121 「大伽藍」 J.=K.ユイスマンス 出口裕弘訳 平凡社ライブラリー ジョリス=カルル・ユイスマンスJoris-Karl Huysmansは1848年生まれの、つまり19世紀末の作家です。一般にはデカダン派作家とされることが多いのですが、その作家としての変転ぶり、精神の軌跡はあたかも紆余曲折。 最初に自費出版したのは散文詩風の「薬味箱」。その後はエミール・ゾラに共鳴して自然主義小説を書くようになって、小説家としては自然主義作家としてスタートしています。やがてボードレールや、画家ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドンらの影響を受け、自然主義から脱してペシミズムに発する人工楽園の世界を描くようになり、世紀末的頽廃の作品「さかしま」を発表。賛否両論ありながらこれはデカダンスの聖書、象徴派の宝典と呼ばれる代表作となり、若き日のポール・ヴァレリーやオスカー・ワイルドにも影響を与えました。その後自称“魔術師”ジョゼフ=アントワーヌ・ブーランらと親交を持ち、その経験をもとに代表作「彼方」で黒ミサなどの悪魔主義を取り上げます。 ところがまたしても大転換、カトリックに改宗し、晩年は舌癌を患い病苦の中、改宗の過程を描いた「出発」、シャルトル大聖堂とキリスト教象徴学を語る「大伽藍」、「修練者」のカトリシスム三部作などを執筆。 私も若い頃、創元推理文庫から「彼方」が田辺貞之助訳で出ていましたから、入手しやすいこれを最初に読みました。これはいいなと思って次に読んだのが澁澤龍彦訳による「さかしま」。ところが次の田辺貞之助訳「出発」で?となって、さらに出口裕弘訳の「大伽藍」で??となった・・・。まあ、ショックを受けたというほどのことでもなくて、リヒャルト・ワーグナーがその生涯の最後に"Parsifal"を作曲したようなものかな、なんて思っていましたね。 Joris-Karl Huysmans おもしろいですよねー、自然主義小説を4冊ばかり書いて、「息づまる窓を開かねばならぬ」と言って、ロベール・ド・モンテスキウをモデルにした「さかしま」を書いたんですから。ペシミズムが爆発したような「さかしま」を書いて「息づまる」ならまだしもわかる。逆ですよね。それはやっぱりね、すくなくともこのとき、ユイスマンスは世紀末の神秘主義にその身の拠り所を求めていたということなんですよ。いや、「さかしま」では神秘主義はまだだろう、と言われるかもしれませんが、その人工楽園にはギュスターヴ・モローがモチーフとして取り入れられているじゃないですか。その審美主義が次の「彼方」の神秘学を準備して突き進んでいったのは当然の成り行きですよ。 「さかしま」の結末は、肉体が精神の独走・暴走についていけなかった形を取っていますが、やはり空想の領域でできることには限界があるということでしょう。現実の社会を嫌悪して、その精神の貴族的な振る舞いに理はあっても、それでも自身はその社会ではブルジョワジー。ユイスマンス自身のことをいえば精勤にはげむ官吏です。だから、次には「彼方」で中世に居を移してみることにした。己が安住できる風土を探索していたのです。「さかしま」のデ・ゼッサントは時を遡って、ジャンヌ・ダルクのもとで武勲を立てたジル・ド・レーとして中世に甦っていましたが、「彼方」ではギュスターヴ・モローやオディロン・ルドンに代わって、マティアス・グリューネヴァルト(「キリスト磔刑図」)が重要なモチーフとなっていて、醜悪が聖なる光輝を放つ、これがユイスマンスの神秘主義。 その後カトリックに改宗したとはいっても・・・ユイスマンスの信仰を疑うわけではありませんが、そう、捨て去られたのは自然主義だけ、その現世のあらゆる懊悩から解放されるべく、とられた手段はキリスト教芸術、具体的にはシャルトル大聖堂という教会堂建築に対して、神秘と象徴を読み解くアプローチを実践すること。それが「大伽藍」という、小説の姿を借りた、シャルトル大聖堂の研究報告なのです。つまり、ユイスマンスのカトリック改宗は単なる厭世感情による宗教への逃亡ではなく、もちろん敗北でもない、神秘主義の徹底なのです。さらに言えば、キリスト教の神秘主義ではなくて、神秘主義がキリスト教を取り込んだということなんですよ。そう考えれば、「彼方」における悪魔主義も神秘主義の中で扱われていたのだということに気付くはず。 