015 「ツィゴイネルワイゼン」 (1980年) 鈴木清順 今回は鈴木清順の傑作「ツィゴイネルワイゼン」(1980)。脚本は田中陽造。内田百閒の「サラサーテの盤」を大幅に脚色したものです。 原作の「私」は青地豊二郎(藤田敏八)、中砂は中砂糺(原田芳雄)、中砂の前妻は園(大谷直子)、おふさは芸者としては小稲(こいね)、中砂の未亡人としておいね(大谷直子の二役)、「私」の「家内」は周子(大楠道代)。中砂の遺児、きみ子の名は豊子となっています。ちなみに映画ではうなぎ裂きの職人(樹木希林)が「きみちゃん」と呼ばれています。 さすがにこれほどの作品となると、いろいろな見方が可能かと思われますので、今回は「本を読む 49」で原作本を担当したKlingsol君を除く、Hoffmann、Kundry、Parsifalの3人で、それぞれ語ってみることにしたいと思います。 それでは、私、Hoffmannが先陣を切ることにいたします。後に肝心要のポイントを押さえたお話が控えていることと思われますので、ここは露払いで軽快に(笑) 画面の印象はといえば、渋めの色彩に毒々しいまでの原色が紛れ込み、しかしその舞台で演じられているのは、淡い光に照らされて、薄明のなかにたたずむ陸軍士官学校の英語教師と獨逸語教師の間に張り渡されたカラクリが、うっすらぼやけて目をこらして見れば、壁に掛けられた額縁の間にするりと逃げ込む、そんな珍奇な物語―。 発端はといえば、中砂が地元漁師という土着民の群れを振り払って、 女の水死体のその股間から赤い蟹を都合六匹、這い出すという場面。連中陸に上がってうろうろ。女は蟹に食わせて、さて、これからおれたちが食い物にありつく番だ。 この映画ではやたらとなにか食ってる飲んでるシーンばかりが目に付く。さあ召しあがれとばかりに供されるのは鰻の大串、ちぎりこんにゃく山盛りのすき焼き、天ぷらに蕎麦、水蜜桃やら豆撒きの豆だってある。しかしそいつらは食ってしまえばなにも残らない。いや、死の床にある義妹からプレゼントされるはずであった鱈の子なんて、そもあったのかどうかさえ、判然としないものも―。 鰻をひょいとつまんで口に放りこむ、しかし肝はないんだな。ここで肝にありつけなかった男は、代わりに女の肝を食った。 この親しきふたりの友と芸者小稲の陰画とも見える三人の門付けは、その珍奇な三角関係を解消するのに、女は日本海の波のしぶきの間に間に流れ流され、残された男ふたりは腰まで砂に埋まった決闘の末大地の底に飲み込まれ、相容れないふた通りの結末が用意された挙げ句の果ては、連中バーンとはじける花火の下に一同集結。いや、花火じゃない、これはライターの炎だ。 やがて水平線の彼方までぷかぷか流れていった女は瓜子姫の如く小さき水の子を産み落としたるか、三人の門付けは少年少女の姿に蘇り、桜吹雪のなかに鬼の死体を残すこととなる。 さてその男はインバネスを飜して、トンネルを抜ければ傘となってフワリと空に舞った。蕎麦を食った後に洞窟に入って抜け出たときには「とりかえっこ」は成立。 やがて天に召されようかというそのひとをさしてお迎えが来るとか言うが、お迎えが来るということは、お前さん、いつかどこからか連れてこられた記憶を失くし、保育園に馴染んだ幼児の如く楽しくやっていたということか。いずれ忘れ物を思い出した母親が取り返しに現れるように、お迎えが来ればお楽しみは終わり。 先程まで彼方の遠方に焦点を定めていた友人の妻が、次には屈託のない笑顔を見せている。それはやがておいでおいでの手招きとなり、玄関の上がり框で、あるいは鏡のなかでおいでおいでをしているのに、誰もいないはずの屋根に石が落ちてかわいた音をたてているのも知らぬ存ぜぬ決めこんで、さんざんあれやこれや食っていたはずのやつが何食わぬ顔でいられるのも時間の問題。 未亡人小稲がザンデルスの辞書やあれやこれやを返してくださいなとやって来る。そう、故人となった中砂が遺児に語りかけるを聞いた失せ物、それは壁に掛けてある額の狭い隙間からするりと抜け出た。 この無明の闇のなかを手さぐりで抜き足差し足の当方が、じつは鏡の裏側で自ずから作りあげた現実の氾濫のなかで、いつかお迎えが来やしないかと息をひそめていたのではなかったか。してみれば、するりと抜け出たのはサラサーテの盤じゃない、己れ自身であったか。せめて相手が呼びに来るまではと冷酷無情にそらっとぼけて往生際の悪いやつ。どんな魂胆があるにせよ、敵もさるもの、調子の悪い電蓄をBGMに、数年前の飲みさしのビール飲まされるのが関の山。 