086 「暖房の文化史 火を手なずける知恵と工夫」 ローレンス・ライト 別宮貞徳、曽根悦子、菅原英子、柿澤淳之介訳 八坂書房 煙突というものは、本来煙を屋内から屋外へと排出するためのもの。ところが、モルグ街のアパートメントでは女性の死体が逆立ち状態で突っ込まれているわ、探偵趣味のある青年貴族と女流作家の新婚旅行先では煤が固まってすっかり詰まっていて、鉄砲で打てば煤と一緒に石や漆喰、蝙蝠や梟の骨などが雨のように降ってくるわで大騒ぎ。一方でヴェニスの暖爐取付け工は身の毛もよだつ体験をする始末・・・。 今回は「暖房の文化史 火を手なずける知恵と工夫」、イギリスを中心とした近現代の家庭エネルギー史です。燃料とくれば、薪を使う暖炉から石炭を使う暖炉への変化があり、さらにガスや電気に至るわけです。暖炉の変遷に限らず、ナントカの文化史をたどると、それは改良の歴史なんでしょうか。石炭だのガスだのは枯渇した資源を補ために発達した代替燃料ではないのか。薪や石炭を使う煖炉は煙突を持っていましたが、石油ストーブにはこれがない。もちろん、後から設置することや、家の中を移動することが可能であるというメリットもありますが、煙突がないために定期的な換気が必要だというのは、なんだか本末転倒な気がします。生活に合わせて暖房器具が変化したのか、暖房器具の変化に合わせて生活しているのか、一概に判断できないようなところがありますね。 クリスマスも近いので(笑)煙突について、この本を参考に考えてみましょう。 本書はイギリスを中心としたヨーロッパにおける暖炉について書かれた本です。部屋の中心に炉があった中世時代から、室内に持ち込んだ「火」を、より快適に利用するために、人間は数々の工夫や発明を繰り返してきました。器具としては暖炉やストーブ、そして燃料。そうしたものが人々の生活を具体的にどのように変えたかを、興味深いエピソードを交えつつ紹介しています。歴史上新たに登場した、その最初にあたるもののひとつが煙突です。 横穴式住居すなわち洞窟から竪穴式になって屋根が付く、すると小屋になります。当初、主な調理は外でやっていた頃には煙突は必要ありません。やがて屋内で火を使うようになる。古代ローマの居間は煤で黒ずんでいたそうです。イングランドで煙突が使われるようになったのは13世紀末頃。床が木製だと部屋の中央に炉を作ることはできず、壁に作る。壁は外に直接つながっているので、都合がいいわけです。それまでの、木と漆喰ではなくて、石による建造がこれを可能にしました。それでもはじめのうちは本格的な煙突ではなく、通風の役には立たず、風向きが悪いと煙を外に出すこともできない・・・。 暖炉を壁に作ると火にあたることができる人の数は半減してしまいます。それにもかかわらず、煙突が付けられる利点が選択されて、暖炉は次第に普及していきます。しかし都市の家屋は主に木造だったので、火災も頻繁に発生。ここに防火規定ができて、ロンドンでは暖炉は背壁に、煙突とともに石で作られることとされました。そして暖炉を側壁の中央近くに作れば煙突の三面が屋内に入るので、家はより暖かくなります。家の中央、ふたつの部屋の間に作れば、この煙突の四面が屋内になるので、家はさらに暖かくなる。 問題は煙突掃除。じつは古い時代の、薪を焚くのに適した広い煙突は広い分だけ煤で詰まることはなく、掃除も比較的簡単。内側に鉄の梯子が作られていて中をよじ登ることができるものもありました。それが石炭を焚くように作られた煙道は23センチ乃至35センチ四方と狭く、間に合わせに作られたものだと曲がりくねっていることもあるので詰まりやすい。さあ、どうする? いちばん簡単な方法は小さい少年を登らせること。18世紀から19世紀の「煙突少年」は非人道的行為の歴史のもっとも悲惨なもののひとつです。 4歳から7歳の間に年季奉公に出された、多くは婚姻外で生まれた子供か教区の世話になっている子供。ほとんどが極貧家庭からやって来たか家出してきた子供です。 なかには煤に耐えられず窒息した子供もいたそうです。また、直前まで火を焚いていたために、肘と膝に、骨に達するまでの火傷をして死んだ少年も。ある煙突掃除人は10歳の時、48時間燃えていた暖炉の煙突に登らされ、親方が「恐ろしくなるような怒った様子を見せたので、火の中に落ち大やけどをし、生涯手足が不自由になった」と陳述しています。脊椎の変形は当たり前。火傷を負ったうえ窒息して死んでも、検死陪審は「不運により死にいたったことをここに宣誓表明する」と答申する始末。 煙突の頭部に少年が入っているときに、その部分が舗装した中庭に落ちて壊れ、少年が「卵から出る小鳥のように」怪我もせずに出て来たなどということもあったそうです。ああ、無傷でよかった・・・。19世紀初頭にはこうした状況を是正しようという動きがありましたが、煙突掃除の少年を廃止する議案は否決され、ようやく議案が両院を通過して少年が煙突に登らなくなったのは1863年のことでした。 さて、煙突そのものではなくて、煙突掃除chimney-sweep、あるいは煙突掃除人のimageとかsymbolを御存知でしょうか。