007 「ヘルハウス」”The Legend of Hell House”  (1973年 英・米) ジョン・ハフ




 日本公開は1974年9月。私、当時映画館で観ています。「エクソシスト」公開の2ヶ月後とあって、当時は”オカルト映画”と呼ばれ、「エクソシスト」のブームに便乗して制作された映画と思っている人が多いんですが、じつは欧米での公開は「エクソシスト」よりも半年ほど早い。呪われた幽霊屋敷の怪異を描く、古典的なホラー映画です。いま、検索したら「サイコ・ホラー」と紹介しているサイトもあって、しかし、「ホラー」というより「恐怖映画」と呼びたいようなclassicalな映画、そこに心霊現象に科学でアプローチしようとするリアリズムも加味されていて、後の「モダンホラー」につながってゆく要素も見られます。



 あらすじをたどっておきましょう―

 イギリスの高名な物理学者ライオネル・バレット博士は、大富豪ドイチェ氏から、幽霊屋敷として悪名の高いベラスコ邸を調べ、仕事の世界が存在するか否かを科学的に証明して欲しいと依頼される。ベラスコ邸では過去に2回の調査が行われ、合計で8人の死者を出していた。

 ドイチェ氏によって指名された協力者は、若き心理霊媒師のフローレンス・タナーと、20年前の調査でただひと生き残った物理的霊媒師ベン・フィシャー。さらに、バレット博士の妻アンも、同伴することになる。調査期間の猶予は一週間。バレット博士が準備していた機械は完成が遅れており、数日遅れて届けられることになる。



 こうして4人の調査団がベラスコ邸に集まり、寝食を共にしながら心霊幻想の調査を始めることになる。この大豪邸を建てたのは、その高身長ゆえに「吠える巨人」と呼ばれた大富豪エメリッヒ・ベラスコ。彼は淫行や拷問、殺人などあらゆる悪徳に手を染めたと噂されていたが、1929年に屋敷で開かれたパーティを最後に消息を絶ち、その際の出席者27人は全員死体で発見されていた。フローレンスは、屋敷で殺された人々の霊を感じ取る。

 しかし、バレット博士はフローレンスの意見に懐疑的で、彼は人間が死ぬ際に放電される「電磁放射線」が屋敷のなかに充満し、そのエネルギーが心霊現象と呼ばれるものを引き起こしていると考えていた。このためバレット博士とフローレンスは意見が折り合わず、ベラスコの息子ダニエルの亡霊が現れたと主張する彼女のことばも博士は信じない。口論の最中にはポルターガイスト現象が発生し、テーブルや食器などがバレット博士めがけて襲いかかってくる。博士は、フローレンスが無意識のうちに屋敷のエネルギーを操作したものと疑う。

 次に博士の妻アンが心霊現象の影響を受け、まるで霊に操られるかのごとく、夜中にベッドを抜け出してフィシャーを誘惑しようとする。フィシャーから警告を受けても、バレット博士は霊の存在を信じない。その晩、フローレンスはダニエルのものと思われる腐乱死体を発見し、埋葬する。ところが、それ以降もダニエルの幽霊は彼女の前に現れ、今度は危害を加えるようになり、ついにはフローレンスに憑依する。



 いよいよ、バレット博士の開発した機械「リバーサー(転換器)」の準備が整う。彼は、屋敷に充満したエネルギーを除去すれば心霊現象は消えてなくなるはずだと言うが・・・。

※ 原作の翻訳及び映画の音声では「エメリック・ベラスコ」となっていますが、映画の字幕では「エメリッヒ・ベラスコ」と表記されています。原作でも映画のなかでも、ベラスコの声で録音されたレコードからは、ベラスコの声でドイツ語の挨拶が聴き取れるので、おそらくドイツ系の名前と思われることから、ここでは「エメリッヒ・ベラスコ」と表記しました。



 霧に包まれたベラスコ邸のなんとも不気味なatmosphereがすばらしいですね。霊媒フローレンスがいち早くその禍々しさにおののいているあたりも、緊張感を漲らせるし、20年前にただひとり生還したフィシャーの、我関せずといった飄々とした態度も、かえってこの屋敷のただならぬ雰囲気をうかがわせるのに一役買っています。さらにそこには沈着冷静、自説を信じて曲げないバレット博士と、一般人代表とも言うべき妻アンがいて、登場人物に無駄がなく、必要十分な構成です。



