050 「城の中のイギリス人」 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ 澁澤龍彦訳 白水社




 本日取り上げるのは、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの「城の中のイギリス人」です。原題はより正確には、「閉ざされた城の中で語るイギリス人」。

 まず、作者の名前についてひと言断っておきましょう。このひとはふつう、マンディアルグと呼ばれており、翻訳本の表記もマンディアルグになっておりますが、じつはピエール・ド・マンディアルグが全部姓で、アンドレが名前です。

 「未来のイヴ」や「残酷物語」の作者も、日本では一般にリラダンと呼ばれていますが、本当はヴィリエ・ド・リラダンというのが姓で、名前はおそろしく長くて、ジャン=マリ=マシアス=フィリップ=オーギュストというものです。マンディアルグの場合もこれを同じで、貴族をあらわす「ド」が姓と名の間ではなく、姓のなかに入るというめずらしい例です。我が国で言えば武者(ノ)小路のように姓のなかに「ノ」が入る例がありますよね。ただしここでは慣用に従ってマンディアルグと呼ぶことにしておきます。


Andre Pieyre de Mandiargues と 妻のBona(1952年) 撮影はHenri Cartier-Bresson
ちなみにBonaとの結婚は1950年。1959年に別居して1961年に離婚。そして1967年に再婚しています。



 マンディアルグは1909年パリに生まれ、大学で考古学を専攻しながら、ドイツ・ロマン派やエリザベス朝の詩や演劇などに熱中、さらにシュルレアリスムにも接近して、戦後、主に画家のグループと親しく交わっていました。直接グループには参加しませんでしたが、夫人ボナはイタリアのシュルレアリスト画家ですね。1991年に82歳で亡くなっています。

 マンディアルグは日本では比較的よく翻訳されており、評論集、対談集と戯曲を除けば、主要な作品はほとんど日本語で読めるのではないでしょうか。我が国との関わりでは、三島由紀夫の戯曲「サド公爵夫人」をフランス語に移したこともあり、この翻訳については澁澤龍彦が―

 私が三島の日本語とマンディアルグのフランス語とを厳密に比較照合したかぎりでは、ほとんど完全といってもよいくらい、これは原文に忠実な翻訳なのである。この点は、いくら強調しても強調しすぎたことにはならないだろう。ただ、その日本語のニュアンスをフランス語の文脈のなかによく生かして、耳で聴くに堪える美しいフランス語に鍛え直したのは、もっぱらマンディアルグだといってもよいであろう。

 ―と言っています。

 ちなみに、三島由紀夫の「サド公爵夫人」は、三島が澁澤の「サド侯爵の生涯」を読んだのがきっかけで書かれたものですね。

 マンディアルグはべつにエロティシズム専門の作家というわけではありませんが、「かつて一度、真のエロティスムの名で呼ぶにふさわしい本を書こうとした・・・」と言っています。それがこの「閉ざされた城の中で語るイギリス人」です。さらにマンディアルグはこの本について、「この本がいつの日か、私が限りない敬意を抱きつづけているエロティスム文学の巨匠たちの末席に連なることを、私は秘かに期待しているのです」とも言っています。たしかに、これは無類の美しさがある、20世紀のエロティシズム文学の白眉といっていいものです。

 この小説は、もともと1953年に、ピエール・モリオンという匿名の作者による地下出版物として現れました。発行所は「オックスフォード・アンド・ケンブリッジ」とされており、もちろんこんな出版社は実在しません。こうした出版物は、作者が匿名であることと、その高度に文学的な内容から、名のある一流作家の筆すさびではないかと推測されるのが常です。この小説もいろいろと憶測がとびかったようですね。

 そういうことはよくあることで、たとえば「O嬢の物語」の作者ポーリーヌ・レアージュは、じつはその本に序文を寄せているジャン・ポーランそのひとであるとされており(その後名乗り出た作者あり)、ジョルジュ・バタイユもその作品をピエール・アンジェリックとかロード・オーシュ(”便所の神”の意)という匿名で出版しています。アポリネールにしても、「一万一千本の鞭」はもともと匿名出版。それに「イマージュ」の作者ジャン・ド・ベールもその正体は有名な作家の夫人と言われています。

