016 「不連続殺人事件」 曾根中生 (1977年) 1977年、ATG映画の「不連続殺人事件」です。監督は曽根中生、脚本は大和屋竺、田中陽造、曽根中生、荒井晴彦の4人。原作は、言うまでもなく坂口安吾ですね。 プロローグからここまではモノクロ画面。表題はともかく、肺病で吐いた血だけが赤く着色されているところが・・・海外の映画に前例はあるんですが、ちょっと期待しちゃいますね。この後に続くカラーの本編よりもはるかに美しい。 登場人物が29人、しかも錯綜した人間関係、原作を書いた坂口安吾もたいしたものですが、これを映画化しようというのも、なかなかの度胸じゃないでしょうか。大手の映画会社ではなく、独立プロが手がけるというのも、独立プロの矜恃というものがあったのかもしれません。脚本も4人で苦労したことと思われます。と言って、大幅な脚色が行われたり、storyを整理してしまったりすることなく、かなり原作に忠実であるところが、これは評価されてしかるべきと思われます。原作がよくできているんですからね。おかげで上映時間は140分。これは私の持論なんですが、いかなる原作・脚本もたいがい120分では足りず、展開が駆け足になるもの。無理に短く編集せず、140分で完成させたのは正解でしょう。 なにしろ登場人物が多い。ひしめいています。一堂に会するシーンが多いので、スケジューリングはたいへんだったかもしれません。 じっさい、よくできた小説を原作にした映画を観るとがっかりすることがほとんどなんですが、この作品に関しては、原作と比べてもさほど遜色ない。原作との違いは、すぐに思いつくのは女性の刑事、通称アタピンが登場しないことくらいです。いや、今回原作を読み返してから映画も見直したので、あらためて細かい違いは指摘できるんですが、そうでもなければすぐには気がつかないレベルだと言うことです。 土井光一画伯(内田裕也)登場。後ろに見えるのは木炭自動車(バス)。後部に積んだ窯で木炭を燃やしてガスを発生させ、そのガスを噴射してエンジンをまわす構造。馬力が小さいので、上り坂ではみんな降りて押さなければなりません。舞台は昭和22年。戦後はGHQによって国内での石油採掘は制限され、輸入も禁じられていました。石油の輸入が再開されるのは昭和25年です。 出演は内田裕也をはじめ、田村高廣、瑳川哲朗、小坂一也、内田良平、金田竜之介、内海賢二、殿山泰治、女優陣は夏純子、伊佐山ひろ子、宮下順子、桜井浩子となかなか豪華・・・なんですが、これは失礼を承知で言わせてもらうと、大スター不在、名脇役ばかりが集まった印象もあります。これは角川映画での市川崑監督による横溝正史の映画化作品あたりと比較すれば、なるほどと思われるでしょう。 急いで付け加えると、だからこそこの大人数がひしめき合うような物語が破綻せずに完成できたのではないでしょうか。正直言って、演技も台詞もたいして上手くない人が多いんですよ。しかし、ただでさえ錯綜した人間関係です、ひとりひとりのキャラが「立って」いないと、なにがなんだかわからなくなってしまいますから、ここで重視されたのは性格俳優ぶりだったのだと思います。だからこそ、思わず笑ってしまいそうになる、松橋登の思いっきりクサイ演技にもOKが出たのでしょう(笑)また、原作に忠実なので、台詞などはちょっと理屈っぽかったり、説明調になるところもあるんですが、それがあまり気にならないのは、皮肉で言うのではなく、「芝居がかった芝居」だから。つまり、いかにもな演技なので、理屈っぽいのも説明調なのも、かえって気にならなくなってしまう、というわけです。映画じゃなくて演劇だと思えばいいのです。「日常的」な振る舞いや言い回しに毒されていませんか? 映画だって、「劇」なんですよ。 海老塚医師(松橋登)渾身の演技。ギャグです、笑うところだからこれでいいんです。なにしろ、論語の先生の第一声は「人は、パンのために生きるのではないと・・・」ですからね(笑)土井画伯でなくても「おいおい、そりゃ論語のことばじゃないぜ」と言いたくなります。ちなみにこのあたりの台詞も原作どおり。 なかでも内田裕也の台詞棒読みぶりはほほえましいくらいなんですが、なんとも妙な味わいがあるんですね。もうひとり、陽気なセムシ詩人を演じた内海賢二のよく通る声はたいへん印象的です。小坂和也などは名探偵ぶりを見せつけるほどのカリスマ性もなく、個性も埋没気味なんですが、周囲に出しゃばる俳優もいないので、バランスはとれています。その意味では、田村高廣の抑制気味の演技は絶妙なもので、これは高く評価されていいと思います。あと、原作どおりで段取りをたどってゆく、つまりたいした見せ場もないままに淡々とすすめてゆくstoryですから、殿山泰司あたりが脇に控えてさりげなく姿を見せると、ちょっとしたアクセントになりますね。 抑制気味の演技でも存在感までは抑えきれません。田村高廣と殿山泰司、さすがです。 そのほか、この映画を観ていて気がついたことをいくつか―登場するのは奇人・変人ばっかりなんですけどね、土井画伯(内田裕也)が海老塚医師(松橋登)を椅子ごと放り出したり、海老塚医師が連れてきた論語の先生を追い出したりするシーンは、内心つい「おお、よくやった」なんて爽快感を感じてしまうし、いつも陽気でだれにでも礼儀正しいセムシ詩人内海明(内海賢二)などは、観ていてひじょうに好感が持てる、なかなか得な役ですね(笑) (Hoffmann) 参考文献 とくにありません。 |