまことに都合が良かったわけです。

 教皇庁はこうした流れに対して、黒死病に関してユダヤ人は無実であるという回勅を二度ばかり発布したのですが、ほとんど効果はありませんでした。なぜなら、ユダヤ人狩りにこぞって志願し、参加していたのは、己の宗教的正義を確信していたキリスト教徒たちだったからです。チューリンゲン=マイセンのフリードリヒ方伯が、ユダヤ人の迫害に関して弱腰だった市議会に向かって言ったことばは、「神を称え、その名誉を守るため、そしてキリスト教徒の利益のため」に、いますぐユダヤ人を焼き殺せ、というものです。ケルンとオーストリア間に住むすべてのユダヤ人が焼き殺されるのに1年とかかりませんでした。信仰厚いキリスト教徒が、冬の街路で槍や斧や鎌で、ユダヤ人を死ぬまで殴打し続け、熱心なキリスト教信者が、木造の家にユダヤ人を残らず押し込めて火をつけたのです。付け加えておくと、若くて美しい女性のユダヤ人は、命だけは奪われなかったそうです。信仰厚いキリスト教徒、熱心なキリスト教信者たちは、彼女たちをどうしたのでしょうか。

 こうした問題を皮肉な結果、などと言って片付けてしまってはいけません。20世紀に至っても、第二次大戦下のナチズム社会で同じことが繰り返されているのに、このときのユダヤ人の虐殺に対しては、ローマ教皇庁は指一本動かしていません。「信仰だから」「教義だから」と言えば、「アクシデント」や「誤解」の責任を負わなくて済んでしまう。それどころか、責任のあることすら自覚しないままに行動している・・・。これがキリスト教徒の反ユダヤ主義なのです。

 キリスト教に限らず、宗教というものは、本質的には閉鎖的かつ非寛容的なものなのです。また、宗教にしろ政治政党にしろ、集団となること、徒党を組むということには、その目的であるところの正義の行為に参画しているという自覚と確信が必要とされる・・・キリスト教やナチズムの場合は、ユダヤ人迫害という行為が、その確認のために機能しているということなのです。現代人は、これを歴史上の、まるで「事故」のような出来事ととらえて、「皮肉」などと嘆いているだけですが、本来なら「告発」されてしかるべき歴史上の凶悪犯罪なのではないでしょうか。ナチスの戦争犯罪を云々するなら、第二次世界大戦なんぞよりもはるかに長い、歴史上の、キリスト教徒の犯罪行為も追及しなければ片手落ちなのではありませんか?


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「黒死病 ペストの中世史」 ジョン・ケリー 野中邦子訳 中央公論新社

「ペスト大流行 ―ヨーロッパ中世の崩壊―」 村上陽一郎 岩波新書
「世界史を変えた13の病」 ジェニファー・ライト 鈴木涼子訳 原書房
「ペスト」 ダニエル・デフォー 平井正穂訳 中公文庫
「デカメロン 上・中・下」  ジョヴァンニ・ボッカッチョ 平川祐弘訳 河出文庫



Diskussion

Parsifal:この本のはじめの方で引用されている「黒死病時代のわらべ歌」なんだけどね―

 薔薇の花輪を作りましょう、ポケットをお花であふれさせ、
 くしゅん、くしゅん、みんな倒れてしまいます


 訳註によると、「くしゅん、くしゅん」というのは、原文の音がペストの赤い発疹をあらわすんだそうだ。

Hoffmann:あれ、そうなの? 肺ペストの咳だとばかり思ってた。発疹をあらわしているのは「薔薇」じゃないのかなあ、「花束」というのが薬草の束で・・・。

Parsifal:それどころか、近年、この歌と黒死病の関係を疑問視する学者もいるそうで、その主張によれば、この詩は19世紀初頭の作だということらしい。

Klingsol:マザー・グースだったよね。

 ”Ring-a-Ring-o' Roses”

 Ring-a-Ring-o' Roses,
 A pocket full of posies,
 Atishoo! Atishoo !
 We all fall down.

 ―というやつだ。

Hoffmann:映画の「猿の惑星」、あのシリーズの第一作はピエール・ブールの原作を映画化したものなんだけど、二作めの「続・猿の惑星」から以降は原作がなくて、映画が先なんだよね。で、「続・猿の惑星」はマイケル・アヴァロンがノベライズしているんだよ。そのなかに、コバルト爆弾を神と崇拝しているミュータントの子供たちが、これの替え歌を歌っているシーンがある。いまその本を持っていないけど、たしか、こんなのだ(記憶で言うので、間違っているかもしれない)―

 輪になれ輪になれ中性子、
 ポケットいっぱいの陽電子、
 核の分裂、分裂だ、
 みんなばたばた死んじまう

 さすが、マイケル・アヴァロンだ、ノベライズの名人だけのことはあるよね。映画にはないシーンで唸っちゃったよ(笑)

Kundry:ボッカチォの「デカメロン」はパゾリーニもオムニバス形式の作品として映画化していますよね。

Hoffmann:ペストから逃れるためにフィレンツェ郊外に引きこもるという枠の部分は描かれていないけどね。「カンタベリー物語」「アラビアンナイト」とともに「生の三部作」と言われている。猥雑なまでの生の謳歌がなかなか見事だ・・・けど、商業主義と批判されて、パゾリーニ自身はこの三部作を「撤回」しているんだよね。

Kundry:猥雑と言えば・・・衛生的にはかなり現代とは異なりますね。

Parsifal:入浴に関しては、19世紀あたりまではあまり状況は変わらなかったみたいだね。だからヨーロッパでは香水が発達したんだよ。ヒゲをアブラで固めて光らせるのも同じことだ。パウダーは、身体を洗わず、手っ取り早く汗を吸収するためのもの。

Klingsol:そしてまた陰謀論。

Kundry:ここでは、もともとあった反ユダヤ主義と結びついて過激化したわけですね。

Klingsol:不幸な出来事を、なにかのせいにして安心したい、納得したいという思いが、差別感情をよりどころにして爆発したんだろう。

Parsifal:たしかに、陰謀論は差別思想なんだけど、反ユダヤ主義の根本には、キリスト教徒の選民思想があるようにも思えるな。だから、キリスト教に限らないんだけど、信仰心厚い信者、熱心で敬虔な信者というのは、アブないんだよ。

Hoffmann:「アブ」というのは、”abnormal”の「アブ」だ。狂信だよ。

Parsifal:それに、選民思想には、「おれは知っている」という自意識肥大の思い上がりレベルのものもある。これはいわゆる中二病(厨二病と表記するの?)と同じもの。また、自分たちは選ばれた人間なんだという、宗教以外でも、民族の帰属意識に基づいたエリート意識もある。レイシズムなんかが典型的な例だな。これがまた宗教と結びついて、その自意識はより肥大化するわけだ。


Hoffmann:わからないことを、わからないと認めることができない、「覚醒」したいという欲望が、目に見える世界を欺瞞として、その背後に真実の世界があるという幻想に至るのが陰謀論だよね。「それ」が真理であることを見抜けるという自惚れがどこからくるのかというと、まさに選民思想こそがその基盤になっているんだ。

Klingsol:根拠のない自惚れという意味では、陰謀論者というのは、おそろしく楽天的なんだよね。