137 「八十日間世界一周」 ジュール・ヴェルヌ 田辺貞之助訳 創元推理文庫




 ジュール・ヴェルヌJules Gabriel Verneは1828年生まれのフランスの作家です。亡くなったのは1906年。

 SF小説の祖と言われるとおり、書かれたのは、飛行船、水上飛行機、潜水艦、月ロケット、ロケット弾のような自動推進爆弾といった、当時としては未だ夢であった、地上、水中、空中を走る機械や、大砲、爆弾の類いが登場し、活用されるという諸作品。たとえば気球は既にナダールが発明したと主張していたにせよ、もはやSF作家と言うよりも、科学的預言者と呼んだ方がふさわしいように思えます。

 その作家としての地位を確立したのは、1863年の「気球に乗って五週間」によってのこと。当時の科学崇拝もその評価を高めるのに与ったものと思われますが、西洋文学の主流たる自然主義の時代思潮もまた、科学的客観的合理性をヴェルヌの作品に見出したのではないでしょうか。

 ヴェルヌは父への手紙に書いています―

 ぼくは先日事実とも思われぬ架空なことどもが頭に浮かんできたと申しましたが、それは決して架空ではないのです。誰かが想像しうることはずべて他の人々が将来実現できることなのです。

 ヴェルヌのSF小説といって、そこにあらわれるのは機械であり、物理学であり、自然科学です。どこかの宇宙人が持ってきてプレゼントしてくれるのではありませんよ。人間の英知によって構想され、観察され、作りあげられるのです。

 初期の作は冒険ものが多く、理性的で、品格にあふれ、強靱な意志で初志を貫く、ややeccentricなスーパーヒーロー的主人公が前人未踏の地に向かって旅立ちます。たとえば「海底二万里」ではネモ艦長が海へ、「地底の冒険」ではリデンブルック教授が地底へ、「月世界旅行」では大砲クラブのバービケーン会長が月に・・・。

 いま、「スーパーヒーロー」などと言ってしまいましたが、これを「英雄」と言い換えてみましょう。英雄がごく日常的な世界から、境界を越えて、自然を超越した不思議の領域に冒険に赴く。そこに驚異の世界、途方もない危険や力と出会い、艱難辛苦の末これを克服して決定的な勝利を手にする、つまり「通過儀礼」イニシエーションです。そしてその力を手に、仲間たちとともに不思議な冒険から帰還する・・・。もうおわかりですね。世界各地の英雄伝説・神話に共通する普遍的なパターンなんですよ。

 おまけに地底は胎内回帰、海洋は羊水ですから、その旅は冥界下りです。その旅から帰還するということは、新しい人間に生まれ変わるということ。もっと細かく要素を箇条書きにしてみましょうか―

砂漠における冒険・・・聖者が悪魔の誘惑と闘う、つまり通過儀礼の妨害
誘惑する女による足止め・・・これも通過儀礼の妨害
父親的なもの(恐ろしい老人)との対決や一体化・・・勝利は克服、一体化は和解
母親的なもの(たとえば大蛇)からの脱出・・・女性的原理の克服
女性(女神)との遭遇と結合・・・世界の母なる女神との聖婚、略奪することもある(花嫁の誘拐)
帰還・・・帰還途上の境界で超自然的な力は失われる、復活、英雄が持ち帰ったものが世界に恩恵をもたらす

 帰還するとどのような結末が待っているのか。冒険という戦場は生の領域です。生きる上では避けられない些細な罪も犯したかも知れません。これを通り抜けてきた英雄が到達するのは、時間というものが移ろいゆくこと、そしてそのなかで、あらゆる生と死で成り立つ生命の営みが途切れることがない、それが世界であると知ることです。世界は日々更新されてゆく、永遠に・・・。

 いかがでしょうか、黄金の羊の毛皮を求めるイアソンや、ブッダが悟りに至る瞑想と同質のものです。上記には、「試練」も「助力者」も「報酬(見返り)」も含まれていますよね。映画の「スター・ウォーズ」"Star Wars"(1977年 米)も同じです。ただし、ヴェルヌの冒険小説では、神話・伝説での冒険における魔法や超自然の力が、科学や科学による発明品に置き換えられているのです。


Jules Gabriel Verne

 「八十日間世界一周」のstoryは―

 1872年10月2日のロンドンに始まる。独身の紳士、フィリアス・フォッグは物事を尋常ではない正確さで行う習慣と、カードゲームに熱中する、ロンドンの紳士クラブ「リフォーム・クラブ」"The Reform Club"のメンバー。

 彼はリフォーム・クラブで80日で世界一周ができると主張して、これを立証するために自ら世界一周に出ることを宣言。自分の全財産の半分にあたる20,000ポンドをクラブの会員たちとの賭け金にします。残りは旅費に充てるため、期限内に世界一周を果たせなかった場合、全財産を失うことになるわけです。フォッグはあたらしい執事パスパルトゥーを伴って、10月2日午後8時45分発の列車でロンドンを発ちますが、イギリスの銀行で起きた盗難事件の犯人捜索のため派遣されたスコットランド・ヤードの刑事フィックスは、フォッグの容貌が容疑者と似ていたために、彼を犯人と思い込んで後を追っています。

