116 「海潮音」 (上田敏全訳詩集) 山内義雄・矢野峰人編 岩波文庫




 明治維新後、次の世代に課せられたのは、日本の近代化でした。それは西欧文明の流入と同義。江戸末期の文化的伝統は、その一切合切が頽廃のレッテルを貼られて、文学においてもヨーロッパ文学の方法と成果こそ善であるとばかりに、疑われることもなく輸入されたわけです。それで生まれたのが自然主義作家。おかげで、我が国の近代文学といえばフランス自然主義の手法による小説のこと。文芸誌のほとんどが小説で占められることとなり、批評・評論されるのも小説。

 小説以外のもの、すなわち詩はめったに目につかない。だいたい、「詩人」と聞いて、あなたはどのような人を思い浮かべますか? 専門職として詩人と、素人・アマチュアの詩人との区別が付けられますか? 文壇と呼ばれる世界に詩人が参加しているのを見たことがありますか?

 つまり、詩人は「職業」として認められていない、「職業」として成り立ってはいないんですよ。ところが、どうやら小説家というのは職業として成立している。しかも、叙情的主観を排除したところに、小説家が位置している。なぜなら、自然主義は純粋客観主義であって、主観的叙情を否定するものだから。日本の近代文学はフランスからはじまって19世紀後半に西欧全体を覆い尽くした自然主義が唯一絶対の文学的手法であると思い込んでしまったわけです。

 ところが、じつはフランスにも自然主義に対立するものがありました。それが象徴主義。これが19世紀末に発生していて、自然主義に対抗しうる大きな流れを形作っていたんですよ。ただし、この象徴主義というのは、主に詩の方法でした。ここで誤解のないように付け加えておきたいことは、自然主義も象徴主義も、文学の「流派」ではないということ。いずれも、文学の「方法」であるということです。

 この誤解をしてしまったのが、また我が国独特の受容の仕方でした。つまり、象徴主義を「流派」として認識してしまった。だから一時の流行にしか過ぎないものとなって、その方法が発展することはありませんでした。

 ヨーロッパではどうだったか。象徴主義は、あまりにも過激に発展していったことは皆様も御存知とおりです。つまりダダになり、さらにシュルレアリスムを開花させた・・・わかりますよね、日本との違いが。日本ではダダもシュルレアリスムも詩の運動であって、我が国の小説中心の文学運動とはほとんど無関係であったのです。ヨーロッパの現代文学の最前線が、日本では文学ジャンルのほとんど外で、一般読者の関心の外で、埋没してしまっているのです。だから、20世紀から21世紀の現在に至るまで、日本では新しい文学的冒険がほとんど行われず、発展もしていない。自然主義的な文学風土のなかで無視され、それどころか窒息させられているからなのです。プロレタリア文学が、常に、必ず、よくもまあ飽きもせずに、私小説形式に戻って行くのは、そうした我が国固有の傾向をよくあらわしている現象なんですよ。いや、プロレタリア文学どころか、いまどきよく売れている(消費されている)ムラカミなんとかいう物書きの、登場人物の「独白」をごらんなさい。あれは「意識の流れ」なんかじゃありませんよ。あの、自分に酔っている幼稚な精神が分泌している汚物は、古くさい、黴の生えた「私小説」の露悪趣味を人工的な翻訳文体に擬した劣化コピーなんです。


 それはともかく、フランス詩では高踏派の詩が、ルコント=ド=リールを中心として現れました。つまり、物事に対する無感動を表明することで、個人の感情を無制限に吐露するロマン主義に対抗したわけです。主観主義に対する客観主義ですね。象徴派というのはこのあとに、再び主観主義として登場している。高踏派が絵画や彫刻のような視覚的芸術に親しかったのとは逆に、象徴派は音楽を理想の芸術としています。


