082 「闇の聖母」 フリッツ・ライバー 深町眞理子訳 ハヤカワ文庫




 Parsifal君がSF小説を取り上げたので、これを・・・と思ったのですが、よく考えたらSFではありませんでしたね。本作はフリッツ・ライバーによる、1978年世界幻想文学大賞受賞作です。


Fritz Leiber

 怪奇小説作家フランツ・ウェストンは、ド・カストリーズという謎の人物が書いた「メガポリソマンシー」と、クラーク・アシュトン・スミスのものとおぼしき日記をダウンタウンの風変わりな古本屋で見つけて購入。古ぼけたその日記に記されていた〈ローズ607〉とはどこなのか。やがて摩天楼の建ち並ぶ霧のサンフランシスコは魔方陣を内在した怪奇渦巻く幻想都市の相貌をあらわしはじめる・・・といったstory。

 いわくありげな古書が主人公を導くという展開、ラヴクラフト、クラーク・アシュトン・スミス、ジャック・ロンドン、アンブローズ・ビアスといった実在の作家やその作品への言及があるのも、舞台となるサンフランシスコに世紀転換期の雰囲気を醸し出させるのに効果的です。ほかに名前が出てくるのは、歌劇「魔笛」のモーツアルトや「阿片常用者の告白」のトマス・ド・クインシー。いずれもフリーメーソンやドイツ神秘主義と縁の深い人物。ちなみにド・カストリーズというのは、これは架空の人名です。

 じつはトマス・ド・クインシーこそがこの小説の重要なモチーフを提供しています。クインシー1845年の作で、「阿片常用者の告白」の続篇「深き淵よりの嘆息」”Suspiria De Profundis”の第一部中、「レヴァナとわれらの悲しみの貴婦人たち」の章で、夢の中に登場する三人姉妹が悲しみの三聖母。映画でもダリオ・アルジェント Dario Argento の、「サスペリア」をはじめとする「魔女三部作」に登場する三人の魔女のモデルとされていることから、御存知の方も多いでしょう。

 以下でその三姉妹をご紹介―

1 我らの涙の貴婦人、マーテル・ラクリマールム Mater Lachrymarum/Our Lady of Tears

 どこか雅やかな足取りの長女で、死んだ子供を嘆き悲しみ、時に怒り荒れ狂う狂気をもたらす女神。風に乗り雲に上る女神で、天に向かって子供を返せと叫ぶ者たちの女神。頭に冠を戴き、腰帯に沢山の鍵束を吊るし、どんな所へも入り込める。訪れる対象は王族から一般市民まで。

2 我らの嘆息の貴婦人、マーテル・ススピリオールム Mater Suspiriorum/Our Lady of Sighs

 おずおずと忍び足で歩く次女で、死んだ子供の悲しみに絶望をもたらす女神。悲しみ絶望して大地を見つめるように項を垂れて、頭に崩れかかったターバンを巻いている。鍵を持っているものの使う必要のあるところはない。訪れる対象は罪人と被差別民。

3 我らの闇の貴婦人、マーテル・テネブラールム Mater Tenebrarum

 足取りすら見せず一気に襲って来る三女で、死んだ子供を悲しむあまりに自殺させる女神。小塔状の冠を戴き三重の薄絹の面紗を通してさえ強い光が見える眼を持ち、鍵は持たないものの、彼女の訪れを許す者がいれば、階級に関わらず、どんなところへも訪れることができる。

 この「闇の聖母」という小説の原題は”Our Lady of Darkness”ですから、3番目の闇の貴婦人、でしょうか。ここでは、阿片に酔った夢の中でクインシーが見ているものが、自己の闇―すなわちアニマであって、モーツアルトの「魔笛」に登場する「夜の女王」もまた、光に対立するものであるということです。


