058 「砂の器」 (1974年) 野村芳太郎 「砂の器」(1974年)は、松本清張の原作小説を映画化したものです。監督は野村芳太郎、脚本は橋本忍と山田洋次。出演は丹波哲郎、森田健作、加藤剛、緒形拳、加藤嘉ほか。音楽監督は芥川也寸志。 ひと言で言えば、ある殺人事件から浮かびあがってくる天才音楽家の「宿命」がテーマです。 1971年6月24日早朝、東京の国鉄蒲田操車場で殺害された男性の死体が発見される。事件の捜査にあたったベテランの今西刑事と若手の吉村刑事は聞き込み捜査から、被害者は殺害の数時間前に現場近くのバーで、若い男と一緒に酒を飲んでいたことを突き止める。バーのホステスの証言によると、被害者は強い東北弁訛りで「カメダ」ということばを発言していたと知って、東北の各県から「カメダ=亀田」姓の人物をリストアップするも捜査は難航。 8月4日、なにひとつ手がかりのないまま捜査本部は解散、規模を縮小した継続捜査に移行。その日、中央線の列車の窓からひとりの女が白い紙吹雪を車外に撒き散らしていたことを知る。その女、銀座のホステス高木理恵子は姿を消す。 8月9日、被害者の身元が岡山県在住の三木謙一と判明する。しかし岡山には「カメダ」という地名はなく、三木の知人にも「カメダ」という人物は存在しない。しかし今西の執念の捜査で、島根県の出雲地方には東北弁によく似た方言があり、そこに亀嵩(かめだけ)という土地があることを突き止める。三木はかつてこの地で巡査として勤務していた。 今西は亀嵩に向かい、三木の親友だった桐原から話を聞き、三木が死の直前に伊勢参りに向かったと聞いて伊勢に飛ぶ。そこで三木が2日続けて通ったという映画館に行き、和賀英良の写真が壁に飾ってあるのを発見する。三木は伊勢参りの後に岡山に戻る予定を変更して東京に向かっていた。さらに、今西は亀嵩で巡査をしていた三木が、乞食の父子を助け、ハンセン氏病を患っていた父、本浦千代吉を施設に入院させ、子の秀夫を引き取って育てていたことを知り、本浦の故郷の石川県に飛び、さらには和賀の本籍地である大阪市浪速区へ向かう。 本浦は太平洋戦争時代の1942年にハンセン氏病に罹患したことにより妻と離縁し、当時6歳だった息子の秀夫を連れて故郷を離れて放浪していた。親子は行く先々で差別や迫害を受け、亀嵩で行き倒れていたところを三木に保護されたのだった。しかし1944年、秀夫は失踪して大阪に渡り、戦後の混乱期を利用して戦災で死亡した人物の戸籍を入手、「和賀英良」と改名していた。三木は伊勢の映画館で和賀の写真を見るなり秀夫であると確信して、父に会わせようとしたが、和賀は過去を知られることを恐れて殺害に至ったのだった。 10月2日、今西は警視庁の合同捜査会議で捜査結果を報告、逮捕状を請求する。その日、満員のホールで、和賀は自らの人生を賭けたピアノ協奏曲「宿命」の演奏会に臨んでいた。舞台の袖では、逮捕状を持った今西と吉村が待機。そして演奏が終わり、和賀は万雷の拍手を浴びる・・・。 今回、あらすじをいつもより少し詳しくお話ししましたが、つまり、典型的なstory重視の映画だということです。映画としての出来はさほどすぐれたものでもないのではないでしょうか。とくに、前半の無駄な捜査が長い。もちろん、だからこそその後の急展開が活きてくるのですが、それにしても二度目に見るときには早送りしたくなりますね(笑) それに、説明不足なところや飛躍・強引なつじつま合わせも多い。「紙吹雪の女」の件など、吉村刑事がこの出来事に食いつく理由が希薄です。偶然とするには無理があります。また、和賀英良が前半のところどころで姿を見せるのも、これも偶然とするにはあまりにも都合が良すぎる。さらに、その和賀英良の内面は一切描かれていないので、ちょっと感情移入しにくいという憾みもあります。じっさい、映画で演じている加藤剛が、どうも印象に残りにくい。このstory展開で俳優に内面を感じさせろというのは無理筋でしょう。 映像にもさほど見るべきものがない。storyを追うことで精一杯という感じです。だから、本浦親子の放浪場面など、放浪にかこつけて、四季折々の日本を描こうという意図だろうな、と見える。いや、一般には「名場面」とされているのですが、ちょっと、ここだけが浮いてしまっていると思うのです。まあ、古くからよくある、映画の常套手段であるわけですが・・・なんて、偉そうなこと言ってしまいましたが、観ていると、やっぱり胸を打つものがあります。 細かいことを言えば、コンサート場面などもあらゆる点でリアリズムなど無視したかのよう。とくに聴衆は絵に描いたようなエキストラぶりです(笑)ついでに言ってしまうと劇中演奏される音楽もちょっと「?」ですね。原作では電子音楽の前衛的な音楽家、しかしここであまり現代音楽していては(映画の)観客にアピールできないでしょうから、仕方がないのかもしれませんが、sentimentalに過ぎやしないかというのが正直な感想です。それに1970年代に、前衛であれ保守派であれ、クラシックの作曲家・演奏家がこの映画のなかで描かれているように世間的に注目を集めるとは到底考えられません。 storyに関しては、ハンセン氏病や患者の置かれていた状況といった予備知識があれば、事件の背後にあるドラマは胸に迫るものがあります。ということは、映画それ自体で自立・完結していないということで、やはり完成度が低いということになってしまいます。もっとも、ここで扱われている「病気」の描かれ方については、患者団体である全国ハンセン氏病患者協議会から細かな要請書が出され、シナリオから患者のメーキャップまでこれに従っているそうで、結果的に登場人物の悲劇もやや抑制気味となってしまったかも知れません。