020 「江戸川乱歩の陰獣」 (1977年) 加藤泰 その他の江戸川乱歩原作映画から




 「江戸川乱歩の陰獣」、1977年松竹映画です。監督は加藤泰、出演はあおい輝彦、香山美子、若山富三郎、大友柳太朗、加賀まりこ、野際陽子、中山仁、尾藤イサオほか、大物揃いですね。



 概ね原作に忠実なstory展開で、むしろ原作で曖昧だったところもつじつまが合うように工夫されています。しかし、この映画の見どころはカメラワークというか、独特の映像美。まあいくつかご覧になって下さい―

   

 手前の障害物をボカして入れる、場合によっては被写体である俳優・女優の「額縁」にしてしまうという映像、これが冒頭から最後まで続きます。実相寺昭雄監督にもしばしば見られますね。私も写真を撮るときによくやる手法なんですが、これ、感情移入はしにくくなるものの、「のぞき見」効果が生じるんですよ。江戸川乱歩の世界にはよく似合うと思います。

  

 どこをとってもこんなシーンばかりです。しかも、全体にモノトーンなんですが、全篇中3回、色彩感の豊かな場面があります。

 

 左の見世物小屋はstory上、たいして重要な場面ではないんですが、右は大江春泥(らしき人物)が毒殺される重要な場面です。そして最後は―

 

 色鮮やかにクライマックスを築いています。だんだん重要度が増してくるわけですね。

 問題は、主役ふたりの演技が紋切り型に過ぎること。どのような物語のどのような役でも、いつも同じような人間を演じています。そのほか、脇を固めているベテラン勢も、ほぼ同様。仲谷昇や野際陽子の演技など、陳腐に過ぎるのでは? 菅井きんとか藤岡琢也あたりは、これは「いつもどおり」でほっと一息つけるんですが、重要な役柄がこれでは困ります。まあ、メジャーどころが制作した普通の映画、といったところでしょうか。ただ、先に述べたとおり、映像には見るべきものがあると思います。

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 どうもわりあい素直に原作に従っているためか、あまり語ることもないので、ここで「本も読む」というコーナーをはじめてしまいましょう(笑)

 本も読む 01 「乱歩と東京」 松山巌 PARCO出版

 取り上げるのは「乱歩と東京」という本です。著者の松田巌は建築家。建築家としての観点から、乱歩の小説を論じると同時に、乱歩を素材にして、東京という都市の変遷をも論じています。

 乱歩の作品って、多彩である反面、悪く言えば統一性がないとことろがありますよね。明智小五郎の印象ひとつとっても、初期のある作品では登場するなり「ばかやろう」の連発だし、そうかと思うと後の作品ではいやに西洋風のジェントルマンになっていたりします。これは私もむかしから不思議に思っていたのですが、この本を読んで謎が解けました。

 この本の著者は、まず「D坂の殺人事件」を題材に、地方から移入してきた故郷喪失者にとっては、東京が幼馴染みといえどなんのドラマも生じない、人間関係の希薄な都市であることを指摘します。この作品に登場する明智小五郎は貧乏書生然としていたのに、その後「吸血鬼」で「開化アパート」に引っ越した明智は「愛嬌のある混血児のような顔」で登場しているんですね。

 また、昭和3年発表の「陰獣」では舞台が浅草を中心として池袋、牛込喜久井町、根岸など、事件現場も浅草から徒歩10分の円で構成されているのに対して、昭和5年から6年にかけて発表された「吸血鬼」では、犯人と探偵の行動範囲が拡大して、事件現場はヒロインの住む麹町を中心に、上野、代々木、両国、品川、桐ヶ谷、目黒と、半径5kmから7kmほどの円上に構成されています。

 これはどういうことかというと、大正7年に中央線(東京―中野間)が開通したこと、大正14年に山手線(東京―上野間)が環状線となることで、東京の中心が国鉄駅を持たない浅草から西へ移動したこととパラレルである、というのが著者の指摘です。当時、震災後の帝都復興のため組織された同潤会がさかんにRC造のアパートを建設していたのですが、この建設されたアパートの分布図を見ても、その中心が西へ移動していることは明らかなんですね。じつはこの同潤会によるアパート建設はスラム解消・スラム住民の善導という意味もあったのです。そのためには浅草から東京の重心を移したい、そうすることが社会秩序を守る側の意図するところであったのです。結果、重心を浅草から西へ移動させれば、山手線の環の中央はお茶の水あたりになります。従って、「吸血鬼」でお茶の水アパートに暮らすようになった明智小五郎は、貧乏書生から社会の模範たる良俗人となったのですね。つまり、これが明智小五郎の変貌の背景というわけです。

