163 「ドン・ジュアン」 モリエール 鈴木力衛訳 岩波文庫 モリエールの「ドン・ジュアン」は「またの名を石像の宴」という副題を持つ戯曲です。1665年2月15日にパレ・ロワイヤルにて初演。 近頃「紀州のドン・ファン事件」なんてことばを聞きますが、多くの人は「ドン・ファン」ということばをどう理解しているのかと思って、webで検索してみたところ、次のように出ました― ドン・ファンとはどういう意味ですか? 「ドン・ファン(西: Don Juan)」とは、「好色漢」「女たらし」「プレイボーイ」といった意味合いで用いられる言葉である。 もともと「ドン・ファン」とは、希代の女たらしとして語られる伝説的人物の名前である。 まあ、間違っているとは言いませんが・・・ちなみにWikipediaで検索したら最初にでてきたのはこれ― ドン・ファン(スペイン語: Don Juan)は、17世紀スペインの伝説上人物。ティルソ・デ・モリーナの戯曲「セビリアの色事師と石の客」が原型。好色放蕩な美男として多くの文学作品に描写されている。プレイボーイ、女たらしの代名詞としても使われる。 なお、「ドン」はスペイン語圏等における男性の尊称である。 でもね、もとはといえば、キリスト教圏に広く分布する、死神に罰せられる罪深い男の民間伝承なんですよ。それを体系化して組織し直された、最初のものがティルソ・デ・モリーナの「セビーリャの色事師」という戯曲。 ティルソ・デ・モリーナの戯曲は、どのような経路をたどったものか、やがてイタリアへと伝わり、17世紀半ば、イタリア人の喜劇団によって即興劇として上演されるようになりました。これがさらにフランスにも伝わって大成功。そこでフランス版が作られた。どうやらルイ14世の王女が所有する劇団に所属していたドリモンなる作家と、パリのブルゴーニュ劇場の俳優ド・ヴィリエがフランス語訳を作成して、これらがモリエールに着想を与えたらしい。もっとも、モリエールは手っ取り早く収入にしたかったようで、当時パリで流行していた「ドン・ジュアン」を題材にとって、かなりのスピードで作品を書き上げているようです。念のためお断りしておくと、「ドン・ファン」はスペイン名、フランス語だと「ドン・ジュアン」、イタリア語なら「ドン・ジョヴァンニ」ですよ。 そうして上演された「ドン・ジュアン」は図に当たって大成功。しかし、キリスト教会や信者たちからは攻撃され、連日大入りにもかかわらず、わずか15回の公演で自ら打ち切り。その後もモリエールに対する攻撃は続き、ついにはルイ14世が仲裁に乗り出すことに。その後、モリエールは不遇のうちに生涯を閉じましたが、没後また未亡人アルマンド・ベジャールの請願によって、コルネイユによる手が加えられた謂わば穏健版ながら、「ドン・ジュアン」の上演が許可されました。原作どおりに上演されるようになったのは19世紀の半ば以降のこと。 あらすじを簡単に示しておくと― 第1幕 舞台はシチリア島。スペインの青年貴族ドン・ジュアンは、妻のドンヌ・エルヴィールに飽きたので、浮気をするため、スガナレルを連れて旅に出ている。エルヴィールが彼を追って来たが、ドン・ジュアンは彼女の嘆きなど相手にしない。 第2幕 舞台は海岸に近い田舎。百姓、ピエロが婚姻関係にある恋人のシャルロットに、海で溺れている男ふたりを救助したと手柄話をしている。まさしくそのふたりとはドン・ジュアンとスガナレル。ドン・ジュアンは早速シャルロットを口説きはじめ、ピエロは怒り、シャルロットの不貞行為を言いつけようと、マチュリーヌを呼びよせるが、そのマチュリーヌまでがドン・ジュアンに口説きおとされてしまう。 第3幕 ドン・ジュアンは田舎者に、スガナレルは医者に変装。道に迷って森の貧者に声をかけ、街への道を教えてもらうが、その見返りに施しを求められる。