この「大伽藍」は先に述べたとおり、小説の形式を借りたシャルトル大聖堂の研究書です。 シャルトル大聖堂Cathedrale Notre-Dame de Chartresはフランスのシャルトルにある、全長113メートル、幅は南北に32メートル、東西に46メートル、176ステンドグラス窓を持つ、フランス国内でもっとも美しいと言われるゴシック建築のひとつ。当初はロマネスク様式を基調に建築されていましたが、1020年と1194年、それに1134年の火災でほとんどを焼失したため、その後、26年の歳月をかけてゴシック様式で再建されたものです。 伝承では聖母マリアのものとされる「サンクタ・カミシア」Sancta Camisia(聖衣)というチュニックを所蔵しており、これは上記の火災にも損なわれることなく残り、以後何百年もの間、シャルトル大聖堂は聖母マリア巡礼者たちの重要な拠点とされていました。 大聖堂の建築は、その高く聳え立つふたつの尖塔や彫刻、色鮮やかにして華美なステンドグラスの窓はとりわけ有名ですね。聖母から最後の審判までが描かれたステンドグラスによって「シャルトル・ブルー」と呼ばれる青い光が聖堂内を染めて、これは文字を読めなかった多くの信者たちにも、ステンドグラスで描かれたキリストの物語に親しませる効果があったものと思われます。 Cathedrale Notre-Dame de Chartres 出口裕弘の翻訳は最初に出たのは1966年、桃源社版「世界異端の文学」シリーズの第1巻。私が最初に読んだのもこれ。原著を半分程度に縮めた抄訳版。その後何度か他社から再版されて、1985年に光風社出版から新装版が出たときに、省略した部分が、補遺の形で若干記載されています。私もこれを2度目に読んでいます。この光風社版を踏襲した形で再刊されたのが平凡社ライブラリー版で、訳文には全面的な見直しを行った、とあります(ただし訳注は割愛)から、これから読もうという人は、安心して平凡社ライブラリー版を手に取ればいいでしょう。 「補遺」によれば原著は全16章。翻訳では全10章に縮約されており、ほぼ全訳されているのは第3章、第9章、第11章、第13章とのこと。省略されているのは原著の第4章、第10章、第14、15、16章。このそっくり省略された章については、補遺で大筋が紹介されています。 このうち第10章はキリスト教植物象徴学、第14章が中世キリスト教動物誌、動物象徴学なんですが、このふたつの章は、野村喜和夫訳により、「神の植物・神の動物―J・K・ユイスマンス『大伽藍』より」の表題で八坂書房から2003年に刊行されています。訳者はフランス近代詩を専門とする人ですが、なるほど、こうして独立したものとして読んでもおもしろく、西欧文学読解において(つまり中世以来のキリスト教世界観を知るのに)重要な手引きとなるものです。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「大伽藍」 J.=K.ユイスマンス 出口裕弘訳 平凡社ライブラリー 「神の植物・神の動物―J・K・ユイスマンス『大伽藍』より」 J・K・ユイスマンス 野村喜和夫訳 八坂書房 「彼方」 J-K・ユイスマンス 田辺貞之助訳 創元推理文庫 「さかしま」 J・K・ユイスマンス 澁澤龍彦訳 河出文庫 「ユイスマンス伝」 ロバート・バルディック 岡谷公二訳 学研 「ユイスマンスとオカルティズム」 大野英士 新評論 ※ ユイスマンスの信仰の成立を、オカルティズムとの関わりから検証したもの。「彼方」を読む際に、その周辺の状況を理解することができる。 Diskussion Parsifal:「彼方」「さかしま」ではなくて、「大伽藍」とは渋いセレクションだね(笑) Klingsol:全訳でないのが残念だけど、それでもこうして読めるのはありがたいな。表題を「大伽藍」と訳したのも上手いね。 Kundry:でも、小説としては「さかしま」に共通するものを感じますよ。画家の目で見て、克明に描いています。自然主義でスタートした人であるというのも、納得ですよ。 Hoffmann:現実にあるものを観察して、解釈して、説明しているよね。それでいて、幻想文学と呼びたい小説になっている・・・というか、幻想文学とはそういうものなんだ。 Parsifal:賛成だ。これこそ幻想文学の見本、と言いたいくらいだね。 |