もちろん、ことさらによけいな演出を施すことによって、事実(実態)をねじ曲げてしまうよりは、まだしも好ましいと言えるでしょう。 私はかつて某所で国家賠償訴訟勝訴に至る経過をたどった写真展を見たことがありますが、当事者としてみれば、それがどのような映画であっても興味本位に受け取られるのではないか、かえって偏見を助長しかねないのではないか、もしもそうであればいっそ取りあげないで欲しい、という思いがあったのだろうと考ると、ある程度の制約もやむを得ないのかなと思います。制作側にしても、相当の覚悟がなければ取りあげられないテーマでしょう。 なお、主演格の丹波哲郎、森田健作の演技はまったくもって大雑把。というか、森田健作なんて演技とさえ言えるものかどうか・・・加藤剛も眉間にしわを寄せているだけで、まるでその内面が表現されていませんが、これは先ほど述べたとおり、この映画の展開では「表現しようがなかった」のかも知れません。その意味では、子役の方がよほどいい演技をしていると見えます、しかも台詞なしで。 ただし、急いで付け加えますが、この映画では和賀英良の悩みや葛藤を本人の口からは一切語らせていません。すべては今西刑事(と吉村刑事)の想像・推測にすぎないのです。これが、じつは解釈の多様性をもたらしていることも事実ですね。 この映画の要は緒形拳と加藤嘉に尽きると言っていいでしょう。前者の抑制気味の演技は、この映画のなかでほっとするような明るさを感じさせる貴重な清涼剤であり、後者に至っては出番が少ないにもかかわらず、圧倒的な存在感です。このふたりのおかげで、ドラマとしてやはり感動的なものとなっていることは否定できません。ことに秀夫少年が線路を走ってくるシーンと、千代吉が療養施設で車椅子に乗って現れるシーン、このふたつは映像的にもたいへん印象深いものがあります・・・正直に告白すれば、感動を抑えきれません。 ときどき、和賀英良が三木謙一を殺したのは、かつて父親との仲を裂かれたからだ、三木は病気が秀夫に感染してはいけないと千代吉を療養所に入れたが、こうした一方的な善意の押しつけは始末が悪い・・・といった解釈をしている人がいるんですが、これは違うのではないでしょうか。素直に見れば、いまや和賀英良は出自を世間に知られては困る立場にあるわけです。ところが、千代吉が会いたがっていることを知っている三木は、あくまでも秀夫を療養所の父親のもとに連れて行こうとしている。もちろん、秀夫の父親を思う気持ちを疑うわけではありませんが、父親に会いたい、しかし会うことはできない、という引き裂かれた思いをこそ、その内面に読み取るべきところでしょう。 だから、最後に舞台の袖で吉村刑事の「和賀は父親に会いたかったんでしょうね?」という問いに、今西刑事は「そんなことは決まってる! いま、彼は父親に会っている。彼にはもう、音楽・・・音楽の中でしか父親に会えないんだ」とこたえているのです。 もう一点だけ。「宿命」とは、父親に会いたくても会うことができない状況に置かれた苦しみをあらわしているわけですが、それだけでしょうか。ハンセン氏病に罹患した者、またその家族の「宿命」と考えてみてください。後のリメイク(TVドラマ)では、父親が殺人犯ということになって、三木殺害の動機が単純に「過去(出自)を知られることを恐れたから」ということになってしまいます。これでは重要なテーマが見落とされている。だいいち、それだけの理由では、かつての恩人三木を殺害する動機としては弱すぎやしないでしょうか。ここではそれに加えて、かつて、1970年代でもおそらくあったでろう、ハンセン氏病患者への偏見を思えば、「過去を知られること」のみならず、「いまここにおける偏見がもたらす危機」をも恐れたのだと見ることもできるでしょう。そこまで深読みする必要はないかも知れませんが、つまり和賀英良自身も、(当時としては)ハンセン氏病患者の親族であるという、「偏見」の矢面に立たされるような「宿命」を負っていたということです。制作側がそこまで考えていたかどうか、台詞などから判断する限りでは判然としないのですが、はからずもそのように解釈することも可能だということです。私が、先ほど「この映画では和賀英良の悩みや葛藤を本人の口からは一切語らせていません。すべては今西刑事(と吉村刑事)の想像・推測にすぎないのです。これが、じつは解釈の多様性をもたらしていることも事実です」と言ったのは、こうしたところなんですよ。 なお、私が観たDVDは、デジタル処理によって可能な限り公開時の映像を復元したとのこと。videoではなく、いかにもmovieといった雰囲気で、現代のTV映像がリバーサルフィルムを思わせるのに対して、ネガフィルムのような「ヤニっぽさ」が感じられて、そんなところもいいものだと思います。 ※ 注意! 今回取り上げているのは、野村芳太郎監督による1974年の松竹映画なのでお間違いのないよう、お気を付け下さい。 (おまけ) それにしても、1974年なんてそんなに昔ことでもないような気がするんですが、日本もずいぶん変わったものですね。いや、地方の家並みとかではなくて、お茶の水とか、大阪駅とか・・・。 捜査一課長(内藤武敏)の(有名な)台詞「順風満ぽ」。失礼、あげつらうわけではありませんが、映画史に残ってしまいましたね。まあ、N○Kの有名な女性アナウンサーも、「この度(たび)」を「このど」と読んでいましたからね。「恐怖のどん底」を「恐怖のズンドコ」と言い間違えるよりはマシでしょう(笑) (Klingsol) 参考文献 「砂の器」(上・下) 松本清張 新潮文庫 |