 利用するはずだった鉄道はまだレールの敷設工事中であることが明らかになると、代わりの手段として、フォッグは象を2,000ポンドで購入すなどして、旅を続けるフォッグ。インドでは儀式の生贄にされる女性アウーダを助け出し、フォックスの妨害により一時パスパルトゥーと離ればなれになりながらも上海、横浜。

 フォッグとパスパルトゥーは無事再会してサンフランシスコ、ニューヨークを経てリバプールへ。ここで列車に乗ればロンドンに着けるというタイミングでフィックスが逮捕令状をもってフォッグを逮捕してしまう。しかし、やがて本物の盗人は3日前に逮捕されていたことが明らかになる。釈放されたフォッグはフィックスを殴り、急いでロンドンへ向かうが、予定の列車に乗ることができず、約束から5分遅れた午後8時50分にロンドンへ到着。彼は賭けに負け全財産を失った。彼はクラブへは向かわず自宅へ戻る。

 フォッグはロンドンまで連れてきてしまったアウーダと結婚することとなり、パスパルトゥーを牧師の元に使いに出すが、パスパルトゥーはそこで、今日こそが八十日間の期限の日であったことを知る。つまり、一行は東回りで世界一周したため、日付変更線を横切り、丸1日稼いでいたのだった。パスパルトゥーは急いでフォッグの元に戻り、フォッグは期限の時刻ぴったりにクラブへ到着、賭けに勝利する。


原書の扉絵

 マゼランの船が世界一周して地球が丸いことを証明したのは16世紀のこと。19世紀には鉄道、蒸気船、電信によって、またスエズ運河の開通などもあって、人々の活動範囲が飛躍的に広がった時代です。グローバル化というのは均質化ですから、世界標準時という「統一」が図られました。

 ヴェルヌだって、行ったこともない、見たこともない国や土地を書いているんですからね。これは18世紀の「百科全書」以来の知のカタログ化による恩恵です。具体的にはヴェルヌが定期購読していた。1860年に創刊された絵入りの地理学雑誌「世界一周」です。横浜については、10年前に書かれたエメ・アンベールの日本滞在記が元ネタです。なので、フォッグが上陸する直前に開通していた新橋・横浜間を結ぶ日本初の鉄道は書かれていません。またパスパルトゥーは横浜で牛肉を供してくれる店が見つからず、空腹のうちにこの国には羊、山羊、豚などがまったくないと気付くのですが、この小説の舞台である1872年(明治5年)に先立つ明治2年には牛肉専門の太田屋が横浜に開店しています。現在も営業している「牛鍋元祖 太田なわのれん」の前身ですよ。まあ、パスパルトゥーは案内もなく異国の地に上陸したのですから、無理もなさそうですが、慶応元年(1865年)には横浜に屠牛場が創設されていますから、牛肉店は探せば見つかったのではないでしょうか。やはり、資料にしたアンベールの記事が古かったのですね。ちなみに、ヴェルヌが描いている秋の風景は、アンベールが書いた春の風景をそのまま「コピペ」したものであると言われています。

 なお、この小説は原著刊行の5年後である1878年(明治11年)には我が国で翻訳が出ています。川島忠之助訳で表題は「新説八十日間世界一周」。より正確に言うと、明治11年に「前編」、明治13年に「後編」が出ました。原典から翻訳されたフランス文学の記念すべき第1号です。


(Kundry)



 音楽も聴く




"Jules Verne melodies inedites"
Francoise Masset (soprano)
Emmanuel Strosser (piano)
2004.12
MIRARE MIR001 (CD)


 これはジュール・ヴェルヌの詩による歌曲集。作品はヴェルヌと同じくナント生まれのAristide Hignardの12曲と、Alfres Dufresneの1曲を収録。2005年にヴェルヌ没後100年を記念して発売されたCD。親しみやすい歌曲にして佳曲。こういうdiscを見落とさずに入手した自分をホメてあげたい(笑)


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「八十日間世界一周」 ジュール・ヴェルヌ 田辺貞之助訳 創元推理文庫




Diskussion

Hoffmann:たしかに、地中は胎内回帰であり、死と再生だね。

Parsifal:ついでに言っておくと、海は羊水であると同時に、「原罪を洗い流す」洗礼だね。つまり浄化だ。

Kundry:そう考えると、主人公の成長物語でもありますね。

Klingsol:未だ世界が希望に満ちていた時代だな。とはいえ、科学が信仰されていた時代でありながら、その暴走の危険性にも目配りを怠らないのが、さすがヴェルヌだね。

Parsifal:人間の想像力というものは、現状のほんのわずか半歩くらいが限界だと思っているんだけどね。ヴェルヌもそれほど先の領域までいっていない。ただ、人間の叡智を信じてきちんと理論付けしようと試みているところが、所謂UFOカルトのような荒唐無稽な与太話とは異なるところだ。

Kundry:召使いのパスパルトゥーPassepartoutという名前は、passe-partout、すなわち合い鍵を意味しているんですよね。これまでにさまざまな職業経験を経てきて、なんでも器用にこなすことをマスターキーにたとえたニックネームのようですね。

Hoffmann:たしかに、パスパルトゥーにはトリックスター的なところがある。