 この小説がマンディアルグの名前でガリマール書店から新装出版されたのは1979年でしたが、それ以前からピエール・モリオン=マンディアルグ説は有力視されていたようです。我が国でも、澁澤龍彦が1967年時点のエッセイで、この小説の作者を「ほとんど九九パーセントまで、これはマンディアルグ自身の手に成るものと断定して差支えなさそうである」と書いています。

 翻訳はその澁澤龍彦によるものと生田耕作によるものがあります。

 「城の中のイギリス人」 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ 澁澤龍彦訳 白水社
 「閉ざされた城の中で語る英吉利人」 ピエール・モリオン 生田耕作訳 奢覇都館 
※ 「覇」にはサンズイ

 物語は、ブルターニュ地方の海岸の村ガムユーシュ、ここに世人の容易に近づき得ない別荘を建て、俗世間とのいっさいの交渉を断って暮らしているホレインショー・マウントアース卿(フランス風にモンキュと名のっている)に、語り手である「私」が招かれ、その生活をつぶさに見聞するというもの―。

 豪奢な城では次から次へと淫靡な性の饗宴が繰り広げられ、料理人のエドモンドという女は巨大な氷の模造男根に肛門を貫かれ、13歳の処女ミシュレットは蛸の群れている水槽のなかに放り込まれたうえ、二匹の犬に陵辱される・・・。

 そうした場面の合間には、城の主人モンキュの回想や哲学的な長広舌が挟み込まれている。そして凶暴の度を増してゆくモンキュは、「実験」と称して、誘拐してきた若い母親を十字架にしばりつけ、黒人奴隷に陵辱させながら、まだ赤ん坊であるその息子の生皮を剥ぐ。実験というのは、我が子が目の前で生皮を剥がれている瞬間でも、若い女の肉体は否応なく快感を味わうものか、ということを確認するためのものだった。

 「私」は、このままでは自分の生命も危ないのではないかと恐れ、城から脱走する。三週間後、地方新聞の三面記事により、ガムユーシュの城が大爆発で消失したことを知る。これは、かつて城の主人が、いかなる刺激にも射精を完遂することができなくなったら、巨大な男根(城)を射精(爆発)させると言っていた、まさにその結果だったのであろう・・・。

 そしてこの小説はモンキュが言った、次のことばで結ばれる―「エロスは、黒い神だ」


Andre Pieyre de Mandiargues と Octavio Paz

 澁澤龍彦の「あとがき」によれば、城のある土地の名ガムユーシュ”Gamehuche”は一般の辞書には出ていないが、18世紀の好色文学に頻出する語で、「舌で」男女の性器を刺激する行為」をさし、同じく土地の名で出てくるサン・コワ・ド・ヴィ”Saint-Quoi-de-Vit”は「聖男根」。主人公の名前モンキュ”Montcul”は「臀の山」、マウントアース”Mountarse”はこれをそのまま英語にしもの。登場人物ルナの本名ヴァルムドレック”Warmdreck”はドイツ語で「温かい糞」。そもそもの著者名モリオン”Morion”には、兜、宝石、鞘翅類などの意味のほか、古代人の祝宴で会食者を楽しませるために同席させた、長い耳と滑稽な顔をした、せむしで畸形の人物の意味もある・・・といった具合に、名前にもいろいろ仕掛けがあります。

 なんといっても、城へと通じる海岸道路がいつも水浸しで、引き潮の2時間ほどしか通れない、という設定に始まる城の「風変わりでしかも厳密な幾何学的が建物全体を支配し」ているといった描写もさることながら、モンキュの性器、ペニスの下の亀頭から陰嚢までのあいだに薔薇色と紫色の斑になった鋸歯状の皮膜が垂れさがっているなどのfetishな描写が、読む者に強烈な印象を与えます。このほか、海―自然の力としての海と、伊勢海老や蟹といった海の幸、とりわけ甲殻類などの海産物への偏愛ぶりに関しても特筆しておきたいところです。

