146 「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」 澁澤龍彦 立風書房




 澁澤龍彦が亡くなったのは昭和62年(1987年)、ああ、もう37年も経つんですね。その後の何年間かは澁澤自身の著書や、周辺の人たちの思い出話が満載のムック本などが洪水の如く出版されていましたね。それが長い間に、だんだんと間隔を置いて出てくるようになって、そうすると澁澤当人を直接知らない人が虚心坦懐に読んで、そのいいところも、ちょっと疑問なところも、論じられるようになってきました。


澁澤龍彦

 ともあれ、私のことを言うと、年齢のわりには、澁澤龍彦をはじめて読んだのはかなり遅い方なんです。最初に手に取ったのは「唐草物語」(河出書房新社)。新刊で出たときすぐだから昭和56年(1981年)ですね。これがたいへん面白かった。

 そうしたら翌年あたりから中公文庫、河出文庫でその著作が続々と出はじめた。じつは私、この頃、書店でアルバイトをしていましてね。文庫本の仕入れは任されていたのでよく覚えているんですが、河出文庫なんてずいぶんたくさん売りましたよ。買っていくのは若い女性が多かったですね。私自身も「唐草物語」が面白かったから、出るたびに買っていました。ところが、「東西不思議物語」とか「世界悪女物語」とか「異端の肖像」、それに手帖シリーズなんて、期待したほどおもしろいとも思えない(笑)これらの本が新刊で出た当時はいざ知らず、私が文庫本を手に取ったときには、黒魔術にしろ悪魔にしろ、ほかにもいろいろな本が出ていましたからね。だいいち、私ゃ「悪魔学」なんてあまり興味もなく、ましてや「異端」なんてことばにはまったくもって魅力を感じない、「異端のそのまた異端」を気取っていた若造でしたからね(笑)

 ところが、新刊で出た「ドラコニア綺譚集」は愉しめる。「狐のだんぶくろ」(潮出版社)なんかは、もうエッセイのお手本だと思って、日本語の使い方の手引きにもなるから、2冊買って1冊は傍線だらけですぐボロボロに(笑)これはもう、とにかく全部読んでみなきゃいかんなと思って、文庫化を待ちきれずに古書店廻りの日々。そのあたりで気がついたのは、そもそも手許に持っていた「サド選集」(桃源社)が澁澤龍彦の翻訳だったこと。それで翻訳も片っ端から買い集めた。

 そうこうしていたら当人が亡くなってしまい、「高丘親王航海記」(文藝春秋)が出て、それからですね、冒頭で述べた異例の出版ラッシュとなって、はじめて澁澤龍彦の人となりを知るようになったんです。

 松山俊太郎でしたか、自分は澁澤の好い読者ではなくて、むしろその人柄から感ずる魅力が主であると言っていました。これはいろいろな人の書いたものを読んで、私も納得でしたね。明晰で剛直、伝え聞く人柄はたしかに魅力的です。

 10代の時に書いていた日記帳を、戦後20歳の頃にすべて焼いてしまったというエッセイがありました。惜しいことをしたと思っているが、そのときは自分に対する至上命令があった―と。いま、そのエッセイを見つけられなかったんですが、じつは私、これを暗記しています―


「過去に拘泥するな」
「人間的な感情を締め出せ」
「フィクションのみが真実だ」
「あらゆる意味でのセンチメンタリズムを排せ」
「おまえ自身の人間的内容を空っぽにせよ」


 つまり、この至上命令を守るためには、日記を付けることが有害であり、過去の日記さえも焼いてしまうことが必要であった、というわけです。いま(このエッセイを書いている時点)では、残念なことをしたとしつつも、これでよかったのだとも書いていました。