鎌倉の切り通しにぽつねんと佇む女の子が、やがて水の子の正体現し精霊船の淡い光に照らされて、「さあ、まいりましょう」と。そうら、知らんぷりしていたのはどこのどいつだ? (おまけ) サラサーテのレコード(SP盤)について、付け加えておきます。まず、これは実在するレコードです。また、昔から該当の箇所に、たしかに人の声が録音されていることは有名でした。ところが、1904年のラッパ吹き込みによるSP盤とあって、なんと言っているのかはわからず、以前からいくつかの説(推測)があります。 ひとつは、サラサーテ自身の声で、ヴァイオリンの弦のどれかが切れた(のでほかの弦で代用して弾く)、と言っているのではないかという説。もうひとつは、録音技師による声だという説で、これによるとSP盤の収録時間に収まりきらない(のでもっと早く弾け)、と言っているのではないか、ということです。 (Hoffmann) ****************************** それでは代わりまして、私、Kundryがお話しします。 此岸を「こちら側」、彼岸を「あちら側」などと言いますが、こちら側とあちら側があれよあれよという間に、何度も何度も入れ替わってしまうのが、この映画の特徴だと思います。これは生者と死者が入れ替わるということではなくて、その背景たる世界が、脱いだ靴下が裏返るように、いつの間にか反対側の面を見せているといったものです。 きっかけは、いつもトンネル、洞窟、門、それにもうひとつ、切り通しの通過です。通り抜けたり、くぐったり、通過したりする前と後で、生者は「あちら側」、死者が「こちら側」の人間になったり、場合によっては人間そのものまでもが入れ替わってしまったりするので、油断ができません。 いくつかのシーンから、その「行ったり来たり」をたどってみましょう。 この切り通しでは、中砂夫人、園が小稲に変わっているかのようです。「どちらまで」と尋ねられて「ずうっと歩いてまいりましたわ」とこたえる園の、青地への振る舞いは、かつての橋の上での場面の小稲を思い出させます。 ちゃんと、「あちら側」の世界から、手招いているではありませんか。ここを通り抜けるというのは、あたかもアリスが鏡の国へ旅立つようなものなのです。 「通過」の前後であらわれる「傘」は、とりわけ重要なオブジェです。もとの世界に置いてきてしまう、ふわりと宙に舞う抜け殻ですね。 「取り替えっこしよう」と中砂。なにを? 骨を? 夫人を? 生と死を? いずれにしろ、約束は成立します。 青地が作品中で何度か経験する、冥界下りもこれが最後―「もう、後戻りはできませんわねえ」。これはかつて、生前の園の台詞と同じですが、そのときは切り通しを通過して小稲に代わっているかのような園でした。それでは、この最後の場面では? これは青地でなくても、私たちでも、「あんたは、だれだ?」と訊かずにはいられません。 いや、もはや青地は、目の前の女がだれなのか、などということにこだわっている場合ではありません。この大詰めの冥界下りによって、自分がいる場所がどこなのか、それどころか自分自身が青地であるのかどうかさえ、判然としなくなっていることに気がつかなければいけなかったのです。だから、にぃっと笑った幼女から「なぜそんなお顔をするの」「おじさんこそ、生きてるって勘違いしてるんだわ」と指摘されるのです。 (おまけ) 最後の2行、今回のHoffmannさん流に表現してみましょう― 知らんぷりしていたのはどこのどいつだ? 独逸語教師だ。逃げ切れたと思ったら大間違いの勘違い、ちゃあんと期日が到来すれば、「約束、果たしてもらいやしょう」とばかりにお骨(ほね)の取り立て―あやとりの赤い糸をごらんよ、はじめっから、その身は相手の掌(たなごころ)の上にあったのだ。 (Kundry) ****************************** Parsifalです。3番手となると、もうなにも話すことがなくなってしまうのではないかと心配していたのですが、Hoffmann君もKundryさんも、映画そのものを取り上げておりますので、私は内田百閒の原作が映画化されたものとしてのお話からはじめてみたいと思います。 なお、Hoffmann君があらかじめ示しているとおり、小稲は中砂未亡人となってからは「おいねさん」と呼ばれていますが、ここでは「小稲」で統一します。 映画版での大きな変化は、やはり「私」の「家内」、大楠道代演じる周子の扱いです。