煙突掃除人は煤と灰にまみれていることから、原始的な焼畑農法と結びつき、豊穣のsymbolとされているのですね。たとえば、花嫁が煙突掃除人と出会って、彼からとくにおめでとうと言われてしばらく一緒に歩いてもらえると、これはめったにない幸運を意味するのです。また、煙突掃除人が豊穣を意味するのは、煙突すなわち陰門に入る男根の象徴であるからだとする説もあります。たしかに、炉、つまりかまどがそもそも生命力の宿る場であり、豊穣の象徴です。また、ユング派の深層心理学では母のsymbolでもあります。これはもちろん、凹型の器とみなされるから。火が入っていると生命力の宿る場所ということになります。火は錬金術に通じるので当然と言えば当然なんですが、ところが煙には暗愚とか戦争とか罰とかのimageしかない。どうも、煙突に関しては、縁起がいいのか悪いのか、微妙ですね。やはり、13世紀末頃から使われはじめたということは、まだ「新しい」のですね。しかもいまでは各家庭にひとつある、というものでもありません。新しいうちに、一般的でなくなったのは残念です。 (Parsifal) 引用文献・参考文献 「暖房の文化史 火を手なずける知恵と工夫」 ローレンス・ライト 別宮貞徳、曽根悦子、菅原英子、柿澤淳之介訳 八坂書房 「火の賜物 ヒトは料理で進化した」 リチャード・ランガム 依田卓巳訳 NTT出版 「人間は料理をする」 (上・下) マイケル・ポーラン 野中香方子訳 NTT出版 Diskussion Parsifal:現代では主たる燃料も、薪や石炭から石油やガス、電気だからね。もはや煙突の出る幕はサンタクロースの来訪時くらいのものだけど。 Hoffmann:石油ストーブは一応火が燃えているし、見た目には悪くないんだけど、空気を汚すのが困るんだよね。その点は固形燃料と同じだ。 Klingsol:煙突がないために定期的に窓を開けなければならない・・・たしかに、本末転倒だね(笑) Kundry:暖炉のフェイクがありますよね。あたかも火がゆらゆら燃えているように見せかける装置も。 Hoffmann:煙突のないところに火が燃えていることもおかしいし、しかも火それ自体もフェイクじゃ、シラケちゃうよ。便利であるということも結構だけど、家でも道具でも、本来ならば手入れをして使い続けるものであることを忘れてしまっていないか? Parsifal:できることなら、なにごとにも「趣味性」を失わないでいた方がいいね。その方が生活は楽しくなる。 Hoffmann:不便を愉しむのが趣味だからね。ところが、カメラの例だけど、デジタルカメラでも、真っ白な壁や空に向けて「オートフォーカスが効かない」なんて文句を言っている人がいる。そういうときは・・・ってアドバイスしたら、「納得いかない。金取って売ってるんだから、いついかなる条件でも正常に動作するべきだ」って主張するんだな。どんな機械だって、使い方にはいろいろコツみたいなものがある。ムカシは「使いこなし」なんて言ったもんだけどねえ・・・(笑) Kundry:そういうひとは、カメラではなくて、単に「商品」を手に入れただけなんですよ。 Klingsol:話を戻すと、究極のエネルギー源はやはり太陽の輻射熱だね。太陽から地球上に到達するのに約8分、それでも広島型原子爆弾の約200万発分に相当するエネルギーだというから・・・ Hoffmann:これを活用する技術がもうひとつ、追いついていない。 Parsifal:煙突掃除に関して補足しておくと、アイルランドのある地方で採用されていた掃除法がおもしろい。これはロープをガチョウの首に結びつけて、煙突の中を引き上げるというものだ。ガチョウの羽ばたきで掃除するというわけ。あと、新たに発明された掃除用のブラシが家政婦や使用人に評判が悪かったそうだ。なぜなら、召使いが煙突掃除で特別手当をもらう機会が奪われたという理由で。 Klingsol:元禄期に考案された脱穀用の農具である千歯扱き(千把扱きとも、せんばこき)と同じだね。後家さん(未亡人)の貴重な収入源だったから、千歯扱きは後家倒し(ごけたおし)なんて呼ばれたんだ。 Kundry:加熱は調理にも欠かせませんよね。この本のカバーの絵がピエール=エドゥアール・フレールPierre-Edouard Frereの「小さな料理人」”The Little Cook”なんですよ(この本に「ピエール・エドゥアール・フレール」と表記されていますが、間違いですよね)。 Pierre Edouard Frere, ”The Little Cook” Parsifal:料理関係ならおすすめがあるよ。「火の賜物 ヒトは料理で進化した」リチャード・ランガム、依田卓巳訳。それと「人間は料理をする」マイケル・ポーラン、野中香方子訳の上下二巻本だ。これは「上巻 火と水」、「下巻 空気と土」となっている。どちらもNTT出版から出ている。 Kundry:ところで、冒頭のモルグ街はポオの「モルグ街の殺人」、探偵趣味のある青年貴族と女流作家というのはドロシイ・セイヤーズの「忙しい蜜月旅行」(ハヤカワ・ミステリ)ですよね。ヴェニスの暖爐取付け工が身の毛もよだつ体験をするというのは・・・? |