052 「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」 島田荘司 集英社 その他の贋作・パロディ・パスティーシュ 今回は私、KundryとHoffmannさんのふたりで分担します。まず、私が島田荘司の「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」を取り上げて、その後Hoffmannさんから、シャーロック・ホームズものの贋作やパロディを紹介していただきます。 Sidney Edward Paget この、島田荘司の「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」は、60篇あるシャーロック・ホームズ物語の61番めの物語として書かれたものです。ホームズはこれまで292回笑ったことになっていて、作者はこの小説のなかで「293回目の高笑い」をさせようと計画したとのこと。全篇は13章に分かれており、漱石とワトソンが交互に語るという体裁になっています。 1900年にロンドンに留学した夏目漱石が、幽霊らしきものに悩まされ、シェイクスピアを習いに通っていた碩学クレイグ先生に相談したところ、ベイカー街の住人で「ちょっと頭がおかしい」シャーロック・ホームズという、探偵趣味の男を紹介してくれる。 クレイグ先生の説明によると― 「・・・毎日気が向くとこのあたりを女装してうろついたり、部屋で拳銃を撃ったり、走っている辻馬車の後ろにやたら飛び乗ったりするもんだから、子供ならともかくもう四十過ぎた大のおとなだからね。近所の連中が気味悪がって寄ってたかって無理矢理入院させたんだ。 そしたらどうもコケインのやり過ぎだということが解ってね。なに、真に芸術的霊感を得る者の精神という奴は、常に狂気と紙一重なんだよ。解るだろう、夏目君」 そこで漱石が出かけて行くと、ホームズは例によって何の質問もしないうちに、漱石の過去を推理してみせるのですが― 「さあどうぞおかけ下さい、クレイグさん。それからあなたのお話をじっくりとお聞かせいただきたい。あなたがパプア・ニューギニアの御出身で、最近スマトラまで航海され、たちのよくない黄疸にかかられたがどうにか完治されて、現在ゴムの木の育成に力をつくしておられること以外、僕はあなたに関しては何も存じませんのでね」 ・・・このひどく見当違いな推理を、漱石は「西洋の精神錯乱者によくありがちな、ひどく陽気な口調」と感じます。おまけに、横にいた「西郷隆盛が血色の悪くなった」ような「太っちょの大男」とともに、漱石のことを― 「もともと骨董品収集家、英国西部の炭鉱に献身した男」 「蓄膿症で脚気」 「かつて中国曲馬団にいたことがあり、火の輪くぐりの名手」 「一度目の結婚には失敗し、二度目の女房の尻に敷かれている」 「子供は四人、いやもっと多いかもしれんな、そして十八人以内だ」 「大酒飲みでアヘン中毒の犠牲者」 「・・・彼は根っからの水夫だ。七つの海こそ彼の寝床だ!」 ・・・などと、「口から出まかせ合戦」をはじめる。おなじみのホームズ推理のパロディですね。ちなみに「太っちょの大男」はシャーロックの兄、マイクロフトです。 あまりのばかばかしさに呆れかえっている漱石ですが、次の章でワトソンが語りはじめると、漱石とホームズの初対面の情景はまったく異なったものとなり、ホームズがいたって正気であるのに対して、東洋人「ナツミ」のほうがいささか病的なのです。いずれの描写が真実なのか・・・と疑問を抱くよりも、ワトソンはいつものワトソンの文体で、漱石は漱石の文体で、相手を戯画化しているという、文体模写が見事です。 小説中にはレストレイド警部も登場するほか、ホームズ言うところの「バリツ」は、漱石によって「ブジュツ」と訂正される場面もあります。また、ワトソンの口から「最後の事件」の矛盾と、公表に至った経緯も説明されて、ホームズといい、クレイグ先生といい、「ベイカー街という処は、余程変った人種が集まって住む街とみえる」と、漱石も合点する有様。 最後は、事件が無事解決して帰国の途につく漱石を見送りに来たホームズが、ヴァイオリンで送別の曲を演奏します。同じく見送りに来ていた、事件関係者である婦人が抱いている猫は「夏目」と名付けられ、漱石は船のデッキでホームズに向かって「一緒にこの船で日本に行きましょう」と叫びますが、ホームズの声は出航の銅鑼と重なって聞こえない・・・ホームズが大声で笑ったらしく見えて、ワトソンがひどく驚いている。 