 マンディアルグの文体・言語については、フランス語で読んだわけではないので、短編集「満潮」(河出書房新社)の翻訳者細田直孝による解説を借りると、まず文体の独創性と文章表現の創意に触れ、接続詞や関係代名詞の多用で語句は重層的に積み重ねられ、ときに簡潔な文章を小休止のように配置するといったきわめて知的な文章であること、仮定法で現実と非現実の境界がゆらめき、読者を不安定な世界に誘い込む効果がみられることを指摘しています。これは短編集「満潮」に収録された小説について言っているわけですが、センテンスの長い凝った文体はこの「イギリス人」にも共通するものと言っていいでしょう。

 なお、パゾリーニの映画「ソドムの市」はサドの「ソドムの百二十日」を原作としていますが、この映画監督は明らかに「イギリス人」を読んでいたようで、映画のなかにこの小説の木霊(エコー)を見てとることができるのは、マンディアルグも気付いており、序文において言及されています。もちろん、この小説がそもそも「ソドムの百二十日」を下敷きにしているとも言えますよね。


”Salo o le 120 giornate di Sodoma” 邦題「ソドムの市」(1975年 伊・仏)

 ところで、マンディアルグは次のように語っています―

 私のエロチックな作品―その多くは小説や多少なりともロマンチックな短篇ですが―のなかにも、かなり激烈な性的レアリスムに貫かれた場面が幾つか出てきます。しかし、私はこれを文学上のエロティスムとは呼んでいない。・・・かつて一度、真にエロティスムの名で呼ぶにふさわしい本を書こうとしたことがあります。

 先に述べたとおり、「真にエロティスムの名で呼ぶにふさわしい本」というのは、もちろんこの「閉ざされた城の中で語るイギリス人」のこと。ちょっと意外なのは、それではそのほか、「海の百合」や「満潮」や、その他モロモロの作品群は? と、多くの人は疑問に思うでしょう。この疑問を解くのが、マンディアルグが考える、エロティシズム文学とはどのようなものなのか、どのように定義しているのか、ということ。

 マンディアルグは1979年の秋に来日しています。ちょうどジャン=ルイ・バロー劇団が来日して三島由紀夫原作の「サド侯爵夫人」を上演する折りに、これをフランス語に翻訳したマンディアルグもボナ夫人とともに招かれての来日でした。このとき、マンディアルグは東京、京都などで数回の公演を行っています。私は10月8日、日仏演劇協会の主催による草月ホールでの講演「文学におけるエロティスム」に赴き、フランス語はわからないながらも、速記者による通訳もあって忘れがたい経験となっています。その後、このときの講演を録音テープから起こしたものが、文芸雑誌「海」(中央公論社)の同年12月号に掲載されましたので、これをもとにして、マンディアルグが考えるエロティシズム文学について、以下にまとめてみましょう―

 
エロティシズム文学といわゆるポルノグラフィとの質的な相違はまず文体と独創性にある。エロティシズム文学は、構成上の独創性、言語における独創性、作品構築の上での独創性によって、高貴な文学として存在するのに対し、ポルノはそれらの要素がすべて欠落した俗悪なものにすぎない。

 ポルノが主題にするのはごく日常的な性の営みであるのに対して、真のエロティシズムはある種の不可能性によって自らを他と区別している。エロティシズムの文学は、家族や神父や教会によって承認されたノーマルな性からの逸脱が問題になるときでも、ごくありきたりの男女の手にはまるで届かない世界を、事物のうちに描き出す、独創的にして強力・鮮明な作家の創造的空想(ファンタジー)にもとづいている。

 今日では宗教上、あるいは道徳上のさまざまな禁制がほぼ取り除かれているかに見えるが、この表現の自由が可能な限り利用され、豊かな実を結んでいるとは思えない。ある種の禁制がいまなお隠微な形で存続していると認めざるを得ない節も多々ある。というのは、今日隆盛を極めているのは、まさしく低俗ポルノと呼ぶべきものに他ならないからである。

 だれにもいつでもどこでもできる通常の自然な性行為は、真の作家たる者の関心には無縁であり、われわれに関わるエロティシズムとは、精神の創造行為であり、驚異に満ちた人工的産物、すなわち文学である。法(のり)を超えて進む過激さ、禁制と障害の破壊、限界の踏み越えの先に、作家は自由を見出し、すべてを可能とする未知の領域が開かれる。