Thomas De Quincey

 階下に住む音楽家の恋人キャル、そのほか仲の良いアパートの住人たちなどの人物配置が日常を彩る一方で、部屋の窓からビルの隙間に見える丘、双眼鏡、踊る長衣の人影などが、主人公の世界に侵食しはじめます。それがやがてサンフランシスコという都市そのものをオカルト都市として再現させる・・・これは、アメリカでは世紀転換期にカリフォルニアを中心にオカルト教団や神秘主義が勃興して、1970年代にもやはりカリフォルニアでオカルト・ブームが巻き起こったことと呼応していると見ていいでしょう。そこでフリッツ・ライバーは、クラーク・シュトン・スミスらの名前を借りて、現代アメリカにオカルティズム復権の世紀末的なデカダンスの空気を再現しようと試みた、それがこの「闇の聖母」なのです。

 私のような本好きを泣かせるのは、古本屋で見つけてきた本が発端になるということばかりでなく、とりわけ主人公フランツのベッドの壁側の様子です―

一山の多彩な表紙の雑誌や、SFのペイパーバック、いまだに書店のカバーがかかったままの数冊のハードカバーの推理小説、二、三のレストランから持ちかえったきれいな色のナプキン、五、六冊のぴかぴか光った小型の〈ゴールデン・ガイド〉シリーズや、〈カラー図鑑〉のたぐいが、ベッドの長さいっぱいに、雑然と積みあげてあった。これらは彼の気晴らしのための読みもので、ベッドのそばのコーヒー・テーブルに積み重ねられた仕事のための資料や参考書の類とは、おのずから対極をなすものだった。

 フランツは、これがベッドカバーの上に横たわったほっそりした、気楽そうな女性の姿に見えると思い当たり、”学者の情婦(スカラーズ・ミストレス)”だと考えて―

いわばごく内密のプレイメートであり、はでな、だが勉強好きなコールガール、ほっそりした、近親相姦相手の妹、彼の著述のための永遠の同志といったところだ。

 ・・・として、彼はこの”学者の情婦”にこんなふうに声をかけます―

「心配するなよ、おまえ。おまえはいつだっておれの第一の女さ。もっともこのことは、ほかの連中には極秘にしとかなきゃならんがね」

「おまえはますます地味になって、知的に見えてきたぞ、おい。だが、一日たりとも年をとっちゃいないし、ほっそりしていることはあいかわらずだ。どうやってそんな離れわざをやってのけるんだ?」


 本好きにはたまりませんな・・・あ、振り返って見てみれば、私の寝床の横ちょにも”学者の情婦”が、たしかにいますね。だからといって片付ける気は毛頭ない。そう、恐怖と魅惑はつねに表裏一体なのですよ(笑)

 蛇足ながら、「闇の聖母」は当初”The Pale Brown Thing”というタイトルの短篇(中篇?)小説として、雑誌”Magazine of Fantasy and Science Fiction”の1977年1月号と2月号にわたって連載されています。「薄茶色のもの」ですからね、勘のいい人はもうお気づきでしょう。ド・カストリーズの奇怪な書物によって目覚め、獲物を見つけた〈闇の聖母〉は紙のincubus(インクブス=淫夢魔)となって・・・。


*************************


 映画も観る ダリオ・アルジェント Dario Argento の映画「魔女三部作」について

 さきほど話のなかに出て来たダリオ・アルジェントの「魔女三部作」というのは、以下の三作です。

 「サスペリア」 ”Suspiria” (1977年 伊)
 「インフェルノ」 ”Inferno” (1980年 伊・米)
 「サスペリア・テルザ 最後の魔女」 ”La Terza madre” (2007年 伊・米)

 「サスペリア」は、日本では1977年公開当時のキャッチコピー「決してひとりでは見ないでください」が流行語になり、同年公開の洋画でベストテンに入るヒットを記録した、ダリオ・アルジェントの出世作。出演はジェシカ・ハーパー、アリダ・ヴァリほか。storyはドイツのバレエ名門校に入学した若い娘を襲う恐怖を描いたもの。公開年が今回取り上げた「闇の聖母」の発表年と同じであるのは、興味深いところですね。


ジャシカ・ハーパーは1977年時点で28歳。アメリカ人ですが、この映画出演のために、イタリア語を「難なく」マスターしたんだとか。どことなく、初期の楳図かずおのヒロイン風?