やがて手を振っても無意味な距離に遠ざかった頃、自分はあの猫の子の顔を思い浮かべた。 あの英国婦人の腕に抱かれるペルシア猫に、日本男子たる自分の名がついたとは愉快である。まるで猫になったような気分である。 「俺は猫だ」 そう日本語で口に出して言ってみた。するともう少し馬鹿馬鹿しい言い方がしてみたくなった。 「吾輩は、猫である!」 なんとも、トボけた哀愁漂う幕切れではないでしょうか。この小説を読むと、コナン・ドイルのホームズものや、島田荘司の作品よりも、夏目漱石が読みたくなってしまいます。そこが、島田荘司の並々ならぬ手腕と言えそうですね。 夏目漱石 (Kundry) ************************************************** それでは、ここからは私、Hoffmannがシャーロック・ホームズものの贋作・パロディ・パスティーシュについて、私が読んで限りにおいてですが、思いつくままに取りあげてみたいと思います。 Sidney Edward Paget Kundryさんが取り上げた「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」の作者、島田荘司にはもう1冊のパスティーシュがあります。 「新しい十五匹のネズミのフライ ジョン・H・ワトソンの冒険」 島田荘司 新潮文庫 これは新潮文庫版は品切・絶版かもしれませんが、単行本ならまだ入手可能なようです。 パスティーシュのなかでもいちばん正統派といえるのは、これでしょう― 「シャーロック・ホームズの功績」 ジョン・ディクスン・カー、アドリアン・C・ドイル 大久保康雄訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ これは原典のなかで、事件の名前のみ挙げられて作品のない、いわゆる「語られざる物語」を、ドイルの文体や作風にならって創作したものです。アドリアン・C・ドイルはコナン・ドイルの息子ですから、原典の作者の息子によるお墨付きということになります。 ホームズそのひとではなくて、ホームズに似た探偵が活躍する小説といえば、まず思い出すのはこちら― 「ソーラー・ポンズの事件簿」 オーガスト・ダーレス 吉田誠一訳 創元推理文庫 ダーレスはドイルに「もうシャーロック・ホームズを書かないんですか」と手紙を出して、「もう書かない」という返事が来たから、ソーラー・ポンズというシリーズものの探偵小説を書いたそうです。ワトソン役にパーカー博士、ホームズにおける兄マイクロフトと同じく、ポンズにもバンクロフトという兄がいます。ポンズの台詞など、いかにもホームズを彷彿とさせるもので、数ある模倣作のなかでも、直系純血種といった感じですね。「クトゥルー神話」同様、ダーレスという人は他人のアイデアを発展させるのが得意だったみたいですね(笑)これはこれで才能でしょう。 ほかにも類似作品、類似探偵はたくさんあって、創元推理文庫からは「事件簿」シリーズとして何人かの作家の短編集が出ています。ダーレスの「ソーラー・ポンズの事件簿」もこのシリーズに入っており、ほかにはジャック・フットレルの「思考機械の事件簿」(I 宇野利泰訳、II 池央耿訳、III 吉田利子訳)、バロネス・オルツィの「隅の老人の事件簿」(深町眞理子訳)などがあります。なかでもちょっと毛色の変わった、ほとんど幻想文学と呼びたいM・P・シールの「プリンス・ザレスキーの事件簿」(中村能三訳)あたりはおすすめです。とくに、M・P・シールの小説は原文で読もうとしたことがあるのですが、ちょっと難しいので、日本語で読めるのはありがたいですね(笑) 「シャーロック・ホームズのクロニクル」 ジューン・トムスン 押田由起訳 創元推理文庫 「シャーロック・ホームズのジャーナル」 ジューン・トムスン 押田由起訳 創元推理文庫 「シャーロック・ホームズのドキュメント」 ジューン・トムスン 押田由起訳 創元推理文庫 「ホームズとワトソン」 ジューン・トムスン 押田由起訳 創元推理文庫 カーとアドリアンの共作による「功績」以外の正調贋作で比較的新しいところでは、このジューン・トムスンという女流作家による短編集が何冊か創元推理文庫から出ています。