040 「東海道四谷怪談」 (1959年) 中川信夫 その他の「四谷怪談」映画から ※ 鶴屋南北の「東海道四谷怪談」及び南北が下敷きとした「四谷雑談集」等については、「073 『東海道四谷怪談』 (新潮日本古典集成) 鶴屋南北 郡司正勝校注 新潮社」の、Klingsol君のお話をご参照下さい。 中川信夫監督の「東海道四谷怪談」(1959年・新東宝)です。 主演は民谷伊右衛門に天知茂、お岩に若林嘉津子。脇に若き日の池内淳子も出演。 名作の誉れ高い映画です。なんといっても天知茂がいい、いくら賛辞を連ねても足りないくらい。極悪非道の狂言廻しは直助(江見俊太郎)に任せて、伊右衛門には武士としての気品を備えさせる設定に、まさにはまり役。そしてstoryも単純さ故の効果があります。 「武士としての気品」というのは、強欲無比で暴力的な演出・役作りでないことや、最後に「許せ」と何度か言わせていることからもおわかりいただけると思います。ここでひと言添えておきたいのは、直助があたかも「地獄」(1960年)の田村のような役柄であること。とっさの機転での唆しによって、伊右衛門は複雑な心境から悪の道に引きずり込まれていくことになります。つまり悪を分散させずにメフィストフェレスたる直助に集中させていることによって、ドラマが怪談としての枠を超えて、心理劇としても観ることができる。言ってみればギリシア悲劇のように多彩なヤヌスの風貌を獲得している・・・ドラマによけいな要素を継ぎ足していない(というより、省いている)分、「元型」となっているということです。 傘、蚊帳、手鏡、櫛、さらには戸板といった(ダジャレです)fetishなオブジェ感覚がすばらしい効果をあげています。 わざわざお岩に自らをを巳年と言わせているあたり、これは南北原作の子年とは異なるものの、逆に原作を理解しているということ。これを伏線に、その後蛇を効果的に使っています。また、伊右衛門が蚊帳を売り飛ばそうとするのをお岩が押しとどめ、そのやりとりは原作に準じているものの、その蚊帳が後に小道具として大いに利用されるところは独自の演出です。このあたりも、よく計算されています。その蚊帳を赤(朱・緋)に染めた色使いも、じつに上手いと思います。この映画では、この色がかなり効果的に使われていることにもお気づきでしょう。 いっぱい並べちゃいましたが、こうした場面場面に観られる画面構成にご注目。こうしたところに、storyばかりが重視される現代の映画では蔑ろにされてしまっている美意識を求めることが可能なのは、このあたりの時代まで。映画というものはその起源をたどれば、写真撮影の感覚と深い縁がありますからね。前ボケというのは、被写体とのいわゆる距離感をあらわすのにも利用できるし、その場に自分がいるようなlive感よりも、客観的に観察している「のぞき見」感覚も生まれます。 ただし左右の家並みの上部を見せなかったり、格子戸の左右に赤い幕二枚、というのは、低予算による大道具省略のための苦肉の策と思われます・・・が、それを見事に逆手にとって、画面の構図を様式化してしまうのはさすがです。 伊右衛門が直助を斬る場面・・・一瞬、寺の室内に現出するは隠亡堀の水面と戸板に打ち付けられたお岩。この伊右衛門の度重なる凶行も直助の死も、お岩の因縁であることを印象付けると同時に、伊右衛門の心象を映し出しているようで、すばらしい効果。また、この場面はいかにも舞台然としていて、そのためにたいへん強烈な印象を残します。ただドロドロしているばかりでなく、様式的な品格を保っているのは、こうした場面のおかげでしょう。ここでも障子が赤く照らされていることにご注目。これにより、このシーンが浮いてしまうことなく、ドラマに一貫性が生まれているのです。 若林嘉津子もすばらしいと言っておきたいところです。古くは大映で若林須美子を名乗り、1953年(昭和28年)に新東宝に移籍、1955年(昭和30年)に若林嘉津子と芸名を改めてから、妖婦の役も、このお岩のような貞淑な妻の役もこなした女優さんです。 