143 「ノヴァーリス作品集」 全3巻 今泉文子訳 ちくま文庫 ノヴァーリスNovalisというのは筆名。本名はゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルクGeorg Philipp Friedrich von Hardenberg、初期ドイツ・ロマン主義の詩人・小説家であり、同時に鉱山技師でもあります。1772年生まれで、亡くなったのは1801年、29歳にも満たずに夭折した人。 簡単に「初期ドイツロマン主義の・・・」なんて言ってしまいましたが、こういうとき、同時代人を頭に入れておくと、その時代的な位相が理解しやすくなります。先輩格はゲーテとシラー。ノヴァーリスはその次の世代です。仲が良かったのはシュレーゲル兄弟とティーク。1772年生まれということで、同世代にはだれがいたかというと、ヘーゲル、ヘルダーリンが1770年生まれ、イギリスならコールリッジが1772年生まれです。ああ、ヘルダーリンとかコールリッジと同じ空気を吸っていたって、なんだかわかりますね・・・おっと、これは話が先走ってしまいました。 ちなみにノヴァーリスの祖国、プロシアはフリードリヒ・ヴィルヘルムII世、そこから同III世に国王が変わった時代。どちらも別に悪人でもなく、まんざら無能でもなかったんですが、浅薄で「なにもしなかった」「なにをしたいのかもわかっていなかった」王様たちです。そもそも小邦分立の時代。国家の実権などというものは、利害関係を異にする大小の諸侯の掌中にあり、国家の統一など夢のまた夢。「ドイツ? それはどこにあるのだ?」とはゲーテのことば。だから当時の民衆には国民意識なんていうものはなかったんですよ。17世紀も前半の三十年戦争によるドイツ全土の荒廃からは未だ立ち直ることができず、国際的な競争からは落伍、当然の如く対外的威信も地に墜ちた、沈滞と空虚の時代。カントやフィヒテが哲学を構築したのもこの時代。ドイツ・ロマン主義の高揚というのは、そうした政治や宗教の時代背景の中で展開されたのです。外界から眼をそむけて、内的世界から生まれてきたのがシュライエルマッハーやヘルダーリンやゲーテ。そのゲーテが生んだのがファウストやウェルテル。「ファウスト」や「ウェルテル」をお読みの際は、このことをお忘れなく。 Novalis 初期ロマン主義だからといって、心ここにあらずの夢見るような青年を想像してはいけませんよ。ノヴァーリスは製塩所で仕事をするために自然科学の専門教育を受けて、実務家としてもたいへん秀でた人物。なにしろチューリンゲンで行政官試補となったときには、仕事熱心な勉強家で、指導する郡長の側が逆に教えられたと言っているくらい。 その自然科学をポエジーに結びつけてしまうところはゲーテと共通する性向です。強いて言えばゲーテの外に向かう精神に対して、ノヴァーリスはあくまで内面に沈潜していく「夜の認識者」。 その眼差しは、たとえば23歳の時に12歳の少女ゾフィー・フォン・キューンに出会って恋をしても、ゾフィーを取り巻く雰囲気が美しいと言っており、肉体を超越したエロス体験は霊的なものを目指している。わずか2年半後に15歳で早世してしまうことになるゾフィー体験が、ノヴァーリスに自己認識をもたらしたんです。恋人の死後、詩人の想像力はいっさいの妨げをなくして、ゾフィーは崇拝と信仰の対象になった。当時彼女の後を追って死ぬことをも考えた詩人は、その著作の中で大地の底とか洞窟の中に入って、夜(死)を体験して生まれ変わったかのように違う人間になって戻ってくるのです。ノヴァーリスはゾフィーのことを自分の宗教だというようなことを言っていますが、まさに宗教体験。だからゾフィーが亡くなって、その時に既に肺疾患であったノヴァーリスの人生はあと4年しか残されていなかったわけですが、その4年間の精力的な活動ぶりは目を見張るものがあります。長詩「夜の讃歌」が書き下ろされ、中世文学を翻訳し、自然科学を学び、神秘思想にも触れて、それは「青い花(ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン)」にも結実しています。 ノヴァーリスの場合、詩的現実とじっさいに体験している現実というものの区別がないんですよ。すべての平和は単なる休戦状態に過ぎないなんて言って(それはそのとおりだ)、現実に絶望しているのかと思いきや、その眼差しは超越的な幻想の彼方に向けられており、未だ見ぬ理想に燃えている。そんなところが、ドイツ・ロマン派の原型ともいうべき特徴なんですが、なぜ原型かというと、夭折のためその考察の多くは断章に終わって、完成をみなかったから。観念で終わってしまったのがノヴァーリスなのです。 それでも残された「夜の讃歌」は中世的な神秘思想、未完の小説「青い花」は自然哲学の結晶そのもの。19世紀小説のように外的事件が描かれることは少なく、あくまで生の内面を描いたもの。詩による教養小説。物思いに沈むのは未成熟な、それゆえに高き精神の相続人たる資格のある若者です。自然界と精神界は同じ法則に則っており、本来は同じものだと考えていた。だから自然界の諸現象は精神の軌跡をあらわしている、と。ノヴァーリスのメルヒェンは精神界を寓話であらわしたものなんですよ。そしてあらゆるものの母胎であり故郷でもある夜の国が、ノヴァーリスがそのように意識するとせざると、無意識の象徴であることはもう言うまでもありません。 (参考) ちくま文庫版「ノヴァーリス作品集」全3巻の収録作品を記載しておきます。