これはじつにまっとうな贋作で、まともすぎて、贋作ならではのおもしろさに乏しいところが欠点かもしれません(笑) 贋作はともかく、パスティーシュとパロディの境界は、曖昧ですね。笑いをとるものがパロディとも言い切れず、これはいろいろ意見のあるところかと思いますが、原典の文体や登場人物の性格などが模倣・踏襲されていればパスティーシュ、その枠を破ってしまえばパロディ・・・といったところでしょうか。アンソロジーとなると、1冊まるごとがどちら、とは言い切れません。まあ、分類自体に意義があるとも思えないし、複数の作家によるアンソロジーを思いつくまま挙げてみると― 「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」 全3巻 押川曠編 ハヤカワ文庫 「シャーロック・ホームズの新冒険」(上・下) グリーンバーグ&ウォー編 ハヤカワ文庫 「シャーロック・ホームズの災難」(上・下) エラリー・クイーン編 ハヤカワ文庫 「ホームズ贋作展覧会」 各務三郎編 河出文庫 「日本版ホームズ贋作展覧会」(上・下) 河出文庫 「シャーロック・ホームズの新冒険」は1987年にホームズ生誕100年を記念して出版された書き下ろしアンソロジー。すべてが正調とはいいがたいものの、なかなかの力作揃いです。「シャーロック・ホームズの災難」も、収録作家はモーリス・ルブラン、アントニイ・バークリー、ホームズ研究で有名なヴィンセント・スタリットと見事な顔ぶれ。どちらかというと、パスティーシュというよりはパロディ中心の構成になっている印象です。河出文庫の「ホームズ贋作展覧会」はお手軽一巻本、ヴィンセント・スターリット(この本での表記)、スチュアート・パーマー、クリストファー・モーリー、アガサ・クリスティなどの作品を収録した正統派。同じく河出文庫の「日本版ホームズ贋作展覧会」というアンソロジーは、表題どおり日本の作家による作品集・・・なんですが、「贋作」よりはパロディ中心。若干、玉石混交の気味もあります。 ちなみにヴィンセント・スタリットはホームズ研究団体としては最も古い「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」の創立者のひとり。河出文庫から「シャーロック・ホームズの私生活」(小林司・東山あかね訳)という本が出ていますね。私の好きなアーサー・マッケンとも縁の深い人で、このひとのマッケンに関する著書で、著者スタリット自身が友人に献辞を書き込んで贈った本を持っています。 読みやすい、きれいな字ですね。 次は連作短篇集― 「シュロック・ホームズの冒険」 ロバート・L・フィッシュ 深町眞理子訳 ハヤカワ文庫 「シュロック・ホームズの回想」 ロバート・L・フィッシュ 深町眞理子訳 ハヤカワ文庫 これはパロディの連作もの。ワトソン役は「ワトニイ博士」となっています。これは、事件を解決したつもりのホームズの推理が、じつはいつも見当違いだったことが読者にわかる結末・・・つづけて読んでいると「またか」という感じで、あまりおもしろくありません。ほかに名前がパロディになっているものでは、ハヤカワ文庫にジョン・キーンというアメリカの作家の「ペット探偵シャーロック・ボーンズ」(木村順子訳)という本がありましたが、これは探偵の名前がホームズに因んでいるというだけで、ストーリーはパロディでもなんでもありません。名前だけなら手塚治虫の「三つ目がとおる」もそうですね。写楽クン(シャーロック)と和渡サン(ワトソン)・・・(笑) 長編では― 「恐怖の研究」 エラリー・クイーン 大庭忠男訳 ハヤカワ文庫 「シャーロック・ホームズ氏の優雅な生活」 M&M・ハードウィック 榎林哲訳 ハヤカワ文庫 「新シャーロックホームズ 魔犬の復讐」 マイケル・ハードウィック 中田耕治訳 二見文庫 「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」 マンリー・W・ウェルマン&ウェイド・ウェルマン 深町眞理子訳 創元推理文庫 M&M・ハードウィックというのはマイケルとモリー、夫婦でしょうか。「新シャーロックホームズ 魔犬の復讐」はマイケル単独名義による長編。