宅悦が毒を盛られたお岩の顔面を見て短い驚きの声をあげる(だけ)、鏡を見たお岩がやはり短い叫び声を上あげる(だけ)、交錯する花火の映像と音、といったお岩と宅悦の場面の卓越した(またダジャレです)演出、これを緊張の糸を緩めることなく、完璧に演じきっています。 ここで指摘しておきたいのは、かつて映画ではお岩さん役を、官能的な魅力を第一とする妖婦(ヴァンプ)女優が受け持つことが多かったということ。反面、歌舞伎においては、グロテスクなお岩を演じる役者は、お岩とともに美男の与茂七をも演ずることになっていたことです。その意味では、美醜双方を演じ分けるのは、歌舞伎への「先祖返り」であるとも言えるわけです。しかし、女優としてはお化けなんてやりたくないもの。主演女優クラスに打診しても拒否されるに決まっているので、準主演クラスに白羽の矢が立つ。そうすると、どうしても伊右衛門のほうにドラマの重点が置かれるようになってしまう。とくに制作者、つまり監督とか脚本家にとっては、どうしても悪人の方が魅力的な存在だということもあります。 そこで、この映画で特筆すべきことをもうひとつ―最後にお岩さんに子供を抱かせて「昇天」させていることです。母子ともに昇天、すなわち成仏させるということは、伊右衛門の血筋を絶やすという復讐だけではなく、子供への愛情表現でもあり、怨念の浄化でもあります。ちゃんと、「救済」がある。ほかの映画のように、伊右衛門の悶死で終わったり、与茂七とお袖が伊右衛門を討ってめでたしめでたしで終わったりするものとはかなり印象が異なります。中川信夫はあくまでお岩さんの物語として完結させている。これは歌舞伎の設定にとらわれない改変のように見えて、じつは鶴屋南北が徹底して描き得なかった、お岩さんの「産女」属性を際立たせた結末なんですね。こうしたところからも、中川信夫作品がもっともすぐれた「四谷怪談」映画であると思えるのです。 ************************* 我が国で最も多く映画化された怪談といえば疑いなく「四谷怪談」でしょう。最古の映画会社、横田商会の「お岩稲荷」(1910年)が嚆矢。1911年には吉澤商会による「四谷怪談」、1912年に日活の「四谷怪談」。戦前ですよ。ただしこれらはいずれも消失してしまって、どのような作品であったかは分かりません。 戦後の最初は1949年の木下恵介による「新釈四谷怪談」。これに続く代表作と言えるのが毛利正樹の「四谷怪談」(1956年)、1959年に最高峰である中川信夫作品、そして加藤泰の「怪談 お岩の亡霊」(1961年)。毛利版と加藤版は若山富三郎がまったく異なるタイプの伊右衛門を演じています。また1959年には三隅研次が長谷川一夫の伊右衛門で「四谷怪談」を撮っていますが、古典的とも言えるstaticな演技と画面構成は同年の中川信夫とは好対照です。中川信夫作品の突出ぶりがよく分かりますね。やや時代を下ると、極悪非道、お岩さんが亡霊となって現れてもひるむことなく開き直ってみせる佐藤慶の伊右衛門が登場する「四谷怪談 お岩の亡霊」(1969年)があります。 その後もいくつか制作されていますが、私は上記の戦後「四谷怪談」はすべて見ておりますので、以下で簡単にコメントしておきます。その前にTVMも1本― 「四谷怪談」 (1972年 TVM) こちらは、天知茂によるもうひとつの「四谷怪談」、1972年毎日放送の歌舞伎座テレビ室制作、TVシリーズのうちの一話。監督は山田達雄、脚本は宮川一郎。お岩役に円山理映子、宅悦に殿山泰司。 天知茂は、1959年の「東海道四谷怪談」のときにくらべて、そろそろ「明智小五郎」の容貌になっています。さすがにここではかつての傑作に比肩するほどの強烈な印象はありません。やはり劇場公開映画のように重厚に盛りあげるには至らないのが残念です。 これは仕方がありません、映画ならいくら低予算とはいっても、それなりの工夫もあろうところ、やはりTVとなるとコストと効率最優先なのでしょう・・・亡霊となったお岩さんのメイクは、ゴムを貼り付けた(かぶせた?)ようにしか見えません(笑) お岩さんが毒を飲んだ直後はこんな感じ。私は、この円山理映子という女優さんはよく知らないのですが、なんだか顔面が腫れて爛れていても、気品のあるきれいな顔立ちがとても印象的です。