これは文庫original企画の、今泉文子個人全訳です。 第1巻 ちくま文庫 2006年1月10日 サイスの弟子たち 花粉 対話・独白 断章と研究 1798年 フライベルク自然科学研究 解題 第2巻 ちくま文庫 2006年5月10日 青い花(ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン) 青い花 補遺 「青い花」解説 ノヴァーリス(フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク)略伝 第3巻 ちくま文庫 2007年3月10日 夜の讃歌 聖歌 キリスト教世界、またはヨーロッパ 信仰と愛 一般草稿―百科全書学のための資料集(1798-99年) 断章と研究 1799-1800年 日記 解題 なお、このちくま文庫版の翻訳者である今泉文子の著書で、ノヴァーリスを扱った、またはノヴァーリスに言及されているものは、次の3冊があります。 「ノヴァーリス 詩と思索」 今泉文子 勁草書房 「ノヴァーリスの彼方へ」 今泉文子 勁草書房 「鏡の中のロマン主義」 今泉文子 勁草書房 一冊丸ごとノヴァーリスについて論じているのは「ノヴァーリス 詩と思索」ですが、先に「鏡の中のロマン主義」を読んでおいた方がいいかもしれません。 次に、牧神社版全集全3巻の収録作を記載しておきます。 ノヴァーリス全集 第1巻 作品篇 編集・構成 由良君美 牧神社 1976年12月25日 ノヴァーリスの想い出 ルートヴィヒ・ティーク 飯田安訳 夜の讃歌 斎藤久雄訳 聖歌 佐藤荘一郎訳 詩篇 笹沢美明訳 青い花 斎藤久雄訳 ザイスの学徒 山室静訳 解説 由良君美 ノヴァーリス全集 第2巻 断片・日記・書簡・評論篇 編集・構成 由良君美 牧神社 1977年7月31日 断片 飯田安訳 続 断片 飯田安訳 自然科学に関する研究 深田甫訳 付=1799年6月18日のノート 信仰と愛 あるいは王と王妃 柴田陽弘訳 付=「花粉」における国家論・国民論など 全集第2巻における国家論・社会論 「一般的草稿」にける国家論・政治論など 1799-1800年の「断章」から 基督教世界或は欧羅巴 山室静 日記 飯田安訳 書簡 今泉文子 解説 ノヴァーリス全集 第3巻 研究・資料篇 編集・構成 由良君美 牧神社 1978年7月31日 初期邦語文献 小牧健夫 成瀬無極 高橋義孝 茅野蕭々 初期外国文献 カーライル ハイネ ディルタイ ロイス メーテルリンク バビット 片山敏彦・佐久間政一・深田甫・由良君美訳 初期比較文献 ノヴァーリスとシェリィ ブランデス 吹田順助訳 ゲーテとノヴァーリス 笹沢美明 初期作品論 夜の讃歌/ハインリッヒ・フォン・オフテルディンゲン 斎藤久雄 ザイスの学徒/クリングスオールの童話/夜の讃歌/聖歌/基督教世界或は欧羅巴/青い花/ 最後の断章 丸山武夫 資料篇 森鴎外 片山孤村 山岸光宣 加田哲二 由良哲次 F・シュレーゲル E・T・A・ホフマン ニーチェ フーフ ヴァルツェル トーマス・マン ヘッセ ワイニンガー シュトリヒ ルカーチ トラークル ベンヤミン ホッケ 邦訳ノヴァーリス作品年表 今泉文子 解説 多くは戦前に刊行されていた旧訳の編纂で、これに深田甫、今泉文子などによる一部を新訳で収録したものです。主要作の旧訳は当時いずれも入手困難、あるいは古書価が高価であったもので、この時点でまとめられたことに大きな意義があった全集です。なので、私にとってはいまもって愛着のある全集です。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「ノヴァーリス作品集」 全3巻 今泉文子訳 ちくま文庫 「ノヴァーリス 詩と思索」 今泉文子 勁草書房 「ノヴァーリスの彼方へ」 今泉文子 勁草書房 「鏡の中のロマン主義」 今泉文子 勁草書房 Diskussion Parsifal:哲学的に傾くのは初期ドイツ・ロマン派の特徴だね。 Klingsol:天下国家を論じるんだよね。でもそれは、ヘルダーリンあたりの流れじゃないかな。 Kundry:たしかに、ヘルダーリンと共通するものを感じさせますね。わりあい民族主義的なアジテーションのように聞こえるところもありますが、ナチスに利用されなかったんでしょうか? Parsifal:ナチスが利用した例は知らないなあ。ドイツでは戦前に再評価されて、1960年代あたりには、現代詩人の草分けとして認識されていたようだけど。 Klingsol:やっぱりね、世界も人間も神が創ったもので、マクロコスモスとミクロコスモスが同じ精神で生かされているという世界観、自然を無限の神秘と見るところが、ドイツの伝統になっているんだよ。 Hoffmann:ロマン派も後期になると、文学的に洗練されてくることとトレードオフで、もっと感覚的になるというか・・・。 Parsifal:それだけに無意識とか深層心理でいうところの元型的なものが立ち現れてくるんだけどね。 Hoffmann:ノヴァーリスはまだちょっと荒削りながら、その萌芽があると思うんだよね。 Kundry:ちょっと調子が高いと感じられてしまうんですが・・・。 Klingsol:理想主義的なんだけど、意志の力よりも詩人の想像力をなによりも愛し、重要視したからね。なにかを創り出すよりも、変形・変容させることで、恋人であるゾフィーの死をも乗り越えたんだから。理解するよりも感受しないといけないんだ。その意味では、20歳くらいまでに読んでおいた方がいいんだろうね。 |