「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」は、ホームズがドイルの創作したもうひとりのキャラクター、チャレンジャー教授と協力して火星人の襲来を迎え撃つという長篇です。火星人襲来というのは、もちろんH・G・ウェルズの「宇宙戦争」に材を採ったものですね。若干、無邪気なSFという印象で、パロディと呼ぶべきかもしれませんが、キャラクターの個性は原典そのままです。 「霧の殺人鬼」 M・J・トロー 斎藤数衛訳 ハヤカワ文庫 「クリミアの亡霊」 M・J・トロー 斎藤数衛訳 ハヤカワ文庫 「レストレード警部と三人のホームズ」 M・J・トロー 後藤安彦訳 新潮文庫 これは私が個人的に好きな、M・J・トローというウェールズ出身の作家によるレストレイド警部シリーズです。翻訳は知る限り上記の3冊で、翻訳されていない作品も何冊か原書で取り寄せてみたところ、どれもおもしろく読めました。いうまでもなく、レストレイド警部は原典ホームズ譚に登場するひと。このシリーズは、ドイルの原典にも登場して、たびたびホームズに知恵を借りている、スコットランド・ヤードのレストレイド警部を主人公に据えています。ホームズによれば、ヤードの警察官のなかでは「まあ合格」だが、「想像力に欠け」「紋切り型の発想しかできない」と評されていましたね。作品中には詩人テニスンやオスカー・ワイルドなど実在の人物のほか、ホームズ、ワトソン、コナン・ドイルまでが登場します。ここではヤード側が原典でコケにされたうっぷんを晴らそうというのでもないでしょうけれど、ホームズ、ワトソンがかなり戯画化して描かれていて、ホームズは大言壮語癖のある無能なコカイン中毒者、コナン・ドイルに至っては妄想にとりつかれたしがない書き屋の扱いです(笑) 第一作の「霧の殺人鬼」は、1891年、見るも凄惨な死体が発見されるところからはじまり、レストレイド警部の追跡捜査の甲斐もなく、殺人鬼は不気味な童謡にあわせて残忍な犯行を重ねてゆく・・・その背景には1888年の切り裂きジャック事件の影も見え隠れして・・・という物語。世紀末ロンドンの雰囲気もよく描かれており、そのストーリー展開は飽きさせず、重厚に盛り上げて、結末の意外性も目を見張るものがあります。 「ワトソン博士の未発表手記による ウェスト・エンドの恐怖 シャーロック・ホームズの素敵な冒険 PART II」 故J・H・ワトソン博士著 ニコラス・メイヤー編 田中融二訳 扶桑社ミステリー 「シャーロック・ホームズ対オカルト怪人―あるいは『哲学者の輪』事件―」 ジョン・H・ワトソン著 ランダル・コリンズ編 日暮雅通訳 河出文庫 「シャーロック・ホームズ対ドラキュラ あるいは血まみれ伯爵の冒険」 医学博士ジョン・H・ワトスン著 ローレン・D・エスルマン編 日暮雅通訳 河出文庫 この3冊はいずれもじっさいの作者を編者として、著者名をワトスン博士としたもの―もちろん、正典には語られていない事件という扱いですね。表題がおそろしく長いのが特徴(笑)ニコラス・メイヤーのものは表題どおり「シャーロック・ホームズの素敵な冒険」の続篇。ランダル・コリンズのものはヴィトゲンシュタイン、ケインズ、アレイスター・クロウリーが登場します。ローレン・D・エスルマンはブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の背後でホームズとワトスンが活躍していたという体裁。 このあたりまでは比較的古めの本を引っ張り出してみたもの。以下、少し新しめの本になります― 「ホームズ対フロイト」 キース・オードリー 小林司監修 東山あかね・熊谷彰訳 光文社文庫 「シャーロック・ホームズ 東洋の冒険」 テッド・リカーディ 日暮雅通訳 光文社文庫 「ライヘンバッハの奇跡 シャーロック・ホームズの沈黙」 ジョン・R・キング 夏来健次訳 創元推理文庫 「ホームズ対フロイト」は表題どおりフロイトが登場します。ある女性を巡って、性的虐待の事実はあったのか、なかったのか・・・と、これはたしかにフロイトを引っ張り出すのにふさわしいテーマですね。「東洋の冒険」はライヘンバッハ後の「空白の三年間」を描く短篇集。「ライヘンバッハの奇跡」は、なんとウィリアム・ホープ・ホジスンの「幽霊探偵カーナッキの事件簿」(創元推理文庫)のオカルト探偵トマス・カーナッキが登場します。