 たいへん説得力のある見事な分析ですね。著者が調べているのはアパート建設の記録だけではありません。総理府や国勢調査といった資料から当時の東京都の人口の推移、出生地域別の人口、職業別電話名簿から当時東京都にコーヒーを飲ませる店が何軒あったか、といったことまで調べています。そうして論じたうえでの、あざやかな分析なのです。探偵小説も顔負けですね(笑)

 明智小五郎が良俗人となったので(笑)ついでに言うと、少年探偵団の小林団長が、上野公園に巣喰う浮浪児を集めて「チンピラ別働隊」を編成しているのが戦後第一作の「青銅の魔人」です。ところが戦後の混乱期を脱却して、時代が落ち着けば浮浪児の出番はなくなる。

 変装の名人の二十面相もこうした世相の変化からは逃れることができません、運転手やご隠居、文学博士、コック、職人などに化けるのは、職業や身分が姿かたちと一致した時代ならでは可能だったこと。戦後の、9割の家庭が中流意識を持つ中和化された社会ではこうはいかなくなります。戦後の乱歩の少年ものの題名をあげると、「透明人間」「宇宙怪人」「夜光人間」「電人M」「妖星人R」「超人ニコラ」・・・と、人間に変装するより宇宙人や超人に化けるようになっています。著者はこのことから、戦後、中流意識が明確な姿をとり、職人や商人ですらネクタイ姿を良しとし、各々がもっていた顔を失い、誰もが同じ一つの顔となった時、二十面相も本来の姿を見失っていくのである・・・としています。

引用文献・参考文献

「乱歩と東京」 松山巌 PARCO出版




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 さて、「本も読む」は以上としまして、「映画を観る」の話に戻します。以下は「江戸川乱歩の陰獣」以外の乱歩原作映画を、私が観た範囲でいくつか―

 その他の江戸川乱歩原作映画から

「陰獣」 ”Inju:La Bete dans L'onmbre” (2008年 仏・日) バーベット・シュローダー監督


「陰獣」 ”Inju:La Bete dans L'onmbre”

 これも「陰獣」を原作とした映画。バーベット・シュローダー監督による仏・日合作映画です。DVDケースのデザインがアレなもんですからポルノまがいの内容かと思ったんですが、観てみたら、案外とマトモな映画でした。

 フランスの推理小説作家が来日、世界的に有名な作家大江春泥に会ってみたいが、相手は姿を見た者のない謎の作家。しかし茶屋で知り合った芸妓、玉緒のもとに大江春泥からの脅迫状が・・・というstory。

 前半はおもしろく観ていたんですが、最後の真相が明かされるところでガッカリ。いや、storyとか登場人物などに関する原作の改変はかまわないんですけどね、これ、乱歩作品の本質が見失われているんじゃないでしょうか。つまりある男に別な男を殺させる、その結果殺された男からは解放され、殺した側の男は社会的な地位を失う・・・と、犯人がこのように仕掛けた動機はあくまで実利を得るためだったということになっている。そしてその行動も理性的・理知的に計算し尽くしたものであるというのならば、猟奇的なのは単に事件の上っ面だけということですよね。よく言えば「フィルム・ノワール」風。しかしfetishismとか歪んだ美学とかいった、やむにやまれぬ衝動が動機であって、その結果としての猟奇趣味が描かれるのでなくては、わざわざ乱歩の原作に材を得る必要がありません。


「屋根裏の散歩者」 (1994年) 実相寺昭雄監督
「D坂の殺人事件」 (1998年) 実相寺昭雄監督


 実相寺昭雄監督で2本―「屋根裏の散歩者」は三上博史、宮崎ますみ、加賀恵子、嶋田久作ほか。DVDケースには<完全版>とあります。説明によると、1994年3月に初公開されたものは、74分のR指定版で、映倫管理委員会の指示で一部性描写などが削除されていたそうです。これを復元したのがインターナショナルバージョンで、77分。これも1994年4月には公開されていたそうで、このDVDには77分版を〈完全版〉として収録しているとのことです。

 偶然自分の部屋の押し入れに屋根裏への入り口を見つけた郷田は、そこから屋根裏に上がり遊民宿に住む他の住人たちの部屋の覗き見をする・・・という倒錯行為を描いたものですが、主人公はあまり覗き見そのものに深入りするよりも、さっさと行動(つまり殺人)を起こしてしまうんですね、しかし描き方が巧みなので、これで充分と見えます。