この鏡をのぞくシーン、ほとんど口もとだけで演技しています。だからというわけでもありませんが、とりわけ口元が魅力的な女優さんです。それだけに後半の、誰が演じていても同じに見えるようなお手軽メイクはもったいないですなあ。 「新釈四谷怪談」(1949年・松竹) お次は戦後初の「四谷怪談」もの、木下恵介監督、田中絹代、上原謙。脇に宇野重吉、杉村春子、佐田啓二などの顔も見えます。 お岩さんが化けて出るというよりも、良心の呵責に耐えかねた伊右衛門が妄想の果てに自滅・・・といったstoryなんですが、たしかに上原謙演じる伊右衛門の意志薄弱ぶりはこの展開にふさわしいかもしれません。それだけに存在感も希薄。田中絹代はあまり純情そうには見えないんですが、いかにも昔の武士の妻という印象で、その意味では少々陳腐な役作りかと思います。お岩とお袖の二役なので、わかりやすく演じ分けなければならなかったとしたら、これは二役が足枷となったということかもしれません。結果、できあがったのはあまりいい意味ではなく、メロドラマ。音楽の演奏は「松竹京都管弦楽団」とクレジットされています。さすがに時代も時代、ほほえましいくらいにへたくそ(笑) 「四谷怪談」(1956年・新東宝) 毛利正樹監督、若山富三郎、筑紫あけみ。 このお岩さんは見事。薬とは偽りの毒薬と知らず、日頃冷淡な夫がひさしぶりに見せるやさしさと信じて、はにかみつつ微笑みながらこれを飲むあたりの演技は心を打つものがありますね。若山富三郎の丸顔というか、ピーナッツ型の面貌は、わりあい栄養が良さそうで(笑)食い詰めた浪人には見えません。ま、ここでは悪事をそそのかすのが、直助とどこまでも極悪非道な母親で、伊右衛門が周囲の悪人に振り回される気弱なオボッチャマという設定なので、これはこれで狙いどおりなのでしょう。 「四谷怪談」(1959年・大映京都) 三隅研次監督、長谷川一夫、中田康子。 これは押しも押されぬ大スター、長谷川一夫を起用して、やっぱりあまり悪いimageではいかんということで、根っからの悪人には仕立てなかったのでしょうか。伊右衛門の設定としてはそれはそれでかまわないんですが、あまり納得のできる展開ではありません。結末がいかにもな予定調和と見えるあたり、中途半端です。舞台をそのまま撮影したようなシーンと、いかにも映画ならではのカメラワークが混在しているところ、たいへん興味深く観ることができました。 「怪談 お岩の亡霊」(1961年・東映京都) 加藤泰監督、主演は若山富三郎、藤代佳子。 若山富三郎は、毛利正樹監督の「四谷怪談」(1956年)に続く2度めの伊右衛門です。脚本が違うためでしょう、ずいぶんimageが異なります。ここでは冒頭、直助に「御家人の端くれ」なんて言われていますが、たしかに「端くれ」です(笑)食い詰めたあげく、身も心もすさんだ素浪人ぶり。なんだか5年前よりオッサン臭くなったのか、これも芸の幅広さなのか(笑)ただこの人物造形がいささか陳腐で、お岩さんを含めたその他の役柄もいかにもなステレオタイプ。ここでの伊右衛門は自発的な悪役に徹するでもなく、まるでふてくされた小悪人。それならそれで、もっとお岩さんの悲劇に焦点をあてるなどしてくれないと・・・。セットなど、制作費は結構かかっているようなんですが、どうもあまり印象に残らない凡作です。 「四谷怪談 お岩の亡霊」(1969年・大映京都) 森一生監督、佐藤慶、稲野和子。 さすが佐藤慶、悪辣な伊右衛門の存在感では随一。おかげでお岩さんの影が薄くなるほど。ただし佐藤慶も後半に至ると、その演技はチンピラじみてきて、ここは最後まで武士らしい気品を保ってもらいたいところです。失礼ながら、少々脂っこくて、黙って坐っているだけでも極悪人と見えるんですから、ことさらに「悪人」の演技をしなくてもよかったんじゃないでしょうか(笑) ひとつだけ観逃しているのは、東京映画の「四谷怪談」(1965年)豊田四郎監督、仲代達矢、岡田茉莉子あたりでしょうか。