088 「臨海楼綺譚」 ロバート・ルイス・スティーヴンスン 南條竹則訳 光文社古典新訳文庫




 「臨海楼綺譚」は「新アラビア夜話 第二部」とされています。最初にこの点について説明をしておきましょう。

 「新アラビア夜話」”New Arabian Nights”は、ロバート・ルイス・スティーヴンスンが1877年から1880年にかけて雑誌に発表した作品をまとめて、1882年に短篇集2巻本で刊行したときの表題です。

 第1巻には7つの短篇小説が収録されています。

 第一部「自殺クラブ」、これは次の3篇からなる物語です。

 「クリームタルトを持った若者の話」
 「医者とサラトガトランクの話」
 「二輪馬車の冒険」

 第二部「ラージャのダイヤモンド」、これは次の4篇からなる物語です。

 「丸箱の話」
 「若い聖職者の話」
 「緑の日除けがある家の話」
 「フロリゼル王子と刑事の冒険」

 以上で計7篇ですね。いずれもアラビア人による原作を紹介しているような体裁をとっています。全篇を通じてボヘミアのフロリゼル王子がストーリーに絡んでおり、物語集としての統一が図られています。

 第2巻は、次の4篇の独立した短編を集めたものです。

 「臨海楼綺譚」
 「一夜の宿」
 「マレトロア邸の扉」
 「神慮とギター」

 この4篇にはフロリゼル王子が登場せず、アラビア人の原作者がいるという趣向もありません。従って、この第2巻に関しては、「新アラビア夜話」という表題にとらわれる必要はありません。

 そもそも「新アラビア夜話」というタイトルは、言うまでもなくスティーヴンスンが愛読していた「千夜一夜物語」(「アラビアンナイト」”The Arabian Nights”)に由来するものです。1880年代にリチャード・フランシス・バートンとジョン・ペインによる「アラビアンナイト」の英訳本が刊行されたこともあって、そこに乗っかった、ということでしょう。第1巻のフロリゼル王子とジェラルディーン大佐のロンドンとパリでの活躍は、アラビアンナイトで夜のバグダッドの都をお忍びで跋扈するハールーン・アッ=ラシードと腹心の大宰相に見立てたものなのです。

 なお、「新アラビア夜話」には、さらに「続・新アラビア夜話 爆弾魔」という続編があります。これは夫人であるファニーとの合作で、じっさいにスティーブンソンの手になるのは短編の「ゼロの爆弾魔の話」だけらしいのですが、その後のフロリゼル王子も(一応)登場します。ただしstoryとしては独立した物語。これもいまでは翻訳で読むことができます。

 この短篇集「新アラビア夜話」はミステリとしても評価を得ており、エラリー・クイーンは自選による推理小説アンソロジーに「クリームタルトを持った若者の話」を加えています。もう一点付け加えておくと、「一夜の宿」はスティーヴンソンの処女作です。



Robert Louis Stevenson

 さて、「臨海楼綺譚」はアーサー・コナン・ドイルから「スティーヴンスンの才能の最高到達点」「世界一の短編小説」と称賛された名品です。典型的な冒険小説、そこに添えられた女性を守る騎士道精神、つまり旧き良き恋と冒険の物語でありながら、そこはいかにも練達の物語作家らしく、古くささを感じさせつつも一気に読ませてしまいます。

 友達もおらず孤独だった「私」が放浪の途中で、学生時代の唯一の友、喧嘩別れしてしまった偏屈なノースモアを思い出して訪れた楼閣で、不穏な事件に巻き込まれる。人嫌いだった彼の館に、深夜、海から上陸してきた長身の紳士と美しい娘が入ってゆく。一体彼らは何者なのか、またなぜ秘密めいた行動を取っているのか・・・そこから、美しい女性の愛情獲得を巡る男の争い、秘密結社から命を狙われている彼女の父親を守ろうとしての命がけの戦いがはじまる・・・というstoryです。

 じつはこの小説、高校生の時に英語の授業(先生は英国人)で読まされたんですけどね、”Pavilion”とか”Links”とか”Schooner yacht”とか、なにもこんなに訳しにくいことばの出てくる本をテキストにしなくても・・・と思ったことを覚えています。おまけに”Carbonari”(炭焼党)ですからね(笑)図書室に行ってイタリア史の本を参照してきた同級生もいました。ただ読むだけなら”Pavilion”は”Pavilion”、”Links”は”Links”だとimageしていればいいんですが、高校生の時分のこと、日本語に変換しないと頭ン中に入ってこないんですよ(笑)