ドン・ジュアンは「神様を呪ってみろ、そうすればルイ金貨を1枚恵んでやるぞ」と言い放つ。次に3人の賊を相手に孤軍奮闘する貴族を見かけ、助太刀に飛び入る。首尾よく救出するが、その男はエルヴィールの兄であるドン・カルロスで、まさにドン・ジュアンを追ってやって来たのだった。ドン・カルロスはドンヌ・エルヴィールとの約束を守るようにと告げて立ち去る。ドン・ジュアンとスガナレルは、以前ドン・ジュアンが決闘で殺した騎士の墓を見つける。大理石のその騎士の像を見てスガナレルが恐がるので、ふざけて晩餐に招かせたところ、像が頷く。 第4幕 ドン・ジュアンの部屋。そこへ借金の返済を求めにディマンシュ、息子の放蕩ぶりを諫めに父ドン・ルイ、修道女になる覚悟も決め、ドン・ジュアンに身持ちを改めるよう説得するためにエルヴィールなどがやって来るが、ドン・ジュアンはすべて聞き流してしまう。ようやく晩餐をはじめたところ、騎士の像が現れ、晩餐に招いてもらった礼に、ドン・ジュアンを晩餐に誘いたいと申し出る。ドン・ジュアンは承諾する。 第5幕 舞台は郊外。ドン・ジュアンは父に改宗を誓うが、これは偽り。ドン・ジュアンは偽善者になることにしたのだった。そこへドン・カルロスが現れる。妹のエルヴィールとともに暮らすことを要求するが、ドン・ジュアンは断る。そこへ亡霊がやって来て悔悛せよと言うが、これも断る。すると騎士の像が現れ、手を握った瞬間に、ドン・ジュアンの体に雷が落ち、大地が裂け、炎が吹き出す。スガナレルは「おれの給料! おれの給料!」と嘆く。 MoliereことJean-Baptiste Poquelinジャン=バティスト・ポクラン、Nicolas Mignardニコラ・ミニャールによる肖像画 民間伝承、すなわち元型は、たとえば「死者の招待の伝承」。墓場で出会った頭蓋骨を蹴飛ばして、「お前もおれの結婚式の晩餐会に招待してやる」と言ったら、当日蓋骨がやって来た。そして今度は花婿が招待され、行ってみると消えかかった松明がある。ほとんど燃えつきた松明を指して骸骨曰く、「これがお前だ」。 おやおや、と思った人も多いのでは? 落語の「死神」は蝋燭ですしたね。ルーツはここ? じつは「死神」は初代三遊亭圓朝が翻案したものと言われているんですよ。人間の有限である寿命を松明や蝋燭の火にたとえるというのは、民間伝承などではわりあいよく見られる例なんです。これは次回への布石(笑) このほか、骸骨の招待に応じた男が叱責を受けるだけですまされる場合もあるし、死に至る場合もあります。民間伝承、すなわち口承ですから、いろいろなvariationがあるわけです。 これがティルソ・デ・モリーナの「セビーリャの色事師」に変化した。違いは、主人公が百姓や下僕、時に金持ちや貴族であったところ、貴族の家柄の色事師になっていること。頭蓋骨は石像に。死者の訪問は骸骨か石像かという違いだけで同じこと。伝承ではこの後主人公が死者の招待を受けて訪問する場面があったりなかったり。大団円は、伝承だと罪人は急場を逃れるか、その場で、あるいは数日後に死ぬ。また、伝承には女性は登場しませんが、「色事師」系列の話だと必ず女性が登場します。つまり、貴族で家柄もよい一族の息子が、誘惑者・ペテン師となって女を騙すというstoryになるので、必然的に女性が登場するわけです。招かれる死神は、主人公と以前から関係がある。ほかならぬ彼が殺したんですから。ここに復讐というモティーフが加わってくる。骸骨が石像になったのは、亡霊、骸骨、吸血鬼といった庶民的な素朴さから、むしろ古代の幻想物語の範例に遡ったもの。 つまり、あらゆるドン・ファン劇に共通するのは、誘惑者、女性群、死の三項目。この組み合わせいかんによって、さまざまなvariationが生まれるわけです。