 「インフェルノ」は「魔女三部作」の二作目。storyは、ニューヨークに住むローズが、近所の骨董屋で「三母神」”THE THREE MOTHERS”という本を見つける。この本の著者はバレリという幾世紀前の建築家で、3人の魔女のために家を建てたという。場所はフライブルク、ローマ、そしてニューヨーク。ローズはまさにその魔女「暗黒の母(マーテル・テネブラルム)」のために建てられた館に住んでいたことが分かる・・・というもの。


バレリ博士役で、「薔薇の名前」でホルヘ修道士を演じていたフョードル・シャリアピン・ジュニア氏がご出演。

 「サスペリア・テルザ 最後の魔女」はダリオ・アルジェントの次女アーシア・アルジェントが主演。storyは、絵画修復の技術を学ぶためにアメリカからローマにやってきた研究生のサラ・マンディが、副館長のジゼルと共に墓地で発掘された壺を調べるうちに、世界制覇を企む魔女たちを現代に解き放ってしまう。周囲の人々が魔女たちに殺される中で、サラは亡き母と魔女の三姉妹との因縁を知って・・・というもの。余談ながら、サラ・マンディという名前はサラマンドラsalamandraを連想させますね。サラマンドラとはラテン語で、四大精霊のうち、火を司る精霊のこと。英語ならサラマンダーsalamanderですよ。

 
アーシアはだんだん父親に似てきましたね。右は参考画像、「デモンズ2」”Demoni 2:L'incubo ritorna”(1986年 伊)から。アーシアの映画デビュー作。撮影時は10歳か11歳だったはず。美少女ですね。ちなみに”Asia”という名前は、日本贔屓の父ダリオが「なにか日本にちなんだ名前を」と付けた名前なんだそうです。

 上記「サスペリア」のヒットを受けて、我が国ではその後1975年の作品、”Profondo Rosso”(紅い深淵)が「サスペリアPART2」という邦題で公開されましたが、これは「サスペリア」の続編ではありません。おそらくダリオ・アルジェントに詳しい人ならば「紅い深淵」と呼んでいるであろうこの作品は、超自然がテーマではなく、いわゆる「ジャッロ映画」。storyの鍵となるトリック(というか、仕掛け)は驚くべきもので、個人的にはこれがアルジェントの最高傑作ではないかと思っています。


正直なところ、ダリオ・アルジェントは過大評価されすぎていると思うのですが、この「紅い深淵」は別格です。


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「闇の聖母」 フリッツ・ライバー 深町眞理子訳 ハヤカワ文庫




Diskussion

Parsifal:実在した人物や作品を引用したり、モチーフとして使っている・・・Hoffmann君の好きなタイプの小説だね。架空の人物ド・カストリーズに現実味を持たせる趣向だろうけど。

Hoffmann:たしかにこういった小説は好きだね。ただ、フリッツ・ライバーは翻訳で出ているものはたいてい読んだんだけど、お気に入りはこれ・・・だけなんだな(笑)

Kundry:恋人のハープシコード奏者、キャルの呪文めいた文句がすばらしいですね(笑)ここでは引用しないでおきますが・・・。

Klingsol:登場人物はそれぞれにユニークな個性の善人で、その会話がアメリカの小説にありがちな、軽薄な調子でないのはいいね、これは翻訳にもかかわる問題だけど。以前、イギリスの20世紀初頭の短篇小説の翻訳を読んでいたら、若い女性の発言が「やるっきゃないわ」なんて訳してあって(しかも、岩波文庫だよ)、そこで読むのをやめてしまったことがある(笑)

Hoffmann:ひとつ、補足しておく。「ジャッロ映画」ということばが出て来たけど、これは「ジャーロ」と発語されることもある。gialloはイタリア語の「黄色」。黄色い表紙で装幀された犯罪小説のペーパーバックに由来する名称で、流血シーンを含むスリラー映画を「ジャッロ映画」と呼ぶことが多い。ジャッロ映画を取り上げることがあったら、そのときにまた説明するよ。