※ 以上はマンディアルグが語ったことですが、語ったとおりそのままではなく(雑誌からのそのままの引用でもなく)、ある程度要旨をまとめています。ただし、引用文と同じ扱いとして黒fontとしています。


 そう、「法(のり)を超えて進む過激さ、禁制と障害の破壊、限界の踏み越え」となると、「イギリス人」こそエロティシズム文学の名にふさわしく、「海の百合」「満潮」そのほかの短篇小説などは、この分野からは除外されそうですね。

 しかし、あえて個人的な感想を述べるとすれば、蛸は北斎あたりから取り入れられたものかもしれませんが、犬による獣姦などというのはいささか陳腐ではないでしょうか。この小説の魅力は、先に述べた登場人物の肉体や、舞台となる土地の設定、幾何学的な城、海産物をはじめとする猛々しい匂いを放つような料理の描写(「性」と同等の「食」の狂宴)といったfetishismと、主人たるモンキュの長広舌でしょう。この、演説口調の哲学的とも言える長広舌こそ、この作品が遠くサドの血を受け継ぐ流れの末に執筆されたものであることを示すものです。じっさい、モンキュが語りはじめると、その文体も一段と輝きを増しているように思えるのです。


Henri Cartier-Bresson撮影による「最後の煙草を喫うマンディアルグ」(1932-33年) 私が額装して飾っているものです。


(おまけ)



 私が所有しているマンディアルグによるサイン本。マンディアルグ本人にお願いしてサインしてもらいました。我が家の家宝です(笑)本は「満潮」、生田耕作による翻訳(奢霸都館) 
※ 「霸」にはサンズイ


(おまけ その2)



 Auguste Renoir ”L'apres-midi des enfants a Wargemont”、すなわちピエール=オーギュスト・ルノワールの「ヴァルジュモンの子供たちの午後」(1884年)です。マンディアルグの母リュシィ・ベラールはノルマンディー地方の代々プロテスタントの家の娘で、父は絵画収集家として有名なポール・ベラール。ヴァルジュモン城に遊びに来たルノワールは何度かリュシィの肖像画を描いており、この絵の青いドレスを着た少女が、幼き日のマンディアルグの母リュシィです。


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「城の中のイギリス人」 マンディアルグ 澁澤龍彦訳 白水社
「閉ざされた城の中で語る英吉利人」 ピエール・モリオン 生田耕作訳 奢霸都館 ※ 「霸」にはサンズイ

「満潮」 マンディアルグ 生田耕作訳 奢霸都館 ※ 「霸」にはサンズイ
「短篇集 満潮」 マンディアルグ細田直孝訳 河出書房新社
「海の百合」 マンディアルグ 品田一良訳 河出書房新社
「黒い美術館」 マンディアルグ 生田耕作 白水社
「エロス的人間」 澁澤龍彦 中公文庫
「海」 1979年12月号 中央公論社
「読書好日」 中村真一郎 新潮社


Diskussion

Kundry:この本の扉のページに、「この書物は闘牛の一種と思っていただきたい」とあって、さらに献辞があります。「E・J・の思い出に捧ぐ/ならびにオーブリ・ビアズレー友の会(世に知られざる)のために」と―

Hoffmann:献辞に関しては、澁澤訳の白水社版に翻訳・収録されているマンディアルグ自身の序文にあるとおり、「E・J・」というのはエドモン・ジャルーのことだ。「オーブリ・ビアズレー友の会」というのは、じっさいに存在していたわけではなく、そのころジャルー、ハンス・ベルメールとマンディアルグの3人が、当時数少ないビアズレーの愛好家として結ぶ連帯意識のシンボルだったようだね。

Parsifal:ビアズレーについては、この小説のなかでも、主人公が語っているね―

 私が自分でさまざまな衣装を考案する上に、大いに役立っているのが一目瞭然なのは、あの鉛筆あるいは絵筆の持ち方を心得ていた、あとにも先にもただ一人のイギリス人のデッサンでしょう(ヒントを授けますと、ほら、マントンの墓地に眠っている男ですよ)

 マンディアルグには「ビアズレーの墓」という作品もあるよね。ビアズレーによるアレキサンダー・ポープの「髪盗み」の挿絵から自由にimageをふくらませたという物語だ。


Kundry:「闘牛の一種」とはどういうことでしょうか?