1970年代以降となると、「魔性の夏 四谷怪談より」(1981年)蜷川幸雄監督、萩原健一、関根恵子、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(1994年)深作欣二監督、佐藤浩市、高岡早紀、いずれも松竹映画ですが、どちらもあまり観たくない(笑)いや、このあたりの時代になると俳優・女優に期待できないということもありますけどね、SFXの進歩には興味がないし、健気で愛すべきお岩さんを強調すると、本来の歌舞伎における仇討ちの問題が蔑ろにされてしまうんですよ。もう、そのようなメロドラマが失敗作となることは1949年の「新釈四谷怪談」で大方想像がつくので、あえて観たいとは思わないんですね。とくに京極夏彦の小説「嗤う伊右衛門」以来、私が「四谷怪談」に期待できるものはもう喪われてしまいました。 (Hoffmann) 参考文献 「銀幕の百怪 本朝怪奇映画大概」 泉速之 青土社 Diskussion Kundry:Hoffmannさんのお話を伺う限り、真打ちは中川信夫監督の新東宝版ですね。 Hoffmann:そもそも櫛だの蚊帳だの手鏡だの、花火に戸板に隠亡堀の水草や髪の毛と、いかようにも利用できるfetishな小道具から大道具に事欠かない題材なんだからね。すべてはfetishismの匙加減次第だと思うんだよ。その意味では、どれも意識するとせざるを問わず、そこそこの出来なんだけど、中川信夫作品には遠く及ばない。 Parsifal:怪談映画に限ったことではないけれど、もっぱら物語の展開に注力しちゃってる映画が多いからね。それでは物足りない。 Klingsol:案外と、肝になるのが直助役なのかも知れないね。これはじつに魅力的な役柄ながら、新東宝版ではまずまず納得がいくけれど、ほかには、「これぞ」という作品がない。計算高い悪辣さだけでは納得できないし、お袖に対するデレついたような演技はもってのほかだ。 Kundry:メフィストフェレス役に伊右衛門の母親を持ち出している映画もありますが、まるで現代物の演劇を見ているような気がしました。仮にも御家人の母親ですからねえ・・・(笑) Parsifal:映画ならではの巧みなシーンだと思ったのは、直助とお袖の前にお岩さんの亡霊が出て来たところ。直助には毒を飲んだおそろしい形相と見えるんだけど、姉が死んだことを知らないお袖には、普段と変わらない容貌に見えるんだ。 Klingsol:超自然というものは、現世の人間との相関関係の上に出現するんだ。直助が拾ってきた、じつはお岩さんの遺品である櫛の怪異にしてもそうだよね。 Kundry:戸板に釘付けにされるのは、原作ではお岩さんと小平ですが、ここではお岩さんと宅悦ですね。 Hoffmann:映画の尺の都合もあったかも知れないけれど、お岩さんの死から間髪入れずにstoryを進行させるには、このほうがいいかもしれないね。加藤泰監督版では小平だけど、ちょっと呼吸が乱れる感じだ。三隅研次監督版も小平だけど、これにはそもそも宅悦が登場しない。 Klingsol:最後に逃げだそうとした直助をお袖が包丁で刺すものもある。深読みすれば、ここで包丁が出てくるというのも、原作を多少意識しているのかも・・・ただ単に脚色しているものと、原作を読み込んだ上で脚色しているものもあるようだね。 Kundry:Klingsolさんが監督されるとしたら、どのような作品になさいますか? Klingsol:さりげなく、鶴屋南北の味を加えたいね。鼠でも蛇でも、それはどちらでもいいけれど、戸板に打ち付けられるのはあくまで小平だ。与茂七は仇討ちが第一の義士であって、お袖に執着はさせないで、お袖に絶望させる。お袖と直助の兄妹設定も「復活」させたい。そして直助は悪党なりに、それでもお袖のことは尊重している点で救いを持たせる。与茂七の仇討ちへの意志は滑稽なものとして描きたい。ラストは伊右衛門の前に与茂七が刀を構えて、背後にお岩さんの亡霊が立っているところで幕、ENDだ。伊右衛門が討たれるシーンは見せない・・・。 Parsifal:言いたいことはわかるけど、スポンサーが承知しそうもないな(笑) Hoffmann:なら、Klingsol君は監督じゃなくて制作者になればいいんだよ(笑) |