ライヘンバッハの滝の上でふたりの男が争い、片方が突き落とされ、川を流れてきた男は一命をとりとめるが、記憶を失っている・・・という発端。 「シャーロック・ホームズ 神の息吹殺人事件」 ガイ・アダムス 富永和子訳 竹書房文庫 「シャーロック・ホームズ 恐怖! 獣人モロー軍団」 ガイ・アダムス 富永和子訳 竹書房文庫 カーナッキが出てきたと思ったら、今度はカーナッキに加えてブラックウッドの心霊医師ジョン・サイレンス博士が登場するのが「神の息吹殺人事件」。「恐怖! 獣人モロー軍団」はもちろん、H・G・ウェルズの「モロー博士の島」のチャールズ・モロー博士がお出ましに。おまけにジュール・ヴェルヌの「地底探検」からリンデンブルック教授、ドイルの「失われた世界」からチャレンジャー教授まで・・・ちょっと「てんこ盛り」でおなかいっぱいになりそうです(笑) 「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」 M・ディブディン 日暮雅通訳 河出文庫 ホームズ物語の最大級の謎に、「なぜワトスンは切り裂きジャックについてまったく言及していないのか?」という疑問があります。これに対するひとつの解釈を示したパロディということになります。 ここでアンソロジーを― 「シャーロック・ホームズとヴィクトリア朝の怪人たち」 全2巻 ジョージ・マン編 尾之上浩司訳 扶桑社ミステリー 「シャーロック・ホームズの栄冠」 北原尚彦編訳 創元推理文庫 「ヴィクトリア朝の怪人たち」は比較的新しい作品を集めたもの。版元は「パスティーシュ・コレクション」と銘打っていますが、どちらかというと奇想天外なパロディです。「栄冠」はロナルド・ノックス、アントニイ・バークリー、A・A・ミルンなどの正統派の作品にはじまり、異色作に珍品も。収録作はなかなか多彩です。 「モリアーティ秘録」(上・下) キム・ニューマン 北原尚彦訳 創元推理文庫 正典がワトスン博士の筆によるものなら、こちらはモリアーティ教授の腹心、セバスチャン・モラン大佐の回想録という体裁。大長篇かと思いきや、連作短篇集でした。いや、おもしろく読みましたけどね。 「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」 松岡圭祐 講談社文庫 ライヘンバッハ後、日本に向かったホームズ、もともと面識があった伊藤博文を頼り・・・しかし博文の女癖の悪さ(史実!)に呆れていたところ、大津事件が起こる・・・。「空白の三年間」を利用した作は数あれど、また、「バリツ」をマスターしているホームズが日本に来ていても不思議はないんですが、伊藤博文をワトスン役にしつつ、正典の矛盾点を解消しようと試みているのは驚きです。 まだまだありますが、とりあえず今回は文庫本で出たものを中心に取り上げてみました。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」 島田荘司 集英社 「島田荘司のミステリー教室」 島田荘司 南雲堂 「新しい十五匹のネズミのフライ ジョン・H・ワトソンの冒険」 島田荘司 新潮文庫 Diskussion Klingsol:夏目漱石は1900年(明治33年)10月末から1902年(明治35年)12月まで、文部省留学生としてロンドンに暮らしていたんだよね。この間のホームズの事件簿は、1899年の「隠居絵具師」から1902年の「三人ガリデブ」「高名の依頼人」の事件まで、空白なんだ。 Kundry:漱石は探偵小説を嫌っていたんですよね。その割には作品が探偵小説と一脈通じるようなとこがありますよね。 Klingsol:分析的だよね。文体からして、分析的思考の跡をたどれるようなものだ。 Parsifal:ホームシックにかかって、「神経衰弱」状態の、かなり辛い思いをしていたらしいことは知られているよね。それはこの作品でも利用されている。 Hoffmann:一方のホームズに関しては、島田荘司はドイルのホームズの魅力を、類いまれなユーモア、勇気と男気、それをひけらかさない騎士道精神、ほどよい人嫌い癖と変人ぶり、そして圧倒的論理思考の力に加えて、スポーツマンとしての行動力としている。パロディにするときの着眼点もここにあるよね。どれかを極端に振れば―つまり強調するか、あさっての方向にねじ曲げるかすれば、パスティーシュやパロディになるわけだ。 