031 「フォーゲルエート城」 ”Schloss Vogeloed : Die Enthullung eines Geheimnisses” (1921年 独) F・W・ムルナウ






 数々のドイツ表現主義映画の傑作で知られるサイレント映画の巨匠、F・W・ムルナウ監督の「フォーゲルエート城」“Schloss Vogeloed”(1921年 独)は、ムルナウが「吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響曲」”Nosferatu : Eine Symphonie des Grauens”(1922年 独)の直前に仕上げた、ミステリ仕立てのサイレント映画です。

 

 19世紀半ば、人里離れた地の貴族の館、フォーゲルエート城は秋の狩りのシーズンで多くの客人を迎えたものの、折悪しく連日の雨。そこに現れたのはエーチュ伯爵。彼は弟を殺したと噂されており、そこにその弟の未亡人が再婚したザッファーシュテット男爵とともに到着。彼女は前夫を殺したと噂されているエーチュ伯爵が来ていると聞いて立ち去ろうとしますが、信頼を寄せているファラムント神父がローマから来ることを知り、その場にとどまります。やがてやって来た神父に彼女は前夫の異常な行動を語るのですが、不思議なことに、その後神父は姿を消してしまいます。



 復元された字幕はこんな感じ。

 原作はドイツで最初の大衆向け週刊誌”Berliner Illustrierte Zeitung”に連載された作家ルドルフ・シュトラーツ Rudolf Straz のミステリー小説。ホラー映画のような禍々しい雰囲気を漂わせ、ところどころに怪奇幻想趣味がうかがわれるものの、storyは通俗ミステリという印象です。

 いや、じつはstoryそのものはたいして面白いものでもないんですよ。ところが、カール・マイヤーによる脚本がよくできていて、緊迫感を保ちつつ、淡々と殺人事件の真実を明かしていくのはなかなか見事。ムルナウの演出もよかったのでしょう、肝心のエーチュ伯爵役の俳優、ローター・メーネルト Lothar Mehnert が抑えめな演技で、かなりモダンな感覚であるため、suspensiveな心理劇となっているのです。



 ザッファーシュテット男爵夫人を演じているオルガ・チェーホーヴァ Olga Tschechowa などはサイレント映画らしく、表情などの演技がおおげさなんですが、前夫の清廉潔白さによって、かえって悪への抑えがたい衝動にとらわれる妻という役柄ですから、こうした演技がふさわしいのかもしれません。フラッシュバックを多用して、過去の結婚生活を語らせるシーンなどにはむしろ効果的かも。

 ちなみにこの女優、ロシアの文豪チェーホフの甥ミハイルの元妻で、自身もそもそもチェーホフ夫人オルガの姪だったという亡命ロシア人女優。ドイツに亡命してからの映画出演はこれがはじめて。後にヒトラーやゲッベルスに気に入られて親交を結び、ナチ御用達の映画スターとして活躍することとなります・・・が、その後ソヴィエトの資料により、じつは「消極的な」スパイであったことが判明しています。戦後は自らの劇場と映画会社を設立したものの成功せず、美容師の資格を持っていたことから美容院の経営に乗り出し、国内にいくつか支店を置くほどの成功を収めたそうです。



 豪華な美術セットも特筆したいところです。ドイツ表現主義映画とはいっても、「カリガリ博士」”Das Cabinet des Doktor Caligari”(1919年 独)あたりとは正反対で、ここでは均整や平衡感覚を歪めることなく、むしろ左右対称のシンメトリーを意識したフォーゲルエート城を用意して、そこに人物を配置。結果、極度に様式化された舞台・画面構成となっています。

 

 

 現代にも通用する―というより、現代ではほとんど失われてしまった、映画という映像芸術ならではの「美学」と思えますね。story頼りの物語ではなく、映像美を追及した、本来の意味での「映画」なのです。極端なことを言えば、この映画から字幕を取り除いてしまったら、storyを理解できる人はおそらくひとりもいないでしょう。つまり、アクション(動作・演技)を展開するよりも、情景を点描的に描くことを選んでいるのです。

 

 数少ない屋外のシーン―ここでも画面の構成は完璧じゃないでしょうか。 サイレント映画としてもstaticな部類に属する作品なので、ちょっと地味に感じられるかもしれませんが、観る側が受け身にならず、積極的に映像美を拾い上げてゆくつもりで観ていると、恐怖映画やミステリ映画はかくあるべしと言いたいような、atmosphereを感じることができるのではないでしょうか。

 私が持っているDVDは紀伊國屋書店の「クリティカル・エディション」版。現在は製造中止になっているようです。


(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。