これは原作とくらべるとかなりの存在感を放っており、しかも、義妹の幻覚か、そこから誘発された青地の妄想のなかで、中砂と一時でも不倫関係にあったらしいことが強調されています。そして、サラサーテのレコードは、周子が中砂から借りていて、隠していたということになっています。 「欲しかったんです・・・」 こうした「改変」は、中砂未亡人おふさの、「奥様」に対する「家」への憧憬と対抗心を浮かび上がらせるのにたいへん有効なものではないでしょうか。ましてや、「奥様」はきみ子=豊子を家に上げようとさえしています。そうした「奥様」とおふさの関係性が、原作よりも明確になっています。これが、この映画を「原作」の上手い「翻訳」と感じる理由です。 ただし、ここから先は「翻訳」を超えた「改変」になります。先に述べた中砂と周子の不倫関係のほのめかしも、そこここで繰り返されています。これは映画版ならではの、4人の関係性をあらわすもの・・・と、これは園と小稲を大谷直子の二役にしたことからも明白ですね。 原作では「私」の「家内」がこれほどの存在感を示していないということは別にしても、その役柄の最も重要な点は、きみ子と接触していることです。これはおふさが中砂の遺品の返却を求めて来たときの出来事ですから、映画ではほとんど終わり近くなってからのこと。従って、映画での周子は、別の理由でクローズアップされているのです。 そばを食べているときに、中砂が青地に、「君んち寄ってきたんだけどね、細君が出て来て留守だっつぅもんだから、引き返してきたとこなんだ」と話すのを、青地は内心疑いを持って聞いていますが、青地自身は中砂の不在時に家に上がりこんで、すき焼きまで食っているんですよね。ちぎりこんにゃくも山になっています(山となるまでちぎり続ける、待たされている女)。これに続くシーンは帰ろうとする青地の前で泣き崩れる園、というものです。 「あんたは、だれだ?」 この、サラサーテの声を聴いた後に続く場面も要注目です。Kundryさんが言うように、我々だって「あんたは、だれだ?」と疑問を抱くシーンです。ここで、青地の手から逃れた小稲が、「豊ちゃんは、幼稚園に行っております」と半ば泣き声で繰り返すのは、(青地の妄想のなかで?)中砂が周子を襲ったときの、周子の「青地は留守なんです」という台詞に対応するものです。 さらなる状況証拠を。映画版ではきみ子が豊子という、青地の名前(豊二郎)から一文字もらった名前に変更されています。こうなると、中砂と周子の不倫関係が妄想なのか現実なのか・・・と、現実と非現実の間(あわい)にあるものを見ようとすれば、もう一方の青地と中砂夫人園や小稲との関係も、豊子という女児の名前に十分、ほのめかされていることに気付かされます。 「約束どおり、お骨をちょうだい」 もうひとつの、慧眼とも言うべき「翻訳」がこれ―「おじさんこそ、生きてるって勘違いしてるんだわ」―内田百閒の小説には、最後になって、自分が死んでいることに気付くという主人公が登場するものがあります。双葉文庫では冒頭に、福武文庫では「サラサーテの盤」に続けて収録されている「とおぼえ」などがいい例です。まさしく、Kundryさんが言うとおり、この「自分は死んでいた」という気付きは、「脱いだ靴下が裏返るように」くるりと世界を反転させてしまう効果があります。その趣向をここで取り入れたことが、これまた脚本の秀抜なるところです。だからこそ、この映画を観ている者は、悪夢を見ているかのような不安と居心地の悪さを覚えるのです。それは、内田百閒の原作を読んでいるときの宙ぶらりん、suspensiveな感覚と同じもの。 しかし、さすがに映画といえど、死んでいる「私」は描き得ない。死に近づくことはできても、また他人の死を(他人の死として)経験することはできても、「私」自身の「死」にはたどり着けず、そこに至るまでの過程、途上を映し出せるのみ。なので、精霊船をもって、幕を閉じるのもこれ必然なのです。チョン。 「豊ちゃん、○%×#・・・」 ・・・とかいいながら最後にもうひとつ。サラサーテの声に「私」=青地の声を重ねたのは、上記のとおりここまで原作を離れてきた末の、卓抜な改変ですね。「豊ちゃん、○%×#・・・」と口にするのも青地「豊」二郎。ここにおいて幽明境を異にしたはずのふたりの男が合一する。そう、こうして「約束」は果たされたというわけです。 (Parsifal) 参考文献 とくにありません。 |