誘惑者は女性群の登場を導き、また誘惑者は殺害者でもある。そしてひとりの女性が「死の娘」となる。モーツアルトならドンナ・アンナが騎士長(石像)の娘として死の血縁者となって、誘惑者と石像(死神)の対決を誘導するわけです。これが基本構造。 ティルソの「セビーリャの色事師」は、一見、抹香臭い教訓劇、神学的な物語と見えますね。いや、ティルソ・デ・モリーナは本名ガブリエル・テレスという坊さんですからね、宗教的な色彩が濃いのは当然です。ところがモリーエルになると、これがだたの女誑しではなくて、無神論者になる。ここ、注意して下さい。 ティルソ・デ・モリーナも、モリエールも、神の慈悲と恩寵、罪人の不信心の末路を描いた寓話と見える。しかし、ティルソでは、この罪人は神の恩寵と慈悲には果てしがない、後悔するには早すぎると、いつまでも改悛を先延ばしにして、結果的に恩寵に抗った傲慢の罪で地獄に落とされるのです。おわかりですか、不信心故に地獄に墜ちるのではなくて、あたかも「信心すぎて」地獄に墜ちるかのようなんですよ。ところがモリエールでは、もう神の慈悲など期待してはいないし、むしろそんなものは踏みにじってやろうという、自由意志の持ち主なんですよ。だから、モリエールの流れにあるダ・ポンテ、モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」は、そのクライマックスに劇的な鮮烈さをもたらすこととなったのです。 なにせモリエールの時代、同時代の作品からアイデアの借用するなど日常茶飯事、別段、咎められるようなこともなく、恥じる必要もないこと。おかげで喜劇と悲劇の要素が渾然一体となった。これが、作品としての形式的完成度としては必ずしも高いものではないとされた理由なんですが、むしろダ・ポンテ、モーツアルトを経て、作品の長所と認められるようになったとは言えそうです。 さらに言えば、主人公は単なる女誑しではなく、宗教感情から恐れたり悩んだりもしない無神論者的人物。これが早すぎた近代人なんですよ。快楽の追求者でありながら無神論者、偽善者でありながら、平然と死者を晩餐に招く豪胆さも持ち合わせている。 おまけにもうひとつ、指摘しておかなければならないのが、父親の登場です。父親の説教に対する冷ややかな傲慢さ。じっさいに父親が殺されるわけではないんですが、父親が立ち去るやいなや、ドン・ジュアンの台詞は「さあさあ、できるだけ早くお死になさい・・・」ですからね。モリエールでは、この父親の語りかけは「世俗の権威」にの名においての非難で、ドン・ジュアンがこれを拒絶したので、次には神の正義による断罪に至るという構図なんですが、じつはこの「父殺し」が、ダ・ポンテ、モーツアルトのオペラに・・・とりわけモーツアルトに、我が身に引き寄せた霊感を与えることとなったのです。言うまでもなく、モーツアルトのオペラで父親的役割を果たすのは騎士長(の石像)です。 ここでいちどモーツアルトを忘れて、ロマン主義におけるドン・ジュアン(ドン・ファン)像を思い浮かべてみて下さい。テオフィル・ゴーチエは「みんなドン・ジョヴァンニが好きだ」と言って、ミュッセに至っては「愛している」とまで言った。バイロン、フローベール、ボードレール、レーナウはそれぞれ自分にダブらせてドン・ジュアン像を夢見ている。そのロマン主義者たちに先立つドン・ジュアン像が、すでにモーツアルトのオペラに見出されるのです。 モリエールの「ドン・ジュアン」が、観客の反応が良かったにもかかわらず、激しい非難によってわずか15回で上演を取りやめることとなり、その後もモリエールの生存中には2度と上演・出版されなかったのはなぜか。 