 幽霊の姿は一切出てこない、わずかに音声で表現されるのみ。フローレンスがベッドで悲鳴を上げるシーンなど、原作では自分の身体の上に重なっている腐乱死体を見ることになっているんですが、それも映像では見せないし、語らせもしない。とにかく、得体の知れない妖気をはらんだ古い大豪邸の醸し出す邪悪な空気がすべて。その土台の上で、意見が対立した主人公たちの相互不信や、身の回りで起きる不可解な超常現象が徐々に緊張感を高めてゆく。そうした積み重ねで不安と緊張感が限界にまで至ったとき、最後のカタストロフに至る・・・という、派手さやこれ見よがしな効果造りを廃したところで怖がらせるのが、この作品の見事なところです。

 カメラワークも上手いものです。当時の特撮技術ですから、おそらく仕掛けはシンプルなもので、後は撮り方の妙でしょう。それに、ときどきカメラを傾けるのも、映像をゆがませるのも、やり過ぎないで要所のみ押さえているといった印象です。



 登場人物4人全員が主役のようでもあり、一応パメラ・フランクリンとロディ・マクドウォールのふたりが主役ということになるのかなと思いつつ、実質はバレット博士のクライヴ・レヴィルじゃないのか、という向きもあるでしょう。いやいや幽霊や敷物・・・じゃなくて幽霊屋敷ものの主役はその屋敷そのもの、ベラスコ邸が主役だろって考えもありでしょうな。なにせ古い、劇場に礼拝堂もある大邸宅、ゴシック・ロマンス風の道具立てです。



 原作との違いをいくつか・・・まず、舞台となるベラスコ邸、原作ではアメリカのメイン州ですが、映画ではイギリスに。バレット博士夫人の名前は映画ではアン、原作ではエディス・・・と、細かいことを挙げていたらきりがないので重要な点だけ―

 霊媒フローレンス・タナーは原作では「背が高く素晴らしく美しい身体つきは二十代のときとほとんど同じように整っている」とありますが、43歳です。

 前回の調査は映画では20年前ですが、原作では30年前の1940年。ベラスコの霊もさぞかし退屈してたでしょうナ。

 その前回の調査でただひとり生還したフィッシャーは原作では45歳。従って30年前の調査の時、すなわち1940年9月には15歳でした。少年の頃、信じられない能力を見せた、と書かれています。しかし、生還したとはいっても無事であったわけではなく、発見されたときは玄関ポーチで胎児のように丸くなって、ぶるぶる慄えながら虚空を見つめている姿。担架に乗せられると悲鳴を上げて血を吐き、3ヶ月入院。その後心霊術や学者から逃れ、詐欺行為で何度も逮捕されて、皿洗い、農場での労働、セールスマン、掃除夫と、心を使わない仕事ならなんでもやってやっと生きてきた、という設定です。ただし、本人はその能力を守り育ててきて、いまでは少年時代の傲慢さではなく、思慮深い大人の警戒心で守られていると、今回の調査に参加するにあたって、心に期するところがあるように書かれています。



 いかがでしょうか。もうこの設定からして、「ヘルハウス」はフィッシャーのリベンジの物語と見て間違いないでしょう。原作では、リバーサーのスイッチを入れて外にでたとき、バレット博士が「ドイッチュが死んだ。かれの息子はわれわれに対する支払いを拒絶している」と言うのに対してフィッシャーは「それがどうしたんだ?」と返します。そして最後の戦いに挑む際には、「ぼくはやらなくちゃいけない」「いまぼくが地獄の家から逃げ出せば、自分の墓場の中にもぐりこんで死ぬのと同じことになる」と決意を表明しています。それでは、「やらなくちゃいけない」こととはなんなのでしょうか・・・。

 冒頭で、ベラスコの声(レコード)はこう言っています。

「・・・求める答を見つけられるように。それがここにあることは約束する」 (原作)
「お探し物が見つかるように。ここにあることは確かです」 (DVD字幕)


 見つけるべきもの。求める答、探し物・・・それはすなわちエメリッヒ・ベラスコのコンプレックスだったのです。150センチもない小男で、両脚を切断して義足をつけ、2メートルを超える「吠える巨人」と称していたこと。だから最後にフィッシャーは除霊らしきことはしていません。「(おまえは)おかしな、小さい、干からびた私生児だよ!」(原作から)というのが除霊の呪文なのです。



 でもね、これじゃちょっとつまらないな(笑)私はやっぱり、幽霊屋敷ものの主役には、幽霊屋敷そのものを据えておきたいという思いがあります。映画では省略されているんですが、原作だと玄関の外には沼があって、狭いコンクリートの橋を渡るようになっているんですよ。それも霧が深いときは水面も見えない。「腐敗した毒気が漂い、まわりの岸に並べられた小石はべっとりと緑色の粘液におおわれている」と―。なんだか、「アッシャー家」を連想させると思いませんか?(笑)