Parsifal:「闘牛」と聞くと、ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」を思い出しちゃうな(笑)


Hoffmann:マンディアルグに「海の百合」という長篇小説がある。サルディニアの海岸でヴァカンスを過ごす若い娘ヴァニーナが、自ら夢想したシナリオどおりに処女喪失の儀式を執り行うというstoryだ。そのなかで、舞台となる深夜の海辺のその場所を「闘技場」と呼んでいる。そもそもこのガムユーシュの城壁も円形で「まわりの景色がなかったら、ローマの円形闘技場の外にいるかと思ったことだろう」と語られている。「闘牛場」ではないけどね。

Klingsol:やはり暴力的なimageかな・・・だとすると、バタイユの「眼球譚」を連想しても的外れではない。

Hoffmann:いずれにしろ、性を描いて情緒的にならない、感傷を廃した物語にしようという意思のあらわれなんだろうね。

Klingsol:短篇小説に関しては、生田耕作がマンディアルグを「短篇小説をつくらせては当代並ぶ者なき名手」と言っているけれど、中村眞一郎は―

 これが現代の短篇小説の典型であるか、この文学ジャンルの今日行きついた姿は、これらの作品によって代表されるか、ということになると問題は別である。
 たとえば、最初の「サビーヌ」という作品などは、普通の意味でのコントの必要条件である筋というものが存在しない。これは寧ろ、アンチ・コント、「反短篇小説」である。その代わり、ここにあるのは唯美的なバルザック風背景描写の見事な奔流である。
 あるいは「満潮」における、男と女の心の絡り合いの代わりの、人間の小宇宙と天地の大宇宙との象徴的交感である。これもまた、小説の日常性の否定ではないか。

 ・・・としているね。

Parsifal:中村眞一郎の文学観からすれば、そうだろうね。でも、そもそもマンディアルグは日常性を否定してかかるんだからね(笑)


Hoffmann:生田耕作なら中村眞一郎が「真の短篇小説」と呼ぶものを否定しそうだ(笑)

Kundry:私たちはどちらも愉しめて、得ですね(笑)

Hoffmann:駄洒落じゃないけど、どちらも愉しめる、守備範囲が広いというのは、我々の「徳」だよ(笑)それにしても、「人間の小宇宙と天地の大宇宙との象徴的交感」かあ・・・さすが中村眞一郎だ、上手いこと言うね。ただ、今回「イギリス人」を取り上げたけれど、これが代表作というわけではない、マンディアルグの本領は短篇小説なのかなとは思うね。

Kundry:私は「満潮」あたりはいいんですが、「イギリス人」はちょっと・・・残酷趣味よりも、Hoffmannさんのおっしゃるとおり、「性の狂宴」はちょっと陳腐な印象を持ちました。引き潮でしかたどり着けない城、円形の城壁、二つの塔と、はじめの方でかなり期待したのですが・・・。

Klingsol:書かれたのが1951年から52年ということだから、その時代だとまた違った印象だったかもしれないね。

Hoffmann:やっぱりfetishな要素と主人公の哲学的長広舌を愉しむ小説なんだよね。そのあたりは古びない。

Parsifal:これはいい意味で言うんだけど、サドの小説を読むと心地よい「退屈さ」を感じるんだよね。じつはその「退屈」なところが筆が冴えているんだな。ところが、マンディアルグでは退屈とは感じない。いいことなのか、悪いことなのか・・・(笑)

Klingsol:マンディアルグがめざしたエロティシズム文学にはなっていると思う。ただ、法を越えて進む過激さ、限界と禁制を超えるといっても、性の行動そのものは、「日常的な営み」の動作から開始せざるを得ないんじゃないか? だから、ここでマンディアルグが描きたかったのは、最後の赤ん坊惨殺の「実験」と、巨大な男根(城)を射精(爆発)させることだったんだと思うね。

Kundry:ところで、近いうちにみんなで蟹を食べに行きませんか?(笑)