ひとつには演劇界と教会の対立なんて言われますが、つまり演劇人なんて賎民の扱い、キリスト者として認められていなかったから・・・というか、教会側がそのような差別的な姿勢をとっていたからです。演劇なんて見たら信仰心を失いかねないと危険視していたから。 また、「ドン・ジュアン」という作品に関して言えば、これはいくつかの問題点を指摘できます― まず ドン・ジュアンに誘惑されて、その言葉を真に受けて修道院から抜け出して結婚までしたエルヴィルが「堕落した修道女」だから。 さらに、森の貧者の扱いが、金銭をもらうことしか考えていないような人物だから。とにかく金銭を求める心根が透けて見えるところが、森の貧者というものを神に近い存在としていたキリスト教会の怒りを買ったから。逆に言えば、モリエールがその宗教的偽善を暴いているから・・・と言ってもいいでしょう。 また、ドン・ジュアンの無信仰と偽善。無信仰なら未だいいんですよ。ところが、第5幕で急に敬虔なキリスト教信者を装いはじめている。つまり偽善者になることにした・・・この偽善者というのは、当時の貴族たちの姿そのままだったんです。さんざん悪徳、涜神的行為の限りを尽くしておいて、年を取ったり死期が近づくと、突然偽善的な信仰に励み始める・・・・。キリスト教信者は「ドン・ジュアン」の反キリスト教の要素を攻撃しているように装っていたつもりかも知れませんが、じっさいにはキリスト教徒の偽善を暴いていることを危険視したんですよ。その意味では、滑稽なまでに大真面目に神を論じたあげく、ドン・ジュアンに反論されて、ことさらにおおげさな調子でひっくり返って自分の主張を無に帰してしまうスガナレルなんて、この劇の重要なトリックスターなんですよ。もちろん、スガナレルはモリエールその人が演じたんですからね。 キリスト教会に限りません。人がなにかを・だれかを激しく非難するのは・・・それは自分が痛いところ(本当のこと、自分では認めたくないこと)を突かれたときなんですよ。たとえば、道徳的なことで他人を非難する人は自分の道徳性に疑問とコンプレックスを抱いているんです。金持ちは金持ちぶらないし、偉い人は偉ぶらない、金持ちじゃないから金持ちらしく振る舞って「見せる」し、誰も偉いと認めてくれないから偉そうな態度をとって「見せる」んですよ。 (おまけ) 手許にあるモーツアルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のDVD、Blu-rayからいくつか。すべて第二幕の地獄墜ちの場面― 1954年ザルツブルク音楽祭、ヘルベルト・グラーフ演出。 1987年ミラノ・スカラ座、ジョルジョ・ストレーラー演出。 1991年プラハのエステート劇場、ダヴィト・ラドク演出。 2006年ザルツブルク音楽祭、マルティン・クシェイ演出。 2006年インスブルック音楽祭、ヴァンサン・ブサール演出。 2008年、コヴェントガーデン王立歌劇場、フランチェスカ・ザンベロ演出。 2009年マチェラータ音楽祭(正式名称、スフェリステリオ音楽祭)、ピエール・ルイジ・ピッツィ演出。 2010年グラインドボーン音楽祭、ジョナサン・ケント演出。 (Hoffmann) 引用文献・参考文献 「ドン・ジュアン」 モリエール 鈴木力衛訳 岩波文庫 「ドン・ファン神話」 ジャン・ルーセ 金光仁三郎訳 審美社 Diskussion Hoffmann:モリエールの「ドン・ジュアン」ばかりが「ドン・ファン」ではないけれど・・・。 Parsifal:でも、かなりプロトタイプと言ってもいいものだろう。 Klingsol:ダ・ポンテとモーツアルトが歌劇「ドン・ジョヴァンニ」で造形したのが、そのひとつの真実であるとも言えそうだね。 Kundry:私はドン・ファンが紫式部タイプの物語、カサノヴァが清少納言タイプだと思っているんですが・・・。 |