Parsifal:シャーロック・ホームズものの、パロディを含めた贋作・パスティーシュは数多あるけれど、これはその系譜に連なるもののなかでも、かなりよくできていると言っていいよね。 Hofffmann:島田荘司はある時期まではほとんど読んだな。もうひとつのホームズもののパスティーシュ、「新しい十五匹のネズミのフライ」には漱石は出てこないけど。 Parsifal:漱石とホームズが絡む小説ならもうひとつ、山田風太郎の「黄色い下宿人」があったね。 Hoffmann:「日本版ホームズ贋作展覧会」の上巻とか、講談社文庫の「奇想小説集」に収録されているよ。ホームズはまともに書かれていて、しかし事件の真相を見抜くのは漱石の方だ。悪くはないんだけどね、山田風太郎好きとしてはそれほど・・・やっぱり長篇のほうがいいな。 Kundry:そもそも、当のホームズにしたってもともとポオの「モルグ街の殺人」に出てくるデュパンから構想されたと言われていますよね。 Parsifal:ドイルによればドイル医学生時代のエディンバラ大学医学部のジョウゼフ・ベル教授に負うところが大きいということだ。このひとは、診察室に患者が入ってくると、まさにホームズのような観察眼で、患者の職業前歴から、何の治療で訪れたのかまで言い当てたんだそうだよ。このベル教授を主人公にした映画(TVM)も「コナン・ドイルの事件簿」という表題で制作されていたな。 Hoffmann:じつはそれは、観ていないんだけど、その原作になるのかな、ベル教授とコナン・ドイルが活躍するデイヴィッド・ピリーの「愚者の眼 シャーロック・ホームズ誕生秘史 I」(日暮雅通訳)が文春文庫で出ていたね(第1巻しか出ていない?)。 Kundry:「黄色い下宿人」が収録されている「日本版ホームス贋作展覧会」の上巻に、清水義範の「シャーロック・ホームズの口寄せ」という短篇が入っていますよね。あれを読んだとき、声だして笑っちゃいましたよ(笑) Klingsol:「口寄せ」って、あの、恐山のイタコが死者の霊を呼び出して自らに乗り移らせて・・・? Hoffmann:・・・そのイタコの口を借りて語らせるというものだね。話はまさにタイトルどおり、語り手の友人であるテレビ・ディレクターがシャーロック・ホームズの口寄せを企画するんだ。ホームズはもちろん架空の人物だけど、ホームズ研究家も呼んで、イタコのお婆さんにホームズの霊を呼び出してもらう・・・でもあれ、いまの若い人には通じないんじゃないか? Kundry:あれで笑っていると、歳がばれちゃいますね(笑) Parsifal:あとは映画やTVドラマ化されたホームズ譚だな。 Hoffmann:映画は古くはモノクロの時代からいくつか制作されている。古いものはその忠実度に差こそあれ、ドイルの原作をそのまま映画化しているけれど、最近は正典を離れたまったく新しい脚本の方が主流だね。 Kundry:どんなものがありましたか? Hoffmann:正典に基づくものなら・・・ベイジル・ラスボーンの映画はさすがに古いな、やっぱりグラナダTV版、それに旧ソ連のレンフィルム版もよくできている。ピーター・カッシングが主演したハマー映画も古拙と言いたい味わいがあって好きだな(笑)ピーター・カッシングにはBBC TV版もある。 パスティーシュやパロディなら、ホームズとワトソンの少年時代を描いた映画があったけど、あれはホームズものとは言えないな。それから、19世紀末の切り裂きジャック事件を題材に、ホームズが解決に乗り出すという映画・・・これは以前ちょっとだけ話したよね。世紀末、霧のロンドンという、いかにも映像映えのする舞台設定で、よくできた映画だったよ。あと、事件の捜査と並行して、コカイン中毒となったホームズがフロイトの治療を受ける、するとホームズには意外な幼児体験があって・・・という映画。テーマはいいんだけど、後半は冒険活劇ふう。原作はN・メイヤーの「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」だ。ハマー映画でヘンリー・バスカヴィルを演じていたクリストファー・リィがシャーロック・ホームズやマイクロフトを演じている映画もあったな。新しいところではガイ・リッチー監督の映画があるけど、あまり好きじゃない・・・でも、この調子で語っていたら、きりがないよ(笑) Klingsol:ページをあらためて、どう?(笑) |