 さて、「古くささ」なんて言ってしまいましたが、さすが19世紀の小説らしい冒険ものかと思いましたか? そうではない、スティーヴンスンが作品を発表しはじめていた頃は、もう写実主義リアリズムが文壇を支配していた時代なんですよ。執筆・発表時点でも、既に古い。「宝島」にしろ、「新アラビア夜話」にしろ、スティーヴンスンは、事件が起こる、空想的な物語が好きだったのです。そも冒険小説というものは冒険を描く、そこには危険と恐怖心がモチーフとなって、人間の(理性よりも)非論理的、根源的な官能性に訴える物語が展開されるもの。子供向けの感傷性でもなく、大人向けの学識を必要とするものでもない、万人向けの大衆小説です。スティーヴンスンにとっては、宗教問題や社会問題が文学の主たるテーマではなかったのです。ですから、19世紀的な厭世観も、ない。写実主義的リアリズムの時代に、敢然と、理想主義を歌い上げている・・・。

 人は自分にないものを求めると言いますが、スティーヴンスンが生来病弱で、自分の人生が常に死と隣り合わせであることを自覚しつつ、家族を養うために執筆を続けていたことは忘れないでいて欲しいところです。そのような人が、悪人は悪人として描いてはいるものの、まるでそれが信念でもあるかのように、善意と正義の冒険者を描き続けたことは、それがスティーヴンスンならではの文学者としての個性だったと言っていいでしょう。言い換えれば、スティーヴンスンはロマン主義を「信じて」いた、ほとんど最後の作家であったということです。


(Hoffmann)



*************************



 それでは、「炭焼党」”Carbonari”について、ごく簡単に説明しておきましょう。

 「炭焼党」”Carbonari”について

 これは19世紀前半にイタリアとフランスに興った、急進的な立憲主義を掲げる革命的秘密結社です。イタリア語の”Carbonari”は「炭焼職人」を意味することから、日本語では「炭焼党」と訳されることもあります。

 起源は定かではないのですが、1806年頃、ナポリ王国において結成されるより以前、18世紀末、フランス革命の初期にフランス東部のフランシュ=コンテに存在した、炭焼人のギルドを模した秘密結社がその源流ではないかと言われています。

 その組織は徒弟制型の階層構造になっており、徒弟は親方に従属するものとされていました。秘密結社の常として、組織は仲間内にのみ解しうる記号や符牒を有しており、党員は、握手の際に秘密のサインを示すことで互いを同志か否か識別。徒弟は薪の束、親方は手斧をかたどった飾りを着用したそうです。このあたり、フリーメイソンと似ていますね・・・というかフリーメイソンの影響であると思われます。

 彼らの掲げた「自由・平等」という高邁な理想は、しかし、これに背く者に対しては処刑をも含む厳罰をもって臨み、また専制打倒という大義のためには、殺人をも厭わないとする過激な思想をも包含していました。この急進的思想に突き動かされたカルボナリは、赤・青・黒の三色旗を旗印として、革命運動へと邁進してゆくことになります。

 1820年前後には、カルボナリは30万とも60万とも言われる党員を抱えるほどになりましたが、じっさいのところ烏合の衆、あまりに雑多な階層の人間の集合体であるため、専制政治の打倒と憲法制定、他国による圧力の排除といった主張以外に目立った統一的意思を持たず、活動方針はまとまらず具体性を欠いていました。それでもカルボナリは教皇権の打倒をも画策しましたが、ついに教皇が兵を差し向ける騒ぎとなります。

 1820年1月1日、スペインの陸軍大佐ラファエル・デル・リエゴらが、ブルボン復古王政の専制打倒を目指してカディスで反乱を起こすと、カルボナリはこの機に乗じて、1820年7月にナポリ近郊のノーラで、ナポリ軍やブルボン軍騎兵隊の下級将校を巻き込み一斉蜂起。彼らはスペインの1812年憲法と同様の憲法を制定するよう国王フェルディナンド4世に迫り、これを流血なく実現させます。翌1821年3月にはピエモンテの州都トリノで、やはりカルボナリに指導されたサルデーニャ軍が決起して、自由主義的革命政府を樹立、憲法発布を実現。しかしこうした革命の成功は一時的なもの。