「屋根裏の散歩者」

 全篇にわたり、カメラワークは実相寺ワールド全開といった印象です。嶋田久作扮するところの明智小五郎の部屋は蔵書(古書)の山、私のfetishismをシゲキしますなあ(笑)

 光と影、その陰影の効果は特筆ものです。どちらかというと、夜の闇よりも薄明に幻想味があって、ここではいわゆるエログロが残虐・怪奇に化けかかっているんですね。小道具や大道具の使い方も計算されたものながら、その「計算」が透けて見えるようなことがなくて、自然です。三上博史の変質者ぶりも見事。いかにもな変態ではなくて、常人がふとしたきっかけから倒錯と狂気にとらわれていく様が、これこそ乱歩の世界をデフォルメすることなく伝えているのではないかと感じられます。わざとらしさがなくて、日常とほんのわずかな境目しかない「あちら側」の世界へ踏み込んだだけ、といった印象です。その意味では嶋田久作の明智小五郎も「あちら側」の世界に知悉しているタイプと見えて、上手いキャスティングですね。ただし、宮崎ますみ演じるヴァイオリンを奏でるお嬢さんは、ちょっとなくもがなの感あり。いや、エピソードとしては本筋の脇でそれなりの効果を担ってはいるんですが、設定や描き方が少々陳腐です。

 あと、その映像はかなり凝りまくりの「実相寺ワールド」と先程言いましたが、やや気になったのは、やたらカメラを傾けるところ。効果的だとは思うんですが、あまり多用するとちょっと嫌味な印象なきにしもあらず。ただしそのへんは些細な問題、全体としては乱歩の世界にふさわしい、いいatmosphereを醸し出しており、傑作と呼ぶべき乱歩映画ですね。


「D坂の殺人事件」

 続いて「D坂の殺人事件」―脚本は江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」や「心理試験」を基に脚色したもの。出演は真田広之、嶋田久作、吉行由美、岸部一徳ほか。音楽が池辺晋一郎です。

 昭和2年、東京市本郷区団子坂にある古本屋・粋古洞の女将・須永時子は、伝説の責め絵師・大江春泥の「不知火」の贋作作りを蕗屋清一郎という美術品修復家に依頼します。蕗屋は、見事に「不知火」の贋作を拵え、その出来映えに満足した時子は、続けて春泥の「明烏」を拵えるよう蕗屋に依頼します。しかし原本のない、吉原の遊女を折檻する場を描いた「明烏」の贋作作りは蕗屋にも難しく、モデルを使うも一枚も仕上がらず。結局彼はモデルに着せていた衣裳を我が身にまとい、鏡に映る自分の姿を見て、自らをモデルにすることで「明烏」を完成させます。そして完成した「明烏」を届けに粋古洞を訪れた蕗屋は、そこであることに気付き、後日報酬を受け取りに再度訪れた際に時子を殺害します・・・。

 冒頭ほか、ところどころに挿入される模型による街並みはdioramaです。storyの進行・展開を支えるというより、物語そのものを昔語りと感じさせる、あるいは寓話化してしまうような効果があります。そして、なによりここで私のfetishismが震えるのが古書店・・・というより古書肆店内(笑)

 明智小五郎は前作に続いて嶋田久作。登場時は退屈な生に倦み疲れた様子で、これはこれで悪くないと思ったんですが、事件解決にあたり、スーツを着て颯爽と登場するのは、ご都合主義と予定調和の感否めず。一方、贋作師・蕗屋を演じているのは真田広之。狂気と言うより偏執狂じみた妄執に取り憑かれた贋作師を淡々と演じています。予審判事役の岸部一徳は台詞が棒読みながら、これはこれで効果的?

 事件後、市井の様子や警察の捜査などは一切描かれず。捜査の進行状況はいくつかの新聞記事であらわされ、証言をとっているシーンも証言者のひとり芝居で、取り調べ側の台詞はなどはまったくなし。さすが、うまいもんです。低予算故かもしれませんが、よけいなものを排除して、さらに映像の効果もあって、高められた緊張感が持続しています。映像センスはやはり実相寺監督ならでは。とくに逆光映像が印象的です。