 もうひとつ―エメリッヒ・ベラスコという名前がドイツ系の名前で、この依頼を持ち込んだ富豪の名前がMr.Deutsch、「リバーサー」を運び込んでくる車には”DEUTSCH INDUSTRIES”の文字がある。この物語の舞台が、原作どおりアメリカであれ、映画のようにイギリスであれ、怪異は外―ドイツからやってきたもので、今回のきっかけを作ったのも、さらにこれを解決しようとするものも、すべて「ドイツ」由来とされている。これはたぶん、原作がアメリカを舞台にしており、しかしアメリカには民族的な伝統・伝承が欠けているために、心霊的なものを描くのにリアリティが不足する、そこでヨーロッパの空気を注入しようとしたものじゃないかと思います。ちなみにアメリカ先住民族の伝承などが注目されて、文学やホラー映画に取り入れられるようになったのは、もう少し後のこと。



 原作はリチャード・マシスン、映画の原題は”The Legend of Hell House”、すなわち「地獄邸の伝説」ですが、原作はシンプルに”Hell House”。我が国で映画を公開するにあたっては、原作の題名を邦題としたわけですね。

 リチャード・マシスンといえば、現在までに3度映画化された「地球最後の男」”I am Legend”(1964年 伊・米)や、「縮みゆく人間」”The Incredible Shrinking Man”(1957年 米)などの原作者。脚本家としても、TVシリーズの「トワイライト・ゾーン」”The Twilight Zone”(1959~64年 米)、エドガー・アラン・ポー原作の映画化作品「アッシャー家の惨劇」“House of Usher”(1960年 米)、「恐怖の振子」”The Pit and the Pendulum”(1961年 米)などをはじめ、数多くの映画、TVドラマにかかわっている。自らの小説を脚色した作品ならばスピルバーグ初期の出世作「激突!」”Duel”(1971年 米)や、「ある日どこかで」”Somewhere in Time”(1980年 米)などが有名ですね。

 マシスンの小説はサービス精神たっぷりで、これは脚本家としての活動が長いためかもしれませんが、映像向きなんですね。正直言って、文学的に格調高い作品とは言いがたく、私は戦前ドイツのハンス・ハインツ・エーヴェルスに似たイメージを持っています。

 監督はハマー・フィルムのヴァンパイア映画「ドラキュラ血のしたたり」”Twins of Evil”(1971年 英)のジョン・ハフ。なんでも本作を撮るにあたってお手本にしたのはロバート・ワイズ監督の「たたり」”The Haunting”(1963年 米)だったそうで・・・なるほどたしかにと納得させられます。残酷描写や性描写が過激になる一方だった当時にあって、ホラー映画の定石である血しぶきもヌードもコケオドシも一切排除して、もちろん音や映像で驚かすショックシーンもなし、ただひたすら惻々と恐怖感を高めてゆく演出はまったく見事なものです。

 また、本作は英・米合作ということになっていますが、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)の社長を退任したジェームズ・H・ニコルソンが、フリーランスとして初めて製作を手掛けた映画だそうで、基本的にはイギリス映画。色彩校正にはハマー・プロのエンジニアを呼んだとあって、どことなくハマー風。1960年代までのよい意味でのイギリス映画らしさが残っています。なお、原作ではアメリカが舞台ですが、映画版はイギリスに舞台を移しています。ベラスコ邸の外観はウェスト・サセックス州に現存する邸宅ですが、屋内シーンはロンドンのスタジオに組んだセットを使用。

 主演は怪奇映画の古典「回転」”The Innocents”(1961年 英)の子役としても有名なパメラ・フランクリンと、やはり「家路」”Lassie Come Home”(1943年 米)などの子役で一世を風靡したハリウッド俳優ロディ・マクドウォール。バレット博士役の名優クライヴ・レヴィルに博士夫人アン役のゲイル・ハニカットもいいいですね。また、冒頭に登場する大富豪ドイチェ氏には往年の名脇役ローランド・カルヴァー。ごくごく少人数のキャストながら、手抜きがありません。とくにマクドウォールに関しては、大人になって映画界ではやや低迷していたところ、「猿の惑星」”Planet of the Apes”(1968年 米)シリーズに出演して、フルフェイスの出ない猿のメイクながら、その名を再認識させたばかりというタイミングでの出演です。マクドウォールにとってもリベンジの機会だったのかもしれません。

 そして、ななななんと、英国ホラー映画の名優ジョン・ガフがエメリッヒ・ベラスコ(の死体)役で登場・・・するんですが、クレジットなしなので、知っている人はラストで仰天するという仕掛けなんですね(笑)





(Hoffmann)



(追記)
 ジョン・ハフ監督が「ヘルハウス」を撮るにあたってお手本としたという「たたり」(1963年 米)をupしました。(こちら




引用文献・参考文献

「地獄の家」 リチャーソ・マシスン  矢野徹訳 ハヤカワ文庫