 こうした事態に対して、北イタリアを領有するオーストリアは革命の波及を恐れ、鎮圧に乗り出します。宰相クレメンス・メッテルニヒは1821年、オーストリア軍の出兵。同年3月23日には、オーストリア軍がナポリの立憲政府軍を打破してナポリを占領。4月にはピエモンテに侵入し、カルボナリを中心とする革命軍は敗北します。この革命政権の崩壊により、イタリアにおけるカルボナリは衰退。カルボナリは本拠地をパリに移しますが、カルボナリは地主階級などのブルジョワジーが主体であったため、次第に大衆の期待するものとは乖離していきます。

 1830年のフランス7月革命の成功によりルイ・フィリップを国王に戴く立憲王政が誕生すると、新政権にはカルボナリの党員も名を連ねたのですが、これが唯一の成功例。その後のイタリアでの蜂起はすべて鎮圧され、カルボナリは求心力を失い、党員は次々と離散していきます。

 結果論で言えば、イタリアにおいては直接的な成果と言えるものはほとんど皆無に近かったとはいえ、1861年のイタリア王国建国へと繋がる素地を作ったことは評価されるものです。その意味では、初期のイタリア統一運動を代表するものであったと言っていいでしょう。

 ちなみに、倉橋由美子1969年発表の長篇小説「スミヤキストQの冒険」(講談社文芸文庫)は、スミヤキ党のQという党員が党の密命を受けて孤島の感化院に潜入する(カフカの「城」を思わせる)小説ですが、「スミヤキ党」という名称は、ここから採られたものでしょう。

 なお、我が国でスパゲティ・カルボナーラを注文すると、ホワイトソースをからめたものが供されることがありますが、これは本場のイタリアンとは別物。カルボナーラは、カルボナリと同じ語源で、まさしく「炭」。つまり、スパゲティ・カルボナーラとは「炭のように真っ黒なスパゲティ」ということ。こう言うとイカスミのことだと思うかも知れませんが、カルボナーラはホワイトソースではなく、卵黄をパスタにからめて、黒胡椒をかけたものです。だから、我が国で注文するときは、メニューに写真がないと、思っていたものと違うものが運ばれてくる可能性もあるので、ご注意下さい。


(Klingsol)


引用文献・参考文献

「臨海楼綺譚 新アラビア夜話第二部」 ロバート・ルイス・スティーヴンスン 南條竹則訳 光文社古典新訳文庫
 ※ 「その夜の宿」「マレトロワの殿の扉」「天意とギター」を併録。つまり第二部完全版。

「眺海の館」 ロバート・ルイス・スティーヴンソン 井伊順彦訳 論創海外ミステリ
 ※ 表題作は同じ小説(「臨海楼綺譚」)の翻訳です。「一夜の宿り」「マレトロワ邸の扉」「神慮はギターとともに」「寓話」「宿なし女」「慈善市」を併録。つまり後半三話が追加収録。「慈善市」は本邦初訳。


「新アラビア夜話」 ロバート・ルイス・スティーヴンスン 南條竹則・坂本あおい訳 光文社古典新訳文庫
 ※ これが第一部。「自殺クラブ」の三篇と「ラージャのダイヤモンド」の四篇を収録。つまり第一部完全版。

「爆弾魔 続・アラビア夜話」 R・L・スティーヴンソン&ファニー・スティーヴンソン 国書刊行会
 ※ 話に出て来た続篇です。

「バラントレーの若殿」 ロバート・ルイス・スティーヴンスン 海保眞夫訳 岩波文庫
「プリンス・オットー」 ロバート・ルイス・スティーヴンスン 小川和夫訳 岩波文庫
「二つの薔薇」 ロバト・ルイ・スティヴンソン 中村徳三郎訳 岩波文庫
「引き潮」 R・L・スティーヴンソン&ロイド・オズボーン 駒月雅子訳 国書刊行会
「難破船」 R・L・スティーヴンソン&ロイド・オズボーン 駒月雅子訳 ハヤカワ・ミステリ
「カトリアナ」 R・L・スティーヴンソン 佐復秀樹訳 平凡社ライブラリー
「さらわれて」 R・L・スティーヴンソン 佐復秀樹訳 平凡社ライブラリー

 ※ どれもおすすめですが、個人的には「バラントレーの若殿」が好きです。



Diskussion

Parsifal:へえー、生クリームは使わないんだ・・・いまなら本場のカルボナーラを出す店も多いんじゃないかな。

Kundry:いまから、スパゲティ・カルボナーラを食べに行きましょう(笑)

Hoffmann:みんな、もうスパゲティの話しか覚えていないな(笑)