 この「D坂の殺人事件」もいい雰囲気の作品に仕上がってはいるとは思うんですが、私ははどちらかというと前作の「屋根裏の散歩者」の方が完成度は高いかなと感じています。ひとつには乱歩ならではのfetishな道具立てがいまひとつ。責め絵とかそのモデルの緊縛シーンなんてそれだけのもの、さほどの効果が期待できるものではありません。その先が、ない。また、明智小五郎が私立探偵として生きてゆこうという決意をしたとたんの颯爽と洗練された紳士への変身は、あまりにも陳腐に過ぎます。登場人物、とくにヒーローをかっこよく扱うのは三流ドラマ。だからせっかくの個性的な映像造りが妙に浮いてしまった印象なんですね。さらに、池辺晋一郎の音楽は神経を逆なでするようないい効果があるんですが、ちょっと主張が強すぎて、ときどき画面よりも音楽の方に注意が向いてしまうこともあります。いろいろな意味で、あらゆる要素がそれぞれ別な志向を持っているようで、結果チグハグになっているんですね。ドロドロした人間模様とか、過激なエロティシズムというものはあっさり扱われていて、それはそれでかまわないんですが、別なfetishismが不足しているという印象です。


「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」 (1969年) 石井輝男監督

 
「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」

 際物ながら、一部のファンからは超カルト映画として評価、というよりほとんど崇拝されている映画ですね。かなり以前からvideo化の話もありながら見事に流れたとか。2007年盛夏、突如米でDVD化されて、しかもRegion All。すぐに入手しました。いまは国内盤DVDも出ているようです。

 storyは乱歩の「孤島の鬼」と「パノラマ島奇談」をミックスしたもの。記憶喪失の男、人見広介が出自を探るうちに殺人犯に仕立てあげられ、偶然にも自分と容貌が瓜ふたつの大富豪、菰田源三郎が最近急死したことを知り、その富豪になりすまします。その地方の風景は彼の記憶にあるものと同じ。やがて妻は何者かに殺害され、彼は孤島に隠棲しているという父親に会いに行くのですが・・・。

 父親は孤島に奇形人間の楽園を建設していた・・・って、「グロテスク」と呼ぶのもためらわれるほどの悪趣味ぶり(貶しているわけではありません、念のため)。父親役は土方巽、率いるは暗黒舞踏塾の面々。人工的にシャム双生児とされた娘を、醜悪なもう一方の男児と分離するために手術をする、その手術室からしてゲテモノ映画と呼ばれるのもわかります。

 パノラマ島における大道具・小道具から肝心の奇形に至る描写は、低予算の故か安っぽいことこのうえなし。もっとも、造り込めない制限を受けながら、どこまで造り込むことができるかという、このへんがプロならではの仕事。その意味では、キワモノのひと言で片付けてはいけませんね。色彩も猥雑なまでにケバケバしくて、このチープな味わいがかえって乱歩の世界にはふさわしくもあります。はっきり言って「キッチュ」なんですが、そのいかがわしさ、インチキにしか見えないほどのうさんくさいところが、乱歩らしいとも思えます。つまり、「見せ物小屋」感覚。じっさい、「パノラマ島奇談」なんて、描かれているのは徹頭徹尾、人工的な見世物的手法で造りあげられた「楽園」ですから、虚無的なまでに狂気に満ちたCarnivalの情景と思えば、これも納得です。

 ラストシーン、人間花火となって打ち上げられ、空で爆発し四散する恋人たち、というクライマックスは、残念ながら安っぽさが災いしてしまって、主人公たちが心中の決心に至るのも唐突かつ駆け足で素っ気なく、説得力にも欠けます。私は往年のお味噌のCMを思い出しちゃいました(笑)この場面に限らず、とにかく登場人物の行動はいちいち突発的で場当たり、その感情の変化も飛躍しまくり、終始伏線もとくになし。感情移入などまるで拒否されているかのようで、story(の展開)に関しては三流以下。状況説明なんかもっぱら主人公のモノローグですませてしまうのも安易です。これは土方巽と暗黒舞踏塾の出演で保っている映画・・・かもしれません。ちなみに明智小五郎を演じているのは大木実。もともと「孤島の鬼」にも「パノラマ島奇談」にもこの名探偵は登場しませんから、あえて登場させているわけですが、あまりたいした役回りではありません。


 このほか、今回見直したのは次の2本―

「黒蜥蜴」 (1962年) 井上梅次監督 三島由紀夫劇化 京マチ子主演 
「蜘蛛男」 (1958年) 山本弘之監督 藤田進、岡譲司ほか


 これはまたいずれ機会があれば取り上げることにします。


(おまけ)

 

 こちらは映画ではなくてTVM。もう、おわかりですよね(笑)「キッチュ」感満載ですが、結局これがいちばん愉しめるかもしれません(笑)


Hoffmann



参考文献

 とくにありません。