上田敏

 ここで我が国の事情を見ると、上田敏は高踏派と象徴派の詩の運動をふたつながらに同時に紹介・導入しています。その訳詩集「海潮音」(明治38年)には、ルコント=ド=リールのような高踏派の代表作と、次の時代である象徴派のボードレール、マラルメ、レニエなどの詩を並べている。だから、当時の我が国の詩人は、ようやく西欧19世紀前半のロマン主義に染まりつつあったところ、一気に次と、そのまた次の文学運動が入ってきてしまった。だからロマン的高踏派になったり、ロマン的象徴派なんていうハイブリッドタイプが生まれてしまったわけです。まあ、この時代、政治思想だって輸入したそのまんま、木に竹を接ぐようなことをしていたんですから、驚くようなことでもないのかもしれません。

 しかし、そもそも日本語というものが、明治維新以来ようやく散文・韻文ともに新しくなりつつあった時期、ロマン派がそれらしく表現できるようになってきたかな・・・という段階で、今度は高踏派だ象徴派だと・・・ああ、忙しい。だから拙速。

 ところが、その「不自由」な日本語を、高踏派にも象徴派にも適合させてしまったのが上田敏だったのです。

 その方法は、伝統的な日本の文学語を駆使することで読者にも馴染みのある昔ながらの美意識に訴える、というもの。つまり、乱暴な言い方をすれば、詩においては歌う対象そのものよりも、語の選択と配列(語順)こそが問題であることから、我が国の美意識で代用した、ということです。言い換えれば、日本語で象徴主義の方法を再現することはあきらめて、雰囲気とか気分だけを再現して見せた。

 そしてそれは上田敏に続く訳詩家たちにも大きな影響を与えることとなり、悪く言えば、詩というものが感覚的で雰囲気や気分をあらわすような文学となってしまったわけです。その論理や大胆な語法には目をつぶって、もっぱら感覚と気分の表現に注力した。だから、マラルメは理解されず、もっぱらヴェルレーヌが親しまれたわけです。

 もっとも、フランスの象徴派運動自体がヨーロッパで一定の成果をあげたのは、ボードレールやマラルメの方法論ではなく、むしろボードレールのレトリックやヴェルレーヌ、レニエの雰囲気・気分を、象徴派を自称する若い詩人たちが模倣して人気を博したからであったようで、そう考えれば、我が国での事情も無理はないこと。とはいえ、ヨーロッパでは象徴主義がダダやシュルレアリスムに至った流れがあったわけで、対して日本では、方法論という背骨がない、気分や雰囲気頼りの象徴主義には、自然主義という純粋客観主義の潮流のなかでは孤立して、やがて埋没してしまう未来しかなかったのです。


 いまでは象徴主義も、長らくまとわりつかれてきた、その世紀末的頽廃の気分から脱しており、現実認識の方法として理解されていると思います。それはエドガー・アラン・ポオからボードレールを経て、マラルメ、ヴァレリーに至る発展の成果として理解されているということ。そこで本来重視されているのは気分ではなくて、その漂う気分の背後にあるものです。読者に対して、感傷的な叙情などという曖昧なものを反映させようとしているのではなくて、もっと明晰・純粋な作用を及ぼそうという目的があるのです。象徴主義がやがて行き着いたシュルレアリスムが無意識(たとえば夢)を認識方法にまで高めようとしたことを思い出して下さい。自然主義の客観的・実証主義的な認識方法は、対象と認識主体の関係を一対一として、疑うことなく揺るぎないものと信じていたわけですが、象徴主義やシュルレアリスムでは、その認識にいくつもの異なったimageが重なってくることを排除しません。imageはさらなるimageを喚起して、客観的に認識される外界とは別の世界が、無限に広がって行く。むしろ、そこにこそ真実、徹頭徹尾の現実(超現実)があると考えているわけです。

 20世紀の文学者マルセル・プルーストが「見出された時」と名付けたものを認識する方法が、この「喚起」です。ボードレールはこれを「万物照応(コンスポンダンス)」ということばで表現しました。

 自然主義が目に見える外界の情景をあるがままに、可能な限り客観的に写し取ろうとするものであるのに対して、ポオやボードレール、プルーストにとっては、目に見える世界は、我々が直観している宇宙を喚起するための素材を提供するものに過ぎない。詩のなかでimageが(喚起を繰り返して)増殖し、結合されることによって、そこに未知の宇宙が姿をあらわす・・・というわけです。これがマラルメになると、コップとかランプといった日常的な事物が世界そのものを暗示することになる。もう、シュルレアリスムまであと一歩。

