019 「八つ墓村」 (1977年) 野村芳太郎 




 はじめにことわっておきたいことがあります。横溝正史の原作も、映画化されたものも、「八つ墓村」はじっさいに起きた事件をモデルにしていると、よく言われています。じっさいに起きた事件とは「津山三十人殺し」、別名「都井睦雄事件」のこと(以下、「津山事件」と言います)。

 しかし、053 「津山三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか」を読んで下さった方はもうご存知のとおり、横溝正史の原作にしても、映画化されたものにしても、「八つ墓村」は「津山事件」をモデルにしたものではありません。モチーフのひとつとして、じっさいに起きた事件を取り入れているだけです。それは、小説や映画のなかで、26年前(映画では28年前)に、登場人物(主役?)寺田辰也の父親(とされている)多治見要蔵が、村人32人を日本刀と猟銃で殺害したという設定、それだけです。

 村人を殺害するときの要蔵の扮装が、鉢巻に懐中電灯2本を結わえ付け、首からランプを提げ、手には猟銃と日本刀、ここまではじっさいの事件の犯人と共通していますが、あとは異なります。映画では着物を着ていますが、じっさいの事件では詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋です。

 そしてなにより、「八つ墓村」のstoryはもちろんのこと、要蔵の村落内での立場も異なるし、村人の殺害に至った動機も、経緯も、その後行方不明になったというのも、厳密に言えば殺した村人の人数も、じっさいの事件とは異なっています。

 原作を読んだのか、映画を観ただけなのか、いまwebで検索しても、「『八つ墓村』はじっさいに起きた事件がモデルになっている」と書かれた記事が多数見つかります。モデルにしているのではありません、日本刀と猟銃での大量殺人があったという設定以外、「津山事件」と共通するところはありません。「津山事件」の犯人都井睦雄を擁護するつもりはありませんが、少なくとも小説や映画で描かれているような、単純に「悪質な異常者」ではありません。

 「津山事件」については 053「津山三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか」 のページをご一読ください。



 さて、1977年の松竹映画「八つ墓村」です。野村芳太郎監督、脚本は橋本忍、撮影は川又昂に音楽が芥川也寸志という、1974年の「砂の器」のメンバーです(「砂の器」の脚本には山田洋次も加わっています)。出演は萩原健一、小川真由美、山﨑努、渥美清、市原悦子、山本陽子、加藤嘉ほか。

 正直なところ、出演者で市原悦子を除いては、私がとくに深い関心を抱いている人はいないんですが、映画そのものは横溝正史の原作よりもいいと思っています。萩原健一、小川真由美、山﨑努、それに金田一耕助役の渥美清まで、どうということもないんですが(失礼)、突出した人がいなくて、ドラマとしてのバランスがいい。storyを知らなければ、犯人の目星をつけるのは難しいんじゃないでしょうか。



 あ、重要なキャスト、夏八木勲と田中邦衛の名前も入れておきませんとね。こうした出番の少ない役に個性派の俳優が出演していると、ドラマが引き締まります。ましてや、この映画ではとくに重要な役柄ですから、なおさら。

 原作よりいいと感じる理由は、つまり、原作だと男女の愛憎とか、さらにラブロマンスも絡めて、金銭欲も動機になっている。きわめて世俗的というか、俗悪な人間ドラマに過ぎない。映画では、閉鎖的で排他的な田舎者がわめき立ててるばかりの場面も多く、犯人の動機も財産横領なんですが・・・最後に金田一耕助が犯人を名指して、その動機まで説明した後、超自然にひっくり返しますよね。ジョン・ディクスン・カーの「火刑法廷」と同じく、これが深い余韻を残すんですよ。

 

 多治見家が燃える炎と、八人の落武者の影のバックが同じ色になっています。たいへん効果的で、上手いですね。

 欠点もないではない。金田一耕助が犯人を名指した後、駐在が「物証、つまりそれらを裏付ける証拠みたいなものは・・・」と尋ねると、金田一は「この事件はねえ、そんなことよりも・・・じつに不思議な事実があるんですよ」と返して、事件の背後に横たわる不思議な因縁を語りはじめるわけですが・・・「証拠は?」と訊かれて「そんなことよりも」って(笑)渥美清はこの唐突な話題の転換をなんとか乗り切っていますが、冷静になって聞いていると、ちょっと苦しいですね。

 映像的には鍾乳洞が見もの、これは全国何か所か使ってロケしたそうです。ところがなにしろ暗いので、キャプチャしてもなんだかよくわからない画像になってしまうので、ここには挙げません。

 

 この作品全体を覆う独特のatmosphereをつくりだしているのは、こちらの小竹・小梅の双子の老姉妹。市原悦子と 山口仁奈子です。最後は、小竹が蝙蝠の大群により仏壇の火が燃え移った多治見家と、運命をともにします。象徴的かつ納得のいく結末ですね。



 以下は余談です―何度か見られる「たたりじゃ~」のシーンです。いま観ていると、語尾はあまり伸ばさず、「たりじゃ」と言っており、アクセントもアタマの「た」にあります。「たたりじゃ~」というのは、映画公開当時流行語になりましたね。当時同級生のY君が、会話の前後の脈絡を一切無視して、とにかく一日中、「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」「たたりじゃ~」・・・とやっているのには、ほとほとうんざりしたものです。そのY君も10年ほど前に鬼籍に入りました。なので、いまでも私はDVDを見ていてこの場面になると、「やれやれ・・・」という疲労感と、ちょっと懐かしさが入り交じったような、妙な気分になります。


(おまけ)


「犬神家の一族」(1976年)から―

 当初、上記に続けて、その他の横溝正史原作映画を2、3取りあげようかと思っていたんですが、あまり語りたい映画も見当たらないので取り止めます。横溝正史の原作を読むなら「犬神家の一族」、映画を観るなら今回の「八つ墓村」がもっとも好き・・・というより、唯一好き、なんですね。角川映画などは一応全部観ているのですが、どうも気に入らない。ATGの「本陣殺人事件」(1975年)は若き日の中尾彬を観ることができて、わりあい好感を持っているんですが、とりたてて語りたいというほどでもない。

 そんな、たいして気に入ってもいない映画のなかにも、これはという俳優・女優さんはいるもので、上の画像は「犬神家の一族」(1975年)から、岸田今日子演じる琴の師匠です。


Hoffmann



参考文献

 とくにありません。