 ええ、暗唱できるくらいですからね、これには私もかなり影響されましたね。

 でもね、私は澁澤龍彦を個人的に知っているわけではない。多くの人が生前の交遊を語っていて、それが当人の人柄の魅力を十分に伝えているからといって、それで偶像化してしまうほど単純ではありません。たとえば、礒崎純一の労作「龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝」(白水社)も読みましたが、やはりこれは熱烈なファンのための本なのだろうな、と思っています。それよりも、「書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録」(国書刊行会)の方がめくっていて愉しいんですよ(笑)

 基本的に自分語りをしない人です。それでいて、ぎりぎりのところで自分語りにならないように思い出話などを披露しているのが、「狐のだんぶくろ」であり、いくつかの旅行記です。さらに、闘病記や病床日記など「そんなものを書くくらいなら死んだほうがましである」と述べていながら、自分の幻覚体験を語っているのが、今回取り上げる本の表題作「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」です。その薬剤を投与した看護婦に、貴重な体験をさせてくれたと感謝しているのが、孤高のダンディズムでもあり、思いやりでもある。穿った見方になるかも知れませんが、ちょっとその幻覚も出来過ぎじゃないでしょうか。この人は自分の思想に従って、コントを書いていたのではないかと思います。喉に穴を穿って両性具有になったとする「穴ノアル肉体ノコト」にしても、「もしかすると、私は私の思想を追いかけているのかもしれない」と述べているように―。そしてこの二篇のエッセイは、「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」「穴ノアル肉体ノコト」と、カタカナを使って、あたかも戦前(著者の少年時代)の文章のような味を添えているところが、照れ隠しで戯けてみせているのか・・・。そんなところまで、読者の前に現れるときには、人柄というよりも人格そのもの、思想、生き方のすべてが完璧に明晰で剛直な状態を保っている、そこが魅力的なんですよ。


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」 澁澤龍彦 立風書房




Diskussion

Klingsol:自分語りを「高丘親王航海記」のような形でやってしまうところが、澁澤龍彦ならでは、なんだよ。

Parsifal:Hoffmann君は職場では、「尊敬する人物」のアンケートで種村季弘と書いたんだろう?

Hoffmann:種村季弘のほかにも3人挙げたけれどね。澁澤龍彦の名前は入っていない。


Klingsol:「尊敬する」というのとは、ちょっと違うんだね。たしかに、私でも種村の名前が先に出て来そうだ。

Kundry:若い頃には読んだけど、だんだん読まなくなった・・・という人も多いようですね。やはり初期の作は、いまとなってはポーズが鼻につくというか・・・。

Klingsol:ことさらに「異端」を気取っていたところがあったのは否定できないだろう。もっとも、いつまでもそこにとどまっていなかったところが立派なんだけどね。

Parsifal:「神聖受胎」とか、かなり調子が高くて、これが本当に書きたかったものなのかと思ってしまうものがあるよね。その意味では、Hoffmann君がはじめて読んだのが「唐草物語」だったのはいいタイミングだったね。

Hoffmann:オトナになって読まなくなった人というのは、そのあたりから後の作品は手に取っていないんじゃないかな。

Kundry:私も含めて、みなさん澁澤龍彦はかなり読んでいますよね。とくにお好きな著作はなんでしょうか?

Hoffmann:いま挙げたけれど、「唐草物語」「ドラコニア綺譚集」「うつろ舟」だな。どれも、小説ではなくてコントだけどね。

Parsifal:ほとんど同感だけど、「ねむり姫」を入れたいな。

Kundry:私は「夢の宇宙誌」と「胡桃の中の世界」ですね。


Klingsol:翻訳を第一に推したい。サドの全部にユイスマンスの「さかしま」だ。

Hoffmann:あ、翻訳か。それならコクトーの「大股びらき」を挙げておきたいな。この小説の最後のところも暗唱できるよ―

「大き過ぎる僕の心は、どんなユニフォームの下にかくしたらよいのだろう! どんなにしてもまる見えかも知れない」
 ジャックは再び自分が憂鬱になるのを感じた。地上で生きるためには流行を追わねばならぬ、が、心はもはやそれに従わぬ。彼にはそのことがちゃんと分かっていたのである。