 どうも、どんどん話が先に進んでしまったので、このあたりで話を戻すと、永井荷風の「珊瑚集」(大正2年)は我が国の叙情的散文の改革に影響を与えましたが、やはり荷風は世紀末唯美主義、なおかつ実証主義者であって、象徴主義とは無縁。上田敏は高踏派詩人と象徴主義詩人を並べることによって、両者を融合した形で続く世代に受け入れさせた。それは功罪相半ばするところで、よく言えば感受性を解放したのかもしれませんが、しかし、それは本来ロマン主義によって行われるべきであったこと。それが、西欧文明の導入を急ぐあまりに象徴派の詩によって、もっぱら感覚面で行われてしまうこととなった。ために、象徴主義運動は文芸史上の一流派としての影響にとどまることとなったのです。

 この次に来るのが堀口大學による「月下の一群」(大正14年)。これがまた別な意味で、読者の感受性を革新させた仕事でした。


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「上田敏全訳詩集」 山内義雄・矢野峰人編 岩波文庫


「珊瑚集」 永井荷風訳著 岩波文庫


「月下の一群」 堀口大學 講談社文芸文庫


「近代フランス詩集」 齋藤磯雄 講談社文芸文庫





Diskussion

Kundry:やっぱり最初に思い出すのはヴェルレーヌの「落葉」ですね―

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
・・・

 あ、「海潮音」に従うなら”ポオル・ヱ゛ルレエヌ」でしたか(笑)

Parsifal:冒頭がダヌンツィオ(ダンヌンチオ)で、次がルコント=ド=リール(ルコント・ドゥ・リイル)なんだ。じつはマラルメは一篇しか収録されていないんだね。

Klingsol:マラルメは「牧羊神 拾遺」に何篇か入っているよ。

Hoffmann:その意味でも、「牧羊神」も収録されている岩波文庫が入手しやすくていいんだろうけど、できれば詩集はもう少し大きな判型で読みたいところだね。

Klingsol:なにも高価な初版にこだわらなければ、手頃な値段で古書店で入手可能なんじゃないかな。「珊瑚集」は昭和13年の第一書房版を持っているけど、そんなに高くなかったよ。

しなやかなる手にふるゝピアノ
おぼろに染まる薄薔薇色の夕べに輝く。
・・・

Hoffmann:いや、Klingsol君が買ったのはずいぶん前だろう? いまは結構なお値段がついてるみたいだよ。

Parsifal:「海潮音」は日本図書センターの初版のデザインを復刻した愛憎・・・じゃなくて愛蔵版が、いまでも新本で買えるかもしれない。

Hoffmann:昭和44年に冬至書房から出た近代文芸復刻叢刊の版は、別冊で原詩集まで付いていていいんだけど、もったいなくて(笑)あまり頻繁に取り出したくないんだな。

Parsifal:それに堀口大學の「月下の一群」と、並べておいて、折にふれて読むことができたらいいね。

巷に雨の降る如く
われの心に涙ふる。
かくも心に滲み入る。
この悲しみは何ならん?
・・・

Hoffmann:個人的には齋藤磯雄の「近代フランス詩集」も入れておきたいな。手許にあるのは1954年の新潮社版だけど、ちょっと前まで、講談社文芸文庫にも入っていた。

小夜のしらべの歌ひ手と
これに聴き入るたをやめと
さやさやさやぐ葉がくれに
気のない言葉の受け渡し。
・・・

Kundry:今回の引用は、順番に「ポオル・ヱ゛ルレエヌ」、「ポオル・ヴェルレエン」、あとのふたつはどちらも「ポオル・ヴェルレエヌ」でしたね(笑)

Klingsol:ただ、詩はやっぱり原語で読んだ方がいいんだろうけど・・・。

Hoffmann:たしかに、マラルメなんかはフランス語でないと理解できそうもない。でもね、だからこそ、いっそ読むに足る訳詩集を手に取りたいんだよ(笑)


永井荷風、堀口大學、齋藤磯雄は写真がないので、私が持っている署名本を―献呈先が林達夫です。